AWC つうかあの謀りごと 後   永山


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#422/598 ●長編    *** コメント #421 ***
★タイトル (AZA     )  12/11/23  00:04  (341)
つうかあの謀りごと 後   永山
★内容                                         18/07/06 02:37 修正 第3版
           *           *

「原朋美が転落死?」
 江本邦良殺害事件の捜査班は、困惑に支配された。この一報を々受け止め、
解釈すべきか。
 続いて入ってきた転落の状況は、特段、不審な点はないように思えた。
 十一月十日の正午前、マンション七階の自宅の窓からマンション敷地内の道
路に落下。病院に搬送されたが、死亡が確認された。遺体の外傷は、転落時の
衝撃の他には、左手の平に細い糸か真新しい紙で切ったような、小さな傷があ
った程度で、何者かに攻撃されてできた傷は見当たらなかった。
 当時、部屋には原朋美一人だけで、玄関はロックされていた。そこの鍵はス
ペアを含めて三本あり、二本を原が所有、一本を角口が持っていた。事故後、
警察が部屋を調べると、鍵が二本、発見された。
 もし殺人だとすると、残りの一本を所持する角口に疑いが向くが、彼はその
時間帯、仕事の取引先の知り合いと、昼食を摂ろうとしていたところだった。
場所は、マンションから遠く離れたホテル内のレストランで、アリバイ成立。
さらに、マンションの一階フロアとエレベーター内にある防犯カメラ映像によ
り、角口が最後にマンションに出入りしたのは、十一月九日夜と判明した。
 ただ、気になるのは、原朋美が転落する直前、彼女の携帯電話に角口が電話
していること。原の誕生日が近いので、プレゼントは何がいいか聞こうとした
らしい。通話時間が一分を超えた頃、角口は原の短い悲鳴と、重たい物が地面
にぶつかったような音を聞き、慌てて一一九番通報したという。
 現場の部屋の窓は横すべり出し窓で、下向きにできる開放部から頭を入れ、
外を覗き込める。だが、普通はわざわざそんなことをせず、ガラス越しに外を
見れば事足りる。床はフローリングで、窓の下を中心に、一部滑りやすくなっ
ていた。この部屋に出入りしていた角口に聞くと、原朋美が掃除に使う洗剤を
誤ってこぼしたことがあるという。
 転落時の原の恰好は、室内着にカーディガンを羽織っていた。足は靴下履き
で、フローリングとの相性は滑りやすい物だった。
「怪しいだろ、これ」
 角口による殺人を疑う声が瞬く間に上がった。
「しかし、床を滑りやすくしたのが角口だという証拠はないし、仮に奴の仕業
だとしても、殺人の決め手にはならん」
「携帯電話の通話で被害者を誘導し、窓から外を覗かせる。そこまでは、やろ
うと思えばできるだろう」
「それだけで落ちるかね?」
「いや。もう一押し、いるな。文字通り、後ろから押すか、前から引っ張るか」
「現場に居合わせなかった角口に、そんなことはできん。被害者は、何かを取
ろうとしたんじゃないかと思う」
「言い換えれば、角口が電話で言って、取らせたと」
「ああ。マンションの外壁、窓から手を伸ばせば届きそうで届かない位置に、
何かを貼り付けておく。そうだな、原朋美の誕生日が近かったんなら、プレゼ
ントという名目かもしれん。電話で誘導し、取るように仕向けたとしたら、か
なりの確率で転落すると思わんかね?」
「でも、現場検証で、そんな物が見つかったという報告はありません」
「被害者が掴み、壁から離れて、一緒に落ちた可能性もある」
「だとしても、遺体からさほど飛ばされることなく、近くに落ちるはず。何か
それらしき物があれば、すでに発見されているに違いない。改めてチェックす
るんだ」
 転落現場で採集された証拠品のリストを速やかに見直す。
 しかし、プレゼントにふさわしい物品はない。せいぜい、被害者が握り締め
ていた携帯電話ぐらいだが、以前から原朋美が所有していた物であると確認が
取れた。
「それなら、本当に携帯電話を外壁に貼り付けていたんじゃないですか? 被
害者は携帯電話がないことに気付いて探していた。そこへ角口が固定電話に電
話をして、隠し場所を告げる。被害者は怒りながらも、携帯電話を回収しよう
として……」
「それもないな。記録によると、原朋美は転落した日の午前中、彼女の携帯電
話から知り合いに電話を掛けたり、メールを送ったりしているようだ」
「中のカードを差し替えたんじゃあ……」
「原の携帯電話は転落死のあと、角口の手には一度も渡っていないはずだぞ。
遠隔操作とか言い出されると、俺にはさっぱり分からんが」
「被害者と通話している第三者がいるのだから、その辺は問題にならないだろ
う。私が気になるのは、原朋美の左手にあったという傷だ」
「切り傷みたいなもんでしょ。掴む物を求めて、壁で擦ったんじゃないですか」
「線みたいな傷が一本だけ付くとは、ちょっと考えにくい。それに、右手には
携帯電話を持っていたとすると、左の手にはその何だ、プレゼントか何かを持
っていた可能性がある訳だろ? 傷はプレゼントによってできたとは考えられ
ないか」
「なるほど。紙で切ったような傷というと……ピン札?」
「まあ、確かにお札なら、遺体の近くに落ちず、飛んでいったとしてもおかし
くはないな。拾った奴がいても、届けないことだってあり得る」
「しかし、角口がすぐに通報したのは事実ですし、他にも目撃者がいて通報し
ています。どこに落ちるか分からない紙幣を、見つけられる危険を冒して、そ
んなに早く通報するもんですかね」
「ふむ。一理ある指摘だ。角口が即座に通報している事実を考慮すると、目撃
されてもかまわない物をセッティングしていたに違いない」
「目撃されて平気な物って、ありますか? だって、そいつは被害者と一緒に
落ちてくるんですよ。もしも拾われたら、有力な物証になりかねない訳です」
「――それだ。拾えないような物だったんじゃないか」
「というと?」
「落ちてこない物だよ。ヘリウムガスで膨らませた風船から糸を垂らし、その
端に小さな指輪でも何でもいい、女が喜びそうな物を結び付けた上で、マンシ
ョン外壁につなげておく。回収し損なった原は、上がっていく風船の糸を、落
ちながら無意識の内に掴もうとする。が、風船は手の平をすり抜けて、傷だけ
を残した。そのあと風船は、どこかに飛んで行ってしまう。色を外壁に合わせ
て、目立たない物にしておけば、目撃者の記憶にも残りにくい」
「筋は通ってきた感じがします。けれど、風船はいずれ落ちてきます。指輪の
ようなアクセサリーを着けていたら、見つけた人が警察に届けて、ちょっとし
た話題になるのでは?」
「これから殺そうって相手に、本物の指輪をやる必要ない。おもちゃで充分だ。
被害者を一時的に騙せる程度に、外見が本物っぽければいい」
 曲がりなりにも、筋の通った推論が組み上がった。ただ、物証がないに等し
い。手の平の傷だけではだめだ。マンションの外壁に、何かを接着した跡があ
るかもしれないが、それとて決定打にはなるまい。最低限、風船と品物を回収
しなければ、話にならない。無論、大掛かりな捜索が始められたが、期待薄だ
った。甘めに見て、四分六分といったところか。たとえ見つかっても、日にち
が経っている。風船及び品物から、角口や原の触れた痕跡を消し去った恐れも
ある。
「角口が原を殺したんだとして、動機は何でしょう? 恋人を殺すなんて」
「想像を逞しくすると、やはり、江本殺しが絡んでいるのかねえ。角口の犯行
と気付いてしまった原が、犯人に口封じされたと考えるのが妥当じゃないか」
「実際のところ、角口はどんな反応をしているんだ?」
「当日、事情を聞いた者の話によれば、打ち拉がれた感じはなくて、茫然自失
といった体だったそうです。聞かれたことにはしっかり受け答えするが、突如、
被害者の名前を何度も叫んだり、声を詰まらせたりだったと。翌日、詳しい話
を聞いたときには冷静になっていたが、落ち込みが酷いようにも映った、だそ
うで。深いため息を何度も吐いていたとか」
「演技だとしたら、なかなかのもんだ」
「原朋美が、江本を殺したは角口だと気付いたとする。彼女は何をもって、そ
んな判断ができたんだ? 俺達がまだ尻尾を掴めていないのに」
「元から共犯で仲間割れ……ってのは動機の面から見て、ないか。一緒に寝て
いた角口が、寝言で口走ったとか」
「だとしたら、間抜けすぎるな」
「寝言ならごまかしようがあるし、まさかアリバイトリックまで寝言でべらべ
ら喋らんでしょう。原は恐らく、アリバイに偽りがあると気付いたんじゃない
か。あの日、一緒に行動していたからこそ分かる何かがあるんだと思う」
「もう一遍、越川と塩田に話を聞きますか」

 撮影スタジオに塩田亜佐美を訪ねた刑事は、休憩時間まで待たされた。もと
より覚悟していたので、別に焦りはない。空いた時間は、塩田の観察に費やし
た。片隅から撮影の様子を眺めていると、彼女の様子が以前に比して、覇気が
ないように感じられた。
 休憩時間を迎え、刑事は最初にそのことを話題に持ち出した。
「お疲れのようですが、大丈夫ですか」
「そんな風に見える?」
「見えますよ。近くで見ると、一層、強く思いましたね。メイクが前より濃い
ようだが、ひょっとすると、顔に何か出ているんじゃないかなー、とか」
「男なのに、よく気付きますね。刑事だからかしら?」
「ということは、当たりですか?」
「そうね。――ねえ、刑事さん。ある人にさせたことが、思い掛けず、その人
の死につながったとしたら、させた側は罪に問われるの?」
「何の話です? ケースバイケースとしか言えないが」
「……恐くて、誰にも言えなかったんだけれど、どうせ目論見は外れたし、ほ
んとに恐ろしいから、全部話す。決めたわ」
 詳しい話は、仕事が終わってからということになった。

「すると、塩田亜佐美は、越川から角口に乗り換えるつもりだったのか」
「そのようで。最初は言うつもりはなかったようですが、高々、車内のごみの
ことで、原に聞いてもらうのもおかしいと思いまして。突っ込んで聞くと、引
退して先のなくなった越川に見切りを付け、別の男を探していたと。角口はゲ
ーム会社の社長で、羽振りもいいから目を着けた。原朋美の存在が目の上のた
んこぶだが、取って代わる自信はあった。むしろ気になるのは、角口の中身。
江本が殺された事件で、やはり怪しんでいたそうです」
「疑惑を、それとなく原に探らせたって訳か」
「ええ。危険を予め察知したと言うよりも、原と角口の仲にひびが入ればいい、
ぐらいの軽い気持ちだったと言っていますが、どうなんでしょうね」
「塩田の行為については、今は何も問わん。言い出したら、相手が口を閉ざし
かねないからな。それで、彼女はどんな材料で、角口をつついたんだ?」
「さっきも言ったように、車内のごみですよ。丸めたレシートを車のシートの
隅に押し込んだ、それだけです」
「それだけのことで、角口は原を殺したのか……訳が分からん」
「ごみ一つが、アリバイトリックを暴く糸口になるんでしょうな。アリバイを
崩せさえすれば、一気に詰める自信があるんだが」
 捜査会議の焦点は、そこに戻ってくる。アリバイこそが最大の問題だ。
「塩田は、角口のアリバイそのものには、何か言及してなかったのか」
「はい。でも、彼女はかなり強かだと思います。気付いていないふりをして、
実は……ということも考えられます。実は、レシートを押し込んだ場所も、初
めはドアのポケットと言ってたのを、途中で変えてまして」
「頼りにならねえな。そこを、口を割らせるのが仕事だろうが」
「容疑者じゃありませんから、無闇に怒鳴りつけることもできませんし……」
「まあ、ごみの件はひとまず横に置こうじゃないか。関係があるのなら、アリ
バイ崩しを考える内に、つながりが見えてくるだろう」
「あのー、アリバイですが、前に言った鏡のマジックですけど」
「あん? まだ拘ってるのか。空想はさっさと放り出せ」
「いえ、拘ってるのではなくて……鏡のマジックの仕掛けだと見え見えのばれ
ばれですが、他の何かに偽装できないものかなあと。トラックの荷台に載せて、
荷物に見せ掛けるとか」
「馬鹿か。トラックの荷台になんか載せたら、降ろすのが大変だ。目立ってし
ょうがない。だいたい、そのトラックは誰が調達する?」
「それは共犯がいて」
「結局そこに戻っちまう。共犯がいるなら、トラックから遺体を移すような目
立つ真似をしなくても、他にいくらでもやりようがあるだろ。まったく、若い
からって思い付きを言えばいいってもんじゃねえぞ。考えて喋れ」
「いや、意外といい線を行ってるんじゃないのか」
「ええ?」
「三人の内の誰かが言っていたそうじゃないか。いくらでも場所はあるのに、
わざわざ遠くに駐車したのが不思議だと」
 捜査を仕切るトップの判断で、新たな仮説が構築され、徹底した討議に掛け
られる。
 駐車場にあっておかしくない物――車を遺体の隠し場所に使うという発想は、
ちょっとした盲点だった。角口が二台の車を駆使して、アリバイ工作をした可
能性を探る訳である。
「用意したのがトラック以外の車種だとしても、その車から角口のセダンへ遺
体を移す行為は、非常に目立つはず」
「無論、遺体はぱっと見、それと分からぬよう、梱包していたでしょうな。だ
が、発見されたとき、遺体に屈曲したような痕跡は認められなかった。それは
とりもなおさず、遺体が人間そのままの外見を保っていたことを物語る」
「荷物に見せ掛け、車から車に移すのは無理、ということか」
「時間がたっぷりあれば、隙を見てやったとも考えられるが、角口が工芸記念
館の駐車場で一人だったのは、五分ほど。レストランに現れるまで、早歩きを
したとして、実質はせいぜい四分だろう」
「待ってください。それは到着したときのみであって、出発するときにも、一
人で車を取りに行き、回しています」
「それとて、二分もない。第一、遺体の移し替えは一度で済まさねばならん。
二回の合計が六分ほどあっても意味がない」
「人目を気にしながらでは、遺体を移すのに六分では足りんだろうし。最低で
も十分はいる」
「夜だったら、短くて済むのにねえ。暗がりに乗じて、大胆にやれる」
「昼間では、利用者数が多いと言えない施設であっても、五分前後で遺体をト
ランクからトランクに移すのは不可能……か」
「あ――移さなかったとしたら?」
「どういう意味だ。移さんと、遺体移動のアリバイトリックにならんだろう」
「いや、遺体はそのままで、他の物全てをですね」
 数分後、理屈の上ではアリバイを崩すことができた。

           *           *

 社長室で独り、まとめられたテスト結果を眺める内に、角口の口角は上を向
いた。
 新作ゲームの開発にとって、ゲームテスターを雇っての使用感調査は重要だ。
そのデータが今、角口に好感触をもたらしている。ヒットの予感がある。
(このソフトがヒットすれば、穴は充分にカバーできる。江本だけじゃなく、
朋美までも殺してしまったが、その代価はあった。そう信じるぞ)
 パソコンをスタンバイ状態にして、休憩を取ることにした。暗くなった画面
に、険しいが気力に溢れた自身の顔が映る。
(江本の後任を誰にするか、決めないといかん。いつまでも社長が兼務して、
空けたままではよからぬ噂を招きかねないからな。しかし、誰に任せるのが適
当だろう……)
 大きく伸びをし、椅子を離れる。コーヒーメーカーから濃いブラックコーヒ
ーをカップに注ぎ、飲もうとしたそのとき。
 携帯電話が鳴った。着信音の個別設定はしていない。ディスプレには、塩田
亜佐美と表示されていた。
「おう、亜佐美さん。何? いや、仕事中だったが、今は忙しくない。次に会
える日? 朋美の葬儀に出席してもらえるのなら、その日が一番近いんじゃな
いか。正式な日は知らないが、朋美ももうじき戻って来るみたいだし。――そ
の前に会いたいって言われても。重要な話でもあるのかい? えっ……車のご
みの話、あれは君のことだったのか。知らなかった。謝らなくていいよ。全然
怒っていないし、怒るようなことじゃない。ああ、朋美にも怒らなかった。重
要な話って、このことかい。ん、まあ、朋美が死んで、気になったというのは
分かるが。うん、分かった。じゃあ、明日の夜なら時間がある。そっちは?」
 夕食の時間帯に会う約束をして、電話を切った。
(くそ。朋美を殺すことはなかったのか? やってしまったものは、後悔して
も始まらない。今の問題は、亜佐美の出方だ。事と次第によっては、また始末
しなきゃならない。しかし、そうそううまいトリックなんて、思い付きやしな
いぞ。できれば亜佐美を懐柔して、取り込みたいが)
 椅子に戻り、机に両肘をついて頭を抱える。が、名案は浮かばない。彼女と
越川との間を裂き、味方に付けるのは至難の業。時間もない。いざとなったら、
やるしかないのか。
(あの日、車に同乗した四人の内、二人も死ぬとなったら、警察からいよいよ
怪しまれるだろうな。……そうだ。レシートがあればいいんだ。あまり気が進
まないが、あそこにあることは間違いない。探せば見つかるはず)
 角口は作戦を練り始めた。まず、相手に連絡を取らねばならない。メールに
するか、電話にするか。

 角口は、横林(よこばやし)という男の自宅を訪ねた。仕事上の関係はなく、
ネットで知り合った仲だ。
「すまないね、こんな時間に」
「いえ、時間はいいんですが」
 時刻は夜十時を回っている。横林の案内で、車庫に入って行く。
「忘れ物なんてないと思いますよ。僕、気付かなかったから」
「しかし、他に思い付かないんだよ」
 車庫には車が二台、横に並んでいた。一台は黒の四駆。もう一台は、赤のセ
ダン。角口が現在所有している物と、全く同じ車だ。
「結構冷えているな。付き合わせるのも悪いから、鍵を開けてくれれば、あと
は一人で探すよ」
「そうですか。じゃあ」
 キーを操作し、車のロックを解除する横林。寒さを感じたか、ぶるっと震え
て、怒り肩をすぼませた。
「角口さんも寒くないよう、気を付けてください」
「ああ、ありがとう」
 角口は横林が立ち去るのを待ち、扉が完全に閉まるや、すぐさま行動を開始
した。
(確かあのとき、亜佐美が座っていたのは……)
 記憶をたぐり、彼女がレシートを押し込んだであろうシートの隙間に、指先
を差し込む。端から端まで沿わせるが、指先に異物が当たる感触は訪れない。
 角口は舌打ちをし、やり直した。さっきよりも深く、指を入れる。横林に売
り払ったとはいえ、まだまだ新しい。そのせいなのか、シートもぴっちりして
おり、隙間はあまり深くない気がする。
 まだ見つからない。三度目のトライをする角口。
 そのとき、扉の開く音がした。
 来なくていい!と、内心で叫ぶ。が、笑顔を取り繕って、車内から外へ顔を
覗かせる。
「――え」
 扉の方にいたのは横林ではなかった。照明の加減で顔の横半分しかはっきり
見えないが、見覚えはあった。刑事だ。
「こんばんは、角口さん。何をお探しですか」
「忘れ物を取りに。そんなことよりも、どうして刑事さんがこんな場所にいる
のか、理解できませんね」
 頭をフル回転させつつ、冷静な対処に努める。
「そりゃあ角口さん、あなたがこちらにお住まいの横林さんに、車を格安で譲
られたからですよ。どこも悪くない、古くもなっていない車を売り、その直前
にはそれと全く同車種、色まで同じ物を購入している。どういう理由でこんな
妙なことをしたのか、興味を持ちまして」
「……」
「ちなみに、横林さんが車を受け取られたのは、江本さんが殺された日の昼間、
あの工芸記念館の駐車場だということは、すでに把握しています。横林さんの
話では、あなたに日時と場所を指定され、取りに行くよう言われたとか。ちょ
っと変だなと思わないでもなかったが、ただ同然の値段だったので、喜んで従
ったということでした」
 刑事の話を聞きながら、角口は冷や汗を感じた。どこまで掴まれているのか。
全てなのか。
「うちの鑑識が、その車の中を隅から隅まで調べました。早速、塩田さんと原
さんの髪の毛が見つかりましたよ」
「それは……殺人の証拠ではない」
「確かに。当日、あなたが外見が同じ車を二台用意し、一台を前もって記念館
の駐車場に停め、もう一台でご友人を乗せて記念館まで行き、そこで何故かご
友人達には内緒で乗り換えたことの証明に過ぎない。あなたが恐らく今夜取り
に来たであろう、塩田さんが残したというレシートにしても同様だ。ただし、
あなたのアリバイが崩れたとだけは言える」
 角口は胃に痛みを感じた。そこまで見抜かれているのか。
 江本殺しのために、同じ車を二台用意した。元から所有していた方をA、新
たに購入した方をBとする。念のため、Aのナンバープレートに細工し、Bと
同じにしておく。
 事件の前日、Aで工芸記念館まで行き、駐車場に停めたあと、タクシーで自
宅に戻る。江本には話し合いを名目に呼び出し、この日、自宅に泊まらせる。
 翌日(事件当日)の早朝、江本を殺害し、遺体をBの車のトランクに運び入
れる。即座に工芸記念館に向かい、駐車場に停める。代わりにAで、自宅に引
き返す。その後、越川達三名を待ち受け、Aに乗って行動を共にする。
 昼過ぎに工芸記念館に到着。先に三人をレストランへ行かせ、その間に車A
をBのすぐそばに停める(実際、トランク同士が向かい合う形で停めることが
できた)。双方のトランクを開け、AからBに荷物等を移す。車内の様子も同
じになるようにする。Aのナンバープレートも元に戻す。細工が終わって、レ
ストランに向かう。工芸記念館で過ごしたあと、Bに乗って出発。残ったAは、
午後四時以降に取りに来るよう、横林に言っておいた。
 遺体は、別荘に到着後、再び一人で外出した際に、公園に遺棄。これがアリ
バイトリックの全容である。
(看破されたのなら、言い逃れる術はない。今、自分が持っている車の方は、
念入りにチェックする時間があったから、犯行の痕跡はきれいに消せたはず。
しかし、横林に売った方は、チェックの余裕がなかった。見落とした可能性大
だ)
 角口は後悔していた。他人に売らずに、車を処分する方法も考えてはいたの
だ。どこかの海か山奥の湖に沈める、廃車工場に持ち込でスクラップにする、
ガソリンを掛けて燃やす、キーを差したまま放置して盗まれるのを待つ……い
ずれも、何かしらの不都合があって、実行をあきらめた。新しく車を購入する
ことなく、盗んで調達できれば一番よかったが、そんなに都合よく、同じ車が
見つかりはしなかった。
「今は、トランクから採取した肥料らしき物質を分析しているところだ。まず
間違いなく、決め手になるだろう。あんたはどう思う、角口さん?」
「一つ、教えてもらいたい。今日掛かってきた塩田亜佐美からの電話は、警察
の差し金か?」
「捜査手法上の秘密なので、残念ながらお答えしかねる。ただ、レシートを丸
めて押し込んだという話、あれは塩田さんの作り話だそうだ」
「――何だって?」
 力が抜けた。膝から崩れ落ち、へたり込んでしまう。コンクリートの床が冷
たかった。
「犯行を認めたと見なしてよろしいな? 原朋美さんの死についても、質問が
山ほどある。あんたが特定の色のゴム風船とヘリウムガスの小型ボンベを購入
したことまでは、調べが付いているが……」

――終




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