AWC ペトロの船出 <上>   永山


        
#470/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  15/06/30  20:44  (297)
ペトロの船出 <上>   永山
★内容
 事件は拳銃自殺で片が付く気配が濃かった。
 食品会社社長の男、ノッド・シャウスキーは、社長室のデスクにでんと収ま
ったまま、こめかみから血を流して死んでいた。遺書こそなかったが、自ら命
を絶つ理由は、誰もが推測できた。老舗の菓子メーカーは、二代目となるシャ
ウスキーが継いだあとも好業績を維持していたが、ここ一年で、製品への異物
混入問題を発端に、材料に関する虚偽や疑惑まで持ち上がり、経営状態は一気
に悪化していた。責任は、対応を誤った社長にあるとの見方が、世間一般に広
まった。その矢先の死。捜査員達が自殺を念頭に置くのは、当然だろう。
 それだけではない。遺体発見当日――それはノッド・シャウスキーが死んだ
日でもある――、社長室に出入りした者は一人しかいない。社長自身である。
社長室に通じる小部屋で受付をこなす秘書および守衛それぞれの証言に、食い
違いはなかった。午前十時ちょうどに社長室にシャウスキーが入ってから、正
午半過ぎに遺体となって発見されるまで、誰も訪れなかったし、誰も出て来な
かった、と。
 しかし――サン・ルバルカンは殺人現場を十分程度観察しただけで、いきな
り言った。
「今日、この部屋にノッド・シャウスキー以外の誰も足を踏み入れていないと
いうのは、疑わしい」
「……まさか、自殺ではないと? 何を根拠に、そう考えるんだね」
 ブラウベ・フィエリオが、鼻の下の立派な髭をしごきながら問うた。肩幅が
広く背の高い彼は、貫禄充分な地元警察の署長である。国王ワムズ・フィエリ
オの近親者で、王からも民からも信頼が厚い。いずれ警察のトップに立つ人物
と目されている。そのブラウベ署長が、民間の探偵であるサン・ルバルカンを、
捜査の現場に立ち会わせるのは、署長がルバルカンの能力を買ってるためだ。
難事件や世間への影響が大きい事件には、ときに部署の領域を超えてでも、ル
バルカンを介入させるほどだ。
 そんなブラウベ署長も、今回は形ばかりの名探偵出馬になるはずと思ってい
たに違いない。ルバルカンが疑問を呈したことに、意外感を隠さず、目を何度
もしばたたかせている。
「シャウスキー社長は、自社製品のキャンディ『フェアリナス』が大好物で、
日頃からよく口にしていたと聞いたので」
「ああ、それは事実だ。いくら食べても健康を保っていられるというアピール
でもあったようだが、日に二、三十個は食べていたらしいね。それがどうかし
たのかな」
「デスクのすぐそばにあるごみ箱に、フェアリナスの個包装が、いくつも捨て
てある。掃除は毎日終業後に行われているというから、ここに入っている分は
全て今日食べたと見なせる。ところで、私は面白くも興味深い点に気が付きま
した。この十はありそうな包装の一つだけが、他と違うことに」
 言いながら、デスクに新聞紙を広げ、その上にごみを撒くルバルカン。キャ
ンディの個包装以外には、何もない。
「違いがあると言われても、分からん。私には、どれも同じキャンディの包み
紙に見えるね」
「署長、紙ではありません、個包装です」
「ふむ。それが重要なことなのかね?」
「間接的には。恐らく、包み紙であったならば、個体差は出なかった可能性が
高い」
「個体差……もしかすると、破き方が違うと言うのですか」
 少し興奮したように、署長が言った。彼もなかなか察しがよい。
「はい。今数えたところ、開封済みの個包装は、十一あります。その内の十ま
では、包装の右もしくは左肩を捻るようにして破いてある。ところが、残る一
つは、そうじゃない。丁寧に、両サイドから引っ張るようにして、開封されて
いる」
 なるほど、ルバルカンの言葉の通りだ。彼が指で示した“例外”の個包装は、
袋の形状を保っている。
「これは興味深い。シャウスキーがこれ一つだけ、丁寧に開けるとは考えにく
いという理屈だね」
「ええ。これが逆だったなら、まだあり得るかもしれません。普段は丁寧に開
けている人が、何かのきっかけで乱暴に開ける可能性は充分にある。しかし、
普段、適当に開けている人が、丁寧に開けるようなことはまずないでしょう。
特に、会社や自身の進退問題に頭を痛めている人物が」
「なるほど。ということは、部屋に入った人物がおり、そいつがシャウスキー
を自殺に見せ掛けて殺した、という目が生じる。犯人は社長を油断させるため
か、シャウスキーに勧められるままキャンディをもらい、いつものように丁寧
に開けた。そのごみはシャウスキーが受け取って捨てたか、犯人自身の手で捨
てられたかは分からないが、とにかくごみ箱に捨てられた。その後、訪問者は
犯行を成し遂げ、遺体の状況を自殺らしく偽装したが、ごみにまでは注意が行
き届かなかった……」
「無論、他のケースも想定はできます。たまたま、昨日の来客の中に、丁寧に
開封した者がおり、しかもたまたま掃除に手抜かりがあって残ったのかもしれ
ない。シャウスキー社長が自殺前に神妙な心持ちになって、人生最後のキャン
ディを丁寧に開けて味わったのかもしれない。偶然にも、中身の入っていない、
片方の口が開いた個包装だけの不良品が社長のキャンディに紛れ込み、それを
手に取った社長がごみ箱に捨てただけかもしれない」
「いずれも、蓋然性は低い。本件は殺人で、丁寧に開けられた個包装は、犯人
の遺留品であると見なす方が、ずっと理に適っているね。すると、秘書と守衛
の証言はどうなるんだろう? 怪しむべきは彼らと言うことかな」
「現時点で殺人犯であると断定できないまでも、何らかの理由で二人が揃って
嘘の証言をしたのは確かだと考えます」
「私も同意する。――よし、二人から改めて話を聴くんだ。今度は少々、厳し
くな」
 部下に命を飛ばすブラウベ署長。個包装を詳細に調べるようにとも告げた。
「今日のところは、これで私の役目も終わりということで」
 ルバルカンは署長に対しそう言うと、コートの両サイドにあるポケットに手
を突っ込み、首をすくめるようにして出て行こうとする。
「うむ、ありがとう。今回も助けられたよ。礼を弾むように言っておくので、
遠慮せずに受け取ってくれたまえ」
「それはどうも。ただ、報酬は結果が出てからでかまいやしません」
 ぼそぼそ声で応じて、退出して行く。謎が解けると、この名探偵は途端にぼ
んやりして、覇気をなくす傾向がある。見た目まで変わるはずはないのだが、
鼻筋の通った二枚目の青年から、老成した中年男にランクダウンするような雰
囲気さえあった。
「また何かあったら、頼むことになるが、いいかね」
 署長が一際大きな声を張り上げ、尋ねると、ルバルカンも疲労感のまとわり
ついた声ではあったが、「そんな大事件が起きないことを願う立場でしょう、
私もブラウベ署長も」と返事した。

 名探偵や優秀な警察署長の願いも虚しく、大事件はまた起きた。
 しかも、それはルバルカンにとって、今までに解決してきた数々の事件とは
様相を異にする、特殊なケースであった。
「――だから、何度も言っているように、私はやっていない」
 サン・ルバルカンは、机を挟み、刑事に訴えた。取調室は充分に広く、直接
聴取する刑事が二人に加え、記録役が少し離れた小机でタイプを打つ。
「最低限、状況を教えてもらえぬ限り、それしか言いようがない」
「ほう、そうですか。あなたのような名探偵の頭脳を持ってしても、この嫌疑
は晴らせぬと」
 取り調べを主導する古株刑事の名は、アブドレ・コンチオーネという。ルバ
ルカンも同じ捜査に加わったことがあるが、その当時から嫌われてた節がある。
コンチオーネは受け持つ地域は離れているが、ブラウベ・フィエリオとも面識
があり、両者はそりが合わぬ訳ではない。ただ、民間人を捜査に加わらせるこ
とについては、前々から反発していた。
「いつものように、捜査に立ち会わせてもらえるのであれば、私への疑いを晴
らし、真実を掴めるかもしれない。現状では無理だと言っている」
「容疑者であるあなたに、そんな便宜を図れるはずがない。少なくとも、私の
一存ではな。ブラウベ・フィエリオ署長を呼んでやろうか」
「……ブラウベ署長に、こちらから連絡を取るつもりはない。迷惑を掛けるこ
とになる」
「立派な心がけだ。ま、この件があの人の耳に入るのも時間の問題だろう。だ
が、そのときまでは、私流のやり方で通させてもらう。あとで告げ口でも何で
もしてくれ」
「……それが職務と信じているのなら、仕方がない。私は告げ口などしないよ」
「ますます結構。だいたい、事件の概要を知れば、署長だって匙を投げるはず
だ。ルバルカン、あんたの置かれた立場は、殺人犯以外の何ものでもない」
 コンチオーネの言葉が荒っぽさを帯び出した。
 ただ、公平に言って、彼の主張にはうなずけるところがあった。
 被害者はアニータ・ヨーステットという女性で、サン・ルバルカンの元助手
にして元妻でもある。離婚は四年ほど前で、二人の間に子供はない。ルバルカ
ンが今の職業を続ける限り、家族を危険に晒すとの理由で別れたとされる。離
婚後も交流は僅かながらあったが、ほとんどは葉書のやり取りで、顔を合わせ
ることは年に一度もなかったという。
 そんな関係だから、殺人の動機があるとは言い切れないのだが、遺体の発見
されたときの状況が、ルバルカンにとって不利に働いた。
 何せ、ルバルカンは元妻の遺体の横で、目覚めたのだから。彼自身の証言に
寄れば、夏の休暇を取り、避暑地の別荘を借りて十日ほどを過ごす予定を立て
た。同行者なし、一人で骨休めするつもりだった。避暑地に着いてから、同じ
ように休暇を楽しむ人々と言葉を交わすことはあっても、さほど深く知り合う
訳でもなく、のんびりとすごしていた。が、四日目の朝、事件が起きた。目覚
めたとき、ベッドのすぐ横の床に、アニータが俯せに倒れ、絶命していたとい
う。
 死因は分からなかったが、彼女の死亡を確認したルバルカンは、冷静に振る
舞った。まず、現地の警察に通報をしようとしたが、外界との接触を断つため、
わざわざ電話のない別荘を選んだことを思い出す。外に出て車を拾うか、近所
の別荘に電話があるのなら、借りるとしよう。そこまで考え、行動を起こし始
めたとき、ルバルカンは異変に気付いた。
 別荘全体が密室になっている?
 ドアといい窓といい、別荘内と外とをつなぐあらゆる出入り口が、内側から
ロックされていたのだ。借りる手続きをした際に渡されたキーは、二本とも手
元にある。簡単には複製できない代物だと聞いたし、そもそもキーホルダーか
ら外されたような痕跡は見当たらなかった。
 ここでルバルカンが狡賢く、どこか一箇所でいいから鍵を開けておけば、彼
が殺人容疑で即座に逮捕されることはなかったかもしれない。それだけの事件
解決実績が、彼にはあった。
 だがしかし、名探偵は――本人の主張を信じるなら――飽くまで正義の人で
あり、現場保存に努めた。
 ともかく、ルバルカンの通報により、アニータ殺しの捜査が始まった。
 警察は現場が密室状態であることをいち早く確かめ、引き留めておいたルバ
ルカンを、限りなく犯人に近い重要参考人と見なし、事情聴取に取り掛かった。
 ルバルカンは、短期間の内に合鍵が作成された可能性を指摘したが、警察の
捜査ではそれらしき鍵を持ち込んだ者は、近隣の業者にはいなかった。
「そもそも、あんたは前夜、寝床に入る前に、戸締まりをしっかりしたんだろ
う? 合鍵を作ろうにも、まず鍵を手に入れるのが大変じゃないか。戸締まり
をものともしない輩が犯人なら、合鍵を作る必要もないだろうしな」
「ピッキングで開けたのかもしれない」
「それはない。名探偵なら知っての通り、鍵穴の内部に傷一つ、擦れた痕一つ
残さないでピッキングするのは不可能だ。そして現場の別荘の鍵に、いじった
形跡はなかったんだよ」
「……無闇に人を疑いたくはないが、別荘の管理会社の関係者なら、もう一つ、
マスターキー的な物を保管しているのでは?」
「確かにそうだが、あの別荘の管理会社はしっかりしていて、キーを無断では
持ち出せない。申請書と許可のサインが必要だ。複数、確か五人のチェックが
入るので、だまくらかして持ち出すこともまあ無理だな。チェックする五人全
員がぐるなら、話は別だが」
「貸別荘なのだから、私より以前に借りた人物が数名いるはず。そのときに鍵
を密かにコピーした者がいるかもしれない。そいつが、何らかの理由で私を陥
れようとしている、という線はどうだろうか」
「よく捻り出したもんだと拍手してやってもいいが、だめだね。その説は成り
立たん。鍵は、シーズンが終わる度に、総取っ替えするんだとさ。新しい鍵と
交換することで、あんたが今言ったような合鍵をこっそり作る輩による悪巧み
を防ぎ、安全性を確保するって訳だ」
 密室に関して八方塞がりになったルバルカンは、別の角度からも証拠を突き
つけられる。凶器である。
 検死の結果、アニータ・ヨーステットの死因は、ブラキッドなる毒物による
ものと判明した。即効性に優れたブラキッドは、一般人は無論のこと、専門家
でもなかなか入手困難な代物で、仮に入手できたとしても確実に記録が残る。
ルバルカンは昔、ブラキッド絡みの事件をいくつか解決しているが、そのとき
に犯人が使い残したブラキッドをくすね、密かに所有することは可能と見なさ
れた。
「被害者は別れた奥さん、アリバイなし、現場は密室であんた以外誰も出入り
できない、入手困難な毒物を手に入れられる立場にあった。これだけ揃ってい
れば、誰だってあんたが犯人だと思うさ。あんた自身もそうじゃないのか、え
え?」
「眠っているときのことまで、完全に責任を持てと言われれば、それは誰にも
不可能だろう。もしかすると夢遊病患者のように、無意識の内に行動している
かもしれない。だが、借りた別荘に昔の妻を呼んだり、毒を準備したりとなる
と、あり得ない。私は殺していない」
「だ・か・ら、計画的にやったんじゃないのかってことだよ」
「もし仮に私がブラキッドを使って殺人を犯すなら、通報をもっと遅くする。
個体差は多少あるだろうが、ブラキッドという毒は、二日から三日で体内から
消える性質がある。消えるのを待ってから届け出れば、病死や突然死で済むこ
とが期待できる」
「そりゃあ理屈だが……奥さんの健康状態や年齢を考えれば、病死や突然死で
は不自然だ。最初からブラキッドが使われた前提で調べれば、三日経っていよ
うが、検出は不可能ではないと聞くぞ。それを知っていた名探偵殿は、敢えて
早めに通報したんじゃないか? 夏場、いかに避暑地といえども、遺体の保管
は一苦労に違いないしな」
「私が借りた別荘は、冷房が完備され、地下室もある。言っても詮無きことだ
が」
「なあ、ルバルカン。そこまで否定するなら、聞いてやる。自分はやってない
と主張するだけでなしに、他に心当たりはないのか。アニータ・ヨーステット
を殺害しそうな輩に」
「いなくはない。想定される大半は、私に刑務所送りにされた犯罪者の逆恨み
だが、そうなるのを避ける意味で別れたんだ」
「大半じゃない方を聞かせてくれ」
「……彼女と結婚すると決めたとき、ひどく取り乱した者が二人いた。一人は、
かつての依頼人で、レリー・カルマン嬢。交際を申し込まれたのだが、断った
経緯がある。もう一人は当時、私の助手をしていたカーギュラー少年。正直言
って、あのときのカーギュラー君の心理を正確には量りかねるが、想像するに、
私を父親のような存在と見ており、その父親が別の女と結婚する、と解釈した
のかもしれない」
「その二人が容疑者として、今になってあんたと別れた奥さんを殺すのは、変
じゃないか」
「……仰る通り。冷静さを欠いていたようだ」
 これを境に、サン・ルバルカンは明らかに自信をなくした。自らが巻き込ま
れた事件を積極的に検証することなく、「自分はやっていない」の一本槍で通
すしかなくなった。
 その状態は、ブラウベ署長が味方に現れたあとも変わらなかった。現場に改
めて入らせてやる、捜査で分かったことを教えてやると告げられても、間違い
を恐れてか、厚意を受けようとはしなかった。
 これでは疑いを晴らせる訳がない。裁判により有罪判決が下された。この国
では、殺人罪は被害者数とは関係なく、基本的に死刑を科される。情状酌量を
求めて、警察関係者数名が証言台に立ち、これまでルバルカンが貢献してきた
事件の数々を挙げてみせたが、効果はなかった。逆に、善人の皮を被った極悪
人との印象を持たれたようだった。

 ルバルカンが死刑囚となって八年が経過していた。
 死刑囚に対する刑の執行は、その四日前に仮決定され、三日を掛けて最後の
検討がなされる。そしてこの者の犯行に間違いがないと判定されて、初めて正
式決定となる。
 が、これは建前で、王族・政府・警察組織などの意向により、恣意的に運用
されることも多いと囁かれている。
 事実、ルバルカンの死刑を急ごうとする動きもあった。王族のブラウベ署長
がルバルカンに肩入れしていたことで、ブラウベのみならず、王族全体のイメ
ージダウンにつながると見なされたのである。
 そんな性急な動きを、ブラウベ・フィエリオは必死に押しとどめた。ルバル
カンの無実を証明するのは難しい。だが、ルバルカンの探偵としての優秀さを
アピールし、その能力をこのまま永遠に葬ることは国家的損失だという論陣を
張った。これが奏功し、サン・ルバルカンには特別な措置が執られることにな
る。
『殺人もしくはそれに匹敵する凶悪ないしは重大犯罪事件を、一年に八つ以上
解決すれば、サン・ルバルカンの死刑執行を一年先延ばしにする』
 これが、ブラウベ署長の勝ち取った条件であった。ルバルカンの死刑判決が
確定してから、四年が経過していた。
 言うまでもないが、解くべき事件は、ルバルカンが好きに選ぶのではなく、
国の機関が定める。なお、万が一にも、ルバルカンに解かせるに値する難事件
が年間で八つに満たなかった場合は、特赦により減刑される取り決めがなされ
ているが、この四年間でそのような奇跡的な事態は起きていない。
 むしろ、ルバルカンが獄中にいながら、年に八つの難事件を解決し続け、今
や三十件を超えたという実績こそ、奇跡と言えるのかもしれない。
「久しぶりだね」
 新たな事件を伝えるために、ブラウベ署長が面会に現れた。彼は時間が許す
限り、ルバルカンに事件を伝える役目を負う。ちなみに、将来を嘱望されたブ
ラウベが未だに署長でいるのは、ルバルカンの件が尾を引いているせいだと、
巷では囁かれている。
「ああ。あなたとこうして顔を合わせるのも久しぶりだし、前の事件から二ヶ
月以上が経っている。年に八つのペースから、あまり外れると少し怖くなる」
「怖さを覚えるとは、いいことだ。生への執着が、まともに機能している」
「そうらしい。四年ほど続ける内に、外で探偵をやっていた頃の感覚を思い出
したんだ。命を失うこともそうだけれど、謎に取り組めなくなることが恐ろし
い」
「そんなに意欲的になっているのなら――」
 署長が瞳を輝かせ、身を乗り出した。透明な強化アクリル板を挟んだ向こう
で、ルバルカンは若干項垂れ、頭を左右に振った。
「無理です」
「まだ何も言っていないぞ」
 ブラウベが浮かせた腰を椅子に戻す。ルバルカンは静かに答えた。
「何を仰りたいのかは、分かってる。アニータ殺しの件に取り組んでみろと言
うんでしょう?」
「ああ、その通り」
「まだ、無理です。私は、そこまでは戻っていない」
 獄中の名探偵は、片手で額を押さえる仕種をした。彼から深いため息が出る
のを聞いて、ブラウベは一応、あきらめた。
「分かった。それじゃあ、今回持って来た事件を知らせるよ。現時点での捜査
記録も用意した。追加が必要なら、あとで言ってもらいたい」
 手渡された資料に早速、視線を落とす。同時に、ルバルカンは「助手は?」
と問う。
「いつもの通り、レイ・マルタスを好きに使えばいいよ。それとも何か? マ
ルタスに気に入らない点でもあるとか?」
「とんでもない。マルタスほど優秀な人材を、また使えるとは想像していなか
ったので」
「それなら心配いらないよ。レイ・マルタス自身が希望していることだから。
ルバルカンの手足となって動くことを、光栄に思っているようだ」
「ありがたい話です。今の私から彼に渡せる感謝の印は、気持ちしかない」
「直接言ってやりなさい。無論、事件解決が最優先だがね」
 時刻を確認したブラウベは椅子から立った。
「今回も難題だが、見事な解決を期待している」


――続く




 続き #471 ペトロの船出 <下>   永山
一覧を表示する 一括で表示する

前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE