●長編 #0518の修正
★タイトルと名前
親文書
★内容(1行全角40字未満、500行まで)
* * 「何、その紙袋は」 町田に指差された唐沢は、右手をくるっと返して、紙袋表面のロゴが見えるようにし た。 「鈴華堂の新作で、クロワッサン風どら焼き。芙美が好きそうだなと思って」 「……微妙」 町田の視線が手元から上へと昇ってきた。唐沢の目にぴたりと照準、否、焦点を合わ せる。 「クロワッサンと言えばバターたっぷりで、カロリー高そう。そもそも気味悪い。何の 狙いがあって、あんたが私に和菓子を買ってくるのよ」 「そりゃあ、久々の訪問になるから、手土産があった方がいいだろうなと思って」 「嘘。来るときに手土産を携えていたことなんか一度もなかったのが、急にこんな風に するなんて、絶対に怪しい。何かあるわね。私の直感がそう告げている」 「とにかく入れてくれよ。玄関先で押し問答するほど、嫌われてるわけ、俺って?」 「……どうぞ。誰もいないから」 言うだけ言って、先に入る町田。唐沢はそそくさと続いた。 「制服のまま来たってことは、学校帰り?」 「うん、まあ。家に、顔は出したけどな」 「それだけ急いで、ここに来るなんて、一体どんな用事よ」 「あー、話の前にお茶、入れてくんない? 俺もこの菓子、味見しておきたい。よさげ だったら、他の女子に勧める」 「〜っ」 文句を言いたげな町田だったが、黙ったまま唐沢をダイニングに通すと、自らはキッ チンに立った。 「日本茶? コーヒー?」 「改めて問われると迷うな。洋菓子なのか和菓子なのか、はっきりしない物を買ってし まった」 「コーヒーね。インスタントだと後片付けが楽だから」 勝手に決めて進める町田。背を向けたまま、唐沢に問うてきた。が、その声とやかん に水を満たす音が被さり、唐沢は聞き取れなかった。 「何て言った?」 「用事ってもしかして純子のこと?って聞いた」 「どうしてそう思うんだ」 「そりゃあ、今現在、あんたから私に直接関係のある個人的な用事があるとは考えにく い上に、このお菓子」 と、町田は紙袋から取り出した個包装のどら焼きを、皿にそのまま載せ、唐沢の前の テーブルに置いた。 「鈴華堂の『すず』から、『涼原』を連想した。それだけ」 そう説明されて唐沢も、無意識の内に鈴華堂へと足を運んでいたのかもしれないなと 感じた。 「で、当たってるのかしら」 聞きながらコーヒーカップにお湯を注ぎ終えた町田は、テーブルまで慎重に運んで来 た。唐沢が目の前に置かれたカップに目をやると、お湯の量が若干、多かったようだ。 揺らすとこぼれかねない。 「当たってるよ。おかげで段取りが狂っちまった」 「段取り?」 唐沢の正面に座り、自身の分の菓子を空けた町田は、手つきを止めて聞き返した。 「こっちの話」 コーヒーを前に、“お茶を濁した”唐沢は、その段取りを練り直しに掛かった。元 は、以前に相羽の留学話が出た頃のことを話題にして、当時の相羽が純子に前もって打 ち明けるべきだったかとか、女子の気持ちとしてはどうされるのが最善なのかとか、そ ういった話をしつつ、流れを見て、現在の留学について口外してみるつもりでいた。 (それなのに、涼原さんに関係することだと先に看破されちゃあ、やりにくいじゃない か。かといって、他にきっかけはありそうになし。ここは一つ、正面突破で) 心を決めた唐沢は、気持ち、背筋を伸ばした。相手を見据える視線も真っ直ぐにな る。 「何よ」 変に映ったのか、町田が速攻で聞いてきた。 「芙美は今でも口が堅いよな」 「うん? そりゃまああんたと比べたら」 「客観的にでも堅いだろう。そうと見込んで打ち明けるんだからな」 「――分かった。他言無用ね」 唐沢の真っ直ぐさが伝わったか、町田も居住まいを正した。 「昔、相羽が外国の学校に行くかもって話があったのは覚えてるか」 「もちろん。居合わせたわけじゃないけれども、かなり驚かされたし、記憶に残って る」 「そのときの縁が、今でも続いているらしいってのも分かってるよな。エリオット先生 のこととか」 「うん」 「どうやらその縁がまた強まったみたいなんだ。はっきり言えば、相羽の奴、J音楽院 への留学を決めたって、俺に伝えてきた」 「えええ? まじ? 担いでんじゃないでしょうね」 途端に疑いの眼をなす町田。唐沢は肩をすくめ、大げさに嘆息した。 「驚きよりも疑いの方が大きいとは、よっぽど信用されてないのね、俺」 「だって、あまりにも突飛だから……」 「悪ふざけでこんなこと言わねえって。で、問題は、相羽はまだ言ってないんだわ、涼 原さんに」 「……おかしい。普通、恋人が一番でしょうに。何でまたあんたに」 「知らんと言いたいところだが、理由は一応ある。あいつが留守の間、涼原さんの護衛 役を頼まれた」 「え? できるの? 見かけ倒しのくせして」 「ひどいなあ。小学校のときの体育で相撲をやったとき、俺、いい線行ったんだぞ。ク ラスで二番ぐらい」 「どういうアピールよ。あんたは小さな頃からテニスやってて、腕だけは筋肉ついてた から、そのアドバンテージで勝てただけじゃあないの?」 「そういう説もある」 「まったく。護衛云々は分かったわ。相羽君が純子に言ってないのは確かなのかしら」 「俺に護衛を頼んできた時点で、まだ言ってなかったのは間違いない。その後は分から ないが、打ち明けたなら涼原さんの態度に出ると思うし、相羽だって俺にそのことを知 らせてくると思う」 「……」 カップに視線を落とし、沈黙した町田。その様子を前にして、唐沢も黙る。 (事情を把握したところで静かになるってことは、やっぱ、難しい問題なんだな。悪い な、巻き込んでしまって) 今からでも「嘘でしたー」とか言って、なかったことにしてやろうかという考えがよ ぎる。もしそんな行動に出たら、ぶっ飛ばされそうだが。 「日にちは?」 目線を起こした町田の質問を理解するのに、少しだけ時間を要した。 「うん? ああ、相羽が行く日ね。八月の早い段階のはずだ」 「あんまり時間ないわね。送別会すら開く暇がないかも」 「おいおい、心配するとこ、そこか?」 「うるさい。考えてるのよ。あんたとしては、どうしたいのよ」 「当然、相羽の口から早く伝えさせて、涼原さんに心の準備をしてもらいたい」 「基本的には賛成だけど……今、純はどのくらい仕事やってるんだろ?」 「俺に分かるわけが。てか、そんなこと気にする?」 「当然でしょ。ショックを受けた純が、仕事も何も手に付かなくなることだってあり得 る。そう危惧してるの」 言われてみて、自分も多少は考えていたんだっけと内心で首肯する唐沢。表には出さ ず、「その辺は、相羽のお袋さんがうまくやるに決まってる」と適当に答えた。 「それもそっか。相羽君の留学を認めた段階で、純子の仕事のことにも考えが及んでい るはず。……でも、最終的には純子の気持ちの問題だわ。フォローが必要になるかも」 「あー、そんときは芙美ちゃん、頼む。他の二人――富井さんと井口さんも呼んで」 「気軽に言ってくれる。あーあ」 テーブルに両肘を突き、組んだ手の甲側に顎を乗せた町田。 「そんなことよりも、相羽君に、純子へ打ち明けるよう促す方法よね。……純子の方に それとなく仕向けて、純子から尋ねるように持っていく?」 「うーん、涼原さんから直接問われたら相羽も正直に言うだろうけど。それって事が済 んだあと、俺達涼原さんから恨まれないか? 知っていて隠していたのねって」 「恨みはしないでしょうけど、気持ちはよくないかも」 「そういうのは避けたいよな。……食わないのかな?」 ほぼ忘れかけられていたクロワッサン風どら焼きを、真上から指差した唐沢。町田は 黙って、一口分をちぎり取った。 「……悪くはない。けど、やっぱりカロリーが気になる風味だわ」 「次はフルーツを使ったやつにでもするか」 「果物の糖分も、ばかにはできないのよ」 唐沢もそのぐらい知っている。言い返そうと思ったが、またまた脱線が長くなるのは 考え物なので踏み止まる。 「さっき話に出た、相羽君のお母さんに促してもらうのが、一番安心できる線だと思 う。ただ、端から見て相羽君とこって、自主性を重んじる感じが強い気がしない?」 「まあ同意する。少なくとも俺のとこよりは」 「だから母親として、ぎりぎりまで待つんじゃないかな。いつがタイムリミットのライ ンなのかは分からないけど」 「下手すると、相羽が涼原さんに打ち明けなくてもよし、旅立ってから伝えるとか考え ていたりして。自主性を尊重するってのは、そういうことだろ」 「間接的に仕事への影響が予想されるんだから、さすがにそれはないと思う。……人の 心情を推測してばかりじゃ始まらないわね。いっそ、私達で相羽君のお母さんにお願い してみる?」 「……そこまでやるのって、相羽を直にせっつくのと変わらない気がするぞ」 「じゃあ、そうしようじゃないの」 「ん?」 「あんた、純子から恨まれるのは嫌でも、相羽君からならちょっとくらい恨まれたって 平気でしょ?」 「平気じゃないが、『これまでいい目を見てるんだから、ちったぁ悩んで苦しめ!』く らいは思ってる」 割と本心に近いところを吐露した唐沢。町田は口元で意地悪く笑ったようだ。 「それなら、こういうのはどう? 相羽君を早く知らせざるを得ない状況に持ってい く。例えば、『純子が、相羽君のお母さんが海外留学の本を持っているのを見て、気に なっているみたいなの。何かあるんだったら、早くきちんと言った方がいいんじゃな い?』とか」 「うむ。効果はありそうだが、直球勝負だな」 「今のは即興だから。もっと遠回しに、純子の目の前で、誰か男子が相羽君に九月以降 の予定を聞く場面を作るってのもいいんじゃない? 曖昧に返事するだけの相羽君を目 の当たりにして、純子は妙に思って聞く」 「うーん、そっちの方がましかな」 チャンスがあれば試してみよう。でも、留学話を知っている自分が相羽の前で知らん ぷりして予定を聞くわけにはいかないので、誰かに頼む形になる。 「実行に移すのなら、早めにね」 唐沢の頭の中を覗き見たかのように、町田が言った。 「早くしてくれないと、私、言ってしまいそうだわ」 「おい、他言無用だからな」 「分かってるわよ。正直言って、久仁香達でさえ、相羽君が海外留学するって知ったら 泣くかもって思う」 「――それなんだけど、白沼さんはどうなんだろ」 「うん? 泣くかどうか? 知らない。ただ、人づてに知った場合、真っ先に相羽君の ところに飛んで行って、確認しそうだわ。それか、純子に詰め寄る。『何でしっかり引 き留めておかないの』とか何とか言って」 容易にその場面が想像できて、ちょっと笑った。 「ありがとな。相談に乗ってくれて。参考にさせてもらう」 「どうぞどうぞ。私だって、今まであの二人には何かと気を遣わされて、その挙げ句に 幸せにならないってんじゃ許さない。そういう気持ちあるからね」 意見の完全な一致をみた。唐沢は言葉にこそしなかったが、思わず微笑んでいた。 * * VRのプラネタリウム体験は、想像していたのとは違ったところもあったが、充分に 楽しめた。宇宙旅行をしているような気分を満喫できて、でも映像酔いを起こすような ことはなく、これならしばらくはお客さんが途切れることはなさそう。 「それで……」 相羽は懐中時計を仕舞いつつ、面を起こした。エントランスホールは人の入れ替わり の波が起きていて、下手に動くと離ればなれになりそうだし、突っ立っていては邪魔に なる。だから、純子達四人は壁に半ばもたれかかるようにして横並びに立っていた。 「このあとはどうする予定なの?」 前々日、女子から急に誘われた相羽は、今日の行程について何も聞かされていない。 「帰りの時間を計算に入れると、たっぷり余裕があるわけじゃないけど、折角だから話 題のスイーツでも」 隣に立つ純子を二つ飛び越え、結城が答える。 「厳密には、みつき前まで話題になっていた、今は流行遅れのスイーツです」 間にいる淡島が付け足す。それにしても、身も蓋もない。 「でも、二人きりになりたいと言うんだったら、私達だけで行ってくるわ。帰りはまた 合流になるけどね」 結城がからかい混じりの口ぶりで水を向ける。純子は思わず、「マコ!」と声を上げ た。 一方、相羽の方は案外冷静なままで、「いや、それはまずいでしょ」と第一声。 「今日は元々、純子ちゃんが先延ばしになっていた遊びの約束を果たすため、結城さん と淡島さんを誘ったと聞いたよ。だったら――」 「純子ってば、そんな誘い方をしたの。ばか正直に言う必要なんてないのに」 今度は呆れ口調になる結城。淡島も追随する。 「そうですわ。こちらとしては、二人きりになったところをこっそり追跡して、覗き見 するつもりでしたのに」 「嘘!?」 「半分ぐらい嘘です」 残り半分は本気だったのねと、苦笑顔になる純子。 「あのー、そろそろ人も減ってきて、動きやすいタイミングなんだけどな」 相羽は結城とは別の意味で呆れ口調になりつつ、促した。そして再び時計を見やる。 「さっきから時間を気にしてるみたいだけど、早く帰りたいとか?」 目聡く言ったのは結城。純子が気付けなかったのは、今ちょうど相羽が斜め後ろにい る形だから。 「いやいや、そんな失礼なことは。もしも行くところが決まってないのなら、行きたい 場所がなきにしもあらずだったから。問題は、一定時間を取られるのと、必ずカレーラ イスが出される」 「カレー?」 今日は土曜で、プラネタリウムに来る前、もっと言えば電車に乗る前に昼食は済ませ ている。そこそこ時間が経っているものの、カレーライスが入るかどうかは微妙なお腹 の空き具合だ。 「いいじゃない。スイーツはパスして、そっちに興味ある。もしかして、相羽君の定番 デートコースだったり?」 「残念ながら外れ。何たって、忙しい純子ちゃんと来るにはちょっと遠いから」 「それよりも、そのお店だか施設だか、お高くはありません? 開始時間が定められて いるとはつまり、何らかの催し物があると想像できるのですが」 淡島が恐る恐るといった体で尋ねる。 「そもそも、何のお店なのかを聞いていませんし」 「あ、マジックカフェだよ。学生千円」 千円ならどうにかなる。それよりも、マジックカフェというあまり聞き慣れない名称 の方が気になったようだ。純子が聞く。 「多分だけど、マジックを見せてくれるカフェ?」 「うん。マジックバーのカフェ版。ほんとに行く気になってるんなら、動こうか」 異論なしだったため、壁際から離れて外に向かう。 「予約とかチケットとかは?」 先頭を行く相羽に着いていきながら、結城が尋ねた。 「必要なし。必要なタイプの店もあるみたいだけれども、これから行くところは大丈夫 だよ。満席だったら、少し待たされるかもしれないけれどね」 「相羽君は行ったことがあるの、そのお店に」 今度は純子がちょっぴり尖った調子で聞く。連れて行ってもらったことがないのが不 満なのではなく、他の誰かと一緒に行ったなんてことになると、少しジェラシーを感じ てしまうかも。 「ある、だいぶ昔に母さんと」 地下鉄駅への階段が見えてきた。そこを下り始める。 「え。それって何年前?」 「だいたい五年前。大きな買い物のついでに寄ってもらったんだ」 「待って、ちょっと心配になってきた。五年前に行ったきり?」 先を行く相羽のつむじを見つめる純子の目が、不安の色を帯びる。が、明るい返答に その色はすぐに消えた。 「今も店があるかどうかって? 一応調べておいた。値段も変わらず、営業中だった よ」 相羽の言う駅までの乗車券を買って、程なくしてホームに入って来た車輌に乗る。三 駅先で実際の距離も大したものではないようだから、時間に余裕があれば歩きを選ぶだ ろう。灰色の壁面を持つ、飾り気のないビルが見えたところで相羽が言った。 「あのビルの三階に入ってる店なんだけど、そういえば昨日調べたときに、隣は占いの 店になってたっけ。淡島さん、興味あるならあとで寄る?」 「お心遣いをどうもすみません」 歩きながらぺこりとお辞儀する淡島。 「時間があるようでしたら、寄りたいと思います。でも本日はお二人のことが最優先で すから」 これには純子が反応する。 「いいよいいよ。こっちはマコと淡島さんのために今日を使おうと思ってるんだから」 「先程のプラネタリウムまでで充分です」 「私の気が済まない」 歩みを止めそうになる二人を、相羽と結城が後ろに回って押した。 「はいはい、時間が勿体ない。ていうか、相羽君、間に合いそう?」 「うん、余裕。お客さんも少なそうだし」 確かに、土曜の午後、往来を行き交う人の混み具合に比べ、ビルを出入りする者は皆 無と言っていい。 重たいガラスの扉をして中に入ると、意外にも?空調がちゃんと効いていた。左手に あるフロア毎の図で念のため確認してから、エレベーターに。三階に着いて降りると、 そこそこ人がいた。それまでは幽霊ビルなんじゃないかと感じさせるくらい静かだった め、ちょっと安堵。尤も、人々のお目手当はマジックカフェ『白昼の魔法』でもなけれ ば、占いの店『クロス』でもないようだ。フロアの大半を占めるゲームコーナーと、奥 まった場所にある市民講座か何かの教室に人が集まっている。 「何時に入ってもいいんだけど、九十分の時間制……でいいのかな」 小さな頃の記憶だけでは不安に感じたか、相羽は店先まで小走り。壁に掲げてある板 書の説明に目を通す。 その間、純子達は隣の占いショップに目を向けた。 「占い師がいて占うだけでなく、関連グッズもあるみたいだね」 「占い師は日替わり……今日は違うみたいですが、一人、かなり有名な方がいます。 マーベラス圭子師は著書が多く、テレビ出演も何度かあるはずです」 さすがに詳しい淡島。ただし、その有名占い師が今日の当番ではないことを、さほど 残念がってはいないようだ。 と、そこへ相羽が戻ってきた。 「今なら貸し切り状態。入店すれば、すぐにでも始めてくれるって」 「いいんじゃない?」 純子が女子二人に振り返る。すると、淡島が急にきょどきょどし出した。 「うん? どうかした?」 「あ、あのう。お客さんに手伝わせるマジックは苦手です。それはなしということで… …」 貸し切り状態と聞いて不安を覚えたようだ。 「絶対にないとは言い切れないけれども、あったら僕が引き受ける。アシスタントは女 性がいいと言われたら、純子ちゃんか結城さんに頼む」 「もちろんかまわないわよ」 ようやく入店。中は昼間だというのに、カーテンをほぼ閉め切っている。照明も豊富 とは言えない。その雰囲気のせいで、若い女性店員のいらっしゃいませの声までも明る い調子なのに、獲物を待ち構える獣の冷笑を伴っているかのように届く。 「何名様ですか」 手振りを交えて四名であると伝えると、先払いでお会計。次にテーブル席がいいかカ ウンター席がいいかを問われた。カウンター席は、バーなどでもよく見られるタイプ で、細くて高いストールが並んでいる。テーブル席は、通常のファミリーレストランや 喫茶店などで見られる物よりは低く、椅子もソファだ。 「カウンターの方がステージに近い反面、お客様同士が重なって並ぶため、手前の席の 方ほど見えにくくなるかもしれません」 店員のそんな説明を受け、純子らは眼で短く相談し、「じゃあテーブルでお願いしま す」と答えた。その頃には、フロア全体を照明が行き渡り、最初より随分明るくなって いた。 着座するとおしぼりを出されると同時に、カレー及びドリンク二杯分の注文を求めら れた。それぞれ数種がラインナップされている。カレーはルーの違いだけで、トッピン グの類はない。ドリンクは昼専用のメニューなのか、アルコール飲料はなかった(あっ ても純子達は注文できないけど)。 「どうしよう、ココナツミルク入りカレーに惹かれる」 「いいんじゃないの。言っておくけど、胡桃みたいなナッツが入ってるわけではない よ」 「分かってるって。胡桃好きだからって選んだんじゃないんだから」 純子と相羽のそんなやり取りを見せられ、結城と淡島は顔を手のひらで扇ぐ仕種に忙 しい。 注文が決まったところで女性店員がカウンターの向こうに引っ込み、代わって薄手の 眼鏡を掛けた男性店員が出て来た。年齢は、大学生かもうちょっと上くらい。顔立ちは 優しげだが後ろに撫で付けた髪が多少はワイルドな雰囲気を加味している。お客に舐め られないようにするためかもしれない。ところが口を開くと、その声は顔立ちにも増し て優しげかつ頼りなげだった。 「はい、では、お食事を出せるまでの合間に、まずはご挨拶代わりに始めさせていただ きたいのですが、あ、私、卓村欽一(たくむらきんいち)と申します。覚えなくてもい いですよ、名刺をお渡ししますので」 愛想のよい笑みを浮かべた卓村は、カードを配るときみたいに名刺大の紙を四枚、 テーブルに置いた。それはしかし名刺にしては変だった。名前が印刷されてしかるべき 箇所に、一文字しかない。しかも四枚とも異なる漢字だ。それぞれに「卓」「村」「 欽」「一」と書いてある。 「おっと、失礼をしました。慌てて、試し刷りの分を出してしまったようで。すみませ ん」 卓村は四枚の紙を集めて回収。手のひらで包み込むように持つと、トランプのように 扇形に広げた。すると最前までの漢字が消え、卓村欽一と記された名刺になっていた。 純子達は拍手を送った。 「これでよしと。では改めまして、お受け取りください」 卓村にそう言われても、しばらく手を叩き続ける。挨拶代わりでこの鮮やかさ。続く 演目にも期待が高まる。 もらった名刺をためつすがめつしてみるも、種は分からない。 「あー、あんまり見ないで。種がばれたら恥ずかしい。皆さんは高校生ですか?」 「はい」 純子と結城の返事がハモった。 「今まで、マジックを生で観たことはあります?」 卓村の目線が結城に向く。結城はちょっと小首を傾げて間を取り、「プロはないで す」と答えた。 「えっ、ということはアマチュアならあると。もしかして、皆さん奇術クラブか何か で、やる立場だったりするなんて」 「いえいえ。やるのは一人だけ」 結城が相羽を指差し、純子と淡島も目を向ける。 「あ、そうなんだ。じゃあ、詳しいんだろうなー。種が分かっても、女子三人には教え ないでね」 「もちろん。それ以前に見破れないと思いますけど」 「うわ、ハードル上げられたなあ。それじゃあ予定していたのと違うのを……」 その言葉が真実なのかは分からない。卓村は紙のケースに入ったトランプカード一組 をポケットから取り出し、皆に示した。次いで中から本体を出し、表面を見せる。新品 ではないからか、順番はばらばらだ。 「ヒンズーシャッフルをするから、好きなタイミングでストップを掛けてください」 言われた相羽が頷くと、シャッフルが始まる。五度ほど切ったところで、相羽が「ス トップ」と声を発した。卓村はその状態で手の動きを止め、左手にあるカードの山を テーブルに置き、次にそこに十字になるよう、右手に残るカードの山を重ねる。 「さて、ちょっとした個人情報を伺いたいのだけれど、だめだったらはっきり断ってく れてかまいません。彼女達三人の中で、一番親しい人は?」 「それは」 多少の躊躇のあと、隣に座る純子に顔を向けた相羽。純子はそれなりに手品慣れして いるため、何か来るかと身構える。が、卓村は穏やかな調子のまま話し続けた。 「そうですか。正式にカップルかどうかまでは聞きません。では、さっきストップと言 って分けてもらったここ――」 と、十字になったトランプの上の部分を持ち上げる。全体をひっくり返し、その底に あるカードを全員に見せた。スペードの6だった。卓村は空いている手でポケットから 黒のサインペンを出し、相羽に渡す。それから「このカードにささっとサインしてもら えますか」と、右手のカードを山ごと持ったまま、相羽の前にかざした。 「名前でなくても、目印になる物なら何でもかまいません。このカードを特別なスペー ドの6にするためですから」 相羽が記したのは馬の簡単な絵だった。 (……愛馬の洒落?) 相羽の横顔を見ながらそんなことを感じた純子だったが、もちろん声には出さない。 「はい、どうもありがとうございます。このカードはこうして裏向きにして、よそに分 けておきましょう」 カードを手の中で裏返した卓村は、言葉の通り、テーブルの端にそれを置いた。 「今度はあなたの番ですよ」 純子に話し掛けた卓村は、最前と同じようにシャッフルをし、止めさせた。先程と違 って、十字に置くことはせず、ストップした時点で右手のカードの山を表向きにする。 現れたのは、ハートの8。これまた同じく、純子がサインをする。ここは流麗なタッチ でさらさらと。 「お、芸能人みたい」 おどけた口ぶりを挟む卓村。純子が本当にタレント活動をしていることは知らないら しい。結城が忍び笑いを浮かべるのが純子から見えた。思わず、しーっの仕種。 そんなやり取りを知ってか知らずか、卓村のマジックは続く。右手にあった表向きの カードの山に、名前の入ったハートの8をそのまま見える形で適当に押し込む。さっき 取り分けた相羽のカードは、裏向きのまま、もう一つの山に差し込まれた。さらに二つ の山を、全体で裏向きになるように重ね、軽くシャッフル。 「これでお二人のカードはどちらも、どこにあるか分からなくなった」 純子達が首を縦に振ると、それを待っていたみたいに「――と思うでしょ。実は違う んだな」とマジシャン。カードの山をテーブルに置き、まじないを掛けるポーズを取 る。 「まずは君から」 相羽に視線をやったあと、「来い! 姿を現せ!」と叫んだ。その拍子にカードが飛 び出す……なんてことはなく、卓村はカードの山に手をあてがい、横に開いていった。 当然、裏向きの柄が続く。が、その中に一枚だけ白が見えた。指先で前に押し出すと、 スペードの6と分かる。相羽による馬の絵もある。 女子三人から「うわ」「凄い」「こんなのあり得ないわ」と驚きの声が上がる中、卓 村は表向きにカードの山を揃えた。テーブルに残ったスペードの6を指差し、純子に 「じゃあ、あなたの番です。そのカードを好きなところに押し込んでください」と指 示。純子は右手人差し指と親指とで端を摘まみ、スペードの6を山の中程に差し入れ た。 卓村はずれを修正しつつカードの山を裏向きにしてテーブルに置く。 「さあ、ハートの8も、恥ずかしがらずに顔を見せて。来い!」 まじないポーズとかけ声を経て、再び、カードの山を横へと扇に広げていくと…… ハートの8だけが表向きになって現れた。言うまでもなく、純子のサイン入り。 「嘘でしょ」「分かんなーい」「だからあり得ないって」 女子三人が騒ぐ横合いで、例によって相羽は驚いているんだかどうだかはっきりしな い。が、目を見れば感心しているのは分かる。 驚きの反応が収まったところで、卓村が告げる。 「ここまで、マジックだと思って観てこられたでしょうが、実は占いでもあるんです よ」 占いと聞いて、ぴくりと身体が動いた淡島。さっきよりも身を乗り出している。 「占いの結果を示すために、あなた、手のひらを上向きにして、右手を出してくださ い」 言われた純子がその通りにすると、卓村は相羽にも同じ指示をした。厳密には右と 左、手のひらの上下は違っていたが。 「これからこのハートの8を彼女の手のひらに置きます。君はカードを挟むようにし て、彼女の手を優しく握ってください」 「はあ」 表向きに置かれるハートの8。そのサイン入りカードを相羽の左手が覆い隠す。 「もう少し強く握って。そう、バルスと呪文を唱えるアニメ映画ぐらいには強く」 マジシャンのジョークに苦笑しつつ、純子は相羽の手から伝わる力が強まったのを感 じた。 「そのままの姿勢をキープして。そちらのお二人も冷やかしの目で見ないようにね。よ い目が出るかどうか、大事な分かれ道だから」 淡島と結城にも注意を促すと、卓村は残りのカードの山を左手に持ち、その縁に右手 指先を掛けた。そしてカードをぐっと反らせる。狙いは相羽と純子の重ねた手。 「この中にある彼のカード、スペードの6を飛ばします。ようく見ていて……」 一瞬静寂が訪れ、コンマ数秒後にマジシャンが右手をカードから離す。ばさばさっと 短い音がして、カードの反りが戻った。 「……何にも飛んでないような」 結城が最初に口を開く。淡島はうんうんと頷いた。 「あれ? 見えませんでした?」 卓村は相羽と純子の方を見た。 「お二人も? たとえ目で捉えられなくても、感触に変化があるはずなんだけど」 「いえ、特に何も……」 純子は答えて、ねえ?と相羽に同意を求める。相羽も「感触は同じままですね」と微 笑交じりに卓村に答えた。 「さてさて、困ったな。まあいいや。手のひらを開けてみれば、結果は明らか。まさか 失敗ってことはないと思うけど、万が一失敗だったら、より仲よくするようにご自身で 努力してね」 身振りで促され、相羽は左手をのける。四人の観客の視線が、カードに注がれた。純 子の右手にあるのは相変わらず、ハートの8だけ。四人の視線は卓村へ移った。 「おっかしいな。よく見てみて。一枚に見えるけれど、二枚がぴったり重なっているの かも」 「そんなことは」 純子は左手でカードを持ってみた。指を擦り合わせるようにして確かめるも、やはり 一枚しかない。と、その目が見開かれる。 「――わ!」 ――つづく
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