AWC 偽お題>書き出し指定>告四(前)   永山


        
#498/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  17/04/24  20:27  (368)
偽お題>書き出し指定>告四(前)   永山
★内容
 僕は告白したあと、その日が四月一日だと気付いた。あとになって気付いても、もう
遅かった。
 勇気をありったけ振り絞って告白したのに、目の前に立つおねえさんは真面目に受け
取らず、てんで相手にしてくれなかった。
「ははーん。綿貫君、それってエイプリルフールだよね?」
 こう言われて、僕はただただ動揺しただけなのに、恐らくおねえさんには「嘘がばれ
た、しまった」という顔に見えたに違いない。
「ち、ちが」
「だめだよ、大人をからかっちゃあ。こんなことして許されるのは、子供のときだけだ
からね。小学五年、いや、今日からは六年生か。小六って結構微妙だよ。私だからよか
ったようなものの、他の人相手だったら叱られてる。それどころか、ぶっ飛ばされてい
たかもしれないよ」
 文字通り、小さな子に言い聞かせる口ぶりで、おねえさん――正田義子おねえさんは
僕の頭に手をのっけた。そして僕の髪をくしゃくしゃにする勢いで撫でながら、続け
た。
「遊びたい年頃なのは分かるよぉ。だけど、私もこうしてお仕事があるからね。次のお
休みの日まで待ってて、いい子だから」
 僕はそれでも、告白を続けようとしたんだ。でもそのとき、おねえさんにはお客さん
が来て、そちらの応対が始まってしまった。こうなるともうだめだ。終わるまで、他の
ことには関心を向けない。経験で分かっている。
 僕はあきらめ、その日は家に帰った。休みの日まで待つつもりはなかった(そもそ
も、休みの日では意味がないのだ)ので、翌日にでも出直そうと思っていた。
 ところが、そうするには行かなくなる事情が、夜の内に起きてしまったのだ。それは
一本の電話から始まった。僕は携帯電話の音に起こされた。時間は、0時を回ったとこ
ろ。つまり、日付が変わったばかりのタイミングだった。
「誰?」
 寝床から気持ち上半身を出して携帯電話を握りしめ、ディスプレイを見たが、そこに
は数字が表示されていた。名前が出ていないということは、登録されていない人からの
電話だ。拒否設定は非通知のみ。基本的に、こういう電話にはなるべく親に先に出ても
らうのだけれど、夜中だったし、ベッドから出るのが面倒だったのもある。四月に入っ
たばかりで、夜はまだ冷える。
 一応迷ったのだが、僕は電話に出た。
「もしもし、どなたですか」
 不機嫌な調子になってしまった声で誰何すると、相手は「綿貫君?」と聞いてきた。
それが女の声だったから、驚いた。
「綿貫一郎ですが……」
 再度、どなたですかと問う前に、答が返って来た。
「夜遅くにごめんなさい。同じクラスの吉原です」
「よ、吉原さん?」
 思わずどもった。クラスの女子から電話なんて初めてだし、しかもこんな時間に掛け
てくるなんて何事だ? 一瞬、思い浮かんだのは、僕と親しい男子の身の上に何かとて
つもない不幸が降りかかり、そのことを知らせる役が吉原さんになったのではないかと
いう流れ。吉原さんはクラス委員長なのだ。
 けど、それにしては、口調が明るい。おかしい。いいことが起きたからってこんな時
間に電話連絡があるはずないし、一体何なんだろう。
「今、話をしてもかまわない? 時間ある?」
「うん」
 彼女は、明らかにひそひそ声だった。僕は同じように声の音量を絞り、低めた。
「こんな時間に、本当にごめんね。寝てた?」
「寝てた」
「わ、私はいつもは眠ってるんだけれど、今日は眠れなくて。日付が変わるのを待って
いたから」
「日付って、四月二日になるのを待ってたってこと?」
 誰かの誕生日なのかなと、漠然と考えた。心当たりはないけれども。
「そう。昨日だと、嘘だと思われる可能性があるもの」
「……あのさ、そろそろ話してよ」
「じゃ、じゃあ言う。大きな声を出さないで聞いてよ」
「? うん、分かった」
「――綿貫君。私とお付き合いしてください」
 滅茶苦茶早口で言われた。でも、ちゃんと鮮明に聞き取れた。
 僕は電話を持つ手が震えるのが分かった。かさかさ音を立てて、みっともない。左手
を右手で押さえて、それでも止まらないので、右手に携帯電話を持ち替えた。
「……あの……だめ?」
 吉原さんの不安な響きの声。僕は黙ったまま、首を横に振った。それでは伝わらない
と気が付いて、遅ればせながら口を動かす。
「だめじゃないよ! ぜひぜひ」
 みっともない返事になったが、誰も僕を責められないだろう。吉原さんは僕が一番好
きな女子であり、クラスの男子全体からの人気も高い。
 瞬時にして有頂天になった僕は、ありとあらゆる嫌なこと面倒ごとを忘れ、それらか
ら逃れようと決意を固めた。
 だから僕は、出直そうと思っていたおねえさんへの告白も、やめることにした。

 ――大人になるのを目前に控えた今になっても、当時のこの判断が正しかったのかど
うか、僕は非常に迷う。本来、二股に掛けるべくもない、全く異なる物事を天秤の左右
の皿それぞれに載せたのだ。揺れは収まらず、いつまで経っても結果が出ない。
 尤も、現状を思うと、正解を選んだと言える。僕は希望する大学に入り、充実した
日々を送れている。吉原との付き合いは今も続いている上に、同じ大学の同じ学部に入
ったという相性のよさを誇る。将来、一緒になるかもしれない。可能性は高い。
 小学六年生のあのときもし、おねえさんに告白していたら、現在の幸せはないことに
なる。断言できる。
 何故なら、僕はあのとき、人を殺してしまったことを、婦警である正田おねえさんに
打ち明けるつもりだったのだから。

 もちろん僕は殺人鬼ではない。殺したのは一人だけで、それも計画的な犯行ではな
く、多分、過剰防衛の類に入るんじゃないだろうか。
 告白しようと考えた日の前々日は、日曜日だった。僕は、町の中心部から見て小学校
とは反対側に位置する山にいた。正式名称か知らないが、松城山とみんな呼んでいた。
大きな山ではないが、学校からは遠くて、自転車でも一時間半はゆうに掛かったろう。
子供らがしょっちゅう足を運ぶような場所ではなく、わざわざ遊びに行きたくなるよう
な施設がある訳でもない。植物や昆虫採集の“聖地”として認識されているくらい。だ
から、僕が問題の日にあの山に行って、あれを目撃したのは何の必然性もない、偶然の
産物だった、はず。
 詳しいいきさつは忘れたが、あの日曜日は朝から、僕の家の近所に住む叔父に着いて
行って、車で出掛けた。叔父は松城山の近くの神社か何かに用があったんだと記憶して
いる。僕は麓で一人、遊んでいた。何故、着いてきたのかというと、用事のあと、映画
を見に行くから一緒に来ないかと誘われたんだった。
 はじめに聞いていたよりも遅くなりそうだと叔父に言われたのをきっかけに、僕は山
に踏み行ってみた。ほんの少しだけ登るつもりが、薄気味悪い沼や廃屋や蔦やらを見て
回る内に、意外と楽しくて、いつの間にか中腹まで来ていた。中腹には平らかでミニサ
ッカーができる程度のスペースがあり、そこからは町が一望できたのだが、僕の興味は
背後にある鬱蒼とした林に向いた。季節は秋を迎え、徐々に葉が色づき始めていた。足
元に落ち葉が溜まっていたが、それは去年までの物と思われ、腐葉土とほとんど変わり
がなかった。
 僕の目当ては、さっき目撃した沼や廃屋がまたないかということにあり、そういった
ちょっと不気味な雰囲気の物を探して、歩き回った。
 最初は見付からなかったが、少し奥まったところに、沼を発見した。規模から言え
ば、池と呼ぶのがふさわしいのかもしれなかったけど、緑色に濁ったような水面は、い
かにも沼といった風情に感じられた。
 その先は行き止まりだったので引き返す。途中、不意に人の声がした。僕は反射的に
身を木陰に隠した。足元に丸くて平べったいフリスビー大の石があって、ぐらついた
が、何とか堪える。
 人の声とがさがさという音のする方を覗くと、セーラー服姿の中学生か高校生が、大
人の男に後ろから掴まえられているのが見えた。男の腕は、片方が女生徒の口元を覆
い、もう片方は胴体をがっちり抱えていた。身長差がだいぶあるみたいだけど、男は膝
を曲げ気味にしているため、正確なところは分からない。と、見ている間に男が女生徒
を仰向けに引き倒し、馬乗りになる。よく見ると、口を押さえている手には、白い布が
あった。薬を嗅がそうとしているのだと推測できたのは、だいぶ後になってから。リア
ルタイムでは、目の前の出来事にただただ唖然として、息を殺していた。
 薬が効いたのか呼吸困難に陥ったのか、やがて女生徒が静かになり、ほとんど動かな
くなった。男は馬乗りのまま、女生徒の首に両手をやった。
 それを見た僕は、唐突に思い出した。当時、僕らの住む県南部では、連続殺人事件が
広範囲に起きていた。最初の殺人から三ヶ月ぐらい経っており、僕らの市内ではまだ起
きていなかったが、隣接する複数の都市でも二件、発生していたと思う。
 その犯人は一部マスコミから「ロガー」なる名前を与えられた。無差別に老人や女子
供、つまりは弱者ばかりを狙う卑劣な快楽殺人鬼と認識され。殺害手段は様々だった。
それまでに起きていた八件の中では、扼殺を含む絞殺が半数を占めており、あとは刺殺
と撲殺、溺死させる、墜死させる手口が一件ずつ。何故、同一犯の仕業とされたか? 
小学生の僕はその正確な理由まで把握していなかったが、後年になって知ったことと合
わせて説明するなら、前の被害者の持ち物を次の被害者の服に忍ばせる点と、偶数番目
の被害者の身体のどこかに白墨で丸い印を残す点が挙げられる。
 被害者同士の関係は、ほとんどなかった。唯一、最初の被害者と次の被害者とは、同
じ小学校に通ったことのある女子中学生だった。ただ、中学は別々で特に親交が続いて
いる様子はなく、小学校時代にしても三、四年生時にクラスが一度同じになっただけと
いう、頼りないものだった。
 話を戻す。
 僕は恐かった。すぐそこで女子生徒を襲っている男が、殺人鬼ロガーに違いないと思
い込んだ。冷静になって考えれば、そんな根拠はまるでないと分かる。裏を返せば、そ
のときの僕は冷静ではなかったし、現在よりもなお子供だった。
 僕は逃げることすらできず、気付かれないようにと息を潜めていた。そのつもりだっ
た。
 だけど次の瞬間、男が僕の方を一瞥した。そう思えた。僕は顔を引っ込め、木陰に全
身を隠した。そのとき足元がまたぐらついて、少し音を立てた。男に聞かれたかもしれ
ない。だが、恐怖からすぐにまた覗き見るなんて真似はできなかった。
 どのぐらいの時間が経ったか分からないが、多分、五分と過ぎていなかっただろう。
男が僕の方へやって来る気配はなく、女子生徒の悲鳴一つ聞こえず、ただただ男が何か
しているらしい物音だけがしていた。僕は思い切って、顔を再び覗かせた。さっきとは
反対側からにしたのは、子供じみた対応策だった。
 が、またもや男に見られた。目が合ったような気がしたのだ。
 もうだめだ! このままここにいたら、殺されるっ。かといって逃げ出せない。パニ
ック寸前だった。あの女の人が殺されたあとは、僕なんだ。
 そこからあとの行動は、自分でもよく記憶していない。結果から推測した僕の行動
は、足元のフリスビー状の石を取り上げると、なるべく足音を殺して、男の背後から近
付き、そして男の頭部を殴打したらしい。何度も、何度も。男が女生徒に意識を向けて
いる間に、不意を突くのが唯一の勝ち目だと思ったに違いない。ともかく、僕は無我夢
中で殴っていた。
 手応えがなくなるまで、続けていたように思う。気が付いたときには、僕は宙を石で
漕いでいた。男は俯せの姿勢のまま、真下に倒れ伏していた。地面に沈み込むかの如
く。
 不思議だったのは、女生徒の姿が消えていたことだ。最初は、男の身体の下敷きにな
って、見えないだけだと思ったが、違った。誰もいなかった。
 よく見ると、男の頭の先に、向こうへと地面を何かが這ったような擦った痕跡ができ
ていた。最前までなかったものだ。つまり、女生徒は僕が男を殴打している間に、意識
を取り戻して逃げたらしい。痕跡は二メートルほどで途切れている。そこからは立ち上
がり、一目散に走り去ったということか。
 と、冷静な風に描写しているけれども、これは今現在の僕が、状況を整理して書いた
からこそで、小学生の僕はここまで落ち着いてはいられなかった。
 まず男が動かないのを見て、次に返り血を浴びた自分自身を見た。死んだ、殺したと
直感し、その場を飛び退いた。女生徒がいないのも把握して、混乱しつつも血塗れでは
出歩けない、どこかで洗い流そうと考えた。思い出したのが沼だ。僕はがくがくと震え
る膝を何とか操って、沼の畔まで辿り着くと、波紋のできていた水面に両手を突っ込
み、じゃばじゃばと音を立てて、目に付く限りの血を洗い落とした。さらに顔も洗っ
た。水を鏡代わりに見てみようとしたが、濁ってしまって全然役立たなかった。念のた
め、上着のジャンパー脱いで見てみると、ぱっと見では分かりにくいが、細かな赤い
点々が前面に残っていると分かった。しょうがない。沼に落としたことにしよう。僕は
ジャンパーを丸ごと沼に漬け込んだ。
 叔父の存在を思い出したのはその直後。今日は映画は無理だ。沼に僕自身が落ちたこ
とにして、連れて帰ってもらおう。そこまで知恵を働かせると、尤もらしく見えるよ
う、慎重に自らの身体を部分的に濡らした。
 皮肉なことに、その途端、空から雨粒がぽつぽつと落ちてきて、じきに土砂降りにな
った。でも、これは好都合だ。男の周辺の血までもが、雨で洗い流されていく。

 それなりに人が往来する場所であるはずなのに、遺体発見のニュースはなかなか流れ
なかった。僕はまんじりともせずに翌日の三月最後の日を過ごし、夜を迎えた。
 そして、家族で二時間サスペンスを見ているとき、はっと気付かされた。画面では、
大人の男女がテントの中でセックスしていた。見ているこっちは、親子で気まずくなる
時間。けれども、僕は別の発見もあった。
 女の人が嫌がっていなくても、口では嫌と言う場合があることを、このドラマを見る
まで知らなかったのだ。
 途端に、恐ろしい考えが閃いてしまった。もしかすると、僕が木陰から目撃したあれ
は、男が女生徒を襲っていたのではなく、合意に基づいた性交渉だったのではないか。
だとしたら、僕は勘違いをして男の人を死なせたことになる。女生徒がいなくなったの
は、きっと、必死の形相の僕を見て、恐ろしくて逃げたのだ。
 殺人鬼をこの世から消したのなら、まだ救われる。それが全くの的外れで、勘違いか
ら人殺しになったのだとしたら、どうしようもない。最低だ。
 無口になった僕を、父と母はいつもの恥ずかしさから来るものだと思ったろう。僕は
それを受け入れ、そのままテレビのある部屋を出た。自分の部屋に入るとドアをしっか
り閉める。鍵が付いていないから、いきなり開けられないように、勉強机から椅子を持
って来て、ドアの前に置いた。これで少しは落ち着ける。深呼吸をし、どうすべきか真
剣にじっくり検討を重ねた。
 結果、通学路の途中にある交番勤務の制服警官、正田義子おねえさんに全てを打ち明
けようと決心したのだ。男が罪人であろうとなかろうと、小学生が背負い込むには重す
ぎる事態だったから。
 そもそも、冷静になって思い返すと、僕が目撃した一連のシーンが、全て演技だった
とはとても考えられない。外で演技する意味が理解できないからだ。特殊な状況で演技
したいのであれば、もっと人目に付かない場所を選ぶものでは? 松城山は観光地では
ないが地元の人が割とよく訪れるし、ましてや現場となったスペースは休憩するのには
ちょうどいい場所のように思う。本当に演技――つまり、映画か何かの撮影だとして
も、僕が石をふるった時点で関係者が飛び出してくるだろう。
 もちろん、反対のことも言えなくはない。あれが犯罪行為なら、犯人の男は何故、人
がいつ来るか分からないような場所で、女生徒を襲ったのか?と。ただ、この疑問は演
技説のそれよりは、遙かに納得しやすい説明が可能だ。犯人は我慢できなかった、もし
くは、犯人は被害者を押し倒したあと、茂みに引きずり込むつもりだった、という風
に。
 以上の考察から、僕は(小学生当時においても)、男は犯罪者であり、女生徒を襲っ
たのだと判断した。それにやはり、僕は間違いなく、男を殺したのだということも。
 そうして覚悟を決め、告白したのだが――相手にされなかった。エイプリルフールじ
ゃなくても、同じだったかもしれない。小学生が殺人を告白したって、簡単には信じて
もらえまい。それでも再度、日を改めて言おうと踏み止まった。なのに、まさかこんな
タイミングで、好きな子から告白されてるなんて。
 僕は決意を放り捨て、保身に転じることにした。
 そのためにまずやらねばらないのは、死体の隠蔽か、女生徒の発見か。僕はとりあえ
ず、ある予感もあって、現場に戻ってみることにした。犯罪者は現場に戻るという格
言?通りの行動になるけれども、他に選択肢がない。
 最初、叔父にまた乗せて行ってもらえないかと考えたが、そうそう都合よく行くはず
もなし。自力で、つまりは自転車で行くことにした。
 吉原さんとサイクリングならどんな長距離でも楽しい道のりなのだろうけれど、目的
が目的だけに、気が重い。足も重かった。松城山のすぐ近くまで来ると、警戒心が働い
て、一層のろのろしたスピードになった。もうすでに発見されていて警察が来ているん
じゃないかという恐れから、しばらく様子見のため、ぐるぐると周辺を何度か行き来し
た。が、異状は見られない。大人からすれば今日は平日、行楽に来る人もいないようだ
った。僕は自転車を適当な茂みに隠すと、思い切って現場に向かった。上り坂は所々き
つかったが、くだんのスペースには意外と早く到着した。人がいない今の内にと、気が
急いていたのかもしれない。
 僕は問題の現場を見渡せる位置に立つと、息を飲んだ。
 遺体が見当たらなかったのだ。

 あれは夢だったのか、なんて希望的観測に満ちた甘い夢は、小学生のときの僕だって
見やしない。
 頭の片隅で予感はしていたため、パニックに陥って叫び声を上げるなんて真似はせず
に済んだ。
 女子生徒が無事に逃げ出したのなら、ここに他殺体がある(少なくとも、流血沙汰が
あった)ことを認識しているのだから、警察に通報するはず。女子生徒が何らかの理由
で口をつぐんでいる可能性は低いと思うし、仮に口をつぐんだとしても、三日の間、他
の誰も現場を訪れないなんて、なさそうだ。
 なのに、現実には、丸三日が経過しても全くニュースに出ない。普通はあり得ない。
 そうなってくると、考えられるのは一つだけ。男の遺体が消えたのだ。
 かような分析に基づく“予感”通り、遺体は消えていた。凶器に使った平らな石すら
ない。
 僕はしかし、予感の的中を喜ぶよりも、新たな問題に実際に直面し、困惑していた。
死体が独りでに動くことはないのだから、誰かが動かしたに違いない。
 なお、男は実は死んでおらず、息を吹き返した後、去ったなどということはあり得な
い。僕が血を落とそうと奮闘し、十五分は経過していただろうけど、男の身体は微塵も
動いていなかった。確実に死んだのだ。
 では遺体を隠したのは誰か? 何が起きたかを知っている女生徒か。彼女にとって僕
は命の恩人だろうから、かばってくれるということはあり得る。警察が動いていないら
しいのも、辻褄が合う。
 これが正解だとして、女子中学生だか高校生だかが、大の男を移動させるには制限が
掛かる。単独ではほとんど動かせないはず。かといって、普通に考えるなら、知り合い
に協力を求められる状況でもない。
 僕は改めて広場を見回した。すぐに目がとまったのは、例の沼。あそこまでなら、女
生徒一人でも引きずっていけるのではないか。最後は足で蹴飛ばして、沼の底に沈めれ
ばよい。
 僕は沼の畔に立った。相変わらず濁っていて、底どころか水中がどうなっているのか
も分からない。
 遺体があるのならいつか浮き上がってくるだろうけれど、その頃には、色んな証拠は
流されて、人の記憶も曖昧になっていると期待できる……と、ここまで考えたものの、
だからといって楽観視できるものでもなし。せめて、本当に男の遺体が沈められている
のか、確かめたいと思った。
 無論、潜る訳に行かない。片膝をついてしゃがむと、水面に顔を近付ける。目を凝ら
すが、視界は変わらなかった。しょうがないので、手を入れて、少しかき分ける仕種を
してみたが、結果は同じ。いや、むしろ逆効果だったかもしれない。
 あきらめて手を引っ込めようとした瞬間、指先が何かに触れた。固くもなく柔らかく
もない。ゴムかプラスチックの感触に近い……?
 生き物だったら気持ち悪いなと思いつつ、もう一度同じ場所に右手を、恐る恐る入れ
た。さっきと違って、ゆっくりゆっくり水をのけるように手を動かす。すると、不意に
それは浮かんできた。
 ぷかりと浮かんだのは、黒っぽい色をした靴だった。サイズはそんなに大きくない。
僕ぐらいにちょうど合いそうな、でも女物らしく見えた。水に落ちてまだそう日が経っ
ていないのか、乾かせば使えそうな感じがする。
 と、突然、その靴に見覚えがあることに気付いた。飾り気のない、色も地味な、いか
にも学校指定の靴……もしや、これは。
「あの女子の?」
 思わず、呟いていた。
 まさか、あのときの女生徒は、男の身体の下から逃げ出したあと、行くべき方向を誤
って、沼に落ちたのか? 靴がそのままあるっていうことは、彼女自身、今も沈んだま
まなのか?
 背筋に戦慄が走った。全身が総毛立った気もする。
 がたがた震える自分を自分で抱きしめ、立ち上がろうとしたが、くずおれてしまっ
た。尻餅をついた格好で、しばらく動けなかった。口の中はからからだったが、唾を飲
み込んで、いくらか後ずさる。姿勢を立て直して、震えが収まるのを待つ。が、待ちき
れなくて、膝に意識的に力を入れてやっと立ち上がった。五秒ほど考え、靴は拾得する
ことにした。
 子供が行方不明になっても、誘拐事件である可能性を考慮して、すぐには報道されな
いケースは結構あるだろう。女生徒の場合もそれに当てはまっているのか。
 しかし、女生徒が沼で溺死したとすると、男の遺体を消したのは一体、誰なんだ?

 僕は自転車を目一杯漕いで、家を目指した。安全運転に努める余裕はほとんどなかっ
たが、どうにか無事に帰り着いた。それから帰路を行く間にずっと考えていたことを、
自分の部屋に籠もってまとめようと思った。
 それは、男の遺体を隠したのは、やはり女生徒だったのではないかという考えだ。詳
しく言うと、女生徒が男を遺棄する過程で、誤って自身も落ちてしまったという仮説。
ないとは言えない。
 ただ、何となく心理的になさそうな気がした。何故かというと――僕が放置した凶器
が、あの現場には見当たらなかった。凶器と遺体の両方を沼に沈めるとして、先にやる
のは遺体の方を選ぶんじゃないかと思う。凶器を先に始末したあと、万が一にも男が蘇
生したら、女生徒には武器がなくなるし。
 いくら考えても推論は推論でしかなく、結論は下せない。男もしくは女生徒の遺体が
浮かび上がり、警察によって沼が浚われるのを待つしかないようだった。でも、女生徒
には生きていて欲しい。だからこそ、靴を持ち去ったのだ。彼女が生きているなら、靴
は脱げ落ちただけということになる。現場に残しておくと、男の遺体が発見されたと
き、男を殺した犯人につながる手掛かりと見なされるだろう。
 僕はそのときが来るまでは、せめて忘れていようと、小学生最後の一年間をいかに充
実したものにするかに意識を向け、そして吉原さんとの付き合いに力を入れた。
 が、それを妨げるかのように、気に掛かることが持ち上がっていた。春休み中に見た
朝のワイドショーでの特集だった。
 ロガーによる犯行が、ぴたりと止んだのだ。
 およそ十週の間に八人を殺したロガーが、音沙汰梨となってからもうすぐひと月にな
る。犯人はどうしたのか。どこで何をしているのか。分かりもしないことを、ゲストの
タレントや専門家と称する複数の男女がああだこうだと言い募って、特集は終わった
が、僕はこの事実を突きつけられ、嫌でも思い起こした。
 あの男がやはりロガーで、女生徒を九人目の犠牲者にしようとしていた? ロガーが
死んだから、犯行は止まった?
 そう解釈すれば、何もかもがぴたりとうまく収まる気がした。殺人鬼を葬り去ったの
なら、僕の精神も比較的安定するだろう。
 だけど、一方で、二ヶ月あまりで人を殺すような殺人鬼が、僕のような子供にあんな
にあっさりとやられるものなのだろうか。疑念は消えない。

 四月の十五日になって、動きがあった。ある意味待望の、である。
 松城山中腹の沼に遺体が浮かんだのだ。
 男性だった。
 速やかに警察の捜索が入り、一両日中に沼を完全に浚ったらしい。その結果、他に遺
体が上がることはなかった。
 沼には、長い間に投げ込まれたり落としたりした物が、大量に沈んでいたそうだが、
女子生徒の持ち物らしき遺留品はなかった、と思う。発表されていないだけで、見付か
った物があっても伏せられているのかもしれないが、とにかくニュースや新聞では何も
言っていなかった。
 一方で、男については、比較的多くの情報が出て来ていた。名前は大家延彦と言い、
三十五歳の独身、アパートに一人暮らし。二十八で結婚するも三十三で離婚。ビジネス
用品メーカー勤務でトップクラスの営業マンだったが、身体を壊して昨年末に休職。別
れた妻との間には子供が一人いるが、会うようなことはしていない。養育費はきちんと
払い続けており、生活に困っている様子はなかったという。
 アパートの部屋からは、ロガーに殺された被害者との関連を裏付ける物が複数発見さ
れたそうだが、ほとんどは明かされていない。正式発表されたのは、八人の被害者名を
書き記した手帳と、最初の被害者の皮膚組織が検出された革紐。特に後者は、有力な物
証と言える。もちろん、大家が紐を触ったという証拠も見付かっている。
 動機が不明だが、離婚や休職をきっかけに、少しずつ精神的に弱っていたんじゃない
かという説明がなされていた。小学生だった当時は、その説明ですんなり納得していた
けれど、今考えると随分と乱暴な話だ。
 結局、容疑者が死んでしまったせいもあり、大家が八件の殺人全てをやったという証
明は難しかったらしく、半分の四件で、容疑者死亡の不起訴処分という処置がなされ
た。僕が大家延彦を殺したがために、事件の完全解決ができなかったのだとしたら、ま
た僕の重荷が増えるが……。あの女生徒の命を守るためにやった正当防衛だと思い込む
ことにする。それに、大家延彦は少なくとも四人殺したと認められたも同然なのだか
ら、三人殺せば死刑と言われる日本の刑罰に照らせば、先んじて刑を執行してやったと
も言える。とにかく、そう思い込むことで、僕は心の均衡を保つことができた。
 夏休みに入る頃合いには、ロガー事件は決着を見たような空気になった。あとから思
うと、世間はロガーという殺人鬼に飽きて、次の大事件を求めていたような気がする。
 僕は吉原さんとの付き合いを深めた。と言っても、小学生のできることなんて、たか
がしれていたけれども。遊びに行くのも二人きりになることは滅多になく、グループで
出掛けた。
 松城山には足が向かなかった。だけど、そちらの方面になら行くことがたまにあっ
た。そのときだけは、忘れかけていた重荷とか緊張感とかを嫌でも思い出した。確率は
低いかもしれないが、あのときの女生徒とばったり出くわすという偶然が、起こらない
とは言えないのだ。相手が僕に感謝していて、秘密を公にする気がないとしたって、会
わない方がいい。そうに決まっている。


――続く




 続き #499 偽お題>書き出し指定>告四(後)   永山
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