AWC 一瞬の証拠 2  寺嶋公香


    次の版 
#469/598 ●長編    *** コメント #468 ***
★タイトル (AZA     )  14/11/21  03:07  (455)
一瞬の証拠 2  寺嶋公香
★内容
「現実的には、ジョエルが六一〇号室に自力で戻ったと考えるべき。足の怪我
があるから、誰かの肩を借りる程度はあったにしても。ではベランダから飛び
降りたのは? アクション俳優志望の彼は、身体を張ったマジックを見せたん
じゃないかしら。六階の窓から飛び降りたと見せ掛け、その実、真下の部屋に
飛び込んだ、というような」
「ロープでも使ってですか」
「多分。丈夫なロープ状の物を、ベランダの柵の一本か二本に跨がらせるよう
に通し、輪っかを作るのよ。無論、“観客”――ブルックには見えないように、
下の方にね。その輪っかの一端を手首にしっかり固定し、準備完了。あとはブ
ルック達が部屋を訪ねるのを待ち、彼女らが入ってくると同時に演技を始める。
飛び降りた勢いで、五一〇号室の窓から室内に転がり込むのは可能だと思う。
あ、当然、五一〇号室の窓は前もって開放しておく。首尾よく行ったあと、ロ
ープを切って回収する。足首捻挫は誤算だった」
「地面にあった人型は?」
「恐らく、人形ね。予め設置したのか、窓から落としたのかは分からないけれ
ど、あとになって消えたのは、誰かが回収したことを示唆しているわ。ジョエ
ル自身は足首を捻挫して、一階まで往復できたか微妙よね。そこで浮上するの
が、エイデンよ。エイデンなら身体的にも時間的にも可能だわ。彼女が人形の
回収役なら、必然的にジョエルのどっきり計画を知っていたことになる」
「ジョエルが飛び降り自殺のふりをして驚かせたかったのは、ブルック一人だ
ってことになりますね。ブルックが観客になるよう、エイデンが誘導したとも
言える」
「そうなのよ」
 いよいよ意を強くした風に、ミドリは声の音量を上げた。
「ただし、エイデンには彼女だけの計画があった。ジョエルの計画を利用して、
彼を始末しようという。五一〇号室から自分の部屋である六一〇号室に戻った
ジョエルを、エイデンは待ち構え、殺した」
「アイリーンの死と、彼女の部屋である五一〇号室の窓が、前もって開けられ
ていた点の説明は?」
「想像するに、アイリーンはジョエルに謝礼するからと頼まれ、詳しい計画は
聞かされずに、部屋の使用を許可したの。事が済むまでの短い間部屋を空けて
いるだけで、それなりのお金になるのならと引き受けたんじゃないかしら。で
も、部屋に戻るのが早すぎたのが、彼女の不幸。五一〇号室は、大の男が飛び
込むために、衝撃を和らげるためにクッションの類を山のように積み重ねてい
たのかもしれない。その有様を覗き見たアイリーンは、六一〇号室に問い質し
に向かった。そこでエイデンと鉢合わせし、ニードルガンを向けられる。エイ
デンは窓際に追い詰めた相手に、一発撃つ。アイリーンは後ろ向きに転倒し柵
を越える。それを見て落ちたと判断したエイデンは、部屋を立ち去る。が、ア
イリーンは五階のベランダにしがみついていた。落ちまいと必死に頑張ったが、
やがて力尽き、墜落。幸か不幸か、この偶然により、エイデンにはアリバイが
できることになったわけね」
「……一応、辻褄は合うようです」
 僕はいくらかの驚嘆を込めて言った。
「それと同時に、証拠がないのも確か。唯一の状況証拠が、エレベーターの方
向では、いかにも脆弱」
「探偵としての感想は? 検証に耐えられないかしら?」
 ミドリは期待と不安の入り交じった目で、こちらを見つめてきた。不安の方
が多いようだ。
「僕にはまだ何とも言えません。が、現状で、別の仮説を示せるとしたら、ど
うでしょう? あなたの仮説と同じく、証拠はありませんが」
「そりゃあ……自信が揺らぎます。私の考えを警察に伝えるのは、一時保留に
なるわ」
「ふむ。とにかく、話してみます。――ミドリさんの仮説を聞いて、僕はより
シンプルな構図もあり得るのではないかと考えました。ジョエルが悪戯心から
どっきりを仕掛けたのは間違いないと思います。そうでないと、六階からの転
落で無事だった説明が付かない。彼が飛び降りた直後、すじんという揺れがす
ぐ近くで感じられたというのは、地面ではなく、真下の部屋からだったと解釈
すれば、状況に合致しますからね。ジョエルの計画をサポートした仲間がいた
というのも、同意します。でもですね、その仲間はエイデンではないのでは? 
五一〇号室を使ったことから推して、部屋の借り主、アイリーン・サンテルこ
そが仲間ではないのか?」
「あ」
 口を丸く開けたミドリ。少し遅れて、そんな自分に気付き、慌てて手のひら
で口元を覆う。そしてくぐもった声で続ける。
「た、確かに、その可能性を探る思考が、欠落していました」
「だからといって、これが正解とは限りませんが、とりあえず、想像を完成さ
せます。アイリーンがジョエル殺害犯なら、彼女の転落死は警察の考えた通り
でしょう。ジョエルの部屋から自分の部屋にベランダ伝いに戻ろうとして、失
敗した。ニードルガンが彼女の部屋にあった謎が残りますが、棚上げさせてく
ださい。その一方で、転落した状況は明白です。ブルック達がジョエルを探し
に六一〇号室を訪れたちょうどそのとき、アイリーンはジョエルを殺害した直
後だったんでしょう。無論、犯行前にドアの鍵は内側から掛けたでしょうが、
このままではいずれ踏み込まれ、見付かる恐れがある。逃げねばと焦ったアイ
リーンは、殺したばかりのジョエルと同じ方法を採ろうと思い立つ。ロープ状
の物は、ジョエルが部屋に持ち帰っていたでしょうから、アイリーンがこの発
想に至る可能性は大いにある。あ、凶器を手放さなかったのは、追われる立場
として、護身用の武器を持っておきたかった心理が働いたのかも」
「あり得る見方だわ」
「ありがとう。そうしてアイリーンはアクロバットにぶっつけ本番で挑んだが、
凶器を部屋に放り込むだけで精一杯、無残にも失敗し、死を迎えた」
「ブルックとエイデンの行動が、アイリーンの死を呼び込んだ……」
 表情が暗くなるミドリ。ブルックに頼まれて動いている彼女にとって、この
結論はあまり好ましくないだろう。当然、反論の芽を探す。
「人形は? ジョエルがいかにも落ちたように見せ掛けるための人形は、アイ
リーンが回収した?」
「そうなりますね。エイデン犯人説よりも時間的余裕があるから、回収どころ
か始末も可能だったかもしれない」
「エイデンが降りてくるエレベーターに乗っていた件は? あれの説明が付か
ない」
「本当にジョエルを心配して一階まで降りたエイデンは、そこに彼の姿を見付
けられず、ひとまずブルックの部屋に行こうとした。だが、箱に乗り込み、四
階のボタンを押すよりも早く、六階でボタンを押した者がいたため、先に六階
に到着し、それから四階に着いた。こう考えれば筋は通りませんか。エレベー
ターのボタンを押すタイミングと停まる階の決定は、色々なアルゴリズムがあ
るとは思いますが、あり得るシステムの一つでしょう」
「……六階でボタンを押した人物って、もしかして……」
 ミドリはすでに答を知っているような、探り探りの声で聞いてきた。
「アイリーンが押した可能性は充分にある。何故なら、エレベーターの箱を六
階にとどめておくことで、わずかでも余分に時間稼ぎできるから。単純計算で
倍の時間を要する」
「犯人の心理として、あり得るのは認める。しかし、実際にはブルック達の到
着に気付かず、逃げ出せなくなったんじゃあ?」
「それは仕方なかったんでしょう。エレベーターの前に張り付いていては、殺
人を決行できない」
「ボタンを押す時間稼ぎは、ほんの気休めだった訳ね。ああ、二つの仮説を比
べると、あなたの説の方が筋が通っている気がする」
「証拠がないのをお忘れなく。僕も自信はありません。ミドリさんの説への反
証として、構築してみたまでです」
「……ねえ、呼び付けて、頼み事をしておいてなんだけど……あなたのお師匠
さんに意見を求めてみたらどうかしら」
「お師匠さんて、地天馬先生のこと?」
 ミドリが最前言ったように、僕は探偵だ。まだまだキャリアは浅い。探偵と
して実績のある地天馬鋭の指導を仰ぎ、経験を積んでいる身だが、今回のよう
に独りで調査を行うことはある。
「そうよ。私達の共通の友人、みどり――私のことじゃなくて相羽碧のことよ
――の紹介で、最初に名前が挙がったのは地天馬鋭その人だったんだし」
 僕は、相羽碧とは友人ではなく、恋人のつもりでいるのだけれど……ひょっ
とすると、相手は僕をまだ認めていないのかもしれない。推薦する探偵として、
僕ではなく、地天馬先生の名を最初に挙げたのがその証拠……。
 ――今は落ち込んでいる場合じゃなかった。僕は時計を見た。地天馬先生は
依頼を受けて、探偵活動中だ。おいそれと電話できないので、メールを送るこ
とにした。そうと決めれば、マジシャンのミドリから又聞きした事件の概要を、
なるべく簡潔にまとめて文章にしなくては。

           *           *

 今し方、事件のあらましを読み終えた。
 最初に注意しておこう。情報不足だ。さらに、又聞き故の思い違いが生じて
いる恐れがある。このような形でもたらされた話では、真相に辿り着くのが困
難であることは、誰にとっても明白だろう。
 その上で、敢えて判断するなら、少なくとも君の仮説は、正解の可能性が薄
いのではないかと思う。
 何故なら、アイリーン・サンテルがミステリに詳しく、アイディアの創出に
も優れているとあったからだ。そんな彼女がジョエル・キーガンの悪戯を利用
して、彼の殺害を計画するのなら、ジョエルが自室に密かに戻ったところを襲
うなどという手段を採らずとも、もっとよい方法があると気付くのではないか。
いや、気付いてしかるべき、思い付かないはずがないとすら思える。
 その方法とは、五一〇号室のベランダの柵に、少しの障害物を設置すること
だ。ジョエルは悪戯を実行する前に、数度のリハーサルを経て自信を深めてい
ただろう。しかし、本番当日、ベランダの高さが僅かに高くなっていたとした
ら? ロープの反動で部屋に飛び込むつもりが、その僅かな差により失敗、地
面まで転落する。こうなれば、彼の死は彼自身の愚行と不注意が招いた事故と
見なされるに違いない。ついでに付け足すなら、五一〇号室が事故に関係して
いることも隠されたままだ。アイリーンにとって理想的な殺人手段なのに、ミ
ステリ好きの人物がこれを見逃すとは考えられない。
 さらに、一歩退いて事件を俯瞰してみよう。犯人はジョエルが六一〇号室に
戻ったところを殺害しているが、その理由は何か? 悪戯を仕掛けた直後の彼
を殺すことが、犯人にとってどんなメリットになるのか。現段階で得られた情
報から判断する限り、エイデン・ダグズ犯人説も疑わしいと思う。エイデンに
はそんな殺害方法を採るメリットがない。アイリーンに罪を着せようとした? 
それは結果論であって、計画されてはいない。
 とにかく、情報不足だ。君にしろミドリ嬢にしろ、関係者を限定しすぎでは
ないか? 事件発生当時、学生マンションにはブルック・セラーとエイデンと
ジョエルとアイリーン以外に、誰もいなかったのか? この基本的な点を押さ
えずして、先には進めないよ。
 他に、今の時点で優先して調べるべき事柄を挙げるとしたら、エイデンを問
い質すことだ。ジョエルが悪戯を計画し、エイデンが協力したのかどうか。始
めは口が堅いかもしれないが、こちら側が真相究明に真剣であること、彼女の
味方であることを示せば、彼女が殺人犯でない限り、打ち明けてもらえるだろ
う。
 優先事項はまだある。アイリーンの動向だ。当日、アイリーンはどうしてい
たのか。確かに五一〇号室を空けていたのか。その時間帯は?

 君に伝えるべきことはまだある気がしてならないが、時間がなくなった。
 収集すべき情報は多いが、段階を踏むことで道は開ける。健闘を祈る。

           *           *

 ハーイ、お元気?
 今はグリュン・ロウを名乗っているミドリ・ドミートリよ。記述の勉強野の
成果を計測するために、日本語でメールを書きます。よろしく。
 まず、私の近況を。面倒ごとが片付いて、本名で活動できる見込みが立った
わ。いずれまた日本でも公演を行う日が来ると思うから、そのときはぜひいら
してね。お師匠の地天馬鋭さんもご一緒に、招待しますわ。

 ここからは事件のこと。
 再びアメリカ合衆国に渡り、ブルック達関係者と会う機会を得たので、あな
たからのアドバイスに従い、情報を収集してみたです。
 エイデンはジョエルのどっきり計画に荷担していたことを認めました。これ
まで打ち明けなかったのは、打ち明けることで自分自身が疑われるのを恐れた
と語っています。
 彼女の証言では、アイリーンにも計画の一端を話していました。「スタント
の練習をしたいから、二日間、それぞれ一時間から二時間ほど、部屋を使わせ
てくれないか。報酬はこのくらいで」と持ち掛けると、最初は渋ったアイリー
ンですが、同性のエイデンが口添えしたのと、労働対価による報酬の上乗せに
より、承諾に至った模様です。なお、二日の内の一日は、予行演習に費やすた
めで、七月三十一日、アイリーンが夏休み前最後の講義を受けているときを当
てたとの話です。
 アイリーンは事件の起きた当日、駅を挟んでマンションと反対側にあるショ
ッピングタウンへと出掛けていました。地天馬さんの意見では、アイリーンの
犯行はほぼ否定されていますが、念のためにアリバイ確認してみました。彼女
はそこそこ目撃されていましたが、特に記憶していたのは、馴染みの古書店で
す。ミステリの品揃えが豊富なその店は、アイリーン行き付けで、店主とも親
しいようでした。その店主が、彼女の来店を証言しました。もしかすると他の
日と思い違いしている可能性を考慮し、間違いないかと尋ねると、店主は胸を
張って答えたものです。「あとであの子が転落死したと聞いたから、印象に残
っている。その上、あの日は模造紙をあげたから鮮明に記憶しているよ」と。
もう少し詳しい事情を聞くと、アイリーンは店内を回る最中にアイディアが浮
かんだ様子で、最初は小さな手帳にメモをしていたが、足りなくなって、店主
に大きな紙はないかと相談した次第でした。どうやら、図を描きたくて、手帳
ではなく、大きな紙が必要になったみたいです。ともかく、アイリーンが出掛
けていたことは間違いないです。
 それから……ジョエルとエイデンは、五一〇号室を正午から午後一時半まで
の約束で借りたと言います。
 エイデンの言によると、ジョエルの計画は極めてシンプルです。驚かす対象
はブルック一人で、エイデンは彼女をうまくだまされるように誘導する役割を
負っていました。実際、うまくやったと思うです。エイデンの誘導により、ブ
ルックは六一〇号室まで様子を見に行き、ジョエルの芝居を目の当たりにし、
またブルックの誘導で自分の部屋に戻って休むことになったんですから。
 ブルックを自室に引っ込めさせるのに成功したエイデンは、その後、すぐに
一階に降りて実物大の人形を回収、さらに分解することでがらくたに見せ掛け、
周囲に放置したらしいです。彼らが用意した人形は、木ぎれやバケツ、毛糸な
どの寄せ集めで、服もぼろぼろだったそうです。案外だませるものだと感心し
ました(これはマジシャンとしての感想)。
 それからエイデンは、五一〇号室に行きました。ジョエルの首尾を見るため
です。そこで彼女はジョエルが足首を捻挫したと知ります。しかしどっきりの
ために、六一〇号室に行かねばなりません。エイデンはジョエルに肩を貸し、
六一〇号室まで付き添いました。そこからブルックの部屋に向かったのですが、
ちょうどブルックもエレベーターに乗ろうとしていたため、鉢合わせする形に
なったです。エレベーターが六階から降りて来たのは、このせいでした。ブル
ックはそれに気付かず、計画は続行されることになります。エイデンがブルッ
クを再び六一〇号室に連れて行ったのは予定通りであるけれども、ジョエルの
捻挫が気になってもいたみたいです。
 このような心理状態で、ドアをノックし、呼び掛けたところ、全くの無反応
だったため、エイデンは酷く狼狽しました。その後、アイリーンが転落死した
だけでもショックを受けたのに、さらにジョエルが殺されたため、どっきり計
画についてとても打ち明けられなくなったと言っていました。
 エイデンは犯行を否定しています。

 事件当日、学生マンションにいた人間ですが、ブルックを始めとする四人の
他に、里帰りしていなかった学生はちょうど十名いたと判明しました。内、過
半数の六名に関して、三名は一室に集って入り浸り、他の三名は外出中などで
アリバイを確認済み。
 残りの四人の内、二人は恋人同士で、互いのアリバイを証言しています。こ
の二人はジョエル、アイリーン、エイデン、ブルックの誰とも接点がなく、事
件とは無関係と見なしてよいかもしれません。
 最後の二人には、ジョエルとの接点がありました。より強い表現をすれば、
殺害の動機らしきものがあるです。一人はマニー・サンチャゴという陽気だが、
奇矯な男子学生で、グラフィック専攻です。インスピレーションが湧くのに最
適だという理由で、六一〇号室へ入りたがっていました。ジョエルに再三、換
わってくれと交渉するも、その都度退けられ、逆恨みしていたようです。
 今一人は俳優志望の女子学生で、メリル・リップスといいます。メリルは同
性愛者であることを公言し、エイデンにアプローチを掛け、彼女の身の回りの
世話を焼くまでになったが、告白は失敗に終わり、以来、エイデンと仲良くす
る男性を嫉妬するようになったと聞きました。彼女にとって、どっきり計画を
エイデンと一緒に進めるジョエルも、嫉妬の対象に入ったのは間違いないです。
 今判明したのは以上です。しばらく滞在しますから、早めに指示をもらえれ
ばその通りに行動しますと、地天馬さんにお伝えくださいませ。

           *           *

 ミドリ・ドミートリことグリュン・ロウは、今日に限って、魔法使いではな
く、名探偵を演じることになった。立つのもいつものステージと違って、事件
の起きた学生マンションのロビー。格好だけは、いつものステージ衣装そのま
まの、緑の魔法使いに扮している。
 地天馬の手回しにより、地元警察の許可を得た。担当刑事同席の下、関係者
を集め、これより推理を伝える。ミドリが独力で考えたものではないが、地天
馬達から役目を託されたからには、精一杯い演じきらねばならない。
「このような場を作ってくださった警察の方、呼び掛けに応じて集まってくだ
さった関係者の皆さんに、感謝を申し上げます。さあ、手短に参りましょう。
まず、刑事のヤングさん、盗聴器の類は発見されませんでしたね?」
「なかったよ」
 浅黒い肌をした中年男性が、腰の両サイドに手を当て、斜め下を向いたまま
素っ気なく答えた。髪に白い物が混じる彼は、ベテランらしく、気のない態度
で続けた。
「あんたに言われた通り、被害者ジョエル・キーガン、アイリーン・サンテル、
エイデン・ダグズ、ブルック・セラーの各部屋を徹底的に調べた。結果は空振
りだった」
「念押ししますけれど、急いで取り外したような痕跡も皆無と」
「ああ、皆無だ」
 刑事はぶっきらぼうな態度だが、実はミドリとの間で事前に話が通じている。
推理を伝え、納得してもらっているからこそ、一芝居打つことにも協力を得ら
れた。
「盗聴行為が行われていなかったことで、犯人に関するある条件が確定するの
です。犯人は明らかに、ジョエルのどっきりに合わせて、犯行を計画し、実行
しています。そうすることで、どっきりの片棒を担いだ人物に容疑を向けさせ
る、あわよくばそのまま罪を被ってもらおうとの魂胆だったのでしょうね。こ
こで思い起こしてください、ジョエルのどっきり計画は秘密裏に進められた。
事前に知っていたのは、ジョエル本人以外ではエイデンとアイリーンの二人。
アイリーンに至っては、計画の細部は知らされていなかったと考えられます。
エイデンの証言では、ジョエルからきつく口止めされていたとのことなので、
アイリーンも同様だったはず。そして、エイデンは誰にも漏らしていない。ア
イリーンに関しては確証はありませんが、仮に漏らしていたとしても、詳細を
知らないのだから、聞いた方もどっきりが行われるとは予想し得ません。せい
ぜい、ジョエルがスタントやアクションの練習をするのかなと思うくらいでし
ょう。にもかかわらず、犯人は知ることができた。一体、どうやって」
 言葉を句切ると、ミドリは場の全員を見渡した。集まっているのは、エイデ
ンにブルック、マニー・サンチャゴ、メリル・リップス、そして刑事数人とマ
ンション管理人だ。ミドリは両手を胸の前に持って来ると、それぞれ指をそっ
と合わせ、静かに告げた。
「想像の翼を広げると、ある可能性を見出せました。リハーサルを目撃したの
では?と」
 少しどよめきが起きる。波紋が広がる。マジックショーと似た感覚があった。
「リハーサルを目撃しただけで、悪戯を計画していると察せるものかね?」
 ヤング刑事が質問を挟む。実のところ、合いの手のようなものだ。
「詳細を掴むのは難しいと思いますわ。でも、ジョエル・キーガンが人をだま
して驚かそうとしているんだとは、すぐに分かるはずです。恐らく犯人は最初、
マンションの外から見掛けたんでしょう。これは危ない、注意しなければと考
えたかもしれません。あるいは、何をやってるのか聞いてやろう、と思ったか。
とにかく、問題の部屋まで足を運んだ。そこで初めて、アクロバティックな動
きをしていたのがジョエル・キーガンだと気付く。犯人はジョエルに秘めたる
殺意を持っていた。これはチャンスだと直感したんじゃないかしら。身を隠し、
物陰から様子を窺うことで、ジョエルのどっきりの全体像を掴んだ。さて、そ
の後、犯人は何をしたでしょう?」
 聴衆に問い掛けるミドリ。返事はなかったが、織り込み済みだ。
「アイリーンに尋ねたに違いありません。『次に留守にするのはいつ?』と。
こんなストレートな質問ではなく、帰省の話に絡めてそれとなく聞いたんでし
ょうけれどね。そして首尾よく、八月三日午後という答を引き出した」
 ミドリは息を吐き、間を取った。このあと容疑者について言及する。人を疑
うという行為は、あまり気持ちのよいものでない。緊張を覚えた。落ち着こう
と、少し砕けた口調になる。
「あら、少し先走ってしまったわ。学生マンションでのジョエルのリハーサル
を目撃し得た、これが犯人の条件です。事件当日、マンションにいた人物で該
当する者がいるか、調べました」
 警察の当初の見解及びミドリによる予備調査で、ジョエル殺害の容疑は、墜
死したアイリーン・サンテル、エイデン・ダグズ、マニー・サンチャゴ、メリ
ル・リップスの四人であることは、すでに伝えられている。だが、実質的に、
アイリーンとエイデンへの疑いは、トリックを弄する意味がないとの理屈で、
ほぼ晴れている。マニーとメリルには、トリックを使うことでエイデンに罪を
着せられるという理由が想定できる。二人の内、七月末日のリハーサルを目撃
するチャンスのあった者がいるのかどうか。
「結果は、意外でした。私が怪しいんじゃないかと睨んでいた、サンチャゴさ
んとリップスさんには、立派なアリバイがあると分かったんです。それぞれ、
必修の講義に出席していた。サンチャゴさんは課題を提出しているし、リップ
スさんに至っては与えられたテーマで、演技をしている。絶対確実なアリバイ
成立と言えます」
 あからさまにほっとするサンチャゴと、口元を緩めるだけのリップス。とも
に安堵したのはよく分かった。
「おやおや。では、犯人は誰だ? 煙みたいに消えたのか、それとも我々の最
初の方針が合っていたのかい?」
 ヤング刑事の合いの手に、ミドリは目配せを返した。万が一、犯人が逃亡を
図ったときも、素早く対応できるよう、外には相応の人員を配している。
「当てが外れ、私も焦りましたわ。しかし、一からやり直す必要はなかったん
です。ほんのちょっと、見方を変えると、別の容疑者が闇から浮かび上がった
んですから」
「闇?」
 誰ともなしに、おうむ返しが。
「全くの盲点だった、というニュアンスね。普段はマンションにいないが、七
月末、つまり三十一日には、確実にマンションを訪れた人がいると気付いたと
き、光が差し込んできたんです」
「七月三十一日って、もしかして――」
 ブルックが口を開いた。ミドリは親しい友人からの言葉をそのまま受け入れ、
先を促した。
「――防犯カメラの具合を見に、管理人さんが来た日だけれど……」
 彼女の台詞をきっかけにして、関係者の目が一人の人物に向けられた。
「私、ですか?」
 管理人は上擦った声で言い、自らを指差していた。ミドリは、写真でしか見
たことがなかったが、こうして実物を目の当たりにすると、色白で清潔感があ
り、なかなかの二枚目だと分かる。年齢は四十七と聞いたが、十近く若く見える。
「はい、あなたです」
 ミドリはそっくりそのまま返し、微笑みかけた。
「条件に合うのは、あなたしかいません。リハーサルを目撃できて、このマン
ションに自由に出入り可能で、入居者と接点がある。事件当日、犯行時間帯の
アリバイもないみたいですね。ブルックからの電話に出られなかったのは、犯
行の最中だったから?」
「……条件に合うのは認めざるを得ないが、何故、私がジョエル・キーガン君
を殺めなくちゃいけないんです?」
「動機は知りません。警察があとから調べれば済む話ですわ」
 人をくったミドリの物言いに驚いたのか、管理人は目をぱちくりさせた。そ
の驚きが去ると、微かに笑った。
「それなら、証拠を出してみなさい。助教証拠なんかではなく、もっと強力な
物証でもあれば、私も警察まで足を運びますよ。だが、今のままじゃあ、拒否
する。警察だって、せいぜい任意同行止まりだ」
 管理人とヤングら警察関係者の視線が交錯した。
「甘く見てもらっては困る。現時点でも、その気になれば引っ張れるぞ」
 ヤング刑事は、台詞の中身とは裏腹に、明るく気軽い口ぶりで述べた。表情
も笑顔だ。
「幸い、今夏の事件はそんな真似をしなくても済んだ。秘密にしていたが、前
もって、ある場所を調べ直した結果、証拠が見付かった」
「ばかばかしい。鎌を掛けても無駄だと言っておく」
 強気を通す管理人に、ヤング刑事は「やれやれ」と大きく息を吐いた。
「こちらの手品師のお嬢さんにやり込められて、俺は虫の居所が悪い。今の内
に認めておいた方が、身のためだが、飽くまで否定するんだな?」
「も、もちろんだ」
「ではやむを得ん。――ここに鑑定報告書がある」
 部下らしき白人刑事に、身振りで合図するヤング。紙切れを受け取ると、確
かめるように一瞥した。
「犯行現場と推定される六一〇号室及び五一〇号室から、あんたの指紋が山ほ
ど出た。どう言い訳するね?」
「――ばかなのか、警察は」
 失笑をすんでの所で堪えたのか、顔を歪めて悪態をつく管理人。
「私は管理人だぞ。各部屋に私の指紋があったところで、全く不思議ではない。
逆に、私がよく働いている証じゃないかな。ははは」
 言い終わる前に、管理人はとうとう笑い出してしまった。ミドリはそこへ被
せて、ふふふと笑い声を立てた。
「何がおかしいんだ」
「普通の状況なら、あなたの主張は尤もですわ。でも、偶然頼みの犯行には、
どこかに大きな落とし穴が開く。幸運な偶然には、不運な偶然が似合うの」
「一体どんな……」
 ミドリの自信あふれる語りに、管理人はとうとう動揺を垣間見せた。ここぞ
とばかり、畳み掛ける。
「犯人であるあなたは六一〇号室から五一〇号室に逃げ込んだとき、折悪しく
戻って来たアイリーンと鉢合わせし、殺すに至った。その際、もみ合いになり、
室内は元に比べると多少散らかったわね。あなたは指紋なんて付いていて当た
り前だから、凶器さえ拭っておけば、あとは証拠にならないと踏んでたんでし
ょう。けれど、指紋が付くはずがない物にまで付いたとしたら?」
「……」
「アイリーンはあの日、部屋を空けている間、古書店に寄っていた。そこにい
るとき、突如、アイディアが閃いた。当然、メモを取る。それだけでは足りず、
親しい店長に模造紙をもらっているのよ。閃いたアイディアというのが、図を
必要とするものだったから、メモ帳のスペースじゃ不充分だったわけね」
「それがどうした?」
「まだ分からない? 自室に戻ったアイリーンは、折り畳んだ模造紙を小脇に
抱えていたはず。犯人は彼女ともみ合ったとき、その紙に指紋を残した。当日
になって思い浮かんだアイディアの書かれた、当日、古書店でもらった模造紙
に、あなたの指紋が付くとしたら、それは犯行時としか考えられない」
「あ……」
「言い逃れるために、あの日、マンションにはいなかったという証言を翻すか
しら? 『実はマンションにいて、偶々帰ってきたアイリーンと顔を合わせ、
模造紙に触らせてもらった』とでも。それはそれで、疑うに充分な翻意と見な
されるだけでしょうけれど」
 逃げ道を塞ぐ速攻が決まった。管理人はがっくりとうなだれた。まるで、映
画によくあるシーンの如く。

           *           *

 二人は公園のベンチに横並びに座っていた。秋を感じさせる風が吹き始めた
日の昼下がり、のんびりとした空気と時間の中。
「どうだった?」
 相羽碧は好奇心を隠さずに、探偵の彼に聞いた。
「全然、だめだった」
 答える声は、落ち込んでいるのに無理に明るくしようと努めている。アクセ
ントと響き具合でよく分かる。
「え、そうなんだ? 無事に解決したと、ロウから聞いてるんだけれど、彼女
か私の思い違いかしら」
「解決したのは僕じゃない。グリュン・ロウの行動力と、的確なアドバイスを
送った地天馬先生のおかげ」
「そんなに落ち込まないでよ。ロウは感謝してたわ」
「地天馬先生に、でしょ」
 碧の励ましに多少は気分が戻ったのか、彼は口を尖らせ、ふてくされてみせ
た。飽くまでポーズだ。長い付き合いだから、手に取るように分かる。
「あなたにも感謝してる。誤った推理を披露して、友達を失望させなくて済ん
だって」
「……そういう見方もできるか」
 つぶやき、それから横を向き、碧と顔を見合わせる。
「気遣ってくれてるんだろうけど、フォローできるロウさんて、いい人だな」
「私から言わせると、今さら、だよ。もっと前から、いい人だと気付かなきゃ」
「いや、あのきつい日本語喋りでは、なかなか……」
「あれが魅力の一つじゃないの。それで、このあとは?」
 碧は話題を戻した。
「このあとって、今日これからどうするかってこと?」
「それもある。他にも二つあるわ。まず、あなたの次の仕事、どんなのかな」
「まだ決定じゃないけれど、先生の手伝いになると思う。もう一つは?」
「うん。あなたの将来も気になるかなって」
 碧の囁き台詞に、相手の彼は目の下を赤くした。
「こ、答えるまでもないだろ」
 再び、顔を前に向けた。まっすぐ前を見つめたまま、続けて答える。
「碧さんが思い描くような名探偵には、まだまだ近付けていない。だから……
何も言えないよ」
「そっか」
 碧は両足で反動をつけ、ベンチから立ち上がった。くるりと向きを換え、彼
の正面に立つ。真顔に少しの笑みを加え、それから気持ちをしっかりと伝えた。
「分かった。待ってる」

――おわり




元文書 #468 一瞬の証拠 1   寺嶋公香
一覧を表示する 一括で表示する

前のメッセージ 次のメッセージ 
「●長編」一覧 永山の作品
修正・削除する コメントを書く 


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE