AWC 眠れ、そして夢見よ 4−2   時 貴斗


        
#543/555 ●長編
★タイトル (tok     )  19/03/21  17:51  (239)
眠れ、そして夢見よ 4−2   時 貴斗
★内容
   四

「ペルエムウスって何ですか?」と、青年は聞いた。
「あら、知らないの? 英語のピラミッドはギリシャ語のピラミスから
来てるんだけど、ピラミスの語源については定説がないの。唯一の祖先
と考えられる言葉がペルエムウス」
「最後のあれ、なんだったの?」
 滝田は美智子に聞いた。
「催眠術がきっかけでああなったって、先生言ってましたよね。きっと
倉田さんは暗示にかかりやすい体質なんだろうと思って、暗示をかけた
んですよ。次のレム睡眠行動障害まで一ヵ月も待たされたんでは、たま
りませんからね」
「ふーん。うまくいくといいね」
 滝田は青年が持ってきたコーヒーをすすった。
「ヒッドフト王って、誰ですか」
 青年は、滝田が倉田氏に聞いたのと同じことを聞いた。
「ヒッドフトというファラオは本に載ってないわ」
 美智子もコーヒーに口をつけた。
「すごい。常盤さんは全部の王の名前を暗記してるんですか」
 青年は目を丸くした。
「ええ、本に書いてあったのは全部」
 美智子はなんでもないことのように言う。
「きっと歴史の教科書にも載ってないような、名もない王様だったんだ
ろうよ」
「ええ、残念ですね」
「残念? と言うと?」
「もしも名のある王だったら、どのピラミッドを建造している最中か分
かるから、倉田さんがいるおおよその年代が分かったかもしれません」
「少なくともスフィンクスとジェセル王のピラミッドよりは後だね」
 だが、そう言いながらも滝田は、倉田氏が現在どの時代にいるのかな
ど、些細なことだというような気がしていた。
 倉田氏は一体何者なのか。
 あの偉そうな口調の人物のことではない。今ベッドの上で再び昏睡に
陥った倉田氏は一体何者なのか。その方がずっと重要な問題だという気
がする。あきらかに、奇妙な睡眠障害になる以前の、ごくごく平凡な一
般市民にすぎない人物とは違った存在に変わってしまっている。彼は一
体何者なのか。
「先生が最後にした質問、あれは何です? どうしてあんなことを言っ
たのか、理解できませんでしたわ」
「え? ああ、自分の足を見ろってやつね。倉田さんの体を見たかった
のさ。録画されてるはずだから、後で見てみるといい。腰布しか身につ
けていなかった。肌は褐色だったよ。ああ、首飾りもつけていたけどね」
「するとやっぱり、倉田さんは今古代エジプト人になっているんだわ。
当時の一般的な服装です」
「そうだね。首飾りはつけていなかったけど、他の人達もそんな服装だ
った」
 美智子から借りた本の中にも、同じような格好の人物が描かれた壁画
や像がたくさん出ていた。
「首飾りをしているということは、上流階級の人かもしれませんね」
 インド人については不明だが、これで御見氏とエジプト人については、
確かにその人物になったのだということが、断言できそうだ。
「でも、常盤君が言うところの、現実的な解釈だとどうなるんだろうね。
倉田さんは古代エジプトの関係の本を読んで、それが夢に現れた、とい
うことになるんだろうか」
「それにしては情景が緻密すぎますわ。砂との摩擦を減らすために水を
まくところまで再現されています。どうして倉田さんはそんなに古代エ
ジプトのことに詳しいのかしら。それに本で読んだり、ネットで検索し
たりしたとしても、それだけであんなに鮮やかにイメージできるものか
しら」
「ああ、まるで見てきたような風景だったな」
「見てきたんじゃありません。見ているんです。倉田さんが夢の中で実
際に古代エジプトにいることは、確実です」
 倉田氏が古代エジプトにいることは認めるくせに、どうして前世とか
いう言葉を出すと怒り出すんだろう、と滝田は思う。
 その時ふと、ある可能性に気づいてはっとなった。
「とすると、これは大変だぞ。彼は夢を見るだけで実際のその場に行け
る。彼は歴史を変えることができる」
「なんですって?」
「だってそうじゃないか。彼は夢の中で研究室に現れ、そしてモニター
を壊した。すると実際にモニターが破壊されてしまった。彼がエジプト
で何かしでかしたら、それによって歴史が変わってしまうかもしれない」
 分厚い眼鏡の向こうで美智子の目が大きく見開かれた。


   五

「あら、やっぱりここだったの」
 藤崎青年がコンクリートの上に座って、空を見上げている。
「いい天気ね」と言いながら、美智子は近づいていく。
「食事はもう済みましたか」と、青年は雲を見つめたまま言った。
「ええ。五分で済ませたけど」
 白衣のポケットから白いハンカチを出して、青年の横に敷いて座る。
後ろに手をついて空を見上げた。昼休みの屋上からは目をさえぎるもの
のない青空が見渡せる。地上ではこうはいかない。そそり立つビル郡が
目を覆い、行き交う車達が耳を覆う。青年はいい場所を見つけたものだ。
「どうです? 氷の中からは抜け出せましたか」
「あらいやだ。そんなことまだ覚えてたの?」
 美智子は、ため息をついた。
「私ね、中学の時帰宅部だったの」
「はあ、部活で青春燃やしてましたって感じじゃないですね」
「ん? まあ、そうね。それでね、中学の時のあだなが眼鏡」
「それってそのまんまじゃないですか」
 今は度の強い眼鏡でも屈折率を高くして、サイズを小さくした非球面
レンズを使った薄型のものが主流だ。古臭い厚い眼鏡をかけている美智
子は珍しかったのだろう。
 少し風が出てきたようだ。乱れた前髪をはらう。
「ある時私、先生にほめられたの。常盤は頑張ってるって。すごく努力
してるって。そしたら、男の子の一人が言ったの。眼鏡は部活やってな
いから、勉強やる時間があるんだって」
 青年は快活に笑った。
「ひどいですね、そりゃ。だったら自分も部活やめりゃいいじゃないで
すかねえ」
「でもね、私考えるの。もしも自分がバレーか何かやってて、へとへと
になって帰ってきて、それから教科書読む気になるだろうかって」
「天は二物を与えず、ですよ。部活動が楽しい子は、そっちの才能が伸
びるんでしょう。勉学が得意な子は成績が伸びるんでしょう」
「それなら、楽しい方が伸びた方がいいんじゃない?」
 青年は何かを言おうとして口を開いたが、閉じてしまった。
「通ってた塾がね、成績が良い順に三つの等級に分かれてたの。私真中
のAクラスだったんだけど、くやしくて頑張って特Aクラスに上がった
の。最初に編成されたクラスから上の級に上がる子って少なかったから、
塾の先生にほめられたのよ。その時のほめ方がさっきの学校の先生と同
じふうだったの。常盤は頑張ったって。猛勉強して特Aに上がったって。
みんなも頑張れって言うのよ」
「良かったじゃないですか」
「そうかしら。あの時はほこらしかったけど、今は違うわ。勉強ってそ
んなに大事なのかしら」
 自分は学習が楽しかったからやっていたのだろうか、と美智子は思う。
そうではない。いい成績をとると周りの大人達からほめられるからだ。
いい点を取ると他の子達から賞賛を得られるからだ。
 眼鏡すごいね。よくこの問題解けたわね。これ解いたの、眼鏡だけよ。
 眼鏡ぇ、これ教えてくれよ。あ、もういいや。眼鏡に近寄っただけで
分かっちゃった。さすが。眼鏡からは気が出てるんだなあ。
 それがどうだろう。今の自分は青年相手に氷の中にいるみたいなどと
愚痴をこぼしている。
「適材適所ですよ。バイオリンが得意な子はバイオリニストになるんで
す。常盤さんは勉学が得意だったから、科学者になったんですよ」
 そもそもバイオリンが得意であることに意味があるのだろうか。バイ
オリニストになることに、意味があるのだろうか。勉強も科学者も、意
味があるのだろうか。それを言い出すと人間は何のために生まれたのか
とか、人類は何のために発生したのか、といった問題になってしまう。
 音楽家になって、研究者になって、人類の歴史に、文化や科学の進歩
に、ささやかな貢献をするためだろうか。人類は、科学や文化を進歩さ
せて、どうしたいのだろう。生活を豊かにしたいから? 確かにそれも
あるだろう。例えば医学の進歩によって寿命が伸びた。その結果どうな
っただろう。意識が朦朧としながら延々と辛い痰の吸引をされ、機械に
繋がって動けず、語れず、ただ死ぬのを待っている。そんな老人がどん
どん増えていった。
 それともこれは、仲間内の競争なのだろうか。自分はバイオリンが得
意だと思っている。自分は学問が好きだと思っている。他の子達よりも
うまく弾けるようになりたい。いい点数を取りたい。
 他の会社よりも売上を伸ばしたい。他の国よりも文化や科学が劣って
いたら、追いつき、追い越したい。別に人類全体の進歩なんか考えては
いない。相手よりも優位に立ちたい。人々から賞賛を得たい。ただそれ
だけのためにやっているのだとしたら、人類は馬鹿だ。
「藤崎君は、山登りと勉強、どっちが楽しかったの?」
「あ、僕が山登り始めたの、社会人になってからですよ」
「あら、そう」
「山はいいですよ。雄大で。学習がそんなに大事なのかとか、そういう
の、全部忘れさせてくれます」
「忘れていいものなの? 問題意識を持ち続けることって、大事なんじ
ゃないかしら」
「いやいやいや」青年は手を振った。「僕みたいな凡人の場合ですよ。僕
がそんなの考えたって、分かりゃしません。子供はなぜ勉強しなけりゃ
ならないのかなんて、そんなのは偉い人が決めたことであって、僕には
分かりません」
 そうじゃない。そうじゃないのよ。決まっていることだからやる。そ
れじゃあ相手の言いなりだわ。
「あんまり深く、考えない方がいいんじゃないですかね。なぜ山に登る
のか。そこに山があるからだ、ってね」
 青年の言うことも正しいような気がする。働き蟻はなぜ働くのかなど
とは考えない。蟻と人間では違うのではないか? いや、同じなのかも
しれない。やっていることの種類が違うだけで。
 人が生まれて、育って、子供を産んで、歳をとって、死んでいく。そ
れは自然現象だ。人間のやっていること、勉強をしたり、サッカーをし
たり、あくせくと働いてお金をもらって、それで欲しいものを買ったり、
公害で自然を破壊したり、戦争したり。もしも神様がいないとしたら、
そういったことも、全部ただの自然現象なのではないか? 働き蟻が働
くのと同じように、人間も戦争するのだ。ヒトとは、そういうふうにで
きているのだ。
 そう考えると気が楽になる。なあんだ、勉強することも自然現象なの
か。だったらそんなに頑張らなくていいじゃない。
 しかし受験勉強に励む子供達はそうはいかない。親や教師に急き立て
られるからだ。少しでもいい高校に入って、少しでもいい大学に入って、
大企業に入って安定した収入を得るのだ。そういう機構にしばられて身
動きできない。自分のやりたいことを見つけ出せなかった子は、甘んじ
て勉強するしかない。やりたいこともなく勉強もしたくなかったら、安
定もしておらず、厳しい条件の労働を一生やっていくはめになる。
 だから親は子供を急き立てる。「あなたのためを思って言ってあげてる
のよ」という言葉は、たぶんその通りなのだろう。それは母性本能だ。
つまりは自然現象なのである。
 全ては自然の理であっていちいち理由を求めなくていいのだ。だが本
当にそれでいいのだろうか。


   六

 眠れない。滝田は寝返りをうつ。もう何度こうして、ベッドの上で体
を回転させたことか。
 人はなぜ眠るのか? 決まっている。脳を休ませるためだ。ずっと眠
らずにいるとどうなるか。幻覚を見る。それでも眠らずにいるとどうな
るか。死ぬ。
 滝田は起きてゆっくりと立ちあがる。寝室をさまよい、明かりのスイ
ッチを探す。住みなれた家だ。目をつぶったままでも、スイッチを探り
当てることができる。
 不眠に悩む人がいる。一ヵ月も眠っていないと言う。だが、そういう
人は実はちゃんと眠っているのだ。浅い眠り。立ったまま眠っている。
起きながらにして眠っている。目を開いたまま脳は寝ている。だから死
なない。
 明かりをつけ、部屋を出る。
 滝田は階段を下りる。この先にはキッチンがある。台所は主婦の戦場
だ。だがその主婦殿は、もういない。滝田は自分のほほがひきつるのを
感じた。
 そこには何があるか? ウイスキーだ。若い頃はビール派だったのに、
すっかりウイスキー派に転向してしまった。
 人はなぜ酒を飲むか。大人になるためか。子供時代と決別するためか。
いや、そうではあるまい。男の言い分だ。女はどうなる? 女は、酒も
煙草もやらなくても、立派な大人になっている。
 ダイニングの明かりをつける。蛍光灯がしばらく点滅する。もうそろ
そろ交換しなくてはならない。面倒くさいと滝田は感じる。LED照明が
一般的になった現在でも、滝田の家では蛍光ランプを使っている。あの
中には電気を受けると光る気体が封入されているんだとか。はてそうだ
ったかな。学校で習ったような気がする。記憶があいまいだ。確実に歳
をとってる。いやだ、いやだ。電気の刺激を受けて、それで光っている。
交流電流が、行ったり、来たり。
 食器棚の下から、ウイスキーを取り出す。グラスに注ぐ。
 冷凍庫から氷を取り出して入れる。さっそく一口飲みこむ。のどが熱
くなる。腹が熱くなる。
 酒が眠りを誘発するまでの時間、今日も女房殿と過ごすか。そうしよ
う。和室に行こう。
 明かりをつける。こちらの蛍光灯はまだ大丈夫だ。重々しく仏壇の前
に腰をおろす。
 女房殿に乾杯。左手に持ったボトルを畳の上に置く。右手に持ったグ
ラスを口に運ぶ。
 人はなぜ夢を見るか。これは難しい。滝田がずっと取り組んできたテ
ーマだ。夢を見ないと死ぬか? まさか。
 人はレム睡眠の時に眠りが浅くなる。だからこの時に起きるのが理想
的だ。脳が活発になっているから夢を見る。夢は脳の働きの一つの現象
だ。それだけのことにすぎないはずだ。だが倉田氏は違う。夢が、本来
の意味とは全く違った意味を持ってしまっている。
 あれは一体何だ。
 酒を一気にあおる。おかわりをつぎたす。飲酒するとなぜ眠くなるか?
脳の活動が弱まるためだ。アルコールの効用とはまさに、そこにあるの
だ。
 滝田は、急激に酒が効いてくるのを感じた。さて、もう一杯。いいぞ。
脳の働きが弱まってくる。徐々に、眠気を催す。さらにもう一杯。
 滝田は、立ちあがるのが億劫になってきた。仏壇を見つめたまま、横
になる。今夜はこのまま、女房殿といっしょに寝てしまうことにしよう
か。





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