AWC 相克の魔術 4   永山


        
#403/598 ●長編    *** コメント #402 ***
★タイトル (AZA     )  12/02/28  00:01  (364)
相克の魔術 4   永山
★内容

 捜査本部の置かれた部屋を出て、署の駐車場に向かう途中、アーリントンと
セクストンは、知り合いの男性が窓口を訪れていることに気付いた。殺人事件
の捜査に当たっている今、一般市民のちょっとした顔見知りを署内で見掛けて
も、よ
ほどのことがない限り通り過ぎるのが普通だ。が、あの男とは強く印象に残る
出会いをし、世話にもなった。二人の刑事は方向を換え、近付くと彼の背中に
声を掛けた。
「エイチ、久しぶりだな」
 アーリントン警部の呼び掛けに、男は窓口の職員に短く礼を言って、振り返
った。
「ようやく会えた。アーリントン警部にセクストン警部補、力を貸して欲しい
ことがあって、探していたんだ」
「警察に先んじてフォグナッツ事件を見事解決に導いた君が、力を貸して欲し
いとはよほどの大ごとだな」
 冗談かと思い、アーリントンは軽い調子で応じた。だが、目前の東洋系の男
は、真剣な眼差しを崩さない。ほぼ同じ身長で、目の高さも同じであるアーリ
ントンは、すぐに気付いた。表情を引き締める。「何が起きた」と聞き返す台
詞に、相手の声が被さる。
「アイバン君が四日前から行方不明なんだ」
「エイチさんの連れの、あの少年が?」
 頭一つ低い位置で聞いていたセクストンが、言葉を挟む。エイチは「ええ」
と頷いた。
「行方不明と言ってもはぐれただけかもしれない。犯罪に巻き込まれたとは限
らないんだが、初めての異国の地故、僕一人で探すのには限界がある。一昨日、
ここを訪れて捜索を頼んだんだが、始めたのかどうかすらはっきりしない。ら
ちが明かないので、あなた方に会おうと思っていたんだ。忙しいのは分かって
いる。担当部署にアイバン君の行方を捜索するよう、お二人から口添えをして
ほしい。それだけでいい。心からお願いする」
 頭を深く下げるエイチに、アーリントンは手を差し伸べ、すぐに上体を起こ
させた。
「そんなことなら、おやすい御用だ。あのときの御返しを、今、させてくれ。
おい、セクストン」
 セクストンは無言で素早く行動に移った。担当部署のある部屋へ急ぎ、消え
る。
「事件を抱えていなければ、俺自ら手を貸すところなんだが、すまんな。あと
一歩とは言わんが、半分がたは解決したようなもんだ。片付けば、協力する」
「ありがとう。事情はよく承知している。魔術師の事件だろう?」
「さよう。いかにも君向けの、不可解で怪奇趣味盛りだくさんな……エイチ、
君の意見を聞きたい。その方がより早く片付くかもしれん」
「いや、アイバン君を見つけないと。警察の動きとは別に、一人でも探す」
「気持ちは分かる。だが、こう考えてくれ。我々の事件が早く解決すれば、そ
れだけ捜索に人員を割ける。発見も早くなる」
「……」
「少年の立ち寄りそうな場所に、心当たりがまだあるのか? あるのなら、若
いのを一人、そっちに差し向けたっていい」
 難しい表情をしていたエイチは、首を横に振った。
「心当たりは全て当たった。何もないから、こうして警察を頼っている」
「だったら」
 アーリントンがエイチの両肩に手を置き、最後の一押しをしようとしたとこ
ろへ、セクストンが駆け戻って来た。
「やりました。他に失踪人の届けは出ていないそうですし、すぐに取りかかる
とのことでした」
 その報せに、エイチはやっと意を決したようだった。
「ありがとう。優先して動いてくれることに感謝する。魔術師の事件について、
話をすべて聞きたい」

 警察署奥の小さな部屋に通され、事件の概要及びこれに関する調査結果を見
聞きしたエイチは、開口一番、「ケンツの大道芸が鉄の胃袋だという事実は、
警察でも調べが行き届かなかったほど、隠されていたのだろうか」と言った。
「まあ、確かにその気味はあった。雑誌記者が辿り着けたのだって、関連する
新聞社に、昔の様々なちらしが保管されていたからこそだったはず」
 アーリントンが答えると、エイチは軽く頷いた。
「すると犯人は、ケンツが矢を飲み込んで消失させるという絡繰りを、警察に
見破られることはまずないと考えていたんじゃないかな。ばれるとしても、だ
いぶ先の話になると高を括っていた可能性がある」
「そりゃそうかもしれないが。だとして、何が言える?」
 アーリントンは大勢の捜査員のことを頭に浮かべつつ、急いた調子で聞いた。
心中では、フォグナッツ事件の解決は単に運がよかっただけではないことを念
じた。
「ばれる恐れは少ないとはいえ、皆無ではない。カモフラージュを考えたと思
う。短くした金属の棒を多数飲み込めば、臓器の内側に細かな傷が付く。それ
を目立たなくすれば、見抜かれる心配はぐんと減る」
「そんな工作を、犯人は実際に行ったというのか?」
「森で見つかった遺体は、竜の爪で切り裂かれたかのように、胴体に三つの深
い傷を負っていたんだろう? おまけに、内臓をかき回されたような痕跡もあ
ったと」
「ああ、そうか。ではあの死体は、やはりフォーレスト・ケンツのものだと?」
 信じられないという響きを声から感じ取ったのだろう。エイチは「捜査本部
では、ロレンスで固まっているのか」と聞き返した。
「ああ。判明して間もないから、そこの資料にはどこまできちんと説明されて
いるか知らんが、遺体の衣服に指紋があってな」
 アーリントンは森で見つかった遺体をロレンスと断定した経緯を、細かく話
した。
 だが、説明を聞き終わったエイチは首を捻った。
「僕は、遺体はケンツだと思う。無論、犯人が全てを見越して罠を仕掛けてい
る可能性も残るが、手間を掛けすぎだ。犯人は、『竜の存在を匂わせようと努
力したが、やり方が稚拙ですぐに見透かされた』という風に装っているんだ。
真の目的、内臓の傷を隠すための細工を気付かれないように。服に付いた助手
の指紋なんて、簡単に偽造可能だしね。むしろ、死んだのがロレンスだと誤認
させるための奸計と見なすべきだ」
「うむ」
 唸ったきり、しばし沈黙するアーリントン。セクストンも言葉がなかった。
やがて、アーリントンが考え尽くした風に嗄れ声で発する。
「言われてみると、おかしいな。ロレンスがケンツに操られて行動していたの
なら、竜の仕業に見せ掛けたのはケンツがやったこと。自称魔術師がここまで
幼稚なやり方をするのは、腑に落ちない」
「グラハンズとその仲間のやり方が稚拙だと思わせたかったのかも。ケンツの
立場からすれば、竜云々の仕掛けをやったのはグラハンズの仲間だと世間に示
すことになるんですから」
 セクストンの反論には、エイチが答える。
「警察は、ケンツが名を高めたくてこんな事件を起こしたと考えているんでし
ょうが。だったら、ケンツはグラハンズの魔術を貶めても、損をするだけだ。
これほどまでに凄腕の魔術師と対決し、相手を殺して逃走したものの、とうと
う捕まって殺された、という図式でなければいけない」
「……なるほど。ケンツがロレンスの遺体に三本線の傷を付けるまでならとも
かく、そこから内臓をいじくる理由がない。遺体がケンツなら、先ほど説明さ
れたように、理屈が合う。
 ケンツも殺されていたとなると、その犯人は最初の見立て通り、グラハンズ
に近しい者で、グラハンズ殺しのみがケンツの策略だった、となるんでしょう
かね」
 反論を引っ込め、メモを取っていたセクストンが面を上げた。エイチは呟く
ように「いや」と応じる。
「テッド・メイムという記者は、今回の事件に限ったとしても、謎を解決する
能力が相当に優れていると思う。問題は、記者にしては、人間関係を機械的に
見積り、計算のみで答を出すきらいがあるらしい点かな。考えてもみてほしい。
手を組んだとはいえ、心の中では密かに相手を殺そうと考えている二人が、相
手の用意した凶器を使い、自らの身体を傷付けるなんて芝居に、全面的に乗る
ものだろうか。相手に渡す凶器に自分が毒を塗ったように、相手も同じことを
しているかもしれない――通常の人間の思考はそういうものだと思う」
「つまり……自らを傷付けるなら、相手の用意した凶器を使わず、自らの用意
した物を使うはずだと。でも」
「でも、そんな凶器や凶器になりそうな道具を、グラハンズは身に着けていな
かった?」
 エイチが先回りして言った。アーリントン達は率直に認め、首肯した。
「自分で用意した凶器なら、こっそり捨てる必要のある物ではなく、身に着け
たままでも目立たない道具を選びそうなものだ。なのに、身に着けていないの
は、この考え方は誤りである可能性が強い」
「……自分達の能力を否定するみたいでなんですが、奇術用の特殊なナイフと
同様に、捨てた可能性はどうです? 見付け損なっているだけで」
「おいおい」
 苦い表情をなすアーリントン。
「問題のナイフ以外には、釘一本として落ちてなかったと報告を受けているぞ」
「ですね。それに思い出しました。確か……」
 エイチの前に積まれた捜査資料から、一冊のファイルを選び取るセクストン。
ぱらぱらとめくり、目当ての頁を見つけたらしい。
「あった。グラハンズの腕に傷を作ったのは、矢の先端部で間違いないとの鑑
定が出ていたんでした。すみません」
「謝る必要はありません」
 エイチが戸惑ったように、早い口調で答えた。
「可能性は低いが、全く同じ形状に削られた矢尻のみを用意し、自ら傷付けた
という考え方もできなくはないのだから」
「心遣いをどうもです、エイチさん。矢は手製なので、全く同じ形というのは、
まずあり得ません」
 エイチの示した理屈を認めるとの合意ができたところで、推理は次の段階に
進む。
「グラハンズを殺したのがケンツでないなら、一体誰が?」
「いきなりそこに取り掛かるより、グラハンズが隠し持っていた矢に何故、ど
うやって毒が塗られたのかを考えるのがいい」
 エイチの発言に、アーリントン達は一瞬「え?」という顔付きをした。ケン
ツが塗ったという仮定が、頭のてっぺんから爪先まで染みついてしまっていて、
その払拭ができていなかったせいだ。
「そうか。ケンツとグラハンズが共謀したのは、あくまでも魔術対決の八百長
だけ。相手を毒殺しようなんてつゆとも考えていなかったんだ。グラハンズは
多分、信用しきっていた相手から矢を渡され、毒の塗布なんて全く考えずに、
自分の腕に傷を作ったに違いない」
「グラハンズが信用しきっていた相手というと……ジャッキー・レベルタ? 
グラハンズの書斎から毒の瓶が見つかったのも、彼女が忍び入って隠したとす
れば、符合します」
 アーリントン警部の言葉を受け取ったセクストンが、誰もが真っ先に思い付
くであろう説を唱えた。これにエイチは疑問を呈した。
「グラハンズの弟子が矢に毒を塗るのなら、矢筈にまで塗る必要がない。犯人
が矢尻と矢筈の両方に毒を塗ったのは、塗る段階でどちらが矢尻なのか、分か
りづらかったためなんじゃないかと思う」
「分かりづらかった、ですと?」
 解しかねるとばかりに、大げさかつ何度も小首を傾げるアーリントン。
「矢を手にできれば、どちらが矢尻かぐらい、明白でしょう。犯人には見えて
なかったんですか」
「たとえば、厚手の布越しだとすれば、矢尻と矢筈の区別は付きにくい」
「エイチさん、あんたは何を言わんとしているんだ? 分かり易く言ってくれ。
厚手の布って何なんだ」
「グラハンズのマントですよ、警部」
 当たり前という風はエイチは答えた。
「被害者がマントをしていたのはその通りだが、マントの裏側にでも矢を隠し
ていたと?」
「裏、それも縁の辺りでしょう。矢がすっぽり収まる、細長い筒状の空間が備
わっているんじゃないかな。なるべく早く、確認していただけると話を進めや
すい」
「分かった。セクストン、行ってくれるか」
 頼まれたセクストンは部屋を出ようと席を立ったものの、ふと足を止めた。
「エイチさんはどうしてマントに着目したんです? 他に矢を隠せそうな物が
ないから?」
「それもあるが、メイム記者のレポートが大いに役立った。警察も情報収集に
懸命だと見えますね。メイム記者の書いた事件当日のレポートが載った雑誌ま
で入手し、資料に加えるとは」
 こう言われて、セクストンとアーリントンは、ますます困惑した。
「ざっと読んではいたが、マントについて、何か特別なことが書かれていたっ
けな?」
「具体的に明示されている訳じゃなく、断片的ですね。かいつまんで言うと、
部屋に籠もるまでの間、グラハンズのマントは重々しくて強風にもほとんどな
びかなかったのに、傷を負い、部屋から出るときにはメイム記者が横を通った
だけで翻るようになっていた。そう読み取れる」
「てことは」
 雑誌を手にし、確認のために記事のある頁を探しながら、アーリントンは考
えをまとめた。
「重量のある矢が収まっている間、マントはひらひらせず、部屋で矢を抜いた
あとは、ひらひらするようになったということか!」
「だと思います。ああ、セクストン警部補。もしマントに矢を隠す場所があっ
たなら、その入り口と奥の辺りに毒がしみこんでいないかどうか、検査に回し
てもらいたい」
 セクストンはエイチの頼みに無言で首肯し、今度こそ駆け足で廊下に飛び出
した。

「あなたはグラハンズのそばに立つ好機を得ると、毒液を彼のマントに垂らし
た。毒を含ませたスポンジか、スポイトでも使ったんでしょうな。矢の両端か
ら毒が出たのは、どちらの端が矢尻か分からず、両端に毒を垂らしたからだ」
「警察の方が仰るくらいだから、その方法で矢に毒を付けることは、可能なん
でしょう。でも実行できるのは、私だけじゃないはずです」
 アーリントンの詰問を事務所で受けたカラレナは、平然とした態度で返事し
た。そう、あまりにも平然と、淡々としているので、反論とか反駁といった雰
囲気はまるでない。
「確かに、マントに矢がセットされたであろう時間帯から、グラハンズが部屋
に籠もるまでの間に、マントに近付けた者なら誰でも可能だ。だが、わざわざ
毒をマント越しに垂らす必要があるのは、あなたぐらいしかいないように思え
るんだが」
 アーリントンは揺さぶりを掛けた。彼の隣では、セクストンがメモをこれ見
よがしに取りつつ、じっとカラレナを見つめている。
 それでもカラレナは落ち着きを失わなかった。
「何の証拠にもなりません。でしょう? 楽に毒を塗れる立場の人が、私に罪
を着せるために、わざとマント越しにやったのかもしれませんもの。毒薬の瓶
だって、グラハンズさんの邸宅で発見されたと聞いています。彼のお弟子さん
辺りが、怪しいのじゃありませんか」
 レベルタのことを仄めかす台詞を繰り返すカラレナ。アーリントンは口元を
僅かに緩めた。あまりにも予想通りの反応だったからだ。
「書斎に瓶を置けたのは、グラハンズ本人やその周りの人間だけではないと、
我々は考えている。ケンツ一味とグラハンズ一味が組んで、大掛かりな出来レ
ースを行うには、綿密な打ち合わせが必要だろう。互いに相手宅に出入りした
としても不思議じゃない」
「たとえそうだとしても、それが即、私が毒を塗ったことにはつながりません
よね? 私が主張した、誰にでもできるということを、刑事さんも認めてくだ
さっただけの話」
「毒の塗布に限れば、そうかもしれない。だが、ケンツが部屋から抜け出すの
を手伝えるのは、あなただけだ。違うかな?」
「私がケンツさんの一番の助手だからですか。そんな理由だけで疑うなんて。
だいたい、ケンツさんは手伝いなどなくても、魔術の力であんな部屋、簡単に
抜け出せたんです」
「馬鹿々々しい。あなたが通路側から錠前を外して、ケンツを出してやったん
だ。そのあと、錠前を元に戻して知らんぷりを決め込んだようだが」
「仰ってる意味が分かりませんわ。錠前を用意したのは、興行師のクレスコさ
んです。私が自由に開閉できるはずないじゃありませんか」
「錠前そのものを壊し、自分で用意した別の錠前を付けりゃいい」
「――」
 カラレナの顔から、すーっと血の気が引いたように見えた。
「クレスコ氏は錠前の型をしかと覚えてはいなかった。また、ケンツとグラハ
ンズ双方の人間は、城の下見をしたんだろ? その際、錠前も見せてもらった。
似た代物を用意するのは、さほどの手間じゃあるまい。あとは、元の鍵を強引
にでも受け取り、手の中で自分の用意した錠前の鍵とすり替える。部屋の扉の
鍵についても、同様の手順でやれば、ごまかせるだろうさ」
「……私はその時間、舞台に立っていました。アリバイがあります」
「確かに舞台に立ったようだが、出ずっぱりじゃあなかったはずだ。それに、
カラレナさんは通常、仮面をして演目をこなすそうだな。スタッフに似た体格
の女性がいれば、身代わりを頼める」
「ア、アリバイは不確実でも、あの城の建物に、人目に付かずに入り、ケンツ
さんを連れ出すなんて芸当が――」
 カラレナの抗弁を、アーリントン警部は余裕を持って受け止め、的確に返し
ていく。
「あの建物への出入り口は一つじゃないし、見張りがいた訳でもない。少し注
意をすれば、誰にも見咎められることなく出入りできる。ケンツを連れ出すの
も、派手な衣装から地味な作業着にでも着替えさせれば、万一目撃されても、
まさかケンツだとは思われないだろう」
「……どうしても私を犯人にしたいようですね。証拠がおありですの?」
「今、調べさせているところだ。あなた自身ではなく、他の助手が購入したと
も考えられるので時間は掛かりそうだが、すでに好感触を得ている。目処が付
けば、事務所や個人宅なんかも捜索する流れだな」
「仮にじょ、錠前を買っていたとしても、それは私がケンツさんの脱出を手助
けしたことの証明、傍証に過ぎません。グラハンズさんやケンツさんを殺した
犯人は、別にいます」
 エイチが予想した通りの反応を示すカラレナに、また笑いそうになる。アー
リントンは堪えた。
「その主張は無理があるな。カラレナさん、あんたが以前話したところでは、
森で遺体が見つかる日の朝、ロレンスの訪問を受けた。そしてそのとき、さも
呪いらしく文字が浮かび上がる仕込みをされた。そうだな?」
「ええ、その通りよ」
「我々の調べでは、ラリー・ロレンスなんて人物は実在しないようなんだがね」
「嘘よ。ちゃんと店を出して、占いをやっていたわ」
「正確には、ラリー・ロレンスと名乗る人物がやっていた、だろ。ロレンスの
店舗内の指紋を調べても、ほぼ皆無だった。これを我々は、ロレンスに化けた
人物が指紋を残さないように努めていたためと推測した。だが、いくら注意し
ても、完全に指紋を残さないのはかなり難しい。手袋や靴下の指先が少し破れ
ただけでも、指紋が部分的に残る可能性が生じる。特に靴下は、気付きにくい
からなあ」
「足の指紋が出たというの?」
 声が震え始めたカラレナ。アーリントンは彼女の質問にまともには答えなか
った。
「とりあえず、あなたの足の指紋を採取させてもらいましょうか」
「拒否したら?」
「今はしょうがないが、いずれ礼状を持って来ます。たとえ足の十指を切断し、
始末されても、別の家に指紋の一つや二つ、残っているでしょうな」
 カラレナの様子を見ると、最早陥落したに等しかったが、アーリントンはだ
め押しをしておく。
「ロレンスの存在が架空であるなら、あなたの証言は何だったのか、理解でき
なくなる。本当に占い師は現れたのか、そいつは何者かが化けていたのかな。
あなたとロレンスは、そこそこ顔馴染みだと見受けましたが、あなたは変装に
気付かなかったのか、とね」
「……」
「そういえば、ケンツのやっていたショー、今後の予定もなるべくキャンセル
せずに続ける意向と聞いたが、その場合、主役を張るのはやはりあなたかな、
カラレナさん? 美人だから、客にさぞかし受けるだろう」
 すっかり項垂れたカラレナに、アーリントンは重要な点を聞き出そうと、質
問をぽんと投げ掛けた。
「あなた一人でやったのか、助手何人かの共謀か? ケンツ魔術団を乗っ取る
なら、最低でも一人は共犯がいると睨んでるんだがね」

 警察の発表を受け、テッド・メイムは捜査本部のあった署に駆けつけた。ア
ーリントン警部らを前に得意顔で述べた推理が一部、大きく間違っていたこと
が気に掛かっていた。今後の良好な関係を期待し、まずは謝罪しておこうとい
う計算もあったが、それ以上に、警察が如何にして真相に辿り着いたのかを知
りたかった。
 アーリントン警部をすぐに掴まえることはできなかったので、魔術師事件の
捜査に当たった刑事に片端から聞いて回り、解決に一役買った一般人の存在を
知った。
「公表はしないが、彼がいなかったら、解決が多少遅れていたであろうことは
認めざるを得ないね」
 刑事達は揃ってそんなことを証言した。刑事としての誇りを覗かせつつ、そ
の一般人に感謝もしている。そんな雰囲気を感じ取れる。
「公表しないのは何でなんです? 普通、そんなに貢献したのなら、表彰もん
でしょうに」
「本人が固辞したと聞いている。実は、事件解決後、男の連れで青年だか少年
だかが行方不明で、総力を挙げて捜索したんだ。その甲斐あって、早めに無事
発見できた。とても感謝されたよ、一人一人と握手を交わし――」
 聞き込み相手の刑事が、言葉を途切れさせた。視線はテッドの頭の上を通り
過ぎ、後方の高いところに向いているよう。が、すぐに視線を外すと、その刑
事は「警部、すみません」とだけ言い残し、そそくさと立ち去った。
 振り返ったテッドは、アーリントン警部のへし口を見上げることになった。
「あ、お久しぶりです。探していたんですよ」
「まったく、“口が軽い刑事”なんてものは、矛盾した存在だと言っていい。
――メイムさん、お久しぶり。何を嗅ぎ回っておられるのかな」
「人聞きが悪い。私はあなたに会って、事件解決の祝福と、私自身のいい加減
な推理のお詫びをしようと思って来たんです」
「そりゃどうも。詫びることはない。素人さんの意見を丸飲みした我々の、い
や、私の責任だ。どんなに素晴らしく映る考えでも、冷静に見極め、取捨選択
せねばいかんという教訓になった」
 憮然とした表情のまま、アーリントン警部は自嘲気味に言った。テッドはこ
こぞとばかりに質問を差し挟む。
「素人の意見と言えば、魔術師の事件の解決には、一般市民が大きく寄与した
そうですが」
「市民ではない。厳密に言うなら、彼は旅行者だ」
「え? ということはもしや、すでにこの街を発った?」
「そのはずだが。不都合でもあるのか」
 小さく舌打ちしたテッドを、警部がやや心配げに見下ろす。
「いえね、その頭の冴えた男性に一度会って、インタビューをしたいと目論ん
でいたのですよ。警部さん、引き留めてくれればよかったのに」
「無茶を言いなさんな。ああ、でも、一ついいことを教えてやろう」
「何です? 行き先を聞いているとか?」
 期待に目を輝かせるテッド。アーリントンは苦笑を浮かべた。
「違う。エイチ――彼の名前だ――は君を結構高く評価していた。謎を解こう
とする思考回路が優れているとかどうとか」
「ははあ。警部さんが私の推理を伝えたんですね」
「捜査に関する資料は全部見せたからな。そうそう、君が臨時増刊号に書いた
記事が、大きな手掛かりになったのも言っておかないとな」
「え? そんな大事なことまで、私は書いた覚えが……。どのくだりなんでし
ょうか」
 飼い主に纏わり付く愛玩犬のように、テッドは立て続けに質問した。アーリ
ントンの顔を見れば、徐々に面倒臭くなっているのが明らかだった。
「メイムさん、あんたならそれぐらい、推理すれば分かるさ。エイチが評価す
るほどなんだし」
「と言われましてもねえ。やはり、どうしても当人に会いたくなった。ねえ、
警部。せめてフルネームを教えてくれませんかね」
「……これが今日最後の質問と約束するのなら、教えてやってもいい」
 少し考え、条件を出した警部。対照的にテッドは即答した。
「約束します」
「エイチ・テンマという名の、東洋系の男だ」

――終わり




元文書 #402 相克の魔術 3   永山
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