●長編 #0552の修正
★タイトルと名前
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
五 午後十時過ぎ、脳波にシータ波が現れ始めた。青年はようやく眠りに 入ったようだ。彼の言う通りだとすると二時間後には夢が見られるだろ う。 隣の部屋は青年が寝やすいように、観察できる最低限の明るさにして ある。 滝田はまだ何も映さないモニターをじっと見つめ、息をひそめて彼の 眠りが深まるのを待った。 十一時を少し過ぎた。立ち上がり、脳波計を見る。デルタ波の状態へ と移行しつつあった。深い睡眠状態だ。 滝田まで眠くなってきた。首を激しくふり、両手で頬をたたく。 何かを待ちつづけるというのは、根気のいる作業だ。やたらと腕時計 をのぞきこむ。九十分をすぎたが、何も起こらない。 十二時二十分、今日はもう無理か、と思い始めたその時、大型モニタ ーの画面がゆっくりと明るくなっていった。砂嵐のような画面が現れ、 何かの像をむすび始めた。 上半分が黒、下半分が灰色に分かれ、徐々にどこかの風景であること が分かってくる。それは、夜の砂漠のようだった。だがそうではあるま い。青年は、最近は月の夢ばかり見ると言っていた。これがそうなのだ ろうか。 青年の夢もまた、カメラで撮影する風景のようだった。視線は右の方 へと動いた。白い板が四本の脚に支えられている。クレーンがつり下げ た銀色の巨大な筒をそのテーブルの上に降ろそうとしている。二人の人 間らしきものが運転席に向かって合図を送っている。大きな四角いバッ グを背負い、ヘルメットをかぶった白っぽいそれは、一見ロボットのよ うだがおそらく宇宙服を着た人物なのだろう。 青年は傾斜の上の方にいて、彼らを見下ろす形になっている。 風景がそちらの方に向かって移動し始めた。だんだんと二人に近づい ていく。 「すべて順調だ」 突然スピーカーから声が聞こえた。乾いた、電気的に変換されたよう な声だった。倉田志郎が聞いている音声だ。 「着陸船は二時間後には出発できるだろう」と男は言った。「三時間後に は輸送船とドッキングだ」 たぶんもう一人の人物に話しかけているのだろう。男達は青年の方を 向かない。 青年は、それが未来の風景だと言った。しかし滝田にはまるで映画か ドラマの一シーンのようにしか感じられなかった。 「念のために第二タンクのチェックをもう一度やっておこう」と、もう 一人の男が言った。 二人の会話は滝田にはチンプンカンプンだ。青年には理解できている のだろうか。というより、今この二人を見ているのは青年自身なのだろ うか。それともアバターなのだろうか。二人は彼に気付いていないよう だ。 「もうそろそろ交換した方がいいかもしれないな」 画面が二度瞬いた。 「誰に……だっけ?」 「ああ……言えば……」 声がとぎれとぎれになってきた。画面がだんだん暗くなっていく。夢 の終わりだ。 「じゃ……任せた」 風景が静かに消えていった。 六 滝田は自販機で缶コーヒーを買い、自分用に所長室でカップに注いで ベッドルームに戻ってきた。 「どうでした? 撮れましたか」 手帳にメモを取り終えた青年ははつらつとした顔で言った。夢は見た 直後でないと忘れてしまうから、習慣になっているという。 「ああ、ちゃんと録画してある。見るかい?」 滝田はベッドに腰掛けた青年と向かい合って座った。滝田がアイスコ ーヒーを渡すと青年はうまそうに飲んだ。滝田も一口すする。 「また今度にします。早く帰らないと母が心配するんで」 いい子だな、と滝田は思う。 「私は君が寝ている間に見たけど、なんだかよく分からないな。ありゃ いったいなんだい?」 「ああ、月の土を火星に持ってくんですよ。火星基地の建設計画がスタ ートしてるんです」 青年はこともなげに言った。 「いったいいつの話だい? 何世紀頃なんだろう」 「さあ、何年かはまだ聞いたことがありません。ただ、そんな遠くの未 来の話ではないと思いますよ。おそらく二十年後くらいだと思います。 たぶんそのタキタという人物は……」 「何だね?」 思わず身を乗り出す。 「いや、やめときましょう。第六感ですから。それに、僕は先生自身の 目で確かめてほしいのです」 なんて奴だ。もっと夢見装置につないでほしくてかけひきをしている のだ。だが、滝田はそれ以上問い詰めるような真似はしなかった。 「僕は先生が心配しているようなことはしませんから、安心して下さい」 「私が心配してること? さあ、なんだっけ」 「僕が未来の歴史を変えてしまうことです」 たしかに、過去を変えるのは重大だが、未来の歴史を変えるのも問題 だ。 「しようと思ってもできないんです。僕は、夢の中でしゃべれません。 ものにもさわれません。夢の中の人物は、僕を見ることができません。 魂みたいなもんですよ」 未来を見る者。それは大変役に立つ。もしあの映像が本物であるのな らば、将来の様子を現在の者達に伝える役目を果たす。だが、このビデ オもまた闇に葬り去ることになるだろう。もし公にすれば、倉田志郎は どんな目にあうか分からない。 「月に進出した人類だって言ってたね。ところが今度は火星に行くんだ という。あと、二十年で。宇宙開発はもうそんなに進んでいるんだろう かね。僕には信じられないけど」 青年は握った缶コーヒーを見つめたまましばらく身動きしなかった。 「分かりません。ただ、あれは実際に見てきた風景ですから、将来ああ なることは確実です。先生は予知夢だと言いましたけど、ちょっと違い ます。僕は予知なんかしていません。つまり、どう言ったらいいのかな」 青年はりりしい眉を少しゆがめた。「あれは、行って観察してきた事実な んです」 二十年も先の話だが青年にとっては既製の事実なのだ。 もちろん、それはまったくのでたらめなのかもしれない。ごくごく近 い将来については、確かに青年の言う通りになった。しかし遠い未来は、 青年が言ったように、証明することができない。 「夢で見るのはあのクレーンだけかい?」 「いえ、月にはもう立派な基地ができていて、着々と開拓の計画を進め ています。僕も何度も出入りしています。僕は見たり、聞いたりできる だけですけど。もうあと十年もすれば、一般の人も月に住めるようにな るみたいですよ」 やはり、青年にとっては既製の事実なのだ。彼の言う十年後は滝田に とっては三十年後だ。 こんなに科学の発展が停滞しているのに、たったそれだけの期間で地 球人が月面に移住するようになるのだろうか。滝田は、たまに帰ってく ると自分が手をつけ始めた宇宙開発事業の自慢をする長男の言葉を思い 出した。 「これからは宇宙の時代だよ。狭い地球から飛び出そうっていう時にさ あ、親父みたいに人が寝ているとこばっかり研究してちゃだめだよ」 ニュースでは静止軌道上の人工衛星が過密状態になっていることが問 題になっていると報道されている。はるか上空で組み上げられた宇宙ス テーションは十基もあり、それこそあと八年後には人が住めるようにな るという。だから結構早いうちに、青年の夢の風景がその通りになるの かもしれない。 青年はもう缶コーヒーを飲み終わったらしく滝田のカップを見つめて いる。 「今日は何で来たの?」 「電車です」 「終電には間に合いそうもないな。送っていこう」 「はい。お願いします」 青年は立ち上がって頭を下げた。 「明日もまた来ていいですか」 「ああ、もちろん」 滝田の方が頼みたいくらいだ。 七 翌日、今度は九時ちょうどに青年はやってきた。昨日の夢を青年に見 せてやると大いに感心した様子だった。滝田達はベッドルームに行った。 青年が眠りについて二時間、滝田は何か暇つぶしをするでもなく、真っ 黒な画面を見つめていた。するとモニターに夢が現れた。 車のフロントガラスにたたきつける暴風雨のように踊り狂う光点達が やっと静まると、対照的に凍ったような月面が映し出された。 それは、まるで一枚の絵画を見ているかのようだった。漆黒の空に砂 糖を一つまみとってさらさらとまいたような星々が鮮やかだ。きっと地 球と違って大気がないから、そんなに鮮明に見えるのだろう。地平線の 上に、ここではお月様のかわりに青い地球が浮かんでいる。地上には灰 色のかまぼこのようなものが放射状にのびている物体がある。それぞれ の先端に箱が付いている。あれがたぶん青年が言うところの基地なのだ ろう。なにやら四角い板が斜めに傾いて縦横にきれいに並んでいるのは 太陽電池だろうか。 未来に行った青年は、それを見晴らしのいい丘に立ってながめている。 それは、滝田も見ていることを意識してサービスしてくれているのかも しれない。 青年は下を向いた。一部緩やかな坂になっている。彼は動き始めた。 放射状のかまぼこがだんだんと大きくなってくる。そのうちの一本の端 が口を開けていて、中から光が漏れている。 明かりに吸い寄せられる羽虫のようにその中に入っていく。 オレンジ色のライトが照らすそこはまるで巨大なトンネルのようだっ た。アニメに出てきそうな月面走行車が陣取っている。その横を抜けて 奥に少し進むとすぐに頑丈そうなドアに道をはばまれた。青年は躊躇す ることなく進んでいく。扉が目の前に迫ってきた。 ところがどうだろう。風景は一瞬にして切り替わり、今度は白い明か りが照らす壁も床も真っ白な部屋に出た。青年はドアを開けることなく すり抜けたのだ。 その狭い空間はいったい何だろう。 ああ、分かった。外は真空に近い空間だ。人間が出入りする際に、圧 力を調整するための場所が必要だ。そこはエアロックなのだ。 青年は前方の扉もすり抜け、施設内に入りこんだ。外側から見ると半 円形の筒だったが、中は四角い通路だった。 紺色のジャンパーを着て野球帽のような帽子をかぶった二人の男がい て、一人はホースらしきものを片づけ、もう一人は壁のパネルを調べて いるようだった。 「おい、Aチームの人間が一人まだ戻ってないらしいぞ」 ホースの方がもう一人に向かって言うと、画面が揺れた。青年は男の 言葉に動揺したようだ。 「本当か。おいおいマジかよ。規則違反だぞ」 パネルの方の男が答えると、青年は突然駆け出した。 いったいどうしたのだろう。Aチームという言葉に反応したようだが。 半球形のホールに出た。内壁がにぶく光るその場所はいかにも殺風景 だ。取り囲むように扉が並んでいる。どうやらそこから放射状に広がる 通路に通じているらしい。風景が左右に動いて、青年は正面から左に数 えて二つ目の入り口に走りこんだ。 音は聞こえているはずだが、静かだ。青年の足音は聞こえない。人気 のない不気味な白い通路を走っていく。 突然騒がしくなった。たくさんのテーブルが並んでいて、大勢の人間 がプラスチックのトレーにのったサンドイッチやロールパンを食ってい る。紺や緑のジャンパーを羽織った男達が食べ物を持って歩き回ってい る。女性の姿も見える。ここは食堂だ。 外国人はいないようだ。なるほど。日本基地というわけか。 「地球ではもうすぐ人口爆発が……」 「メンデレーエフ・クレーターじゃ今……」 様々な声が入り混じって聞こえる。その中から「Aチーム」という単 語が聞こえた。風景はその声が聞こえた方向に移動していく。 頭のてっぺんがはげてその周りからちぢれた白髪をはやした爺さんが、 若い背が高い男に向かってしゃべっている。彼らは青年の方には見向き もしない。 「一人まだ帰ってきてないそうだが。Aチームの連中は心配してるけど 大丈夫かね」 若い男が答える。 「タキタさんですよね。何か事故にでもあったんでしょうか」 これか! 滝田の知っている人物か、全然関係ない人間か分からない が、何かトラブルに巻き込まれているらしい。 画面が点滅し始めた。なんてことだ。 爺さんがフランスパンをかじる。 「もう八時間も外に……」 若い男が答える。 「タンクのエア……大丈夫でしょうか……」 画面が暗くなって、消えた。 滝田は、今日の夢はもうおしまいだと思った。だが考え込んでいるう ちに、再び画面が明るくなるのに気づいた。砂嵐がおさまった後現れた のは、雨が降り注ぐ滝田睡眠研究所だった。それは、ほんの二秒ほどで 消えた。 八 今日も夜の九時をすぎた。雨はまだ降り続いている。滝田は青年が来 るのが待ち遠しかった。 ノックの音が聞こえた。「どうぞ」と声をかける。 「こんばんは」 青年が顔を出した。 「昨日の最後のやつは、おまけかい?」 滝田は吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。 昨晩は聞かなかった。的中するとは思わなかったのだ。 「ええ。見ようと思って見たわけじゃないんですけど」 青年が予知夢を見ることは確定的になった。 「今日は昨日の続きが見られるのかい?」 「たぶん今日あたり、会えるような気がします」 「ふうん、そりゃ楽しみだ」滝田は立ち上がった。「それじゃあ、行こう か」 薄暗い廊下を歩き、階段を降りる。 もう三日目か、と滝田は思う。こんなに遅くまで残っているのは、最 近ではないことだ。 ベッドルームに入ると、青年はもう慣れて自分からベッドにのぼる。 青年に眠剤を与えてから研究室に行く。そしてまたしてもモニターと にらめっこを始める。待っている間論文なり学術誌なり、何か読んでい ればいいのだろうがそんな気分にはなれない。 一時間が経過する頃、画面に砂嵐が現れた。いつもより早い。白黒の 点の集合が像を結び始める。 「おーい、タキタ!」 凍った砂漠のような大地を、何人もの人間達が歩いている。宇宙服に 身を包んだ彼らの様子を見ても、これが未来に必ず起こるのだという実 感がわかない。どこか映画のようで非現実的だ。それは月面という、滝 田の日常生活からかけ離れたものであるせいだろうか。 「おーい、タキタ! どこだあっ!」 青年は彼らの無線通信を傍受できるのだろうか。真空に近い空間でそ んな大声を出しても当然伝わらない。信号がタキタの耳に届いているこ とを想定しての行為だろう。 画面が動き始めた。だんだんとその人物達に近寄っていく。青年は彼 らの中に遠慮なく入っていった。 「だめだ。確かにこっちの方に行ったのか」 「ああ。間違いない」 ヘルメット同士が顔を向き合わせる。 「もう酸素残量が少ない。二次酸素パックのエアと合わせても、もう切 れているかもしれない」 なんてことだ。Aチームのタキタは、今日青年の夢の中で死んでしま うのか。滝田は自分とは全く関係がない人物であることを祈った。 「峡谷の方に行ってみよう。そこに落ちたとしか考えられない」 先頭の人物が進行方向をやや左の方へと変える。 「おおい、タキター!」 「タキター、いたら返事をしてくれ!」 タキタを呼ぶ、複数人の声。ただひたすら歩き続ける。三分、六分… … やけに時間がかかる。その峡谷というのは遠いのか。滝田の手の平に 汗が浮かぶ。早くしてくれないと青年の夢が終わってしまう。 八分が経過。願いむなしく、画面が点滅を始めた。 「おーい……タ……」 声が途切れる。画面が暗くなっていく。そして夢のストーリーは尻切 れとんぼのまま、消えた。 「ああっ」 滝田は頭をかかえこんだ。今日もまたおあずけか。まるでいいところ で終わってしまうドラマのようだ。誰か、滝田にとって大事な人かもし れないのに。その人物が重大な危機に直面しているのに。 青年はこれまで、一度の眠りで一回の夢しか見なかった。いや、雨の 夢を入れれば二回か。するとまだチャンスはある。 いずれにせよ、青年が起きるまでは滝田も観察を続けるのだ。このま ま待つことにしよう。 立ち上がり、脳波を記録しているPCを見る。だんだんと深い眠りへ と戻っていく。 真っ暗な夢見用モニターをいらいらとながめ、箱から煙草を抜き出し て火をつける。久しぶりに靴を踏み鳴らしていることに気づいた。 一連の物語を形作る青年の夢。それはまさに連続もののドラマのよう だ。「続く」という文字が出そうな雰囲気で消えていく。こんなことは普 通の人間ではあり得ない。青年は今後も月面を漂い続けるのだろうか。 十分もたつと、緊張感を維持するのが難しくなってきた。うとうとし てきた。頭をふり、立ち上がって脳波を見る。デルタ波が出ている。熟 睡状態だ。 椅子に座り、背を丸め、両手で膝をしっかりとつかんでモニターをに らむ。 まぶたが自然と降りてきて、両腕の力がぬけてきた。
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