AWC 絡繰り士・冥 1−1   永山


        
#490/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  16/12/29  20:34  (306)
絡繰り士・冥 1−1   永山
★内容
 『冥府魔道の絡繰り士』を自称する殺人者・冥は、前辻能夫を葬り去った。
 快楽殺人の徒である前辻は、秀れた殺人トリックメーカーでもあった。その才能を惜
しいと思わないでもない。が、裏切りの動きを垣間見せた彼を許すつもりは、元から一
毫もなかった。
 にもかかわらず、殺す直前まで、前辻を救ってやろうという素振りを見せたのには理
由がある。前辻の本気を引き出すためだ。冥は文字通りの“生殺与奪の権利”を握った
上で、前辻に条件を出した。「おまえの考え得る最高のトリックを、今すぐにこの場で
見せよ。その中身が素晴らしければ、おまえが戻ってくることを許す」と。
 前辻は隠し持っていた秘密の手帳を取り出すと、そこから犯罪のためのトリックを
次々と示した。そして殺された。
 冥もまた、不可能犯罪メーカーを自負している。純粋に、前辻能夫よりもトリックの
案出において優れていることを犯罪者の世界に知らしめたい。そんな欲求があった。
 だから、冥はいくつか試してみようと心に決めている。死の間際、生への執着を露わ
にした前辻が選んだトリックを。
 そして、名探偵が解決できるかどうか挑戦させるのだ。世評に高い探偵は無論のこ
と、今までに冥の仕掛けた犯行を一度でも見破ったことのある探偵もすでにリストアッ
プ済み。彼らの居所も掴んでいた。
 あとは、トリックに適した被害者の役を見付けるだけだった。必要ならば、犯人役も
用意しよう。これらも普段より意を留めて探し求めているため、さほど時間は要すま
い。
 むしろ考えておかねばならないのは、探偵達がトリックを解けなかったときのことか
もしれない。冥の考案したトリックを看破した探偵が、前辻考案のトリックを見破れな
かったとしたら、それはそれは冥にとって屈辱だ。探偵を逆恨みするかもしれない。自
らが創出したトリックを用い、その探偵を葬りたくなるかもしれない。世界を見渡して
もさして多くない好敵手を減らしてしまうのは、人生をつまらなくすると理解している
冥だったが、前辻のトリックを解けないような探偵であれば、この際切り捨てることも
ありだと思った。

             *             *

 五日前に発生したその殺人の現場は、一種異様な光景と言えた。
 場所は海浜地帯の中央を外れた区域にある、天井の高い古工場。使われなくなって長
いのか、中はがらんとしていた。機械の類はとうの昔に運び出されたのかほとんどな
く、残っていても錆びて全く使えない代物ばかり。柱にしても、さして太くない、断面
がH字をした無骨な感じのやつが何本かあるだけで、邪魔になっていない。砂だかごみ
だか、とにかく埃が積もっているが、臭いの方は意外としない。
 建物の規模としては、大雑把に見積もって高さ十メートル余り、桁行が二十メート
ル、幅が五十メートルといったところだろう。横に長い直方体の建物、その長辺のちょ
うど中ほどに出入り口として、スライド式の金属扉が設置されている。高さ八メートル
はあろうかという大きな二枚扉で、左右に開くと最大で十メートルになる。これは機械
類や資材等の搬入を見越した設計だという。
 被害者の男性は、左の肩口から胸に掛けてざっくりと切られており、凶器と思しき大
ぶりな包丁が三本、すぐそばに転がっていた。遺体は出入り口から見て正面一番奥、壁
際の柱にワイヤーで縛り付けられていた。足を投げ出してもたれかかるような姿勢だっ
た。彼の名は三谷根八郎と言い、五十三歳になる。仕事はタクシー運転手だが元は会社
員で、部長の椅子に手が届こうかというとき、女で失敗して躓いた。彫りの深い顔立ち
のおかげでよくもてたようだ。出世コースを外れると、何もかも面白くなくなって、会
社を辞め、タクシー運転手に転じる。顔だけでなく喋りも達者だったせいか、なかなか
稼いでいた。そんな男が殺されたのだから、タクシー強盗にやられたのかと思いきや、
当日は休みだった。現場である古工場まで、被害者がどうやって来たのか分かっていな
い。様々な可能性が考えられるが、犯人の車に同乗して来たかもしれないし、あるいは
もう一人の被害者と一緒だったのかもしれない。
 二人目の被害者、豊野茂美は三谷根とはちょうど反対側にて、向き合う形で拘束され
ていた。同じく、長さ三メートル程度のワイヤーで両手首を後ろ手に縛られ、他端を扉
の取っ手に括り付けられていた。姿勢も似ていたが、足を投げ出さず、正座を崩したよ
うないわゆる女座りをしていた。彼女の方の死因は、まだ判明していなかった。遺体は
きれいなもので、少なくとも三谷根と同じ死因でないことは確かだった。毒物の検出な
し。溺れさせられたり、電気ショックを与えられたりといった痕跡も見付かっていなか
った。三十になったばかりの被害者は健康体で、病死もありそうにない。
「残るは窒息死ぐらいだろうってことです。今はその線で詳しく調べていると」
 経過を報告しに来た刑事の言葉に、少女探偵団四名の内の一人、両津重子が反応す
る。
「窒息? 首に絞められた跡が残るんじゃあ……」
「口と鼻を覆うとか」
 応じたのは刑事ではなく、別の団員、江尻奈由。刑事はその意見を肯定も否定もせ
ず、「現在、検査中」とだけ言った。
 少女探偵団は四人全員が中学生である。そんな女子中学生の集まりに、刑事が事件を
報告に来るなんてあり得ない――普通なら。
 彼女達には、実績があった。近所の日常的な悩み事や困り事だけでなく、本物の事件
も解決した経験があるのだ。尤も、数は知れているし、殺人事件となると四つほどしか
ない。それでも充分に凄いと言えるかもしれないが、警察が頼るほどのレベルでないの
も確かだ。
 にもかかわらず、刑事がわざわざ足を運んで知らせに来たのは、この事件が、ある特
異な犯罪者の仕業によるものと見なされたため。
 その犯罪者の名は冥。冥府魔道の絡繰り士を自称するこの人物は、遊戯的殺人を進ん
で手掛ける。推理小説的なトリックを好んで用い、ときに予告をしたり、署名的行動を
したりする。神出鬼没であることに加え、そのやり口が常識外れであるためか、警察も
手を焼いている実態があった。
 一方、少女探偵団は一度きりだが、冥の犯行を解き明かしたことがあった。冥に言わ
せれば遊び相手を見付けるための小手調べのテストで、解明されても痛くも痒くもなか
ったかもしれない。ただ、“テスト”に合格した少女探偵団は、冥から特別扱いされる
ようになってしまった。
 冥が殊更お気に入りなのは、探偵団のリーダー、九条若菜らしい。何せ、最終テスト
だとでも言いたげに、九条の目の前に姿を現したことまであった。以来、冥の犯行声明
や予告状、挑戦状に九条の名前が出されることしばしば。しかも、冥は警察に対し、九
条を始めとする少女探偵団を捜査に加えろという、無茶な要求までしてきたことすらあ
った。応じない場合、死体を増やすという脅しとともに。
 無論、警察が脅迫に屈したのではなく、あくまで冥を逮捕するために最前の手だとし
て、九条ら少女探偵団に事件の情報を明かせる範囲で伝えるようになった。九条は冥を
目撃し、言葉を交わした数少ない人物の一人なのだ。
「現段階で、二人の被害者間にいかなるつながりがあったのかは、判明していない」
「あ、話を進めていただく前に、質問があります」
 九条が肩の高さに手を挙げ、刑事に聞いた。ちなみに、彼ら彼女らが今話している場
所は、警察署内の会議室だ。正確にはその広い部屋の一角をパーティションで区切っ
て、六畳ほどのスペースを確保。建前上、殺人鬼に名前を出されて迷惑している女子中
学生が、警察に相談に来ているとの体を取っている。
「現場の状況は、先程話してくださった分で全部なんでしょうか? 差し支えなけれ
ば、お願いします」
「何か不自然だったかね」
 刑事は特に表情を変えることなく、目玉をじろりと向けた。眼鏡も髭もない、没個性
的な容貌だが、ときに凄みがちらりと覗く。
 対する九条は静かに首肯し、意見を述べた。
「冥の犯行にしては、不可思議さが足りないと感じたものですから。冥の犯行には不可
能犯罪が多く、そうでない場合にも明確な“謎”を提示するのが常。顧みるに、今伺っ
た事件は、奇抜さは感じられても、不可能性はないに乏しく、明白な謎も見当たりませ
ん。強いて言えば、無関係の男女を同じ場所でほぼ同時に殺している点、女性の被害者
の死因が不明である点ぐらいでしょうか。でも、その二点は結果的にそうなったという
印象を受けます。警察の捜査が進めば、じきに分かることだと思えます」
「――なかなか察しがよい」
 刑事は初めて笑みらしきものを見せた。今回が少女探偵団と初めての顔合わせとなる
この刑事、今岡達人は相手の能力を明らかに疑っていたが、少し見直したらしい。
「指摘の通り、現場にはもっと別の細工がなされていた。私が承知しているのは二点。
まず、現場は密室だった。次に、被害者二人に関する事実だ。三谷根は喉に大きなダ
メージを与えられ、恐らく声を出せなくなっていたと推測される。また、豊野はアイマ
スクで目隠しをされていた」
「情報量が多くて、すぐには把握できませんが、とりあえず、密室というのは?」
「現場の工場は元々精密部品を扱っていたとかで、埃をなるべく避けられるように気密
性の高い作りになっていた。だから出入り口は一つだけなんだ。そこは内側からロック
されていた。大きなカムを噛ませるタイプで、外からの操作はできない。外からは別の
鍵を掛けるんだが、そちらの方は手付かずだった。他には窓が多数あったが、いずれも
はめ殺し。ただ、出入り口とは反対側の壁の両隅に、非常時用の開閉可能な窓ガラスが
あったが、ともに内側から施錠されていた」
「……もしかすると、警察はその密室を、大した謎ではないと考えています?」
「ああ、そうだな」
 九条の推察を、今岡刑事はあっさり認めた。
「推理小説のトリックめいた物なんてと馬鹿にしている訳ではないんだ。簡単に作れる
と判断した」
「そうですよね」
 九条が明るい表情をなす。他の団員三名は、きょとんとしていた。
「リーダー、もう分かったの?」
 書記に徹していた蘇我森晶が、その手を止めて九条に聞いた。
「今聞いていた通り、被害者の内、豊野さんは出入り口の扉の取っ手に、ワイヤーで括
り付けられていた。ということは、豊野さんが拘束を逃れようともがけば、取っ手が動
いて施錠される可能性があるのでは、と考えたの。無論、その程度の力で錠が動くかど
うかは分かりませんが、推測するだけなら充分」
「実験の結果、錠は動き、ロックされた」
 刑事の補足説明に、九条は我が意を得たりとばかりに、満足げに頷いた。が、すぐに
表情を曇らせる。
「やはりおかしい。こんなに簡単な密室なんて、冥の仕業らしくない」
「あ、密室そのものは偶然の産物だったのかもしれないよー」
 両津が閃いたという風に、両手をパチンと合わせた。
「被害者二人を、工場の奥と前の位置関係に固定することが目的だったのかも」
「なるほど……。今岡さん、ワイヤーのたるみはどのくらいありました?」
「三メートルと言ったのは解いた状態での長さで、実質的にはまあ、一メートル強だろ
う。しかも相当に固い代物で、普通の紐のような柔軟性はなかった」
「ありがとうございます。だったら、被害者固定説は充分にありそうですね。換言する
なら、被害者の位置こそが一つの謎であり、トリックの要である可能性が高まりまし
た」
「目撃者はいないんですか。結構大掛かりな犯行みたいだし」
 江尻が刑事に尋ねた。
「事件を直接見聞きしたという人物は、見付かっていない。ただ、前日の夜、大型のコ
ンテナ車が行き来したのを見た人がいる。保冷もしくは冷凍機能を備えたコンテナだっ
たらしい。調べた結果、辺り一帯にそのような車両を当日使用した工場や企業はなかっ
た。だからといって、それが即座に殺人と関連があるかは断定不可能だが、怪しむに足
る証言なのは間違いない」
「冷やす必要……遺体を冷やして、死亡推定時刻をごまかすのが定番だけれども」
 江尻は言ったきり、腕組みをして黙り込んだ。本来、彼女は頭脳労働ではなく、腕っ
節に自信がある方なのだ。
「もしくは、氷を使ったトリック、アイストリックだよね」
 今度は両津。甘い物が大好きな彼女は、アイスクリームの方を思い浮かべていそうだ
けれども。
「そちらの検証は後回しにしましょう。今岡さん、喉を潰されていただの目隠しだのと
いうのは」
 九条が詳しい説明を求めるが、今岡刑事は困惑した風に首を傾げた。
「文字通りの意味しかない。目隠しの方は、何かにこすりつけるなり引っ掛けられるな
りできていたら、取れたかもしれないが、実際にはそのままだった。豊野は三谷根より
あとに殺されたとしても、三谷根の死に様を目撃することなく死んだだろう。三谷根は
声を出せない状態だったから、叫び声も聞かなかった」
「犯人は――冥は、三谷根さんが死ぬところを、豊野さんに見せたくなかった? 向か
い合う位置関係に拘束しておきながら? とても変な感じがします。今岡さん、絶対に
何かあります。三谷根さんと豊野さんとの間に何らかのつながりが」
「そもそも、ないと断定した訳じゃない。継続して調べている。三谷根は女性関係が緩
かったようだから、重点的に」
 そこまで答えたとき、今岡刑事の携帯電話が鳴った。捜査情報の連絡らしく、ディス
プレイを見ると通話せずに席を立って、「ちょっと待っていてくれ」と言い残し、出て
行った。
「どう思います?」
 若干、緊張がほぐれた空気の中、九条が三人のメンバーに聞いた。
「冥の犯行らしくもあれば、らしくないところもあるって感じかな」
 蘇我森が真っ先に答える。書記として記録した情報は、既に保存済みだ。
「理論立てて説明するのは難しいけれど」
「私もです。感覚でよければ、こういうのはどうでしょうか。今までの冥は、殺人プラ
ストリック乃至は謎というスタイルが目立ったのに、今回は殺人方法にトリックがある
ような」
「うん、そんな感覚だね。包丁が三本というの気になるし」
「他に大きなポイントっていうと、やっぱり、冷凍車になってくるのかなぁ」
 江尻が言った。
「有力でしょうね。犯人につながる糸を手繰るのなら、その冷凍車の事件前後の動きを
追跡するだけでもなかなかの成果が上がりそうです。でも、それではトリックは分かり
そうにありません」
「女の人の方の死因がまだ分かってないからか、死亡推定時刻を教えてくれてないよ
ね」
 両津が不満げに口を尖らせた。
「せめて三谷根って人のだけでも教えてくれればいいのに。氷で死亡推定時刻をごまか
すような細工があったかどうか、検討したいし」
「氷を運んでいたと決め付けるのはよくないわ。たとえば遺体を直接、冷凍車で冷やす
というやり方だってある」
 九条に指摘され、両津は素直に「そうだったね、えへへ」と先走りを認めた。
「今岡刑事が出て行ったのって、死亡推定時刻のことかな? 豊野さんの死因が判明し
たとかさ」
 蘇我森が想像を口にしたところで、くだんの今岡が戻ってきた。パーティションの隙
間から身体を滑り込ませ、元いた席に着座する。
「一つ、新たに分かったことがある。君らにも教えられる情報だから、言っておこう」
 この前置きに、少女探偵団四名は身を乗り出した。
「三谷根の遺体には、相当に強い力が加わっていたことが判明した。約三メートルの高
さから、凶器を振り下ろされたと見なせば辻褄が合うらしい」

             *             *

 一ノ瀬メイは馴染みの刑事からの呼び出しに応じ、その証拠物を見せられたとき、
(これは予想外の行幸だ。冥の方から接触してくるなんて!)
 とラッキーに思った。しかし、と彼女は心の中で続けた。
(これほどあからさまに、この私を指名するかのような犯行、いや、指名した犯行はか
つてなかった。どういう心境の変化だ、絡繰り士?)
 一ノ瀬メイの手の中には、一個のルービックキューブがあった。ある変死体の着てい
たジャケットのポケットから出て来た物で、六面全てが不揃いだった。特徴的なのは、
この立方体の各升目――3×3×6=54の升目一つ一つに、アルファベットが割り振
られている点。そして六面全ての色が揃うように完成させると、文字の向きがきれいに
同じになり、ITINOSEMEINITUTAEYOKONOTUIRAKUSHI
NONAZOGATOKERUKAbyMEIの文章が現れた。「一ノ瀬メイに伝えよ
 この墜落死の謎が解けるか 冥より」という訳だ。
「一ノ瀬さん、どうです?」
 刑事の宇月黎葉が、職業意識以上に好奇心を露わにして聞いてきた。一ノ瀬メイがど
んな反応を示すのか、興味津々といった体である。
「書いてある通りだろうね。幸い、時間制限はないようだけれど、もたもたしているの
は性に合わない。早速だけど、事件について教えてくれる?」
「新聞なんかでも報じられたんですよ。確かに冥の犯行と言われれば、いかにもという
感じなんですが。何しろ、ここR県で最大の湖、S湖のど真ん中で見付かった墜死体な
んですから。辺りに飛び込み台なんてもちろんなくて、もしやろうと思えば、飛行機か
ヘリコプターで飛んで来なくちゃならない」
「……まだよく分からないけど、よそで墜落死した遺体をボートで運んではだめなのか
な?」
 ぱっと思い浮かんだ、最も簡単そうな方法を口にする。が、宇月刑事は皆まで聞き終
わらぬ内に、首を横に振った。
「司法解剖の結果、墜落死と溺死が同時に起こったような状態だったんですよ、遺体
は。比較検討の結果、墜落の衝撃がより早く死の原因になったであろうという推測の
元、墜落死とされました。別の場所で墜落死させてからどうこうという方法だと、肺に
大量の水が入りませんよ」
「判断の根拠は分かった。けれども、私が今言った方法でも、あとから肺に水を入れる
ことは可能のはず」
「それがですね、生体反応の痕跡から、死後、肺に水を入れたのではないのは確かだそ
うです」
「ならば、先に溺れかけさせてから、墜落死させるという方法だってあり得る。無論、
水は死体を遺棄する湖から汲んでおく」
「うーん、詳しいことは分かりませんが、そのやり方だと、墜落死と溺死がほぼ同時と
いう判断は出ない気がするような」
「分かった分かった。法医学の結論を尊重するわ。それで、何メートルくらいから落ち
たのかは推測できてるのかしら」
 細かな点で議論していても停滞するばかりと見切りを付け、一ノ瀬メイは新たな質問
を発した。
「およそ五十メートル。十二、三階建てのビルに相当する高さになります」
「五十メートルね。クレーンでも届くのはあるだろうけれど、それだけ大きな重機だと
おいそれと用意できる代物でもなさそうか……。冥ならやってのける能力はあるだろう
けれども、考えてみれば、こんな直接的な方法が答だなんて、冥らしくない」
「でしょ? 絶対に何かあるに決まってます、奇抜なトリックが」
 そう語る宇月は、刑事らしからぬ喜色を浮かべていた。警察の属する人間としては珍
しい部類に入るだろう、推理小説が大好きなのだ。それもこてこてのトリック小説が。
だからこそ、冥の捜査に携われていると言えるし、一ノ瀬メイの相方役に選ばれたとも
言える。
「そうなんだろうねえ。直接的というのであれば、飛行機やヘリを利用するのだって、
同じく凡庸と言える。そういった方法を排除するのであれば――」
 同意してから、一ノ瀬メイは考える時間を少し取った。程なくして、再び口を開く。
「被害者についてまだ何も聞いてないけれど、先に確かめておきたいことができた。私
の知り合いが経験した事件に、似た感じのがあった。そのトリックの応用で、この墜落
死体の謎も解明できるかもしれない」
「え、そうなんですか? どんな事件だったんです?」
 驚いてますよと全力で主張するかのように、目をまん丸にした宇月。一ノ瀬メイは笑
いをかみ殺しながら応じた。
「説明の前に、教えて。S湖の水深は? 遺体の見つかった地点の付近でいいから」

             *             *

 本格推理小説を、「不可能を可能にする文学」と言い表したのは誰だったか。
 そして、その言葉を聞いて、「不可能が可能になるもんか。不可能はできないから不
可能なんだ」云々とやり込めたのは誰だったか。ともに有名な探偵作家だったことは間
違いないのだが、名前までは覚えていない。
 年を食ったのを改めて自覚し、探偵の流次郎は嘆息した。続いてまた思い出した。
「名探偵にとって死は恐くないが、老いほど恐ろしいものはない」というようなこと
を、歴代の名探偵の誰かが言っていたはず。いや、あれは確かパロディ作品に登場した
名探偵だったから、本物が口にした言葉とは言えないのか?
 まあ、今はどうでもいい。それに、自分自身の記憶力が、偏りこそあれ、さほど衰え
ていないことを確かめられたように思えて、流は気を取り直した。これで、眼前の事件
に集中できる。
 そもそも、「不可能を可能にする文学」なんていうフレーズを想起したのは、現場の
状況のせいだった。
 展開されていたのは、ミステリにおいては今や古典的な謎と言える、足跡なき殺人。
現場となった一軒家は、別荘と呼ぶのを些か躊躇させる規模と佇まいを持っており、別
邸と呼ぶのがふさわしい。そこの庭に白砂が敷き詰められ、流麗な模様を浮かび上がら
せていた。問題の遺体は、その枯山水のほぼ中央に配された巨大な石――舞台のように
平らな面がある――に、腰掛けるような格好で置かれていた。砂の模様に乱れはなく、
何者も行き来していないように見えた。庭園の枠の外から石までの距離は、一番近いと
ころでも、七メートルはあろう。足元の状態や石の高さなどを考慮すれば、ジャンプし
て飛び移れるものではない。たとえ成功しても、帰ってくることができない。石の上で
は助走距離が全く足りないからだ。
「――そして、これが一番の問題かもしれんのですが」
 刑事の吉野が言いにくそうに間を取った。
「何があったんです?」
「実は、被害者の細木氏は足が不自由で、普段は車椅子を使っていたんですな」
「なるほど。そんな人物をあそこの石までどうやって運ぶのか。少なくとも、自力では
行けそうにない、と」
「ええ。自殺はあり得ないことになる」
 細木海彦の死因は失血死と考えられていた。頸動脈の辺りをすっぱりと切られ、流れ
出た血が石を赤くしている。凶器と思しき剃刀は、細木の右手のすぐそばに落ちてい
た。これが自殺であったのなら、どんなに楽か。

――続く




 続き #491 絡繰り士・冥 1−2   永山
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