●連載 #1078の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
● 45 ここで又2011年3月26日の深夜の斑尾マンションの管理室に戻る。 鮎川は『ビートルズ殺人事件』を熱心に描いていたのだが、机の上の目覚まし 時計が2時半になって、カチッと音を立てたので、我に返った。 24時間管理員は、3時に新聞屋と通す為に、この時間に一度起きるのだった。 鮎川は防犯カメラの所に行くと、駐車場屋上だのマンション外周だのを表示して、 屋外の様子を伺った。街灯の差している所だけ雪が舞っているのが分かった。 それから鉄の扉を開けると実際に外を見てみた。既に数センチ積もっていた。 寒みぃー。 ぶるっとして扉を閉めた。冷気に反応してエアコンが動き出した。 腹が減った。 鮎川は防災盤の中に隠してあった鍋を取り出すと、キッチンコーナーでレトルト のスパゲティ・ミートソースを温めてた。ココアも入れた。 それらを食べながら、ネットでAKBの柏木を見る。 大沼の紹介してくれた日系人とやればこういうのには興味がなくなると思ったが、 それとこれとは別だった。 スパゲティーを完食して鮎川はゲーっとゲップをした。 アイホンが馬鹿でかい音で鳴った。 防犯カメラを見ると、新聞屋が3人、風除室のアイホンに張り付いている。 鮎川は防災盤の所に行くと、ボタンを操作して自動ドアを開けてやった。 自分もフロントに出る。 入って来るなり新聞屋が怒鳴り出した。 読売 : 一体どういう事なんだよ。 鮎川 : 雪のこと? 読売 : 斉木だよ、斉木。誰か知らないのか。 毎日 : 斉木はペルー人と結婚する予定だったらしいぜ。 読売 : じゃあ何で撃たれたんだよ。 毎日 : 朝日が詳しい。 朝日 : どうも斉木さん、女の写真を流出させたらしんだよ。 読売 : ネットで? 朝日 : いや、A4のファイルに入れて持ち歩いていたらしい。 読売 : なんでそんな事したんだよ。 朝日 : 自慢したかったんじゃないの? 俺はこんな女とやっているんだぜー、 みたいに。その内、当局の知る所となって、映画館が手入れを食ったって話だよ。 それで4人もたいーほされて、一人当たり300万の借金があったから3×4で1, 200万払えって言われたらしい。 読売 : 誰に? 朝日 : あいつらのボスだろ。 読売 : それって男の日系人かよ。 朝日 : そうだろう。 読売 : そんな奴らの言いなりになっているのかよ。 朝日 : 拒否ったら撃たれたんだろう。 読売 : 全く、そんな奴ら、追放してやればいいんだよ。 朝日 : そういう訳には行かないだろう。 読売 : 何で。 朝日 : だって、これだけ物が入って来ているんだから人だって入って来るよ。 この新聞紙だって南米の熱帯雨林から出来てんだから。 読売 : おめー、そんな事考えながら新聞配ってんの? おめーはどうなんだ よ。 毎日 : 女だけなら入れてもいい。 読売 : おめーはユニークだな。 朝日 : とにかく早く配っちゃわないと。雪がどんどん積もるし。朝になって 固まるとワダチになるんだよ。さっきもハンドルを取られそうになった。 読売 : 鮎川ッ。雪かきしておけよ。 鮎川 : はい。 そして新聞屋は居住棟に入っていった。 ●46 翌朝、明子と井上はジムニーでマンションに向かっていた。 大粒の雪がフロントグラスに落ちると、すぐにワイパーが拭いて行った。 歩道には真綿の様な雪が積もっていた。 カーラジオからは天気予報が流れていた。 「日本付近は、冬型の気圧配置が緩み始めており、朝鮮半島から山陰にかけて弱い 気圧の谷が発生しています。この影響で、妙高山を越えて雪雲が流れ込んでおり、 野沢温泉地方では大雪になっています。午前8時現在の積雪は野沢温泉で52セン チ、小谷で44センチ、飯山で37センチ」 ジムニーをマンションの駐車場に止めると、二人は傘も差さずに正面玄関に回っ た。 入館すると鮎川がフロントに突っ立って居た。 明子は、コートの雪を手袋でぱたぱた払いつつそっちに行く。 「まぁ、凄い雪だこと。鮎川ちゃん、そこの内側に、私のICレコーダーがあるん だけれども、取ってくれない?」 「これですか」鮎川は見付けると渡してきた。 「あんがと」 二人は、居住棟に入り、エレベーターに乗って、4階のAMの事務所に向かった。 部屋に入ると、電気をつけ、エアコンを付ける。 「コーヒーにする? ダージリンティーもあるよ」明子が言った。 「じゃあダージリンティーで」 2人は応接セットで紅茶をすすりながらICレコーダーを再生した。 夜中の新聞屋の会話がそっくり録音されていた。 テープを聞きながら、新聞にも気質があるのだ、と明子は思った。 それはこんな感じだった。 イルカ − イタチ 毎日 − 朝日 ―――――・――――― 石臼 − ラクダ 読売 − 左下はサンケイだろうか、と思う。 そんな事より、「斉木さんって、日系人のボスに撃たれたって言われているけど、 警察に言わないとまずいんじゃない?」 「そんな事をして、僕らがちくったみたいに思われないだろうか」 「ら、って言わないでくれない?」 「だって、テープを仕掛けておいたのはそっちじゃない」 「そうだけど、管理主任者はそっちなんだから」 ふーと大きくため息をつくと、井上はソファに身を沈めた。「会社に電話してみ よっと。警察OBが居るから」そしてスマホを出して掛けようとしたが、「今日っ て土曜だよな。休みか」と言うとがっくり肩を落とす。 「大沼さんに聞いてみるかしかないよ。もうすぐ引継ぎが始まるから」 フロントに下りていくと、二人は管理室を覗いた。 引継ぎはまだ始まっていなかった。 ホワイトボードの前で、大沼が鮎川に何やら言っている。 日系人の話でもしているだろうか。 榎本は何時もの様にドア付近で何事にも関わるまいと背中を丸めている。 蛯原は居なかった。 ほら、行ってきな、と、明子は井上の目を見ながら顎で命令した。 井上は咳払いをしてノドの調子を整えてから、ホワイトボードの方へ進む。 「大沼さん」 「ん?」 「ちょっと言っておきたい事があるんですけど」 「なんや」 「大沼さん、日系人の女性と付き合っているらしいけど、時間外に何をやろうと勝 手ですけど、職場に持ち込まれるのは迷惑なんで、止めてほしいんですけど」 「おお、分った、分った」 「じゃあ、宜しくお願いします」 言うと井上は戻って来た。 「それだけ?」明子は目を丸くした。「もっと詳しく聞いて、対応しないと」 「馬鹿を相手にしたってしょうがないよ」 「だってその馬鹿が今、問題を起こしているんじゃない。今のじゃあ、お互いの人 生を歩みましょう、って言って来た様なものじゃない」と言いながら明子は管理室 の中を見た。 「私が聞いてくる」言うと明子は大沼の所に歩み寄る。 「大沼さん」 「ん?」 「前に飯山の駅で抱きついていた女性なんですけど、あの人ってどういう人なんで すか?」 「恋人や」 「恋人?」 「そうや。この歳になっても、惚れられるって分かったよ」 「は?」 「夜勤明けは、駅からアパートまで走って帰るんやで、早く会いたいから。あの気 持ちに嘘はないで」 それから大沼は、自分が留守中に掃除がしてあるのだが本棚の本が上下あべこべ になっている、だの、味噌汁の出汁に鶏の足を使うだの言う。 「自分の気持ちは嘘はない。もし間違っていたなら、そう思わせた世界に責任があ るんや」 「それって、世界の中心で愛を叫ぶ、つーか、自己ちゅー? つーか、大沼さんの 気持ちなんてどうでもいいんですよ。今問題にしているのは入管法とか売春防止法 とかなんですから」 ここで、知らない間に入って来ていた山城が言った。 「大沼さんよ、溺れちゃあいけないよ」 「なにぬかしとんねん。お前かて、あの映画館で遊んでたやないか。そんなのに、 自分ちの田んぼには入ってくるなってか」 「味噌と糞とを一緒にするなよ。米にかけていいのは塩だけだ。油で炒められてた まるか」 「お前んちのお節料理かて、みんなペルー人が水産加工の工場で作っているんや で」 それを聞いていて、明子は自分が石油缶の蓋みたいに、ぺっこんぺっこんするの が分かった。 というのも、ついさっきまで、大沼など、例えば、チリ人妻を手引きする迷惑な おっさん、という感じだったのだが、ここで山城が登場すると、こいつこそ、清く 清くと言いつつ汚れたオヤジ、と思えて来るのであった。 うーん、と唸っているところに、今度は蛯原が入ってきた。 「井上さん、ちょうどいいところにいた。今、山城さんに雪かきを手伝ってくれっ て頼んだんですけど、全然聞いてくれないんですよ。お前に使われているんじゃな いって言って。井上さんから言ってもらえないですかねえ。これだけ雪が降ってい るんだから。 これ、どんどん積もりますよ。このままだと、屋上のスロープから車が滑り落ち て、一つ下の階の車にぶつかりますよ。そんな事になったら管理会社は関係ないな んて言ってられないですよ。そりゃあ確かに自然災害は関係ないってなっているけ れども、ゲレンデ直結のリゾートマンションで雪対策が出来ていないんじゃあ、そ もそも規約がおかしいって言われますよ。都内のマンションの規約を写してきたん じゃないかって言われますよ」 「そういうのも含めて、ぜーんぶAMでやってくれないかなぁ。全部一括でお願い しているんだから」と井上。 「そんなん、言っている間にもやってしまった方が早いん、違うか。これだけ人数 いるんやから」と大沼が言った。 「そうだなあ」言って蛯原は辺りを見回す。 榎本、蛯原、井上、高橋、山城、鮎川、大沼が居る。 「そうしたら、あんた、誰がどこやるか、決めてんか」 蛯原は、ホワイトボードに進み出ると、水性マーカーを取った。さっさっさっと、 マンションの周辺図を描く。 「じゃあ、正面は鮎川ちゃんがだいたい終わらせてあるから残りは榎本さん。それ から、鮎川ちゃんと俺でマンション東南の歩道。井上さんも手伝ってくれるの?」 「いいですよ」 「じゃあ井上さん、大沼さんと、高橋さんも手伝えたら、3人でサブエントランス 周辺を。集積場は清掃がやるだろ」と山城を見る。 じゃあ全員で取り掛かろう、と管理室から出て行くのと入れ替わりに泉ちゃんが 凸っぱちを覗かせた。 「私の事、呼びました?」 「泉ちゃん、こっちこっち」と蛯原が手招きする。そしてNTT盤の前に置いてあ る石灰の袋を示しつつ、「あれを、駐車場屋上のスロープに撒いておかないと。そ うしないと大変な事になるから。流しの所にバケツがあるからそれに入れていって、 撒いておいて」 ●47 大沼を先頭に、井上、高橋と、手に手に長い柄のついたプラの雪かきを持って、 サブエントランスに向かう。 歩きつつ、明子は、人間のメモリにもタイプがあるのではないか、と考えていた。 例えば、さっきの管理室の自分は何なんだろう。大沼を見ればチリ人妻を連想し、 山城を見れば水産加工会社のペルー人を連想する。大沼や山城がどうこうではなく て、それぞれがトリガーになって、過去の記憶がぼろぼろ出てくる。これは丸で、 エクセルみたいなファイルでキーワード検索して、その行に書かれていた記憶が蘇 る様な感じである。 自分に比べて大沼はどうなんだろうと、明子は先頭を歩いている大沼を見た。 あの人は、自分の感性を疑わない、つーか、確かに自分はそう感じたんだからと、 その通りにハード、周辺機器を動かそうとする。つまり、ドライバみたいなものな んじゃないのか。明子の記憶が、空想的なものなら、大沼のは、粘着というよりか は粘膜という感じがする。ナメクジって粘膜むき出しでのろのろ移動して行くが、 その道だけを世界と思うなら、自分と世界とは粘膜越しに張り付いている訳だから、 リアルといえばリアルだ。 山城のはメモリというか、プロダクトIDとかシリアルナンバーみたいなものな んじゃないのか。大沼あたりが長い長い自己の経験から何かを言うと、山城は、そ の経験は純正品じゃないと判定して駄目出しするという感じ。だからこの手の人が 何かを語っても、それは自分の経験ではなくて、世の中にある臭ーいものに反応し ているだけだろう。あれも臭い、これも臭いと拒否って行って、残った箇所が彼の 求める清い部分なのだ。 そして、蛯原は、キャッシュだな。まさに今の出来事に反応しているだけで、事 態が収束すれば全てを忘れる。 それを図にすればこんな感じじゃないのか。 動的 − 小 ポール(蛯原) −ジョン(明子) 大 は キャッシュ −エクセル は 量 刹那主義 −解釈学 量 の ――――――――・―――――――― の 憶 リンゴ(山城) −ジョージ(大沼) 憶 記 プロダクトID −ドライバ 記 排他主義 −歴史主義 − 静的 右上から左下へのラインが環境主義的で、その逆が解釈学的な感じがする。 そうすると、こういう4人がコミュニケーションを取るという事は可能なのかと も思う。だって、自分に何か言われても、エクセルシートのその行がアクティブに なるだけだし。大沼なんて自分の歩いてきたナメクジ的足跡しか世界がないのだか ら、例えば大沼と井上が話したとしても、お互いに紙芝居を見せ合っている様なも ので、自分の意見やら考え方が変わるという事はない。山城に至っては家紋に向か って話している様なものだ。そう言えば、リンゴ・スターの家には、祖父以外には 誰も座ってはならならない、何故ならそれは祖父の椅子だから、という椅子があっ たという。格とか筋合いを大事にするのだろうか。 あと、蛯原は話した瞬間はコミュニケーションが取れたとしても、電源を落とせ ば消えるんだから。 だから、そもそも人間が繋がるという事は出来ないんじゃないか、と明子は思っ た。 ●48 サブエントランスに到着すると、先頭の大沼が言った。 「ここらへんは駐車場の影になっているやろ。西日で溶けて翌朝、又凍結するんや。 まー、今やったところで、今夜遅くまで降るっていうから意味ないが、人が歩く所 だけでもやってしまうか」 そして、出口付近の雪かきを始めた。 明子が井上に言った。「私、雪かきしながら、なんとなく大沼さんに聞いてみ る」 「なにを?」 「だから、斉木が撃たれた事とか」 「ほっときゃあいいよ。昼には警察がくるし、大沼と一緒にICレコーダーを渡す から」 「でも聞いてみる」と大沼を見る。 柄の長い雪かきで作業をしている姿は、酪農家が牧草でもつついているように見 える。 明子は大沼の背後に行くと雪かきを始めた。 「大沼さん」 「なんや」大沼も雪かきしながら返事をした。 「さっきの続きなんですけど、その日系人って結局どういう人なんですか?」 「だから、恋人や」 「恋人といっても日系人でしょう?」 「そうや」 「それって、怪しくありません?」 「何で?」 「だって、集団で売春をしていたり、斉木さんを撃ったりしたんでしょう?」 「斉木君の事は知らないけど、売春なんて昔はみんなやっていたんやろ」 「昔はともかく、今やっていたらまずいでしょう」 言っている内に飯山で見たカミーラの姿が脳内に蘇ってきた。 ファー付きダウン、きつきつのGパン、厚底ブーツ、ケバい化粧…。あんな如 何にもな格好に萌えるのだろうか。 「大沼さんって、あの人の事、好きなの?」 「愛しとるがな」 「何で?」 「いい女だから」 いい女だから萌える、というのに明子は驚いた。 自分だったら、飢えているから萌える、とか思うんじゃなかろうか。 石臼だったら、みんながいいと言っているから萌える、とか言いそうだ。 イルカだったら、そのポーズがいいから萌える、とか。 愛が何に由来しているかをまとめるとこういう感じになるのではなかろうか、 と明子は思う。 イルカ − イタチ 性行動への反応− 私の欠乏 ―――――・――――― 石臼 − ラクダ 社会の欠乏 − 異性への反応 そうに違いない、オスに限って言えば。 明子は、雪かきを雪の塊に突っ立てると、柄に両手を乗せて大沼を見た。 大沼が「俺がいいと思っているんだから、そう思わせるだけの何かが彼女には あるんやでー」と言いながら振り返った。 そして、ばさーっと両手を広げた。丸で怪人20面相がマントでも広げるよう に。 ところがそのまま我が身を抱きしめる様に丸まると、その場に倒れこんだ。 「うううう」とうめいている。 「ひゃーっ。大沼さんが倒れた」明子は後ろを振り返った。 井上が駆け寄って来る。 何故かサブエントランスの外側からは蛯原が走って来た。 途中でタバコを投げ捨てると、蛯原はかがみ込んで、「心臓か」と言った。 「息が苦しい」と言う大沼の顔がみるみる青ざめて行く。 「鼻からゆっくり吸ったらいいよ。しゃべるな。少しは楽になるだろう」 大沼は微かにうなずいた。 井上がコートを脱いで「これ、頭の後ろにでも敷いたら」と言う。 「いや、ここだと冷えるから、サブエントランスに連れていこう。二人で抱えるか。 井上さん一人で抱えられる?」 「どうやって?」 「お姫様だっこみたいに」 井上がだっこしてサブエントランスの風除室に連れて行くと蛯原がコートを敷い てその上に寝かせる。 と、ここまでの一連の流れを見ていて、蛯原って頼りになるじゃん、と明子は思 ったのだが。 しかし、蛯原が、ベルトに通した携帯ケースから、さっそうと携帯を取り出して 119番して、 「こちらは斑尾マンションです。住所は飯山市斑尾高原**番地。目標になる公共 施設等は斑尾高原スキー場のゲレンデです。これは火災ではなく救急車のお願いで す…」 というのを聞いている内に、又又、エクセルみたいに、かつての記憶が検索され て、脳内に、所長が倒れた時の119番通報のシーンが蘇って来た。 「あの時の蛯原は、まるで、スーパーベルズの京浜東北線の歌、みたいな白々しさ があった」 そう言えば、これは榎本から聞いたのだが、福島原発の事故の当日にも、竣工以 来一回も使った事のない、全館緊急放送を使って、 「居住者の皆様にお知らせいた致します。温泉が沸きました。オンセンが沸きまし た。本日、通常通り営業致します」と放送して、 「何か重大な発表があるのかと思えば温泉が沸いただと? ふざけるな」と居住者 に怒鳴られたという。 「もう、張り切っちゃっているんですよォ」と榎本は言っていたが、今も張り切っ ちゃっているだけなのではないか。 ●49 救急車は約20分で到着した。隊員は大沼をストレッチャーに乗せて格納すると、 一人は運転席で病院に連絡し、一人は大沼をケアし、一人は外に突っ立っていた。 ここまではスムースに運んだのだが、しかし、行き先がなかなか決まらない。ど こかの病院に連絡をすると10分ぐらい待たされてから「今、他の救命救急をやっ ているから」と断られ、又別の病院に電話すると又10分ぐらい待たされてから 「今日は呼吸器循環器の専門医がいない」と断られ。 だんだん蛯原がいらついて来る。 そして外にいた隊員に絡み出した。 「なんで、一箇所ずつ電話してんだ。いっぺんに電話して受け入れられる所に行け ばいいじゃないか。 それに、何でお前らマスクしているんだ。顔を隠しているのか。公務員には肖像 権がないんだぞ。それとも、自分だけ冷たい空気を吸わないようか。患者から病気 がうつるとでも思っているのか」 「これは、我々がハブになって感染を広げないようにしているんですよ」 「じゃあそのゴム手袋はなんだ。一回ずつ交換するのか」 「そういう訳には」 「やっぱり自分を守っているんじゃないか」 運転席の隊員が後ろの隊員に何やら言っている。 蛯原はとんとんとガラスを叩いて中の隊員に言った。 「おい、何時まで待たせる気だ。こんなの、心筋梗塞、脳梗塞だったらとっくに死 んでいるぞ」 オレンジ色の毛布に包まって安静にしていた大沼がギクッと目を見開いた。 そして自分で尻のポケットから財布を出すと、診察券を取り出して「ここに連れ ていってくれ」と言った。「何時もそこにかよっているんや」 「なんだ、診察券持っているのか。ここだとちょっと遠いけれども、普段診てもら っているんだったら、ここに行きましょう」と救急隊員が言う。
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