◇フレッシュボイス2 #1369の修正
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★内容(1行全角40字未満、500行まで)
昔、『推理日記』(佐野洋 講談社文庫)の何巻かで読んだんですけど、佐野洋と都 筑道夫の論争だったかな? 違う気もする。今その本が手元になく、記憶頼みで書いて いまして、間違っている可能性が大です。申し訳ない。 それはともかくとして。 一時、「推理小説は人間を描けていない、大の大人がトリックを用いるのが児戯的 だ」みたいな主張がまかり通った頃があったみたいで、そういった背景がある中での議 論。「人間を描くことでその登場人物が案出してしかるべきトリックが自ずと決まる。 そのトリックを用いれば決して児戯的とは言えないはずだ」みたいな主張がありまし た。読んでいて、「そりゃあ一つの理想型かもしれないけれども、そんなことを徹底し たらトリックが分かった時点で犯人も分かってしまうことになるなあ」と思ったもので す。倒叙推理ならまだしもなんですけど、謎を終盤まで伏せるオーソドックスなタイプ の推理物だと厳しいなと。 これと似た論争で、推理作家は名探偵(シリーズ探偵)キャラを持つべきか否か、と 言うのもありました。シリーズ探偵を抱えて人気が出ると、そのシリーズ物の注文ばか り入るようになり、ワンパターンに陥りやすくなる。さらに量産を迫られるようになる から、探偵のキャラや物語に合ったトリックを作る余裕がなくなってくる。結果、そぐ わないと分かっていても、ストックしていたトリックをシリーズ探偵物に無理にはめ込 んで作品を書くことになってしまう……という主張を佐野洋側がしており、それなりに 納得したです。シリーズ探偵物に合わせて目新しいトリックをばんばん案出するのが理 想ですけど、実際にはそう簡単にいかないでしょうから。 というように、推理小説において、トリックが先か物語が先かはたまたキャラクター が先かという議論は前々からあったようですが、結論めいたものが出たという話は聞き ません。個人の好きなやり方で書く、ということに帰結してしまうからかな。 ではでは。
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