AWC 遭遇、金星と冥府の士 <上>   永山


        
#459/598 ●長編    *** コメント #244 ***
★タイトル (AZA     )  14/06/30  22:24  (388)
遭遇、金星と冥府の士 <上>   永山
★内容
 音無亜有香には、他人に打ち明けないでいることが一つある。秘密というも
のとはちょっと違う、彼女自身の少し不思議な力のことだ。
 彼女は『視える人』なのである。
 平たく言えば、いわゆる幽霊とされる何らかのものについて、時折、目撃す
ることができる、となる。常に見える訳ではない。見える姿形も、どこの誰某
に似ているなんてケースは今までになく、多くの場合、白くてぼんやりした人
型が地面すれすれに浮かんでいる、そんな感じだった。また、幽霊とコミュニ
ケーションを取れる訳でもない。そもそも、音無本人は幽霊の存在を信じてい
ない。
 では見えたとき、どう解釈しているのだろうか? ありのままを受け入れる
のだ。幽霊めいたものが見えたなら、そこにそういうものがある。幽霊かどう
かは知らないし、興味もさしてない。尤も、まるで関心がない訳でもなく、そ
れなりに本を読んで調べることも、幾度かあった。今は、脳が見せる錯覚とい
う説が気に入っているので、そう解釈するようにしていた。
 そんな音無が最近、気にしている事柄がある。
「百田君、つかぬことを尋ねる。身体の調子はどうだろうか?」
「え?」
 そう問うと、クラスメートの百田充はびっくりしたような眼差しで見返して
きた。折を見て聴いたつもりだったが、タイミングを誤ったようだ。音無は心
中で反省しつつ、言葉を重ねた。
「普段と比べて、好調もしくは不調ということはないか」
「特に意識してないけど……高校生活を送る分には、支障を来してないかな。
探偵に付き合わされたときは、間違いなく疲れるけれどね」
 百田はそう答えると、視線を前にやり、目配せした。
 前方には、音無達にとって一年先輩に当たる十文字龍太郎がいる。かなりの
早足で、こちらが置いて行かれないようにするには努力が必要だ。
「何をひそひそ話しているんだ? 事件に関係のあることかい?」
 十文字が振り返らずに鋭く云った。歩くスピードは落ちない。
 今、彼らは待ち合わせ場所に向かっている。元々、ここK高原には夏休みを
利して泊まり掛けで遊びに来たのだが、パズル名人にして名探偵志望の十文字
が、ある事件を気にし始め、居ても立ってもいられなくなったのか、とうとう
行動に移してしまった。ネットで調べて事実を把握した上で、つてを頼り、捜
査状況を知る刑事に会える手筈が整った。駅で落ち合った刑事は尾上と名乗り、
ちょうど折よく、長野方面に足を伸ばす所用があったらしい。
「第一発見者の内、女性の方、皆上幸代こそが人体切断の目撃者でもある」
 人が多くざわざわした喫茶店に入り、適当にオーダーをしたところで、尾上
は話し始めた。童顔で実際に若そうな尾上刑事は、せめて喋りだけでも威厳を
持たせようとしてか、堅い調子で切り出した。
「彼女の話によると、マンションの二〇四号室に知り合いの横田峰夫を訪ねた
際、横田が異形の騎士に一刀両断にされる様を目撃したと、こう云うんですな」
「異形の騎士とは、具体的にどんな姿形をしてるんです?」
 十文字の質問に、刑事は少しだけ「ん?」という表情を覗かせた。だが、す
ぐに元の調子に戻る。
「えー、証言によれば、面構えは牛で、立派な角もあった。身長は二メートル
近くあった。西洋の鎧を身に纏い、手にした西洋風の大きな剣を振るって、横
田峰夫を斬り殺した、ということだ」
「なるほど」
「断っておくが、これは飽くまで目撃者の証言をそのまま伝えただけであって、
我々が鵜呑みにしている訳ではない」
「承知しています。明言してもらって、より安心しました。僕と同じスタンス
だ」
 十文字は初対面の刑事に対し、物怖じせずに受け答えをする。尾上刑事は苦
い表情をちらりと覗かせることはあっても、継続はしない。上司から言い含め
られているものと推測された。
「そんな化け物みたいな輩が実在したとして、目撃した女性が無傷で無事とい
うのは、納得しかねるんですが……本人は何か云ってるんでしょうか」
 百田が尋ねる。その直前、十文字の顔色を窺う仕種が見られたので、事前に
打ち合わせしていた通りなのかもしれない。
「ああ、それなら説明は付く。皆上は惨劇を目撃した直後に、現場から逃げ出
したんだ。一階の管理人室に助けを求め、そこにいた管理人代理の志木竜司が
これに応じ、揃って現場に引き返している。静まり返った二〇四号室を調べた
ところ、化け物は姿をくらまし、遺体だけが残されていたという話だ」
 「分かりました」という百田の台詞を引き継ぎ、十文字が口を開く。
「でも、別の疑問が。異形の騎士は部屋を抜け出たあと、どうしたのか? 警
察は当然、マンション内をくまなく探したはずですが、現在まで容疑者逮捕の
報道がないということは……」
「その通りだ。マンション内にそんなけったいな格好をした輩はいなかった。
それだけじゃない。マンションには防犯カメラがいくつかあるんだが、そのど
れにも映っていなかった。扮装を解いたあと、別の部屋の住人を脅して中に隠
れるという可能性も排除されている。残るは、住人の誰かが犯人で、自室に籠
もった場合くらいだが、これも些か心許ない。というのも、扮装一式が全く見
つからなかったからだ。皆上の証言を信じるなら、大ぶりの剣だの鎧だのに、
牛のお面にマント等々、相当な嵩になる。仮に一つずつ別々にされたとしても、
マンション内に隠したのならじきに見つからなきゃおかしいんだ。しかし、見
つからなかった」
 話す内に声が大きくなり、口調に熱を帯びる尾上刑事。悔しさを思い起こし
たようだ。
「二〇四号室の前の廊下には、防犯カメラはないんですか? あれば、少なく
とも何者かが逃走する姿を捉えているはず」
「ない。エレベーター内に備え付けられたカメラが、各フロアに到着時、廊下
の様子を一時的に映すだけだ。ついでに教えとくが、そのカメラの録画映像に、
犯人らしき人物は映っていなかった」
「エレベーターを使った人物についてもっと詳しく、お願いできますか。少な
くとも被害者本人と、発見者達の乗り降りを把握する必要がある」
「教えるのはかまわんが、不完全なものだ。何せ、現場は二階だからな。エレ
ベーターの使用状況を見てなのか、健康志向なのかは知らんが、外階段を使う
住人も多いらしい。そして間の抜けたことに、階段の方には防犯カメラがない」
「不完全でもかまいません。教えていただくだけで、ありがたいです」
「それじゃ……被害者の横田は前日、夕方五時過ぎに大学から自宅へ直帰。以
後、エレベーターを使った様子はない。その後、皆上が事件当日の午後二時前
に部屋を訪れるまでの間、エレベーターを利用した人物は、他の住人やその知
り合いなどであると特定され、事件に無関係と判断した」
「皆上が一階に降りたあと、再び上がってくるまでは?」
「誰も使わなかった。エレベーターは動いていない」
「マンションに設置されている防犯カメラは、初見の人でもすぐにカメラと分
かる代物ですか?」
「今風の丸っこい形のカメラだ。防犯カメラと聞いて四角い箱から筒が伸びた
のしか思い浮かばない人間もいるだろうが、たいていは気付くんじゃないか」
「ふむ……なるほど、あまり参考になりそうにありませんね。事件発生時、偶
偶階段を使っていて、怪しい人物を目撃したというような証言は?」
「ないな」
「殺害現場は、二〇四号室なんでしょうか」
「分からん」
 不承々々ながらもすらすらと答えてくれる尾上刑事だが、他の用がまだ済ん
でいないのか、時刻を気にする素振りを見せ始めた。その割に、椅子に深く、
どっかりと腰掛けていたが。
「証言と状況だけ見れば、あの部屋で殺されたとしか考えられんが、科学的に
はまだ分からんというのが答だ。ベッドの上で死んでいたからな。よそで殺害
して、遺体をベッドごと運び込めば、現場の再現は可能かもしれない。床や壁
や天井に飛び散った血液なんかも、偽装はできる」
「詳しい解説をどうも。警察としては、犯人の見当を付けているのですか?」
「公表できるものはまだない。はっきりしているのは、異形だの魔物だのの騎
士なんて実在せず、人間の扮したものに違いないと見なしていること。加えて、
扮装道具が全く発見できないため、証言を疑う声も上がっている。これくらい
だな」
「つまり、皆上幸代こそが犯人で、捜査を惑わせる目的で嘘をついている?」
「肯定も否定もしない。容疑を絞り込んだ訳じゃないからな。事実、捜査に関
わる仲間からは、反問が出ている。大学生の女が、そんな幼稚な嘘をつくだろ
うかってな。確かに、わざわざ牛の顔をした騎士なんて持ち出さなくても、強
盗がいたとでも云えば事足りる。一方で、強盗だろうが殺し屋だろうが、被害
者を胴体から切断するなんて殺害方法を採るには、説得力がない。だからこそ、
苦し紛れと承知の上で、怪物めいた騎士の存在を仄めかしたんだろうって意見
も出て、まとまらない」
「実は、尾上刑事。僕らは一つの仮説を持ってきました。異形の騎士の犯行に
関する仮説です。聞いてもらえませんか」
 そうして、“異形の騎士の振るった剣により腹部から上下に真っ二つにされ
たあともしばらく動き続ける男”のからくりを、図解付きで説明する。元々、
被害者役は上半身と下半身とが別々で、下半身は被害者役が座る場所、今回の
場合はベッドを隠れ蓑として、別の人間が肩代わり(足代わり、か?)するか、
精巧な作り物を用意する。上半身は、下半身部分に被害者本人が膝を抱えて座
るような格好になり、だぼだぼの服を着ることで“つなぎ目”をカムフラージ
ュする。そうした下準備を経て、騎士役の人物が刀を振るのに合わせ、上半身
部分はその場から飛び退けばよい。よりスムーズに動きたければ、最初の時点
で上半身部分は平らな台車に乗り、タイミングよく横方向に引っ張ってもらえ
ばいい。室内におどろおどろしい低音の曲でも流しておくことで、車輪の音は
ごまかせる。たとえ音楽がなくても、血糊が派手に出るように細工しておけば、
目撃者の意識はそちらに集中するだろう。
「話だけ聞いてると、できそうな気がするが」
 尾上刑事は顎を撫でながら、僅かに首を傾げた。不可解な現象を説明できる、
一つの考えだとは認めつつも、当たっているかどうかは判断しかねる、といっ
た反応だ。
「被害者と騎士がぐるなら、騎士の剣や鎧は作り物でかまわなくなる。くしゃ
くしゃに丸めて燃やせるような素材なら、今もって発見されないことにも合点
が行く。問題は、別の道具が増えたことだ。現場の部屋を調べた限り、台車は
なかったし、ベッドに仕掛けがあったとも聞いていない。血糊もだ。現場の血
の全てを検査した訳じゃなかろうが、少なくとも作り物の血は発見されていな
いぞ」
「皆上幸代が横田の部屋を訪れるのは、このときが初めてだったのでは?」
 十文字の唐突な問い掛けに、刑事の片眉が上がる。
「ん? 何が言いたい?」
「現場を訪れたことが皆無かそれに近い人物なら、部屋の位置を錯覚する可能
性があると思うんですよ。二〇四号室だと信じ込んでいたが、実はその隣の部
屋に誘導されていた、とか」
「云ってることが分からん。明快に頼む」
 つい、頼むなんて表現をしてしまったことに、すぐに気付いたのだろう。尾
上刑事は直後に小さく舌打ちをした。それに気付いているのかどうか、十文字
は応じて答える。
「殺人は二〇四号室で行われたが、皆上幸代が目撃した一連のシーンは、別の
部屋で行われたのではないかということです。現場を見ていないし、見取り図
もないので、全くの想像になりますが……部屋の位置をわざと錯覚させるには、
二つの方法が考えられます。二〇四号室が角部屋だとしたら、廊下にその空間
をすっぽり埋めるほどの巨大な板をはめ込むことで、偽の『突き当たり』を演
出し、一つ手前の部屋を二〇四号室と錯覚させられるでしょう。無論、その部
屋を一旦離れた間に偽の壁を取り外し、戻ってくる頃には正規の二〇四号室に
入れるようにしておく」
「残念だが、それはないな。廊下が完全に建物の中を通るんなら可能かもしれ
んが、生憎と現場のマンションの廊下は、片側にのみ部屋があり、もう片側は
胸ぐらいの高さまでの柵があるだけで、そこから上は外の景色が見通せる。偽
の『突き当たり』を作るには、相当に分厚い、それこそ壁そのものを用意する
必要が生じるだろうよ。板程度では、不自然さが際立つ。もう一つ、二〇四号
室は角部屋ではない」
 先にそれを云えばいいのに、尾上は悪戯げに付け加えた。刑事を顎で使う高
校生探偵に対する、ささやかな仕返しといったところか。十文字は特に気にす
る様子はなく、再び話し出す。
「それでは第二の方法だ。第一の方法よりも、ずっと単純です。エレベーター
を降りてから、二〇四号室があるとされる位置まで、それなりの距離と部屋数
があれば成り立つ。エレベーターの昇降口から、二〇四号室まで、何部屋あり
ますか?」
「えっと、エレベーターを出ると、廊下は左右に分かれて、片方が二一〇号室
か始まる」
「それなら充分だ。目撃者はそもそも、何を目印に部屋を二〇四号室と認識し
たのか、警察では掴んでいますか?」
「あ、いや、それは……分からん。多分、聞いていない。ただ、これは自分の
個人的感想になるが、マンションに行ったときに、どの部屋にも表札や番号の
プレートがある訳でもなく、どれもこれも外観は似ていて区別しづらかった。
そんな中、被害者の部屋の玄関ドアには、黄色い雲形のプレートで表札が貼り
付けてあったな」
「恐らく皆上は、その黄色い雲形を目印にして、訪ねてくるようにと云われて
いたんですよ。二階で降りて廊下を進み、黄色い雲の張られたドアがあれば、
そこを二〇四号室だと信じ込む。たとえそこが隣の部屋でも」
 十文字の話の途中で、尾上刑事は手帳を取り出し、しきりにページを繰り始
めた。程なくして目当ての箇所に行き当たったらしく、軽く二度、頷いた。
「二〇四号室の両隣は、空き部屋になっている。中はがらんとしていた上、ド
アも窓も施錠されていたから、犯人が隠れたり証拠品を隠した可能性も低いと
見なされ、適当なチェックしか行われていない。このどちらかの部屋が、偽の
殺人現場として寸劇の演じられた場所だったかもしれないのか」
「そうなりますね。なるべく早い確認をお願いしたいのですが。犯人の手によ
り偽の現場の片付けはされたに違いないが、何らかの微細な痕跡が残っている
こともまた確実ですよ」
「もちろんだ。それに、もし君の考えが正しいとすると、犯人も明らかなじゃ
ないかね?」
「明らかは云い過ぎかもしれませんが、一気に容疑が酷なる人物は確かにいま
す。当日、管理人代理を務めていた志木竜司が一枚噛んでいる可能性が非常に
高い」
 十文字の台詞を聞き終えてから、尾上刑事は「ここではさすがにまずいな」
等と呟きつつ席を立った。携帯電話を取り出しながら、店の外へ行く。
「首尾よく解決、となればいいのだけれどね」
 十文字龍太郎は、百田と音無の方に振り向き、満足そうな笑みを見せた。

           *           *

 僕らは当初の予定である二泊三日を過ぎても、音無家の別荘に滞在を続けて
いた。
 僕、百田充としては嬉しい限りなのだけれど、他の人はどうなんだろう。十
文字先輩は滞在延長自体はともかく、「異形の騎士」事件の顛末がなかなか伝
わって来ないことに、少々苛立ちを募らせているようだ。
 でも、名探偵は不平を口にしない。K高原に足止めを食らうきっかけは、先
輩にあったせいかもしれない。「異形の騎士」事件に口を出すために、スケジ
ュールを変更して刑事に会いに行ったおかげで、まず一日延びた。一日延ばし
たがために、そのあとに発生した土砂災害で、別荘と街をつなぐ道が不通とな
ったのだ。復旧まで、早くても三日を要する見通しという。リビングに集まり、
今後の相談をしていたところだ。
「いくらでも滞在してください。遠慮は無用です」
 最前、音無は真剣な顔つきかつ嬉しそうな口ぶりで云ってくれた。心底歓迎
しているのが、伝わってくる。食料や燃料は充分にあり、音無の家族も了承し
ているというから、ありがたい話である。ちなみに、彼女の兄の真名雄さんや
その友人達は気まぐれさ故か、それとも予感が働いたのか、土砂災害発生前に、
車で無事引き上げていた。お手伝いさんも、帰ってしまっている。後日、来る
予定になっていた音無の他の家族も当分、来られそうにない。
「心配があるとしたら、料理のメニューでしょうか」
 冷蔵庫を覗いたあと、扉を閉めながらそう話したのは、音無家お抱え運転手
の田中さん。別荘にいる中で唯一の大人である。男子厨房に入らずを地で行く
タイプらしく、調理は無論、洗い物一つもやろうとしない。でも、他の家事、
特に掃除はこまめにやってくれている。現在も、調子のよくない冷房の清掃を
しながら、話に加わっていたところである。
「あら。自分は料理作りが得意と自負しております」
 三鷹珠恵が声高に主張した。同じ一年生でも、クラスが違うので三鷹さんの
ことはよく知らない。工学全般に渡って興味の網を張り巡らせ、才能を発揮し
ていることは見聞きしているけど、料理まで得意だとは意外だ。何せ、彼女の
縦ロールの髪型一つとっても、キッチンに立つようなタイプじゃなく、何もか
も使用人に任せきりの、お嬢様のイメージだ。
 そんな外見の女の子が今、冷房が清掃で直らないようならば自分の出番だと、
手ぐすね引いて待っている――といった構図がリビングで展開されていた。
「お疑い?」
 三鷹さんの高校生らしからぬ、気取っていながらも凜とした問い返しに、田
中さんは首だけ振り向き、気圧された風に目を丸くした。
「決してそんな意味ではなく、限られた食材で工夫するのはさぞかし大変だろ
うなという心配から出た言葉ですよ」
 彼の釈明に、納得したらしい三鷹さん。それならよろしいとばかり、笑みを
浮かべて頷く。
「じゃあ、料理は全部、三鷹さんに任せていいの?」
 両手の平を合わせ、だったら助かるとでも云いたげに目を輝かせたのは、七
尾弥生。矢張り一年生で、僕らの通う七日市学園の学園長のお子さんだ。一人
称に「僕」を使う彼女は、料理が苦手なのかもしれない。反面、奇術を得意と
するくらいだから、手先は器用に違いなく、料理もやってみれば案外簡単にこ
なせる可能性も充分あるんじゃないだろうか。
「全部で六人前くらいなら、一人でもできるわ。けれど、いい機会だと思って、
七尾さんもやってみれば? 音無さんは云わなくてもやるでしょうし」
 と、視線を宙に彷徨わせた三鷹さん。
「音無さんは?」
 音無は少し前に、呼び鈴に応じて玄関に向かったのだが、三宅さんは気付い
ていなかったようだ。そのことを伝えると、
「遅くないかしら?」
「云われてみれば……でも、十文字先輩も一緒だから」
 変な人が来たとしても、大丈夫だろう。と思ったものの、確かにちょっと長
いな。僕も行ってみることにした。
 が、玄関に着くまでに、先輩と出くわした。両腕で段ボール箱を抱えている。
箱の上には、飲料水のペットボトルが数本載っていた。
「どうしたんです?」
「ご近所さんからSOSだ。食料が足りそうにないというので、少し分けるこ
とにした」
「そうだったんですか。遅いから何かあったのかと。あ、運ぶの、僕も手伝い
ましょう」
「いや、これ一つだけなんだ。足りなくなったら、また来てもらうことで話が
ついたからね」
 それでもと、僕はペットボトルだけ手に取った。二人で玄関に行くと、音無
とそのご近所さんが話をしている。近くの別荘の人だからそれなりに年齢の行
った人が来ているのだと思ったら、さにあらず。僕らと同年代と思しき、一人
の少女が硬い表情でいた。
「別荘まで運ぼうか?」
 十文字先輩の声に、少女は反応し、顔をこちらに向けた。異国の血が混じっ
ているのではと想像させる整った目鼻立ちに、すらりとした背格好。髪はソバ
ージュで、肩にやや届かぬ程度の長さ。表情に、多少の笑みが加わるのが分か
った。
「お気持ちだけで。こう見えて、腕力には自信がありますから」
 答えた少女の目が、僕の方に移った。
「そちらは? 私は八神蘭(やがみらん)。今、彼女と話していて、どうやら
同じ高校みたいなの。顔を合わせたことはないよね?」
「え? え?」
 一度に情報を与えられ、戸惑ってしまった。同じ七日市学園の生徒だって? 
同じ災害に巻き込まれ、それが隣同士の別荘に? 何て偶然だ。
「彼は百田充君。八神君と同じく一年生だよ。クラスは異なるようだね」
 先輩が代わりに紹介してくれた。それに応えて、八神さんは「よろしくね」
と僕に微笑んだ。笑ったときと、そうでないときとの差がはっきりしている。
そんな感想を抱きつつ、僕も急いで挨拶を返す。
「百田です、よろしく。あのー、とっくに聞かれたことの繰り返しになるかも
しれないけど、八神さんは一人で別荘に来てるの?」
「知り合いと一緒に五人で。もちろん、大人もいる。それと、ここと違って、
貸別荘だから」
「そんな中から、八神さんに食料調達の役目が回ってきたのは?」
 ふと浮かんだ疑問をストレートにぶつける。すると、横にいた十文字先輩が
「それも僕がもう聞いたよ」と苦笑交じりに言葉を挟んできた。でも、返事は
八神さんに任せるらしい。
「じゃんけんで負けたから……というのは冗談。私以外の四人の内訳を云おう
か。一人は足腰を悪くしたお年寄り、もう一人はその世話係、一人は高校生だ
けれど何にもできない引っ込み思案、残る一人は大学生で頼りになるものの、
災害で不安がる高校生に『離れないで!』とせがまれて、別荘から動けない」
「なるほど」
「納得してもらえたところで、そろそろ行かなくちゃ。お腹を空かせて待って
いる」
 八神さんは、先輩が床に置いた段ボール箱をひょいと持ち上げた。見るから
に細腕なのに、力は本当にあるようだ。僕は、箱の上にペットボトルを載せて
あげた。隣の貸別荘まで、何メートルあるのか知らないけれど、ペットボトル
をガムテープか何かで箱に留めた方がいいかもしれない。
「音無さん、これ、固定できないかな?」
「え? ああ、そうか」
 考え事でもしていたらしく、反応がいつもより遅れた音無。だが、そのあと
の行動は素早かった。ポニーテールを靡かせて踵を返すと、奥に走って行き、
ガムテープを手に、すぐに戻ってきた。
 手際よくペットボトルを固定し、箱だけ持てば運べるようにする。
「本当にありがとう。正式なお礼はいずれするから。それと、来られるような
ら、他の人達をここに来させるつもり」
「八神さん、無理しなくてよい。それよりも帰り道、くれぐれも気をつけて。
天候もまだ不安定であるようだ」
 音無が例によって固い調子で送り出す。
「分かった。気をつける。あ、十文字さん、すみません」
 先輩が玄関ドアを押し開けている間に、荷物を両手でふさいだ八神さんは外
に出た。振り向きざま、軽く会釈して、そのまましっかりした足取りで去って
いく。小さくなっていく後ろ姿は、ドアが閉められ、全く見えなくなった。

「八神蘭? 知らない名前だわ」
 夕食の席で、来訪者のことが話題に上った。三鷹さんか七尾さんが八神さん
を知っている可能性があったので、その点を真っ先に聞いたところ、三鷹さん
からの返答はこうだった。
 一方、七尾さんは少し違った。面識があるという訳ではないが、名前は聞い
た覚えがあるという。
「確か、学校が始まってから転校してきたんだっけ。確か、四月の下旬だった
かな。そんなケース、滅多にないから事務員の間で話題になるくらい。お父さ
――父を通じて、僕の耳にも入ってきた」
「へえ。じゃ、かなり優秀なんだろうね、彼女」
 十文字先輩が、興味深げに云った。七尾さんは即座に首を横方向に、強く振
った。
「成績までは知りません。知ったらだめじゃないですか」
「何かに秀でているから入学を認められた、というんじゃないのかな?」
「特別枠で入ったかどうかも、僕、聞いてませんから」
 七日市学園には、勉学や芸術、運動等における特定の分野で才能ありと見込
んだ者を特待生として迎えるシステムがある。たとえば三鷹さんはその口だし、
十文字先輩と幼馴染みの五代春季先輩は、柔道で入学したと自ら語っていた。
それに、十文字先輩自身も特待生のようなものだ。この人の場合、ちょっと毛
色が違って、パズルの天才ということになっている。もちろん、パズル学科な
んてコースはないし、パズルの才能を伸ばすための特別な課外活動が用意され
ている訳でもないのだけれど。
 それはさておき、八神さんがもし、何らかの才能を認められて転校してきた
のだとしたら、なおのこと、ある分野において相当なレベルに達していると考
えて間違いないだろう。そうとでも考えなきゃ、途中入学させる理由が分から
ない。今度会ったら、折を見て直に聞いてみたい。
「音無さん、間近で八神さんを見て、何か気付いたことはなかったかしら? 
運動系であれば、外見にヒントがあっておかしくない」
 三鷹さんが尋ねたのだが、音無は会話に上の空だったらしく、機械的に食事
を口に運ぶのみ。なお、メインのおかずは青椒肉絲である。
「音無さん? 聞こえなかった?」
 三鷹さんが再度呼び掛け、ようやく反応した。「ああ、ごめん」と謝る音無
に、三鷹さんは質問を繰り返した。
「そう、だな……」
 上の空だったことを詫びる気持ちもあるのか、真剣に考え込む音無。元から
凜々しい顔立ちが、眉間に軽くしわを寄せている今、少し怖いくらいになる。
「挨拶の際に、八神さんの手に触れる機会があった。そのときに感じたのは、
柔らかい筋肉が付いているようだということ。多分、身体全体も柔らかい。想
像を逞しくしてたとえるなら、猫のようにしなやかな動きのできる肉付きだっ
た」
「猫……体操や新体操とかかな」
 僕は、真っ先に浮かんだ運動種目を、さして検討せずに口にした。十文字先
輩も賛成するかのように頷いた。けれども、音無は小首を傾げた。
「体操や新体操を目の前で観たことはないが、あの手の競技とは、匂いが違う
気がする。巧く云えないが……美よりも武の匂いだった」
「つまり、武道の方だろうってことか」
 先輩の問いに、黙って首肯で返す音無。
「武道や格闘技に関して素人同然だから、よく分からないが、猫のような動き
の武道となると……たとえば拳法かな。柔軟さが必要な印象が強いよ、あれは」
「近いかもしれません」
 音無は一応認めたものの、完全には納得していないのがありありと分かった。
剣道の強者である音無のことだから、もしかしたら、武芸者としての血がふつ
ふつと騒いでいるのか。剣道と拳法では、公平なルールで戦いようがないだろ
うけど。
 と、このときはそう思っていたんだ。まさか、一週間後に音無と八神さんの
試合が行われるなんて、想像の遙か外だった。

――続く




元文書 #244 十三海断 3   永山
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