AWC 眠れ、そして夢見よ 7−2   時 貴斗


        
#550/555 ●長編
★タイトル (tok     )  19/03/21  18:20  (250)
眠れ、そして夢見よ 7−2   時 貴斗
★内容
   四

 だいぶ時間が経っていた。今までの中で一番長い夢なのではないだろ
うか。とうとうエジプト人達はスフィンクスの背の上にやってきた。首
の後ろに歩いていく。
 続いて、風景はそのまま前進し、さらに後頭部を登っていく。そして
ついに頭頂部にたどり着いた。
 もうだめだ。滝田は拳を握りしめた。
 画面の右端から刃物が現れた。のみだ。やめてくれ。お願いだ。
「大変です。心臓が止まりそうです」
 スピーカーから叫ぶような医師の声が聞こえた。高梨がマイクに口を
近づける。
「強心剤を打ってくれ」
「打っちゃだめだ」
 滝田は周りの人間がびっくりするほどの大声をあげた。
「何を言ってるんですか、先生。倉田さんが死んでしまいますよ」
 美智子は声を荒げた。
「歴史が変わってもいいのか!」
 美智子の顔が歪むのが、視界のすみに映った。滝田は、自分のほほに
涙がつたうのを感じた。
 高梨が下の医師に指示する。
「待ってくれ。打たないでくれ」
「そんな。手遅れになってしまいますよ」
 下の医者が困惑した声を出した。
「とにかく、そのまま待機だ。私がいいと言うまで打つな」
 画面の中に、今度は石のハンマーが映った。のみが岩の表面に押し当
てられる。
「先生、お願いです。倉田さんを助けて下さい。スフィンクスの頭が傷
ついたくらい、どうだっていうんですか」
 美智子が哀願した。
「その事で何人もの関係ない人々が処罰されてもいいのか!」
 賭けだった。ひょっとすると名無しのエジプト人が思いとどまってく
れるかもしれない。それと倉田氏の心臓が止まるのと、どっちが早いか。
しかしエジプト人が考えを変える可能性は、ほとんどなさそうだった。
 その場にいる全員が沈黙していた。まるで息さえ止めているかのよう
に、静かだった。
 突然、スピーカーから看護師の黄色い悲鳴が響いた。
「どうした」
「倉田さんが起きだして、ベッドの上で四つん這いになっています」と
藤崎青年が答えた。
 レム睡眠行動障害だ。説得するなら今がチャンスだ。
「あなた、そんなことをしてばれたら死刑ですよ」
 滝田はモニターの方を向いたまま話しかけた。
 画面に空が映る。
「ばれないようにやる。もし死罪となっても、覚悟の上だ」
「あなたのせいで何の関係もない人達が処刑されてもいいんですか」
「何かを成し遂げるのにある程度の犠牲はつきものだ」
 くそっ。だめか。
「倉田さんが死にそうなんです」
 とにかく思いついたことを言った。
「それが私と何の関係があるのだ」
「あなたは倉田さんの夢が作り出した存在なのです」
「またその話か。私は信じていないと言ったはずだ」
「ではあなたには今までの記憶がありますか?」
「何度も言うようだが私は自分が何者なのかも分からない」
「それが何よりの証拠です」
 エジプト人は黙ったまま返事をしない。
 滝田が話している内容はすべて仮説だが、なにしろ彼に聞こえている
のは天の声だ。うまくすれば信じ込ませることができるかもしれない。
「ではこう言い換えましょう。あなたは倉田さんの分身なのです」
「私にはどうでもいい」
「倉田さんが亡くなれば、あなたの生命の灯も消えてしまうんですよ」
「ならばなおさらだ。そうなる前に私はこれを成し遂げる」
 だめか。何かやめさせる方法はないのか。
「あっ、左腕を振り上げました」と青年が言った。
「その腕を捕まえろ」
 一、二秒の沈黙がひどく長く感じられた。
「捕まえました」
 だが倉田氏の行動を制御しても、エジプト人には関係なかったようだ。
ついに、のみに石のハンマーが打ちつけられた。
「ああ!」
 今ならまだ間に合う。エジプト人を説き伏せるのだ。しかしどうやっ
て。
「あなたは大罪を犯しました。あなたの心臓は天秤にかけられました。
残念ながら真実の羽根より重いです」妙な事を言い出したのは意外にも
美智子だった。「アメミットが、倉田さんが死ぬ瞬間を待ち構えています。
彼が絶命すればあなたも世を去ることを知っているのです。あなたの心
の臓は怪物に食われるでしょう」
「私にどうしろと言うのだ」
 画面に映る風景は、周辺から闇が包み込むように黒くなってきた。も
う時間がない。だが美智子は先を続けるのを躊躇しているようだ。彼女
の意図を悟った滝田が代わって話す。
「自分でけりをつけて下さい。アメミットに気付かれる前に」残酷だが
仕方がない。「アアルで会いましょう」
 エジプト人は迷っているようだった。モニターの像が丸くなってきた。
 滝田はこれ以上何も言えなかった。彼を急かすようなことも。ただ成
り行きに任せるしかなかった。
 滝田の靴のつま先が床を叩き始める。
 袋からナイフが取り出された。胸に先端が押し当てられる。
「うう!」
 深々と突き刺さるのを見て、滝田は強く唇を噛んだ。
 画像の直径が徐々に短くなっていく。その円の中に、腰を抜かしてい
る仲間の姿が映っている。
「お前達ももうやめろ。アメミットに……食われるぞ……」
「倉田さんが倒れました」
 青年の悲鳴に似た声が聞こえた。
「強心剤を打て」
 高梨医師が怒鳴った。


   五

 滝田は倉田氏の病室に入っていった。前に会った倉田恭介の妻、倉田
芳子とその二人の息子がいた。といっても兄の方は夢の中で見ただけだ
が。
「まあまあ先生、御無沙汰しております」
「どうも、今日は」
「主人の診察ですか?」
「いえ、その後どうしているかと思いまして、ご様子を拝見させていた
だくために来ました」
「お父さん、こちら滝田、ええとなんとか病院の」
「滝田国際睡眠障害専門病院の滝田です」
 滝田は倉田氏を見て驚いた。この中肉中背のおっさんが、あのミイラ
のような倉田氏と同一人物とは思えない。
「倉田さん、今日は」
「ああ、今日は」
 ぼんやりしたやや低い声が発せられる。
「私が誰だか分かりますか?」
「いいえ。でも、滝田先生ですよね」
 その目はまるで滝田の後ろにある何かを見つめているようだった。
「では、私の声を覚えていますか?」
「いいえ」
「私は倉田さんの睡眠障害について検査をしていました。その時に見た
夢は覚えていますか?」
「いいえ」
 だとすると聞くことは何もない。滝田は安心した。
「お父さん、先生のおかげで目が覚めたのよ。体が治ったのよ」
「いえ、治療をしたのはこちらの病院ですから」
 そうだ。滝田は結局何もしていない。
「先生、それでね、主人の会社、なんとか持ち直しそうなんですよ。こ
れでミケにもご飯を食べさせられます。あ、ミケというのは野良猫でし
てね。いやあ医療保険に入っていて良かったですよ。入院とかいろいろ
かかりますでしょ」
 滝田はなんとなく、一刻も早くここを立ち去りたくなった。倉田氏が
恐ろしい事を言い出しそうな不安にかられた。このおばちゃんもやかま
しいし。
「あ、私は高梨先生に呼ばれて来たものですから。ちょっとお顔を拝見
させていただきたくて立ち寄らせてもらいました。今日はこの辺で失礼
します。いやあ、健康そうでなによりです」
 足早に病室を立ち去る。
 高梨医師からの報告では、あの後倉田氏は小暮総合病院で目覚めたと
いう。最初は二十時間程寝ていたが、一回の睡眠時間も徐々に短くなっ
て、消灯、起床時間に合わせて眠れるようになった。起きた直後どんな
夢を見ていたかの聞き取りは欠かさなかった。高校時代の同級生に会っ
ていた、空を飛んでいた、熊に追いかけられていた、等ありふれた内容
だ。
 滝田はエレベーターに乗り、受付で聞いた通り副院長室がある五階の
ボタンを押した。
 古代エジプト人になったり、滝田睡眠研究所に現れたり、小暮総合病
院の中を歩き回ったりといったことはなかったそうだ。
 廊下に出て高梨医師の部屋に向かう。
 その後レム睡眠行動障害も起っていないという。
「副院長室」と書かれたプレートがあるドアをノックする。
「どうぞ」という声が聞こえたので「失礼します」と言いながら入って
いく。
「お待ちしていました。滝田先生」
 高梨医師は快活な笑みを浮かべ、デスクの椅子から立ち上がった。
 彼には今もいい印象を持っていない。
 手で指し示されたソファに座ると、テーブルを挟んだ向かい側に高梨
も腰かけた。
「これから、どうなさるのですか」と滝田は聞いた。
「どうもしやしません。治ったら退院させて、おしまいです」
 この男は何の責任も感じていないのだろうか。滝田は腹がたってきた。
「学会で発表しますか? 研究の成果はお渡ししますか?」
 鞄の中にある三テラバイトのUSBメモリには、倉田氏の夢から抜粋
した映像と、その分析と考察が入っている。倉田氏に関する資料のうち
のかなり重要な部分だ。倉田氏の顔はモザイク処理し、文書にはK氏と
書いてある。音声のうち「倉田」の部分は「ピー」という自主規制音に
変えてある。高梨に預けるかどうかは今日の話し合いで決めるつもりだ
った。
「今日ご足労願ったのは他でありません。その件ですが、私どもの方で
慎重に検討を重ねた結果、公表はしないと結論付けました」
「ほう、そりゃまたどうしてですか?」
「古代エジプト人になってスフィンクスの頭を壊そうとしたなんて、そ
んなのはただの夢かもしれませんよ。実在したという根拠がありません」
「しかし、倉田さん自身として我々の研究室に現れたのはどう説明しま
す? 彼はあの部屋を見たことがないんです。証拠の映像も残っている
んですよ?」
「起こったのはすべてオカルト現象でしょう。合理的に解釈することな
んて所詮無理なんです。しかし、寄付金は約束通り提供させていただき
ますよ」
 最初に訪ねてきた時と、言っていることが違っていた。医学や科学の
世界に一石を投じるかもしれない。そう話していたのではなかったか。
「それは結構です。結局私達は何の役にも立っていませんから」
「とんでもない。先生方が睡眠障害の元凶である古代エジプト人を殺し
てくれたから、倉田は治ったんじゃないですか」
 頭に血が上った。
「いりませんよ、そんなの」滝田は自分の口調がきつくなるのを感じた。
「あなたは倉田さんが重態なのに夢の解明を優先させた。自分が名声を
得たいがために。責任を感じないんですか」
 高梨は急に能面のような顔になった。
「私達はわらにもすがる気持ちだったんです。倉田の夢に、病気の本当
の原因が隠されているかもしれないと考えたんです」
「私は後悔しているんです。倉田さんをまるで、実験動物みたいにして」
「先生に罪はありません。先生は昏睡状態の患者と夢見装置を通してコ
ミュニケーションを取ろうとしたんです。クランケとの会話は重要です。
先生は決して、倉田を実験台にしたのではありません」
 そんな大それたことではない。滝田にしたって、最初は興味本位では
なかったか。
 滝田は踏ん切りをつけられずにいた迷いに対して決断した。
「倉田さんの資料はすべて破棄します」
「そんな、もったいない」
「こんなものが公になったら、倉田さんはどんな目にあうか分かったも
んじゃありません」
 モザイクをかけたところでやっぱり安心はできない。
「先生、余計なお世話かもしれませんが、くれぐれもこの件は口外なさ
らないようお願いします」
 高梨との取引のことだろう。
 高梨は胸元に手を突っ込み、分厚い茶封筒を取り出した。それをうや
うやしく滝田に差し出す。
「では謝礼だけでも」
「いらないと言ってるでしょうが!」
 手を振って払い落とす。高梨は鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。
 滝田は憤って立ち上がった。
「先生、夢と睡眠障害の関係について調査をされているのでしたよね。
その研究は、深めて下さい。睡眠異常に悩む人が減ることを祈っていま
す」
 滝田は返事もせず、副院長室を飛び出した。
 足が勝手に倉田氏の部屋に向かう。何かをしなければいけないような
気がした。全部彼にぶちまけてやろうか。
 すべては終わった。これからは普通の生活に戻るのだ。かわいそうな
犬や猫の頭に針を刺し、モニターの波形に一喜一憂し、美智子とくだら
ないことで口論するのだ。そうだ。それがいい。
 倉田氏の病室の前に戻ると子供が廊下の窓から外をながめていた。弟
の方だ。少年は滝田を見ると不安そうな顔をした。
 滝田はしゃがんで少年に微笑みかけた。
「退屈かい?」
「うん、つまんない」
 滝田は迷った。手に持った黒い鞄を見つめる。資料を取っておくべき
か捨てるべきかについてはずいぶん悩んだ。そして破棄すると決断した。
だが本当にそれでいいのだろうか。バッグを開き、USBメモリを取り出
した。
「これを」言葉がつまる。こんなことをして大丈夫なのだろうか。「これ
を、君にあげよう」
「なあに?」
「これはね、お父さんの病気について記録したものなんだ」
「僕にくれるの?」
「でもね、他の人に言っちゃだめだ。お母さんにも言っちゃだめだ。そ
れくらい重要なものなんだ。約束できるなら、君にあげる」
 少年はほほに人差し指をくっつけて首をかしげた。
「おじさんは、これを君に託したいんだ。託すって、分かるかい? 大
事なものを人に預けることだ」
 そうだ。この少年なら適任のような気がする。彼がこの内容を理解で
きるほどに成長した時、父親に起こった事実を知るだろう。後は、どう
するかは彼次第だ。少年はなおも考え込んでいた。
「うん、いいよ。僕が預かってあげる」
「そうか。誰にも内緒だよ。君とおじさんだけの秘密だよ」
「男の約束だね」
「そうだ。そうだよ。君は良い子だな」
 少年がUSBメモリを受け取るのを、複雑な思いで見ていた。





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 時 貴斗の作品 時 貴斗のホームページ
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE