AWC 相克の魔術 2   永山


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#401/598 ●長編    *** コメント #400 ***
★タイトル (AZA     )  12/02/28  00:00  (370)
相克の魔術 2   永山
★内容                                         18/11/08 03:05 修正 第4版
 テッドとフロイダーの計画は、実行に移されなかった。二時間半を経過した
ところで、異変が発生したためである。
 グラハンズの入る部屋の方から、恐らく椅子が倒れたのであろう激しい物音
がし、間隔を空けずに吠えるような叫び声が上がった。観客達にも充分聞こえ
たらしく、彼らはしんとなった。が、それは極短い時間で、じきにざわざわと
落ち着きがなくなった。フロイダーとテッド、それにクレスコの三人は合流し
て、すぐさま城建物内に飛び込んだ。その後ろをジャッキー・レベルタ、さら
に何ごとか気になったのであろう、カラレナまでもが着いて来た。ケンツの集
中を乱すとかどうとかは考えず、一目散にグラハンズの部屋を目指す。男三人
がほぼ同時に扉の前に辿り着き、十秒ほどあとにレベルタとカラレナも着いた。
その十秒間に、フロイダーが錠前の鍵を外し、クレスコはドアノブの上にある
鍵穴に鍵を差し込み、テッドはグラハンズの名を大声で呼んだ。
 呼び掛けに対する反応はあったが、言葉になっておらず、意味を取れない。
クレスコが意を決し、鍵を回した。扉が開かれる。
 途端に、「あっ。グラハンズさん!」「先生!」「どうした! 何があった
んだ?」と、怒号や悲鳴や叫び声が交錯する。
 グラハンズは右の二の腕を左手で押さえ、床にうずくまっていた。傍らには
見覚えのある金属製の矢が落ちており、さらにその矢の先端は赤に染まってい
る。
「まさか、本当に魔術で?」
 思わず呟いていたテッドの眼前で、レベルタが師匠に駆け寄る。舞台で見せ
た地味なイメージとは正反対の、俊敏で鋭利とも言える動作だ。
「先生! ご無事ですか!」
「あ、ああ。レベルタ君、大丈夫。かすり傷だ。本当に矢が空間を超えて飛来
するとは、ケンツの奴、なかなかやりおる」
 強がっているのは明らかだった。何故なら、テッドには、グラハンズの顔色
は青ざめているように見受けられたから。
「早く医者に診てもらいましょう!」
「いや、平気だ。それよりもだ。私もやられっ放しではない。公約通り、ナイ
フで反撃した。咄嗟のこと故、どこに刺さったかは責任を持てない。早めにケ
ンツの様子を見に行く方がいいぞ」
 伝説の魔術師のその台詞に、場の空気が緊張の度合いを増す。間髪入れず、
気配を残して走り出したのは、一番後ろで様子を見守っていたらしいカラレナ
だった。
「おおい、カラレナさん! 鍵がないとどうしようもないぞ!」
 テッドの言葉は届かなかった。立ち止まらないカラレナを追って、まずフロ
イダーが動く。続こうとしたテッドだが、クレスコに呼び止められた。
「メイム君、私は責任者として医者を呼ばねばならん。鍵は君に預ける。いい
な?」
「は、承知しましたっ」
 鍵をテッドに渡すと、クレスコはグラハンズに肩を貸し、ゆっくりとだが歩
き出した。その後ろをレベルタが心配げに着いていく。彼らの傍らをテッドが
走ってすり抜けると、グラハンズのマントが翻った。
 程なくして、ケンツの部屋の前が見えた。錠前はすでに外され、カラレナは
半ば涙声になってケンツの名を呼びながら、戸を手で叩いていた。その手に鍵
らしき物が光っている。ということは、カラレナがフロイダーから錠前の鍵を
受け取り、開けたらしい。
「鍵、もらってきたっ。返事がないんで?」
 質問しつつ、扉を解錠すると、「貸して!」とカラレナに要求された。甲高
いが凄みのある声に気圧され、テッドは鍵を渡した。若い美女の鬼の形相は、
何者であっても近寄りがたい雰囲気があった。
 解錠と同時に、彼女は身体ごとぶつかるようにして扉を押し開けた。
 ――部屋の中にケンツの姿はなかった。無人であった。
 ただ、寝台の中央辺りに、ナイフが突き立てられていた。近寄るまでもなく、
グラハンズが用意していたナイフだと分かる。
「……どういうことだ」
 フロイダーは呻くように疑問を口にし、窓へと駆け寄った。現代風の三日月
錠が内側から下り、何者かが脱出したとは思えない。それでもフロイダーは窓
を開け、外を覗いた。テッドもそれに倣ったが、崩れた石垣や雑木があるばか
りで、人影や不似合いな物体などは見当たらない。何かが落ちたり下りたりし
た形跡は皆無だった。
 テッドが頭を引っ込めようとしたとき、フロイダーが「もしかしたら」と首
を上に向けた。空を見上げる。否、部屋の上――屋根か天井か二階かは分から
ないが、窓から出て上に移動した可能性を思い付いたようだ。
 が、フロイダーはすぐに首を横に振り、上半身を室内に戻した。テッドも上
を見、フロイダーの落胆を理解した。石のブロックが垂直に高く続き、先が見
通せない。とても登れそうになく、何らかの道具を使ったとしても、痕跡を残
さずにはいられないように思えた。だが、実際の石壁はこけや蔦、土塊などが
表面のいたるとこにあるが、どこも乱されていなかった。
 そもそも、窓の三日月錠を外から掛ける方法がない。
「ケンツは金属の矢をグラハンズに撃ち込み、グラハンズはナイフで斬りつけ
た。その反撃をかわしたケンツは、密室状態の部屋からどこかに消えてしまっ
た……」
 テッドは状況を整理するつもりで、独り言を口にした。全く整理できた気に
ならない。かえって困惑を覚える。
 フロイダーはその間、部屋のあちこちを調べて回っていた。ケンツの隠れら
れる場所は寝台の下ぐらいだが、無論、誰もいなかった。そして、金属製の矢
も部屋から消えていた。
「とりあえず……ここはこのままにして鍵を掛け、クレスコさんやグラハンズ
さんに会いに行くとしましょう。報告しないといけない」
 テッドの提案にフロイダーとカラレナが同意し、魔術師の消えた部屋は封鎖
された。そして城を出ようと歩き始めたそのとき、前方から若い男が駆け込ん
できた。
 テッドには見覚えがあった。名前は聞いていないが、クレスコの下で働いて
いる男だ。何事かと尋ねるより先に、その男は叫んでいた。
「ご無事ですか? クレスコさんが心配されています。急いで出てください!」
「何故、そんなに慌てるんです?」
 フロイダーが聞き返した台詞が終わる前に、男は続けてこう言った。
「グラハンズさんが亡くなったんです!」

 警察の調べによると、グラハンズの死因は毒だという。検査で、矢で負った
右腕の傷から入ったと判明。矢尻及び矢尻とは反対の端――矢筈からも、同じ
毒物が検出された。加えて、傷口を微細に検証し、部屋に落ちていた矢が確実
に凶器であるとの断定に到った。これはケンツの用意した矢が手製であり、そ
の加工が非常に特徴的だったことがプラスに作用した。
 指紋に関しては、ケンツの指紋は矢から全く検出されず、これは誤って毒に
触れぬよう、ケンツが手袋をして矢を扱ったことを示唆するものと考えられた。
逆に、グラハンズの指紋が検出されたが、こちらは彼が矢を手で払ったとすれ
ばおかしくはない。
“ケンツはグラハンズを殺すつもりだった。矢をかわされても、ちょっと傷を
付けさえすれば殺せるように、毒を塗布してまで。そして今は逃亡している”
――魔法が本当に使われたかどうかは別として、警察はこんな見解を取らざる
を得なかった。
 が、この困惑すべき推測に、さらに輪を掛ける事実が発見された。
 ケンツの籠もった部屋の寝台に突き刺してあったナイフを調べたところ、グ
ラハンズの命を奪った物と同じ毒が検出されたのだ。ちなみにナイフから指紋
は、一切出なかった。
「魔法だの魔術だの超能力で人を殺し、逃げ去っただなんて、絶対に認められ
ん。あり得ないのだ」
 捜査会議の席で、アレックス・アーリントン警部は断言した。顔だけ見れば
細面で優男風の中年だが、背は高く、体格もがっちりしている。そこにこのよ
く響く低い声が加われば、生半可な連中があっさり白旗を掲げるのに時間は要
さない。
「おかしな具合にも、証拠は全て、フォーレスト・ケンツの魔術による犯行を
示唆しているかのように見える。そのようなことは断じてない。ちらっとでも
『魔術の仕業かも』等と思うな。他に合理的な解釈を探せ。そしてそれ以上に、
ケンツの行方を突き止めるのが、現在の最優先事項だ。分かったな?」
 叱咤と号令とを受けて、捜査員達が散っていく。アーリントン警部も意気の
合う馴染みの部下、コビー・セクストンとともに警察署を出た。
 そして……車中、二人きりになったところで、アーリントンがセクストンに
こぼす。
「皆の手前、ああ言ったものの、五里霧中だ。君は正直なところ、どうだ?」
「奇妙な事件であることは間違いないですね」
 運転席のセクストンは、茶色い髭が印象的な口に微笑を浮かべて応じた。車
は右に折れる。主要関係者から改めて話を聞くために、ケンツの事務所に向か
うところである。捜査開始後程なくして一度訪ねているが、今回は予告なしの
急襲を試みる。
「魔術の類なんて、毛の先ぽっちも信じちゃいませんが、あれだけ奇妙だとち
ょっとばかりぐらつきます」
「認めたくないが、俺も同感だ。科学的な捜査を尊重し、証拠を重視する。そ
の方針に従うと、非科学的な結論に行き着きかねない。厄介な事件だ」
 アーリントンが頭を抱えたくなるのも無理はない。まだ公表を控えている事
実の中にも、理解しがたい事柄がいくつかあるのだ。
「警部も私も現実的な事件には強いが、この手の事件は……苦手というのは語
弊があるが、手を焼くのが常になってしまってますからねえ」
 その後も事件について意見を交換しながら、目的地に着いた。カラレナを筆
頭とする助手がいるかどうかは不明だが、事務員が常駐しているのは確認済み
だ。
 事務所手前で車を降り、歩いて近付く。駐車場の様子を覗き見たが、以前見
たときと比べて、車の台数は減りこそすれ、増えてはいない。目新しい車もな
いようだ。
「ケンツの奴が高を括って、魔術師でございますと得意顔で表れるとしたら、
ここか、警察署の前だと思うんだが」
「テレビ局や新聞社という線も、考えられます。ただ、そういった大っぴらに
姿をさらすより前段階として、事務所で準備をするのは大いにありそうですね」
「本当に魔術師なら、車で乗り付けやしないな。空を飛んでくるなり、何もな
い空間にいきなり出現するなり、やればいいんだ」
 嘲る調子で呟いたアーリントンが、ふと建物の方を見やると、窓が開くとこ
ろだった。ガラス越しに刑事の到着を察したらしい。顔を出したのは、髪の長
い女性事務員。まだ距離があるので分かりにくいが、青ざめているように見え
る。
「――ああ、ちょうどよかった。刑事さん!」
 深呼吸をし、思い切った様子で声を張り上げた事務員。髪が風のおかげで顔
に纏わり付く。が、かまうことなく、アーリントン達を手招きしている。
「何だ?」
 怪訝さから、部下と顔を合わせたアーリントン。毛嫌いされこそすれ、歓迎
される立場ではないはずだが、これはどういう風の吹き回しだ……。
 刑事二人が駆けつけると、女性事務員は窓越しに、「これを」と一つの封筒
を震える手で突き出した。宛名も切手もない、単なる白封筒だ。すでに開封さ
れ、ぎざぎざ模様になったその口からは、薄紅色の便箋が覗く。
 相手のただならぬ様子に、アーリントンはハンカチをポケットから急いで引
っ張り出し、くるむようにして受け取る。事務員に尋ねるのはセクストンだ。
「これは?」
「郵便物の整理をしていたら、紛れ込んでいたのです」
「読みました?」
「はい。恐ろしくて、とりあえず戻して、警察に届けようかと思っていたとこ
ろへ、刑事さん達の姿が……」
 眼鏡を押し上げつつ、質問を重ねるセクストン。彼の隣で、アーリントンは
便箋を引き出し、すぐに読み終えた。そして感じたままを声にした。
「こいつは確かに恐ろしい事態だな、事実とすれば」
 便箋と封筒をハンカチごと渡されたセクストンは、指紋に注意しつつ、中身
を見た。そこには短い一文と、鮮明度の低いコピーされた一枚分の白黒写真が
あった。
『魔王の怒りに触れしフォーレスト・ケンツ、竜の怪物に屠られる』
 写真には、どこかの森の中、ケンツと思しき人間が、身体のあちこちを裂か
れ、血を流して横たわる様子が切り取られていた。
「これ、ケンツでしょうか。確かに衣服は、姿を消したときとそっくり同じよ
うですが」
「さあて、どうかねえ。写真じゃ何とも言えん。何しろ、頭がないんだからな」
 その人間からは頭部が失われていた。

 封筒と便箋の調査が行われたが、明らかに触れた人物の指紋以外には、特に
これといったものは検出されなかった。
 ただ、人の油脂分に反応する薬剤で、封筒の裏に、マルス・グラハンズの署
名がされていたことが分かった。何人かの手に触れ、気温がある程度上昇すれ
ば、グラハンズの名が浮かび上がる仕掛けが施されていた。現在、筆跡の比較
が行われているが、厳密な判定は難しいと見られる。
「グラハンズはすでに死んだ。本当に彼が出したメッセージとは考えにくい。
が、彼のために復讐を果たそうとする人物なら、こういった魔術に見せ掛けた
手品をやりかねんな」
 アーリントン警部の判断により、捜査陣の一部は、グラハンズの弟子である
ジャッキー・レベルタの行方を探している。
 平行して、ケンツの関係者にも連絡が取られた。ケンツには同居する家族が
いないため、助手達に連絡すると、真っ先にカラレナが捜査本部のある署へ駆
けつけた。そしてコピー写真を見るなり、行ったことがある風景だと言い出し
た。
「以前……三年ほど前でしたかしら。テレビ番組の企画で、魔術の屋外ショー
を行いました。そのロケハンで、足を運んだ場所と、記憶が重なります」
「そこはどこです」
 カラレナは、郊外にあるSWという森林地帯を口にした。この事務所から車
で三十分ほどの所である。
 そこへ早速向かおうとした矢先、カラレナが短い悲鳴を上げ、便箋を取り落
とした。
「何だ? どうかしましたか」
 アーリントンがカラレナの手元を、セクストンが落ちた便箋を注視する。
「手に、文字が」
 震えながら、右の手のひらを立て、その場にいる者に示すカラレナ。その浅
黒い肌には、紫がかった文字が浮かんでいた。肌が変色したらしい。
「まだ仕掛けがあったのか」
 写真が鮮明な方がいいだろうと、便箋は警察でコピーした物ではなく、オリ
ジナルを手渡していた。
「警部、便箋の方にも文字が浮かんでます。これまたグラハンズの名前ですね」
 拾い上げた紙を改めてビニール袋に入れ、セクストンはしげしげと観察した。
やがて、眼鏡の奥の目つきが鋭くなる。
「ヨウ素反応に似ている気がするな……。この紙、デンプンが含まれているの
かもしれません。仮にそうだとすると」
 セクストンはカラレナの手に視線をやった。
「あなたの手に、何者かがヨウ素溶液で字を書いたことになる」
「……心当たりがあります」
 意を決した風に、カラレナが言った。
「ケンツさんが亡くなったと報じられてから、色々な方が接触してきました。
その中に、ケンツさんと懇意にしていた占い師がいらして、私の将来を気にし
てくださったんです。そして今朝方、私の自宅に現れて、嫌な予感がするから
と手相を観てくださいました。そのときに、手のひらを清めると言って、極薄
い褐色の液体でなぞった……彼の仕業なんでしょうか」
「男の占い師ですか。名前は?」
「ラリー・ロレンス。でも、信じられません。あの方は、昔からケンツさんの
お知り合いで、互いに理解し合った仲に見受けられたのに……」
 カラレナの感想とは関係なく、その占い師の手配が行われた。
「そいつの行方も気になるが、まずはこの遺体の確認をせねばならん。カラレ
ナさん、あんたも同行願おう」
 急激に新たな展開を見せる事件に翻弄されるのを感じつつ、アーリントンは
警察車輌に乗り込んだ。こういうときこそ落ち着かねば。

 森の中は、晴れた日の昼でもなお暗く、肌寒いくらいであった。それでも迷
うような深い森林でなかったことが幸いし、カラレナの案内で意外と容易く、
目当ての場所にたどり着けた。
「ふむ。そっくりだ。いや、全く同じと言っていい」
 風景を遠くから眺め、便箋にある写真と見比べたアーリントンは、そう結論
づけた。
「だが、遺体がないぞ」
 首から上のない遺体の代わりに、地面が焦げたように黒くなっていた。
「まさか、焼却した?」
 セクストンが思い付きを述べると、アーリントンが「そんなことあるか?」
とほとんど否定せんばかりの疑問口調で返した。
「火を放って燃やしても、大のおとなの身体が、ほぼなくなるほどきれいに焼
けはしないだろう」
「ですねえ。となると、焼くには焼いたが、燃え残りをどこか別の場所に移し
たとか……」
 きょろきょろと、辺りを探すセクストン。アーリントンも同様にしようとし
て、離れた場所にぽつんと立つカラレナの様子に気付いた。走り寄って、どう
かしたのか聞く。
「気分が悪いなら、車で待っていてもらって結構ですよ」
「それはありません。死んでいたのがケンツさんかどうかを確かめるまでは、
ここにいます」
「じゃあ、どうして怯えたような態度を」
「竜の吐く炎で焼き尽くされたんじゃないかと、そんなことが頭に浮かんだか
ら……」
「……ご冗談をと言いたいが、あなたは魔術や魔法を肯定する立場でしたな。
竜の存在も信じていると」
「いえ、その、完全に信じている訳ではないけれど……こんな跡形もなくなる
なんて」
「あなたの手前、魔術を即否定することはやめておくが、この犯行が人間業で
あることはじきに証明されるでしょうよ。遺体を見つければね」
 きびすを返した警部の背に、「でも、ケンツさんは人にして魔術を……」と
いう呟きが届く。アーリントンは当然、無視した。
 黒く焦げた地面を中心に、辺りを捜索したが、小一時間が経っても何の発見
もなかった。やがて、捜査員の一人が腰を伸ばそうと天を仰ぎ見た、そのとき
だった。
「――警部! 何かあります!」
「何だって? 報告するなら、はっきり、明確に言え」
 怒鳴り返しつつ、その捜査員のそばまで寄ってきたアーリントン。若くて額
の広いその捜査員は、上方を指差しながら言った。
「あの木の枝のところ、大きな物体が引っ掛かっています」
「――言われてみれば」
 高さ二十メートルほどの木の中程から伸びる太めの枝に、比較的細い枝数本
が重なり、ハンモックのようになっている。そこへ四角い物体が載る、もしく
は引っ掛かっているのが影で分かった。
 早速、梯子が立て掛けられたが、充分な高さでなかったため、そこからさら
に身軽な捜査員が木登りした。そうした確認作業の結果、枝の上の物は、焼け
焦げた人間の身体であることに疑いの余地はなかった。
「こいつは……」
 降ろされた遺体を見るなり、捜査員の誰もがほぼ同じように絶句した。それ
ほど、遺体の損傷は激しかった。胸元から腹に掛け、三本線の深い傷が走って
いたのだ。
「竜の爪?」
 そう口走った若い刑事の頭を、アーリントンははたいてやった。
 十数分後、同じ木のさらに高い位置にある虚から、人間の頭部が発見された。
これまた強烈な炎に炙られたらしく、顔面は焼けただれており、一部は炭化し
ていた。
「これでは誰だか分からんな」
 アーリントンは片手で頭を掻いた。竜の炎に焼かれたと言い出す者は、さす
がにいなかった。

 連続する殺しに、捜査員らは振り回されたが、それでも丸一日が経過する頃
には、様々な事柄が分かってきた。
 枝や木肌には、何か固い物でこすったと思しき痕跡が、そこかしこに見られ
た。遺体を樹上に置いた方法は、魔術でも何でもなく、丈夫なロープを太い枝
に引っ掛け、滑車のように使ったものと推測された。大型の車が入り込んだタ
イヤ痕も、落ち葉に隠されていたが見つかっていた。単独犯だとしても、車を
使って牽引すれば、遺体の引き上げは可能ということになる。
「竜に見せ掛けて、急にしょぼくれたな。魔術らしさ全開のグラハンズ殺害は
魔術師ケンツの仕業。一方、ケンツ――と思しき男の殺害はグラハンズの知り
合いが、いかにも魔術らしく装って殺そうと頑張ったが、そこかしこに綻びが
生じた……こう見なせば、まあ合点は行く」
 会議の席で、アーリントンは私感を述べた。
 身元不明の焼かれた遺体は、男性であることしか分かっていなかった。立派
な体躯をしており、ケンツであってもおかしくない。トレードマークの白い手
袋をはめてはいたが、ほぼ燃え尽きており、布が皮膚に張り付いていた。指紋
も損傷が激しく確認が困難なため、他の方法による人物特定になるかもしれな
い。いずれにせよ、時間を要するのは確実だった。
「その割に、遺体の状態は猟奇的というか、呪いの生贄にされたみたいに、痛
めつけられていましたね」
 セクストンの指摘に、皆が頷く。遺体が焼かれていた点や頭部切断もさるこ
とながら、胴体の三本傷に関する詳細が判明したためだ。刃物あるいはかぎ爪
状の物で付けられたと思われる長い創傷が縦に三本あり、いずれも深く切り込
んでいた。不気味なのは、その傷から何かを突っ込み、内臓をかき回したよう
な痕跡も残っていたことだ。検死によると、焼かれたのは死後だが、傷を付け
られた時点で被害者は生きていたはずだという。
「これも、竜に食われたように見せたかっただけなんでしょうか」
「だろうな。遺体を木の上に置いた方法と一緒で、稚拙でばればれだが、死ん
だグラハンズが甦って復讐していると見せ掛けるため、精一杯の工夫なのだろ
う」
「警部の推理が的を射ているとしたら、犯人は魔術師やプロの奇術師ではなく、
手品ができるとしても、素人に毛が生えた程度がせいぜいの……」
「そう思わせるため、わざとへたくそにやったと考えられなくもないが、それ
にしては大掛かりすぎるな。そういや、ラリー・ロレンスとグラハンズのつな
がりは、まだ見つからないのか」
 ケンツと懇意だった占い師のロレンスが、実はグラハンズとも知り合いで、
今度の件でグラハンズを殺したケンツに、ロレンスが敵討ちした――というの
が現時点での警察の仮説である。仮説を捜査方針とするには、グラハンズとロ
レンスとの関連を実証しなければ、話にならない。
「まだ何も出ません。当人も行方不明で」
 ロレンスの身元を洗う任務を負う刑事二人の内、年嵩の方が立ち上がって答
える。
「それどころか、ロレンスという占い師、過去が手繰れんのです。記録が残っ
ていない。本名すら、依然として掴めません」
「現在の活動はどうなんだ。少なくともカラレナの前に姿を現すまでは、普通
に占い業をやっていたんだろう?」
「それはその通りなのですが」
 若い刑事に交代した。緊張気味の声で報告を続ける。
「ロレンスは一応、小さな店を構えているのですが、店舗の貸し主がいい加減
で、まともな身元確認をしていませんでした。店は不定休というか、いつ営業
しているのかが不定期なため、常に客で賑わっているなんてことはなく、たま
に開いている風だったとのことです。実際、訪ねてみたときも閉まっていて、
無人でしたし。ただ、評判はよかったみたいです。言葉は曖昧でも、大柄なロ
レンスが低くて渋い声で告げると説得力があると感じるらしく、それなりに当
たるってことになっていました。加えて、常連客にはフォーレスト・ケンツの
魔術ショーのチケットを進呈することもあったとかで」
「無料券とはいえ、宣伝みたいな形で協力していたのか。だったら、ロレンス
がケンツを殺すというのは、しっくり来ないな」
 早くも仮説が疑問視される。グラハンズ殺しともう一つの殺人は、同一犯に
よるものなのか、報復なのか。まだはっきりしない事件の全体像を掴むべく、
捜査陣を二手に分けることに決めた。城の事件をセクストンが、森の事件はウ
ェリントンという刑事が捜査を主導する。
 アーリントンは全体の指揮を執りつつ、グラハンズ殺害を優先して追う側に
入った。

 第一の事件関係者に再度の聞き込みを行う。その目的で、アーリントンとセ
クストンは車でヤン・フロイダーの職場を訪ねた。
 フロイダーの勤める研究所は、大企業お抱えで、それなりに潤沢な資金を与
えられているようだ。広い駐車場を見回すと、そう感じる。
「警部、マスコミの車が一台」
「本当だ。面倒だな。うん? あれは魔術師対決を企画だか支援だかした、雑
誌社の車だぞ」
 窓口に行き、用件を手短に伝える。応接室にすでに入っているから向かって
くださいと案内された。案内に従ってくだんの部屋に行くと、そこにはフロイ
ダーの他にもう一人、見覚えのある事件関係者がいた。テッド・メイムである。

――続く




元文書 #400 相克の魔術 1   永山
 続き #402 相克の魔術 3   永山
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