AWC 愛しかけるマネ <前>   寺嶋公香


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#513/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  18/06/27  22:49  (324)
愛しかけるマネ <前>   寺嶋公香
★内容
 事務所での打ち合わせの最後に、初めての経験となる仕事を持ち掛けられた。
「どっきり番組?」
 マネージャーを務める杉本からの話に、純子はおうむ返しをした。声には、訝かる気
持ちがそのまま乗っている。
 すると杉本は、「え、知らない? 仕掛け人がいて、有名人を驚かせる」と当たり前
の説明を始めた。純子はすぐさま、顔の前で片手を振った。
「いえ、そうじゃなくって、どっきり番組の出演話を、私に全て明かしてしまって大丈
夫なのでしょうか」
「……」
「ひょっとして、仕掛け人の役ですか」
「……今の、忘れてもらえない?」
 忘れろということは、仕掛け人ではなく仕掛けられる方らしい。純子は即答した。
「無理です」
「だよねー。じゃあ、だまされるふり、できないかな」
「そういうのはあんまり得意じゃありませんが……」
 演技の一環と思えばできないことはない、かもしれない。
「杉本さん。このお話、だめになるとして――」
「どうしてだめになると仮定するの」
「えっと、多分、そうなるんじゃないかなと」
 ちょっとくらい怒った方がいいかしらと思った純子だが、ここはやめておいた。第一
に、怒るのは苦手だ。相手のためとしても、うまく言う自信がない。第二に、杉本の?み
所のなさがある。打たれ強いのか弱いのか。仕事上の些細なミスをやらかしても半日と
経たない内にけろっとしてるかと思ったら、長々と引き摺って気にしてる場合もある。
「どんなどっきりで、他に芸能人の方が絡んでくるのか、気になったんです。だめにな
るならないとは別に、ここまでばらしちゃったんだから、いいですよね?」
「う……内容は言えない。関係してる人については、共演NGじゃないかどうか、遠回
しに聞くように言われていたんだった」
「遠回し」
「共演NGなんて君にはほぼゼロだから、忘れてたんだよぉ」
「もういいですから。どなたなんです?」
「厳密を期すと、芸能人じゃない。古生物学者の天野佳林(あまのかりん)氏。知って
ると思うけど、男性」
「知ってるも何も、有名人じゃないですか」
 二年ほど前からテレビ番組に出だした大学教授。髪はロマンスグレーだが若い顔立ち
で、えらがやや張っているせいでシャープな印象を与える。二枚目と言えば二枚目。喋
りの方は、古生物のことを分かり易く説明する、そのソフトな語り口が受けた。当初は
動物番組にたまにゲストに出たり、化石発掘のニュースで解説をしたりといった程度だ
ったのが、アノマロカリスとシーラカンスをデフォルメキャラクターにしたアニメが子
供を中心にヒットしたのがきっかけで、一時期は引っ張りだこの人気に。今は落ち着い
てきたが、それでもしばしば出演しているのを見掛ける。
「面識はないよね?」
「ありません。前からお目にかかりたいなと思ってましたけど。というか、何故、共演
NGを心配されなくちゃいけないのか理解できませんよ〜」
「そりゃあ、君の化石好きは、僕らは知っていても、プロフィールに書いてるわけじゃ
ないから。企画を持って来た人だって、生き物全般だめっていう女の子がいることを念
頭に、聞いてきたんだと思うよ」
「そういうものなんですね」
「それで……僕としては、受けて欲しい。失敗を隠すためにも」
「自覚はあるんですね、失敗した自覚は」
「きついお言葉だなぁ。涙がちょちょぎれる」
 聞いたことのない表現が少し気になった純子だったが、聞き返すほどでもない。
「途中でぎくしゃくした空気になって、どっきり不発。挙げ句に、お蔵入りになっても
知りませんよ〜」
「そうなったとしても、君の責任じゃないし、させない」
 表情を急に引き締める杉本。黙っていれば割と整った顔立ちだし二枚目で通りそう、
などと関係のない感想を抱きながら、純子は答える。
「分かりました。何事も経験と思って、やります。台本が手に入ったとしても、私には
見せないでくださいね」
「そりゃ当然。最後の一線は越えさせないぞ」
 独り相撲という言葉が、純子の脳裏に浮かんだ。
(どっきり番組だけ、他の人が担当してくれた方がいいんじゃあ……)

 元々そういう線で行くつもりだったのか、それとも杉本がうまく言って変更がなった
のかは分からない。天野佳林との共演――つまりはどっきり番組の収録は、いつ行われ
るか未定とされた。
「なるほど」
 純子は低い声で合点した。そのとき、久住淳の格好をしていたので、気を抜かないよ
うに男として振る舞う。
「いつになるか分からないということは、本当にだまされて、驚けるかもしれないです
ね」
「でも」
 隣に座る相羽が口を開いた。今、二人は普通乗用車の後部座席に並んで腰掛けてい
る。運転は杉本、助手席には相羽の母がいた。
「元々、その天野教授と会うのが初めてになるんだったら、意味がない気がしますが」
「それもそっか」
 純子は今気付いたような応答をしつつ、相槌を打った。杉本に気を遣って、そこは言
わないであげようと思っていたのに。
「はい、それは少し考えたら分かったんだけどね」
 少し考えなければ気付けなかったの? 杉本の言葉に心の中で突っ込みを入れた。
「もし可能であれば、他にも仕掛け人を用意していただけないでしょうかとお願いした
のだけれど、色よい返事はまだ」
「杉本さん。それ、言って大丈夫なの?」
 相羽母がびっくりしたように目を丸くして横を向き、指摘した。
「あ」
 杉本はブレーキを踏んだ。ショックで動揺し思わず踏んだ、のではない。黄色信号を
見て、安全に停まっただけのこと。
「万が一、僕の要望が通ったら、このこと自体、伏せておかなきゃいけないんだ!」
 叫ぶように自分のミスを確認すると、ハンドルに額を着けて深く大きな息を吐いた。
「いや、要望、通らないから大丈夫だ、うん」
 早々と立ち直った。要望は通らないと決めてかかるのもどうかと思うが。
「杉本さんはもしかすると、自分が口を滑らせたのが原因とは言ってないんじゃありま
せんか?」
 突然そんなことを言い出した相羽に、純子は「さすがにそれは」と止めに入った。
が、杉本は動揺を露わにし、あっさり認めた。
「どうして分かったのさ、信一君? 風谷美羽の勘が鋭くて、どっきりの企画だってば
れてしまったということにしといたけど」
「ひどいなあ」
「うちは人材不足だから、僕が抜けるわけに行かないのだ」
「人材不足以前に人数不足ってだけです」
「それで、何で分かった?」
「杉本さんが自分の失敗ですと認めていたなら、とても次善の策の要望なんて出せる雰
囲気じゃないだろうと考えただけですよ」
「はあ。そうか。言われてみれば確かに」
「杉本さん、ほんとに変よ。私生活で何か抱えてるんじゃないでしょうね?」
 と、息子に負けず劣らず、唐突な発言をした相羽の母。
(いつもよりも失敗の度が過ぎてる気がするけれど、プライベートがどうこうっていう
風でもないような。それとも、大人なら感じるものがあるのかな)
 純子はそんなことを思いつつ、杉本の返事を待つ。長い赤信号が終わり、運転手は
「うーん、特には」と答えて、車を発進させた。
「あ、でも、一つあると言えばあるかもしれません」
「何?」
「付き合っている彼女から、結婚してちょうだいサインを受け取った気がするんです」
「ええーっ?」
 一瞬にして騒がしくなる車内。蜂の巣をつついたまでは行かないにしても、皆の言葉
が重なって、ほとんど聞き取れない状態が二十秒くらい続いた。
「そんなにおかしいですか」
 次の赤信号で停まったタイミングで、車の中はようやく静かになった。
「おかしくはなくても、杉本さんに今までそんな素振り、全くなかったものだから、驚
いてしまって」
 相羽の母が言い、後部座席で子供二人がうんうんと首を縦に振る。
「まあ、隠すつもりはあったんですよね〜」
 後ろから横顔を見やると、何だか嬉しそう。目を細め、口元を緩ませ、その内鼻歌で
も唄い始めそうだ。
「あの、お相手の方はどんな人なんですか」
 純子は思わず聞いた。声が普段のものになっている。
「言ってもいいけれど、内緒にしてね。ここだけの秘密」
「はい、それはもちろん」
 今この車に乗っている面々の中で、一番口が軽いのは杉本だろう。飛び抜けて軽い。
その当人が口外無用というのは、どことなく変な感じだった。
 それはともかく、相羽母子も口外しないと約束すると、杉本は口を割った。
「ほんとにお願いしますよ。彼女って一応、芸能人なもので」
「――!」
 最前、結婚話をするほどの彼女がいると杉本が言ったときと同様かそれ以上の騒がし
さになった。漫画で描くとしたら、道路の上で車が跳ねている。
「だ、誰ですか」
 相羽の母は子供達よりも慌てた反応を示していた。
「やだなあ、相羽さん。そんな飛び付きそうな顔をしなくても」
「いえ、緊急事態だわ。話を聞かない内から言いたくないけれど、何かスキャンダルに
発展したら、お相手の所属事務所に迷惑が掛かるかもしれないし、こちらにだって」
「そうですかー? 客観的に見ればそういう恐れを感じるのは無理ないかもしれません
けども」
「いいから早く、名前を教えて」
「はいはい。松川世里香(まつかわせりか)さんです」
「……心の準備をしていたから、もう驚かないと思っていたけど、驚いた」
 後部座席の二人も驚いていた。
(松川世里香……さんて、あの?)
 純子より一回りは上の世代で、今となっては元アイドルとすべきだろう。現在はバラ
エティがメインのタレント。一時、下の名前を片仮名のセリカにして、“なんちゃって
ハーフ”のキャラクターを演じていた(ハーフを演じたのではなく、飽くまで“なんち
ゃってハーフ”だ)。純子も面識があるにはある。某ファッションブランドのライト層
向けイベントのゲストとして松川が来たときに、挨拶した程度だが。
「お付き合いはいつから?」
「尋問みたいだなあ。えっと、三年目に入ったとこだと思います」
「先方の事務所は、このことをご存知?」
「多分、知らないのじゃないかと。本人が言ってれば別ですが。――あ、行き過ぎてし
まいました」
 突然何のことかと思いきや、左折すべき道を通り過ぎてしまったらしい。杉本の今日
の役目は、純子と相羽母とを撮影スタジオに迎えに行き、その後、柔斗の道場で相羽信
一をピックアップ(社内規定ではだめだが、事前に承諾を取ってある)し、それぞれ自
宅まで送り届けるというもの。
「Uターンできそうにないな。遠回りになるかもですが、この先で左折しますねー」
 今、話せる時間が増えるのは、相羽母にとっては歓迎だろう。
「逆に、こっちは知ってるのかしら?」
「こっち、とは」
「市川さんよ。あなたのボスは知っているの?」
「言ってないです」
「そう。困ったことにならなきゃいいんだけど」
 ふぅ、と憂鬱げに息を吐く相羽母。
「できることなら、すぐにでも話をしておきたいところなのに」
 子供のことを思うと、そうは言ってられない。そんなニュアンスが感じられた。
「杉本さん。とりあえず、返事は待ってください」
「返事? ああ、彼女への。了解しました。というか、どう返事するかを決めかねてい
るので」
「市川さんに報告するつもりだけれど、よろしいですね」
「仕方ないです。隠し続けるのも潮時だと感じていましたし、覚悟して打ち明けたんで
すから」
 何故かしら爽やかな調子で杉本が言う。
(恋愛を語るとイメージが変わる人だったんだ、杉本さん)
 純子は妙に感心した。
 隣の相羽をふと見ると、いつの間にか興味が萎んだのか、窓の外を眺めていた。

 そんな一騒動があって以来、杉本に再び会えたのは三日後だった。
「どうでした?」
「所属タレントに自分の恋バナをする趣味は、持ち合わせてないんだけどなあ」
 恋バナのニュアンスがちょっとおかしい気がしたが、純子は敢えて言わずに、話を前
進させる。これから仕事場へ送ってもらうのだが、当然のことながら、行きは帰りより
も時間的余裕がない。
「そうじゃなくてですね。市川さんから叱られませんでした?」
「叱られる? うーん、叱られたというか呆れられたというか。自社の商品に手を着け
るのがだめだからって、よそ様に手を出すとは!って」
「はあ」
「そういうつもりじゃないんだけどな。接近してきたのは、松川世里香さんの方なんだ
から」
「本当ですか、それ」
「嘘じゃないって。信じてよ」
 ルームミラーを通して、杉本の困ったような苦笑顔が捉えられた。
「きっかけはやっぱり、あのときですか。松川さんがイベントにゲストで来られた」
 そう質問してから、計算が合わないと気付いた純子。お付き合いして三年目と杉本は
言っていたが、くだんのファッションイベントは、一年ほど前の出来事だった。
「いつだったかなあ。正直言って、僕の方は最初の出会いを覚えてなくってさ。彼女が
僕を見掛けて、何か気になったみたいで」
「ふうん?」
 では他に松川世里香と同じ場所にいるような機会があったか、思い返してみた純子だ
が、特に記憶していない。
(二、三年前と言ったら、ファッション関連よりも映像作品に関わることが比較的多か
った気がする。あの頃、松川世里香さんと同じ仕事場になること……分かんないなあ。
まあ、テレビ局でならあり得るのかな。遠目にすれ違ったら、気付かずに挨拶なしって
場合もなくはないし)
 そう解釈することで納得し、気持ちを切り替える。今日の仕事は、関連するアニメの
番宣を兼ねた、テレビ番組のクイズコーナー出演だ。生放送で行われるケースが多い
が、今回は純子が学生であることが考慮され、収録。だから比較的気楽と言える。ライ
ブだと失敗の取り返しが付かないのに対し、収録なら最悪でも撮り直せる。さらに、挨
拶するべき関係者が別撮りだと少ないのは、精神的に非常に助かる。
 その関門たる挨拶をこなしたあと、早速スタジオ入りだ。
「もし答が分かっても、全問正解すると嫌味になるかもだから、ほどほどにね。局だっ
て自分のところの番組の宣伝、もし全問不正解でも時間はくれるに決まってる。適当に
ぼけて」
「はいはい」
 杉本のアドバイスを話半分に聞き流しつつ、送り出される。クイズは五問出題され、
一問正解につき十五秒のコマーシャルタイムをもらえる。全問正解すれば、七十五秒に
プラスして十五秒のボーナスが加算され、九十秒もらえる仕組みだ。
(九十秒をもらったとしても、間が持たないな)
 元々、そのアニメのスポットとして、十五秒バージョンと三十秒バージョンの二通り
が作られたが、もちろん純子は出演していない。アニメのキャラが登場し、アニメの見
せ場でこしらえられたCMだ。ドラマや映画だと出演者がコメントを喋るCMが多いの
に対し、アニメではまずない。事前特番でも制作されるのなら、レギュラー役の声優達
に主題歌を担当する歌手、監督、(いるのであれば)原作者が揃って出演となるだろう
けれど。
「おはようございます。よろしくお願いします……?」
 撮影の行われるスタジオに入るや、雰囲気の違いを感じ取った純子。もちろん、この
番組に出るのは初めてで、普段を承知している訳ではないけれども、何やらぴりぴりし
た緊張感のある肌触りが場の空気にはあった。仮にこれがいつもの空気なら、撮影収録
の度にくたくたに疲れるに違いない。
 緊張感の中心は、探すまでもなく、じきに知れた。
 女性が二人、対峙している一角がある。若い人と、もっと若い人。二人とも面識があ
った。
「――どういうつもりでいるのかと聞いているのですが」
 丁寧語でもややぞんざいな口ぶりで言っているのは、より若い方。加倉井舞美だ。加
倉井と純子は現在、あるチョコレート製品のCMに揃って起用されて、“三姉妹”設定
の内の二人である。一緒に撮影したばかりと言っていい。一つ年上ということにされた
加倉井は、少々不満そうではあったが、仲よくやっている。
「そう言われても、私にも都合がありましたから」
 加倉井の詰問調に怯むことなく応じたのは、松川世里香。そう、杉本の言っていたお
相手だ。テレビを通して見るよりも大人びて感じるのは、普段の松川星里奈に近いとい
うことだろうか。あるいは、離れたところからでも、その化粧の濃さが分かるせいかも
しれない。
「何か問題でも?」
「問題? あるわ」
 我慢できなくなった、というよりも我慢するのをやめた風に、加倉井が言葉遣いを変
化させた。
「三度誘って、三度ともドタキャンされちゃ、こちらの予定が狂う」
「あら。困るほどお忙しいんでしたか? それはそれは失礼をしました」
 松川は相変わらずのペースである。足先が出入り口の方を向いているのだから、もう
用事はないはずだが、何故かスタジオを出て行こうとしない。無論、彼女の前に加倉井
が立っているのだが、ちょっと避ければ済む話。なのにそうはせずに、どっしり構えて
いた。やり取りを楽しむかのように。
 周りには男女合わせて十名ほどの人数がいるのだが、止めかねているのは雰囲気で分
かった。加倉井舞美は若手ながら安定した実力を誇る女優だし、松川世里香だって浮き
沈みこそ経てきたが今また何度目かのブレイクを果たした人気タレントだ。二人とも
に、マネージャーと思しき存在がいないことも、状況に拍車を掛けている。
「あの。何があったんですか」
 純子は一番近くにいたスタッフに小声で聞いた。小柄だががっしりした体付きの男性
スタッフは、その場を飛び退くように振り返った。そして口を開いたのだが、彼の声が
発せられるよりも早く、加倉井が反応した。
「ちょうどよかった。あなたに聞いてもらって、判断してもらいましょう」
 いきなりそんなことを言って、純子を手招きする。戸惑いと焦りと不安を覚えた純子
だったが、断りづらい空気に流されてしまった。仕方なく、歩を進める。加倉井と松川
の周りを囲んでいた人垣が崩れ、その間を気持ちゆっくり歩く。
(うわ〜、何か知らないけれども巻き込まれた? 事の次第が分からないまま行くの
は、凄く嫌な予感が)
 対策の立てようがないまま、加倉井の右隣に立つ純子。ここは少しでも自分のペース
を保とうと、加倉井と松川に「おはようございます」で始まる芸能界流の挨拶をした。
それから目で加倉井に尋ねる。
 加倉井は純子の挨拶に些か呆れたようだったが、怒りが収まった様子は微塵もない。
「あなた、松川世里香さんはご存知?」
「も、もちろん。お会いするのはまだ二度目で、最初のときも挨拶を交わしたくらいだ
けど」
 改めて松川に向き直り、目で礼をする。松川は同じ仕種で返してきた。
「そうなの。よかったわね」
 加倉井の言わんとする意味が掴めずに、純子は「よかった?」とおうむ返しした。
「今後、親しくなるつもりだったなら、ようく考えてからにしなさい。不愉快な目に遭
いたくないでしょ」
「不愉快って、加倉井さん、大げさね」
 松川が言葉を差し挟んだ。
「食事の誘いをキャンセルしたくらいで。よくあることでしょうに」
「三度、立て続けに土壇場になってキャンセルされたのは、初めてですけれども」
「それはあなたのキャリアじゃ仕方のないことかもしれない。私は経験あるわよ、三連
続ドタキャン」
「自分がされて不愉快なことを、他人にして平気だと?」
「その言い方だと、私がわざとあなたの誘いをドタキャンしたみたいに聞こえるわね」
「そうじゃないと誓って言えます?」
「証拠はあるの?」
 充分な説明がないまま、純子を挟んで、二人の応酬が再開されてしまった。どうやら
加倉井が松川を食事に誘い、松川も受けたものの、ぎりぎりになって断った。それが三
回連続で起きたらしい。
(あ、確かだいぶ前、同じ映画に出ていたんだわ、加倉井さんと松川さん。コメディ映
画のオールスターキャストで、どちらも脇役だったけど印象に残ってる。そのときの縁
で、加倉井さんが食事に誘ったのかな? だとしたら最初は仲よくやっていたはずなの
に、どうしてこんなことに。――え)
 推測を巡らせる純子の腕を、加倉井が引いた。不意のことだったので、バランスを崩
しそうになる。
「ねえ、風谷さん。察しのいいあなたのことだから、今ので飲み込めたと思うけれど、
どちらが悪い?」
「え? えーっと。まだ飲み込めてません」
「ほんとに? 掻い摘まんで言うと、私があの人を――」
 と、松川を遠慮ない手つきで指差した加倉井。
「――食事にお誘いしたのに、三度も振られてしまった。それも当日ぎりぎりになっ
て」
「ちょっと。自分の都合のいいことだけ言わないで」
 松川が再び割って入る。今度は明白に怒りを響かせた口ぶりだ。
「ドタキャンしたの、最初はあなたでしょ」
 えっ、という口元を覆いつつ、純子は加倉井を見やった。
「その点については、きちんと謝罪したつもりです。あなたも受け入れてくださったと
解釈しましたが」
 その後しばらく繰り広げられた話から推し量るに……一番初めに食事に誘ったのは、
松川。応じる返事をした加倉井だったが、前日になってドラマの撮り直しが決まり、や
むなく約束をキャンセルした。後日、お詫びの挨拶に行き、今度は加倉井の方から食事
に誘った。そこから三度、ドタキャンが繰り返されたという経緯のようだ。
「あなたの意見では、どちらが悪いと思う?」
 加倉井が改めて聞いてきた。
 事情は理解できた純子だったが、心境は全く改善しなかった。こんな状況でどう答え
ろと。

――つづく




 続き #514 愛しかけるマネ <後>   寺嶋公香
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