AWC 眠れ、そして夢見よ 7−1   時 貴斗


        
#549/555 ●長編
★タイトル (tok     )  19/03/21  18:16  (237)
眠れ、そして夢見よ 7−1   時 貴斗
★内容
   スフィンクスの頭


   一

 滝田は立ったまま、長い呼吸を繰り返す倉田氏の顔を見つめていた。
どうしていいか迷うばかりで、何もできない自分がはがゆかった。名無
しのエジプト人が歴史を変えようとしていることも、倉田氏の病状が悪
化していくことも、自分にはどうしようもない。
「先生、来て下さい」
 スピーカーユニットから青年の声が伝わってくる。
「どうした」
「倉田さんが夢の中に現れました。先生を呼んでいます」
 倉田氏の顔を見る。心なしか笑みを浮かべているように見えた。
 階段を駆け上がりながら妙なことに気がついた。「先生を呼んでいます」
だって? 自分のほほをつねってみる。痛みは感じるようだ。また夢だ
ったらたまらない。
「僕を呼んだって? どうやって」
 ドアを開けるなりかみつくように言った。
「電話で話してるんですよ」
 滝田は受話器を握っている青年に足早に歩み寄っていった。振り向い
てモニターを見ると、どこだか分からないが、夕暮れ時の屋外が映って
いた。すべり台がある。すると公園だ。正面にはうさぎの頭の形をした
石像と、ライオンの頭の形をした石像が並んでいる。人が座れそうなく
らいの大きさだ。
 腕時計を見る。五時十七分。するとおそらく過去でも未来でもなく現
在だ。
 映像は下を向いて、パジャマ姿の胸から下を映した。ベンチにこしか
けている。ひざの上の四角く平べったい電話機から、螺旋状のコードが
のび、画面の左端で消えている。
 そうか。あれでこの研究室に電話をかけたのか。
 滝田はおかしな点に気づいた。普通は本体からモジュラーケーブルが
出ているはずだが、それがどこにも見当たらない。
「常盤君は?」
「仮眠室で寝ています。何でも昨日一睡もできなかったんだとか」
 まったく。何をやってるんだ、こんな時に。青年から受話器をひった
くる。
「今晩は、滝田さん」
 やや低い倉田氏の声は、それでも、この間聞いたのと比べていくぶん
穏やかな感じがした。
「倉田さん、どうしたんですか。この間の様子からすると、もうお話し
できないのかと思いましたよ」
「私は、自分の意思で好きなように夢を見られるわけではありません。
今日はたまたま私自身として現れることができただけですよ」
「それでも私はうれしい。倉田さんの方から私に連絡をとってくれるな
んて」
「たぶん、お別れを言いたかったんだと思います」
 倉田氏は意外なことを言った。
「私は、最近は目覚める回数が少なくなっているように感じます。たぶ
んそれ以外の時間は、古代エジプト人になっているんだと思います」
「倉田さんは、自分がエジプト人になっていることを感じるんですか」
 少しの間、沈黙があった。
「いいえ。いや、はいかな。時々ピラミッドの姿が見えることがありま
す」
 実に驚くべき告白だった。倉田氏であるのに古代エジプト人としての
風景が見えるのだろうか。
「どんなふうに見えますか。そのピラミッドは、てっぺんの方が欠けて
いませんか」
「ピラミッドとは何だ」
 急に声質が変わった。滝田は目を、飛び出さんばかりにひんむいた。
 すべり台と動物の頭の像が半透明になって、それと重なって青空とピ
ラミッドが映っていた。
 どういうことだ。倉田氏の意識と古代エジプト人の意識が入り混じっ
ているのか?
「ペルエムウスのことです。というより、あなたは誰です」
「何度も言うようだが私は自分が誰なのかを知らない。あなた達が私を
クラタと呼びたいのならそう呼べばいいだろう」
 頭が混乱する。しかし、いいチャンスだ。この間言いそびれたことを
言うのだ。
「スフィンクスの頭を壊すなんて、そんなことはやめて下さい。あなた
は世界的な遺産を破壊しようとしているんですよ。それであなたは平気
なんですか」
「なるほど、彼はスフィンクスの頭を破壊しようとしているんですね」
 声が元に戻った。画面も公園の風景に戻っていた。
「私はたぶん、どんどん古代エジプト人になっていくんだと思います」
 画面が点滅した。
「もう倉田恭介になることもないでしょう」
 画面がフェード・アウトしていった。最後に小さく、「さようなら」と
言ったように聞こえた。
 滝田は放心していた。青年も、滝田も、何も言わなかった。しばらく
して滝田は口を開く。
「どこだろうね、今の場所」
「さあ、どこかの公園みたいでしたが」
 青年の目と口が、急に丸くなった。
「あ、この場所、僕知ってます」
 青年が駆け出したので、滝田も走った。階段を駆け下りていく。玄関
から飛び出した。太陽は沈みかけ、夜が訪れようとしていた。
「おい、どこに行くんだ」
「こっちです」
 通りをしばらく走った。右に折れて、細い道に入ると、両側に植込み
が並んでいた。少し行くと、植込みが切れて小さな公園があった。
「この間、常盤さんとここに来て話したんです」
「え? 君達そんな関係だったの?」
「違いますよ」
 青年が歩いていく先にベンチがあった。滝田が長椅子の上に手をおく
と、今まで誰かが座っていたかのような温もりがあった。


   二

 倉田氏の病状はかなり悪化しているように見えた。その日も三度、医
師と看護師がやってきて簡単な診察をし、点滴をとりかえていった。
「どうなんです。だいぶ悪いんじゃないですか」
 滝田が何度聞いても返事は同じだった。
「大丈夫ですよ。心配いりません」
 医師達は滝田と話すのが嫌なようだった。決して顔を見ようとしない。
 彼らはまるで治療する気もないかのように帰っていった。
 倉田氏の呼吸はさらに荒く、顔中に汗がにじんでいた。滝田はそばに
座ってふきとっていた。
 かわいそうに。実の妻に看病してもらうこともできない。妻が聞いた
ら卒倒するだろう。命より夢の分析を優先するとは。滝田は自分が犯罪
に加担しているような気がしていた。
 脳の研究から睡眠の調査へと移っていった当時は、意欲あふれる純粋
な科学者だったはずだ。それが悪事を働くようになるなど、どうして予
想できただろう。
 いや、それどころでは済まない。歴史が変わろうとしているのだ。滝
田の頭に悪い考えが浮かぶ。もしも倉田氏が死んでくれたら、あの古代
エジプト人も消えるに違いない。そうしたら過去が変わらなくて済む。
もし亡くならずに、エジプト人がスフィンクスを壊そうとしたら、その
時には高梨に頼んで安楽死の注射を……。いや、だめだ。そんなことは
絶対にできない。
 もしも頭部が欠けたら、どういうふうになる可能性があるだろうか。
きっと元々スフィンクスには頭頂部がなかったのだということになるだ
ろう。あるいは戦乱か何かで失われたという解釈になるかもしれない。
影響があるのは考古学ぐらいではないだろうか。それともこれは大変だ
と思った古代エジプト人達が、すぐに修復してくれるかもしれない。
 その程度で済めばいいが。
 しかし、名無しのエジプト人が河でおぼれている子供を助けた時、そ
のせいで第二次世界大戦が起こった確率はゼロではないと考えたのは滝
田ではなかったか。
 怒ったファラオは、無関係の人々を処刑してしまうかもしれない。あ
るいは何かの祟りだと勘違いして、多くの人間を生贄にするかもしれな
い。もしそうなったら、その人達の子孫は生まれてこないのだ。後に誕
生するはずだった英雄や、政治家が歴史上から抹殺されるかもしれない。
そうした人がいなかったために、ヒトラーのような独裁者が支配する世
の中になる可能性だってあるのだ。
 名無しのエジプト人に説得を試みてはどうか。なんとかしてやめさせ
るのだ。しかし、古代エジプトには電話もない。倉田氏がレム睡眠行動
障害にならずに、夢の中でエジプト人が歴史を変えようとしたら、それ
をただ指をくわえて見ているだけなのだ。
 どうにかしてヒッドフト王のピラミッドがあった場所を探し出して、
そこに手紙を置いてきたらどうだろうか。研究室の電話に張り紙をした
のと同じで、夢の中で彼がそれを読んでくれるかもしれない。自分のや
ろうとしていることがいかに馬鹿なことかを、綿々と書きつづるのだ。
もっとも、彼が日本語を読めなかったら、ヒエログリフで書く必要があ
るだろうが。
 いや、この案はだめだ。手間がかかりすぎるということ以前に、時間
的に隔たってしまっている。
 倉田氏が笛のような音をたてて息を吸いこんだので、滝田の思考はと
ぎれた。
 アイマスクを取ってみると、目の周りはどす黒い紫色に変わっていた。
苦しそうに首を右に、左にねじる。
「倉田さん、倉田さん。大丈夫ですか」
 肩をゆすっても、目も覚まさないし反応もしない。
「大変だ。医者達を呼び戻さないと」


   三

 遅い。何をしているのだ。病院に連絡して、もう二時間も経っている。
今度は高梨も来ると言っていた。滝田のメールを読んだからだろうか。
それとも、この間の若い医師が何か言ったのか。
 ベッドルームの分厚い扉がゆっくりと開いた。
「先生、来て下さい」
 現れたのは青年だ。
「どうした、まさか」
「倉田さんが夢を見ています」
 ああ、なんということだ。よりによってこんな時に。滝田は眉間に縦
皺を寄せて荒い呼吸をしている倉田氏の顔をみつめた。
「先生、早く」
 青年に急き立てられて、腰を上げる。駆け去っていく青年を追いかけ
る。だが、なんだか疲れた。急がなければならないのに。くそっ。
 ようやく研究室にたどり着いた時、滝田は息切れしていた。
「どっちだ」
「エジプト人の方です」
 モニターの前の美智子が返事をした。
 滝田が画面の正面に立つと、そこには夕陽をバックにスフィンクスが
そびえていた。思わず窓に駆け寄り、倉田氏を見下ろす。しかしさっき
まで見ていた通り、彼は苦しげな眠りを続けている。レム睡眠行動障害
の状態にはなっていない。
「だめだ。歴史が変わるぞ」
 ディスプレイの前に戻る。胴の下に小さく数人の人間が見える。また
瞬間移動して彼らのそばに来た。そこにはこの間見たちぢれた髪の、口
ひげをはやした、若いのか年取っているのかよく分からない男と、太っ
た男と、他に三人の男が立っていた。彼らが驚かないところを見ると、
テレポーテーションしたわけではなく、歩いて行くシーンがカットされ
ただけらしい。ちぢれ髪の男が何か言うと、画面はうなずいて上下にゆ
れた。太った男が背中にかついでいた布袋をこちらに突き出した。袋の
口から棒のようなものが何本か顔を出している。画面は再び縦に往復し
た。
 背後でドアが開く音がして、「今晩は」という声が聞こえた。振り向く
と高梨が立っていた。
「いや、お久しぶりです」
 状況が良く分かっていないのか、快活な笑みを浮かべて言った。
「挨拶は後だ。早く倉田さんを診てあげて下さい」
 怒りをおさえて言う。
「大丈夫です。もうやってます」
 窓のそばに行った藤崎青年が報告する。
「医者と看護師が来ています」
「今、夢を見ているところですか」
 高梨は言って、滝田のそばに寄って来た。
「あ、今晩は」と美智子と青年にも挨拶した。
「どんな状況ですか」
 いたって明るい調子で聞く。
「私のメールを読んでくれましたか」
 滝田はモニターを見つめたまま言った。
「ええ、もちろん。あれが全部本当だったら素晴らしい」
 素晴らしいだって? 素晴らしいことなんかあるもんか。
「だったら話が早い。今ちょうどね、倉田さんが歴史を変えるところで
すよ」
 滝田は怒鳴った。
 高梨は呆気にとられた顔をした。
「あの、このヘルメット、取っちゃだめなんですか」
 スピーカーから下の医師の声が聞こえた。
「あ、それ取っちゃだめです。取らないで下さい」と美智子が答えた。
「倉田さんはね、というよりも古代エジプト人はね、これからスフィン
クスの頭を壊して、その石をピラミッドに供えるんだそうですよ」滝田
は高梨をにらんだ。「まったく、馬鹿げたことです」
 高梨は少し動揺したようだ。
「なんとか、やめさせることはできないんですか」
「何もできませんね。私達はただぼーっと見ているだけなんですよ」
 ちぢれ髪の男が前へ進み出て、胴体をよじのぼり始めた。ロッククラ
イミングだ。続いて風景が前へと動いて、岩の表面を画面いっぱいに映
した。壁面が下がっていく。
 頼む。やめてくれ。
「あんな大きな像を登れるのか?」
「スフィンクスの高さは二十メートルです」と美智子が得意の記憶力を
披露する。
 戻ってきて一緒に見ていた藤崎青年が付け足す。
「ボルダリングジムの壁の高さは四メートル程です。素人では一発でク
リアするのは難しいです。これを登ろうというのですから彼は僕達が思
っている以上に身体能力が高いのかもしれません」
 滝田は振り向いてマイクをつかんだ。
「倉田さんの状態はどうですか」
「だいぶ弱っています。脈拍が遅くなっています」と医師が答える。
「藤崎君」
「行ってきます」





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