AWC 崩れる欲望の塔 <前>   永山


        
#486/512 ●長編
★タイトル (AZA     )  16/08/30  22:50  (364)
崩れる欲望の塔 <前>   永山
★内容
 退屈さのあまり、盛大にあくびをしたところで、ドアをノックする音がした。
「こちらは探偵の江口さんの事務所で間違いないでしょうか。ご依頼したいことがあ
り、伺わせてもらったのですが」
 続いて聞こえてきた声は、なかなか渋く、落ち着いていた。年齢層は絞りづらいが、
豊年(中年の別の言い方として提唱されるも、定着しなかった用語だ)なのは間違いな
い。
 江口は目元を指先で拭うと、咳払いをして喉の調子を確かめた。
「どうぞ。開いております」
 回転椅子を軋ませ居住まいを正し、待ち受ける。
「失礼をします」
 ドアを開けて軽く一礼して入ってきたのは、一見すると人品卑しからぬ紳士。身長1
70センチ前後、グレーのスーツを着込んだ身体は恰幅よく、胸板の厚さは昔スポーツ
をやっていたと思わせる。小さな目と鼻髭が特徴的。後ろに撫で付けた髪は豊かで、白
髪はほとんどない。ただ、顔の肌および皺から五十代半ばと推測された。
「そこのソファにお掛けください。生憎、助手は外出しており、何もお出しできません
がご勘弁を」
 事務机を離れた江口は、自分もソファに収まる前に、ドアの方を指差した。
「施錠した方がよろしいでしょうか」
「はい?」
 唐突な質問と感じたのか、訪問者は初めて頓狂な声を上げた。が、すぐに意味を理解
したようで、「ああ、鍵ですか。念のため、掛けておいてもらいましょう」と答えた。
 言われた通りにすると、江口は訪問男性の前に座った。間にはテーブル。その上には
ガラス製の灰皿がある。
「ご用件を伺う前に、どちらでここのことを?」
「『捲土重来』というバーで飲んでいるとき、どこかクラブから流れてきたらしいグ
ループ客が入ってきて、彼らの会話が耳に入ったのですが……ここは紹介状が必要なの
で?」
「いえいえ、そのようなことはありません。積極的な宣伝広告は打っていないので、ど
うやってうちに辿り着かれたのか、気になるのです」
「はあ、それならよかった」
「さて、ご依頼は? わざわざうちを選ばれたからには、ご存知と思いますが一般部門
か、それともAV部門でしょうか」
「その、後者の方です」
 男性は少し俯き、早口で言った。
「どうしてもちゃんと観てみたい、AVがあるのです」
「なるほど。詳しい話を聞かせてください」
 江口は受付用の紙を取り出し、メモを始める構えをした。
 眼前にいるような紳士がAV部門の依頼を持ち込むことも、もうすでに意外には感じ
なくなっていた。

「サイトを持てとまでは言わない。せめて、メールぐらい導入しましょーよ」
「いや、何だかな。簡単手軽に依頼できるシステムがあると、捌ききれなくなる」
 江口は数字をメモすると、計算機のアプリを閉じた。
「特に、AV部門に依頼が殺到するかもしれない」
 江口は探偵を生業としている。推理小説に登場するような、殺人事件を主に扱う探偵
だ。だが、それだけでは生活が成り立たないので、副業としてこれまた探偵――アダル
トビデオの探偵をやっている。依頼者が朧気にしか覚えていない、でもどうしても観て
みたいアダルトビデオ作品を特定する。そして希望があれば、入手方法も示唆するのが
主な仕事だ。
 と言っても、江口の知識はたいしたことない。自身が興味を持っていた昭和時代が中
心で、それよりあととなると守備範囲に入るのはせいぜい一九九五年辺りまで。加え
て、真っ当なアダルトビデオしか見てこなかったため、裏物はほぼ分からない。また、
レズやゲイ、スカトロといったジャンルはたとえ表の作品だったとしても、全く詳しく
ないどころか、見ると気分が悪くなってしまう。SM物でも血が出るようなのはだめだ
し、強姦物はあまり真に迫っていると途中で停止する。
 かように一般市民的な江口には、何名かサポーターがいる。その内の一人が、助手の
占部あきらだ。さっきメールぐらい導入しよう云々は、占部の台詞。若いくせに結構詳
しい。若さ故の好奇心と言える。ただし鑑賞経験はさほどなく、ネットを駆使してデー
タとして把握している。ジャケット写真を見れば、たとえその作品を知らなくても制作
年をプラスマイナス一年の範囲内で言い当てるという特技?の持ち主だが、今のところ
役に立った経験はない。
「殺到して欲しい〜。ここのところ、両部門とも依頼がさっぱりないじゃないのさ」
「しばらく困らない程度には稼いだはず。この間の、満田蔵之介氏からの依頼をこなし
て、礼金を弾んでもらっただろう」
 満田蔵之介はIT業界で成功した事業家・投資家で、江口の上得意でもある。金を持
て余したのか、それとも元々性的欲求が強いのか知らないが、五十才にしてアダルトビ
デオのソフトを密かに集め始めた。それも、本人が中高生の頃に見て印象に残っている
作品を中心に。
 中学生や高校生でアダルトビデオを見たとは、ネット全盛の昨今ならまだしも、昭和
五十年頃では難しいはず、と感じた向きもあるかもしれない。だが、当時はある意味非
常におおらかな時代であった。地上波で、アダルトビデオが流れていたのだ。無論、作
品を丸々流すことは滅多になかったが(「滅多に」という注釈は、とある噂に因る。某
ローカル局が誤ってオンエアしたことがあるらしい)、深夜のアダルト番組の一コー
ナーとして、アダルトビデオのダイジェストを流して紹介するのは当たり前のようにあ
った。一度に紹介するのは2〜3作品。長さは五分程度で、見せ場となる“よいシーン
”が含まれている。いいところで切れるのもお約束。
 そんなお預け状態の映像でも、普通の中高生には刺激的で、強烈に印象に残ることも
あろう。でも、夜遅くに音量を下げたテレビの前で一人スタンバイし、「今週はどんな
エッチなビデオが紹介されるんだろうか」とわくわく?して待ち構えている青少年が、
将来を見越して作品のタイトルやメーカー名、女優名なんかをわざわざメモに取るだろ
うか。いや、取らない。好みの女優の名前ぐらいは覚えることもあるだろうが、その他
のデータは雲散霧消。残るのは、印象深いシーンに決まっている。
 さて、成長した元青少年は、ふと思い立つ。あのときのアダルトビデオの全編を見て
みたい、と。だが、脳裏に染みついたように残る作品のデータ全てを思い出すのは不可
能だ。断片的な記憶を拾い集め、そのプレー内容で検索してみても、世の中には同じ趣
向の作品なんて星の数ほどあろう。
 大っぴらに問い掛けてみるのも一つの手かもしれない。ネットの掲示板なり質問箱な
りで、これこれこういうシーンのあるアダルトビデオご存知ありませんか?って。確実
に見付かるとは限らないが、期待はできる。ただ、いい年した大人になると、こういう
質問をネットに書き込むことに、慎重になるものだ。個人情報の流出が頻発する昨今、
怖くて書けやしない。
 そんな大人を手助けしようとの趣旨で開設されたのが、江口探偵事務所のAV部門。
千客万来とはとても言えないが、口コミで一定の利用者が現れる。ただ、部門設立のき
っかけは、警察の人が持ち込んだ依頼だった。
 元から顔見知りだった多倉刑事は当時、連続絞殺事件の捜査に携わっていた。三人の
被害者は若い女性ばかりで、遺体発見時、いずれも本人の物ではない服を着用してい
た。関係を持った男がプレゼントした服だと推測されたが、それにしてはおかしな事実
が浮かび上がった。どの服も既製品ではあったがデザインが古めかしく、一九八八年辺
りの物だと判明。実際、販売ルートを探ってみると、既に新品・正規品としては流通し
ておらず、オークションやバザー、リサイクルショップの類でしか見当たらないだろう
と考えられた。そういった衣服の入荷照会は困難で、地道に聞き込みを続けるも成果が
上がらないでいた。行き詰まった多倉刑事は、江口を訪ね、何の事件かは明かさずに、
かつ、さもうっかり見せてしまったかのように振る舞って、遺体や凶器の写真及び現場
周辺の簡単な地図を示した。いつものことなので江口も承知の上で、意見を述べる。
「この人達って……どこかで見たような」
「見た? 見たって、まさか江口君。被害者の中に知り合いがいるってのか?」
「そうじゃない。そうじゃないのは明らかなんですが、記憶に残ってる。個人の顔とか
ではなく、全体の印象が……あ」
 ふわふわと頼りなく漂っていた記憶の断片を掴まえた。江口は刑事の顔を見て、若
干、顔を赤くした。
「僕も若い頃、人並みにアダルトビデオは見ました。ま、何を持って人並みと判断する
のかは横に置いておきます」
「何を言い出すんだ?」
「彼女ら被害者は、どれもアダルトビデオのパッケージ写真を模倣しているんじゃない
かと思います。この写真、発見時のままを撮影したんですよね?」
「ああ、そうだと聞いている」
「ポーズを取らせている節がある。大きく開脚して右手で髪をかき上げたり、何かに両
腕をついて腰を突き出したり、胸を強調するように自らを抱きしめたり」
「確かにそうだが。しかし、こんなポーズ、アダルトビデオなら極当たり前にあるんじ
ゃあないか?」
「独創的ではないかもしれませんが、服のデザインや色まで一致しているのは、偶然で
は片付けられないでしょう」
「言ってる意味が分からん」
「この被害者達の格好は、一人の監督が撮った特定のシリーズのパッケージ写真を模し
ているのだと思います」
「ええ? ……そんなことが言えるとは、江口君は意外と助平なんだな」
 信じていないのか、多倉刑事は茶化すように言い添えた。江口は真顔で応じる。
「若い頃に見たアダルト作品は、強い印象を残すものです。それに一つ、傍証を挙げま
しょうか。えっと、確か、**シリーズの、監督名が出て来ないな。一人の監督が撮っ
たのは間違いないんですが。とにかく、このシリーズは行為の最中に首を絞めるプレイ
が必ずあるんですよ」
「うむむ。分かった、調べてみよう。だが、こんなことが手掛かりになるかね」
「衣装を揃えてるんですよ。犯人の執念というか執着を感じませんか。恐らく作品にも
拘りを持ってコレクションをしている。ネットで購入していたら、辿れるんじゃないで
すか? それにシリーズは確かあと四作ありました。次の犯行の準備をしているのだと
したら、警察側が先手を打つことだってできるかもしれない」
「なるほどな」
 結果的に、この江口の気付きが端緒になって、犯人は捕まった。ちなみに、男女の二
人組で、男の方の性的欲求及び殺人衝動を満たすために、女が手伝っていた。衣服の購
入も二人が手分けして行っていたため、簡単には把握できなかったという。

 きっかけは大事件で、ある意味なかなか華々しいスタートを切った訳だが、その気に
なってAV部門を起ち上げて以降は、刑事事件に結び付くような依頼はほとんどない。
あっても多倉刑事を通じた持ち込みで、見返りは金一封程度。稀にまとまった額が入る
こともあるが、基本的には小遣い稼ぎのような部門だ。ただ、本業の方も大して依頼の
ない昨今、重要な食い扶持になっているのもまた事実。
「江口さんは、ああいうのはやらないの? ほら、出演してるAV女優の身元を特定す
るの」
 資料の整理を終えた占部が、ファイルを閉じながら言った。
「必要があればやるかもしれないが、興味本位の依頼なら受けるつもりはないな。問題
は、身内を始めとする親しい人間からの依頼だよ。連れ戻したい気持ちは理解できる一
方で、女優当人の事情も把握しておきたい」
「あー、そういう態度なら、最初から受けないのが賢明ですねー」
「そうだな。――よし、と」
 江口の方も紳士からの依頼を片付け、報告書の区切りが付いたため、お茶を飲もうと
立ち上がった。が、ポットのお湯が足りない。水を少し入れて沸かし直す。
「占部君も飲むか?」
「あ、はい。いただきます。――全然ヘルプなしでしたけど、依頼、簡単だった?」
「ああ、検索だけで済んだ。多分、間違いない」
 依頼人が覚えていたのは、ざっくりとした内容とAV女優の顔立ち、媒体は地上波テ
レビ番組のAV紹介コーナーだったということくらい。だが、話を聞く内に、見た時期
を思い出した。一九八六年の四月以降、年内だった。
 テレビ番組で紹介されたからには、正規品であり、新作である。つまり一九八六年発
売。依頼者にこの年活躍した女優一覧を示し、有力な候補を挙げてもらい、五人に絞り
込んだ。ここで依頼者はお役御免、帰らせる。
 江口はこれまで積み重ねた調査実績により、その番組と特に結び付きの強かったAV
メーカー二社が分かっている。その二社から一九八六年四月以降に発売された女優五名
の作品をリストアップし、依頼者の説明した内容に合致する物を拾っていく。三つにな
った。あとは、依頼者の記憶していた場面と重なるかどうかを調べなければならない。
普通、ここが一番面倒で手間が掛かる(作品を入手することも多々ある)のだが、幸い
にも依頼者はその場面で女優が身につけていた下着を、色からデザインから詳細に覚え
ていた。ネット上の中古AV店でパッケージ写真を参照すると、ある一作の裏側のワン
カットがビンゴ。下着の色や形状が見事に一致した。
「こんなのでお金をもらっていいのかねえ。発売年さえ覚えていたら、時間は掛かって
も依頼者が自力で辿り着けただろうに」
「いやいや、そこは江口さんの話術があってこそ。エッチな思い出でも話しやすい雰囲
気に持って行くのがうまい」
「探偵に必須の能力ではないような」
 くさり気味に呟いたところで、ポットのお湯が沸いた。
 が、お茶を入れようという動作は中断させられた。またドアがノックされたからだ。

「職務中は、お茶一杯もらうのも慎重にならないといかんので」
 訪ねてきたのは多倉刑事だった。彼が建前を述べ、お茶を断ったので、江口と占部だ
けでコーヒーを摂る。
「どんな事件なんですか」
 AV部門以外の依頼なら何でもかまわない、ましてや多倉刑事からとなるとれっきと
した犯罪だろう。江口は腕が鳴るのを覚えた。
「ある意味、君ら向けの事件と言えるかもしれん」
 江口が顔をしかめたのは、コーヒーが苦かったからではない。君ら向けという言い回
しに、嫌な予感を覚えた。
「殺人なんだが、犯人らしき男はもう分かっている。天口利一郎という私立の大学生
だ。被害者はその知り合いで、同じ大学の尾藤寛太。ともに二年生で、年齢は一浪して
いる尾灯が上。大学に入ってから知り合ってる。一応、友人だったらしい。実際、動機
が分からない」
「本人が口を割らないのですか」
「割ろうにも割れないんだよ。死んでるんだ」
「え? つまりは犯行後に自殺したということですか?」
「違う。まだはっきりしていない。直接の死因は後頭部を強打したことによる脳内出血
と聞いてるんだが、現場の状況がな。他殺かもしれないし、事故死かもしれない」
 刑事の話を聞き、江口は、被害者が滑って転んで机の角にでも頭をぶつけたか、階段
を転がり落ちた可能性があるのだろうと思った。
「死んでいたのはアパートの一室。被害者の部屋で、ビデオテープが山のようにあっ
た」
「ビデオテープ……もしや、アダルト物ですか」
「ああ」
 それでここに来たんだなと合点する。嬉しくない。
「山のようにって、どのぐらい?」
「俺は実際に数えてちゃいないが、三百四十一本あったらしい。全部積み上げれば九十
センチ近くになる」
「三百四十一本、床に積み重ねてあったんですか?」
「それが崩れていて分からなかった。多分、いくつかに分けていただろう。あと、床に
あったかどうかも不明だ。本棚の上にも数本残っていたから」
「推測すると、テープの山が崩れて、天口の後頭部を直撃し、死に至らしめた可能性を
考えている?」
「そうだ。何せ、部屋は内側から施錠された、いわゆる密室状態だった。しかも、死亡
推定時刻には震度四の地震が起きている」
 それを聞いて、おおよその日時が見当づいた。十二日前の午前二時半頃だったろう。
土曜から日曜に掛けての出来事で、夜更かししていた江口は割と鮮明に覚えている。同
レベルの余震が今も続いている。
「正式な死亡推定時刻はその前後二時間なんだが……ちょうど頭を低くしているときに
地震が発生し、ビデオテープが崩れ落ち、打ち所が悪かったとしたら死ぬかもしれな
い。一本一本の重量はさほどないが、まとめて、あるいは連続して直撃すれば、可能性
はあると見ている」
「尾藤の死因は?」
「こちらも後頭部を強打している。ただし、死亡推定時刻は、地震発生の三〜五時間前
だ」
 頭の中で簡単な計算をする。前日の午後九時半から十一時半までの二時間か。
「尾藤も事故死の可能性あり?」
「ありかなしかと問われれば、ありだ。現場に転がっていたトロフィーの台の角と、頭
部の傷が合致しており、トロフィーは全体がきれいにぬぐい去られていたがね」
「蓋然性を鑑みて、何者かが尾藤をトロフィーで殴ったあと、指紋を拭ったと考えるの
が妥当という訳ですね」
「そうだ。そしてその何者かってのが、天口なのかどうかが問題だ。アパートには防犯
カメラがなくて、人の出入りの記録はない。目撃証言も、今のところないから、天口が
いつ尾藤の部屋を訪れたのか、不明なんだよ」
「尾藤を殺害した犯人が、天口も殺したのかもしれないと」
「そうなる」
「うーん。まだまだ気になる点がたくさんあるんですが。たとえば、何で今時、ビデオ
テープなんでしょう?」
「分からん。が、生活安全課の人間が言うには、三百四十一本のほとんどが珍しい裏物
らしく、DVDの形で出回っていない物もあったそうだ。ネット上にも流れていない、
超レア物だとさ。ビデオにはラベルの記載がほとんどなく、メモ書き程度だったんで、
いちいち確認するのに骨が折れたと言っていたよ。とにかく、被害者はそういった物を
コレクションしていたんだな。いつ、どこで購入したのか分かってないが、ネットでの
記録は見当たらないから、実店舗で買ったんだろう。小まめに回っているのを見掛けた
知り合いもいる」
「被害者はビデオからDVDにコピーしていなかったんでしょうか? 違法でしょうけ
ど、それを言うなら裏物自体、コピーが多いはずだし」
「今のところ、コピーしたと思しきDVDは、本棚の隅から少しだけ見付かっている。
ただし、三百四十一本あるビデオとのダブりはなかったようだ」
「へえ。じゃあ、片端からコピーして、ビデオテープは処分していたのかな」
「そこまでは分からんなあ。部屋に機械はあった。ビデオデッキとDVDレコーダーが
一体になったのが一つ、ビデオデッキ単体が一つ、DVDレコーダーが一つ。いずれも
ダビング中だったらしい。らしいというのは、捜査員が乗り込んだ時点では、三台とも
停止していたからだが、ファイルが作られた時刻はそれぞれ午前二時二十二分、午前一
時五十分となっていた」
「……時刻から考えると、そのコピー作業をしていたのは、天口ですね」
「うむ、気付いたか。メーカーや機種によって差があるかどうか知らんが、尾藤の部屋
にあったレコーダーは、どちらも録画を始めた時刻をファイル作成時刻として記録する
タイプだった」
「じゃあ、天口は珍しい裏物をコピーしたいがために、尾藤を殺害したんでしょうか」
 どんな条件を出しても尾藤がコピーさせなかったとしたら、あるいはあり得る?
「そのくらいのことで知り合いを殺すか? 第一、殺害現場に居残ってダビングを続け
るのも異常だぞ。目当てのビデオテープだけ選んで持ち出し、自宅でゆっくりやればい
い」
「メモ程度なら、選別できなかったのかも」
「あん? ああ、そうか。再生してみないと分からないという訳か。しかし、冒頭数十
秒で分かるんじゃないのか。タイトルぐらい出るんだろう?」
「それは物によります。テロップの類を一切入れていないやつもあるだろうし、色んな
作品から短いシーンをつぎはぎにした物もあります」
「うーん、そうか。となると……三百四十一本全部を持ち出すのは、難しいか」
「そこですよね。何往復かする必要があるものの、慎重になるべく物音立てずにやれ
ば、他の入居者や近所に気付かれることなく運び出せるでしょう。あ、天口は車を持っ
ているんでしょうか?」
「有名私立に通うぐらいだからと言っていいのか、持ってたよ。親が買い与えた物だが
ね。現場近くの駐車場に駐めてあった」
「それなら運べるか……。うん? 尾藤も同じ大学に通ってたんですよね? お金持ち
の家の子なら、防犯カメラもないようなアパートに何で……」
「ああ、すまん、言い忘れていたな。アパートは言ってみれば、尾藤のセカンドハウ
ス、ビデオ部屋なんだ。大量にあるビデオテープを保管するのが主な目的で、あとは鑑
賞だな。それだけのために、尾藤自らアパートを探して契約を結んでいる。防音だけは
完璧な物件をな」
「し、信じられんことをするなあ」
「同感だ。かなり古びて埃っぽくて、掃除機も何もない環境なのに、よく鑑賞できるも
んだ。まともな家具は棚以外には、冷蔵庫だけだった。それでいて尾藤の本来の住居
は、大学にも近い立派なマンションでね。そこに女性を呼ぶこともあったという話だ。
というか、マンションに女を連れ込むから、趣味のアダルトビデオを置いておけなく
て、アパートを借りたのかもしれん」
「尾藤って学生、普通に恨みを買っていそうだ……」
「アダルトビデオ好きという趣味は、よほど親しい男の知り合いにしか話していなかっ
たようだがな。天口を含めて四人、同好の士って奴だ」
「もし天口が殺人犯でないとしたら、残りの三人の中の誰かの仕業でしょうか」
「無論、その線も検討している。内一人には、アリバイがあった。旅行中――寝台列車
で移動していたんだ。連れがいたから間違いない」
「残る二人は……」
「現時点で引っ張る要素はないから、それぞれ一度ずつ事情を聞かせてもらっただけ。
一人は神坂伸人といって、尾藤と高校が同じで、学年は一つ上だった。進学せずに、実
家の電器店に入っている。もう一人は渡辺光三郎といって、尾藤や天口と同じ大学の同
学年。ちなみにこの三人は学部も同じ社会学部だ。事件当夜は二人とも、自宅で寝てい
たと語っている。現場の部屋を前に訪れたことがあると言っているのは神坂だけで、渡
辺はそんな部屋があることすら知らなかったと申し立てているが、信じていいのやら」
「こういうのはどうでしょう? 犯人が、尾藤のコレクションから超レアな裏ビデオを
奪って手に入れたとしたら、自分と犯行を結び付ける物であっても恐らく捨てられな
い」
「だから何か理由を付けて、家宅捜索をやれと? いやー、現段階では難しいな。わい
せつ画像を大量に所持してる可能性はあるが、そんな見込みだけではまず無理だ。現場
周辺で事件の前後、似たような男の目撃証言でもあれば、話は違ってくるが」
「そうですか……。天口も現場に来ていたのだから、犯人は天口とやり取りしているは
ず。携帯電話の記録を調べれば」
「天口の携帯電話なら、とうの昔に調べたさ。割と新しめのスマートフォンだったが、
案外使いこなしていない感があったな。殊に、AV趣味に関することには使った形跡が
ない。形跡を残すのを警戒して、敢えて使っていなかったのかもしれない。それはとも
かく、天口が神坂や渡辺と連絡を取り合って、尾藤の部屋に行く話になった様子はな
い。連絡自体も皆無ではないが、事件発生の何週間も前だ」
「その口ぶりだと、尾藤と天口の間でも、連絡を取り合った跡はなし?」
「ああ。恐らく法に引っ掛かるような物も扱ってたんだろうから、慎重に事を運んでい
たんじゃないか。こちとら違法なアダルト物ってだけでいちいち相手をしていられるほ
ど暇じゃないんだが」
 苦笑いを浮かべた多倉刑事は、占部の方を向いて、やっぱりコーヒーをもらおうかと
言った。喋る内に喉が渇いたらしい。
「いつものように、砂糖ちょびっと、ミルクたっぷりですかー?」
 席を立ちながら占部が聞くと、刑事は少し考え、今日は砂糖抜きでいいと答えた。
「天口の部屋も見たんですよね? アダルト物のコレクションはどのくらいあったんで
す?」
「二十作ぐらいだったかな。全部DVD。そういえば、レコーダーがなかったな。パソ
コンで済ませていたんだろう」
「レコーダーを持ってなかったとしても、DVDの扱いには慣れていたでしょうね。目
当ての作品がDVDにコピーされているのなら、そっちをさらにダビングした方が早
い。ビデオテープからダビングした物なら、コピーガードは掛からないのが普通ですか
ら、DVDからコピーできないってこともない。なのに、ビデオからダビングしようと
していたのだから、被害者の尾藤もビデオテープの中身をまだDVD化していなかった
……」
「理屈は分かった。だが、それが事件解決につながるのか?」
 疑問を呈した刑事の元に、コーヒーカップが届く。すぐに口を付け、満足げに頷い
た。
「分かりません。でも、根本的な疑問として、天口が尾藤を殺したのなら、やはり、犯
行現場に長々と留まって、ダビングを続けるというのは理解に苦しみます。尾藤と天口
以外に少なくとも一人、神坂が部屋の存在を知っていたんです。深夜だろうと何だろう
と、いつ来るともしれない」
「休み前だしな。運び出せる手段がありながら、留まっている理由……ああ、ダビング
するための機械がないじゃないか」
 多倉刑事はこれだとばかりに、膝を打った。
「天口の家にはDVDレコーダーすらなかった。パソコンでコピーしようにも、ビデオ
デッキがなければ話にならない」
「うーん、どうでしょう? ビデオデッキも、尾藤のを持っていけばいいじゃないです
か」
「そうか。配線が分からん、てこともないだろうし」
「第一、本当にビデオデッキはなかったんですか? 同じ家宅捜索でもどういう目線で
するかによって、見えてくる物が違ってくるもんです」
「……あとで聞いておく」
 多倉刑事の返答に、占部が横合いから突っ込みを入れる。
「あれ? 多倉さんて前に、個人の携帯電話の公的利用とかなんとかいう申請、したん
じゃなかった?」
「した。よく覚えてるな」
 渋い顔をする刑事。
「じゃあ、すぐにでも問い合わせよーよ」
「単独行動してるだけでもまあまあ異例なのに、また一般市民に助言を求めていると知
られたら、立つ瀬がない」
「もしかして、居場所を知られたくないから、電源オフにしてるとか?」
「そういうことだ」
 緊急の連絡があったらどうするのだろう、と疑問が浮かんだ江口だったが、聞かずに
スルーした。

――続く




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