AWC 金星と夏休みと異形の騎士 1   永山


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#456/514 ●長編
★タイトル (AZA     )  14/04/30  22:29  (462)
金星と夏休みと異形の騎士 1   永山
★内容                                         14/06/30 10:56 修正 第3版
 私には、一つの忘れがたい記憶がある。恐怖で彩られており、思い出すのも
おぞましい。
 体験したのは幼少の頃、多分、小学一年生のときだと思う。場所に関しては
判然としない。脳裏のスクリーンに再生される絵を参考にするなら、学校のよ
うでもあり、病院のようでもある。が、当てにならない。とにかく、周りの状
況よりも、目の前で展開された現象の方が、圧倒的に印象が強かった。
 その記憶の中で、私は部屋に一人で入っていく。窓の外は暗い。夜ではなく、
雨雲が低く立ちこめている感じだ。灯された蛍光管のいくつかは、もうすぐ寿
命が尽きるのか、明滅を繰り返していた。
 そんな不安を煽る光の下、長椅子もしくは寝台めいた物が置かれていた。そ
の上に、人が一人、腰掛けている。性別は……男に見える。細面で青ざめた顔
色、きっちり九十度に曲げた両膝に、両腕をついている。彼はぼんやりとした
眼差しを私に向け、かすかに、にこりと笑んだようだった。さらに、片腕をぎ
こちなく上げて、手招きをした。
 ごろごろごろ、と遠くで雷鳴が。
 私は勇気を出して、足を前に進める。ある程度近付いた――と言ってもまだ
二メートルは離れていたと思う――とき、男は不意に私とは違う方へ頭を向け
た。私もつられて見る。ちょうど私の右真横、約五メートル先だ。
 そこには、魔物めいた異形の戦士がいた。赤みがかった銀色の西洋甲冑で全
身を包み、頭部は猛牛を思わせる面相と二本の太い角、手の指からは半透明の
爪が長く伸びていた。右手は、長く重たそうな剣を握りしめている。
 と、猛牛のような戦士は剣を両手で持ち、振りかぶった。次の瞬間、椅子の
男までの距離を一気に縮め、剣を右上から左下へ、ざんっ、と振り下ろした。
 すると、腰掛けた男は、胴体を真っ二つにされた。横方向に、つまり上半身
と下半身に分かたれたのだ。下半身はそのまま残り、上半身は横滑りした形で、
長椅子の上に横たわった。男の顔はこっちを向いており、断末魔、いや、魔物
に切断された末の叫び声が、その口から迸る。
 血が激しく噴き出すものと思ったら、そうはならない。切れた服の布地がに
じむ程度に赤くなっただけ。魔物の剣がなせる業か。加えて、男はまだ息絶え
てはいない。上半身は虫のごとく這い回ろうとしているし、下半身は足が小刻
みに動き、床を叩く踵の音が、雷に混じって小さく、しかしはっきり聞こえた。
 斬られた男は、こちらに向かって「助けて、くれ。元に、戻して、くれ」と
いう台詞を繰り返している。小学生の私は、それに応えることができない。自
分も魔物の戦士に襲われるのではという恐れから、息をほとんど止めて後ずさ
りした。事実、牛の頭を持つ異形の者は、こちらを振り向いた。そして一歩を
踏み出す。私は内臓が口から飛び出しそうな心地だった。それだけ動悸が激し
くなっている。最早、後ずさる意味がない。魔物の戦士に背を向けて、一目散
に駆け出す。部屋から転がり出て、その勢いのまま廊下を逃げた。正しい方向
かどうかも分からなかったけれど、とにかく逃げた。何か叫んでいたに違いな
い。誰か大人が助けに来てくれた気もする。でも、そのあとのことはよく覚え
ていない。

           *           *

 悪夢だ。
 皆上幸代(みなかみゆきよ)は思った。
 十二、三年前に体験した恐怖が、今また起こるなんて。前回と異なるのは、
長椅子の代わりにベッドだったこと。そのベッドの縁に腰を下ろしていたのが、
見知らぬ男ではなく、知り合いの男――部屋の主・横田(よこた)という男で
あること。知り合ってまだ間がないため、下の名前は知らないが。
 フラッシュバックというやつだろうか、現在と過去の結び付く感覚を経て、
何かに追い詰められた心地になった。皆上はマンションの一室から、廊下へ飛
び出した。
 慌てているせいで、壁にぶつかるわ、靴はつま先に引っ掛けただけだわ、挙
げ句に一度転んでしまった。幸い、怪我はなく、というよりも痛みを感じる暇
もなく、エレベーター前に辿り着く。降下ボタンを押すと、うまい具合にほと
んど待つことなく、箱が来た。ドアが開くなり、中に入る。他には誰も乗って
いない。ワンフロア分下るだけなのに、やけに時間を要した気がした。
 一階に着くや、乗り込んだときと同様に飛び出て、さてどうしようと立ち止
まった。もう小さな子供ではないのだから、単に逃げればいいというものでは
あるまい。警察に通報する? 信じてもらえるだろうか。だいたい、夢か現実
なのか、自分自身ですらあやふやに感じる。さっきの部屋に戻れば、魔物の戦
士がまだいるかどうかはともかく、惨状そのものは残っているはず。あの様子
を見れば、警察も本気になるかもしれない。
 そこまで考えた皆上の眼が、管理人室の窓口を見つけた。そうだ、とりあえ
ず管理人に話せば、対処してくれるに違いない。
 思いを行動に移そうとした矢先、背後からドアの開く音がした。魔物の戦士
が追って来た? びくりとして、恐ろしいにもかかわらず、エレベーターを振
り返る。
「どうかしましたか」
 現れたのは、一人の男性で背は高いが頼りなげな細身の上、かなり若い。大
学生の皆上と同世代に見える。皆上がよほど驚いた表情をしていたのか、心配
して声を掛けてくれたようだ。
「いえ、別に」
 早口で答え、管理人室の方に向かおうとする。
「管理人にご用ですか? だったら、僕が承ります。代理の者ですから」
 意外な台詞を背中で聞いて、皆上は再度振り返った。男は志木竜司(しきり
ゅうし)と名乗った。人のよさそうな笑みを浮かべつつも、何故か言い訳めい
た口ぶりで付け足す。
「僕の叔父がここの管理人、やってるんですが、今日明日と検査入院をするか
らということで、学生の僕にお鉢が回ってきたんです。さっき、二階の切れて
いた電球を取り替えて来たんですが、ひょっとしてあなたは廊下を走って、エ
レベーターに乗り込みました?」
 見られていたのか。ほんの少しだけ恥ずかしくなった皆上だったが、それよ
りも今は、体験したばかりの惨劇を伝える方が重要だ。
「あの、二〇四号室で大変なことが。警察を呼ばないといけないわ、多分」
「二〇四号室というと、横田峰夫(よこたみねお)さんの部屋ですか。お知り
合い?」
「はい、大学の」
 皆上はそれから状況を一気に説明した。聞いていた管理人代理は、案の定、
訝しがる気配を覗かせた。あからさまではないにしても、皆上を見る目つきが、
この人大丈夫?と言わんばかりのそれに変化したようだ。
「本当なんです! 行ってみれば分かります!」
 皆上の請願に、管理人代理の志木は静かに頷いた。
「分かりました。一緒に行きましょう。あなたが言うような異常事態が確認で
きたら、通報するとします。ただ、あなたの言う魔物の戦士が本当にいたら、
私なんかでは到底太刀打ちできない訳で……」
 志木は管理人室に一旦消えると、すぐに出て来た。手にはゴルフクラブが握
られている。
「叔父が用意してるんですよ。気休めだが、ないよりましでしょう」
 手に力を込めるのが傍目にも分かる。魔物の戦士の存在を本気で受け取って
はいないが、何らかの不審者がいることは覚悟してもいるようだ。二人揃って
エレベーターに戻り、二階に向かう。
「ここの防犯システムは、一昔前の物で遅れていますからね。カメラは正面の
出入り口と勝手口、それとエレベーター内にあるだけ。しかも勝手口の方は、
死角を把握できていれば、どうにか映らずに出入りできる。非常階段を使えば、
エレベーター内の防犯カメラも関係ないし」
 叔父とやらから聞かされたのだろう、肩をすくめつつ説明した。
 じきに二階に着き、扉が開く。皆上は思わず、身をすくめた。扉のすぐ向こ
うに、あの化け物が待ち構えている。そんな絵が浮かんだのだ。
 実際にはそんなことはなく、静かなものだった。人影はないが、マンション
の外から生活音が届くため、しんと静まりかえっている訳ではない。
「二〇四号室でしたね」
 志木の口頭確認に頷く。そのまま、相手の背中に隠れるようにして、問題の
部屋に向かった。玄関ドアを閉めた覚えはなかったが、自然に戻ったようであ
る。あるいは、魔物の戦士が閉めたか。閉じたドアの前で、管理人代理は言っ
た。
「オートロックじゃないんで、もし施錠されていたら、中に誰かがいてロック
したか、もしくは鍵を使って締めて出て行ったことになる」
 状況を再確認するかのような独り言。さすがに緊張した面持ちになっている。
 男性にしては細くて綺麗に手入れされた指をノブに当てる志木。それから回
しかけて、ぱっと手放した。
「いかんいかん。こういうときであろうと、一度は呼び掛けないと」
 インターホンを押し、「横田さん、いらっしゃいますか? 管理人代理の志
木です」と呼び掛ける。返答はない。再び、住人の名を呼ぶがやはり同じこと
だった。
「それじゃ、入るとしますか。失礼します」
 右手でクラブを構えると、左手で一気にドアを開けた。
 奥へ通じる短めの廊下が見渡せるだけで、人の姿はない。気配すらない。
「ベッドはどこです?」
 志木の問いに、皆上は首を左に振って応じたが、これでは相手から見えない
と気付き、口で答え直す。
「左手の襖の部屋です」
「分かりました。あなたはここにいて。もしも、万が一、何かあったら、すぐ
に助けを呼んでください。二階の部屋の何人かは在宅のはずですから」
「は、はい」
 空つばを飲み込んだ。皆上の前で、志木は靴を脱ぎ、ゆっくりと歩いて行っ
た。襖は開け放したままだから、覗けばすぐに状況が分かるはずだ。志木は、
ゴルフクラブをいつでも振り下ろせるように構え直してから、寝室の前に進み
出た。

           *           *

 一時期、僕の目から見ても、十文字龍太郎(じゅうもんじりゅうたろう)先
輩の苦悩ぶりは手に取るように分かった。
 高校生にしてパズルの天才でもある彼は現在、名探偵たらんと日々努力し、
行動している。事件解決の経験も数多く、依頼を受けることさえあるほどだ。
そんな先輩が、先頃手がけた事件の結末に納得しきれず、真相にかかるもやを
吹き飛ばすためだと言って、ある人物の出身地その他身辺調査を始めた。が、
結果は空振り。ある人物への疑いは、一応晴れた。
 この、ある人物とは、十文字先輩のライバルだった男の姉で、名前を針生早
惠子(はりおさえこ)という。僕が想像するに先輩は多分、彼女に前々から一
定の好意を抱いているようだ。
 当初、先輩が早惠子さんに容疑を掛けたことについて、明白な理由は恐らく
ない。事件関係者と親しい人物の一人、その程度だったんだと思う。だから今、
先輩は早惠子さんを疑ったこと、そしてそういう思考をした己自身を嫌悪して
いたのかもしれない。
 それはさておくとして。
「先輩、この間話した夏休みの件、本当に大丈夫ですか」
「――百田(ももた)君、何だっけかな?」
 学校に来るなり、朝一で二年生の教室を息せき切って訪ね、先輩に問うた反
応がこれ。僕は膝から下の力が抜けそうになった。廊下の窓際の壁に寄り掛か
り、どうにかバランスを保つ。
「音無(おとなし)さんからの誘いですよっ」
 僕にとって、目下の最重要事項。同級生の音無亜有香(あゆか)は、僕の理
想に一番近い女子だ。もちろん公言している訳ではないけれど、恐らく十文字
先輩にはばれている。
 そんな彼女がかつて巻き込まれた事件を、十文字先輩が解決した。そのお礼
にと、夏休み、別荘に招待してくれているのだ。蛇足だけど、音無のこういう
義理堅いところも、好きな点の一つ。
「そういえばそうだった。全く問題ないさ。改めてわざわざ聞くから、何事か
と思ったじゃないか」
 廊下に出てきてくれた十文字先輩は、窓の外を見やりながら、何でもない風
に応じた。
「あ、そうでしたか」
 ほっと胸をなで下ろす。とりあえず、落ち込みの底辺を脱し、気分は上向き
になっているようだ。この分なら、楽しい夏休み中盤を迎えられそう。
「ただし」
 戻ろうとした僕を、先輩の声が引き留める。
「期末試験が終わったからか、一つ、依頼が舞い込んだ。それを八月頭までに
解決できなかった場合は、取りやめるかもしれないな」
「え」
 慌てて、汗も飛ばさんばかりに振り向くと、名探偵のにやにや顔が待ってい
た。
「じょ、冗談ですか」
「よく分かったね。なかなか勘がよくなってきたじゃないか。頼もしい」
 冗談を肯定するコメントそのものに、冗談ぽさを混ぜないでほしい……。
「招待を一度受けておてい、翻すような失礼はできないからね。もし不在時に
何かあったら、五代(ごだい)君に話が行くように段取りしている」
「それこそ大丈夫ですか。五代先輩は、その、探偵活動にあまりいい顔をして
ないようですが」
 僕は教室を横目で見渡しながら尋ねた。どうやら、五代先輩はちょうど席を
外しているみたいだった。スポーツ特待生扱いだから、一部授業が異なってい
るのかもしれない。
 五代春季(はるき)先輩は、十文字先輩の幼馴染み。警察一家に生まれた関
係で始めたらしい柔道の有望選手で、はっきりいって並の男では勝てないだろ
う。また、十文字先輩の探偵活動にいい顔をしないと言ったけれど、時折、大
なり小なり捜査情報をもたらしてくれるのは、幼馴染みの身を案じてのことだ
と思う。
「今回ばかりは、だからこそ、だよ、百田君。もしも警察が乗り出すべき事件
であれば、五代君が巧く処理するさ」
「でも、何か大会があるんじゃないですか。あるいは、合宿とか。十文字先輩
も五代先輩も揃って不在なら、依頼したい人がいたとしても、コンタクトの取
りようがありませんよ」
「かもしれない。そのときは……一ノ瀬君(いちのせ)君ならどこにいても、
連絡が付きそうじゃないか」
「いや、あいつは学会とかで、海外ですから、それこそ動きようがないでしょ
う」
 一ノ瀬和葉(いちのせかずは)は、僕とクラスが同じで、何かとまとわりつ
いてくる。学業成績はトップクラス、かつコンピューターのことなら何でもご
ざれの天才で、僕なんかとは比べものにならない。なのに、妙に懐かれている
のは、一ノ瀬が少々苦手としてる日本語――外国暮らしが長かったせいか――
を直してやったのがきっかけの一つかもしれない。
「ああ、そうだったなぁ。もう準備は進めてるんだろうね。確か、月末には出
発だと聞いたから」
「はい。昨日も忙しそうにしていたし、今日はまだ見掛けていない――」
 喋っている途中で、身体に衝撃を受けた。右方向から、誰かにぶつかられた
のだ。よろけながらも振り向くと、話題にしたばかりの一ノ瀬が、おでこを押
さえながら立っている。
「いたた。結構、堅いね。みつるっち、たいしたガタイじゃないのに」
 みつるっちとは彼女が付けた僕のあだ名の一つだ。本名の百田充(みつる)
から来ている、単純なもの。
「いたたって、こっちの台詞だ。もしかして、堅いとガタイのしゃれを言いた
かっただけとか?」
「おお、鋭い。そのとーり」
 一ノ瀬には、新しく言葉遊びを覚えると、しばらく続けたがる傾向があるよ
うだ。こちらとしちゃ、着いていくのが大変……別に着いていかなきゃならな
いことはないんだけど。
「忙しいのに、わざわざここまで来るとは、何か用事かい?」
 先輩が一ノ瀬に尋ねる。一ノ瀬は猫のようにまん丸く目を見開き、こくこく
と頷いた。
「お土産の交換を約束しておきましょう」
「お土産?」
「はい。学会はハワイで開催されるので、マカダミアナッツ以外に何か買って
きます」
 何となくおかしな文脈だ。しかし、定番中の定番であるマカダミアナッツを
外すというのは、ありがたいと言えるのかもしれない。
「十文字さんやみつるっちは、剣豪の別荘に招待されてるでしょ? 地元の名
物を何でもいいから買ってきてほしいにゃと」
 剣豪というのも、一ノ瀬が勝手に付けた音無のニックネーム。これまた単純
で、音無が剣道の(というか恐らく刀剣の)達人だから。
「了解した。食べ物とそうでない物と、どちらがいい?」
「どっちも」
 遠慮なくリクエストする一ノ瀬を見て、ある意味、うらやましくなった。

 音無の別荘は、K高原にある。避暑にはもってこいの場所だとは聞いていた
が……着いたその日は小雨模様で、肌寒いくらいだった。プラットフォームに
降り立つや、思わず肌をさすったほど。
「カーディガンの一枚でも持ってくればよかったかな」
 駅を出て、傘を差しながら十文字先輩は呟いた。そう云いつつ、薄手ながら、
長袖を着ている。出発の折は、袖を折って短くしていたんだと気付いた。
 かく云う僕は、用意が悪く、長袖は持ってこなかった。二泊三日の予定だが、
着替えは予備を含めて、どれもこれも半袖。
「そこいらの店で、羽織る物を買うかい?」
 駅を中心にしたテリトリーは観光地化が進んでいて、しゃれた感じの店が建
ち並んでいる。
「予算にあまり余裕がないのですが。それよりも、矢っ張り、早く着きすぎで
すよ」
 音無とは駅前で待ち合わせて、とりあえず昼食は周辺の店で摂ろうという話
になっている。問題は時間だ。約束したのは正午だというのに、先輩は見物し
たいと二時間近く早い便を選んだのだ。
「初めての土地には、色々と興味がわくからね」
「だったら、最初に音無さんに言って、合流してから付き合ってもらった方が
よかったんじゃあ」
「勝手気ままに歩いてみたいんだ。君も自由行動の方がいいだろう」
「それはまあ、男二人で歩くような土地柄って雰囲気でもないですし」
 けど、男一人で歩くような場所でもないような。目立つのはカップルか女性
のグループ。他には団体旅行客らしき集団が、ちらほら。想像していたよりは、
年齢層が若干高めだ。
「矢っ張り、記録係として同行します。音無さんが着いたときに、うまく再合
流できないとまずいですし」
「自由行動だからね、かまわないよ」
 荷物は重いというほどではなく、背負ったまま、散策を開始する。
「あ、念のため、音無さんに連絡を入れておきませんか。着きましたって」
 早めに到着することを、先方には前もって伝えていないのだ。
「任せる」
 足を止めたまま、先輩はガイドブックを取り出していた。観光する気、満々
のようだ。
 とにかく、僕は屋根のあるスペースに入り、音無から前もって聞いておいた
番号に電話した。上三桁から察するに、携帯電話の番号ではなく、別荘にある
固定電話のそれのようだ。
「――もしもし」
 二度の呼び出しのあと、つながった。声から判断して、音無本人らしい。知
らない人が出たらどうしようという緊張は解けたけれども、別の意味で緊張す
る。
「音無さんのお宅でしょうか? 僕、クラスメートの百田充と――」
「ああ、百田君。亜有香だ。まだ列車の中では?」
 下の名前を名乗った音無に、どぎまぎしてしまう。確かに、音無家別荘に電
話して、音無と名乗られても区別できない。そこを配慮して、下の名前を口に
したんだろうけど、新鮮に聞こえる。それに、何だか恋人同士の会話みたいだ
し。
「実をいうと、すでに到着してるんだ」
「え? 聞かされていなかった。いや、ひょっとすると、自分が時間変更につ
いて、聞き漏らしたのか?」
「いや、云ってなかっただけだよ。十文字先輩の意向で、早めに着いて、観光
がしたいと」
 音無の声が、申し訳なさげな響きを帯びる。僕は急いで付け足した。
「それならそうと、事前に伝えてくれればよいものを。案内をしたのに」
「その辺も、先輩の意向で」
 と答えた刹那、電話口の向こうで、第三者の声がした。若い女性、いや、女
子の声だ。多分、僕らと同世代……と当たりを付けたところで、会話の内容が
はっきり聞こえた。話しているのは二人で、「どなたからかしら」「百田君か
らみたいです」「あら。少しお早いようですけれども」等と云っている。二人
の声にはともに聞き覚えがあった。
「あのー、音無さん。他にも友達呼んだ? 女子の友達」
「う、うむ。男子だけを招くと、家族が変な風に受け取りかねない故、女子も
呼んでおいた」
 聞いてない。お互い様だけれど。とにかく、確認だ。
「誰を呼んだの?」
「百田君とも十文字さんとも顔見知りだから、問題ないと思う。七尾弥生(な
なおやよい)さんに、三鷹珠恵(みたかたまえ)さん」
 自分の耳に自信を持てる返事だった。音無が口にした二人は、ともに僕と同
学年の一年生。
 七尾さんは僕らの通う学校、七日市学園学長の愛娘だ。マジックを特技とす
る「僕っ子」で、学園長の娘であるせいか、あまり友達は多くないみたい。そ
れはともかく、保護者の信用を得るには最適の人選だろう。
 三鷹さんも学校内有名人の一人で、見た目は縦ロールの髪をしたお嬢様。そ
の実態は、機械いじり好きが高じて、工学関連の諸々に才能を発揮していると
か。僕は目の当たりにしたことがないので、よく分からないけれど、ロボット
も作るらしい。
「そっか。先輩に伝えとくよ」
「あ。それはかまわないんだが、早く着いたのであれば、今すぐ迎えに出よう
と思う。雨も降っているようだし。駅をまだ離れていない?」
「あー、離れちゃないけど、十文字さんがどう思うか……」
 電話を顔に寄せたまま、先輩を振り返る。すると、じわじわとではあるが、
すでに歩き出しているではないか。
「ごめん、最初の予定通りで行こう。もし、待ち合わせ時間になっても、姿が
見えないようだったら、まだ電話してよ」
「……しょうがない。了解した」
 残念そうに云った音無。眉間にしわを作っていそうだ。些細なことで深く考
えない方がいいよ、とアドバイスしたい。云えないけれど。
 通話を終え、少し先行していた先輩に追いつく。
「それで百田君。結局、服を買うのか買わないのか、決めたかい?」

     〜     *           *     〜

「電話は十文字さんからでしたか。噂をすれば何とやらね」
 三鷹は微笑混じりに云うと、手首を返して腕時計で時刻を確かめた。
「時間がどうのこうの、たいした用件ではなかったようですが」
「待ち合わせ時刻の確認だった」
 音無は即答してから、はたと気付き、思わず叫んでしまった。
「しまった!」
「ど、どうしたの?」
 七尾が、さっきまで遊んでいたトランプを仕舞う手を止め、聞き返す。
「昼食にはどんなジャンルの料理がよいか、聞いておけばよかった」
「そんなこと、心配する必要ないのではありませんか。会ってから尋ねれば、
すむ話のように思います」
「確かにそうだが……物事はなめらかに運びたいと考えていたから」
「音無さん。ちょっとよろしいでしょうか」
 改まった調子で許可を求めてきた三鷹に、音無は気持ち、身構えた。
「何なりと」
「今回の話を伺って、いくつか感じたことがあります。十文字さんに感謝の意
を示すために、別荘へご招待するというのは、とても素晴らしい考えです。十
文字さんには、かつての事件で、自分もお世話になりましたし、感謝していま
す。七尾さんも同じでしょう」
 急に振られ、七尾は小刻みに頷いた。三鷹はまた微笑し、話を続ける。
「精一杯、もてなそうという気持ちでいることが、音無さんからはよく伝わっ
てきます」
「そのつもりでいる」
「ただ――自分は少し疑問に感じます。十文字さんの探偵ぶりには敬意を表し
ますが、果たして名探偵と呼べるほどの能力なのかしらと」
「――なるほど。あなたも気付いていたようだ」
 音無は硬くしていた全身から力を抜いた。自然と小さな笑みが浮かぶ。
「え、っと。どういう意味ですか」
 一人置いてけぼりを食らった格好の七尾が、音無と三鷹を交互に見やった。
 答えるのは音無。
「四月に起きた事件について、皆がどの程度知っているのか、私は把握してい
ないが、未解決であることは承知していると思う」
「ええ」
「私は、警察から嫌疑を掛けられてもおかしくないところを、十文字さんに救
ってもらった。犯人は捕まっていない。それどころか、途中、十文字さんは何
者かに襲撃されて、しばらく入院した。それと事件とが関係あるのかないのか
は、あずかり知らぬが」
「他にも、十文字さんが関わった事件で、表向きは解決していても、何か曖昧
さが残っているものもいくつかあるという話は、七尾さんもご存知でしょう」
 音無に続き、三鷹からも云われ、七尾はこくりと首肯した。
「僕が実際に関わった件もそうだし、他にも噂レベルなら」
「擁護する訳ではないが」
 音無はきっぱりとした口調で云った。
「某かの事情により公にされていないだけで、内々にはきちんと決着している
のかもしれない。そもそも、今回、私が十文字さんを招いたのは、あの人が名
探偵であるからではない。ただただ、私と我が家の家宝を守ってくれたことに
対し、感謝の意を表するためでしかない。それでは不足だろうか?」
「いいえ、まったく」
 承知の上でしたら何も云いませんとばかり、三鷹は笑みで応じた。
「自分も楽しみにしてるんです。十文字さんはパズルの天才と聞き及んでいま
すから、そちらの方の話を伺いたいと」
「だったら、何か問題を作って、出題するのがいいかも。解くことを喜びとし
ている感じだから」
 七尾の提案に、音無は唇をきゅっと噛んで、考え込んだ。
「それは私も考えた。よいパズルを出題できれば、それが最高のもてなしにな
るに違いないのだから。でも、残念ながら、私の頭脳はそういった作業には向
いていないようだ。その、二人はどうだろう?」
「私達の中で、最も向いているのは、七尾さんでしょうね」
「僕? 不思議な物を生み出すことに関心は高い方だと思うけれど、マジック
に偏ってるからなぁ。問題解決能力って云うのかな? そういう観点からなら、
三鷹さんの方が」
「自分も、パズルに関しては、論理パズルの知識を多少持ち合わせている程度
で、問題作成となると、期待に添えられそうにありません。が、音無さんと同
じく、あの人にはお礼をしたいと思っていました。そこで――あるアイディア
を用意してきたわ。お二人にも協力を仰ぎたいし、前もって聞いておかない?」
 不意に砕けた言葉遣いになった三鷹。その表情は最前から笑顔だが、今はい
たずらげな色合いが加わっている。
「何なに?」

     〜     *           *     〜

 正午を一分ほど過ぎた頃に、迎えの車が現れた。多人数でも対応できるよう
にということだろうか、ワゴンだった。青みがかったグレーの車体はよく磨き
込まれ、雨粒を弾いている。
 運転しているのはもちろん大人で、初老の男性。眼鏡を掛け、角刈りに近い
髪型が実直そうな印象を与える。眼は柔和で優しそうだが、肌はほどよく日焼
けして精悍な感じ。普通のおじさんと見せかけて、実は屈強なボディガード、
というやつかもしれない。
「観光の途中だったのではありませんか」
 挨拶のあと、音無が気遣いを見せた。先輩は首を横に振り、「いや、もう済
んだ」と応じる。
 僕はこのとき、実はがっかりしていた。音無の私服姿が見られると期待して
いたのだ。でも現れた彼女は、学校指定の制服姿だった。他の二人、七尾さん
と三鷹さんは、それぞれポロシャツにジーンズ、ブラウスに長めのスカートと
私服なのに。
「懸命に歩いたから、腹ぺこだよ。早く食べに行きたいな」
「何料理がよいか、希望はあるでしょうか?」
「いや、お任せするよ。まあ、この地方の名物料理があるなら、食べてみたい
かな」
「郷土料理で、お昼に合いそうなもの……蕎麦か豚肉でしょうか、あとは、野
菜の天ぷらも」
「それじゃ、天ざるでどうです?」
 ワゴンのシート、その奥に収まっていた三鷹さんが声を上げた。本人も食べ
たいという気持ちが顔に出ている。
「いいね。行ける?」
 先輩に問われた音無は、すぐに力強く頷いた。そして運転手に声を掛けた。
「田中(たなか)さん、お願いします」
 蕎麦屋なら、今いる場所からも二軒が目にとまったが、中心街からやや離れ
たところにある店がおいしいという。車で走ること十五分弱、国道沿いにぽつ
んと建つ店に到着した。
「もしや、高いのでは」
 藁葺き屋根の立派な純和風建築を前に、思わず呟いてしまう。しんがりにい
た音無が、「心配しなくていい」と応じる。
「そうなんだ」
「何が」
「値段、高くはないんだろ?」
「基準が分からぬが、そこそこすると思う。ただ、滞在中の食事に関しては、
全て持つから」
「え」
 絶句してしまった僕に対して、音無は涼しい顔で続けた。
「当然であろう。私が頼んで、来てもらったのだから」
「しかし……十文字さんはともかく、僕まで?」
「気にする必要はない」
 店内に入る。その際にぐずぐずしたものだから、音無に追い抜かれてしまっ
た。
「ありがたい話だけど。あのさ、音無さん。もしかすると、君のところって結
構なお金持ち? 別荘を持っていて、お抱え運転手もいるし」
「また基準の分からぬ話をする。だいたい、百田君は些細なことどもに気を回
しすぎるきらいがある。そこが長所なのかもしれないが、招待を受けたときぐ
らい、全て忘れるべきじゃないか」
「――うん、分かった」
 そう答えたのと同時に、すでに席に収まっていた先輩から声が飛んできた。
「何をしている。早く座って、注文を済ませてくれ。一緒に食べられないじゃ
ないか」

――続く




 続き #457 金星と夏休みと異形の騎士 2   永山
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