AWC 眠れ、そして夢見よ 3−2   時 貴斗


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#541/598 ●長編
★タイトル (tok     )  19/03/21  17:46  (224)
眠れ、そして夢見よ 3−2   時 貴斗
★内容
   四

 翌朝出勤すると、玄関の前で待ち構えていたかのように青年が立って
いて、滝田に手を振った。
「いやあ、大変なことが分かったんだよ」
「こっちも大変なんです」
 青年が青い顔をしているのを見て、滝田は眉をひそめた。
「どうした」
「とにかく、来て下さい」
 滝田は青年に引っ張られるようにして滝田研究室の前に行った。他の
研究室のスタッフが何人か廊下に立ってなにやら話し合っている。入っ
ていった滝田は室内の様子を一目見て唖然とした。
「こりゃ、いったい……」
 大型モニターのガラスが、粉々に砕け散っていた。
「僕、昨日も徹夜してたんです。仮眠室で寝ていた時に、こうなったん
です」
「いったい何が起こったんだ。泥棒でも入ったのか」
 美智子が静かに首を横に振る。
「夢の内容が現実になったんだわ」
 言われて、二日前に見た倉田氏の不思議な夢を思い出す。
「まさか。そんなことが」
「夜中の三時頃、眠くなって仮眠室に行ったんです。研究室の方ですご
い音がして目が覚めて、戻ってきたらこうなってたんです。四時半頃の
ことです」
 あらためて室内を見渡す。砕け散った破片が床に散乱している。他の
機器には異常はない。
「なぜすぐに知らせなかった」
「起こしてよかったんですか?」
 まったくのんきなものだ。
「僕、鍵をかけて出ました。ですから誰かが入りこんでやったのではあ
りません」
「部屋の明かりはつけたまま出たの?」
 質問の意図が分からなかったらしく、青年はきょとんとしている。夢
見装置で見た映像は、明かりはついていたようだ。
「ええ、つけたまま出ました」
「すると夢見装置に映っていたのは、あの時のこの部屋じゃなくて、今
日の夜明け前のここだったんじゃないかな。だとしたら誰も映っていな
かったことも説明がつく」
 でも、そんなことがあるのだろうか。夢の中でやった行為が、実際に
起こるなどという現象が。あまりにも荒唐無稽だ。
 ただ、もっと現実的な可能性がある。青年が嘘をついているのではな
いか。そんな考えが顔に出てしまったらしく、青年は慌てて手をふった。
「あ、言っときますけど、僕がやったんじゃありませんからね。音に驚
いて研究室に行ったのは、笹瀬研究室の小池さんの方が先だったんです
から。僕が鍵を開けて二人で中に入ったんですよ」
 なるほど確かに、それだとモニターが破壊された時には青年は室内に
いなかったことになる。
「そりゃ、完璧なアリバイだ」
 明晰夢を見る人間は、ある種の方法によって、夢と同じことを現実世
界でも起こすことができる。それは眼球運動だ。夢の世界で例えば上下
に二回視線を移動させると、現実の目玉もその通りに動く。前もって、
観察者との間で合図を決めておいて、夢の中でその通りに目を動かす。
するとそれが眼球運動として記録されるから、思い通りに目を動かすこ
とができたことが証明できるわけだ。
 とは言っても、所詮その程度のことだ。夢の中でモニターを叩き割る
とその通りに壊れてしまうというのとは、レベルが違う。
「先生の方はどうなんですか?」と藤崎青年が言った。
 今度は滝田が質問の意味が分からず、一瞬思考が止まった。
「さっき何か言いかけていたじゃないですか。大変なことが分かったっ
て」
 目の前の不思議な出来事から、昨日知った事実へと、頭が切り替わっ
た。


   五

「つまりだ」
 滝田は手帳を閉じた。
 青年と美智子は、新たに分かった事実に驚いたようだった。美智子な
どは口が半開きになっている。
「こういうふうに考えられないだろうか。倉田氏は和田幸福研究所の催
眠術によって、前世の記憶を取り戻した。倉田氏は御見氏の生まれ変わ
りだったんだ」
「そんな、非科学的な」
 美智子が疑いの眼差しを滝田に向ける。
「倉田氏が御見氏になったことを科学的に説明するのが不可能である以
上、たとえオカルトチックだとしても、そういうふうに結論づけるしか
ない。催眠術でよみがえった前世の記憶は、催眠を解けばまた脳の底へ
封じ込められるはずだった。ところが、倉田氏の場合はそれがきっかけ
となって、夢を見る時に自由自在に現れるようになったんだ」
「私はそうは思いません。倉田さんは何かの機会に、御見氏の生年月日
や生前の様子を知ったのよ」
 美智子がいつもの勢いで反論する。
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ただ、倉田氏と御
見氏のつながりは薄いがね」
「先生は都合良く話がつながるように解釈しているんです」
「ああ、そうだよ。御見氏になる能力を獲得した倉田氏は、さらに先祖
帰りを始めたんだ。御見氏の前世であるインド人へ、そしてそのまた前
世のエジプト人へ。そう考えるとつじつまが合う」
「いいえ、全てなんらかの現実的な解釈があるはずです。安易に非科学
的な考えを取り込むのは危険です」
「ではインド人になった時の怪力はどう説明する?」
「それは……」
 美智子はつまった。しかし負けん気の強い美智子が、それくらいで引
き下がるわけがなかった。
「それにしたって、高梨医師がそう言ったのを先生が聞いただけです」
「なるほど。高梨先生の嘘だという可能性もなくはないな。でもそうす
ると他の人達とも口裏をあわせておかなきゃならないね。看護師達も見
たって話だよ。高梨先生はどうしてそんなことをするんだろう」
「こじつけよ。もっと慎重に検討を重ねる必要があるんじゃないです
か? 論理の飛躍です」
 美智子の言うことももっともだ。たしかに、こじつけであって、なん
の確証もない。
「ひとつの考え方を言っているまでだよ。そうでなくとも不思議なこと
だらけなんだ。非科学的な推測であっても、なんらかの論理的な意味付
けをしようと試みるのは、間違った態度ではないと思うんだがね」
「でも、証明のしようがありませんわ」
 そうだ。何かが分かったようでいて、結局何も分かっていないのだ。
しかし、科学というのはえてしてそういうものだろう、と滝田は思う。
さんざん調査をやった上で、こういうふうになっているのではないだろ
うか、というひらめきが浮かぶ。そしてそのひらめきが正しいことを証
明するために、さらに様々な調査や実験を繰り返す。実証さえできれば、
初めて“分かった”といえる。しかしできずにいる間は、全ては単なる
憶測にすぎない。
 黙って二人のやりとりを聞いていた青年が口を開いた。
「次に倉田さんが起き出した時に聞いてみたらいいんじゃないですか?」
 なるほど、それはいい考えだ、と滝田は関心した。だがしかし、すか
さず美智子が反論する。
「どうして? 倉田さんは今古代エジプト人になっているのよ。エジプ
ト人の時にはエジプト人の記憶しか持ってないんじゃないかしら。イン
ド人や御見氏のことを聞いても、分からないんじゃないかしら。それに、
先生の説だと倉田さんがこの部屋に現れたことが、説明がつきませんわ」
「そうだ。そこが一番の難問だよ」
 御見氏からアジャンタなんとかいうインド人へ、そして現在ギザ、サ
ッカラ付近をうろついている古代エジプト人へ、順調に過去へさかのぼ
っていた倉田氏が、なぜ突然現代の、しかもこの場所に現れたのか。そ
こが一番分からないところだ。
 滝田は、これ以上議論しても無駄だと感じた。非難するばかりで自分
のアイデアを出そうとしない美智子にもいらいらしてきた。
「まあいい。倉田さんが起き出した時に、インタビューしてみようじゃ
ないか。彼はいったい何者なのか。どこから来たのか。とにかく、一気
に全てが分かるってことは、あまりないもんさ」
「ところで先生、これはどうしましょう」
 青年は破壊されたモニターを指差した。
「まあ、壊れたのがモニターだけでよかった。装置が壊されたらたまっ
たもんじゃないからね。これは、すぐに代わりを注文しよう。新しいの
が来るまでは、余ったやつを探してきてつなげとこう」
 滝田はあらためて、破壊されたディスプレイと、床に散らかった破片
をながめた。
「もういいだろう。現場保存しておいたところで、どうにもなりそうも
ないし。藤崎君、それ片づけといてくれる?」


   六

 駅から出た美智子は、疲れを頭の芯に抱きながら歩道橋の階段を下り
る。脇に立って下の方を阿呆のように見続けている浮浪者ふうの男を、
円を描くように避けて通る。
 下りた所で酔っ払いのサラリーマンが四人で馬鹿みたいに騒いで進路
をふさいでいる。どきなさいよと言わんばかりの勢いで真中を割って通
る。おっちゃんの一人がよろけて倒れそうになる。
 歩道橋を下りるとシューズショップや菓子店が並ぶ商店街となる。美
智子が帰る時間帯にはすでにどこの店も閉まっていて、人通りも少ない。
菓子店が閉まるとその前に昼間は見かけない占いの男が陣取っている。
簡素なテーブルの上に「手相」と書かれた行灯が淡く光り、謎めいた雰
囲気を醸し出している。
 美智子がいつも気になっているものがある。男の前の卓にぶら下がっ
ている「八割は当たる」と書いてある紙である。これって、どういう意
味なのかしら。
 美智子が見ていると男が声をかけてきた。
「何か悩みがおありですか」
 思わず背筋が硬くなる。
「いえ、別に」
「そんな事はないでしょう。深い悩みがあるでしょう」
 おかしくなった。きっと眉間にしわを寄せて紙を見つめていたのだろ
う。
「いいわよ。みてもらうわ」
 美智子は粗末なパイプ製の椅子に腰掛けた。
「左手を見せてください」
 右利きなのだが関係ないのだろうか。
 手を出すと、男はその上にレンズをかざした。
「なにか、男の関係ですね」
 まあ、倉田氏のことで悩んでいるのだから、そうだと言えなくはない。
「そうね。確かに男の関係と言われればその通りよ」
 男はしばらく手を見ている。美智子の顔は見ない。よく考えると声を
かける時もずっとうつむいたままだった。
「あまり外には出ないお仕事ですね。しかも非常に頭を使うお仕事のよ
うだ」
「その通り。当たりよ」
「毎日の生活はあまり楽しいものではないでしょう」
「まあ、そうね。でも毎日が楽しくてたまらない人なんて、そんなにい
るかしら。あなただってそうでしょう?」
「いえいえ、私は手相を見て言っているだけです」
 美智子の手を見つめたまま、薄気味悪い笑みを浮かべる。
「悩みは、仕事上のトラブルですね」
「そうね。手相だけでそこまで分かるの?」
「ええ、八割は当たります」
 なんだか不気味な男だ。美智子の顔をまったく見ようとしない。手を
見ただけで、次々と言い当てていく。
「人付き合いは不得手でしょう」
「そうね。得意な方じゃないわね」
 男はレンズを静かに下げた。相変わらずうつむいたままだ。
「あなたは恋愛が苦手のようだ。付近に若い男性がいるでしょう。近い
うちにその方と仲良くなれますよ。それと、お悩みのことですが、あせ
らず、ゆったりと構えることです」
 男は自動で話す人形がしゃべり終わったかのように、それきり押し黙
ってしまった。美智子は立ち上がり、鑑定料金を置いた。足早に立ち去
る。
 不愉快だった。自分のマイナス面をつかれたことも、藤崎青年と自分
の間に恋が芽生えるような言い方をされたことも。立腹しつつも、不思
議に思うのだった。手相ってそんなに当たるものなのかしら。歩きなが
ら自分の手の平をみつめた。
 彼女は分析する。彼はきっと人間観察の能力が優れているのだ。
 彼は見ていないようで、実は毎日通り過ぎる自分の顔をそれとなく見
ている。いつも気難しい顔をしているから、深い悩みがあり、毎日が楽
しくないだろうと思ったのだ。男の関係かと聞いたのは、女なら男に関
する悩みを一つや二つ持っているだろうから。恋愛のことであれ、それ
以外であれ。結婚指輪をしていないからたぶん独身だろうと考えた。も
っとも、結婚指輪をはずしている人妻も存在するが。男の関係と言われ
ればそういえなくもないというような言い方をしたので、恋愛のことで
はないと分かったのだ。男に関することで、恋愛ではないこと、そこで
仕事のことかと聞いた。違うと言われればまた別の、友人関係かとか親
子関係かとか聞けばいい。
 色白で、度が強い眼鏡をかけているので、デスクワークだと思ったの
だ。そういった仕事である上につんけんしたものの言い方をする。だか
ら人付き合いは不得意だろうと思った。
 コンタクトにもせず分厚い眼鏡をかけ、いつも化粧っけがない。だか
ら恋愛にもあまり縁がないだろうと考えた。
 保育士でもない限り、付近に若い男はいるだろう。その男と仲良くな
るというのは、自分を喜ばせるためのおまけだ。自分には逆効果だが。
 いつも足早に歩く自分を見て、あせらず、ゆったりと構えなさいとア
ドバイスしたのだ。
 もっとも、彼の推論は全てがあてはまるわけではない。だから「八割
は当たる」なのだ。





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