AWC 故郷の思い出(5)


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#395/598 ●長編
★タイトル (GSC     )  12/02/09  00:18  (161)
故郷の思い出(5)
★内容                                         12/02/09 08:45 修正 第2版

    兄【2】


 兄の思い出といえば川に纏わるものが多く、私の家の近くには幾筋もの川が
流れていた。近頃のようなヘドロと廃液のどぶ川ではない。土手には青々と草
が生い茂り、魚釣り・虫取り・蛍狩り、透き通った水の中では鬼ごっこ・舟遊
び・しじみ取り…、川は子どもたちにとってまたとない遊び場だった。


 私の家から50メートルほど坂を下った所に、幅1メートル・深さはやっと
膝までくらいの小川があって、近所のおばさんたちはこの川で洗濯をしたり
里芋を洗ったり、子どもたちは竹箕やたもや四つ手網で魚を取ったりした。
 小さな木の橋があり、ここから川に下りて水中に足を浸したり、川の中を
ザブザブと水しぶきを上げて遊び回る楽しさは今も忘れることができない。
 夏の夜は夕涼みや蛍狩り、秋は虫しぐれを聞いて川土手を歩いたものだ。

 この小川を下って行くと、やがて広い川に合流する。川幅は6、7メートル
もあろうか。急な流れが2箇所あって、ここは滝壷のように凄まじい水音が
聴こえ、私たちはこの辺りの川を『ドンドン』と呼んでいた。
『ドンドン川』にかかっている木の橋は壊れていて、所々板が抜け落ちている
ので、私はここを渡るのが怖く、いつも兄におぶってもらうか、一人の時は
四つん這いになって這って渡った。橋の下では岩を噛む烈しい水音が轟き、
今にも引込まれそうな恐怖を覚えたものだ。ところが満潮になると、水が
ちょうどこの橋の下まで満ちて来るので、滝の音は全く聞こえなくなって
しまうから、目の見えない私でも、水音によって今満ち潮か引き潮かが分かる
のだった。

 『ドンドン川』をさらに下って行くと『逢妻川』である。ここは2級河川だ
が川幅が広く、満ち潮の時には相当深い。私たちは逢妻川の本流を『ほん川』
と呼び、引き潮になると、しじみ取りや水泳ぎに行ったものだ。

 逢妻川の橋を渡って、遠く三河と尾張の国境まで来ると『境川』がある。
川幅では逢妻川よりさらに広く、ここはなぜかいつも水が塩辛かった。めった
にここまで遊びに来ることはなかったが、母の在所の御祖母さんの病気見舞い
に行く時、この橋を渡るのが楽しみだった。
 大潮の時など、川の水が全部なくなって所々水溜りが残っている中に、小鮒
やざりがにが取り残されているのを見回りながら、川底の砂を下駄でサクサク
踏み鳴らして歩いたものだ。


 境川を越えてもっと先まで行くと『五ケ村川』がある。ここまでは家から2
キロもあるのでほとんど出掛けないが、やはり御祖母さんを見舞いに行く時に
はこの橋の上を通る。

 五ケ村川については一つ思い出すことがある。
 一番上の兄が、会社から帰って来るなりこう言った。
「五ケ村川の橋の下にツボ(田螺)が一杯いるから、二人で行って捕って来い
よ」
 明くる日私と下の兄は、乳母車にバケツを積んで出掛けた。
 熱い夏の日盛り、やっとその橋の下に来てみれば、なるほどツボがびっしり
川底一面に沈んでいる。ところがこれを掬い上げてみてがっかりした。どれも
これも中身は皆からっぽだったのである。おそらく付近の人が、たんぼで拾っ
たツボを食べて、その殻を橋の上から捨てたのが積もり積もったものだろう。


 私の村には他にも幾つかの川があり、それぞれ思い出は尽きない。
 逢妻川に平行して流れているのは、何と言う川か名前は知らないが、その橋
の袂に『よしろうさ』の家があり、門口に石の地蔵さんが祭ってあって、その
前を通る度に拝ませてもらった。
 ここは急な坂道になっていて、幼い頃、この川の橋が落ちて、馬が馬車もろ
とも川に転落し、引き上げ作業を見物に行った記憶がある。その後暫く橋が壊
れたままになっていて恐ろしかった。

 兄がやっと自転車に乗れるようになった頃、私はよく荷物台に乗せてもらっ
たが、時々転んでは投げ出されたものだ。
 兄の自転車が大分上達したので、ある日のこと、逢妻川のほとりを一蹴して
来ようということになり、私は例によって荷物台に股がり兄の肩につかまっ
た。
 煙草屋の四つ角を右に曲がって100メートルも行くと、そこから急な下り
坂になり、普段父が私を乗せてくれる時には、自転車の歯車が快適な音を響か
せつつ風を切って進み、よしろうさの下の川から逢妻川の橋もアッと言う間に
走り過ぎる。
 その坂を今日は兄が私を乗せて凄いスピードで下り始めた。怖い! 橋から
落ちたら大怪我をするか溺れてしまう。私は身を縮め体を硬くしたが、突如、
自転車が左の方へスウーッと流れ、まっさかさまに沈んで行った。
「アアアーッ!」
 私は思わず知らず大声で叫んだ。
 が、自転車は川にも落ちず、欄干にもぶつからずに、逢妻川とよしろうさの
下の川との間の細道へスイスイと曲がって行ったのである。正にジェットコー
スターのスリルだった。
「てっきり川ん中へ、まっさかさまに落ちたのかと思ったよ。」
 と言ったら、兄は愉快そうに笑った。


 『健さんの下の川』というのもあり、この川にはドッチ(スッポン)が
いて、「尻を抜かれる」と言って子どもたちから敬遠されていたので、水の
中に入ったことはない。

 ある日、父が心臓病の全快祝いに、おこわ(赤飯)をふかし、親類の土浦
さんの家へ持って行くように私に言い付けた。
 盲学校の寄宿舎に入ってからはあまり行かなくなったが、小さい頃、よく
飛び回って遊んだ区域である。私は風呂敷包みの重箱をぶらさげ、走って土浦
さんの家まで行った。目測で右手の露地へ入ろうとしたら柵がゆってある。
「こんな柵なんか跨いで、畑の中を斜めにつっきったほうが近道だ。」
 私はそう考え、反射的にその柵を跨いで向側へ乗り越えた。と、足が空を
踏み体が宙に浮いた。
『ア、しまった! これは川だ! 柵だと思ったのは橋の欄干だ。』
 片手で素早く欄干にぶらさがったが、重力で勢いがついているから、とても
腕の力では支えきれない。
 手が離れる瞬間、次のような考えが頭の中を駆け巡った。
「もしこの橋の下が水だったら、俺は泳げないから溺れて死ぬ。しかし水が浅
ければ助かるだろう。今は満ち潮なのか引き潮なのかが問題だ。また、もしも
下に岩でもあったら頭を打って命が危ない。水か岩か? 水か岩か? 水か岩
か?…」
 私は体をできるだけ縮め、背を丸めて、肩ぐちから落下した。橋から下まで
4メートルはあったそうだが、落下時間にすれば僅かなもので、その間あんな
にも色々な考えが浮かぶものだということが分かった。
 そしてついに、ドッボーンと言う凄まじい水音とともに私の体は川底深く
沈んだ。
「アア、いけない! 溺れる!」
 落ちた勢いで横たわったままかなり深く沈んだが、立ち上がってみると水は
首までしかない。
「助かった!」
 私は川の中を歩き出した。
 ところが水は段々深くなって、顎を越え、口の所まで来た。

 むてっぽうな私はそれでも引き返そうとせず、背伸びをして爪先で砂を蹴る
ようにしながらさらに進んだので、水が鼻までかぶった。
『もう駄目か!』
 が、そう思った次の瞬間、直ぐに浅くなり、水面はたちまち胸から腰の高さ
になって、私は川から対岸へ這い上がったのである。
 川幅が狭く流れが緩やかだったから足を取られずに済んだのだが、いずれに
しても目が見えていたらこんな危ないことにはならなかった訳だ。

 家に戻って父に事の顛末を話したら叱られたが、買ったばかりのズボンは
破れ、左腕と足にひどい擦り傷を受けてしまった。
 時に、赤飯はずっと手から放さずしっかり持って帰ったが、それをどう処分
したのか覚えていない。


 兄は魚釣りが大変好きで、釣り竿を何本も担いでは川原へ出掛けて行った。
私は浮きの動きが見えないし、餌を付けた釣り針を遠くまでうまく投げること
ができないので、釣りには興味がなかったが、兄は毎日のように私を誘うの
だった。兄も自分一人よりは、私を側にはべらせて、何やかやと話をしながら
釣りをしたいのである。
 夏は炎天下、冬は木枯らし、魚は一項に釣れず退屈でたまらないので、何故
こんなことが面白いのか私には理解できなかった。

 それで私は退屈凌ぎの知恵を搾り、ある時は川岸の草を奇麗に毟って小さな
空き地を拵えたり、またある時は石垣の石を積み並べて家や城を築いてみたり
した。兄はたまにしか釣れない獲物に期待をかけ、私は大して捗りもしない
草毟りや石積み作業に念を入れるのだった。
 辺りはしんと静まりかえって、瀬音に混じって時々魚の跳ねる微かな水音が
聴こえ、兄が釣り針の餌を付け換えて川の中へ投げ込む音がヒュウーッと
響く。
 のどかな田舎の川縁の風景が、今は懐かしく思い起こされる。

 そうしたある日、二人は〈魚釣り野球ゲーム〉というのを思い付いた。
即ち、釣れた魚の種類や大きさによって野球の試合をさせるのである。
 竿を上げた時、魚が何もかかっていなければアウト、おまけに餌がなくなっ
ていたらダブルプレー、はぜが釣れたらシングルヒット、小鮒やもろこはツー
ベースヒット、並の大きさの鮒ならスリーベースヒット、そして大きな鮒や
なまずやぼら・そのた大物ならホームランであったろうか。
 ともかく、二人が共通に楽しめるゲームと言うことで大いに満足したものだ
が、この魚釣りゲームも、たった2試合行なっただけで終ってしまった。それ
というのも、兄は中学を卒業すると直ぐ奉公に出てしまい、私が春・夏・冬の
休みに帰郷しても、家には父しかいなくなってしまったからである。








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