AWC 眠れ、そして夢見よ 2−2   時 貴斗


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#539/555 ●長編
★タイトル (tok     )  19/03/21  17:40  (266)
眠れ、そして夢見よ 2−2   時 貴斗
★内容                                         19/03/31 18:11 修正 第3版
   四

 土曜日、美智子はバス停に降り立つと、大きく深呼吸した。なんと清々
しい空気だろう。平日は人が大量にいて、どうもいけない。それが、休
日になるとこれほど人がいないものだとは。都会とはいえ、親父達の煙
草の煙や、刺々しい喧騒、舌打ちの音や咳払い、そういったものがある
のとないのとでは、空気のうまさが段違いだ。
 休日、それは美智子のように研究、研究で精神をすり減らす人間には、
とても重要な日である。土曜日にはクラシックを聴きながら読書をする
ことで精神を回復する。日曜日にはスポーツクラブに行ってストレスを
発散する。もっとも、本当はスポーツが苦手なので、エアロバイクしか
やらない。エアロビック・ダンスは嫌いだ。「はい、ワン・ツー、ワン・
ツー」という声に合わせて、脂肪を少しでも排出しようと体をねじるお
ばさん達を見ていると、嫌悪感で胸がむかつく。あの中に混じろうとは
思わない。だからひたすらに、床に固定された自転車をこぐ。ペダルを
がむしゃらに回す。
 別に誰から出てこいと言われたわけでもない。そんな休日を犠牲にし
てまで研究所に来てしまったのは、やはり倉田氏の状態が気になるから
である。
「あれ? 常盤さん?」
 振り向くと、そこに藤崎青年が立っていた。
「珍しいですね、休日出勤ですか」
「おはよ」
 青年は笑顔だったが、睡眠不足からくる疲れが、目の下のくまとなっ
て現れているようだ。本当は土日の患者の観察は青年に任せて、美智子
は家で寝ていればよいはずだった。
 休日に出てくるというのは、普段出勤してくるのとは少し違った気分
だ。なんとなく生真面目に研究に没頭する気になれない、きっと何もな
いのに、何かありそうな、少し浮かれた気分だ。
 美智子はこのまま研究所の玄関をくぐるのは、もったいないような気
がしてきた。腕時計を見る。休日出勤の勤務時間帯は決まっていないが、
藤崎青年の業務開始時刻は定められている。まだ少々余裕があるようだ。
「少し、歩かない?」
 青年は、へ? というような顔をしたが、すぐにうなずいた。
「ええ、いいですよ」
 美智子が歩き出すと、青年が慌てて追いついてきて横に並んだ。
 まだ朝早いせいか空は薄暗く、灰色の雲がおおっている。
 立ち並ぶ高層ビル郡は、いつもの活気をすっかりひそめて、巨大な墓
石のように突っ立っている。通りを行き交う車の数も、歩道の人数も、
平日に比べると格段に少ない。
 美智子が何もしゃべらないので、青年は何と話しかけてよいものかと
気遣っているらしく、時々美智子の方を見る。
「常盤さんって休みの日は何をしてるんですか?」
 歩き出してから一つめの信号が赤に変わった時、青年はようやく口を
開いた。
「あら、お見合い?」
 青年は快活に笑った。そして少しばつが悪そうな顔をする。
「藤崎君、大変ね。ちゃんと寝てる?」
「まあ仕事が仕事ですからね。でも大丈夫ですよ。体力だけが取り柄で
すから」
 美智子も徹夜はするが、青年は人一倍頑張っている。
「そう」
 再び会話がとぎれる。美智子は、珍しいわ、などと考える。つまり、
自分がこんなことをしているのが。
「読書」
「え?」
「読書よ。そこ曲がりましょ」
 通りを右に折れて、細い道に入ると、両側に植込みが並んでいる。し
ばらく歩くと、植込みが切れて、都会の中のほんの憩いの場とでもいう
ような、小さな公園がある。すべり台と、ベンチと、うさぎやライオン
の頭の形をした石の像が、ささやかながら置かれている。美智子はここ
で子供達が遊んでいる姿を見たことがない。
 何も言わずにベンチに腰掛けると、青年は遠慮がちに少しだけ離れて
座った。
「でも休みの日まで本を読んでいたら頭が疲れませんか」
「あら、頭を休めるために読書するのよ」
「はあ、そうですか。でも、体を動かした方がいいですよ。山にでも登
れば、気分がすかっとしますよ」
 スポーツクラブに行っているわよ、と言いたいところだが、秘密にし
ておく。まさか三十分だけエアロバイクをこいで帰っています、とは言
えない。エアロビを踊っているのを想像されるのも不愉快だ。
「どんな本を読むんですか?」
「そうね。遺伝子とか、ブラックホールとか、そういうの」
 青年の笑顔がひん曲がった。
「もっと、普通の本は読まないんですか」
「あら、普通の本だと思うけど」
 青年がようやく明るくなってきた空を見上げる。
「うーん、でもそのくらい勉強しないと、常盤さんみたいな天才にはな
れないんでしょうね」
「あら、藤崎君だって頭いいから、今の研究所にいるんじゃない」
「いえいえ、月とスッポンですよ」
 美智子は天才だと言われても、それを否定しない。それをやるとかえ
って嫌味になる。下を向き、じっと考え込む。そして顔を上げ、遠くを
みつめる。
「天才ってね、あまりいいもんじゃないわよ」
 青年が眉根を寄せる。
「なんだか氷の中にいるみたい。氷の壁に囲まれて、その中から出られ
ないの。そしてその壁は、だんだんと、私に向かって迫ってくるのよ」
「疲れてるんですよ。やっぱり頭を休ませなきゃ」
「知ってる? 論理的な思考ばかりして左脳だけ発達すると、右脳が発
達しなくて、人を愛することができないんだって」
 何かのつまらない本に書いてあった馬鹿げた迷信だ。愛の正体は扁桃
体にあるのではないかとも言われている。それは脳の両側にある。
「常盤さんは人を愛せないんですか?」
 美智子は困った。何でこんなこと言っちゃったんだろう、と後悔する。
「そうね、どうかしら」
 美智子は、自分でもびっくりするくらい乱暴に髪をかきあげた。
「天才っていうのは、何かを創り出すことができる人のことよ。勉強ば
かりできる人間はただの真面目な人だわ」
 自分は夢見装置の主要な開発メンバーとして活躍した滝田にどこか嫉
妬のような念を抱いている、と彼女は感じていた。
 青年はうつむいたまま、しばらく黙っていたが、やがて顔を上げた。
「今度、山に行きませんか」
 青年は照れたのか、慌てて付け足す。
「滝田先生と一緒に」


   五

「何も映りませんねえ」
「同じこと何度も言わないの。はい、コーヒー」
 青年にコーヒーカップを渡すと、美智子は窓に近寄って倉田氏を見下
ろした。もう何度こうして、昏々と眠り続ける倉田氏の様子をながめた
ことだろう。今日も朝十時頃医者が来て、点滴を取り替えていった。そ
れ以来全く何の変化もなく、寝返りさえうたず、苦しげな表情のまま眠
り続けている。
「それじゃ、私また自分の部屋にいるから。もう一時間くらいしたら、
交代しましょ」
 そう言って部屋を出ようとした時、青年が大声を出した。
「常盤さん」
 大型モニターの前に駆け寄ると、そこに例の砂嵐のような画面が現れ
ていた。
 美智子は青年が唾を飲み込む音を聞いた。
 画面は徐々に、青と黄土色の色彩を現してきた。
「これは」
「ピラミッドよ」
 今度は、前のようなぼやけた映像ではなかった。はっきりと、三角形
の王の墓が姿を現していた。それは普通ピラミッドという言葉から連想
するきれいな四角錐とは少し違っていて、一つの段が大きく階段のよう
だ。青色の部分はその背景にある空だった。手前には石垣のようなもの
が左右に広がっている。
 そのピラミッドが、右へ行ったり、左へ行ったりしている。
「辺りをながめ回しているみたいね」
 やがてそれは、画面の中央に来て止まった。倉田氏、あるいは倉田氏
に乗り移っている何者かは、その王の墓に見とれているようだった。
 画面は明るくなったり、暗くなったりを繰り返し始めた。
「消えます」
 青年の言う通り、画面は黒くなっていき、そして消えた。
「何秒?」
「十秒です」
 美智子は腕組みして、仁王立ちになって考え込んだ。そして脱兎のご
とく駆けだした。
「常盤さん?」
 しばらくして部屋に戻ってきた美智子が両手に大量の本を抱えている
のを見て、青年は驚いたようだった。
「何です?」
 美智子は大きな音をたててテーブルの上に本を置いた。それは全部エ
ジプト関係の書籍だった。
「いつの間に、こんなに」
「探して」
 青年はきょとんとした顔をした。
「探すのよ。今の映像が、何なのか」
 美智子が猛烈な勢いでページをめくり始めるのを見て、青年はあっけ
にとられたように立ちすくんでいた。
「さあさあ、藤崎君、頑張りましょ」
 青年も本を手にとってめくりだす。
 黙々と作業を進めるうちに、テーブルの上いっぱいに本が散らばって
きた。
「あったわ」
 青年が身を乗り出して美智子が開いているページをのぞきこむ。
「これよ。ジェセル王のピラミッド」
 それは、段々の部分が崩れかけた、溶けかかったアイスクリームのよ
うな写真だった。
「たしかに、これの大昔の姿を想像すると、さっきの映像と一致しそう
ですね」
 美智子は別の一冊を手にとって開いた。アフリカの北東部、古代エジ
プトの地図である。紅海の横に、ナイル川が走っている。ナイル川に沿
って、テーベやテル・アル=アマルナやメイドゥムといった地名が並ん
でいる。アフリカ大陸がシナイ半島につながる付近で、ナイル川が何本
にも枝分かれして地中海に流れこんでいる。美智子はその分岐が始まる
根元のあたりを指差した。
「この間のスフィンクスがギザ、ジェセル王の階段ピラミッドがサッカ
ラにあるから、彼はこのあたりにいることになるわね」
 それにしても、なぜこんな所にいるのかしら、と美智子は思う。ギザ
とサッカラといえば古代エジプトでは非常に重要な地域である。ギザの
クフ王、カフラー王、メンカウラー王の三大ピラミッドとスフィンクス
は有名だし、サッカラにも多くのファラオ――つまり古代エジプトの王
のピラミッドや、聖牛アピスの地下墳墓等がある。
 ひょっとすると、彼もまたファラオなのかもしれない。もっとも、た
だの農民なのかもしれないが。
 まだまったく謎のままだが、一歩前進したことは確かだ。


   六

「九時か」滝田は腕時計をのぞきこんで、ため息をついた。「今日も何も
現れそうにないな」
 ジェセル王のピラミッドが現れてから、二日経つ。スフィンクスが現
れてからは五日目だ。だいたい二、三日くらいの間隔で、はっきりとし
た夢を見るらしい。もちろん、その間は全然夢を見ないというわけでは
ない。小さく光ったり、砂嵐のような画面が現れたりすることはある。
ただ、夢見装置で捕えられるほどはっきりとした夢を見ないというだけ
のことだ。
 滝田は美智子と並んで、窓から患者の様子を見守っていた。
「そろそろ、帰った方がいいんじゃないか?」
 美智子は黙ってうなずいた。
 その時青年が、ささやくような、それでいて緊迫感を帯びた声を出し
た。
「先生、眼球運動です」
 滝田は緊張して振り返った。青年の背後に歩み寄り、のぞきこむと、
モニター上で白い十字マークが上下左右に動き回っていた。
「うん。常盤君、脳波は?」
 美智子は慌てて波形を調べる。
「入りました。レム睡眠です」
 青年が椅子を回転させて、その下についているキャスターをころがし
て部屋の中央にあるモニターの前に行くのに続いて、滝田もその前に立
った。美智子も後からついてきた。
 画面は真っ黒なまま何の変化もない。
「十秒経過」
 青年が厳かに告げる。滝田は眉をひそめた。ぬか喜びか。
 しかしその時、画面が静かに明るさを増し、砂嵐が走り始めた。
「夢か」
 滝田は尋ねた。
「夢です」
 青年が答える。
 画面の砂嵐は徐々にものの形をとり始めた。
 滝田は唖然とした。それは、今までのようなエジプトの夢ではなかっ
た。どこかの部屋の中の風景だ。壁に沿って冷蔵庫のようなコンピュー
タの箱とパソコンが並んでいる。だんだんと映像が明瞭になるに従って、
滝田はあほうのように口を開いていった。
 中央には大型モニターがあり、床にはいろいろな機器同士を結ぶ配線
が這い回っている。滝田達もいる。間違いない。それは他でもない、こ
の部屋だった。この室内の風景が映し出されているのだ。
「こんな夢は初めてです」
 背後で美智子が驚きの声を漏らすのが聞こえた。
 ジェセル王のピラミッドの時と同じように、彼は部屋を眺め回してい
た。
 突然、彼は歩き出した。ゆっくりとモニターの右横に近づいていく。
 青年が首を横に向けた。滝田も、おそるおそる、彼が立っているはず
の場所を見た。しかしそこには誰もいない。
「常盤君」
「は、はい」
 美智子は窓に駆け寄った。何も言わずひたすら下方を見つめている様
子から、相変わらず倉田氏は眠り続けているのだと分かった。レム睡眠
行動障害は起こっていないのだろう。
 滝田達が立っている方向に移動してきたので慌てて一歩下がった。倉
田氏、あるいは倉田氏に乗り移っている何者かはモニターの真ん前に来
た。
 滝田は目を真ん丸に見開いた。モニター画面の中にモニターが、その
モニター画面の中にモニターが、延々と続いているのだ。
 なにか金属のようなものが、画面の下から上がってきた。スパナだ!
彼はその血管の浮き出た手に、しっかりとレンチを握り締めているのだ
った。それは、列をなして画面のずっと奥の方まで続いた。
 滝田の頭の中に警報が鳴り響く。やめろ。やめてくれ。
 スパナが上方に振り上げられた。
「わあっ」
 滝田は目をつぶった。ひどい音がした。
 ゆっくりと目を開くと、モニターが割れていた。
 滝田は、呆然として突っ立っていた。一体何が起こったのか、どう解
釈すればよいのか、頭が混乱して整理できない。
 ようやく我に返り、窓に駆け寄る。倉田氏は微動だにせず、眠り続け
ていた。ただ、その口元がかすかに笑っているように見えた。
 美智子がPCに駆け寄る。
「常盤君、脳波は?」
「終わりました。ノンレム睡眠に戻りました」
 長いため息が、自然と口から吐き出される。一気に十年も歳をとった
ようだ。
 青年が見つめているのに気づき、額をぬぐうと、冷や汗で濡れていた。
「こりゃ、いったい」
 喉が乾き、干からびた声が出る。
「倉田さんはエジプトにいるんでしょ? どうしてこんな映像が出る
の?」
 美智子は誰にともなく、怒ったように言った。
「分からん。今までのはまだ、不可思議ながらもつじつまが合っていた。
しかし今度のは、まるでおかしい。今ここに実在していたかのようだっ
た。一体彼は、今度は誰になったというんだ?」





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