AWC 魔法医ウィングル:刻印と移り香(前)   永山


        
#502/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  17/07/29  22:57  (430)
魔法医ウィングル:刻印と移り香(前)   永山
★内容
 大粒の雨が降りしきる曇天を、下から赤く照らす一角があった。森林火災だと気付く
のに、差して時間は要さなかった。恐らく、雷が落ちて火が出たのだ。
「あっちの方角って確か……」
「ああ。ホブマンの家だ。二代目がいるはずだが」
 農場を一人でやっていたアーン・ホブマンが老衰で亡くなり、継ぎ手がいなくなると
ころを、戻って来たのが息子のオーレイ・ホブマンだった。オーレイは妹のジーンと香
水の製造会社を起ち上げて、当初は大いに売り上げを伸ばした。オーレイは、特定の相
手に短い声のメッセージを時間差で届ける伝言魔法が使えるのだが、これを活かして、
相手へのメッセージ付きで香水をプレゼントするという売り出し方が当たったのだ。だ
が、徐々に飽きられ、競争相手が増えるにつれて苦戦。結局、後発の同業者に会社を売
却して出身地に戻ったという次第だ。
 なお、妹のジーン・ホブマンは、匂い別に一度に複数の液体を分離できる魔法の持ち
主であり、その能力を活かし、調香師として会社に残ったとのことだ。
「できる範囲で畑を耕しとったが、持久力がてんでだめで、わしらが教えていても、隙
あらば休もうとするくらいだ。こんな天気で、外には出ておるまい」
 とは言え、山火事を放って置く訳にはいかない。田舎町故、残念ながら魔法消火隊は
整備されていない。だから消火自体は大部分が雨任せになるとしても、延焼を防ぐ必要
がある。若い者三名が、先行して斧を携え、馬で行くことになった。
 足元の悪い中、十分ほどで到着した三人は、しかし鎮火活動どころではない事態を突
きつけられることになる。牛及び馬の足跡が。今まさに燃えさかる森へと伸びていたの
だ。
「まさか、オーレイは逃げ出した牛を追って、森の中に入ったんじゃあ……」
 そんな悪い想像が脳裏をよぎる。オーレイの農場へ急ぐと、確かに牛一頭に馬一頭が
いなくなっていた。そこへ加えて、さらによくない物を見付ける。
「何だこの赤いのは」
「……血?」
 地面の所々に、血液らしき赤い液体があった。散っていたり、線を引いたりと、様々
な形状があるが、それも雨で滲んでいく。
「オーレイの血とは限らないが、嫌な予感がする」
「足跡の具合から判断すりゃ、まだ大して時間は経ってないはずだ。追い掛ければ間に
合うかもしれない」
 そう言った当人が足跡を追い、残る二人が延焼を食い止めるべく、木々を斬り倒す役
を担うことになった。
「気を付けろよ!」
 互いに声を掛け合ってから、別行動を取り始めた。

            *            *

 ウォーレン・ウィングルはヨーゼ・テミばあさんを送り出し、ドアが閉まるのを待っ
てから思わず苦笑を漏らした。
(ほんと、定期的に診る必要のないくらい健康そのものだ。ここに来るのは、きっと暇
潰しなんだろうけれど、まあよいことだ)
 午後の診療時間が終わった。念のため、看護婦のニッキー・フェイドに、待合室に誰
も残っていないことを確かめてもらう。それが済めば、お茶の時間だ。
「ウィングル先生。患者さんはもう見えませんけれど、スペンサー刑事が」
「え? まさか捜査で怪我を負ったとかじゃないだろうね」
「ですから、患者さんじゃありませんてば」
「となると、また例の」
「多分」
 ともに苦笑いを浮かべ、診察室の戸口方向を見やる。すでに開け放たれたドアから、
刑事のセオドア・スペンサーが姿を現した。年齢はウィングルより二十近く上のはずだ
が、髪は黒々として、肌の色つやもよい。骨の太さを感じさせる、がっしりとした体躯
の持ち主だ。この分なら、まだまだ刑事をやっていけるだろう。
「やあ、先生、お元気そうで。フェイド君も。お時間、よろしいですかな」
「かまいません。どうしました?」
 椅子を勧めながら尋ねる。フェイドはお茶を入れに給湯室に立った。もちろん、三杯
分。
「皆まで言わせんでくださいよ。難事件を持って来たんでさあ」
「やっぱり」
「お好きでしょ? それとも、何か本業の方で研究課題を抱えているとか?」
「いえ、それはありません」
 ウィングルは個人開業の魔法医だ。国全体を見渡せば、魔法を使える医者自体は特
段、珍しくない。ただ、この片田舎では重宝される。ごく稀に、研修名目でワウブリン
などよその大都市に出ることはあるが、最新技術等の情報収集が主目的。最先端を行く
ような研究行為そのものとは、ほとんど無縁である。
「じゃあ、決まりだ。話を聞いてもらいますよ」
 患者用の椅子を前後逆向きにした刑事は、どっかと腰掛けた。背もたれを抱くような
格好だ。ウィングルはメモを用意した。
「どうぞ」
「えー、亡くなったのは、ロドニー・アルセ。ご存知ですかな、念画家をやっとったん
ですが、四ヶ月ほど前に行方不明になっていた」
 念画家とは、念写の力で絵を描く職業のこと。芸術性はあまりなく、実物をそっくり
そのまま写し取るのが売りで、人物画を希望する客が多い。
「ええ。何度か会ったことがあります。一度は念画を撮ってもらいましたよ。この土地
に来て間もない頃、記念にやってもらったんです。フェイド君と一緒にね。推理小説好
きで話が合ったし、気のいい若者だったが、亡くなったとは。姿を見ないのはてっき
り、旅行に出たのかと」
 そこへフェイドが戻り、お茶を配る。会話はしっかり聞こえていたらしく、「ロド
ニー・アルセさんが亡くなったんですの?」と関心ありげに尋ねてくる。スペンサー刑
事がもう一度同じ話をしてから、続きに入った。
「――で、アルセに限った話じゃないんですが、今のご時世、念画家は商売の先行きに
不安を覚えているのが当たり前でして」
「ああ、写真機の」
 ウィングルはすぐさま合点して、頷いた。
「そう。色つきで撮れる写真機が発明され、最初、高嶺の花だった内はまだよかった
が、比較的安価な物が普及しつつある」
「しかし、まだ個人が持つには至っていないでしょう。だいたい、ここいらで写真機を
所有している人なんていないし」
「いや、それが今度、レロイ・マクガートが予約を入れたそうで」
 レロイ・マクガートは、豊かな森林を抱える山を所有する材木業者だ。商売は大いに
繁盛しており、地域で一、二を争う富豪と言えるだろう。
「あの人が写真機なんて必要なのかな」
 答は期待せず、感じたままの疑問を口にするウィングルへ、スペンサー刑事は意外な
ほど早く応じた。
「元々、絵が趣味で写真にも興味はあったようだ。それよりも、森林に勝手に入る輩を
写真に収めてやると息巻いていたよ。どうやって自動的に撮すのかは知らんが」
 森林に無断侵入して、獣を狩ったり、木々を持って行ったりする連中がたまにいると
聞く。マクガートは複数の町村に跨がって山を所有しており、広大なだけになかなか捕
まらないし、魔法を使っての警備も功を奏していないらしい。
「小さな山一つだけでも、周囲をぐるっと警備できる魔法を身に付けた人物を雇うとな
ると、それなりに金が掛かろうってもんです。それに比べりゃ、写真機は安いかもしれ
ないが。――脱線しましたな、今は事件の話だ。そんな訳で、アルセが姿を見せなくな
ったのは、仕事の先行きに不安を感じて、別の職を探しに都会へ出たのではないかと思
われておったんですが……一週間前、トーテン山麓の原っぱの茂みで、白骨化がかなり
進んだ状態で死んでいるのが見付かりました」
「ああ、あの遺体がアルセだったんですか。どういう経緯で遺体が見付かり、アルセだ
と分かったんでしょう?」
「順序が逆になるが、身元が判明したのは簡単です。衣服が見覚えのある物だったし、
財布や時計が残っていましたからね。見付けたのは、さっき話に出たマクガートのとこ
ろの若者、えっとドロン・バスと言ったかな。マクガートに新たに買う山林の物色を命
じられて、調べていたらしい。沼を迂回し、野原を突っ切って山林に入ろうとしたら、
その前に見付けたと」
「なるほど。アルセに身内は? 独り暮らしだとは聞いた覚えがありますが」
「両親は何年も前に他界していて、他に身寄りはいなかったようです。そのせいもあっ
て、捜索願が出されていなかった訳でして」
 スペンサーは、警察として動きようがなかったんだと言いたげに首を左右に振った。
「死因は?」
「細目の荒縄が首に巻き付いたままでした。窒息死で間違いないとのことです」
「……先程から他殺と言い切らないようですが、何か理由でも?」
「ん、まあ、他殺に違いないとは思う。が、色々な場合があり得ますから。過去に、ウ
ィングル先生に解いてもらった事件にもね、ほら」
 得心の行ったウィングルは、黙って頷いた。スペンサー刑事は、殺人事件の話に戻っ
た。いちいち質疑応答の形を取らなくて済むよう、一気に喋る。
「凶器と思しき荒縄は、長さは一メートル強で、この地域ならどこにでもありそうな代
物でした。それこそ、道端にでも落ちていそうな。分析に回したが、乾いた泥にまみれ
ていて、犯人につながるような特段の痕跡は見当たらなかった。あと、死亡推定時刻は
死後四ヶ月前後とのことだから、行方不明になるのとほぼ同時期に殺されたのかもしれ
ない。ああ、地面からは失禁の跡がどうにか検出できましたよ。分析をして、アルセの
物と考えてもおかしくない一致を見た。これにより、遺体発見現場が犯行現場でもある
と断定されたんです」
「一応伺いますが、現場や遺体に魔法痕は?」
 犯行現場に限らず、魔法を使うと痕跡が残る。それは波紋のようなものだが、目に見
える訳ではなく、他の感覚で感知できるものでもない。警察が開発し、捜査に導入して
いる特殊な装置によってのみ、魔法痕は感知可能なのである。
 通常、魔法が使われてからおよそ三ヶ月以内であれば、使われた魔法の種類まで特定
できる。早ければ早いほど強く出て、数時間以内なら魔法痕から、魔法を使った者の個
体識別すら可能なことがある。今回は三ヶ月以上過ぎているのは確からしいから、得ら
れる情報は比較的少ない。
 参考までに――こんな世界だと、特に大都会ではそこいら中が魔法痕だらけになり、
犯罪捜査の妨げになりそうだが、実際にはそうはならない。魔法痕には強弱があって、
およそではあるが使われた時期が分かる。犯行があったと推定される時期との重なり具
合から、関係の有無を識別するのだ。
「あるにはありましたが、月日が経過しており、魔法の使用者はおろか、どんな魔法が
使われたのかすら分からない」
「回数はどうです?」
「あっと、先に遺体の方を言いますと、一回。でも、遺体に特徴的かつ不可解な傷があ
る訳じゃなし、何の魔法だかさっぱり。日常生活を送る上で、使ってもらった魔法かも
しれませんしねえ」
「いつものことながら、判断は難しいです」
「現場も一回でしたが、こちらは被害者が行使したと考えるのが道理だ」
「というと……ああ、念写の能力を持っている人は、簡単な文字や模様ならほぼ瞬時に
できるから」
「そう、何らかの形で残すに違いないんです、犯人の手掛かりを。そして一番確実なの
は、犯人自身の顔など目立つ箇所に念写してやること。これ、警察が口を酸っぱくして
言ってますから、きっと、アルセも同じことをしたと思うんですが」
 アルセは推理小説好きでもあったから、ダイイングメッセージを残す可能性は一般の
者よりも高いだろう。
「歯切れが悪くなりましたね、スペンサー刑事。わざわざ相談に来られたのは、ひょっ
とすると、顔に何かを念写されたような有力な容疑者がどこにも見当たらないと?」
「さような有様でして。訳が分からん。念写できるのなら、犯人の名前を知らなくてい
いんですからねえ。アルセは、犯人の顔かどこかに、自分の名前でも何でも大きく念写
してやるだけでいい。なのに、そんな奴を見掛けたという情報は、村の中にも外にもな
い」
「念画家をやるくらいだから、アルセの念写能力は、相当強力なんでしょうね」
「無論です。簡単に改変できてしまったら、念画の意味がない。他の何らかの魔法で、
念画を書き直したり、剥がしたりは無理。上書きも受け付けない。消せるのは念画家本
人のみ。念画家本人が死んでも、念画は残るというくらいです」
「使用制限があったのでは? 一日に念画できる回数がたとえば十で、殺害された日は
襲われるまでに使い切っていて、犯人に印を付けられなかった、という」
「残念ですが、外れです。被害者は念画家をやるだけあって、一日当たりの上限数は1
45もありました。お客がそんなに来たという記録はないし、他に念画の回数を150
近くも無駄遣いさせる方法はないと思えるんで、今の先生の説は却下です」
「確認ですが、アルセが念画を作ろうとして、完成するまでの時間はどれぐらいでした
っけ?」
「商売用、つまり精密な絵で十分程度。だが、犯人に印を付けるのに、精密も何もない
でしょう。そもそも、絵である必要がない。さっきも言った通り、目立つところにアル
セ自身の名前や、罪を告発する言葉を文字で付けてやれば、犯人は表を歩けなくなる。
文字なら十秒もあれば充分だったはず。サイン代わりに書いているのを、目の当たりに
したことがありますから確かですよ」
「十秒なら、犯人も逃げ切れないか……。あ、でも、面と向かった状態でなければ、印
の付きが悪くなるなんてことは?」
「精密な絵なら、紙なり何なりにじっと正対する必要があったみたいですが、字ならそ
んなことはないようですよ。よその町の念画家にも問い合わせたんで、間違いありませ
ん」
「つまり、文字を残すのであれば、書き付けたい対象を一瞬でも見さえすれば、あとは
十秒で書けるって訳ですか。窒息死なんだから、即死じゃないでしょうし。あ! 襲わ
れた時点で、アルセは視界を奪われていたとすればどうなります?」
 ウィングルのこの質問には、スペンサー刑事も口を丸く開いたまま、返答に窮した。
「ほほう。そういう線がありましたな。相手を視界に捉えられなかった場合、念画家は
印を付けられるのかどうか。これはまだ聞いてません。調べさせます」
 腰を浮かせたスペンサーは、残っていたお茶を飲み干すと、フェイドに礼を言った。
それから改めてウィングルに聞く。
「先生、他に何か思い付きませんか? 思い付かないようだったら、早く手配したいん
でお暇しますが」
「うーん、恐らくすぐには何も浮かばないと思います」
 苦笑交じりにウィングルが答えると、スペンサーはこちらの方の礼はそこそこに、慌
ただしく駆け出していった。
「やれやれ。真相究明には近付いていない気もするが、可能性を潰すのは必要不可欠な
手順だろうから仕方がないか」
 窓の外に刑事を見送りつつ、ウィングルはフェイドにお茶のお代わりを所望した。

 次にスペンサーが訪ねてきたのは、三日後のことだった。その日は休診日だったた
め、朝から時間的な余裕はあったものの、休みを邪魔される形になったウィングルは
少々不機嫌になっていた。
「すみません、休みのところを朝っぱらから押し掛けて。でも、劇的な進展というか、
驚くべき展開というか、とにかく大きな変化があったので、一刻も早くお耳に入れたい
と」
「かまいませんよ。早く本題に入ってもらえた方がありがたい」
 病院が休みの日は、当然、フェイドがいない。スペンサーを客間に招き入れると、ウ
ィングル自身はお茶を出すことなく、ソファに収まり、向き合った。
「順を追って話しますと、先日、先生が示唆した事柄から」
「念画家は視界を奪われていても、念画ができるかどうか、ですね?」
「ええ。個人の持つ能力にも因るが、事前に相手を目撃したのであれば、そのイメージ
だけで対象物とすることは可能だというのが、他の念画家からの解答でした。複数名に
当たったので、間違いのない話なんでしょう。一応気になるのは、アルセがそれだけの
能力を持っていたかですが、これも周囲の者の証言により、持っていたと見なせます」
「結局、相手を見ながらでなくても、その相手に印を付けることはできたという訳です
か。なかなか問題解決とはなりませんねえ」
「それは残念だったんですが、さらに大変な事態になってましてね。どうも、アルセ殺
しに関連して、新たな殺人が起きてしまったかもしれんのです」
「新たな? この三日で新しく起きた殺人事件……ありましたか?」
「公には事故としての発表しかしてません。だからこのあとする話は、くれぐれも他言
無用に願いますよ」
 ウィングルはしっかりと頷いた。同時に、刑事はフェイド不在を見越して、休みの日
に敢えて押し掛けてきたのではないかと感じた。
「その遺体が見つかったのは、先生にこの前話をした日の夜遅くのことでさあ。ラタン
湖で夜釣りをしていた男が」
「ちょっと待ってください。湖で夜釣りですか? よそは知りませんが、ラタン湖にわ
ざわざ夜釣りをせねばならぬような魚が、棲息していましたっけ?」
「当人の言い分をそのまま採用し、説明したんですがね。実際は、どうやら禁猟指定さ
れている野鳥を狙っていたようです。釣り道具を用意し、釣り人らしい格好もしていた
が、餌を持っていなかったし、網も魚用にしては不自然な大きさでしたしね。まあ、そ
の辺は別件です。自称釣り人は充分に注意して静かに振る舞っていたようだが、湖の岸
辺に漂着した首無し死体を見付け、みっともないくらいに悲鳴を上げた。それを夜回り
中の警官が聞きつけたって次第です」
「頭部のない死体ですか。身元は分かったのですか」
「まだです。行方不明者を洗ってる段階で。でも、関係ありそうじゃないですか。アル
セを殺害したはいいが、念画によって顔に印を付けられた犯人は、共犯の仲間に始末さ
れたんじゃないですかね。このまま活かしておけば、仲間全体に捜査の手が及ぶと判断
し、弱点となるアルセ殺害犯を処分した。頭部を切断して持ち去ったのは、身元を隠す
のと、アルセ殺しの証拠を隠滅するため」
「えっと、待ってくださいよ。とりあえず、死亡推定時期は? あなたの説だと、アル
セが殺されて数日以内に犯人も始末されたと見なすべきですよね」
「ええ。同時期に殺されたという結果が出ました。重石を付けて湖に放り込んだのが、
月日が経って浮かび上がったものと睨んでおります」
「それだけですか、アルセの事件と結び付ける理由は」
「いえいえ。今のは理由と言うより、推理ですよ。そもそものきっかけは、首無し死体
の身につけていた上着の内ポケットから、アルセの店のチラシが出て来たことです」
 いつの間にか得意げな表情になっていたスペンサーだったが、ウィングルが難しそう
に唸るのを前にして、自信がしぼんできたようだ。「先生は反対ですか?」と眉根を下
げて聞いてくる。
「いや、明白に反対する訳ではありませんが、鵜呑みにするのはどうでしょう。身元が
まだ判明していないということは、死体は身元を示す物を一切身に付けていなかったん
でしょう。なのに、アルセの店のチラシが出て来るのは、作為を感じなくもないです」
「あ、そういう理屈でしたか。なるほど。しかし、先生の考えだと、男を殺した犯人
は、チラシをわざと入れておいた、あるいは残しておいたことになる。その狙いは何な
のか……」
「単に首無し死体の男はアルセの客で、チラシを持っていた。殺害犯はチラシに気付い
たが関係ないと見なし、そのままにしたという可能性もありますが、とりあえず棚上げ
ですね。同じ時期に、店の主人と客が相次いで不審死を遂げたのなら、関連を疑うべき
です」
「それじゃあ、やはりアルセ殺しの犯人が絡んでくると?」
「分かりません。たとえば、アルセ殺害に関与はしていないが、アルセの死を早い時点
で知った者がいるとします。その人物はこう考えた。『今、憎い奴を殺して首無し死体
として放り出せば、アルセ殺害犯と見なされるのではないか。アルセの店のチラシを入
れておけば、アルセとつながりがあったように見せ掛けられる』と」
「可能性は低そうですが、一応の筋は通っているように聞こえた……かな? アルセが
死んだことを早い内から知っていたという点が気に食いませんが」
「うん、そうですね。強力な理屈がなくても、ここは蓋然性の高い方を選んでよいと思
う。アルセを殺害した人物が、首無し死体の正体であると考えるのが自然だ」
「よかった」
「でも」
「でも?」
「もう一つ、留意しておいた方がよさそうな仮説があるのです」
「遠慮せず、勿体ぶらず、教えてください。そのために来たんですから」
「アルセ殺害犯が、二件目の殺人でも犯人であるという可能性です」
「ええ? そいつはいけませんや。いくらウィングル先生の話でも、だめなものはだ
め」
 スペンサーはソファの左右の肘掛けに両腕を突っ張らせ、前のめり気味になった。そ
の姿勢のまま、熱弁を続ける。
「いいですか? アルセは犯人の目立つところ、外からよく見える部分に、犯行の印と
なる何らかの文字を大きく念画した可能性が非常に高い。ここはお認めですよね?」
「無論です。そここそが大前提ですから」
「だったら自明でしょう。犯人はその印を隠そうとしても隠せない。家に籠もりきりで
暮らしていくしかなくなる。そんな犯人が、首無し死体を作り出しても、何の得にもな
らないじゃないですか。そりゃまあ、恨みのある相手を殺したのなら気は晴れるかもし
れんが、首無し死体をアルセ殺しの身代わりに仕立てるという目的は、中途半端に終わ
る。犯人自身の印が消えない限りね」
「スペンサー刑事、あなたが今言った状況を成立させる場合があるとは思いませんか
?」
「はあ? それがないから、さっきの結論――アルセ殺しの実行犯が、首無し殺人の被
害者でもあるという推測を打ち出したんじゃないんですか」
「可能性の一つだと思っています。あくまでも、可能性の一つに過ぎない。ただ、それ
を話す前に、肝心なことをまだ聞いていないので……」
「何でしょう?」
「首無し死体の事件についての、魔法痕の有無です」
「ああっ、そうでしたな。忘れておりました。時間はだいぶ経過しているが、死体その
ものに魔法痕の形跡はなかったと報告が上がっ……あれ、おかしいな」
 答える内に、矛盾に気が付いた様子のスペンサー。頭をかきむしった。
「アルセ殺しの犯人なら、魔法痕が残っていないのは辻褄が合わない。いや、念画によ
って印を付けられた頭部が、切断されたなら、魔法痕が検出されないことも……」
「魔法を使われた部分を分離すれば、残りからは検出されないんですか?」
「あ、いや、そのような実験が行われたことは、まだないはずです」
「でしたら、すぐにでも実験すべきですよ。動物実験にせざるを得ないでしょうが、人
と獣とで大差が生じるとは考えにくい」
「仰る通りだ。とりあえず、そういう実験をできる限り早くやるよう、要望を出してお
くとしましょう。即実現て訳にはいかんでしょうが、早いに越したことはない」

 スペンサーが実験の実施を要望する電話を終えて椅子に戻るや、ウィングルは忘れな
い内にと質問を繰り出した。
「先程の続きになりますが、首無し死体が見付かった場所の方は、魔法痕はありました
か? 魔法の種類によっては、ラタン湖全域を調査するべきかもしれませんが」
「遺体発見の岸辺一帯を検査しただけですが、何にも出ませんでした。もちろん、水中
も調べましたが、結果は右に同じで。首無し事件の殺人犯は、魔法を使えない人物かも
しれませんな」
「それは早計というものでしょう」
「分かっとります。自分の軽率さに、ちょいと嫌気が差した。そのせいで出た冗談に過
ぎません」
「私の推理が的外れかもしれないのだし、失敗をしたと感じたのであれば、それを次に
活かすことを考え、実行することこそが大切ではありませんか」
「まあ、そうなんですがね。もっと深く物事を考えようとすれば、がくんと無口になっ
ちまう」
 まだ冗談めかして言ったスペンサーは、何か不意に思い付いたように右手の人差し指
を立てた。
「犯人は頭部をどうしたんでしょうな。そこに印があろうとなかろうと、隠し続ける必
要がある訳でしょう?」
「なるほど。被害者の身元がばれたら、犯人自身との結び付きから容疑を掛けられる。
どの説を採ろうとも、そこは変わりませんね。でも、その先は想像するしかないでしょ
う。魔法で隠す場合を考え始めたら、きりがない」
「ですな。容疑者を特定できたとき、有力な証拠になるかもしれないが、魔法で消滅で
もさせられていたら、お手上げだ」
「いや、さすがに、物体を消滅させるような魔法が使えるのなら、死体全てを消すでし
ょう」
 苦笑交じりにウィングルが指摘すると、スペンサーは案外、落ち込むことなく、むし
ろ表情を明るくした。
「ならば、まだ希望の光はある訳だ。物証として頭部が見付かる可能性の光が」
「一市民として、そう願いたいです。警察も最近は富みに大変なのではありませんか?
 四ヶ月程前というともう一つ、大きな事件が起きていたじゃないですか」
「……ああ、ホブマン農場の。事件だか事故だか未だ判然としちゃいませんが、捜査は
続いとりますよ。不審な死であるのは間違いないですから」
 落雷による山火事発生を受けて町の有志らが消火に駆け付けたが、その内の数名によ
り、オーレイ・ホブマンは発見された。激しく燃えた森の中で、遺体となって。倒れた
巨木に打たれ上、折悪しく、沼地から流れ出たと思しきメタンガスが原因の爆発が重な
り、オーレイの身体はかなり損傷していたが、人定が不可能というほどではなかった。
「自分は担当じゃないので、聞いただけですが、オーレイは特に右腕が酷くやられてい
たらしい。解剖医と捜査に当たった刑事の話を合わせると、こんな見立てになるようで
す――」
 オーレイの右腕に縄がしっかり巻き付いていたことと、ホブマン農場から牛が一頭消
え、森の中で黒焦げの死体になっていたこと、さらに馬が一頭、厩舎を出入りした痕跡
があったこと。これらから、オーレイは牛が逃げ出したのを見て、慌てて馬に乗り、投
げ縄で捕らえようとした、あるいは捕らえるのに成功したかもしれないが、ともかく牛
を追って森に入った。そこへ火災が発生。火や雷鳴に驚いた馬に、オーレイは振り落と
される。馬は自力で厩舎に帰るが、オーレイは落ちたダメージか、はたまた牛に引き摺
られたかして、森林火災から避難できない。そこへ大きな木が落雷によって倒れ、飛び
出た枝がオーレイの右肩辺りを直撃し、肉体を分断。右腕は樹の油分のせいか激しく燃
え、さらに農場横にある沼から森林へと流れ出たメタンガスに引火、爆発が起きたため
に、右腕はばらばらに吹き飛んだ。オーレイ自身はその時点ではまだ息が合った可能性
が高いが、倒木の幹に押さえ付けられ、身動きが取れず、死を迎えた。
「――オーレイの遺体は、右腕ほどではないにしてもだいぶダメージを受けており、お
かげで、正確な死因が酸欠による窒息死なのか、焼死なのか特定できない有様だとか。
まあ、その両方というところでしょう」
 言葉を句切ると、スペンサーはウィングルの顔をじっと見た。ウィングルは興味をそ
そられたのを隠そうとしなかった。やや俯き加減になって、考えごとを新たに始めたの
は明白だった。
「どうせならホブマン農場の事件を持ち込んで欲しかった、とでも言いたげですなあ」
「いや、一介の医者が、事件の選り好みなんてとんでもない。ただ、関心を持ったのは
事実ですが。話を聞いた限り、事故と断定してよさそうですが、未だに捜査が続いてい
るのは何か理由でも?」
「農場の近くで、血痕が見つかってるんです。雨にいくらか流されたが、検査結果は、
オーレイの物とみて間違いないと出た。雨量から推測して、元はかなりの出血だったと
考えられるが、オーレイの遺体を調べても、そんな大きな傷は見当たらなかったと聞い
ています。ああ、無論、右腕は別ですが、農場近くってことは森に入り込む前の段階で
すから」
「吐血もしくは鼻血では?」
「その線は否定されています。鼻孔や気道、食道なんかは焼けずにどうにか残ってお
り、吐血や鼻血をやった痕跡はないと」
「……じゃあ、森で落馬し、さらに右腕を失ったときに、馬の身体に血が大量に飛び散
って、その後、戻った馬からオーレイの血が滴り落ちた……」
「それは無理がありますぜ、先生。オーレイを振り落とした時点で、馬は逃げ帰るんじ
ゃないですか? それに、馬に大量の血が降りかかったのなら、ちょっとくらい残って
るもんでしょう。我が同僚が見落としをしたと?」
「ううむ、そうだね」
「何らかの魔法が使われたんじゃないかという説も唱えられたんですよ。一時的に応援
に駆り出されたから、その辺の経緯はよく知っています。実は、オーレイの妹、ジー
ン・ホブマンは匂いによって液体を分離する魔法を使えるってことで、一応、嫌疑が掛
けられたんです」
「ほう。血液の匂いさえ分かれば、分離して、遺体と離れた位置に落とすことができる
という理屈ですか。何のためにそんなことをするのか分かりませんが……それで?」
「いやまあ、嫌疑はすぐに晴れました。アリバイがあったので。ジーンは調香師とし
て、首都ワウブリンの研究開発室にいたというアリバイがね。加えて、血痕やその周辺
からは、魔法痕が検出されなかったんです」
「何だ。拍子抜けですね」
「ジーンは仕事を放り出して、山火事の日の夜遅くにはこの町へ到着しました。自前の
会社を立ち行かなくさせた件で不平不満は抱いていたろうに、兄思いではあったみたい
ですな」
「会社?」
 ウィングルはホブマン兄妹の香水会社のことを知らなかった。スペンサー刑事は一通
り、説明してやった。
「――あと、言い忘れていましたが、ジーンの魔法は、分離するだけじゃなく、分離後
に元へ戻すこともできるそうです。この場合、分離と戻すのとでワンセット、一回の魔
法に数えるとか」
「ふうん、面白い能力ですね、ジーンにしてもオーレイにしても。オーレイの魔法は、
距離の制限はないんでしょうか」
「どうだったかな? 距離というか、香水の瓶なり箱なりに購入者の声を付けて、贈る
相手が受け取ったときに、頭の中で声が流れるって具合らしいですが」
「距離は関係なく、声を付けた物に触れなければ聞こえない……」
「確かそうです。あ、でも、身内は例外だったんだ」
「身内というと、両親や兄弟姉妹ですか?」
「ええ。三親等以内の血縁者には、どんなに離れていようとも、即座に声を伝えること
ができたと聞きました。尤も、該当するのは両親と妹だけでしたから、あんまり使い勝
手がいいとは思えませんや。せいぜい、都会暮らしをしている間、郷里の父母に無事を
知らせるくらいで。それとて、返事がもらえる訳でなし――ウィングル先生?」
「あ、空想にふけってしまいました」
「空想って呼ぶには、えらく難しい顔をしてましたが」
「スペンサー刑事。念のための質問になりますが、オーレイ・ホブマンとロドニー・ア
ルセとの間に、親交はなかったでしょうか?」
 唐突に、二つの案件の被害者を並べられ、スペンサーは思わず「はあ?」と聞き返し
た。
「親交じゃなくても、単なる店と客としてのやり取りでもかまいません。何かあったん
だとすれば、一応、調べるべきかもしれない」
「言わんとすることが飲み込めん。第一、その質問に答えられるだけの情報が、今の自
分にはありませんよ」
「アルセの店の売り上げ関連の書類は見たんでしょう? そこにオーレイかジーン、ホ
ブマン家の名前がありませんでした?」
「生憎と、記憶にありませんなぁ。推理でも空想でもいいから、二人の名前を結び付け
ようと思った理由を教えてください。そうしたら、警察も動きようがありますから」
 スペンサーの真っ当な要望に、ウィングルは少々考えてから、首を縦に振った。
「右腕と尿、です」

――続く




 続き #503 魔法医ウィングル:刻印と移り香(後)   永山
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