AWC 眠れ、そして夢見よ 6−1   時 貴斗


        
#547/555 ●長編
★タイトル (tok     )  19/03/21  18:05  (242)
眠れ、そして夢見よ 6−1   時 貴斗
★内容
   ピラミッドとエジプト人


   一

「あら藤崎君、遊んでちゃだめよ」
 美智子は目を三角にして青年をにらみつけた。
「いや、ちょっとした気分転換に」
 青年はパズルの本を読んでいた。勤務中にさぼるなど、美智子にとっ
てはもっての他だ。
「常盤さんも少し休憩した方がいいですよ。ほら、これ分かります?」
 青年は開いたページを突き出した。
「なによ」
 そこにはマッチ棒で「1+1=」という図形が描かれていた。
 美智子は青年から本とボールペンを取り上げた。
「あっ!」
 ページのすみに数式を書きつける。
    1+1=10

「一足す一は十ですか?」
「その読み方は正しくないわね。読むとしたら一足す一はイチゼロかし
ら」
 青年は狐につままれたような顔をした。
「これは数字を二進数で表した場合。じゃあこれは?」
    1+1=1

「一足す一はイチ、でいいんでしょうか」
「この場合のプラスは論理和。読むとしたら一オア一は一かしら」
「あはは。常盤さん、数学の先生になれば良かったのに」
 美智子はちぎれんばかりに首をふった。
「いやよ。絶対にいや。私、子供がうるさいの、大っきらい」
「ああ」
 青年は口だけ半笑いで眉は八の字になっていた。
「要するに一とかプラスというのは数字や記号の定義でしかないのよ。
だから一足す一は三でもかまわないし、百でもいいのよ。プラスという
記号をそういうふうに定義すればいいんだわ」
「そんな。普通は一足す一は二じゃないですか?」
「いいえ。同じことよ。それも定義の一つだわ。数学というのは定義の
上に組み立てられた美しい論理なの」
「あの、それ、あくまでも常盤さんの考えですよね」
「そのパズルだってそうだわ。どうせマッチを二本動かして別の文字を
作るとか、そういうのなんでしょうけど、それだってそういう関数の定
義だわ」
「そうかなあ。普通は一足す一は二っていうのは、一つのりんごと一つ
のりんごを合わせると二つになるっていう、そういうことだと思うんだ
けどなあ。そういうふうに習いませんでした?」
 はたしてそうだろうか。美智子はその教え方には昔から疑問を持って
いた。それは物理現象を数学で記述したということであって、数学その
ものではないような気がする。
「じゃあ、二つのりんごと、三つのみかんを持ってきました。あわせて
いくつ?」
「え、五つじゃないんですか?」
「正解。それじゃあ、二つのりんごと、三本のボールペンを持ってきま
した。あわせていくつ?」
「それは……五個じゃないんですか?」
「それはおかしいわ。りんごとみかんの場合は、まだ同じ果物の範疇に
入るからいいけど、りんごとボールペンの場合は、あくまで二つのりん
ごと三本のボールペンにしかならないんじゃないかしら。やっぱり、数
学というのは関数とかそういうものの定義と、そこから導かれる論理な
のよ。一つのりんごと一つのりんごを合わせると二つになるっていう、
“例え”ではないわ」
「そうかなあ。現象を記述する方法として“一足す一は二”という表現
が生まれたという気もしますけど」
「そう? それじゃあね」
 さらに問題を出そうとする美智子の目のすみに、何かちらつく光が映
った。
 美智子はモニターの方に顔を向けた。
「先生は?」
「えっ? 先生? 先生の定義ですか」
「先生は所長室にいるの? 早く呼んできて!」


   二

 滝田が駆け込んだ時、ちょうど砂嵐がおさまるところだった。ぼんや
りとした映像がだんだんとはっきりとしてくる。一つ一つの物体の輪郭
線が、明瞭になってくる。
「倉田氏かな? それとも古代エジプト人か?」
 青空をバックに、大きな三角形が浮かび上がってきた。いや、上の方
が欠けている。どちらかというと台形に近い。それはピラミッドだった。
上半身裸の男達が、その根元に群がっている。すると、古代エジプト人
の方だ。
「この間の続きだとすると、ヒッドフト王のピラミッドを造っていると
ころだわ」
「倉田さんは起きてる? 寝てる?」
「眠っています」
「起きてる?」というのも変な表現だな、と滝田は思う。レム睡眠行動
障害時も目は覚めていないのだから。
 真っ青な空には雲がわき立っていて、白熱した太陽が砂をこがしてい
る。
「かわいそうだなあ、あの奴隷達」と、青年がつぶやいた。
「あら、奴隷じゃないわ。彼らは庶民よ。報酬としてもらえるビールの
ために、自発的に働いているのよ」
 風景が動き始めた。謎のエジプト人は彼ら労働者達に近づいていく。
 労働者のうちの一人が、こちらに向かって手をふった。ちぢれた髪の、
口ひげをはやした男だ。若いのか、年寄りなのかよく分からない。痩せ
て肋骨が浮き出している。画面はその男に近づいていく。
「おや、顔見知りができたようだな」と滝田は言った。
 男が何か二言三言しゃべると、画面が大きく上下にゆれた。うなずい
たようだ。別の、太った男がロープを指差す。画面の両端から腕がのび
てひもを握る。
「倉田さんは労働者の仲間入りをしたようね」
 いったい何のために、と滝田は思う。ただ単にビールを飲みたいため
だろうか。それだけならいいのだが。
 エジプト人は顔を上げた。巨大な斜路が左の方からのびて、人々が石
をピラミッドの上部に運び上げている。
「このピラミッドは、結局はなくなってしまうんでしょうね」と、青年
が言った。
「そうだな。そうなってくれないと困る。残ると歴史が変わってしまう」
「先生はまだその考え方にこだわっているんですか」美智子が例によっ
てつっかかってきた。「これは単に夢の中の風景にすぎないんじゃないか
しら。実際に倉田さんがここにいるという証拠は、何もないんですよ。
これが実際のその場の景色だという根拠は、何もないんです」
 この間は倉田氏が古代エジプト人になっていることは確実だと言って
いたくせに、と滝田は思う。
「そうだな。倉田さんが何か痕跡でも残してくれればな。何世紀も後に
なって我々が見ても分かるような跡を残してくれれば、確かにここにい
たという証しが残るんだがな」
 だが、それは危険な考え方だった。下手をすると歴史が変わってしま
うかもしれない。しかし科学者の立場としては、ぜひ証拠を残してもら
いたい、という思いもある。
 大変な重労働を何万人もの人が何十年もかけて、一つのピラミッドを
造るのだ。当時のファラオの権力がいかに偉大なものであったかが分か
ろうというものだ。
 ロープを引っ張る腕を映しながら、画面が暗くなっていった。


   三

 所長室の扉がすごい勢いで開いて、美智子が駆け込んできた。
「先生、倉田さんが」
 滝田は慌てて立ち上がった。美智子を追いかけながら尋ねる。
「倉田さんの方か。エジプト人の方か」
「倉田さんです。しかも、研究室にいます」
 倉田氏か。そっちの方がよほど気になる。この間の夢ではやけくそに
なっているみたいだった。しかしどうした風の吹き回しだろう。もう研
究室には現れないと言っていたはずだが。
 部屋に飛び込むと、藤崎青年が青い顔をしてモニターの前に立ちすく
んでいた。
 青年を押しのけるようにして画面の前に割り込んだ。ディスプレイに
は倉田氏が映っていた。今までの夢と違う。これまでは倉田氏の視点で
見ていたはずだ。滝田は隣のベッドルームで眠っている彼の姿しか見た
ことがない。それが今は、百歳の老人のようなあの顔が、しっかりと眼
を開けて薄笑いを浮かべているのだった。彼は細長い紙を手に持って、
こちらに突き出していた。その紙には墨で、「電話しろ」と大きくと書か
れていた。
「人の夢をのぞくな」と言った時に滝田の電話番号を知ったのだから、
彼の方からかけてくることもできるはずだが、覚えていないのだろう。
 携帯で部屋の電話にかける。倉田氏がすかさず夢の中の受話器を取る。
「もしもし」
 受話口の底から、怒気を含んだ声が聞こえてきた。
「私の夢をのぞくなと言ったはずだ」
「いえ、倉田さん、この間説明したように……」
「あなた達は自分の頭の中をのぞかれて平気なのか!」
「いえ、あの、その」
 言葉がしどろもどろになる。いったい何と言い訳したらいいのだろう。
「倉田さん、これをやめたらあなたとの連絡方法がなくなってしまうん
ですよ」
「結構だ。早く私を病院に戻すべきだ」
 そんなことまで知っていたのか。
「とんでもありません。病院で治せなかったからこそ、ここに来てもら
ったんじゃないですか」
「へえ、そうかい」
 薄笑いが、ぞっとするような冷たい笑みに変わった。
「あなた達は馬鹿者だ」いつの間に持ったのか、握りしめたとんかちを
滝田に突き出した。「大馬鹿者だ」
 金槌を振り上げた。次の瞬間、目の前が真っ白になった。耳をつんざ
く音が響いた。反射的に顔の前に持ってきた腕に、モニターの破片が襲
いかかってきた。
「先生、大変です。夢見装置が壊れました」
 美智子が金切り声で叫んだ。
 恐る恐る目を開けると、周りがやけに明るかった。なんだか様子が変
だ。
 滝田は呆然として辺りを眺め回した。砂の大地と真っ青な空が広がっ
ている。なんだ、ここは。一体どうしたというのだ。振り向いた滝田は
愕然とした。そこには巨大なピラミッドがそびえ立っていた。
 そんな馬鹿な。研究室はどこに消え失せたのだ。美智子は、青年はど
こに行ったのだ。
「まさか」滝田はつぶやく。「まさかそんなことが」
 ピラミッドに近づいていく。てっぺんの方がまだ完成していないそれ
は、明らかにヒッドフト王のピラミッドだった。
「あなたが声の主か」
 突然聞こえた声に驚いて振り返った。
「とうとうここまでたどり着いたか」
 そこに立っていたのは、褐色の肌に首飾りをつけ、腰布を巻いた男だ
った。
「そんな馬鹿な」
 顔に見覚えはないが、倉田氏の口から聞いたその野太い声から察する
に、謎の古代エジプト人だろう。
 画面に映る風景が割れて、粉々の断片となって飛び散った。そこに一
瞬だけ、真っ黒な空洞が口をあけ、そして真っ白になった。美智子が夢
見装置が壊れたと叫んだ。
 その時の衝撃で滝田が夢の中に引きずり込まれたとでもいうのか。ま
さか。馬鹿げている。
「どうした。顔が真っ青だぞ」
 だが他に考えようがなかった。それ以外にこの状況を説明する方法が
みつからない。絶望が頭の中に広がっていくのを感じた。
 ああ、なんということだ。倉田氏の眠りを観察し続けた結果が、これ
だというのか。この世界に出口はないのか。永遠に囚われ人となってし
まうのか。
 気がつくと、ひざまづき、砂をつかんでいた。
「悲しむことはない。さあ、立ちなさい」
 エジプト人に促されて、ふらふらと立ち上がった。
「こちらへ」
 そう言うと、彼は先に立って歩き始めた。ピラミッドに沿って歩いて
いく。
「どこに行くんですか」
「あなたが本当に見たかったものを見せてあげよう」
 いったい何の事だ? エジプト人は角を曲がった。滝田もついていく。
 地下への入り口にたどり着いた。
「この下だ」
 狭い階段を降りていく。滝田はなんだかひどく、嫌な予感がした。滝
田が本当に見たかったもの? その逆で、滝田が見たくなかったもので
はないか? そんな気がしてきた。
 ついに玄室へとたどりついた。燭台がうっすらと照らすそこは、いか
にも殺風景な場所だった。華やかな壁画や、副葬品といったものがある
わけでもなく、まるで地下牢のようだった。
「あれだ」
 部屋の中央に石棺がある。エジプト人は足早に歩み寄り、いかにも重
そうな石の蓋を、いとも簡単に横にずらした。重い音をたてて、蓋が地
面に落ちた。
「さあ、見なさい」
 のどが鳴った。恐る恐る近寄っていく。
「さあ」
 恐々とのぞきこむ。
 そこには男が横たわっていた。腰布だけを身につけたその人物の肌は
褐色ではなく、青白かった。彼の顔を見た瞬間血の気がひいた。
 それは、滝田の父親だった。父が、そこに納められていたのだ。眠っ
ているのか、死んでいるのか分からない。
「あなたはこれを見たかったのだろう? あなたはこれを、知りたかっ
たのだろう?」
 エジプト人の声が部屋に反響する。
「嫌だ。嫌だ! 私はこんなものを見たくない」
「見るがいい」
 横たわった父の目が、いきなり開いた。
「健三……宿題を……」父の口が震える。「高梨医師に……報告を……」

「嫌だ!」
 滝田はふとんをはねのけた。慌ててあたりを見まわす。外の街灯の明
かりが、カーテンを通してうっすらと差し込んでくる。自分の寝室だ。
胸に手を当てると早鐘をうっていた。
 また悪夢を見てしまった。





前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 時 貴斗の作品 時 貴斗のホームページ
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE