AWC そばにいるだけで 66−2   寺嶋公香


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#505/514 ●長編    *** コメント #504 ***
★タイトル (AZA     )  17/08/30  23:03  (433)
そばにいるだけで 66−2   寺嶋公香
★内容                                         17/09/01 03:14 修正 第2版
「じゃあ、最初は慣れてもらうために、パンを並べることからやってください。こうし
て」
 店主は実際にやりながら、説明を続ける。
「まるごと入れ替えるだけ。注意するのは向きだね。こういう風に、お客にパンの顔が
見えるように置く。すると見栄えがいい」
「この、バスケットにパンを一つ一つ並べるのは、誰がやるんでしょう?」
 話の切れ目を捉えて、純子は尋ねた。すでに店のユニフォーム――三角巾にエプロン
姿になっている。髪の毛がじゃまにならないようまとめるのに、ちょっと手間取った。
抜け毛が多いようなら、透明なビニールのキャップを被るように言われている。
「今日は最初、僕か寺東さんがやるから、それを見て覚えてください。明日からは――
明日、来られるの?」
「あ、はい」
「よかった。明日からは、涼原さんが最初からやってみてください。並べ方はそんな難
しいものでないし、今日これから見ていれば分かるでしょう」
「はい」
「今のは通常の話で、人気のあるパンは臨時に補充することがある。焼けた分を並べる
んだけれど、そのとき残っている分があれば、手前の向かって右側に移す。新たにでき
あがった分は、少し間を取って並べる。お客も分かっているから、古い方が残ることが
多いんだけれどね」
「そうなんですか」
 知らなかった。お客として来ていた頃に知っていたら、新しい方を取っていただろう
か。
「まあ、お客がいるところで並べる場合でも、焦らなくていいから。ゆっくり落ち着い
て。お客にぶつからないようにする。あとは……そうそう、型が崩れたり、切れ端が出
たり、あるいは売れ残ったりした分を安売りに回すんだが、その詰め合わせを作るの
も、やってもらおうかな」
 店主がそこまで言ったとき、店のドアの開く合図――ベルがからんからんと鳴った。
「寺東、少し遅れました。すみません」
 寺東は純子が初めて会ったときよりは、幾分丁寧な物腰で入って来た。裏に回らない
のは一緒だが。
「まだ大丈夫だよ。でも準備、急いで」
 店主の言葉に頷きつつ、寺東はこちらに近寄ってきた。唇の両端をにんまりと上げ
て、凄く嬉しそうな顔になった。
「よかった。本当に来てくれたんだ?」
「え、ええ」
 純子の手を取った寺東は、「これからよろしくね」と言った。こちらこそと返そうと
した純子だったが、それより早く、「先輩として、びしびししごいてあげる」と寺東が
付け加えた。
「寺東さん、早く」
 店主が促すが、今度はその店主に向けて話し始める寺東。
「思ったんですけど、早いとこ彼女にパン作りにタッチさせたらいいんじゃないかっ
て。風谷美羽が作ったパンとして売れば、新規のお客さん獲得!」
「寺東さん」
「――はーい。分かりました、着替えてきまっす」
 奥に引っ込む寺東を見つめていた純子だったが、店主の言葉に注意を引き戻される。
「客足の傾向を言うと、今日これからの時間帯、ぼちぼち増え始めるのが通例だから。
曜日や天気もあるから、一概には言えないが、だいたい君達の年代の子が第一波で、第
二波は買い物のついでに寄るお母さん方かなあ。サラリーマンは少ない」
 ということは……純子は頭の中で考えた。
(風谷美羽を看板娘にするのって、効果が期待できないような)
 元々、本意ではないから、かまわないのだが。とにかく頑張ろう。意を強くした。
 しばらくして寺東が出て来た。ユニフォーム姿になると、少し印象が変わる。髪が隠
れるせいかもしれない。
「……うーん」
 と、横に並んだ寺東が、顎を撫でつつ、難しげなうなり声を上げた。
「店長。これって罰ゲームじゃないですかあ」
 そしていきなり、そんなことを言い出した。当然、店主はきょとんとし、次いで「何
のことだい?」と聞き返す。
「こんなスタイルのいい子と一緒に働くってことは、常に見比べられるってわけで」
 寺東は純子を指差しながら答える。
「精神的苦痛がこれからずっと続くと思うと、モチベーションが激減しちゃいそ。せ
め、て、時給を少しでもアップしてもらえたら、やる気を維持できるんですけど」
 昇給交渉のだしに使われたと理解した純子だったが、黙っていた。まだそこまで店の
雰囲気に馴染んでいない。
「……」
 一方、店主もしばらく黙っていた。怒ったのかと思ったが、そうではないらしい。や
がて、呆れたように嘆息すると、右手で左の耳たぶの辺りをちょっと触った。
「寺東さんはよくやってくれてるしねえ。仕事の前後の言動や態度はちょっとどうかな
と思うことはあるけれども。いざ始まると集中してるし、熱心だし。考慮はする。が、
すぐには無理。新しく人を入れたばかりなんだから分かるでしょう」
 言い終えて、店主が純子の方をちらと一瞥。今度は、昇給を遅らせる理由付けに使わ
れてしまった。
「へいへい。気長にお待ちしまーす。さあ、がんばろうっと」

 聞かされていた通り、高校生から小学生ぐらいまでのお客の波がまずやって来た。途
切れたところで補充に動く。人気は甘い物及びかわいらしい物に偏っている。それを店
主も当然把握しており、追加で焼き上げる分の八割方はそのタイプだ。
 パンの並べ方は、簡単そうだった。全種のパンをまだ見たわけではないけれども、一
度見れば覚えられる。一方、パンを運ぶ段になってちょっとびっくりしたのは、予想外
の重さ。数が集まれば重たくなるのは道理だが、家で食べる分には軽いイメージしかな
かったから、最初は力の加減のギャップから「う?」なんて声が出てしまった。
「いらっしゃいませ」
 ドアのベルが鳴るのに呼応して、寺東と純子の声が響く。始めたばかりの純子は、慣
れるまではとマスク着用。普段の音量だとぼそぼそした声になってしまうので、気持
ち、声を張り上げた。
 その声から一拍遅れてドアの方を振り向いた純子は、入って来たお客さん――女性一
人――を見て、あっと叫びそうになった。思わず、顔を背ける。
(白沼さんのお母さん? このお店で買うんだ? もっと高級なところへ足を延ばすの
かと……って、これは店長に悪いわ。味は最高なんだから)
 などと胸の中でジタバタやっていると、真後ろを白沼の母が通った。幸い(?)、向
こうは純子に気が付いていない様子。マスクのせいもあるだろうが、こんなところにい
るなんて、考えもしていないのかもしれない。
(お仕事のこともあるし、挨拶すべき? でも、アルバイト中に私語はよくない気がす
るし……気付かれたら挨拶しよう)
 レジには寺東が立つことになっている。でも、その他の接客は、声を掛けられた方が
応じる。無論、必要が生じれば、声を掛けられなくても動かなければいけない、が。
(できることなら、アルバイトをしてるって白沼さんに伝わらない方がいい)
 そんな頭もあるため、ついつい、距離を取りがちに。
(しばらく運ぶパンはないし、トレイは片付けたばかりだり、焼き菓子の整頓くらいし
かすることが)
「おすすめはある? 甘さ控えめの物がよいのだけれど」
 突然の質問に、純子は反射的に振り返った。と同時に、意識のスイッチを切り替え
た。自分は久住淳なのだと。
「売れ筋ベストスリーはこちらにある通りですが、この中で甘さ控えめは、胡桃クリー
ムパンになります。酸味が大丈夫でしたら、ヨーグルトのサワーコロネやいちご本来の
味を活かしたストロベリーパンもおすすめです」
 低めにした声で答える。店内のポップを活用しつつ、如才なくこなしたつもり。
「そう、ありがと。どれも美味しそうだから、全部いただこうかしら」
 白沼の母は呟き気味に言って、トングを操った。どうやら純子には気付かずじまいの
ようだ。
 寺東からは、うまくやったねというニュアンスだろうか、ウィンクが飛んできた。純
子はマスクを直しながら、目礼を返した。
(それにしても、今の様子だと来店は初めてなのかしら。気に入ってもらえたらいい
な。あっ、だけど、頻繁に来られたら、じきに私だってことがばれる!)
 あれこれ想像して、頭の痛くなる純子だった。
「お買い上げありがとうございます。――八点で1300円になります」
 寺東の、対お客様用の声が軽やかに聞こえた。

(いけないと思いつつ、もらってしまった)
 午後八時過ぎ、アルバイト初日を終えた純子は白い買い物袋を手にしていた。中身は
売れ残ったパン。人気のパン屋だけあって数は多くないが、どうしても売れ残りは出
る。しかも初日サービスと言って、純子の大好物である胡桃クリームパンをわざわざ一
個、取り分けておいてくれていた。恐縮しきりである。
(これがあると聞いていたから、普段はカロリーを抑えめにしようと決めたんだけど、
だからといってぱくぱく食べていいもんじゃないし)
 自転車置き場まで来ると、先に出ていた寺東が待っていた。自然と頭を下げる。
「お疲れさまでした」
「お疲れ〜。さっきも聞いたけど、このあと暇じゃないんだよね? だったらせめて、
行けるところまで一緒に帰ろうと思ってさ。それともモデルか何かの仕事が入ってて、
絶対にだめとか」
「全然そんなことないです。いいんですけど、確か正反対の方向って言ってませんでし
た?」
「いいのいいの。興味あるから、少し遠回りしていくのだ」
 自転車に跨がり、早く早くと急かせる寺東。
「あ、別に家を突き止めようとか、芸能界の裏話を聞き出そうとかじゃないから、安心
してよ」
「はあ」
 調子くるうなあと戸惑いつつ、純子も出発できる態勢に。漕ぎ出していいものか躊躇
していると、「遠回りするのは私なんだから、あなたが先行って」と寺東に促された。
 ライトを灯しているとは言え、夜八時ともなると暗い。街灯や建物、行き交う自動車
のライトを助けに、比較的ゆっくりしたスピードで進む。
「あんま時間ないだろうから、さっさと聞くね」
「え? あ、はい、どうぞ」
 後ろからの寺東の声に、純子は遅れながら応えた。
「何であんなパン屋でバイトしたいと思ったわけ? 正直なとこ、他のことでがっぽり
稼いでるんじゃないかって思ってたけど、そうでもないとか?」
「えー……っと」
 いきなり、答えに窮する質問だ。一から説明すると長くなるのは確実だし、知り合っ
て間もない人に理由を話すのも恥ずかしい。
「言いたくなかったら言わなくていいし、他言無用だってんならそう付け加えてよ。こ
れでも口は堅いと自負してるんだ。そりゃまあ、バイト面接に来てたあなたのこと、店
長にぺらぺら喋っちゃったくらいだから、無条件に信用してくれなんて言わないけれ
ど。あのときは興奮しちゃって、つい」
 寺東の話を純子は、よく口が動くなあと感心して聞いていた。
(お店では肩の凝りそうな喋り方に徹していたから、今は解放されたってところなのか
しら。まあ、今日だけでもお世話になってるし、これくらいは答えてもいいと思う、う
ん)
 決めた。ただし、多少はオブラートに包もう。
「隠すようなことじゃないんですけど、一応、他言無用で」
「ふんふん、了解」
「お世話になっている人がいて、その人の誕生日が近いんです。プレゼントをして感謝
の気持ちを表そうと思ったんだけど、モデルの仕事とかを始めるきっかけを作ってくれ
たのがその人なんです」
「お、読めた。その人とは関係のない仕事で稼いで、プレンゼトを買いたいってこと
だ?」
「え、ええ。当たりです」
「うんうん、気持ちは分かる。私がその立場だったら、実際に行動に移そうとはこれっ
ぽっちも思わないだろうけどねえ」
 信号待ちで停まったところで、純子は振り返った。気付いた相手は「うん?」という
風に目をぱちくりさせ、次に横に並んだ。
「何?」
「質問、もう終わりかなと思って」
「お、いや、一個聞いたから、次はそっちから質問出るかなと思って。興味ないなら、
パスしてくれていいよー」
「あっあります」
 手を挙げそうになったが、信号が青に切り替わった。寺東に気付かされ、進み始め
る。
「そんで、質問は何?」
「デ、デートではどこへ行って、どんなことをします?」
「――わははは。意表を突かれた。まさかの質問だわ。いるの、彼氏? あ、言えない
か」
「今はまだ……大っぴらには」
 ごまかして答える純子。
「将来、彼氏ができるのはだいぶ先になるかもしれない。それまで全然経験がなくて、
いきなりだと、どうすればいいのか困ってしまいそうで」
「なるほどねー、分からない苦労があるもんなんだ。でも、今は自分もいないからな
あ」
「え、ほんと?」
「こんなことで変な見栄を張ったりしないよ。髪を染めるくらいだから、いると思った
とか?」
「そういうわけじゃないです。寺東さん、とてもさばけていて、男性客の接し方も慣れ
てるように見えたから……」
「それこそ接客に慣れただけ。ま、確かにちょっと前はいたんだけどさ」
「……悪いことを聞いてしまいました……?」
 声が強ばる。知り合ってまだ日が浅いのに、ちょっと突っ込みすぎたろうか。
「気にしない気にしない。別れたばっかなのは事実だけど、引きずってないから。歳は
相手が上で、まだ大学生のくせして、いっちょこ前に起業してさ。私より事業に夢中。
で、時間が合わなかったんだ。まあ、他にも色々あって、しゃあなかったんよ」
「はあ」
「風谷さん……じゃないや、涼原さんも仕事持ってるわけだから、付き合う相手を高校
で探すのは大変と思うよ、多分」
「そ、そうですね」
「そんなわけで、前彼との経験でいいのなら、さっきの質問、いくらか答えられるかも
だけど」
 上目遣いになる寺東。次の信号は青だが、スピードを落とし始めた。
「さすがにもう引き返さなきゃ。今夜はここまでってことで、いい?」
「もちろんです」
 純子も自転車を漕ぐのをやめた。信号は黄色に変わり、ちょうどいいのでストップす
る。
「その内、芸能界の話、少し聞かせてちょうだいね。今日は楽しかった」
「こちらこそ。今日はお世話になりました。しばらくの間、ご迷惑を掛けるかもしれま
せんが、よろしくお願いします」
 頭をぺこり。すると、「固いな〜」と寺東の声が降ってきた。
「普通、逆っしょ? 私が緊張して固くなるのなら分かるけど」
「生まれつき、こんな感じで……じきに柔らかくなると思います」
「うん、期待してる。じゃーねー」
 自転車に跨がったまま、器用にその場で方向転換した寺東は、手を一度振ってから前
を向いた。
「気を付けて!」
「そっちもね!」
 夜の街路に二人の声が結構響いた。

 パン屋でのアルバイトのことは当然、学校に届け出ているが、周りのみんなには内緒
にしておくつもりでいた。
(相羽君が知ったら変に思うだろうし、わけを聞いてくるに決まってる)
 だが、状況は変化した。積極的には宣伝しないとしても、“風谷美羽があそこでバイ
トしている”という噂が流れる程度に知られることで、売り上げに貢献する。本意では
ないが、そういう話になってしまったのだから。
「おばさまにも伝わっているはずなんだけど、相羽君には私の口から言いたくて」
 学校の一コマ目と二コマ目に挟まれた休み時間、純子は相羽一人を教室から、校舎三
階の屋上へと通じる階段踊り場まで連れ出した。念のため、唐沢ら仲のいい友達には仕
事の話だからと、着いてこないように心理的足止めをした。
「うぃっしゅ亭って、あのパン屋さん? アルバイトをって何のために?」
 予想通りの質問を発した相羽に、純子は前もって考えておいた答を言う。
「市川さん達との話で、演技の幅を広げるためには、社会経験を一つでも増やしておく
といいんじゃないかって意見が出てさ。だったら高校生らしいバイトをしてみたいです
ってリクエストしたら、意外と簡単に通って」
「何も仕事を増やさなくてもいいのに」
「もちろん、邪魔にならないペースで、よ。期間も短いし。じきに定期考査があるでし
ょ。その手前でやめる」
「……まあ、君が判断すべき領域の事柄だから、君が必要なことと思ったのなら、僕は
口出ししない」
 相羽がため息交じりに固い口調で言った。ここで終わりかと思ったら、続きがあっ
た。迷いの後、急遽付け足そうと決めた風に。
「でも、時間があるなら、学校の外でももっと会いたいのに――なんてね」
「……」
 相羽の(ほぼ)ストレートな恋愛表現は珍しい。嬉しいのと、本当のことを言い出せ
ない申し訳なさとで、しばし言葉を出せなくなる。
「純子ちゃん?」
「あー、ううん、ごめんね。休める日がないかと思ったんだけど、始めたばかりで、し
かも短期バイトだから言い出せないかも」
「決めたからにはやる方がいいよ、きっと。僕のことは気にしなくていいから。ただ、
学校にモデル仕事にアルバイト、三つを平行してするのは無理だと感じたときは、いつ
でも言って。母さん達に言い出しにくくても、僕が何とかする」
「うん」
 頼もしくさえある励ましの言葉に、純子の返事にも元気が戻った。そして、アルバイ
ト経験を演技に活かすという嘘も、いつか本当に変えてやろうと思った。
「ところで、僕だけを呼んでアルバイトの話をしたのは、何か意味があるのかなあ。み
んなには言ってはいけないとか?」
「あ、それはね、言ってもいいんだけど、万が一にも噂が広がることで、お店に迷惑が
掛かるといけない。例の脅しの手紙は、久住淳宛てだから関係ないと信じてるけれど、
風谷美羽でもアニメのエンディングを唄ってるから、ひょっとしたらがないとは言い切
れないし」
「……うん? 結局、言わない方がいいってこと?」
 時間を気にして戻り始めた二人だったが、すぐに足が止まった。
「虫のいい話なんだけど、ほどよく噂が広まって、それなりに売り上げアップしてくれ
たらいいなって」
 純子は舌先を少しだけ覗かせ、自嘲した。相羽はしょうがないなとばかりに苦笑を浮
かべ、
「だったら、友達みんなで行く方が早くて効果的かも。よし、そうしよう」
 と早々と決めたように手をぽんと打った。
「一度に大勢来られたら緊張して、凄く恥ずかしい気がするけど、がんばるわ」
「平日の放課後、みんなで遠回りしていくのは大変だから、土曜がいいかな。あ、で
も、純子ちゃんは土曜日、バイトよりもルーク関係だっけ?」
「ううん。そっちの方は、テストが近付いてるから、土曜どころかほぼ休み。なまらな
いように、レッスンを日曜にやってもらって。あ、あと白沼さんのところと一度、ミー
ティングがあるくらい」
「充分忙しそうだけど、まあよかった。じゃ、今度の土曜にでも。学校が終わって一緒
に行くのと、バイトに勤しんでいるところへ押し掛けるのとじゃ、どっちがいい?」
「……考えさせて」
 小さいとは言え頭痛の種を抱えつつ、今度こそ教室へ向かう。チャイムまであまり間
がないと分かっていたので、小走りに近い早足になった。

(バイトできるかどうかで頭がいっぱいになっていたけれど)
 午前の授業で出された古典の宿題をどうにかやり終え、昼休みの残り少ない時間を仮
眠――と言っても正味数分しかないので目をつむって頭を横たえるだけだ――に当てよ
うとしたき、ふと思った。
(誕生日プレゼント、何がいいんだろ?)
 宿題に集中していたおかげで、今、隣の席に相羽がいるのかどうかさえ知らない。目
をぱちりと開けて、気配を探りながらゆっくり振り向いてみた。
 いなかった。
(男子の友達はいるみたいだけど。トイレかな。じゃなければ、また先生のところと
か)
 いや、今考えているのはそんなことじゃなく。
(前に、母の日の買い物に付き合ってもらったとき、ついでを装って聞けばよかったか
もしれない。でも、あのタイミングで聞いたとしたら、誕生日プレゼントのことだって
絶対にぴんと来るはず)
 あげるのなら欲しがっている物をあげたいけれど、多少のサプライズ感も残したい。
相反する希望を叶えるには、普段から相手のことをよく見て、知っておく必要がある。
だからといって確実に成功するとは断言できないが、そうしなければ始まらない。
(ういっしゅ亭のバイトでもらえる範囲で買える、相羽君の欲しい物……)
 再び頭を机に着ける。いや、今度は腕枕を作って、そこへ額をのせて沈思黙考。
(お家にピアノがあるのなら、譜面ホルダーって思うんだけど。それ以外となると……
何にも浮かんでこない。一緒にいる時間は前より減ったかもしれないけど。基本的に相
羽君、物欲が薄いというか欲しい物を言葉にするなんて、滅多になかった気が)
 少し方針を転換する必要がありそう。
(似合うと思う服か何かを贈るのもありよね。私服の日なら、学校にも着てこられる
し。腕時計はいらないかなあ)
 予鈴が鳴った。身体を起こす。午後一番の授業の準備に掛かる。
(うーん、音楽以外に相羽君が興味関心を持っているのは、マジックと武道? 武道の
方はさっぱり分からないから、絞るとしたらマジック。マジック道具で、相羽君が持っ
ていない、手頃な商品てあるのかしら。手先の技で魅せる演目が多いから、逆にいかに
もっていうマジック道具、意外と持ってないみたいだし)
 テキストとノートを机表面でとんとんと揃えていたら、相羽が教室に入ってきた。自
身の席に駆け付けた彼は、少し息を弾ませていた。
「気付いたらいなかったけど?」
 先生が来る前にと、省略した形で尋ねる。
「宿題に夢中だったから声掛けなかったけど、神村先生のところに」
「また? 保護者が忙しいと大変ね」
 以前の話を思い起こした純子。
「うん、まあそうなんだけど」
 某か続けたそうな相羽だったが、ここでタイムアップ。始業のチャイムにぴったり合
わせたかのように、神村先生が入って来た。
 委員長の号令で、起立、礼、着席。約一ヶ月が経過して、唐沢の委員長ぶりも、よう
やく板に付いてきた。
「授業に入る前に、今日は用事があってホームルームができないから、今、三分ほども
らう。最近、中高生を狙ったカンパ詐欺が起きているそうだ。たとえば、インターネッ
ト上で『名前は明かせないが在校生の一人が妊娠した。親に内緒で中絶したいが、手術
費用が足りないので、力を貸してほしい』というような名目で金を集め、消えてしま
う」
 妊娠だの堕胎だのの単語が出たところで、教室内がざわついた。神村先生は静かにと
注意してから、話を続ける。
「集金の手口は様々で、プリペイド式の電子マネーを購入させてIDを送らせたり、代
理を名乗る者が直に集金に来たり、指定した口座に振り込ませたり。大胆なのは学校の
一角に募金箱を設置した事例もあった。金額こそ小さいが実際に被害が出ていて、まだ
一部しか解決していないそうだ。この手の犯罪は巧妙化する傾向があるから、早めに注
意喚起しておく。また、間違っても知らない内に片棒を担いでいたなんてことにならな
いように、充分に気を付けること。分かったな」
 以上、と話を打ち切って、授業に入ろうとした先生だったが、生徒の一人が挙手しな
がら「先生、質問〜」と言い出したため、教科書を戻した。
「何だ、唐沢」
「委員長なんで代表して、みんなが聞きたいだろうことを聞こうかと」
 真顔でありながら、どことなく笑みを我慢しているような体の唐沢。神村先生の表情
を見れば、嫌な予感を覚えているのが窺えた。
「前置きはいいから、早く言うんだ」
「詐欺には気を付けるけど、もし仮に、本当に中絶手術カンパの話が回ってきたら、生
徒はどうしたらいいのかなって」
 さっきとは少々異なるニュアンスで、クラスのみんながざわつく。
「まったく、何を言い出すかと思えば。みんなが聞きたいことか、それ?」
「まあ、半数ぐらいはいるんじゃないですか」
「しょうがないな。そりゃあ学校側としては、報告しろって話になるだろな。ついで
に、誰も知らないようだから教えておくと、うちの校則に、妊娠したら退学というよう
な決まりはない。生徒手帳を読め」
「まじで?」
 先生の言葉を受けて、実際に生徒手帳を繰る者もちらほら。
「ああ。明記している学校もあるが、我が校はそうではない。認めてるわけじゃない
し、高校生らしからぬ逸脱した行為を禁ずる条項があるから、それを名目に妊娠を退学
に結び付けることも可能だ。だけど、緑星学園史上、適用例はない」
「でも、そういう妊娠騒動を起こした生徒がいなかっただけなんじゃあ……」
「そうよね。進学校なんだし」
「あったとしても、表面化してないだけで」
 主に女子からごにょごにょと声が上がる。堂々と質問するのは、さすがに気後れする
様子だ。これらにも神村先生は応じた。
「個人情報に関わり得るから、そこはノーコメント。ただ、歴代校長の方針は、妊娠し
た生徒がいればできる限り学業が続けられる方向でサポートするっていうのが、慣習と
いうか不文律だ。――さあて」
 腕時計を見た神村先生は、教科書で教卓をばんと叩いた。
「三分のつもりが、五分になった。授業、始めるぞ」
 静かになった。それでも空気が落ち着きを取り戻すには、もうしばらく掛かった。

「真面目な話――」
 放課後、大掃除の時間。女子は男子、男子は女子の目を盗んで、こそこそと内緒話に
花を咲かせていた。
「学校は許したとしても、スポンサーは許さないからね」
 白沼の言葉を理解するのに、純子は十数秒を要した。
「わ、分かってるって」
 手にしたモップの柄をぎゅっと握りしめる。同じくモップを持つ白沼は、柄の部分を
純子の持つそれに押し当て、ぐいぐい押してきた。
「信頼していいの、ねっ」
「いい、よっ」
 負けじと押し返して距離を取る。と、間に入ったのは淡島と結城。
「まあまあ、熱くならない。二人とも、らしくないよ」
「熱くもなるわ。もしものことを思うと」
 嘆息混じりに言った白沼の前に淡島が立つ。
「白沼さんたら、何も妊娠だけを言ってるのではありませんね? 多分、タレントのイ
メージを気にしてのことです。恋人がいるといないとじゃ大違い」
「そう、なの?」
 先に純子が反応を示す。白沼はもう一つため息をついた。
「そうよ。友達の内では公認でも、世間的にはまだなんだから、充分に注意してもらわ
なくちゃいけないの」
「それくらいなら、弁えている。これでも何年かプロをやってるんだから」
 純子は自信を持って返した。白沼は気圧されたみたいに、上体を少しだけ退いた。
「だからってことじゃないんだけれど、相羽君とは――」
 一旦言葉を切って、クラスの中に相羽を探す純子。窓ガラスを拭いていた。周りには
唐沢達もいて、お喋りが弾んでいるようだが、相羽自身はあまり口を開いていない。
「彼とは、まだなーんにもありません」
「……そう。よかった」
 白沼は、ばか負けしたみたいに肩をすくめた。が、少し経って、よい返しを思い付い
たとばかりににやりと笑むと、ちょっとだけボリュームを戻して言った。
「さっき、友達の内では公認とか言ったけれども、私はまだ隙あらば狙っているから。
何にもないと聞いたから、なおさらね」
「うわ、それはあんまりだよー、白沼さん。板挟み過ぎるっ」
 純子も調子を合わせ、芝居めかして応じると、じきに笑いが広がった。
 何事かと、他のグループから注目されたのに気付いて、すぐに引っ込めたけれども。
その落ち着いたところへ、今度は淡島が爆弾発言をしてくれた。
「これまでのところ何もないのでしたら、私の予想は大外れになります」
「えっと、何の話?」
「てっきり、今度の誕生日にでも捧げるものと推し量っていましたが、段階を踏まずに
いきなりはない――」
「! しないしない!」
 モップを放したその両手で、淡島の口の辺りを覆おうとした。淡島はそれ以上続ける
気は元からなかったらしく、すんなり大人しくなる。反面、モップが床に倒れた音が大
きく響いた。
「そういえば、相羽君の誕生日、近かったわね」
 白沼が意味ありげにモップを拾い、渡してくれた。受け取る純子に、質問を追加す
る。
「何をあげるつもりなのかしら」
「考えてるんだけど、決めかねてて」
 また声の音量を落として、相羽の方をこっそり見やる。いつの間にか唐沢と二人だけ
になっていた。
(探りを入れてみるつもりだったのに、聞けてないわ)
 神村先生のあの話のおかげで、プレゼントをどうしようと悩んでいたことが一時的に
飛んでしまった。
「悩む必要なんてないってば。何をあげたって喜ぶよ」
 請け合う結城に、純子はつられて「それはそうかもしれないけど」と答えた。すかさ
ず、「背負ってるわねえ」と白沼から指摘される始末。この辺で反撃、もしくは転換し
ておきたい。
「私のことは散々言ってきたから、飽きたでしょ。みんなはどうなの?」

            *             *


――つづく




元文書 #504 そばにいるだけで 66−1   寺嶋公香
 続き #506 そばにいるだけで 66−3   寺嶋公香
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