AWC 安息日 <上>   永山


        
#482/512 ●長編
★タイトル (AZA     )  16/04/28  22:22  (362)
安息日 <上>   永山
★内容
 愉快犯なんてものは周囲に一人いるだけでも、空恐ろしい。不気味で得体の知れない
存在だ。それが、ここのところ立て続けに複数名が現れたものだから、混沌に拍車が掛
かっている。しかもそのほとんどが、人を殺しても名とも思わない連中らしい。
 まず、僕・百田充になりすましていた千房有敏だが、取り調べに大人しく応じている
そうだ。中卒で働きに出た千房が、どうやって生計を立て、整形手術を行えたのか。そ
もそも、家族は? 色んな疑問も解決した。母子二人の家庭に育った千房だが、生活自
体は困窮していた訳ではない。別れた父というのがIT事業で成功しており、充分な慰
謝料や養育費をきちんと送っていた。千房の人生に狂いが生じたとすれば、中学二年の
春休み。進路をそろそろ決めようかという頃合いに、母親を交通事故で亡くしている。
保険金プラス父親からの送金で、進学に弊害はない。ただ、面倒を見てくれる家族が簡
単には見付からなかった。父親はすでに再婚しており、その相手というのが他人の子供
とは家族になれない質だった。結局、父親からの養育費増額につられた親戚の女が千房
を引き取ったが、放任主義に徹していたという。そんな環境下で、そんな大人達を見て
育った千房有敏の目に、一年上の十文字龍太郎が眩しく映ったのかもしれない。両親が
揃った幸せそうな家に育ち、天才ともてはやされ、パズルの才能を発揮し、実績を残し
ていた十文字先輩に、いつしか嫉妬し、越えてやろう倒してやろうという考えに取り憑
かれた――。一応、こんな形で、千房の件は落着を迎えそうだ。
 次に、瀧村清治の件。いや、瀧村自身はすでに死亡しているので、彼の起こした事件
の未解決部分と、彼が殺された事件についての進展具合。
 瀧村がホテルでの殺人直前に購入したハンディタイプのコンプレッサー、その用途が
はっきりしなかったが、浴室を密室に仕立てるために必要な道具だったことはある程
度、裏付けが取れた。というのも、瀧村はネットカフェや図書館、ホテル等で備え付け
のパソコンを利用していたのだが、そのネット検索履歴を調べたところ、人体の仕組み
や操り人形の構造に興味を示していたことが窺われた。ここからは想像になるけれど
も、瀧村は死体にコンプレッサーの管を突き刺し、空気圧で死体の腕や手を操ろうとし
ていたのではないか。そして死体の手で浴室のドアを、内側からロックさせるつもりだ
った……。こう書くと全くの絵空事に聞こえるが、瀧村は実行しようとしていた。前も
って実験することもできただろう。それなりに成功の確信を持っていたと思われる。
 一方、瀧村殺しに関しては、大きな進展はない。十文字先輩の知り合いである針生早
惠子さんが、瀧村とも顔見知りで、かつ、偽名を称していた瀧村の本名を知っていたと
いう事実が判明した訳だが、それ以上切り込めないでいた。彼女曰く、偽名を知ってい
たのは、瀧村自ら明かしたもので、「ネット上のハンドルネームだよ」と説明されてい
たという。瀧村本人亡き今、真偽の確かめようがない。ただ、瀧村がインターネットで
件の偽名を用いていた事実は、裏付けが取れていた。無論、瀧村はその人物になりすま
していたのだから、偽名を用いるのは当然とも云えるのだが。
 そんな風に、複数の事件が片付いたり継続したり、あるいは進展なしだったりと、あ
る意味名探偵の日常らしい風景が繰り返されていた。
 繰り返しに変化をもたらすのは、十文字先輩が高校生である以上、学校行事であるこ
とが多い。今の季節なら、十月にある体育祭だ。
「百田君は、体力回復しそうなのかい?」
 体育の授業を休んだ僕に声を掛けてくれたのは、クラスメートの音無亜有香だった。
女子だけど、剣道の腕が立つ。それでいて汗臭さとは無縁の、ポニーテール美人だ。僕
の理想とする異性だし、こうして心配されるのは嬉しい。
「まだ分からない。復活できたとしても、あとから加わるのは難しい団体競技なんか
は、出ない方がいいかもね」
「そんな情けないこと云うとは情けない」
 重複表現ぽい云い回しで割って入ってきたのは、一ノ瀬和葉。同じくクラスメート
で、コンピュータ全般、特にプログラミングの才能を認められた学内有名人かつ天才の
一人。海外生活が長かったせいか、日本語に少しおかしなところがあったが、最近はわ
ざとやっている節が窺えなくもない。
「仮にも探偵の相棒にしちゃ、非常にココロモトナインじゃあ、ありませんか」
 ……“ココロモトナイン”てのは、“心許ない”か。猫型ロボットの秘密道具か、新
しい栄養ドリンクみたいなイントネーションで云うから、すぐには分からなかったじゃ
ないか。
「一ノ瀬の体力だって、心許ないと思うけど。後半、行進に着いて行くのもやっとだっ
た」
「あれは前半頑張りすぎて、ペースがちょっぴり狂ったんだよん。次からは修正する空
問題ないから」
 元来がインドア派の一ノ瀬にしては、きっぱり否定した。彼女にとって日本の学校の
体育祭は久しぶりになるはずだから、できる限り頑張ろうと決めているのかもしれな
い。
「分かった。それなら、一ノ瀬が予行演習で徒競走三位以内に入ったら、僕も頑張って
全部出るように努力する」
「努力じゃなく、確約してもらおー」
 そんな無茶な。医師の許可がまだ下りてないんだってこと、把握できてるんだろう
か。

             *             *

「早惠子さんの方から連絡をくれるなんて、珍しいですね」
 携帯電話のメールを示しつつ、十文字龍太郎は待ち合わせ場所に現れた。ターミナル
駅の三つ手前、乗降客が多すぎず少なすぎず、駅周辺に店の類は皆無で、人目もさほど
ない。内緒話をするにはうってつけの場所かもしれなかった。
「ありがとう、来てくれて。そんなに珍しいかしら?」
 ベンチから腰を上げた針生早惠子は、制服ではなく私服姿だった。清楚さや純粋さを
アピールするかのような、白のワンピースに鍔広の黄色い帽子。時間帯から云って学校
帰りと思っていた十文字は、少し意外に感じた。わざわざ着替えたのだろうか。
「珍しいですよ。少なくとも、高校生になってからは、記憶にないな」
「そんなになるのね。――どこかに入る? 十分ほど歩けば、喫茶店があったと思う」
「いや。それじゃ、この駅にした意味がなくなるでしょう。一刻も早く相談したいので
は」
 短いメールにあった。「弟のことで相談したい。都合のいい日を教えて」と。
「そうね。じゃ、隣に座って。ちょうど木陰もできてる」
 ベンチの上を覆うように、木が枝葉を広げていた。隙間を通して雲が臨める。
「徹平が死んでからまだみつきと経っていないのに、随分昔のことのように思える……
十文字君はそう感じてるんじゃない?」
「は?」
 てっきり、早惠子が弟・針生徹平の死について感想を述べるのだと思い、聞いていた
十文字は、一瞬呆気に取られた。体勢を立て直し、答える。
「そんなことはない。事件はあれからもたくさん起きたが、彼が亡くなった事件はまだ
謎が残っている」
「つまり、まだ生々しく記憶に乗っているのね。それなら話が早いわ。私も同じだか
ら」
 十文字は何も答えずにいた。姉が弟を亡くしたのなら、普通はそんなものだろう。だ
が、十文字は早惠子が徹平の死に関わっているのではないかと推測したことがある。今
もその疑念は薄まりこそすれ、消えてはいない。もし彼女が犯人であれば、事件につい
て記憶がいつまでも鮮明なのは、ある意味当然ではないか。
「実は私、狙われているみたいなの」
「……まさか狙われているというのは、その、命を?」
「さすが鋭いわね」
 声なく笑ってみせた針生早惠子を、十文字は素早く観察した。緊張や憔悴、あるいは
恐怖や焦りの色が少しずつ浮かんでいるように思えた。こめかみに浮かぶ小粒の汗、髪
の微かな乱れ、唇の小刻みな震え、いつにない早口等々。
「とりあえず、事情を伺いたい」
「ええ。身内の恥をさらすようだし、死んだ徹平を悪く云うようで気が引けるのだけれ
ど、弟は……人の死や殺人を美化するような主旨のサイトに出入りしていたみたいな
の」
「それだけで恥とは云えませんよ」
「かもしれない。けれども、有名な殺人犯のグッズを手に入れようとしたり、毒物の作
り方を調べ上げて得意げに書き込んだりするのは、どうかと……」
「ふむ。徹平のそういった行為を知ったのは、彼の死後? たとえば、彼専用のパソコ
ンの履歴から分かったとか」
「そうよ。ほんと、鋭いのね」
「常道です」
「徹平は元々パソコンを買い与えられていたのに、わざわざ別のノートパソコンを密か
に購入していた。もちろん中古だけど、自分のお金で。殺人関係のアングラなサイトに
は、そのパソコンでのみ接続していたみたい。一応、徹平自身、隠すべき趣味だという
意識はあったのね」
「その二台目のノートパソコンは、どこに隠してあったんです? そして早惠子さんが
いかにして見付けたのか、興味あります」
「――目の付け所が違うのは、名探偵だから? 隠し場所って云うほどじゃなかった
わ。ノートパソコンを持ち運びするためのバッグがあるでしょ。あれの中にあった」
「隠し場所と云えないんじゃあ」
「一台目のパソコン用に、バッグも併せて買ってもらったのよ。その中に、二台目を隠
していた」
「なるほど。買ってやったパソコンが使われているのなら、普通、バッグは空っぽだと
思うという訳か」
 でも、警察が見落とすだろうか。十文字は疑問に思った。
 針生徹平は、殺人事件の被害者として死んだ。当然、警察は被害者についてよく知ろ
うと、周辺を調べたはず。
 十文字はしかし、疑問を飲み込み、本題に戻るべく、相手に話の続きを促した。
 針生早惠子は少し間を取り、話をまとめ直したようだ。
「徹平は殺人アングラサイトに参加する内に、同じ趣味の人達とつながりができ、さら
には本物の犯罪者とも関わるようになったらしいの。そして、そういった連中の一人と
トラブルになっていた」
「どうやって知ったんです? メールや書き込みの痕跡が残っていた?」
 この質問は合いの手のようなもので、当然、肯定の答が返ってくるとばかり思ってい
た十文字だったが、実際は違った。
「ううん。徹平はその辺りも用心深くて、きれいさっぱり消していた。でも、相手から
もメールは来るでしょう? 弟が死んだあとに来たメールは、誰も削除できずに残って
いたわ。片仮名でフラキと名乗ってる」
「そのフラキが、徹平の死を知り、矛先をあなたに向けてきたとでも?」
「そう。おかしなことになってる。こちらから教えた訳じゃなく、向こうがニュースを
見て把握したらしいのだけれど――」
「一つ質問が。徹平はそんなサイトやメールで本名を名乗っていたのですが」
「分からないのよ、それが。フラキの話だと、本名のアナグラムになっていたらしいの
だけれど、どう名乗っていたかは分からないまま」
「なるほどね、アナグラムか」
 パズル好きな徹平らしい。十文字はひとまず納得し、話の続きに耳を傾ける。
「どうやって調べたのか、九月十一日、私のパソコンメールのアドレスに、フラキから
メールが届いたのよ。そいつと弟の間にもめ事があった大まかないきさつを聞かされた
上、『いずれ徹平君の思い上がりを叩き潰してやるつもりだったのに、“勝ち逃げ”さ
れてしまい、気分が悪い。この鬱憤を晴らすには、彼の身内を壊すしかない』という文
章を送りつけられて……」
「警察に届けましたか」
「無理よ。警察に報せたら、犠牲は一人で終わらないとまで云われたのだから」
「それを信じたんですか」
 十文字からすれば、狙われるのが一人から二人に増えたとしても、大した違いではな
いと感じる。当人やその家族にとっては、大問題だとしてもだ。
「信じるしかないでしょう。元の脅迫に、命を狙うとか殺すという意味の表現は使って
いないのだから、ひょっとしたら命までは取らないということかもしれない。相手を刺
激することはないと、家族で決めたの」
「なのに、僕に相談を持ち掛けてきたのは、どういう風の吹き回しです?
「決まってるでしょう、警察じゃないからよ。誘拐と同じ」
「……早惠子さんは結局、何を僕に依頼したいのですか。命を狙われていると本気で恐
怖を覚えているのであれば、何があっても警察に報せるべきだ」
「それでは、依頼は受けてくれないのね。力不足を認めて」
「……」
 相手の挑発的な物言いに、十文字は若干、鼻白んだ。針生徹平が死んだ件で、その姉
への信頼度が弱くなっていたが、ここに来てますます冷めてしまった。もしかするとこ
の度の依頼そのものが罠なのかもしれない、とまで考えた。
「ええ、僕には無理ですね」
 高校生探偵として名を知られるようになって以降、依頼を断ったことがなかった訳で
はない。だが、嫌な予感がするからという理由で断るのは、今回が初めてだ。
「せめてあなたが同じ学校なら、ある程度は目を配れますが、現状ではとても手が回ら
ない。他を当たってください」
 腰を上げかけた十文字。彼の右腕を、早惠子の細い指が掴み止める。
「待って。話を最後まで聞いて頂戴。ずっと警護して欲しい訳ではないのよ。何も起こ
らない内から、犯人――フラキを見付けてと頼むつもりもない」
「ではどうしろと」
 座り直し、肩をすくめる。すると、相手はピンク色の封筒を取り出した。
「フラキを名乗る差出人から、こんな手紙が届いたの。切手が張ってないから、直接、
郵便受けに入れたのかもしれない」
 一旦、破棄しようとしたのか、くしゃくしゃに丸めた痕跡がある。もう指紋には期待
できまい。そう判断した十文字は手紙を手に取ると、ざっと観察した。表には針生早惠
子が宛名として書かれており、郵便番号や住所も記入してある。裏にはフラキとだけあ
った。封筒の口に軽く息を吹きかけ、中を覗くと便箋が三つ折りになって入っていた。
枚数は一枚きりのようだ。早惠子の了解を得て便箋を引き出し、読んでみた。思ったよ
りもずっと短い文面だった。

『おまえの秘密を知っている。
 公にされたくなければ、十月一日午後八時に、下記の住所まで独りで足を運ばれよ。
 指定した日時に姿を現さないときは、秘密を公開するとともに、かねてよりの予告を
実行する。壊れるのは、あなた自身とは限らないことを忠告するものである。 フラ
キ』

 今時珍しく、雑誌や新聞などから切り抜いた文字を貼り合わせて作られている。フラ
キの名のあとに、指定の住所が記されていたが、どこなのかまでは分からない。
 手紙を受け取った当人を見ると、十文字の考えを察したかのように、「うちの高校の
旧校舎があったところよ」と答えた。
「美馬篠高校の旧校舎……ということは、今は使われていない?」
「使われていないどころか、十年以上前に更地になっているはず。だから、行っても何
もないと思うのだけれど」
「その周辺は? 建物があるのか、人通りは多いのか少ないのか」
「詳しくは知らないし、実際に行ったことはないのだけれど、再開発の予定が立ち消え
になったと噂に聞いたわ。だから、寂れてるんじゃないかしら」
 凶行をなすには向いているということか。十文字は顎に手を当て、考え込んだ。
「……腑に落ちない点が、まだいくつかある。徹平を殺した犯人はまだ分かっていな
い。フラキは有力な容疑者になると思う。そのことを、警察に話すつもりは」
「だから、さっきも云った通り。警察に届ける気はないの。少なくとも、脅しの件が決
着するまではね」
「うーん」
「それに、フラキが弟を殺した犯人だとしたら、もう目的を達成してる訳でしょう? 
なのに私達家族を脅してくるなんて、辻褄が合わない」
「それはそうですが……」
 カムフラージュの可能性も検討すべきだろうか。それとも、最前の嫌な予感の通り、
これも含めて全てが何かの罠なのか。
「立ち入ったことを聞きますが、早惠子さん。この手紙にある、あなたの抱える秘密と
は何です?」
「分からない」
 即答した針生早惠子の表情に、くもりはない。何ら隠し立てするようなことはないと
思えた。
「心当たりがないのよ。宛名の間違いかもしれない。でも、聞く訳に行かないし」
「しつこいようですが、何一つ秘密を持っていないんですか」
「莫迦ね。ないはずないじゃない。でも、公にされて本当に困るようなものじゃないっ
てこと」
「おかしいな。それなら、こんな脅迫なんて無視すればよい」
「でもそれは、殺されかねないような文句が書かれてるから」
「そもそも、この脅迫自体、何だか妙な印象を受けたんですがね。『秘密をばらされた
くなければどこそこに来い』と『来なければ命を狙う』という二つの脅しがあって、そ
れぞれ前後の関係になっている。普通、『来なければ秘密をばらす』で完結するものじ
ゃないのか? これだと、フラキの目的は結局はあなたを害することであって、脅迫す
る必要がないんじゃないか? そんな風に思えるのですよ」
「それは……そんなこと云われたって、私が書いたんじゃあるまいし、知らないわ。フ
ラキを掴まえて、聞いてみればいい」
「のりの乾きがまだ完全じゃない」
「えっ、何?」
「この脅迫文の切り抜き、のりで貼り付けてあるみたいだが、まだ完全に乾き切っては
ない感じだ。作られてから、まださほど時間が経っていないような……」
 とぼけた口調で述べる十文字。鎌を掛けてみることにしたのだ。
「念のため、あなたの家を捜索させてもらえませんか。ひょっとしたら、切り抜いたあ
との新聞や雑誌が出て来るかもしれない」
「何を云うの? つまりそれって、脅迫者は私の家族ってことになるじゃない」
「かもしれないし、違うかもしれない」
「そんな」
「僕に依頼するのであれば、まずそこから始めたい。それも今すぐにです。この条件を
受け入れられないのなら、矢張り、依頼をお断りさせていただきます」
「……分かったわ」
 針生早惠子はベンチから立った。
「手間を取らせたわね。この話は忘れてくれていいわ。聞かなかったことにして」
 そう云い残すと、十文字に返事するいとまを与えることなしに、立ち去った。何故
か、駅とは反対向きの方角に。

            *              *

「だめだったわ。話に乗ってこなかった」
 早惠子は電話口で嘆息混じりに云った。相手は無言のまま聞いている。
「謎をちらつかせれば応じると簡単に考えていたんだけれども、甘かったようよ。思い
付きの計画、急ごしらえの小道具では、すぐに怪しいと見抜かれてしまった。特に、切
り抜きの痕跡を指摘されたときは、冷や汗もの」
「やむを得まい。若いとはいえ、彼は名探偵。つきもあるのだろう」
 相手は平板な調子で感想を述べた。本心からの言葉なのか、判断しかねる。
「彼を盾にするつもりだったのに、当てが外れた訳だが、一体どうするね?」
「次善の策――今風ならBプランで行くほかありません。だから……」
「やれやれ。私が行かねばならないのか」
「仕方がありません。決戦の場として指定してきたのが、カップル限定イベントなの
で」
「どういうつもりなのだろう。ホテルで外界とは隔てられた空間とは言え、そのような
人の集まる場に君を招くとは。敵は、君の正体に当たりを付けているのか?」
「恐らく。疑うというレベルを超えていないと、こんな大胆に接触して来ないはず」
「もしかすると、敵側こそ一般人を盾にするつもりなのかもな。こちらは目的のために
は、何ら躊躇することはないというのに」
「無意味、無駄、徒労」
 三つの単語を云う早惠子の口元に微笑が浮かぶ。自分達が好む遊戯的殺人にこそ、無
意味で無駄である種の徒労が含まれていることに気付いたから。
「私達の同好の士を仕留めて回った人物が、今回の敵と同じだとしたら、何故、いきな
り襲って来ず、こうして招待するのかしら」
「探りを入れるため、かもしれないな。君が君の弟と同類なのか否か、敵方は確信が持
てなかったんじゃないか」
「それでは、素知らぬふりを通して、やり過ごすこともできます? 招待に応じるだけ
応じて、何にも知らない芝居をし続ければ、敵は矢っ張り関係ないと思い、何事もなく
帰してくれる、なんて」
「そう甘くはなかろう。こちらから誘いに乗るのなら、最悪を想定して動くべきだ。逃
亡するのなら、徹底して逃亡する」
「でも、私は復讐したい。徹平のためにも」
「理解している。だから協力はする。ただし、万が一にもどちらかが生命の危機に瀕
し、助けようがないと判断したなら、かまわずに見捨てて逃げる。そう決めておく。お
互いのためだ」
「云われるまでもない。了解よ」
 早惠子はもう笑っていなかった。

 針生早惠子との電話を終えた前辻能夫(まえつじよしお)は、自然と身震いをした。
 彼も遊戯的殺人、快楽殺人者の一人である。ただ、実際に人を殺したことは、十年ほ
ど昔に一度きり。専ら、殺人トリックを案出し、他人に提供することで、己の嗜好を満
足させていた。表立った活動をしてこなかった分、その存在を“敵”に察知されにくか
ったのかもしれない。
 そんな裏方である前辻が、再び表舞台に出て来たのは、同好の士が次々に殺害されて
いるからに他ならない。気が付けば、互いに見知っている仲間は、針生早惠子一人にな
っていた。
「彼女にはああいったものの、敵のテリトリーにのこのこ出て行くのは、避けたいとこ
ろだね」
 独り言を口にし、思案顔になる。通話を終えた携帯端末を握りしめたまま、自分の部
屋の中をうろうろと歩き回る。しばらく経ち、部屋の角に置いた姿見にそんな己の姿を
認めて、前辻は我に返った。犯罪計画を考える自分の表情は、こんなにも恐ろしげであ
るのかと、少々驚いた。
 気を付けねばなるまい。他人にこれを見られたら、何事かと訝しがられること必定。
前辻は独り言をやめた。
(こちらから仕掛けて、相手の反応を見るのは、策略としてありだろう)
 狙いを設定し、計画を組み立てに掛かった。

「針生早惠子君。君には死んでもらうことにした」
 前辻がそう持ち掛けると、針生早惠子は彼が期待したようには驚きはしなかった。一
瞬だけ目を見開いたようだったが、あとは淡々としたものだった。
「どのような方法で? それに、どういった目的で?」
 ストレートに聞き返され、前辻は微苦笑を浮かべた。察しがよくて話が早いのはいい
ことだが、面白味に欠ける。
「あまり凝った工作はしない方が、懸命だろう。何しろ、警察だけでなく、殺し屋連中
の検証にも耐えなければならない。シンプルかつ重要そうでない事件ないしは事故に見
せ掛けるのがベストと考える」
「では、交通事故か何かですか」
「いや、交通事故――車だと、事故とはいえ加害者の存在が必要になるからね。高所か
らの転落死がよいと思う」
「高所……ビルとか」
「うん。今、僕の頭にあるのは、ビルの屋上から転落して、下層階の張り出した部分に
叩き付けられて死ぬという形だ。身元が分からない程度に、外見が潰れてもおかしくな
い」
「指紋は?」
「手の方は、ビルの壁面にしがみつこうとした際に、削れてしまったことにしよう。足
の指紋はどうしようもないが、比較できる指紋が残っていること自体、滅多にないだ
ろ? それとも君は、君の足の指紋だと確実に断言できる痕跡を、家の中にでも残して
いるのか?」
「いや、それはない。では最大の問題は、誰を身代わりにするか」
「そうなる。でも、確か君は以前云っていたじゃないか。身近に自分とよく似た背格好
の同級生がいると」
「厳密には今は同級生じゃなく、別のクラスですけどね。宮迫恭子(みやさこきょう
こ)といって、背格好に留まらず、肉付きも似ているし、血液型は同じ。髪の長さも、
あの子が切っていなければ、多分だいたい同じくらい」
「ちょうどいい。どうせ、君も万が一のときは、その宮迫恭子を身代わりにと考え、目
を付けていたんだろう?」
「利用価値はあると思っていたわ」
「利用すべきは今だ。敵陣に乗り込むくらいなら、こちらが死んだと見せ掛けて、敵を
誘き出し、逆襲する方が勝算がぐっと高まる。百パーセントとは云わないがね。ここま
で話せば、君が用意すべき物事も分かるだろう?」
「身元確認を偽装するために、宮迫恭子の毛髪や爪などを手に入れ、私の部屋や学校の
机といった生活圏に、いかにも私の物らしく置いておく。逆に、私の髪の毛などは、丁
寧に取り除いておく。――そういえば、私はどうなるんです? ことが終われば、また
針生早惠子に戻る?」
「うーん、戻ることを願うとは、予想していなかったな」
 前辻は意識してしかめ面を作り、腕組みをした。
「不可能ではないが……そのまま消えてしまう方がずっと楽だろう」
「願ってる訳じゃありません。戻らなくてもいいけれど……十文字龍太郎とは接点を持
っておいた方がいいと考えていたものだから」
「なるほど。彼の存在は、遊戯的殺人のやり甲斐をアップしてくれるね。まあ、いいじ
ゃないか。名探偵は彼だけじゃないし、改めて知り合うことだってできるさ」
「分かりました。残る問題は、一つだけ」
 ウィンクする早惠子に、前辻は意外なものを見る目つきになってしまった。
「何かな?」
「前辻さんの計画にしては、ちっとも遊戯的殺人らしさがないわ」
 なるほど。これは再考の余地ありかもしれないな。
 前辻は笑みを浮かべると、腕を組み直した。

――続く




 続き #483 安息日 <下>   永山
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