AWC 安息日 <下>   永山


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#483/598 ●長編    *** コメント #482 ***
★タイトル (AZA     )  16/04/29  00:02  (325)
安息日 <下>   永山
★内容                                         16/07/31 16:18 修正 第2版
             *             *

 その光景を見た者がいたとすれば、摩訶不思議な現象に映ったかもしれない。
 夜の闇の中、街灯の光を部分的に浴びて、高校の女子制服姿の人間が仰向けに横たわ
った姿勢のまま、するすると上がっていく。その人物はぴくりともしない。時折強くな
る風に、スカーフやロングヘアが揺れる程度だ。
 天を目指しているかのようだったが、上昇は突然止まった。建物――ビルの屋上の高
さまで来ると、今度は横移動を始めた。屋上の縁に近付いたところで、腕が伸ばされ
た。人の手により、若い女性の身体は空中から屋上の敷地内へと引き込まれた。
 ここで絡繰りが明らかになる。よく見ると、棒――もしくは枠、あるいは台と呼んで
もいい――が女性の身体を支えていたことに気付く。マジックにおける人体浮遊と原理
は同じ。細くて見えづらいが丈夫なワイヤーを数本、女性の身体の背中側から脇を通っ
て前に回し、引っ張る。それだけだ。ただし、上昇のための動力は、ワイヤーを滑車に
通し、人力とスマートヘリによって引っ張り上げていた。滑車は、元々あった広告設置
のための物を利用した。
 若い女性をビルの屋上に引き込んだ人物は、待機していたもう一人の人物にバトンタ
ッチした。あとを継いだ人物は、今し方空中浮遊をしてきたばかりの女性と同じぐらい
の年齢で、矢張り女性だった。
「まだ死んでいない」
 彼女は僅かな驚きを含んだ声で呟くと、注射器を手に取った。


             *             *

「四日前に都内の空きテナントで見付かった女性の遺体、身元判明したって載ってるよ
ん」
 丸めた新聞紙を振りながら、一ノ瀬和葉が僕らの方にやって来た。
 僕らとは、僕・百田と十文字先輩のことだ。場所は校内のカフェテリア。一ノ瀬のお
ば、一ノ瀬メイさんに会うため、放課後ここで待ち合わせすることになっていた。
「一ノ瀬君でも、紙の新聞に目を通すなんてことがあるのかい」
 今の世の中、必要な情報をネットで調べ、集めるという人は多いだろう。が、一ノ瀬
はコンピュータを手足のように使いこなす割に、意外とアナログなところがあるし、古
い物を大事にする傾向もある。同級生ではない先輩には分からないかもしれないが、一
ノ瀬が新聞を読んでいても不思議じゃない。
「あれれ? 前、この事件の第一報を少し気にしてたはずだけど、その様子だと、まだ
知らない?」
 事件そのものは、僕もしっかり記憶している。遺体が見つかったのは、駅にほど近い
雑居ビル。再開発が狙い通りに進んでいないらしく、テナントがいくつも空いていて、
どちらかというと寂しい区画だ。そんな空きテナントの屋根で、女性の遺体が見つかっ
たのだ。
 テナントの屋根なんて書くと、そのテナントが最上階にあるみたいに聞こえるだろう
けれど、実際は違う。件の雑居ビルは、何フロアか毎に階段状になるように作られてい
た。正確な数は知らないが、たとえば一階部分は五部屋、二階が四部屋、三階が三部屋
という風に、上になるほどフロアのスペースが狭くなる設計だ。遺体が見つかったテナ
ントは五階にあり、そこから上は最上階の十階まで直方体を縦に置いた形になってる。
各階の窓は開かないが、十階の更に上、屋上から見下ろせば、五階テナントの屋根が覗
ける訳だ。
「生憎と、今日の夕刊を手に入れる機会はなかったし、ネットにも触れていないから
ね」
「五代先輩も知らせてくれなかったんですね?」
 テーブルにもたれかかるような勢いで着席した一ノ瀬は、念押ししてきた。
 五代先輩は警察一家の生まれで、高校女子柔道の実力者。十文字先輩とは幼馴染みの
仲で、時折、捜査の情報をもたらしてくれる。
「ああ、何も聞いてない」
「じゃあ、ひょっとしたら同姓同名の別人かにゃ? 知ってる人だと思ったけど、写真
が出てる訳じゃなし」
 深刻な状況から解放されたかのように、口調が軽くなる一ノ瀬。その手から新聞が十
文字先輩に渡された。一ノ瀬の云ったページはすでに開いてあり、先輩は受け取ってす
ぐに記事の内容を把握できたはず。
「――信じられない」
 表情が強ばっていた。見た目にも明らかに動揺が浮かんでいる。十文字先輩のこんな
態度は、初めて目の当たりにした。
 僕はここで初めて記事に目をやった。先輩の肩越し、斜め上から覗いてみる。そこに
は、四日前に発見された身元不明遺体が、針生早惠子さんだと特定された旨が書かれて
いた。
 結果、メイさんと会うのは延期になってしまった。

 十文字先輩は熟考の上、自ら動きははしないと決めたようだった。
 あとから知らされたのだけれど、先輩は一週間前に早惠子さんと会っていた。用件の
詳細は教えてもらえなかったが、掻い摘まんで云うと早惠子さんから身辺警護を依頼さ
れたらしい。しかし真実かどうか疑わしいとの理由で、依頼を拒否した。
 そのことが、この殺人に直結したのかどうか、定かではない。表面上の出来事を素直
に解釈するなら、十文字先輩が警護を拒否したことで、早惠子さんは殺されやすい立場
に置かれ、実際に命を奪われた、となるが……ここに来てまだ、高校生探偵は旧友の姉
を全面的には信じていないのだ。
 全てが罠だとすると、こちらから動くのは得策でない。そういった判断により、早惠
子さんから警護を頼まれた事実を、警察にすら話さないと決めた。
「無論、二つのグループの抗争により、殺害されたという目もある」
 先輩は二人でいるとき、そう説明した。
「以前に話したのを覚えているか? 遊戯的殺人を好んで行う連中が、逆にここ最近で
何名か殺されている。もしかすると、殺人を職業的に行う連中、要は殺し屋が遊戯的殺
人者を邪魔な存在として片付けているのかもしれないと。今度の針生早惠子さん殺しが
本当なら、殺し屋に始末された可能性はある。確証のない、単なる仮設だが」
 もしそうだとすると、早惠子さんが助けを求めたのも、事実、殺し屋を恐れていたか
らとなる。
「でも、そう易々とやられるものだろうか? 前触れなし、不意打ちを食らうのなら話
は違ってくるが、“同好の士”が殺されたことを知っていたはずだし、脅迫文まで受け
取ったのだから、警戒したに違いない。人殺し仲間が皆無だったとも思えない。だから
――だから僕は、この件は遊戯的殺人者側の策略だとみている。下手に動いて流れを壊
すよりも、しばらく静観して、両者をあぶり出すのが得策だ。その上で、誰も犠牲が出
ないのが最善だが、それは高望みかもしれないな」
 こうして、パズルの天才にして名探偵の十文字龍太郎は、一時的に手を引くことを宣
言した。

             *             *

 八神蘭は通常、調査などしない。巡ってきた依頼をこなすだけだ。もちろん、仕事の
現場において、移り変わる状況に即して判断が必要となることは多々あるが、それを調
査とは呼べまい。
 だから今回は特別だ。仲間内のネットワークを通じて、ある人物の正体を探り出すこ
とを込みで始末を頼まれ、引き受けた。引き受けたのには理由がある。そのターゲット
が、自分の周辺にいると予想できたし、正体を隠したままターゲットに接近すること
も、他の者と比べて八神なら容易に可能だったから。
 そもそも、この面倒事の発端は、殺し屋側にいた万丈目が、遊戯的殺人に手を広げて
しまったことにある。趣味に走るのなら走るでこっそりやればまだ見逃せたが、万丈目
は大っぴらにやった。彼自身が利用する電車の沿線でばかり被害者を物色していては、
いずれ警察に捕まるのは火を見るよりも明らか。逮捕された万丈目の口から、殺し屋の
情報が漏れる危険性があった。その恐れを断つためにも、万丈目を早急に処分する必要
があった。その刺客として白羽の矢が立ったのが、八神だった。万丈目の表の職業は高
校の教師。八神は学生に化けることで――いや、化けなくても現役の高校生なのだが―
―、簡単に万丈目へと接近でき、目的を達成した。
 その過程で、高校生探偵を気取る十文字龍太郎や一ノ瀬和葉、音無亜有香らを知っ
た。十文字の周辺を観察していれば、他にも遊戯的殺人者が網に掛かるかもしれない。
そんな目算は、見事に当たった。針生徹平を始めとする“該当者”について、八神は仕
事仲間に知らせた。誰が始末したのかは聞いていないし、興味はない。
 現在、八神の関心は針生早惠子に向いていた。弟に次いで姉までも遊戯的殺人者であ
るなら、一度に片付けるべきだったと思うが、今さら悔いても仕方がない。少し前まで
確証がないどころか、針生早惠子は全く尻尾を出していなかったのだ。針生徹平が死
に、さらに鎌を掛けられたことで、ようやく隙を見せたと云える。
 前辻能夫と接触を持ったことは、既に把握していた。この男もまた、遊戯的殺人者の
嗜好を直隠しにして生きてきたようだった。殺し屋の側でも、前辻とつながりのある者
は何人かいた。依頼された殺しの実行が困難なとき、金と引き替えにうまい方法を案出
してくれるのが前辻だった。いつの頃から遊戯的殺人にまで手を染めるようになったの
かは、判明していない。
(前辻の方は、始末するには惜しいという声が上がっているが……こちらの身に危険が
及ばぬ限り、私も前辻には手出しすまい)
 方針は決めている。ただ、一線を越えたかどうかの基準はフレキシブルだ。あまりが
ちがちにラインを設け、いざというときに命を落としては元も子もない。臨機応変、柔
軟に対処できる必要がある。
 八神はふと、思考を止めた。目を付けていた人物がアパートから出て来たのだ。張り
込みを開始した時点から、神経を研ぎ澄ませていたが、雑多な思考をやめることで更に
磨きが掛かる。信条を異にするとは云え、敵もまた殺しのエキスパートであることは間
違いのない事実。油断禁物である。
 八神は追跡を五分ほど続けた。ひとけが全くない路地に入り込んだ時点で、一層、緊
張感を高めた。
 正直云って、あとを付けている相手は、さほど怖くはない。相手――前辻能夫の実技
は、八神のレベルに全く達していない。恐れるとしたら、前辻の助っ人だ。現れるかも
しれないし、現れないかもしれない。この場に助っ人が来たとして、いきなり襲ってく
るか、どこかで観察をするかも分からない。
 一本道の先に、神社が見えた。時刻は夕方に差し掛かり、辺りは暗くなってきた。
 八神は自ら動くことにした。
「前辻能夫」
 いつでも最終手段が執れる体制を整えた上で、相手の名前を呼んだ。距離は十メート
ルほど。
 前辻は背中をぴくりとさせ、足を止めた。振り返らない。
「前辻さん。申し開きがあれば聞こうと思う。このあとどうなるかは、そちらの気持ち
次第だ」
「君の名前は?」
 乾いた声で質問が来た。まだ背を向けたままだ。それを知っていながら、八神は首を
横に振った。
「残念ながらその要望には添えない」
 万が一に備え、日常的にしているソバージュを解き、化粧で年齢を高く見せ、靴は若
干上げ底にした。突発事に対処できるだけの動きを確保しつつ、変装をしたのに、あっ
さり名前を明かせるはずがない。八神は話を戻した。
「早く意思表示をしてもらいたい。人が通り掛かると、面倒になる」
「君は……普通の人ではないのだね?」
 ここでようやく振り返った前辻。色つきの丸眼鏡を掛け、無精髭を生やし、頬はやや
こけている。手足が長いせいか、痩せて見える。実際、血色はよくないようだ。
 八神は前辻の大まかな問い掛けに、黙って首肯した。
「話のしやすい場所に移動する気はないのか、あるのか?」
「待ってくれ。まず、一つ教えてもらいたい。針生早惠子君を知っているか?」
「知っている」
 その件で来たのだとまでは答えないが、恐らく前辻も察知しているであろう。
「彼女と連絡が取れなくなっているのだが、君達の仕業か?」
「これはおかしな話を。あなたが彼女の死を演出したのでは」
 八神は敢えて意地悪く尋ね返した。
「そう。その通りだ。彼女の死を演出しただけで、本当に殺してなんかいない。死んだ
のは、別の女子高生のはずなのに……連絡が取れない」
「……」
 どうやら前辻は計画を立てただけで、現場には立ち会わなかったようだ。八神はそう
推測した。
 似ているからというだけで殺されかけた宮迫恭子を助け、代わりに針生早惠子を葬っ
ておいた。前辻の計画通りに、ただ死んだのが宮迫恭子ではなく、本物の針生早惠子だ
ったというだけのこと。
 尤も、宮迫恭子を救えたのは偶々運がよかったに過ぎない。八神達のグループからす
れば、針生早惠子の処分が目的で、あとは取るに足りないことだ。ただ、無駄な死を防
ぐチャンスがあれば、積極的に動く。遊戯的殺人の否定につながるからだ。殺し屋が人
命救助をすることがあっていい。
「針生早惠子は、もうこの世にはいない。前辻さんの計画は途中で座礁した」
「……そうか。それで君は、私も始末しに来た訳だ」
「さっきも云った通り、どうなるかはそちら次第。あなたの立案能力を買っている者
は、こちら側にも結構いるということです」
「なるほど」
 前辻の表情に、安堵の色が少し浮かんだようだ。陽光の具合で分かりにくいが、希望
を見出したに違いない。
「ありがたくも勿体ない話だが、果たしてどこまで信用できるのだろう? 確か、万丈
目と云ったかな? 彼は元々そちら側の人間だったが、趣味に走ったばかりに始末され
たと聞いている。彼に、申し開きのチャンスを与えられなかったのか?」
「あれは、大っぴらにやり過ぎた。早急に片付けなければ、我々全体に悪影響が及びか
ねなかった。私が云うのもおかしいだろうが、そちら側の連中にも助かった者がいるの
ではないか」
「理屈は通っているという訳だな」
 そう答えつつ、考える風に首を傾げる前辻。何かを待っている様子ではない。軍門に
降るべきか否か、真剣に検討しているように見える。
「条件を出せる立場でないと分かっているが、敢えて云わせてもらいたい」
「――決定権は私にはないが、聞くだけ聞こう」
 人目を気にせずに話せるよう、場所を移したいのだが、前辻の警戒心はまだ完全には
解けていないらしい。なかなか動こうとしない。
「ある人物に関する情報を持っている。そちらにとっても重要な情報だ。それを手土産
に、この前辻の地位をある程度高いものにしてくれると保証する保証してもらえない
か」
 そのような権利は自分にはないし、興味もない。そもそも、一流企業のようなきっち
りと体系だった組織が作られている訳ではないことぐらい、前辻自身承知のはずだろう
に。
「ある人物とは誰?」
 それでも現時点で相手から引き出せる情報は得ておこう。八神は聞いた。
「そちらから云わせれば、遊戯的殺人者の親玉、かな。不可能犯罪メーカー、冥府魔道
の絡繰り士」
「冥、ですか」
 噂に聞いたことはある。文字通り神出鬼没の怪人物で、冥の仕業と思しき犯罪が日本
各地で起きている。ほんの一時期、隣の幌真市で立て続けに殺人を起こし、人前にも姿
を現したが、捕まることなくすぐにいなくなったという。遊戯的殺人者の親玉とはぴっ
たりの呼称で、冥は中でも劇場型犯罪を好む傾向があるらしい。不可能犯罪を大衆に披
露する、そんな感覚なのだろうか。
「前辻さんは冥と会ったことがあると?」
「二度だけ。電話でも二度ほどある。ただ、こちらからつなぎを取るのは無理なんだ。
でも、いくらか時間をもらえれば、より詳しい情報を手に入れられる。正体を掴むのは
厳しいが、冥が次にどこで何をやらかそうとしているか、とかなら」
 八神は沈思黙考した。魅力的な話である。冥を捕らえるか殺すことが叶えば、遊戯的
殺人者達は勢いを失うだろう。結果、殺し屋の仕事もやりやすくなる。遊戯的殺人者の
側に寝返っていた面々も、戻ってくるかもしれない(同業者が増えすぎるのは、八神と
しても歓迎したくないが)。
「今、冥について知っていることを、全て話してもらいたい。情報を持ち帰って、上に
諮るとしよう。それができないのであれば、これから一緒に来てもらい、直接話すか
だ」
 八神が提案すると、前辻は表情を曇らせた。いや、最早辺りは帳が降りつつあり、相
手の顔はほとんど見えない。気配や雰囲気で感じ取っただけである。
 やがて前辻は、決断を下したかのように気負った声で云った。
「冥の声を録音したディスクがある。それを取りに行きたい」
「ならば、同行しよう」
 八神が歩を進めると、前辻は後退した。
「だめだ。まだ完全に信じ切れていない。音声データの他にも、もう一つ手掛かりがあ
る。それも同じ場所に隠してあるんだが、自宅ではない」
「隠し場所を知られたくないということか」
 八神はつい、舌打ちした。ここで無理強いしても、埒は明くまい。かといって、前辻
を一人で行かせるのも不安要素が多い。逃げられでもすれば、その失敗はいつまでも八
神のプライドを傷付けるだろう。
「――前辻さん。もしあなたが約束を違え、戻ってこなかった場合、あなたが冥を我々
に売ろうとしたことを、冥に知らしめる。冥はネットのチェックを欠かさないそうだか
らな。ネット上に噂を流せば、じきに冥は把握する。噂の真偽がどうであろうと、冥は
あなたをただではおくまい」
「……かまわない。そうだな、午後八時にこの場に戻ってくる。まだお疑いなら、味方
を大勢引き連れてくればいい」
 どうにか合意にこぎ着けた。普段、し慣れていないことをやると、肉体的にも精神的
にも強く疲労する。八神は改めて実感した。

 だが、前辻能夫は二度と姿を現さなかった。

             *             *

 体育祭のリハーサルを終え、僕らは街のファミリーレストランに来ていた。先延ばし
になっていた、一ノ瀬メイさんとの再会を果たすためだ。
 約束の時間にはまだ早いが、先に来て好きな物を食べていていいとメイさんから云わ
れていたので、遠慮なく注文する。
 僕らというのは、前と違って今日は四人に増えている。僕・百田と十文字先輩、一ノ
瀬和葉に、音無亜有香が加わった。
「ご心配をお掛けしましたが、どうやら体育祭には間に合いそうです。一ノ瀬の順位に
関係なく」
 そう報告すると、先輩は嬉しそうに目を細めた。本当に心配してくれていたんだと、
改めて分かる。ちらと横の席を伺うと、音無も同様に安堵の笑みを浮かべていた。憧れ
の女子にこんな反応をされると、天にも昇る心地になる。いやまあ、純粋に心配されて
いただけなのだが。
「朝一番に復活宣言を聞いちゃったから、気合いが入らなかったよん」
 一ノ瀬がこう言い訳するのは、もう何度目だろう。予行演習での徒競走で、彼女は結
局五位になった。七人中の五番目だから、一ノ瀬としては大健闘と云えるかもしれな
い。
「ところで十文字先輩。しばらく探偵を休んでる間に、大きな事件が起きましたね」
 僕が話題を振ると、しかし先輩は特に気のない風にふんふんと頷くばかりだった。
 高校生名探偵を自認する先輩が、あの事件に興味を抱かないはずがない。にもかかわ
らず、今のような反応をするのは、針生早惠子さんの事件が影を落としているのだろ
う。十文字先輩はまだ、早惠子さんが殺された件に関して、何ら行動に移していない。
少なくとも、僕の知る範囲では。
「多分ニュースで見た事件だと思うが、詳しくは知らないな。百田君、話してくれない
か」
 音無に促され、掻い摘まんで伝える。
 その殺人事件が起きたのは三日前。被害者は男性で、午後四時から同六時の間に死亡
したと推定されている。発覚は同じ日の午後八時十五分で、身元や死因はまだ判明して
いない。年齢は三十から四十辺り。手足が長く、やせ形だが、胴回りは結構だぶついて
いた。肌に日焼けが見られないことからも、あまり出歩かない生活をしていたと考えら
れている。
 重要かつ名探偵が興味を惹くであろう事柄は、その死に様だ。端的に表現するなら、
遺体はばらばらにされていた。頭、両腕、両足、胴体に切断され、更にそれぞれが二つ
に切り分けられていた。頭は左右に割られ、右腕は手首から、左腕は肘から、右足は膝
から、左足は踝から、そして胴体と腹部に切断されていた。都合十二の部位に分割され
ていたことになる。
 発見された場所も異なっており、頭部は私立大学に隣接する学生寮の駐車場に無造作
に置かれ、腕はスポーツジムの裏口にある青のごみバケツに放り込まれ、足は商店街に
ある古着屋の試着室に立て掛けられ、胴体は山道のすぐ脇に積み重ねられていた。いず
れも防犯カメラのない場所だった。
 不可解な点は他にもある。死亡推定時刻に入っている当日午後四時頃、市内で被害者
の目撃情報が複数出ているのだが、距離を考慮するとあり得ないほど離れているとい
う。ワイドショーの解説によると、目撃場所と遺体発見場所は最大で車で五時間を要す
るほど離れているとか、同じ時間に二箇所で目撃されているとか、俄には信じがたい話
が出回っている。
「――聞きかじっていた以上に陰惨な事件だ。まともな理由があって起こした殺人なの
だろうか」
「さあ。僕に問われても……」
 十文字先輩に目をやると、多少は興味を持ったらしく、一ノ瀬に何やら検索を頼んで
いた。端末を触る一ノ瀬が、何らかの結果を表示し、先輩の方にその画面を見せる。
と、そのとき、一ノ瀬がひょいと首を伸ばし、レストランの出入り口の方を向いた。
「来た! メイねえさん、こっちこっち!」
 遅れてドア方向に視線をやると、一ノ瀬メイさんの姿があった。白のTシャツに緑と
黄のタンクトップを重ね着し、下は細いジーンズが足の長さを強調している。確かに目
立つ人だが、出入り口に背を向けていた一ノ瀬和葉がいち早く気付いたのは、さすが親
戚、血縁のなせる業と云うべきか。
 挨拶のあと、「相変わらず、お綺麗ですね」と云うべきかどうか僕が迷っている(音
無がいるから)と、当のメイさんが「相変わらず――」と口火を切ったので、びっくり
した。
「相変わらず、殺人が多いようだね、君らの周りには」
「ええ」
 十文字先輩が居住まいを正した。メイさんは音無からメニューを受け取りながら、十
文字先輩の話を待っている。程なくして、先輩が尋ねた。
「殺人事件が多いことと関係しているかもしれないんですが……メイさんは何か噂を聞
いていませんか。職業的殺し屋のグループと遊戯的殺人者のグループが争っている、と
いうような」
 メイさんはちょっと唇を尖らせ、検討するかのように二、三度首を縦に振った。それ
からウェイターを呼んで、注文を済ませた。ウェイターが立ち去ったあと、声を潜めて
高校生探偵に答える。
「殺し屋のグループについてはあまり知らないが、遊戯的というか愉快犯というか、そ
の手の殺人者に関してなら、情報がある」
 お冷やを呷り、続ける。
「そいつは私がずっと追っている相手でもある。腹立たしいことに、名前の読みが私と
同じなんだ」

――終わり




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