AWC 私的バレンタイン・サガ (上)   永山


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#534/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  19/02/22  20:17  (485)
私的バレンタイン・サガ (上)   永山
★内容
『私的バレンタイン・サガ 〜 君のこともっと知りたいんだ 〜』

 子供の頃、好きな子について何でも知りたいと望むのは、いくつぐらいからだろう
か。身長体重に得意科目、好きな食べ物、好きな色、好きなタレント、好きな曲に漫
画、逆に嫌いなのは、趣味や特技は何か、エトセトラエトセトラ。
 河田京平の場合、その意識は小学六年生になる少し前に芽生えた。尤も、そうなるま
で河田は、好きな女子なんてこと自体考えないでいた。だから後に好きになる子と初め
て会ったのは、もうちょっと遡る。四年生から五年生に上がる際のクラス替えである。
 彼女は名前を米崎久海といって、とびきりの美人ではなく、かといってかわいい、愛
らしいというのとも違うけれど、印象に残る容貌をしていた。二重瞼が特徴的なせいか
もしれない。髪は三つ編みで、背中の中程まで垂らし、広めのおでこに狐っぽいイメー
ジの細面。
 身体の方もそれに合わせたみたいに細いが、発育はよく、背も力も結構ある。そこへ
加えて性格は活発で運動が得意と来れば、女子のリーダーの一人みたいな存在で、実
際、五年生になったばかりの時点で、彼女にはもう同性の友達はたくさんいた。
 女子のリーダー格が男子達と対立する構図は、ありがちだ。河田もそれまでの数年
間、何度も目の当たりにしてきたし、当事者になることも多々あった。
 その癖で、という表現もおかしいけれど、始めの内は、何かと口やかましい米崎久海
に対し、他の男子と一緒になって反発していた。特に理由もなく――否、ぼんやりとし
た原因なら男子の側にあった。対女子でやたらと対抗心を燃やすだけならまだしも、い
ちいち「女の癖に」と言うし、ちょっかいを掛ける。口やかましく注意されて当然のこ
とをやっていたのだが、それが分かるのは時間が経って、精神的にちょっと成長した
頃。リアルタイムではなかなか思い至らない。
 そんな状況下で、河田が米崎を気にするようになったのは、バレンタインデーがきっ
かけだった。もちろん、常日頃反目している者同士の間で、バレンタインデーだからチ
ョコのやり取りをしようとなる訳がない。学校が用意したイベントの一つだった。
 思い返してみても、学校が何故こんなことを児童にさせたのか、狙いがよく飲み込め
ないのだが、クラスで女子と男子、チョコレートを贈り合おうというイベントが挙行さ
れたのである。贈る相手は抽選で決められ、予算は税抜き三百円までという、自由度の
なさはかなりのレベルだった。
 問題の抽選は、一週間程前の二月七日の放課後に行われた。男女二十名ずつのクラス
で、1から20までの数字を書いたピンポン球を用意し、抽選箱にそれらを入れ、女子
と男子が引いていく。同じ番号になった者同士が、チョコレートを贈り合う。それだけ
のことだ。愛の告白は無論のこと、メッセージを付けたりきれいに包装したりする義務
すらない。
 さて、ここまで散々男女がいがみ合っている風に書いて来たが、中にはませている者
がいるし、異性に興味ないけどあの子だけは別、という存在もいる。いるのだが、運よ
くその特別な存在と同じ番号を引けたとしたって、喜びは微塵も見せてはならない。
(何に対してか分からないが)強がって、「おまえかよ。おえー」とか「誰と当たって
も十円チョコ一択」とか言わなければならない空気が作られていた。
 その点、河田は無理に虚勢を張らずに済んだ。女子の代表的存在で、男子の誰にとっ
ても“敵”である米崎と同じ番号になったのだから。
 ところがである。
「安いチョコを渡し合ってはいおしまいじゃ、つまんないから、勝負と行こうじゃな
い」
 米崎がそんなことを持ち掛けてきたおかげで、風向きが変わった。
「何だよ、勝負って」
「豪華で美味しそうに見えるチョコを用意した方の勝ち。判定は先生にしてもらいまし
ょ」
「たった三百円で、差が付くかよ」
「おやー、自信ないのかな?」
「そんなことはねーよ」
 挑発に乗ってしまった。本当は自信がない。こういうのって、女子の方が色々と知識
を持っていて有利だろうという頭があった。
「けどな、勝負を受けるには条件がある。そっちの一方的な話を受けてやるんだから、
ハンデをもらわないとな」
「言ってみなさい。あんまり無茶な要求じゃなければ、考えてあげる」
 ハンデをくれと言えば勝負を取り止めるのじゃないかという期待があったが、あえな
く消えた。こうなると河田にできるのは、無茶な要求を提示すること。
「そーだなー。予算に差を付けるってのは? こっちはそっちの倍使えるようにすると
かさ」
「何を言い出すかと思ったら。それは無理。三百円て決められてるのに」
 米崎は腰に両手を当て、ため息を盛大についた。狙いは当たったが、あからさまに呆
れられてしまったことには密かにへこむ河田。
「じゃ、じゃあ、勝負はなしな」
「待って。……これなら行けるかも。私の予算の中から、百円、そっちに渡すっていう
のはどう」
「何?」
 びっくりしながらも、頭の中で計算した。四百円と二百円になる。確かに倍だ。三百
円の予算以内という先生が決めたルールには反するだろうけど、クラス全体で使われる
お金の上限は変わりないのだから、文句ないだろう。そういことにしておく。
「よし、それなら乗った」
「まだよ。勝負と言うからには、何か賭けなくちゃ」
「賭ける? ああそうか」
 河田は、ハンデについてこちらの言い分を聞かせた手前、賭ける物に関しては譲るこ
とにした。
「そっちの自由でいいよ。変なのはだめだけどな」
「変なのって?」
「……言うと採用されそう」
「真似なんてしないわよ。今この場で言ったのは、本番では使わないであげる。似た感
じのも含めて」
「そう言うんなら……たとえば、俺にスカートを穿いて学校に来いとか。給食のおかず
を一週間、全部よこせとか」
「あはは、なるほどね。でもそんなことは言わない。元から言うつもりなかった。そっ
ちがさっき言ったスカートを含めて、エッチなのとか性別に関係するのはなしね。持ち
物を取り上げるのも。あと、犯罪行為」
「あ、当たり前だろ」
(いちいち断らなきゃいけないという考え方をするなんて、やばいやつかもしれない。
いや、俺がそういう風な目で見られてるってことか?)
 河田は内心、大汗を掻く思いを味わっていた。対する米崎は涼しい顔で提案してき
た。
「クラスのみんなの前で、好きな人の名前を発表するとかは?」
「意味ねー。俺、そんなのいないし、米崎さんが誰を好きなのかなんて別に知りたくな
いもんな」
「いないってまじ? 遅れてるというか何というか……。じゃあ、私が勝ったら、河田
君は来年の児童会長選挙に立候補して」
「な? 無茶苦茶――」
「わざと無茶苦茶を言ってんのよ。だから、そっちが勝った場合の罰ゲームは、そっち
で決めていいわ」
「じゃ、じゃあ逆でもいいんだよな。負けた方が児童会会長に立候補」
「あ、乗ってくれるの? よし、いいわよ。受けた」
 これまた相手が引き下がると思って言い出したってのに、あっさりと受けられた。も
う完全に引っ込みが付かない。
(変なやつ……。まあいいや。どうせ出たって落ちるだけだし)
 河田はとりあえず、右手を米崎に出した。
「うん? 何この手?」
「くれ。百円」

 バレンタインデーの二日前。区内で一番大きなスーパーマーケットまで足を延ばした
河田は、チョコレート売り場を巡った。女性が大勢行き交う中で、小学五年生の男子が
一人で動くのには相当勇気が必要だったけれども、その点は頑張った。より大きな問題
が別にある。
「高っ」
 思わず声に出してしまうほど、値札の数字は0の数が一つ二つ多い。店内をぐるぐる
回って、ようやく小学生向きと思われるコーナーを見付けた。が、ほっとしたのも束の
間、ここでもそんなに安くはない。
「見た目がいいのって、最低でも五百円か」
 また思わず呟く。もしかして……河田は邪推を始めた。
(女子は毎年こんなところに来てるから、こういう季節のチョコの値段に詳しいに違い
ない。それで米崎さん、百円を渡しても大丈夫と分かってたんだな。三百円が四百円に
なったぐらいじゃ、大して違わないって)
 ずるいぞと心の中で罵る河田だった。が、それならそれで矛盾に気付く。
(四百円でもどうにもならないのに、二百円でどうするつもりなんだろ? 何か作戦が
あるんなら知りたいな。同じ作戦を使えば、俺は二倍、掛けられるんだから)
 少し考えてみたが、ちっとも妙案は浮かんでこない。
(レシートを持って来ることが条件だから、金をごまかすのは無理。仮に手作りすると
したって、レシートにない材料が使ってあったら、まあばれるよな。箱を包み紙やリボ
ンなんかで豪華っぽく見せるのはありだけど、勝負の決め手はチョコの見た目と味だ
し)
 考えても時間の無駄と判断した。もう一度、隅から隅までコーナーにある台や棚を見
て回る。すると、手作りセットが目に留まった。
 河田は男子だからか、手作りする気は全然なかった。先程、相手が手作りする可能性
を想像したせいで、今注意が向いたのかもしれない。
 その品を手に取った河田は、この日何度目かの「高っ」を吐いた。
(こんなんでも五百円以上するのかよ! ちょっとデコレーションの材料が足してあっ
て、作り方が書いてあるだけなのに)
 よく見ると、セット商品には三個分作れると謳ってある物もあった。
(バレンタインに上げるのは、好きな相手一人に一個じゃねえの? 義理チョコとか父
親用とかを含めてるのか、これ)
 呆れつつ、歯がゆい思いもした。
(これ、一個分だけ売ってくれりゃいいのに。三分の一の値段なら、三百円以内に収ま
る)
 無論、そんな値切り交渉を実行するはずもなく、河田は商品を棚に戻した。
(こうなったら、質より量作戦か)
 ちょっと安めの十円、二十円チョコを大量に購入し、うまく並べればそれなりに豪華
に見えるんじゃあないか。河田はバレンタインチョコのコーナーを離れ、普段買うよう
な菓子を置いてある棚を探した。

 二月十四日を迎えた。
 クラス内でのチョコの贈り合いは、学校が用意した形式的なイベントに過ぎない。し
かしそれでも多少は意識してしまうものらしい。高学年になるほど、そわそわしている
る児童が多かった。そのそわそわ状態は、チョコの交換が行われる昼休み(土曜日なの
で実質的に放課後)まで続いた。
「では本日のメインイベント。米崎さんと河田君、前にどーぞ」
 二人の賭けについては、担任教師を含めて全員が知るところになっていた。だから、
彼らのチョコレートの披露は、クラスで一番最後に賑々しく。
「どっちが先に出す?」
 司会進行を務めるのは、学級委員長の忍川貴将。飛び抜けて賢いとか運動が得意だと
か二枚目だとかではないが、おしなべて良いレベルで、バランスがいい。その感覚は他
の面にも影響を及ぼすのか、人の話を色眼鏡なく聞く公平さがある。だから、こんなイ
ベントでどちらが先にチョコを出すかについてさえも、公平さを求めがちのようだ。
「バレンタインは女から渡す物だから、女子からでいいいんじゃないの」
「いやいや、女子から渡すのが正式だからこそ、最後に取っておくべきでしょ」
 そして外野もつまらないことで揉める。長引きそうなのを面倒に感じた河田は、自ら
言った。
「俺が先な。崩れたら直すの面倒だし、早く渡さねえと」
 謎のフレーズを言い残し、教室後方にある各自の道具入れに向かった。そこから粘土
板の上に作った粘土細工を運ぶときと同じような、いやそれ以上に慎重な手つきと足取
りで、蓋のしてある紙箱を手に戻って来る。コンパクトサイズの将棋盤程度の大きさ
だ。
「ほい、どいて、委員長」
「よしきた」
 教卓に手を突いていた忍川が飛び退き、空いたスペーズに箱をそっと置く河田。
「じゃあ……先生、よく見ててよ。第一印象が全てみたいなもんだから」
 河田の言葉に、担任教師も真剣に応じた。身を乗り出し、箱を上から見下ろせる位置
に立つ。
「では、本人がオープンするってことで?」
 忍川の確認に、河田は強く頷く。
「もち。ずれたら困るから、な!」
 言い終わると同時に、蓋を真上に持ち上げた。河田は蓋を持ったまま、その場を離
れ、「どうだ?」と皆に言った。すぐさま、おおっというざわめきが起きる。
「これは花?」
 先生の台詞は、他の児童らにも共通の質問だった。
 箱の中では、赤、黒、白、緑、ピンク、黄色等々、色とりどりの小さなブロックがモ
ザイク絵を形作っていた。ブロックの一つ一つは十円チョコで、よく見ると、一部は包
装紙が切り取られたり、重ねられたりしている。
「花に見える? なら一応成功した。全額十円チョコに使った甲斐があった」
 6×6の36個を箱の内側に敷き詰め、典型的なチューリップの簡素なイラストに
し、残る四個を細かく切り、角張った文字の“ヨネザキへ”を作っていた。
「あ、呼び捨てになったのはかんべんな。数が足りなかった」
「いいよ、許す。正直言って、こんなにうまくやるとは想像していなかったわ」
 贈られる当人が、心底驚き、感心した様子で述べた。
「食べるのが勿体ない感じだね」
 先生が言うと、「それもそうだ。味は十円チョコそのまんまだし」と茶化す声が飛ん
だ。
 形式的に先生が“へ”のチョコを食べる間に、河田はレシートを米崎に示した。
「問題ないだろ?」
「うん。嬉しいな。有効に使ってくれて」
 満面に笑みを広げ米崎。河田は戸惑いつつも、ここは感謝を示さないと男がすたると
口を開く。
「百円のハンデがなければ、もっとしょぼい絵になってたろうな。こっちこそ助かっ
た。米崎さんのは大丈夫か?」
「それはこのあとを見て」
 図らずもエールを送り合う形になった。
 攻守交代し、今度は米崎がチョコレートを披露する番になる。大ぶりの手提げ袋を自
身の机のフックから外すと、片手ではあるが河田に劣らぬ丁寧な動作で、中から十字に
リボンを掛けた半透明の箱を取り出した。正確には蓋が半透明で、中身が何となく見え
るが赤と金色のリボンが邪魔をしている。
「さぁて、開けてみて。河田君みたいなアイディアはないけど、お菓子としてはいい線
行ってるんじゃないかしら」
 チョコを教卓に置いた米崎が促す。司会役の忍川が言葉を挟む間もなく、河田は即座
に反応した。
「よくこれだけ包装があったな〜」
「それは別のお菓子のを取っておいたやつ。ようく洗って乾かしたから、心配しないで
いいよ」
 そんなこと言われたらかえって気になるじゃん……と声に出す前に、河田は中身のチ
ョコに目を奪われた。
(え、これで二百円?)
 真っ先に感じたのが、その大きさ。円形のそれは直径十センチくらいはある。しかも
立体的で、かさもあると一目で分かる。ココアパウダーと粉砂糖、クリームにゼリー
ビーンズで飾ってあるが、“地肌”はチョコレート色だ。よくよく観察して、やっと分
かった。
「バナナやイチゴをチョコレートでコーティングしている?」
「正解。予算の都合で底が薄い板状のチョコだから、触ると簡単に壊れちゃうけど。注
意して食べてね」
「ちょ、ちょっと。その前にこれ、本当に予算を超えてないのか?」
 疑いたくはないが、疑わざるを得ない。それほどまでに、米崎の手製らしいチョコは
ボリュームがあった。
 するとこの嫌疑に、米崎はにこりと笑みを返した。
「信じられない? それだけで充分、ほめ言葉って感じ。――ほら」
 ワンピースの胸ポケットからレシートを摘まみ出し、米崎は河田の目の前に掲げる。
「……うん? 合計で八百円になってるけど?」
 品名には、半額値引きのカットフルーツの他、河田が見掛けた手作りチョコのセット
も一つあった。あまりに明白な予算オーバーぶりに、河田はかえって困惑した。説明を
求め、相手の顔を見やる。
 米崎は振り返って、「綾木ちゃん、真城ちゃん」と女子の友達二人を呼んだ。米崎の
友達は多く、誰とでも仲がいいが、この二人とは特に親しい。
「私達で相談して、いわゆる共同購入をしたの」
「な何だって」
 思わず叫んでしまった。それを質問と受け取ったのか、綾木美奈子が「三人のお金を
まとめて、一緒に買ったの。それをまた三人で分けた」と詳しく答える。
「こうでもしなきゃ、まともに勝負できないもん。手作りチョコレートセット、三個分
作れるとあったから、あれを買えば基本大丈夫だろうと思って」
「はあ」
 河田は情けない声しか出せなかった。
(俺は三分の一の値段で買えないことに文句を言うだけだった。米崎さんは三人で力を
合わせることを思い付いた。……凄く負けた気がする)
 と、そこへ外野の男子から抗議調の声が飛ぶ。
「それってずるくないか? だって、二百円、三百円、三百円と出したんだろ。三分の
一を使ったんなら、予算オーバーじゃないか」
「そう言われると思って、ちゃんと正確に量りましたっ」
 待ち構えていたかのように反論する米崎。
「家に、作ったときの写真があるから。私と真城ちゃんと綾木ちゃん、それぞれの材料
の重さを量って写真に撮った。疑うんなら見に来てよ」
 自信満々の物言いに気圧されたらしく、抗議の声はあっという間に静かになった。
「ねえ、そんなことよりも、メニューを考えるのが大変だったんだから。三人とも違う
感じのチョコになるようにって」
「そうそう。材料が一番少ない米ちゃんの分を真っ先に考えたあと、私はイチゴを細か
く刻んで、チョコと混ぜて固めて、バナナの薄切りをフライにして挟んで」
「私はイチゴをジャムして、チョコの中に詰めて、バナナと組み合わせてキリン作った
けど、レモンを買えなかったから変色しちゃった」
 最後の綾木の発言に、その綾木からチョコをもらった男子が「え!? 大丈夫なのか
いな」と頓狂な声で反応した。
「賞味期限はギリギリOKだよ」
 米崎が代表する形で答え、それから河田に改めて向き直った。
「こういう訳だから、今日中に食べてよね。あ、先生も早く味見をお願いしまーす」

 勝負の結果は、さほど重要ではない。それでも一応記しておくと、先生が軍配を上げ
たのは米崎久海だった。河田のアイディアを称賛しつつも、彼に比べて少ない予算でや
りくりした米崎の知恵を高く評価したものだった。
 こうして河田は翌年の進級後、児童会選挙の会長職に立候補する訳だが、これにはお
まけが付いた。副会長に米崎が、書記に忍川が立候補することに何故かなってしまった
のだ(五年生から六年生へはクラス替えなしの持ち上がり)。さらに驚くべきことに
は、三人とも当選を果たすという快挙。同じクラスから児童会の三役全員が出るのは、
何十年ぶりだかのことらしい。忍川の人望は以前から高かったが、河田と米崎がトップ
になれたのは、五年生のときのバレンタイン・ギャンブルが他の児童にも噂として広ま
り、いい意味で名前を知られたのが大きかったのだろう。
 河田は児童会長なんて柄じゃないと自分では思っていたが、二人の支えもあって立派
にこなした。その分、米崎とは一緒にいる時間が増えたし、彼女に助けられる場面も多
かった。結果――好きになった訳だ、気が付いてみたら。
 といっても、小学生の時点で思い切って告白するのはなかなかの難業。六年生のとき
のバレンタインデーは日曜と重なったせいもあり、前年のようなイベントが催されるこ
となく、普通に過ぎていった。
 そのまま卒業を迎えた河田だが、落胆や後悔はしていなかった。同じ中学に通うのだ
から、チャンスはいくらでもある。そう考えると、気分が軽くなる。その反面、いつで
もいいやっていう先延ばしの心理も生まれがちなもので。

 河田は自宅でカレンダーを見て、二月だ、と思った。
(中学入学以来、特にこれっていうことが何にもない)
 米崎の顔を思い浮かべつつ、はーっと深い息を吐く。
 中学生になって最初の関門がクラス分けだった。心中、どきどきものでクラス分けの
掲示板を見上げた河田だったが、その表情はじきにほころんだ。幸運にも同じクラスに
なれたのだ。
 これで安心しきったのが失敗で、特段、積極的なアプローチをするでもなく、こと恋
愛に関しては無為に十ヶ月程を過ごしてしまった。友達付き合いは続いており、それは
それでそこそこ満足の行くものだったから、先延ばし心理に拍車が掛かったのかもしれ
ない。
 河田はカレンダーの14を見つめた。
(米崎がサプライズでチョコをくれる、なんてことは期待しない方がいいんだろうな)
 頭の中での独り言ではそう判断するものの、全然期待していない訳でもない。幸いに
も、米崎が誰かと付き合っているという話は全くなく、河田が見ている分にもそんな気
配は皆無だった。
(しかし、米崎さんが俺をどう思ってるかなんて、分かんねえし。先にホワイトデーが
来てくれりゃいいのに。そうしたら、俺が先に告白して……できるんかな、そんなこと
ほんとに)
 自分の臆病な部分を確認できただけで、何の策も浮かばない。
 しかしバレンタインデーを一週間後に控えた放課後、河田は手本を見付ける。
「バレンタイン? チョコぐらいなら多分もらえるよ」
 外掃除で大量に集まった落ち葉を二人して捨てに行く道すがら、そう言ってのけたの
は、同級生の板垣竜馬。全般的にそこそこ優秀な河田と異なり、勉強は英語と数学、運
動は徒競走とバスケットボールが突出している板垣は、部活は手芸部というちょっとひ
ねくれ者だ。そんな彼は、顔は旧い表現をするならバタ臭いってやつだがまあまあ男前
で、喋りは面白く、小六のときから付き合っている相手がいると聞いても納得はでき
た。
「入学してからずっと隠してきたのかよ。全然、一対一で付き合ってるような女子、影
も形もなかったじゃん。あ、もしかして違う中学とか」
 ゴミ捨てが済んでからも、河田の攻勢が続く。板垣も厭わずに応じるくらいだから、
彼女の話をするのはまんざらでもないに違いない。
「いや、ここだけど。十組の志崎さんて知らん?」
「志崎……志崎優美? 名前と顔は知ってる。一年生なのに、休部状態だった手芸部を
復活させたって。ああ、そうか。それで手芸部」
 板垣を指差す河田。相手の方が背が高いため、斜め上向きだ。
「愛の自己犠牲精神か」
「よせよ。志崎さんに頼まれたのは事実だが、別に俺、他の部に入るのをあきらめたっ
て訳じゃない。走るのもバスケも、趣味でやれればいいんだ。その点、手芸部なら靴下
に穴があいても直せる」
 飄々とした答え方で、どこまで本気なのか分からない。でも、楽しそうではある。
「それで話を巻き戻すけど、志崎さんがチョコあげるって言ったんかいな」
「まあな。みんな――他の部員のいるとこで話題がバレンタインになったからさ。こっ
ちが冗談めかして『愛の籠もった塊、くれる?』って水を向けたら、『大義理チョコだ
かんねー』って感じで返された。周りも『大喜利ならぬ大義理かよ』『座布団一枚!』
ってな雰囲気に。で、あとで二人だけのときに、『みんながいるところであんな話を振
るな』って怒られたよ」
 玄関の下駄箱まで来た。ゴミ捨てが終わって、そのまま下校できる。
「……なあ、板垣。最初に志崎さんからもらったバレンタインチョコって、義理チョ
コ? 根掘り葉掘りで悪いと思うけど、差し支えなかったら」
「差し支えはない。幸せのお裾分けの心持ちよ。余は寛大であるぞ」
 冗談を交えながら、校門を出たあとも話は続く。
「最初は五年のとき。どんな事情があったのか分からずじまいだが、バレンタインデー
を前にクラスの女子達が盛り上がって、女子全員で男子全員分のチョコを用意して、配
るってことをやった」
「面白いのかつまらないのか分からないイベントだな」
「まあそれなりに盛り上がった。チョコはどれも同じで売ってる物だけど、渡すのはそ
れぞれ別々だったから。女子の誰が男子の誰に渡すかってのは、向こうが勝手に抽選し
て決めたと言ってたけど。俺、ちょっとかまを掛けてみたんだ。あ、渡してくれたのは
志崎さんだ。『抽選じゃない奴もいるんじゃあ?』って軽い調子で言ったら、志崎さ
ん、耳を赤くして、『そんなことあるはずないでしょ! 義理よ義理!』って」
「それ……ばればれってやつじゃあ」
「多分。でもまあ、相手が義理だと言うんだし、女子全員の企画による物だから、義理
チョコとしてもらった」
「六年生のときは? 付き合い始めたのが六年と言ってたけど」
「『今年も義理チョコもらえるんかな?』って風に声を掛けたら、そのときは何も返事
がなかったし、バレンタイン当日も何もなかった。でも翌日の月曜に登校したら、机の
中に入ってた。名前入りのカード付き。あ、さすがにカードの内容までは勘弁しろ」
「了解。なるほどね」
 うらやましいくらいに理想的だ。見習えるものなら見習いたい。河田はそう考えなが
ら、話してくれた礼を板垣に言った。
「何だよ。このくらいで感謝だなんて。もしかして河田、好きな女子が近くにいるな?
 そいつとは結構親しく、悪くない感じだが付き合ってると言える程ではない。バレン
タインにチョコをもらえるかどうかもはっきりしない」
「超能力者か!」
「んで、何とかしてチョコをもらうために、この板垣様を手本にしようと」
「読心術か! ……当たってるよ。くそっ、そっちだけ恥ずかしい思いをさせて終わる
つもりだったのに」
「誰よ、相手は。まさか教えられないってことはあるまいな?」
「普段の俺を見ていたら想像は簡単だと思うが」
「悪いが、日常的にクラスメートの男を観察する趣味はない」
「……しょうがないな」
 河田は米崎の名前を出した。板垣は「なるほど」と反応した。
「とりあえず、今年は待ちでいいんじゃねえの。ぎりぎりまで待って、気配がなかった
ら、義理チョコでいいからくれよー的なことを言ってみるとか。あ、洒落になってしま
った、ぎりぎりの義理チョコ」
「そんなんでいいのか」
「そもそも、ちゃんとした告白してないんだよな? 何となく仲がいいってだけで」
「そりゃまあ。二人だけで遊びに出掛けたこともないし」
 正確に言えば、駄菓子屋に置いてあるゲームで遊んだりとか、トランプの占い遊びに
付き合ったりとか、児童会の関係で遠出して暇な時間にオセロをしたりとかならある。
デートと呼べる代物ではないため、省いたまで。
「だったら、今度のバレンタインをきっかけにするのも手だし、義理チョコをねだっ
て、ホワイトデーで真面目なお返しをするとか」
「うーん。俺に向いてるやり方なのかな。まあ折角のありがたいアドバイス、考えと
く」
 と、この場では迷う素振りを見せた河田だったが、それは表面だけ。二月十四日まで
あまり時間がないこともあって、機会を作ってでも早々に試してみようと決意してい
た。
 その機会は、作らずとも向こうからやって来た。決意が念になって相手に届いたのか
と思える程のタイミングで。
「ねえ、河田。今度の飛び石連休、暇ある? 真ん中の土曜も含めて」
 午後一の授業が終わっての休み時間、教室移動のときに米崎が聞いてきた。
「あるっちゃある。せいぜい、家族の買い物に付き合うぐらいしか予定ないから」
「だったら急なんだけど」
 手にした教科書やらノートの中から、紙を挟めるタイプの下敷きをちらと見せる米
崎。目がいたずらげに笑っているようだ。
「これ、もらったから行こうよ」
 下敷きに挟んであるのは封筒で、その口から覗くのは映画の招待券らしかった。
「一枚で二人まで観られるんだよ」
「俺と? 女子の友達は?」
 嬉しさを隠しながら聞き返す。
「この券、男女のペアが条件なのよ、けちくさい」
「ああ、そういうことか」
 ちょっとがっかり。
(けど、一人でも行けるところを、敢えて誘ってくれたんだから)
 気を取り直して、OKの返事をする。
「三日間の内、いつがいい?」
「米崎さんの都合に合わせるよ。さっき言った通り、暇してるから」
「買い物の予定があるんでしょ? 私の方はほんとに何にもないの」
「じゃあ……十一日にしようか」
「了解。細かい時間は、あとで知らせるわ」
「あ、ちなみに何ていう映画?」
 好みに合うか否かを知りたいのではない。どんな内容の映画だろうと、多少の予習は
しておきたいと思ったから。
「『君のこともっと知りたいんだ』。こてこての恋愛映画だと思う。学園ラブコメと銘
打ってるしね」
「やっぱりそーゆーのかぁ」
「恋愛物、苦手?」
「いや、観るけど。母親が後生大事に持ってる少女漫画、結構面白かったし」
 もうすぐ教室に着く。このままでは肝心なことを聞きそびれてしまうと、河田は焦っ
た。
「考えてみれば、十四日が近いけど、ひょっとして期待していいのかな……」
「うん?」
「その、義理のチョコとか」
「――それはなし」
 ぴしゃりと言われてしまった。一応、ごめんねという風に両手を合わされたから、救
われたものの、こうまではっきり否定されるとは想像の埒外だった。
 割と強めのショックを受けたまま、次の授業を受ける羽目になった。

 これで脈なしかと思いきや、違った。
 映画鑑賞デートは楽しく過ごせた上に、米崎とはその後も変わらぬ仲のいい友達でい
る。いや、友達以上じゃないかという自負が、河田にはあった。徐々にではあったけれ
ども、二人だけで下校する機会が増えて、その内登校も同様に。春休み中には、宿題を
一緒に片付けた。
 極めつけは、その春休みに米崎の方から告白してきた。ただし、次のようなフレーズ
だったけれども。
「そういえば、今日ってエイプリルフールだったわね。――私、河田のことが好きだ
よ」
「……」
 どういう反応をしようが泥沼にはまりそうだったので、何も言えなかった。聞こえな
かったふりに徹する河田に、米崎は「河田は今日、誰かに嘘を言った?」と試すかのよ
うな、からかうかのような口ぶりで、目をくりくりさせて聞いてきた。
「今日はもう何も言わねー!」
 耳を塞いでそう宣言するのが精一杯だった。
 こんなことがあったにもかかわらず、新学年の一学期初日、通学路で河田と顔を合わ
せた米崎は、屈託なく「おはよ!」と笑顔で声を掛けてきた。
(分っかんないな〜、女子って)
 困惑は募ったものの、米崎に質問してはっきりした答を聞くのも怖い。今の状態を壊
したくない気持ちが、河田の内で勝った。
 六月になると、十五日が河田の誕生日。バレンタインデーに米崎から何にももらえな
かった河田だから、全く期待していなかった。その油断を見透かしたかのように、彼女
は不意を見事に突いてきた。
「はいこれ」
 登校時に会ってすぐ、手から手へと押し当てるように渡された小箱。文字通りの手の
ひらサイズで、幾何学模様柄の包装紙に包まれている。何?と目で問い返す河田に、米
崎は当たり前のように言った。
「あげる。誕生日でしょ」
「え――」
 一瞬絶句した河田だが、どうにかこうにか「サンキュー」と付け加えられた。
「お洒落アイテムだから実利的なことを期待しないように。あと、私の誕生日は分かっ
てる?」
「え、えっと、七月八日」
「よく覚えてくれてたわね。そういうことだからプレゼント、よろしくね」
 唐突な形で誕生日プレゼントを受け取った河田は、米崎からのブレスレット(金属製で
輪っかの一部が最初から開いているタイプ。健康祈願の思いも込められているらしい)
を喜んだのも束の間、じきに悩みで頭を痛めることになる。何故なら一学期の期末考査
が迫る中、彼女への誕生日プレゼントに何がいいのか考えるのにも時間をたっぷり取ら
れてしまったから。加えて、誕生日自体がテスト期間の只中で、プレゼントを渡すどこ
ろではなくなりそう。
 最終的に、プレゼント選びのミッションこそ成し遂げたが、渡すのはテストが終わっ
てからにしてほしいと泣きついた。
「もちろん、かまわないわよ」
 あっさり許しが出て、ほっとするやら気が抜けるやら。
「来年以降もくれるのなら、後日で全然平気だから」
「あのさ、米崎さん。わざとやってる?」
「どういう意味よ」
「俺が困るのを喜んでるような……」
 少し前に浮かんだ疑問を、ストレートにぶつけてみた。対して米崎は、
「そんなことないって。うーん、困ってるとこ見ると可愛いと思うけど、狙ってそうい
う方向に持って行ってるんじゃないって意味だけどね。プレゼントをいつ渡すかだっ
て、すぐに言ってくれればよかったのよ。善処したのに」
 と一気に捲し立てる勢いで答えた。
(まずい。このままでは完全に尻に敷かれてしまう)
 その後、夏休み前に渡せたプレゼント――ブローチは気に入ってくれたようで、学校
生活の外で会うときは頻繁に付けてくれた。河田の方も当然ながら、ブレスレットをし
ていった。

――続く




 続き #535 私的バレンタイン・サガ (下)   永山
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