AWC 白い彼方のホワイトデー 下  永山


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#424/598 ●長編    *** コメント #423 ***
★タイトル (AZA     )  13/03/31  00:06  (408)
白い彼方のホワイトデー 下  永山
★内容                                         22/05/30 17:08 修正 第5版
 我が校にも給食制は導入されているが、今日は午前中で学校が終わるので、
給食はない。学食なんて施設もなく、購買部に多少の食品が置いてある程度だ
った。もちろんこの年頃の子供、そんなお菓子のような物で満足するはずもな
く、近くの喫茶店に出向き、スパゲティナポリタンをおごる羽目になった。ま
あ、どうせ自分も昼を摂る必要があったのだから、ちょうどいいと思うことに
する。
「で?」
 僕はカツカレーのカツ一切れを、スプーンで半分にしながら、石橋に話の続
きを促した。
「そんなに急かさなくても、食べ終わるまでには話します」
「男の教師と女子生徒が二人きりで店に入るというのは、外聞が悪い。早く済
ませたいんだよ」
「こそこそきょろきょろせずに、堂々としていればいいのよ、先生。部活終わ
りに、顧問の先生が生徒を連れて食事をしてる、ぐらいにしか見えないわ」
「そんなものか」
 石橋が気にしないのであれば、こちらも必要以上に言い立てまい。でも、そ
れとは別に、話を早く聞きたいのも事実。
「カツを一切れやるから、早く話せ」
「カツより、デザートなどをいただける方がありがたいんですけど」
「……分かった。何でも頼め」
 これで目新しい話が聞けなかったら、成績を採点し直して少し下げてやりた
い。
 スパゲティが片付き、デザートに何かのケーキと、ジュースを頼んだところ
で、ようやく石橋は話し始めた。
「警察は多分、弓矢で射殺したなんて方法はあり得ないと、すぐに気付いたは
ず。だったら、次に、学校の外で襲われた羽根川君が、学校内に逃げ込んだと
考えるはず。逃げる途中で死んでしまったと。ここまではどうです? 先生は
警察から捜査の状況を聞いたんですよね?」
「うむ。誉めていいのか分からんが、一致している」
 実際、戸惑った。十四歳前後の女子が、犯罪絡みのことを言い当てるなんて。
 そんな感想が表情に出ていたのだろう。石橋は僕の顔を見て、ふと気付いた
ように目をぱちくりさせ、「そんな意外そうにされるとは思わなかったな」と、
からかう口ぶりで言った。
「私はこれでも、推理小説や二時間ドラマが大好きなんです。小学生のときに
購読していた雑誌に、推理クイズブックみたいな付録があって、そこからのめ
り込んだんです。足跡の問題なんて、お茶の子さいさい」
 そういえば、刑事も似たようなことを言っていた。推理小説を読む人間にと
って、死にかけの被害者が歩いたがために足跡が不思議になるというのは、常
道のパターンなのだろう。
「足跡の謎を解釈するのに、一番有力な仮説なのは、先生も認めますよね」
「ああ」
「その上で、なお残る疑問は、羽根川君は何故、学校の外ではなく中に逃げた
のかという点であることも、すぐに理解できるでしょう?」
「何となくは……。でも、学校の誰かに助けを求めても、おかしくはない気が
するな」
「時間帯を考えて。早朝だったんでしょ。加えて大雪。ワイドショーで見た死
亡推定時刻だと、学校はまだ無人だったはずよ。最後の力を振り絞って駆け出
したのに、明かりが灯っていない校舎を目指すかしら」
「なるほど、理屈だが……犯人が大男で、とても道路側へは逃げられそうにな
かったのかもしれないじゃないか」
「可能性はあります。でも、羽根川君が怖がるくらい大きな人って、大人の男
性でもそこかしこにいるとは思えない。だいたい、羽根川君は真正面から矢を
突き立てられているんでしょう? 大男と相対していたのなら、警戒して、そ
んな簡単に刺されないと思いますけど」
 自分の正面に立った相手に、あっさり刺される。早朝という時間帯や大雪と
いう状況を考え合わせると、相当に油断していない限り、女の子にだって刺さ
れそうにない。
「勘になるけれど、羽根川君は年齢の近い知り合いに呼び出されたのよ、きっ
と。だって、私なら、そうでもない限り、寒い朝にのこのこ歩いて行かないわ」
 確か、羽根川のところは父親との二人暮らしで、会社員の父親は遅番勤務だ。
五時前後に在宅しているか不在かまでは把握していないが、在宅していてもき
っと睡眠を取るだろうから、息子が早朝に出て行っても気付かれにくい。
「雪の早朝に呼び出せるのは、羽根川とかなり親しい間柄に絞れるな」
「そうとも限らないんじゃありません?」
 いつの間にか運ばれたケーキを食べつつ、石橋が言った。
「何故だ? 仲の悪い奴から呼び出されたら、普通は無視するか、時間の変更
を求めるもんだ」
「普通ならね。けど、羽根川君はバレンタイン騒動で陥れられたと主張してい
た。犯人探しをしていたの、先生は知らない?」
「いや、何となくは知っていた」
 一度だけだが、羽根川に問われたことがある。自分の評価が下がって得する
奴はいませんかと。いないとしか答えようがなかったが、あのときもっとちゃ
んと話を聞いておけばよかったのか。
「そんな羽根川君が、たとえば『バレンタインに、おまえの鞄を触っていた奴
を見た。詳しく話したいから、三月十四日の朝五時に学校の正門前まで来て欲
しい』とでも持ち掛けられたとしたら、どう? 相手との仲がどうだろうと、
会いに行くじゃないかしら」
 なかなか鋭い見方かもしれない。電話で持ち掛けられたとして、重大なこと
だから直接会って伝えたい、なんて言われたら、従うしかあるまい。
 だとすると、動機は何だ。手作りの矢を用意し、刺したんだから、計画的な
殺しなんだろう。バレンタインでの悪戯を嗅ぎつけられそうになった犯人が、
それならいっそのこと殺してしまえとやったのか? 小さな罪を隠蔽するため
に、殺人を犯していては割に合わない。乱暴すぎる気がする。
「正田先生は、誰か怪しい人物、浮かびました?」
「そんなの、いやしない。石橋も余計な詮索はやめておけよ。顔見知りを疑う
なんて、どうせろくなことにならない」
「それ、経験談ですか」
「犯罪絡みじゃないが、大なり小なり似たような経験ならあるさ」
 僕の台詞に、石橋は感心したように息をつき、それから「さすが年の功」と
付け足した。

 事件から一週間が経ち、学校の行事は終業式まで無事に済んだ。春休み目前
ともなると、当初の騒々しさは一気に和らいでいた。世間でもっと大きな事件
が起きたせいもあるだろう。ただ、警察の動きがあまり伝わってこないのは、
迷宮入りを想像させて気分のいいものではなかった。
 とはいえ、教師の身分では自ら調べる力なんて高が知れているし、その上、
春休みに入ったからといって暇になる訳ではない。むしろ、新年度に備えて多
忙を極める時期だ。事件の捜査状況を知るには、週刊誌やスポーツ新聞を適当
に読み漁るぐらいしかない。
 だから、羽根川進が殺された事件について、目新しい情報を得るのは期待し
ていなかったのだが、どこにも特ダネ狙いのひねくれ者はいると見える。ある
週刊誌の小さな記事によれば、凶器に使われた矢から、羽根川の血の他に、彼
とは異なる型の血液も検出されたという。O型で、犯人の血液の可能性もある
らしいが、最近付着したものではないとの記述もあった。過去にいかほど遡る
のかについての言及はない。
 来年度も、四組を持ち上がりで受け持つことが決まっていた僕は、各生徒の
情報に接することが、比較的容易にできる。血液型も知ろうと思えば知れる。
だが、教師に過ぎない僕が、そこまでする必要があるのか。そこまでしていい
のか。血液型が決め手になるのであればまだしも、どう扱えばいいのか判断に
困る手掛かりでは、下手にしゃしゃり出るのは自重すべき。そう決断した。
 しかし……中学生の女子ともなると、占いが流行るおかげで、血液型の把握
には熱心な者もいるようだ。あの週刊誌記事を目にすれば、調べたくなっても
不思議じゃない。
「――あ、よかった、いた。先生!」
 たまの休日、自宅アパートの中庭でくつろいでいたところへ、石橋美奈穂は
突然現れた。茶系統でまとめたベレー帽に肩掛け、黒のタイツとと、どちらか
と言えば春よりも秋を感じさせる装いは、校則の定めからはみ出していない。
生徒なりの精一杯おしゃれした私服の効力か、石橋は普段よりも可愛らしさは
減じたが、代わって大人びた雰囲気が増したようだ。
 緑の生け垣を間に挟み、ほぼ正面から向き合う格好になる。
「何だ何だ、石橋。誰かとデートか」
 思い付いたジョークをそのまま口にすると、相手はむくれてしまった。面白
くないと言われるのはかまわないが、不機嫌そうにされるのは予想外で困る。
「正田先生は見ていないのですか、週刊誌に載った記事を」
 早口で捲し立てるように言い、僕に例の週刊誌を突き付ける。読んでいたか。
芸能人ネタの多い号で、セクシャルな記事はほぼなかったな、うん。
「読んだよ」
「O型の血液を持つ人物が犯人だと思います?」
「分からんよ」
 石橋のペースに巻き込まれるのを意識するも、逃れる術はなさそうだ。やむ
を得ず、話に付き合うことにする。アパートの部屋に招き入れる訳にはいかな
いので、僕の方が外に出た。念のため、財布を持って出たが、喫茶店に入ろう
などとは言われなかった。少々歩いた場所にある公園に向かう。天気はよく、
気温も高め。散歩日和だ。
「矢に付着したO型が、いつのものか、記事には書いてなかったからな。そこ
が分からないと、進めようがない」
 道すがら、会話を再開する。石橋は何度か首を縦に振った。
「確かにその通りです。でも私、一応、念には念をと思い、O型の人物をリス
トアップしてみました」
「やめなさい。いらぬ先入観を与えるだけだ」
「クラスのみんなには言わないわ。知りたければ、自分で調べればいいのよ」
 咎められたのが不服なのだろう、唇を尖らせる石橋。
 公園には幸い、誰もいなかった。聞かれる心配をしなくて済む。いくつかあ
るベンチの内、道路に近いやつに腰を下ろした。
「最初は私もO型の人が怪しいと思った。でも、血痕は古い物らしい。矢は木
を削った手作り。今度の事件で、弓を用いて飛ばした様子もない。だったら、
昔の血痕が証拠になりかねないのなら、ちょっと削って取ればいい。なのにし
ていないってことは、ひょっとしたら犯人の血ではないのかもと考えるように
なって。それで、先生の意見を聞きたいと思って、こうして足を運んだんです」
「そうだな、ユニークな見方だ。もちろん、前提条件のハードルをいくつか跳
ばしていることは、承知の上だろう。たとえば、古い血痕の大きさ。仮に、肉
眼では捉えにくいほどの小さなサイズであれば、犯人は見逃したが、科学捜査
によって発見できたということは充分にあり得る」
「はい。でも、私の思い付きを先に検討するだけの、充分に興味深い情況証拠
が存在します。私、推理小説に興味を持った頃から、実際の事件にも関心を持
つようになって、未解決事件なんて報道があると、スクラップするようにして
います」
「そう言うからには、過去の未解決事件に、関係ありそうな事柄を見つけた
のか?」
「三年前の夏、町内で起きた殺人事件です。正田先生も記憶してるはずですよ。
犠牲者は二人、いずれも小学生。二年女子と三年男子で、それぞれ首に細い棒
状の物を突き立てられた結果、動脈を傷付けられ失血死。凶器は未発見。そし
て偶然なんでしょうけど、被害者は両名ともO型」
「一ヶ月半前に羽根川を殺害した犯人と、三年前の連続殺人犯が同一人物だと
言いたいのか」
 驚きを隠さず、僕は聞き返した。無意識の内に、石橋を指差していた。相手
はけろりとして答える。
「少なくとも、凶器は一致するんじゃないでしょうか。刺し方や被害者の年齢
はまるで異なりますけど」
「三年前に二人も刺した凶器なら、それこそ血まみれになったに違いない。そ
んな物をそのまま保管して、今また使おうとするかな」
「三年前の犯行後に、血の付いた部分を削り取ったんだと思います。ひょっと
すると、三年前は真っ直ぐな杖状の物だったのを、血があちこちに染み込んだ
ので、削って矢の形にしたのかも。ただ、血痕全てを取り去るのは無理だった」
「……いや、やはり想像がたくましすぎる。狭い範囲で時を隔てて起きた複数
の殺人事件に関し、一方の事件の凶器が過去の事件に使われたかもしれないと
いう、非常に薄い可能性を追っているだけだ」
「そう言われると思っていました。私も、私みたいな中学生が言っても、まと
もに取り合ってもらえるとは考えていません。そこでお願いが。先生の方から
警察へ、進言してくださいませんか」
「何だって?」
 先程とは違う種類の驚きに、僕は腰を浮かした。石橋は相変わらず、落ち着
き払っている。
「それとなく言ってもらえれば、警察も一応調べてくれると思います。結果が
仮説と違っていても、それはそれで一つの進展です」
「いやいや、違っていたら、捜査の邪魔をしたことになる。だいたい、どうや
って証明できる? 石橋の想像だと、凶器の形状が変わってしまった恐れがあ
る。言い換えると、たとえ同じ凶器でも、傷口は一致しないってことだ」
「最新の科学捜査では、わずかな血痕から、人物の特定が可能になったと聞き
ます」
 石橋は詳しく説明してくれたが、僕は分かったような分からないような、今
ひとつ、理解できなかった。
「と、とにかくだ。その技術はまだ日本では普及していないんだろ? やると
したら専門の研究機関に、特別に依頼することになるだろう。まだ大した確証
もないのに、特別な検査をしてもらえるはずがないさ」
「確証ではありませんが、傍証ならもう一つあります。先生はご存知ないみた
いですけれど、三年前の事件の一人目の被害者は、羽根川君と同じ小学校に通
っていました」
「何と……」
 三度目の驚きには、もう声も満足に出ない。
「じゃあ、羽根川が殺されたのは、三年前の事件の何かを知っていて、そのこ
とを突き止めた犯人に始末されたとか……」
「動機はいくらでも想像できます。でも、凄く興味深い事実でしょう?」
「ああ、そうだな。刑事に伝えてみるくらいの値打ちはありそうだ」
 結局、僕は石橋の頼みを引き受けた。事件の解決自体に関心があったのも確
かだが、それ以上に、石橋が勝手に動いて、万が一、犯人に狙われてはいけな
い。

「どうもどうも、正田先生。お待たせしました」
 すっかり顔なじみになったベテラン刑事が、笑顔で手を振りながら現れた。
僕はパイプ椅子から立ち上がり、軽く一礼した。
「今日はあの若い刑事さんはいないんですか」
「さっきまで一緒にいたのですがね。先生が来たから、自分だけ戻ってきたん
ですよ」
「それはすみません。申し訳ないことをした」
「いやいや、それだけの値打ちがありますよ。実は、矢に関して公にしていな
い情報がいくつかありましてな。それが、三年前の根口君殺害の件と結び付き
そうなんです」
「公にしていない情報とは……」
「全部を明かす訳にはいきませんが、特別に一つだけ話しましょう。根口君の
遺体には、ある植物の花粉が付着していた。今度の事件の矢の羽の部分から、
同じ種類の花粉が微量ながら検出されている。当時の花粉が、今も残っている
としたら、これは有力な証拠になる。新たな観点からの捜査の後押しになるに
違いない。それにしても、三年前に殺された児童二名の血液型なんて、よく覚
えていたものですな」
 刑事は感嘆の中に皮肉を混ぜたような口調で言った。僕もつい、苦笑した。
今回の進言は、僕自身の意見ではなく、ある女子生徒の意見だと、正直に伝え
てある。
「推理小説ファンみたいでして。僕も知らなかったので、意外でした」
「警察官志望なら、将来有望ですな」
 刑事は豪快に笑うと、また立った。
「他に何もなければ、捜査やら何やらあるんで、よろしいですかな」
「え、ああ、一つだけ、教えてください。できればでいいんですが」
 応の返事をもらったので、手短に尋ねる。前に言っていた不自然さとは、羽
根川が学校側に逃げたことなのかと。
 刑事は厳つい顔を縦に振った。
「その通りですよ。これもまたその女子生徒の見方ですか」

 僕は石橋が警察に先んじていたと信じて疑いもしなかったが、捜査陣の一部
は児童連続殺害事件との関連を口にしていたらしい。その上、僕なんかが思い
も寄らない仮説を検討していたのだった。
「何か変なんですよ、先生」
 入学式の予行演習に登校した石橋は、終わるや否や、僕に話し掛けてきた。
どうせ事件のことだと判断し、とっさに人の輪から外れる。
「おかしいって何かあったか」
「私の周辺を誰かが嗅ぎまわってた」
「え? 真面目な話か?」
 にわかには信じられず、また緊張もしたので、つい、確認してしまった。す
ると石橋は案の定、靨を作って少しだけ笑みを見せた。
「多分、警察の人が私の評判を聞いていったみたいなんです」
「警察が? 意味が分からない。むしろ君は、護衛されてもいいくらいなのに」
 そもそも、僕は彼女の名を警察に伝えていないのだが。
「事件の真相をずばり見抜いていた中学生を怪しんで、身辺調査したのかも」
 石橋は本気とも冗談ともつかぬことを言う。
「真相かどうかはさておき、事件に首を突っ込んでくる君を疑った可能性はあ
るな。今、思ったんだが、石橋はもしかすると、三年前の事件の被害者どちら
かと、つながりがあるんじゃないのか」
「同じ学校に通っていました。ただそれだけで、おしゃべりはおろか、見掛け
たことすらないですけど」
「当然、三年間の事件で、警察から事情を聴かれたことは……」
「ありません」
 真の意味で、念には念を入れて調べてみた、ただそれだけのことだったのか。
 しかし、と僕は内心、首をかしげる。
 僕らの進言で警察が新たに動き始めたのなら、捜査員達は忙しく駆けずり回
るものではないのか。女子中学生に疑いをかけ、念のため調べる余裕があるの
だろうか。
 ひょっとすると、大真面目に容疑をかけていたのかも――。僕はまじまじと
石橋を見た。
 彼女はちょうど横を向いており、こちらの視線には気付かなかったらしい。
顔を戻すと、「それで思ったんです」と始めた。
「警察は、羽根川君の事件で、中学生も容疑者に含めている。このことは容易
に想像できます。そこへ、三年前の事件との関連を窺わせる話が出てきた。今
の中学生が三年前は、小学生。羽根川君の中学の知り合いの中に、殺された児
童二人とつながりを持っている者がいておかしくない。そんな風に考えたんじ
ゃないかしらって」
「……筋は通っているようだ」
 児童を殺した犯人が児童だとしたら、衝撃は大きい。盲点だ。三年前の時点
で、小学生を対象にした捜査が徹底されたとは考えにくい。
「うちの学校で、三年前の被害者二人と少しでも関わりがあった者は、全員調
査されているのか。――だめだな、僕は。みんなを警察から遠ざけるために、
一刻も早い事件解決を期してあれこれ動き回ったつもりだったが、逆になって
しまったよ」
「真相が藪の中になるよりは、ずっとましです」
 事も無げに答える石橋。生徒みんなが彼女ぐらい強ければ、どんなに気が楽
だろう。
「犯人が三年前の事件と同じなら、その人物は何故、羽根川君をホワイトデー
に、矢で殺したのか、気になるんですよね」
「ホワイトデーなのは、バレンタイン騒動があったからじゃないのか。あの騒
動がらみで殺されたと思われるように」
「だったら、凶器に矢を使う意味が分かりません。キューピッドの矢になぞら
えたのかもしれませんが、それならわざわざ三年前の凶器を改造せず、普通の
木で作ればいいんですよ。凶器のおかげで、関連性が浮かび上がったんですか
ら」
「言われてみれば、不可解だな。昔の事件とのつながりを隠す気があるのかな
いのか。学校側に逃げた謎と合わせて、三つの謎だ」
「あ、その謎なら、私、一つ思い付いたことがあります」
「え、学校側に逃げた謎を解釈したというのか」
「あくまで仮説です。確認を取るまでは、話したくないのですが」
「そう言って隠しておいて、一人で容疑者に接近して確かめようとするなよ」
 二時間ドラマでよくありそうなパターンを想起しつつ、僕は忠告した。石橋
は意外と真剣に反応した。
「ようく承知しています、先生。口封じに殺されるのはまっぴらごめんです。
だから、私の考えを先生に話しておきますね。死ぬなら一蓮托生です」
「おいおい」
「冗談です。二人で一緒に、容疑者のところに行って、この疑問をぶつけてみ
てもいいんですけど」
「警察に任せた方が……いや、想定している容疑者は、生徒なんだな」
「ええ」
 生徒のことを思えば、僕のような教師でもクッションとして間に入ることは、
重要なのではないか。警察任せにするよりは、よほどいい気がする。
「聞かせてくれるか」
「もちろんです」
 石橋は乗り気らしい。早く話したがっているのは明白だったが、場所を選ぶ
べき話題だ。僕は少々考えて、放課後の教室を選んだ。
「襲われたときの羽根川君の立場に立って、考えてみました。どうしたら足が
校舎に向くのか。そちらに逃げれば、助かる可能性が高いと判断したからに違
いないんです」
「当たり前だな。第一、だからこそ何故、人のいない校舎に向かったのかが疑
問なんだろう」
「はい。つまり、校舎にいる人に助けを求めたのではない、ということになり
ます」
「じゃあ何だ。あ、電話か?」
「いいえ。学校の周辺にも、公衆電話はたくさんあります。一番近い文房具店
横まで、十メートルちょっとしかありません」
「人でも電話でもないなら……」
 第三の説を探したが、見つからない。僕は白旗を掲げた。
「分からん。教えてくれ」
「簡単ですよ。教室に解毒剤があると犯人に言われたから、です」
「は? 解毒剤だって?」
 どこに毒が登場したんだと訝しんだが、じきに理解した。
「そうか! 犯人の嘘なんだな。『今、お前を刺した矢の先端には短時間で死
に至る猛毒が塗ってある。助かりたければ、二年四組の教室に行き、教卓の上
にある解毒剤を飲むしかない』なんて風に」
「はい。私はそう考えました。刺されるという緊急事態下で、こんなことを囁
かれれば、従ってしまっても無理ありませんよね」
「それには同意するが、刺した相手に言われて、すぐに信じるだろうかねえ?」
「普通の人に言われても、信じるかどうかは半々ぐらいでしょう。だけど、相
手の知識や背景を羽根川君が知っていたなら、信じてしまう場合があります。
それは、犯人に薬物の知識が豊富にあるということ」
「うん? 言わんとすることは分からなくはないが、中学生で薬に詳しいやつ
なんて、少なくとも我が校にいたかな」
「いるじゃないですか。羽根川君の身近に」
 石橋は即答する。僕も即座に理解した。羽根川の身近といえば、真っ先に思
い浮かぶ生徒――。
「倉森か。父親が製薬会社の偉いさんだったな。それに、母親は薬剤師」
「羽根川君が信じる要素は充分でしょ?」
「しかし、彼は羽根川の親友中の親友だぞ。動機は何だ」
「私は動機には関知しません。どうせ完全に分かるはずないのだし、想像だけ
ならいくらでもできますから」
「だが、倉森があの矢を使って殺したのだとしたら、倉森こそが三年前の――」
「そこまでにしましょう、先生。あとはそれこそ警察の領分ですよ」
 そう言った石橋は、制服姿にもかかわらず、大人びて映った。

 その後、警察は倉森の逮捕を発表し、匿名での報道がされた。テレビや週刊
誌、新聞などがこぞって報じ、情報量の見た目だけは莫大なものになった。だ
が、情報の山の中に、石橋や僕が知りたかった答えはなかった。
 わざわざ三年前と同じ凶器を用いたことと、動機だ。
 そしてそれらに対する答は、根っこでは一つにつながっていたことを、僕ら
はベテラン刑事から教えられる。
「先生も複雑な気持ちでしょうな。あなたが児童連続殺害事件との関連を言っ
てくれたおかげで、解決を見たんだから。ま、それに対するお礼の意味を込め、
話して差し上げますよ。裁判がどうなるか分かりゃしませんしね。あっと、こ
れから話すのは倉森の主張であって、裏付けはまだなんだ。そこのところ、よ
うく理解しておいてくださいよ。
 あいつが言うには、三年前に相次いで小学生を殺害したのは、羽根川だとし
ている。当時から仲がよかったが、羽根川の暴走を止めるにはあまりに非力だ
ったと涙をこぼしたよ。羽根川が年下の小学生を殺した理由? 単なる興味、
好奇心からやったんだと。それを止めるために倉森は体力をつけ、さらに凶器
の杖――矢の前の姿です――を隠した。凶器は物証になることを分かっている
羽根川は、それ以後、殺人への興味を抑え込み、倉森との親友関係を続けたと
いう。だが、長くは続かなかった。中学二年生の冬になり、殺人の衝動が抑え
らそうになくなりつつあった。そんな羽根川に、倉森は欲求のはけ口を提供し
た。その一つが、話に聞いたバレンタイン騒動なんですな。
 ええ、全ては倉森と羽根川が仕組んだ、狂言だと。どういうことかというと、
羽根川を被害者に仕立てた事件を起こし、自らを追い込まれる立場に置く。周
囲の人間はおそらく羽根川を責めたてる。敵だらけになる訳ですな。それら敵
に対し、羽根川が怒りを爆発させて反論や反撃をしても、流れだけを見ればご
く自然だ。同時に、犯人かと疑われ、苦しみを知ることは羽根川にとってよい
ことに違いないと、倉森は考えたらしい。いまいち理解しがたい理屈です。
 バレンタインデーの狂言は、しかしちょっとした誤算が生じた。倉森が母親
の急病を知らされ、早退したせいです。あれがなければ、倉森こそが先頭に立
ち、羽根川を糾弾する役目を負っていた。その予定が狂い、羽根川は石橋さん
を筆頭に、何人かに責め立てられた。そのことが、彼の心理に殺意を急速に芽
吹かせた。そう、殺意です。倉森の主張ではね。
 羽根川の殺人への興味が完全に復活し、またも倉森では止められなくなった。
ホワイトデー当日に、石橋さんを殺してやるとまで言い出していたそうです。
何の証拠も出ていませんがね。凶行を止めるため、倉森は羽根川を殺すしかな
いと思い詰めた。そして隠しておいた杖を凶器に使えば、安全に処分できると
も考え、矢に作り直して羽根川を刺した。解毒剤どうこうの点は、先生方の話
してくださった通りでした。あ、呼び出した口実は、倉森も羽根川の犯行を手
伝うからと申し出たみたいですな。
 一見、筋が通っているようで、随分といびつな犯行ですよ、これは。倉森の
証言が真実だとしてもね。いくつかの疑問が解決できたと思ったら、大きな疑
問が最後にできてしまった感じですかね。ええ。羽根川を止めるために彼の殺
害などという極端な手段に走った理由がね、全然理解できません。正田先生の
クラスの女子に、聞いてみてくれませんか」

 刑事の最後の言葉を真に受けた訳じゃないが、僕は石橋に意見を求めた。倉
森と同じ年齢の彼女なら、多少は理解できるのではないかと思ったのだ。
「恐らく真実を射抜いている――かもしれない、極々単純な答が転がっている
じゃないですか」
 例によって事も無げに、あっさりと言い放った石橋美奈穂。羽根川に命を狙
われていた話を、彼女は飲み込んだはずなのに、動揺はまるで見られない。
 中学三年生になった彼女は続けた。
「一度は思い当たった仮説です。三年前の児童連続殺害犯は羽根川君ではなく、
倉森君だった」

――終わり




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