AWC つうかあの謀りごと 前   永山


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#421/598 ●長編
★タイトル (AZA     )  12/11/22  23:45  (374)
つうかあの謀りごと 前   永山
★内容                                         14/04/21 11:08 修正 第2版
「おまえが悪いんだ」
 相手を木ぎれで殴打し昏倒させたあと、電気コードで首を締め上げた。息を
整えた角口遼介(つのぐちりょうすけ)は、吐き捨てるように呟いた。凶行に
及ぶ間、なるべく音を立てないよう、押し黙っていた。反動でつい、罵詈雑言
が口から溢れ出そうになるのをこらえる。八畳ほどのリビングで、周りは防音
の施された壁で囲まれているが、用心に越したことはない。
 片膝を立てて死体のそばにしゃがみ、観察する。相手は間違いなく絶命して
いた。
 角口は、自分を示す痕跡がないか、特に毛髪の類が付着していないか、入念
に調べた。尤も、頭にぴっちりしたゴム帽子を被ったから、抜け落ちることは
まずないはずだ。
 死体を転がし、広げておいた大きな防水シート上に移動させる。手早く“梱
包”に取り掛かる。人間の死体を包むのは初体験故か、思ったよりも時間を要
した。
 置き時計を見る。午前六時四十分。スケジュールの範囲内だ。梱包し終えた
死体を、青い台車に乗せ、準備を整える。
 角田は窓際に駆け寄ると、開けていないカーテンの隙間から外を窺った。天
気は快晴で、テレビによると放射冷却が起きたらしい。通行人は……いないよ
うだ。高い塀や車庫で目隠しは万全だが、念には念を入れる。
 車庫に通じるドアを開け、戻って来て台車を押し始めた。前もって、手製の
スロープを設置して置いたから、スムーズに動かせる。そうして車庫内に死体
を運び込むと、赤のセダンの――これまた開けておいた――後部トランクに移
し替える。ゲームソフト開発を生業としデスクワークの多い角口だが、腕っ節
は強い。加えて、死体は小柄だ。楽な作業だった。
 トランクの扉を閉め、ここで初めて帽子を脱いだ角口。息が鼻孔や口元から
漏れる。安堵と、まだまだこれからだという気合いを入れ直すための呼吸が入
り交じる。
 準備はできた。あとはアリバイ作りをするだけだ。

           *           *

 町内会役員を務める下地(しもじ)は、反射的に時計を見た。右手の懐中電
灯で文字盤を照らす。十一月三日の午後七時十五分であることを告げていた。
今自分のいる公園だけでなく、辺りはとうに暗くなっている。
 平和な半都会・半田舎といった風情の町だったが、最近になって小動物の惨
殺体が路上で見つかったり、住宅の窓ガラスが割られたりと、物騒な気配が忍
び寄ってきた。その対策にと、町内会役員で夜の見回りを始めたのだが……ま
さか、こんな犯罪が本当に起きるなんて。それも自分が出くわすとは、想像で
きなかった。
「これから一騒動になるぞ。飯を食ってからにすべきだったが、しょうがない」
 独りごち、覚悟を決めると、携帯電話を取り出した。使い慣れない上に、初
めての一一〇番通報だ。嫌でも緊張する。十一月頭だというのに、一筋の汗が、
髪の後退した頭から額に垂れた。
 下地は今一度懐中電灯を公園内に向けた。やや雑草の伸びが目立つ、しかし
町の規模に比べると大きな公園の植え込みの陰に、小柄な男が倒れていた。
 と、電話のつながる音がした。
「あ、あの――」
 何度も頭を掻きながら、下地はどうにか説明を終えた。

 身に着けていた運転免許証から、死んでいた男の身元はじきに判明した。江
本邦良(えもとくによし)、四十八歳。絞殺で、死亡時刻は十一月三日の朝七
時から八時までの間と推定された。
 財布や腕時計、携帯電話等がなくなっており、路上強盗に襲われ、公園まで
引っ張り込まれた挙げ句、命まで奪われたのではないかとの見込みが当初、立
てられた。
 しかし、程なくして疑問点が次々と出て来た。いくらひと気のない公園だか
らと言って、十時間前後、発見されないまま放置されていたのはおかしいとの
声が上がる一方、東京勤めの江本が現場周辺まで来る理由や経緯が不明である
ことも大きい。
 被害者はゲームソフト開発会社の経理担当で、社長の角口遼介とは元から親
しい仲だったとされる。さらに、角口の別荘が、死体発見現場から車で十五分
ほどの距離にあると判明した。当然、捜査員達は角口に話を聞いた。
「前日の二日夜に、自宅の方に呼び出し、話をした。経営上の些細な問題を相
談するためにね。問題は解決し、江本にはタクシー代を渡して帰らせた。あと
のことは知らなかったが、三日の夜遅くになって、彼が亡くなったと連絡が入
ったので驚きましたよ。しかも、別荘から目と鼻の先にある公園で見つかると
は。一体、何をしていたのか」
 淀みなく答えた角口に、刑事は重ねて聞いた。
「江本さんがタクシーに乗るところまで、ご覧になっていましたか?」
「いや。それどころか、タクシーを呼ぶのも見ていない。何しろあいつ、少し
歩くと言っていたからね」
「ご自宅から別荘まで、歩くのは無理でしょう?」
「そりゃまあ、絶対に不可能って訳じゃないが、車で三時間は掛かる道のりだ
からね。行くのなら、車でしょう」
「仮に江本さんがタクシーを拾い、角口さんの別荘の方角へ向かったとして、
その目的は何だと思いますか」
「さあ……。くれぐれも誤解しないでいただきたいんだが、経営上の話は綺麗
に決着したし、そもそも、僕と江本が揉めていた訳でもない。だからあいつが
僕の別荘に行って、何か悪さをしようとしたなんてこともあり得ない」
「まあ確かに、江本さんはあなたの別荘ではなく、公園で発見されています。
でも、念のために、十一月三日の行動を教えてください」
「……念のためになら仕方がない。アリバイ確認ですね」
 角口はシステム手帳を開き、記憶をたぐるように上目遣いをした。そうして、
当日のことを語り始めた。

           *           *

 十一月三日。約束した午前十時に角口宅に集合した面々は、十分も経たない
内に、一台の車に乗り合わせて出発した。
「工芸品の記念館なんて、ほんとに参考になるかなあ?」
 疑いを含んだ口ぶりで、運転席の角口に聞いたのは、助手席に収まる原朋美
(はらともみ)。角口の恋人として公認の仲だ。元は出版社勤めで、ゲーム雑
誌の記者をしていた折に、角口と知り合った。小柄でおかっぱ頭に黒縁眼鏡と、
パーツだけ並べると地味なイメージだが、愛嬌のある顔とグラビアアイドル並
の身体を角口が気に入った。
「ろくろで器を作るのはゲームにはなるだろうけれど、シンプルすぎる気がす
るわ」
「どんなことでも知っておいて損はない。たとえゲーム作りに活かせなくても、
別のことで役立つかもしれないしな」
 笑顔で応じた角口は、ルームミラーで後方をちらと気にする。
 後部シートには、越川龍起(こしかわりゅうき)と塩田亜佐美(しおたあさ
み)の二人が座っている。越川は引退したサッカー選手、塩田は現役のモデル
で、世間ではお似合いのカップルと認識されている。角口とは、越川がサッカ
ーゲームの開発に協力した縁で、懇意になった。
「私は元々、興味あるから」
 コンパクトの鏡でロングヘアを気にする仕種を続けながら、塩田が言った。
決して退屈している訳ではなく、ややぶっきらぼうな口調はいつものこと。た
だ、今日は新調した靴がいまいちフィットしないとかで、多少いらいらしてい
るようだが。
「お目当ては、先に寄る大型アウトレットモールとか言ってたじゃんか」
 越川が混ぜ返す。現役時代、金色にしていた髪を最近になって黒に戻した彼
は、往来で気付かれる回数が減った。注目度の低下に不満はないが、彼の中で
はしっくり来ないものがあるのか、似合ってるか否かをよく人に尋ねている。
「そりゃあね。私、リサイクル大好き人間だから」
 塩田は人気モデルと言ってよく、稼ぎもかなりある。なのに、中古のアクセ
サリーや小物が好きだと公言している。本当は、古着も好きなのだが、それだ
けは言わないでくれと、所属事務所から厳命された。
「でなきゃ、こんな地方に足を運ぶなんて、まずしない」
「僕はそんな地方に住んでいるんだけどね」
 角口は笑ってみせた。実際、悪い気はしていない。
「別荘を構えるだけじゃ飽き足らず、自宅までこっちに建てるなんて、やり過
ぎだと思うけど」
 原朋美がため息をつく。
「何だかもったいない。最初から、自宅を建てれば半分で済んだでしょ」
「はは。確かに。自宅と別荘がこんなに近いと、有り難みも薄いだろうしねえ」
 越川が同意したところで、最初の目的地である大型アウトレットモールに到
着した。大型店舗である上にスーパーやホームセンターが併設され、広大な駐
車場を完備している。オープン間もないためもあってか、午前中からなかなか
の繁盛ぶりを伺わせた。
「折り畳み式の脚立を買うつもりだから、覚えておいてくれ」
 原に頼みながら、角口は車のロックをした。

 山肌に建つ工芸記念館に一行が到着したのは、予定通り、午後一時になった。
 ここも広々とした駐車場を備えているが、利用者数は少ない。箱物行政によ
くあるが、世間一般の人気がさほど高くないのに、地域活性化を名目に、交通
の便があまりよくない土地に建てられた弊害だ。
「念のため、先にレストランに行って、席を取っていてくれ」
 記念館の玄関口で車を停めた角口は、三人に降りるよう促した。越川が眉を
寄せ、車体に手を置いて聞き返す。
「こんなに空いているのに?」
「コースに組み込まれているんだろうな、たまに団体旅行客が来ることがある。
あ、僕はかき揚げ丼で頼む」
「分かった」
 越川達が建物に入って行くのを見届けてから、角口は車をターンさせ、適当
な駐車スペースを探した。

           *           *

「昼食を摂ったあとは、記念館の中を観て回った。体験コーナーで、ろくろを
回して粘土いじりもしましたよ。土産物も買ったし、レシートが残っているか
ら、証拠になるかな」
「その間、他の三人とずっと一緒で?」
「ずっと一緒な訳ないでしょう。トイレで外れることはあったし、男二人と女
二人とに別れて、別行動を取った時間帯もあった」
「角口さんがお一人になった時間は?」
「それはどうだったかな。多分、なかったと思う。どうせ、このあと三人に会
うんでしょう? 聞いてくださいよ」
「そのつもりです。それで、記念館を発ったのは何時頃でした?」
「三時半から四時の間だったと思う。別荘に着いたのが五時過ぎだったから、
そこから逆算するとね」
「別荘までは、ストレートに? それともどこかに立ち寄りましたか」
「ストレートでしたよ。ただ、気が急いていたのかな。忘れていた用事があり
ました。それを思い出したのが五時半頃で、僕一人で出掛けて、戻ったのが六
時十分ぐらいだった」
「差し支えなければ、用事の内容を」
「葉書を出すのと、煙草を買いに。会社では辛抱しているが、プライベートで
は吸うんでね」
 刑事は葉書を出したポストのある郵便局と、煙草を購入した自販機のある場
所とを聞き、メモに取った。
「六時十分に戻って以降は、三人の方と?」
「ええ。歓談というのかな。お喋りしたり、食事したり、酒を飲んだり、ゲー
ムに興じたり。夜の十一時になって、会社の人間から電話で事件のことを知ら
され、酔いがいっぺんに醒めましたよ」
 角口は思い出した風に、疲労感のこもった息をついた。
「江本がいつ亡くなったのかは知らないが、これで僕は潔白だと分かってもら
えたでしょうね」
「それは今、ここで判断できることではありませんので。持ち帰って、越川龍
起さん達三人の証言と突き合わせ、確認しませんと」
「なるべく早く頼みます。万が一、妙な噂が立ったりしたら、仕事に差し障り
が出かねない」
 穏やかだが強い口調で締め括り、角口は刑事達との話を切り上げた。

 その後の調べで、刑事達が角口の会社の社員達に聞き込んだ結果、角口と江
本の間には何らかの問題が持ち上がっていたことは確実と思われた。半月前、
彼らが二人きりで話をしていたのを目撃した者がおり、そのとき江本は「もう
これ以上は無理です」という意味のことをいい、角口に翻意を迫る調子であっ
たという。
「動機につながるんだろうが、この点を攻めるのは時期尚早だな。他に攻め手
がない現状で、闇雲につついても、するりとかわされかねん」
 捜査の焦点は、角口に犯行が可能かどうかの検証に移った。
 三日の午前七時、公園で江本を殺害し、すぐさま車で自宅に向かったとする
と、到着は午前十時十五分以降。越川ら三人を自宅で出迎えていることから、
これはあり得ない。
 次に考えられたのは、遺体移動だ。自宅で殺害、車の後部トランクにでも遺
体を隠し、知り合い三人を乗せて、素知らぬ顔で観光する。別荘に到着後、用
事があったと単身で外出し、公園に直行。死体を遺棄してから用事を済ませ、
別荘に戻る。これなら、角口にも犯行が可能だったことになる――そう思えた
のだが。
「車のトランクの中? ああ、見たよ」
 越川に聞き込みに行った刑事は、その返事に内心、「嘘だろ」と呟いていた。
「アウトレットモールに寄ったとき、色々買ったんだよ。中に全部入れると手
狭になるから、折り畳みの脚立と、肥料だったかな。それらを後ろのトランク
に入れた。俺が手伝ったから間違いないよ、刑事さん」
「そ、そのとき、トランクに何か入っていませんでしたかね」
「何かって? 緊急時に使う標識みたいな奴とか、工具みたいな物ならあった
けど」
「それ以外に、何か大きな物は?」
「全然。おかしなこと言うなあ。だって、空のトランクだからこそ、でかい肥
料の袋や脚立が楽々収まったんだぜ?」
「ですよね……」
 越川の他に、原朋美もトランクの内部を見ており、同じく空っぽだったと証
言した。
 これにより、遺体移動説も敢えなく頓挫したかに見えた。しかし、越川に会
った刑事は、別の興味深い証言を引き出すことに成功していた。
「当日の角口さんの行動で、引っ掛かったものはなかったですかね。何となく
おかしいというような……」
「別になかったな」
「よく思い出してみてください」
「そう言われてもなあ。……強いて言うと、工芸記念館に俺達を誘うこと自体、
少し妙だと思ったけどさ。でも、その他にも回ったんだし、特に気にするほど
じゃない」
「なるほど」
 刑事は、工芸記念館に何かあると踏んだ。次の質問を考えたが、結局は直接
的な聞き方しか思い付かなかった。
「ではその記念館のことを、もう一度だけ、思い返してほしいんです。角口さ
んの行動で、『ん? 何で?』というようなことがなかったか」
「しつこいね、刑事さんも。ま、それが仕事だからしょうがないんだろうけど
さ。でも、言われる内に、思い出した。全然、たいしたことじゃないから、忘
れかけてたんだ」
「何でもいい、話してもらう内に手掛かりが見つかるかもしれません」
「終わって、建物を出たときのことさ。角口社長は一足先に出て、車を持って
来てくれたんだけど、あれっと感じたね。こんなにあちこちスペースが空いて
いるのに、どうしてあんな遠くに駐車してたんだろうって」
 こんなのでいいのかい?とばかり、両肩を竦めた越川に、刑事は礼を述べた。
「恐らく、角口は記念館の駐車場の片隅に、遺体を一時的に隠していたんじゃ
ないでしょうか」
 捜査会議で新たな説が浮上する。
「朝、自宅で江本を殺害した角口は、車で遺体を記念館まで運ぶ。道のりは一
時間二十分ほど。駐車場に着くと、すぐ近くに遺体を隠し、すぐさま自宅へ引
き返す。到着は九時五十分頃でしょう。際どいですが、越川達三人の来訪を、
出迎えることができます」
「あとは、午後一時、再び記念館を訪れ、駐車する折に一人になり、遺体をト
ランクに詰め込むのか」
「はい。被害者は小柄だから、肥料や脚立を端に押しやれば、どうにかなりま
す。検証済みです」
「駐車場に、防犯カメラの類はなかったんだよな」
「残念ながら。建物の各フロアにはあるんですが」
「逆に言えば、そのことを知っていたからこそ、角口がこのアリバイ工作を思
い付いたとも考えられる」
「そうは言っても、証拠を見つけない限り、話にならん。まずは、駐車場周辺
に遺体を隠せる場所があるか、徹底的に調べることから着手しようじゃないか」
 気負い込んで出動した捜査陣であったが、工芸記念館に来てみて、半ば呆然、
半ば意気消沈をせざるを得なかった。
 何せ、工芸記念館の駐車場はその周囲三面を高いネットフェンスで囲まれ、
そのフェンスを越えた先には切り立った崖が二面、もう一面は道路から丸見え
というロケーションだった。とてもではないが、大人の男一人分の遺体を隠せ
そうにない。いや、崖に落とせば隠せるだろう。しかし、そこから回収する方
法がない。
 それでも念には念を入れよと、記念館の建物とその周辺を当たった。一階部
分に、遺体を人目に付かぬよう、一時隠せるスペースさえあればいい。建物か
ら、角口が車を停めたという場所までかなり歩かねばならないが、その問題は
二の次だ。
 そうした捜査の結果、遺体を隠せそうなスペースの候補は、二、三箇所あっ
た。一階のトイレだの、建物裏手のごみ置き場だの、職員用昇降口脇だの。だ
が、一階トイレはどうしても人目に付く上、防犯カメラの視角内にあった。ご
み置き場や昇降口脇からでは駐車場まで距離があるため、角口が一人で行動で
きた僅かな時間で遺体を車に運び込むことは、不可能と結論づけられた。
「無理だ。少なくとも、このやり方ではない」
 袋小路に入り込んだ捜査班。出口を求めて、迷走を始めた。
「視点を変える?」
「そうです。殺害現場が別荘だったとすると、どうでしょう」
「公園を現場と見なした仮説と、大差ない気がするが」
「十五分、短縮できます。角口は、十時には自宅に着けたはず。ぎりぎり、出
迎え時刻に間に合ったと言えなくもありません」
「それは苦しいだろう。公判を維持できない」
「越川、塩田、原の三名に時刻を錯覚させることができないでしょうか」
「うん?」
「十分、いや、五分でいいから、実際よりも早く勘違いさせられたら、角口は
十時に自宅にいたと偽装できるんです」
「理屈は分かった。だが、たとえばどうやって可能にする?」
「越川ら三人の時計を、十分程度遅らせておけば……」
「無茶だ。腕時計だけでなく、街にはあちこち時計があるぞ。携帯電話にも付
いている。途中、タクシーに乗ったのなら、車内で時刻を知ることもあるだろ
う。しかも一人だけじゃない。三人の時間感覚を狂わせるのは、事実上不可能
だ」
 机上の空論にすらならない思い付きだったが、これはまだましな方。
 最有力容疑者の角口が社長であることに目を着け、自家用飛行機を所有して
いるのではないかと調査したり、第一発見者の下地と角口のつながりを疑った
り、果てはトランクを覗いた越川達の証言自体を疑ったりと、よく言えば広い
視野を持って、悪く言えば焦点のぼやけた捜査を進めた。そしてその全てが、
空振りに終わっている。
「角口が犯人なら、共犯者がいない限り、不可能な犯行だ」
「それは早計というものだ。工芸記念館で、遺体を隠す場所さえ確保できれば
いいんだ」
「しかし、ばらばら死体ならともかく、大人の男一人を隠せる場所があったと
は、考えられん」
「鏡を使ったマジックとかも、あり得ないですよね」
「テーブルの上の生首が、生きて喋るっていう手品のことか? 種を知ってい
るが、あんな仕掛けを駐車場に作っても、一発でばれる」
「ですよね……」
 一方、皮肉なことに動機の面では、角口が最有力容疑者であることが裏付け
られつつあった。江本の前任者を、角口社長が直々に説得して退職させたとい
う事実が判明。何かあると踏んだ刑事は、当の前任者――松方(まつかた)を
訪ねた。最初は口が堅かった松方だが、江本が殺された件を伝えると、徐々に
話し始めた。
「――すると、松方さんが経理をやっておられた頃は、火の車だったと」
「全部が全部じゃありませんよ。儲かっていたときもあった。ライバルが増え
て、過当競争になって以降、苦しくなってきて」
「我々の調べでは、江本さんが経理を担当するようになってしばらくして、回
復しています」
「何が売れたのか、見当も付きませんな。話題になったゲームは、なかったと
思いますよ。開発費を抑えたって、高が知れているだろうし、そうなってくる
と……あんまり言いたくないが、系列会社にマイナスを押し付けたか何かで、
数字を操作しているのかねえ」
「江本さんが帳簿をいじったと?」
「分かりません。それに、社長の命令で江本氏が荷担しているとしたら、社長
と江本氏は仲間ってことでしょう? 殺す訳がない」
「そりゃまあそうですが」
 刑事は語尾を濁した。悪事の片棒を担ぐのに耐えかねた江本が、もうやめま
すと言い出したら、社長の角口は焦るに違いない。前任の松方と違い、すでに
帳簿を細工させている。口止めだけでは心配だ、いっそ口封じしてしまえと手
を下した可能性はないだろうか。
 企業犯罪が絡むとなると、捜査二課と連携して動くことになるかもしれない
が、それには念入りな準備がいる。今、動機面を材料に、角口を引っ張っても
決め手がないばかりか、後々、二課との関係がぎくしゃくする恐れもあった。
まだ動けない。

           *           *

 塩田亜佐美は仕事休みを利して、気掛かりの正体を確かめることにした。う
まくすれば、将来プラスに作用するかもしれない……。
 原朋美に電話し、近況を互いに話したあと、それとなく話題をあの日のこと
へ持っていく。
「朋美さんさあ、角口社長と順調なんだよね?」
「もちろん。何で?」
「社員の人が亡くなって、警察が調べてたから。角口さんを疑ってるみたいに
聞こえなくもないって感じがしたわ」
「関係ないよ、あんなの型通りの捜査。私の気持ちは全然、揺らいでません」
 おどけ気味に応じた原。すかさず、予定していた台詞を口にする塩田。
「じゃあさ、ちょっと探りを入れて欲しいんだけど、いい? 角口さんが怒っ
てないかどうか」
「どういうこと?」
「たいしたことじゃないんだけどね。四人で集まったあの日、車に乗せてもら
ったじゃない。そのとき、私、レシートを弄んでいて、ぼろぼろになっちゃっ
て。今さら仕舞うのもあれだなって思って、つい」
「つい? あ、ひょっとして、丸めて、車のどこかに押し込んだとか」
「当たり〜」
 明るい調子で認める塩田。
「あとになって悪いことしたなって。なんたって、社長さんに運転手をやらせ
たのに、あれはないなってね。工芸の施設に立ち寄ったとき、捨てればよかっ
たんだけど」
「大丈夫、気にしなくていいと思う。気付いてないわよ、多分」
「そう? 一応、聞いておいてくれない?」
「意外と心配性だなあ。直接聞けばいいのに」
「何となくね。もし気分を害しちゃったら、仕事に差し支えが出るかも、だし」
「ていうことは、亜佐美さんの名前を出しちゃだめなの?
「うん、そう」
 内心、拍手を送りたいと思った塩田。最初から頼むつもりだったのを、向こ
うから言い出してくれるなんて。
「朋美さんのこととして聞いて、反応を窺ってよ。そんなことにはならないと
思うけど、もし物凄く怒るようなら、そのときは私の名前、出して謝っていい
から。お願い」
「分かりました。おやすいご用」
 言葉そのままに、気安く引き受けた原。塩田は見えない相手にほくそ笑んだ。

 翌日、塩田は原からのメールで、角口が何ら気にしていなかったこと、気が
付いてさえいなかったことを知らされた。念のため、原に電話を掛け、感謝を
伝えると同時に、自分の名を出さなかったかどうかを尋ねた。
 出さなかったという答だった。

 さらにその二日後、事態は急展開を見せた。塩田の漠然とした想像を、遙か
にしのぐ強烈な形で。

――続く




 続き #422 つうかあの謀りごと 後   永山
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