AWC そばにいるだけで・リフレインその2   寺嶋公香


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#406/598 ●長編    *** コメント #405 ***
★タイトル (AZA     )  12/04/28  00:01  (430)
そばにいるだけで・リフレインその2   寺嶋公香
★内容                                         17/04/26 16:26 修正 第3版
 ゴボウとにんじんとキュウリのサラダ。
 チャーハンはソーセージ入り。
 白だしの素で作った汁物には、スライスしたじゃがいもが浮かぶ。
「ここまでは分かる。これ何だ?」
「中華風パスタよ」
 乾燥パスタをお湯で戻した物に、麻婆豆腐風のあんをソースにして掛けた物。
「麻婆豆腐の素も、家になかった気がするけど」
 パスタの皿をしげしげと見ながら、千鶴子が言った。
「なかったわ。でも片栗粉や調味料があれば、こうしてできるの」
「挽肉ってあったか?」
 小和田が箸の先で、パスタの上の肉をつつく。碧は行儀が悪いと注意してか
ら、
「期限切れの迫ったレトルトのハンバーグを見つけたから、それを潰して、ね」
「おー、なるほど」
「感心されると、恥ずかしい。昔から知られた、余り物を活用する基本中の基
本よ。さあ、冷めない内に」
 勧める碧も実は空腹を覚えていた。朝から働きっぱなしだったせいに違いな
い。椅子に座り、両手を合わせる。軽く目をつむったとき、「お」と小和田の
声が聞こえた。
 その声に目を開けると、箸を手にした小和田が見えた。
「家でもやるのか、『いただきます』って」
「当然」
「しょうがない。――ほら、鷹、千鶴。『いただきます』しろ」
 箸を置き、三兄弟妹揃って、手を合わせる。
「いただきます!」
 さて、お腹が空いていても、作った当人としては他人の感想が気になるし、
真っ先に口を付けるわけに行かない。箸を持つだけで、三人が一口食べるのを
待った。そして、「どう?」と聞く前に、反応が返ってきた。
「……美味しい」
 最初に言ったのは、意外にも鷹彦だった。チャーハンを続けざまに、かき込
むように食べ始めた。
「変な組み合わせと思ったけど、このスパゲッティも美味しいよ」
 これは千鶴子。長いパスタを高く持ち上げ、その下からぱくっと食べようと
している。美味しいと言われたばかりで、注意する気が削がれてしまった。
 代わりに、まだ黙ったままの小和田に顔を向けた碧。
「味はどう?」
「言う必要あるか? 二人に同じだよ。ま、俺の目に狂いはなかったってこと
だな」
「……光栄ですわ、ご主人さま」
「ばかなこと言ってないで、碧さんも食べなって」
「お許しを得ましたので、改めていただかせてもらいますわ」
「……ったく」
 食事中の話題に関しては、やはり千鶴子が主導権を握り、碧にモデル業のこ
とをあれこれ聞いてきた。流れで、碧が母の場合について話す回数が増える。
そうする内に、ふと小和田が言い出した。
「そういや、碧さんのお母さんが出ている昔の映画、観たことあるんだ」
「ありがとう。でも、本人の前では、昔の映画って言ったらだめよ」
「まじか。会えたら、気を付ける」
「でも放送されたかしら? 最近はなかったと思うけど」
「レンタルしてきた。クラスで噂になったから、男子何人かで借りて、観たん
だよ」
「うわあ。わざわざどうもです。私か暦に言ってくれたら、家にあるのを貸し
たんだけどな」
「観たのを秘密にしておきたくて。少女漫画が原作の恋愛映画なんて、同級生
の親が出てるとかじゃなきゃ、絶対に観ない」
 そういうジャンルの作品を、クラスの男子の誰がどんな顔をして借りに行っ
たのやら。
「確かに美人だよな。碧さんに似てるし」
「それは私も美人だと言うこと?」
「自覚してるくせに、今さら何を」
「ばれたか」
 碧は舌先をちらと出し、笑ってみせた。そのときになって、お茶を用意して
なかったことに気付く。立ち上がったはいいが、どこに急須や湯飲み、お茶の
葉があるのか、すぐには分からない。小和田に「どうした?」と問われ、お茶
の準備忘れを伝える。
「座って。それぐらい、俺がやる」
「でも、今日一日は」
「だから、お茶ぐらいは俺が入れる。その方が早い」
 洗面台の方に向かう小和田。碧は向き直ると、椅子に腰掛け直した。
「龍斗兄はあんな態度取ってるけど、碧おねえちゃんのこと、とっても感謝し
てるから」
 フォローのつもりなのだろう、千鶴子がすかさず言った。小音量なので、小
和田の耳には届かなかったようだ。
「ありがと。私も来るまではちょっと憂鬱だったけれど、今は来てよかったと
思ってる。あとで時間があれば、二人とも遊びたいな、千鶴ちゃん、鷹君」
「私もー」
 そう呼応する千鶴子の隣で、名前を出された鷹彦がびっくりしたように目を
開け、碧の顔を見ている。微笑みかけると、今度は視線を逸らさず、鷹彦も笑
顔になった。
「僕も遊びたい」
「よし、決まりっ。もしも時間が取れそうじゃなかったら、二人からお兄さん
にお願いしてね」
 そんな会話から三十秒と経たない内に、お湯が沸き、お茶を入れて小和田が
テーブルに戻ってきた。
「何の話をしてたんだ?」
「別に。お茶、ありがとう」
「――碧さんは、映画とかドラマとか、出る気はあるの?」
「あるわ」
 この問い掛けが小和田から出たことに少し驚いた碧だが、返事は即答だ。
「今は、映画に出たい・ドラマに出たい、じゃなくて、色々経験してみたい、
の一つなんだけれどね。一応、演技の勉強は独学でしてる」
「へえ。将来はやっぱり、そっちの、芸能界入り?」
「分かんない。他にやりたいことが出て来るかも。全然別のことをしている可
能性の方が高いと思うわ」
「ふうん。俺が言うことじゃないけど、モデルまでやめるのはもったいないと
思うぜ。……それに、俺がファンの有名人の知り合いになったら、サインを頼
むつもりなんだから」
「誰のファン?」
 碧が率直に聞き返すと、小和田は明らかに戸惑いの表情を見せた。意地の悪
い言い種に、碧が何らかの怒った反応をするものと思い込んでいたらしい。
「えっと……俺の一番会いたい有名人は、架空の人物だからいいや。だいた
い、実在する人物の名前を挙げたら、それと知り合うよう、努力してくれるの
かよ」
「まあ、今日中に頼まれれば、私は召使いだから考慮せざるを得ないわけだし」
「ばか、未来にまで効力あるはずないだろ。もしあったら、たとえば……十年
後、俺の大学卒業祝いに花束持って来い、とか言えることになる」
「小和田君て、根が正直で、優しいんだね」
「――」
 何か言い掛けた小和田だったが、もう何を言ってもしょうがないと考えたか、
口ごもると、残りの料理を一気に片付けに掛かった。
 と、兄と碧の会話を、食事を中断してまで見守っていた千鶴子が、ここぞと
ばかりに口を開いた。
「ねえねえ、碧おねえちゃん。モデル、絶対に続けて欲しいって私は思ってる
よ」
「そうね。アイリーン・ワトソンと顔見知りになれるよう、がんばらないとい
けない」
 約束はできないけど、目標の一つにするのも悪くないかも。
「鷹彦君は、会いたい有名人って誰かいる?」
「僕は……ルナティカル・ナイト」
「ルナティカル・ナイトって、ああ、あのアニメの」
 ようやく小学校低学年らしい答を聞けて、どこかしらほっとする碧。だが、
次いで首をちょっと傾げてしまった。ルナティカル・ナイトなる男性キャラク
ターは確か、長寿アニメ番組「フラッシュレディ」シリーズの登場人物で、ヒ
ロインを陰から日向から見守り、助ける役だ。少女向けのこのアニメにおける、
ヒロインの憧れの対象でもある。
(鷹君て、女の子向けのアニメ観てるんだ。多分、男の子向けも観てるんだろ
うけど、自分のなりたい理想の男性像が、ルナティカル・ナイトということな
のかしら)
 そんな風に想像を巡らせ、碧は、斜め前に座る恥ずかしがり屋らしい男の子
について、そんな風に想像を巡らせた。兄の小和田龍斗とは、性格をかなり異
にするようだが、ともに架空の人物に会いたいという辺りは似ていると言えな
くもない。
「ああ、うまかった。ごちそうさん。いや、ごちそうさまでした」
 いち早く食べ終えた小和田が、手のひらを合わせた。鷹彦と千鶴子も慌てて
箸を置き、同じようにしようとするので、碧は「ゆっくり食べていいのよ」と
言ってあげた。そのあとから、小和田に対し、「かまわないわよね」と確認を
取る。
「問題ない。最初、いただきますをやらせたせいだな。あ、碧さんこそ、ゆっ
くりしとけよ」
「急に優しくなった感じ」
「一時十五分から、またこき使ってやるからさ」
「……納得したわ」
 小学校と同じだけ昼休みをくれるらしい。といっても、食器洗いでそこそこ
時間が潰れてしまいそうだ。
「あ、そうだ。おやつも手作りできるか?」
 台所を出て行こうとしていた小和田が、勢いよく振り返って聞いてきた。碧
は口に運び掛けていたじゃがいもをストップし、眉間に少ししわを作った。
「さっき、そういう目で冷蔵庫を見ていないから、できるかどうか分からない」
「足りない材料は買ってきてくれてもいいよ。実は、親からおやつ代としてお
金を預かってるんだ」
「お菓子の方がよほど難しいのよ。でも、一応は考えてみる」
「よし、任せた」
 小和田の声に反応して、千鶴子と鷹彦が期待一杯の顔を見合わせるのが碧の
視界にも入った。
(こうなると分かっていたら、自宅で時間があるときに作って、何か持ってく
ればよかった)
 内心、ぼやいた碧だった。

 昼の一時十五分を過ぎると、早速買い物に出掛けることにした。千鶴子が着
いて来たがったが、何を作るのか完成するまでのお楽しみ、という理屈をこね、
一人で店に向かう。
 この近所のスーパーを知らなかったので、小和田から教えてもらっていた。
歩いても大して掛からない距離だが、時間の短縮と、万が一にも迷った場合を
思い、自転車にする。ペダルを漕ぎ始めてすぐ、最初の角を曲がり、そのまま
通り過ぎようとしたとき――。
「うん?」
 そこにいた何名かの人影を、横目で捉えられた。見覚えがあると感じてブレ
ーキを掛け、振り返った。
「あんた達……何してんの。探偵ごっこ?」
 クラスの男子三人が、塀に張り付かんばかりに立っていた。向かって右から、
男子で一番背が高いがおとなしい性格の清原、空手をやっているらしい色黒の
真田、いっつも駄洒落を言ってる印象が強い芹沢。いつも連んでる顔ぶれとい
うわけではなく、珍しい組み合わせだった。
「別に」
 真田が答えた。それだけで済ませておけばいいものを、「近くに俺ん家があ
って、たまたま通り掛かっただけさ」と余計なことを付け足した。
「ふうん。そういえば三人ともこの近所だった気がするけれど、偶然、みんな
が揃ったの?」
「おお」
 真田はそう答えたものの、苦しい言い訳だと気付いたらしい。目を逸らした。
代わって、芹沢が口を開く。なぜか手を拝み合わせ、顔いっぱいに笑みを広げ
ながら。
「正直に話すから、怒らんで聞いて」
「聞かなくてもだいたい想像付くけど、いいわ、話してみてよ」
「ああ、よかった。僕らはただ、罰ゲームをちゃんとやってるか、見てみたい
と思っただけで」
「やっぱり」
 碧は大げさに息をついた。自転車のスタンドを立て、腰の両サイドに手を当
てる。
「いるのは三人だけ?」
「あ、うん。でも、元はといえば、一番近い清原が、他の奴らから様子を見て
来てくれって言われて、その気になったのがきっかけだけどさ」
「本当なの、清原君?」
「うん」
 清原は聞こえるか聞こえないかの細い声で言って、頷いた。
「頼んだのは誰なのかしら」
「それは……最終的には、クラスの男子のほとんどが乗り気になって……」
 最初に言い出したのは誰なのか、追及してやってもよかった。が、買い物に
向かう途中だということを思い出した碧。すでに結構、時間を費やしている。
「外から中、覗いてたんじゃないでしょうね?」
「覗こうとしたけど、無理だった」
 悪びれずに答えた真田を、碧はきっ、とにらみつけた。
「だめでしょうが! 他人の家を覗くなんて。それとも、小和田君から了解を
取ったと?」
「そ、それはないけど……写真を頼んだだけ」
「あんたらの指し金だったのね」
 ため息を重ねた碧。何だかこの数時間で、一気に歳を取った気がしないでも
ない。
「罰ゲームはちゃんとやってる。特別なことは何も起きていない。明日にでも
写真を見せてもらって、小和田君から話を聞けば分かることよ。だから今日は
解散! いいわね」
「わ、分かった」
 剣幕に圧された三人は、それでも少し惜しそうにしつつ、承知した。
 自転車のスタンドを戻し、サドルに跨った碧に、芹沢が尋ねた。
「最後に一つだけ」
「あんたって人はコロンボか」
「罰ゲーム、もう終わったのかなと思いまして」
「まだよ。これから買い物。帰って来たときにまだいたら、ただじゃおかない
からね」
 言い残して、碧はペダルを踏む足に力を込めた。遅れを取り戻さなくちゃ。

「何だっけ、こういう日本と外国が一緒くたになった感じ」
 ふかした(といっても電子レンジを使ったが)さつまいもを裏ごしし、甘み
を若干プラスし塩を少々。そうした物を、ラップを用いて手頃なサイズの丸や
星形にまとめ、生クリームや削ったチョコで飾り付ける。
「和洋折衷?」
「それそれ。でも、うまいな、これ」
「ありがと」
「お茶にも合うだろうけど、牛乳との組み合わせが絶妙」
 誉めまくる小和田から、千鶴子と鷹彦へ視線を移す。二人とも一つ目を平ら
げたあと、二つ目は彼らオリジナルの飾り付けに挑戦している。
「あ、いいな」
 千鶴子が鷹彦の皿を覗き込んで言う。鷹彦の皿には、雪だるまのような形が
できあがっていた。
「真似するのもしゃくだし〜」
「真似ていいよ、千鶴ちゃん」
「だるま落としにするっ」
 ……数だけなら雪だるまよりも多くなりそうだ。碧は笑い声を抑えながら、
小和田の顔を見やった。
「あとは何があるの?」
「さて、どうするか。風呂掃除と便所掃除を頼もうと思ったら、いつの間にか
やってやんの」
「やっぱり、やってよかったのね。あんまり汚れていなかったから、簡単に済
んだけれど」
「……宿題」
 口をもぐもぐさせてから、小和田が探るような調子で言った。碧は即座に拒
否の返答。
「それ、なしって決めたじゃないの」
 小和田は飲み物で口の中を空にすると、まともに反論してきた。
「全部じゃない。一箇所だけ分からなかったんだ。そっちはもう済ませたんだ
ろ? そこを教えてくれ。やってくれって言ってるんじゃないんだし」
「私の答で合ってるとは限らないわよ」
「かまうことない。ヒントほしいだけだからさ」
 それなら学校でも友達同士でやっていることだし、別に問題ないか。碧は承
知した。片付けをしている間に、その宿題を持って来てと言った。
 小和田がいなくなり、テーブルの方を振り返ると、千鶴子の前にある皿には、
和菓子のタワーができあがっていた。
「こら。食べ物で遊ぶのは、ほどほどにしようね。分かった? そして、残さ
ず、きちんと食べるように」

 小和田が持って来たのは国語のプリントで、最後の文章題がどうしても分か
らないとのことだった。
「登場人物の気持ちなんて、絶対にこうだと言い切れないだろ。だから苦手な
んだよな。台詞ではこう言っていても、心の中では何を考えているのやら」
「ひねくれてるわね−。素直に解釈すればいいのよ」
 碧がこの手の問題の受け取り方を講釈し、それを繰り返すこと三度。小和田
はようやく納得できたのか、答の欄を彼なりの言葉で埋めた。
(それにしても)
 碧は小和田の手元を肩越しに覗きつつ、思い出し笑いをした。その瞬間、小
和田が振り返ったので、表情を見られてしまった。
「笑ってるってことは間違ってる?」
 焦りを露わにする小和田。碧は急いで首を左右に振った。
「そうじゃないの。今のは思い出し笑い」
「じゃあ、間違ってないんだな?」
「多分ね」
 小和田は大げさな動作でほっとした。筆箱に鉛筆を戻しながら、碧に尋ねる。
「で、何を思い出して笑ってたんだ?」
「隠すことではないんだけど、プライベートというかプライバシーに関わるの
よね」
 はぐらかそうとするが、小和田はここぞとばかりに切り札をちらつかせた。
「ご主人様命令だ、答えなさい」
「もう、しょうがないわね。前に、お母さんから聞いた話にそっくりだったか
ら、つい笑っちゃっただけよ。昔、お母さんがお父さんと知り合ったばかりの
頃、宿題で同じようなことがあったんだって」
「その、両親が知り合ったのって、いつだ?」
「小学六年生のときだって。夏休みの終わり近くに公園か空地みたいなところ
で偶然顔を合わせて、宿題の話になって、教え合ったみたい。そのとき、お父
さんがお母さんに聞いたのが、やっぱり国語の文章問題で、登場人物の気持ち
を答えるものだった」
「へー。昔から苦手な奴はいるってことだな」
「苦手な理由もだいたい同じだったと思う。ひょっとすると思考する方法、過
程が似ているのかもね」
「じゃあ、もしかして、碧さんのお父さんて推理小説やマジックが好きとか」
「当たり。私の家族のマジック好きは、お父さんの影響よ。推理小説の真似事
って言ったら怒られるか。習作を書いたこともあるみたいだし」
「ははあ」
 そんな大人と思考方法が似ているかもしれないと言われたためか、小和田は
結構嬉しそうだ。顔が少々上気している。
「さあ、小和田君。あと一時間ちょっと。何をすればいい?」
「やらせること、考えてたんだがもうなくなった。あとは――千鶴や鷹と遊ん
でやって」
「待ってました!」
 手を打って喜ぶ碧の反応に、小和田は怪訝そうに首を捻った。
 その後はある意味、濃密な時間を過ごしたと言える。四人以上がいないとで
きないボードゲームを繰り返し、飽きるくらいにプレイしたあと、なぞなぞを
出し合ったり、あやとりや折り紙を教えたり、ついにはリクエストに応じてモ
デル歩きを披露したりもした。そのまま、千鶴子と鷹彦にレクチャーしている
最中、時刻を告げる柱時計の音が鳴り始める。
「あー……」
 すぐ近くで、弟相手に遊んでいた小和田の声の調子が変わるのが聞こえた。
碧はでも、彼の声も時計の音も聞こえなかったふりを続けた。
「次は何をして遊ぼうか」
「じゃあ、フラッシュレディごっこ!」
 千鶴子は鷹彦の方を見て言った。気を遣ったのか、彼女自身もフラッシュレ
ディが好きなのかは分からないが、楽しそうなのは間違いない。
「ようし、やろっか。そうなるとフラッシュレディは千鶴ちゃんで、鷹君は当
然、ルナティカル・ナイト。悪者は私とお兄さんとで決まりっ」
 碧は振り返り、小和田の腕を引っ張った。
「おい」
「なーに? まさか、主役をやりたいって言い出すの?」
「じゃなくて、碧さん、時間はいいのか」
 相手はひそひそ声になっていた。碧は柱時計を見上げ、今初めて気付いた風
に反応した。
「あ、もう五時を過ぎてたか。でもまあ、私はかまわないよ。まだ少しいられ
る。ただ、電話だけ入れておきたいな」
「……好きなようにして」
 小和田はそう言うと、くるりと身を翻し、弟達の前に立ちふさがった。そし
て何やらいかにも悪役らしい名を名乗り、ごっこ遊びに入った。
(普段からやってるのかな。のりのりだわ。悪者の名前も、その場で思い付い
たような、二度と言えそうにない長さのをすらすらと)
 感心しつつ、とりあえず自宅に電話するため、部屋を離れた碧だった。

 結局、午後五時五十五分までいた。
 小さな子達にもっといてとせがまれ、弱ったが、小和田の助け船――「碧お
ねえさんを困らせると、あとで恐い目に遭うんだぞ、俺が」――で、解放して
もらえた。
「またいつか来てね。でなきゃ、私が碧おねえちゃん家に行きたい。だめ?」
「いいよ。千鶴ちゃんと鷹君ならこんなに仲良しになったし、大歓迎」
「僕も?」
 鷹彦が自分も入っているのを聞いて、驚き半分、嬉しさ半分といった表情を
なした。「もちろん」と碧が答えると、嬉しさのみが顔いっぱいを占めた。
「ほらほら、だらだらと引き留めるなよ。着替えとかあるんだから」
 小和田の言葉で、碧は着替えなければいけないことを思い出した。千鶴子と
鷹彦に手を振ってバイバイし、脱衣所に駆け込む。
 それから帰り支度を終えると同時ぐらいに、小和田の母親が帰宅。急遽挨拶
する羽目になって慌てた碧だったが、ある意味ほっとしてもいた。あと少し時
間がずれていたら、着替えの最中だったかもしれない。
「あなたは龍斗のガールフレンド? 仲良くしてやってね」
 前半部分を否定する間もなく言われ、碧は「はい」と笑顔で答えるしかなか
った。優しげで話し好きそうな夫人を目の当たりにし、果てしなくお喋りが続
きそうな予感を抱く。ここは長居をせずに済むよう、吹っ切って帰るのがよさ
そう。
「もう遅いし、早く帰らないといけないんだ」
 小和田が絶妙のフォローをしてくれた。その上、「あ、俺、送ってくるから」
と母親に断ってから、碧に続いて家を出たのには驚いたが。
「本気? 罰ゲームがまだ続いていて、送らせろという命令なのかしら」
 門扉から出るなり、そう尋ねる碧に、小和田は押してきた彼自身の自転車を
指差した。
「大まじめだ。最後ぐらい、格好付けさせろよ」
「あら。顎で人をこき使って、気分よさそうに見えてたのに」
「全然」
 碧の隣に追い付いた小和田は、頭を強く振った。
「クラスの友達にあれやれこれやれと命令するのって、面白いのは最初だけだ
ぜ。ずっと続けてたら、居心地悪くなった。だいたい、罰ゲームの話にあんま
り興味なかったんだ。ドッジボールで一番当てたのは狙ったわけじゃないし、
別に権利を放棄してもよかったんだけど、俺が放棄したら二番目の奴に権利が
行きそうだったから、それも癪だし」
「二番目に当ててた男子って、真田君だったわよね。嫌いなの?」
「そんなんじゃないけど、あいつに権利をやるのが嫌っていうか……。なあ、
自転車、乗ろうぜ」
 ずっと自転車を押していたことに気付く。二人は相次いで自転車に跨り、そ
れぞれ漕ぎ始めた。
「私の家、知ってるの?」
「――知らない」
「じゃ、着いて来て。帰り、迷わないように記憶しといてよ」
 少し先行する形で、夕闇が広まりつつある空の下、自転車二台がゆっくり進
む。
「碧さん、そのー、今日はありがとう」
「――到着してから言ってくれるものと思ってた」
 斜め後ろからの感謝の言葉に、碧は前を向いたまま、くすっと笑った。
「まともに顔を見て言えるかよ、こんな恥ずかしい台詞」
「そう? まあいいわ。でも、罰ゲームでしたことなのに、お礼を言われるの
は変な感じ」
「分かるだろ。俺だけじゃなく、千鶴と鷹の気持ちだよ」
「なるほど。それなら素直に受け取れる」
 信号待ちで止まった。横に並んだ小和田の表情を覗き見ようとすると、目が
合った。お互い、すぐに前を向く。次に口を開いたのは小和田。
「あのさ。罰ゲームの時間、一応、五時までだったけど、延長したよな」
「それが?」
「てことは、まだ終わってないとも言えるのかなと思って。元々は半日、つま
り十二時間て約束だったし」
「な、何よ。まさか、夜の八時半まで何かさせようっていうんじゃ……」
「そんなに時間いらねー。五分あればいい」
「五分」
 碧は少しだけ考え、「それならいいわ。五分経ったらお終いよ」と応じた。
 信号が青になったが、小和田は動かず、よって碧も漕ぎ出せない。
「これから言うことを、笑わずに聞くように。誰にも漏らさないように。それ
とできれば本気で考えてほしい」
「……クイズの出題?」
「ああ、もう、条件を一個付け足す。黙って聞くように」
「はい」
「――俺、正直言って女子に興味なかったけど、今日一日で碧さんが好きにな
った。ガールフレンドとして付き合ってください」
「……」
 碧は笑いそうになった。唇をぎゅっと内側に噛み、それでも間に合わないと
悟ると、こほこほと咳をしてごまかす。
「あのさぁ……笑うなって言っただろっ。本気で言ってるんだからなっ」
「ごめん。笑いそうになったのは、違う意味でおかしかったから」
 自転車を降り、片手で胸元を押さえる碧。呼吸を整える間、小和田も自転車
から降りた。
「違う意味って何なんだよ」
「罰ゲームはまだ続いているんだから、命令すれば話が早いのに。『ガールフ
レンドになれ』って」
「……思い付かなかった。ていうか、そういうのは意味ねえってば」
 オレンジ色の光の中、小和田の顔が赤らむのが見て取れたような気がする。
碧は時刻を確認させた。
「もう五分経った?」
「あ? ああ、だいたい」
「それじゃあ、返事は保留ってことで」
 一度赤に戻っていた信号の色が、再び青になった。
「ちょ、ちょっと、そりゃあなし」
 自転車をスタートさせる。小和田の慌てる様が手に取るように分かるので、
「気を付けなさいよ」と注意した。

 もしも小和田龍斗が、昼間のやり取りで、会ってみたい有名人の名前をはっ
きり答えていれば、彼の告白に碧も即座に返事していたかもしれない。
 小和田の会ってみたい有名人――架空の人物――はシャーロック・ホームズ
であり、碧の今現在の憧れの人は、実在の名探偵なのだから。

――おわり




元文書 #405 そばにいるだけで・リフレインその1   寺嶋公香
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