AWC 悟りを得るのは難しい 1   永山



#1126/1158 ●連載
★タイトル (AZA     )  20/01/30  20:11  ( 55)
悟りを得るのは難しい 1   永山
★内容                                         20/01/30 20:11 修正 第2版
 小学生の頃、長期休暇の何日間を利して家族で父の実家に里帰りすると、僕と一緒に
よく遊んでくれる親戚のおにいさんがいた。
 名前を清武彩男《きよたけあやお》と言って、初めて会った当時は高校生で、のちに
大学に進んだ。医学部だから優秀だったんだと思う。
 あれは清武さんが大学三年生だったから、僕は小学五年生。その年の十二月下旬、僕
ら一家はいつものように里帰りした。
 年の瀬も押し迫ってきたある日、清武さんの父親が勤める会社の偉いさんが亡くな
り、葬儀が執り行われることになった。清武さんの母親はその偉いさんの姪で、夫婦
共々、葬儀に参列するのは当然の成り行きと言えた。
 両親がやや遠方まで出かけたことで、清武さんは一日中暇になり、何かしたいことが
できたかもしれない。だけど、午前中は僕と遊ぶ約束をしていて、ちゃんと守ってくれ
たのだ。二年生までに比べると、三年生は忙しさが若干軽減するから相手してやれると
か言っていた覚えがある。
 珍しく雪が降って、少し積もったこともあり、庭を兼ねた畑で外遊びをしてから、家
の中ではゲームに興じ、テレビドラマも観た。清武さんは医療ドラマを好んで観るけ
ど、医療ドラマが好きなんじゃなくて現実と違う点を探すのが楽しいみたいだった。
 昼が近付き、僕は食事のために帰る頃合いになった。帰りしな、清武さんは「両親が
戻るのは三時ぐらいだから、そっちがよければまだ遊ぶのに付き合えるぞ」と言ってく
れた。小学生に社交辞令を使うとは思えないので、本心から言ったのかもしれない。で
も、あとから思うと、用事を作ってスケジュールを埋めておきたかったのかもしれな
い。
 午後一時過ぎ、僕が再びやって来ると、清武さんの家から飛び出してきたコートの女
の人とすれ違った。鼻息が荒くて興奮した様子に見えた。さらに、玄関のドアが中途半
端に開けっぱなし。それらが僕に嫌な予感を抱かせる。声を出せないまま、急ぎ足で家
に上がり込むと、廊下で清武さんが身体を丸めて横向きに倒れていた。こちらには背中
を向けているため、表情なんかはまだ見えない。
「どどうしたの!」
 駆け寄って、反対側をのぞき込む。清武さんは苦悶の表情でおなかを両手で押さえて
いた。黄色っぽいセーターの腹部は赤色に変わっていた。
「刺された」
 短く言った清武さん。
「愛子《あいこ》、医学の知識ある。急所やられた。だめかも」
 切れ切れになる声でどうにかそう伝えてきた。僕はこの家の固定電話のあるところに
走って、救急車を呼んだ。次に近所の人も呼ぼうと思ったんだけど、清武さん自身に呼
び止められた。
「本の処分。おまえにしか頼めない」
 清武さんはおかしなことを言い出した。
「処分? 何言ってるのさ? 今それどころじゃ」
「感覚で分かる。俺もう無理。――机の引き出し。上から二番目の底、裏側。一冊だけ
まずいエロ本がある。死後見つかるの恥ずいから」
「はあ? 何言ってんの、ばかじゃねえの」
 よく覚えてないけれど、こんなときにこんなことを言い出す清武さんを罵った気がす
る。でも清武さんが、血まみれの手で懇願してくるものだから怖くなって、僕は机の引
き出しを見に行った。二番目を引っ張り出し、底を見ると紺色のビニール袋に包まれた
形で、大きめの本らしき物体がテープで貼り付けてあった。強引に引き剥がして、戻っ
てくる。
「これ?」
「う。救急にも見つかるな。頼む。欲しけりゃやる」
 言いたいことを言えたせいか、清武さんは静かになった。名前を呼んでも揺さぶって
も、反応がない。
 僕は本を胸に抱えたまま、家を飛び出し、自宅を目指した。親を呼ぶのが一番だと思
ったのと、本を隠すためでもあった。

 続く





#1127/1158 ●連載    *** コメント #1126 ***
★タイトル (AZA     )  20/02/13  21:11  ( 71)
悟りを得るのは難しい 2   永山
★内容                                         20/02/13 21:11 修正 第2版
 ……と、思いのほかシリアスな書き出しになったけれども、要するに僕が小学五年生
のときに、(多分)同じ年頃の少女の、今では非合法扱いになった写真集を入手できた
顛末を記しておきたかっただけである。
 清武さんはそのまま亡くなった。愛子という女性は当然逮捕されたが、さらにもう一
人、未成年(当時の法律で)の男子学生が愛子を唆して犯行に走らせたとして、事情聴
取を受けている。結局、愛子の思い込みの強さが招いた悲劇ということで決着した。
 殺人事件と、その後のことに直接的な関係はない。

 五年を経て、僕は高校生になった。勉強の成績はまずまず上位に食い込むし、体育も
水泳以外は何でもそつなくこなす自信がある。顔は二枚目ではないけど、太い眉毛がき
りっとして落ち着きのあるタイプによく見られる。実際は小心者なんだけど、まあ異性
から気味悪がられないレベルは保っていると思う。しゃべりの方は、男同士なら大丈夫
だが、女子が混じるとちょっとかしこまる。ましてや女子と一対一なんかだと、恐らく
緊張してしまうだろうな。
 問題の写真集は去年、単純所持を禁じる法律が施行されて、手放した……と言いたい
んだけれども、まだできていない。僕は割とびびりで、遵法精神も人並み程度には持ち
合わせているつもりだから、折を見て捨てようと思っていたのに、安全で適当な方法が
見付からなかったのだ。
 処分を考え始めたのは、法が施行されるひと月前。
 家族とずっと一緒に暮らしているため、いい機会がなかなか訪れない。家庭用の可燃
ゴミ袋なんかに突っ込んでおこうものなら、母親が確実に気が付く。古新聞や古雑誌の
束に紛れ込ませるのも同様。母は大昔、愛用していたアクセサリーを誤ってゴミに出し
てしまったことがあったとかで、以来、ゴミ出しにはチェックが厳しいのだ。
 ならば自分の手で捨てに行けばいいのだが、これが意外とうまくない。実際にやろう
として、恐怖を味わったのだ。
 一番近いゴミ収集日は月曜だからその前夜の日曜日、近所の自動販売機でジュースを
買って来ると理由付けして、僕は家を出た。十時頃だった。濃い黒色のビニールで梱包
した写真集を小脇に抱え、ゴミ出しのスペースまで三百メートルくらいかな。足早に向
かい、さっと捨ててくるつもりでいた。が、何の因果か、不意にパトカーのサイレンが
聞こえて来たんで、縮み上がってしまった。そのパトカーは町内の路地に入ってくるこ
とはなく、大きな道路をそのまま通り過ぎていったけれども、僕は家に飛んで帰った。
 もちろん、たった一度、たまたまパトカーが通り掛かったぐらいで諦めたりはしな
い。次のゴミ出し日である木曜前夜に再チャレンジした。前回のことは偶然さ、今度は
大丈夫と自分に言い聞かせつつ、夜道を急ぐ。ただ、念のために用心して、八月だとい
うのにシャツを一枚余計に着込み、その下に写真集を隠してみた。これならぱっと見、
本を持っているとは分からない。
 そうしてあと百メートルほど、ゴミ出しスペースが見通せる位置に来たとき、「よ
お!」と後ろから大きな声で呼ばれた。びくっとなって、悲鳴を上げるかと思ったよ。
振り返るまでもなく、自転車に乗った声の主は前に回り込んできた。
「なんだ、おまえかあ」
 近くに住む同級生の谷津康昌《たにづやすあき》だった。親友とまでは行かないが、
友達だ。ほっとすると同時に、いや待てよと注意の黄色信号が脳裏に点る。もしここで
こいつに写真集の存在を気付かれ、中身を見られたら……やばい。僕のこめかみを、暑
さ以外を起因とする汗が一筋、たらーっと流れた。
「ご挨拶だなあ。こんな夜に何してんの?」
「ジュースでも買おうかと思って。おまえこそ何。自転車ってことは多少は遠くまで足
を伸ばすんだろ?」
「彼女から呼び出された――ってのは大嘘で、親父に頼まれた。煙草、銘柄指定で買っ
て来いって」
「本人に行かせろよ〜。タスポ使ってるところ、知り合いに見られたらどうするのさ」
 今まさに自分が違法な物を懐に入れているせいか、心配する言葉が口をついて出た。
「んなこと言われたってな。目当ての自販機は歩くには遠い。親父は酒飲んだところ
で、車の運転は無論のこと、自転車だってだめだろ」
 谷津の親父さん、そこは違反しないように気をつけてるのに、未成年者にタスポを貸
し与えて煙草を買いに行かせることは何とも思わないのね。自由で都合のいい発想がう
らやましい。
「ま、気を付けてな」
「ははは。そっちも知らないおじさんに声を掛けられて、着いて行くなよ」
 とまあ、冗談を言われて無事に分かれたのだけれども、これでまた捨てる勇気が萎え
てしまった。二度続けて邪魔が入ったということは、もしかすると天からの警告ではな
いのか。ここで我を通して写真集を捨てたとする。木曜は資源ゴミも一緒に出せる日
で、換金に値する物が出される可能性が高い。比例して、そこを狙った“あさりちゃん
”――出されたゴミをあさって金になりそうな物を持って行く人のことをこう呼ぶらし
い――が出没する可能性も高まる。僕が家に帰ったあと、ゴミをあさりに来た人物が写
真集を発見し、黙って持って行くのならいいが、中身をむき出しにして放置したらどう
なるか。こんな物を出したのは誰だと近所で話題の的になるかもしれない。で、今さっ
き谷津に姿を見られた僕が、容疑者候補に挙がる確率は高い。そういう針のむしろ状態
なんて、想像するだけで嫌だ。
 僕はその夜も写真集を持ち帰った。

 続く




#1128/1158 ●連載    *** コメント #1127 ***
★タイトル (AZA     )  20/04/28  19:30  ( 71)
悟りを得るのは難しい 3   永山
★内容
 考えすぎなのは分かっている。分かっているんだけれども、最悪の場合を想定してし
まう性格だし、そうしないと落ち着かない。
 そもそも捨て場所はゴミ収集所でいいのか? 通りすがりの人々の目にとまる恐れの
あるあのスペースに捨てるのは、適当じゃない気がしてきた。ではどこにすればいいん
だろう。ゴミ処理業者や古本屋に処分を頼みに持ち込むのはだめだ。人と顔を合わせる
のは無理。ゴミ収集ではなく、町内の廃品回収はどうか。やっぱり、中身を見られる恐
れがあるんだろうな。チェックされたら同様に「誰がこんな物を置いていったんだ?」
と騒ぎになって、調べようという流れになるかも。防犯カメラに顔が映っていたなんて
ことになったら目も当てられない。
 こういうときはネットに頼るとしよう。検索して調べてみたら、“白いポスト”って
いう物があるらしいと知った。青少年にとって教育上よくない書籍等を投函して、子供
達の目から遠ざけるのが目的だとかで、エロ本全般やアダルトDVDなんかを入れてい
いとのこと。
 これだ!と思ったものの、どこに白いポストがあるのかが分からない。生まれてこの
方、一度たりとも見た覚えがなかった。昔はたくさんあったが、数を減らしているらし
い。行政のホームページを当たっても情報はないみたいだし、苦心惨憺して検索を繰り
返して、所在地付きのリストが掲載されたサイトがようやく見つかった。全国の目撃情
報を元にして作られた物だった。
 そこのリストを当たると、一番近くでも電車で六駅先と判明。降りたことのない駅だ
が、どうやら駅舎を出てすぐのところに設置されているみたい。ぱっと来てぱっと捨て
てぱっと帰るには好都合だなと、真剣に検討し始めた矢先、地図で確認して仰天した。
駅の目の前に交番があるじゃないか!
 何となく怖い。もしかして、白ポストに捨てに来る人と捨てられる物を密かに見張っ
ているんじゃないだろうな。その上で怪しい人物には声を掛け、捨てる物の中身を調べ
るのかも。
 想像がまたも悪い方へと膨らみ、やる気が萎えた。別の白ポストにしようと、二番目
に近いところを調べる。するとこれまた交番が近い。三つ目も同じだった。これ以上遠
くとなると、ちょっと行けそうにない。それに、移動距離が長くなれば、他人に見つか
るリスクも比例して増す。
 燃やせたら一番いいんだけれども、あいにくと都会ではそんなスペースはない。まさ
か調理コンロの上で焼く訳にもいかないし。
 こうなると、写真集をそのままの形で捨てるのは諦めるべきかもしれない。手間が掛
かろうが、一枚ずつ剥がし、ハサミで切り刻む。これしかない。いくらうちの母親がゴ
ミのチェックをするからって、細切れになった紙片をジグソーパズルのごとく元通りに
並べるまではしまい。
 ただ……大量の紙片を一つの袋に入れていたら、何これと詰問されそうな予感があ
る。演劇部に頼まれて紙吹雪を作ってみたけど、作りすぎてしまったんだ、とでも答え
ようか? 簡単にばれそう。
 どれを取っても大小の不安がつきまとう。でもどれかにしなくちゃいけない。考え抜
いた挙げ句に、最寄りの白ポストに投じることに決めた。テレビのニュースなどで盛ん
に言っているじゃないか、法施行から一年間は捨てるための猶予期間だと。一年が経過
した時点で、罰則規定が実施に移される。裏を返せば、今なら見付かってもまだ大丈
夫。捨てに行くところを警官が見付けたからって、とがめるはずがないんだ……多分。
 このような変遷を経て、やっと決心がついたのは夏休みの最終日。遊びとか宿題とか
で忙しく、写真集のことばかり考えていられる状況じゃなかったため、こんなに時間が
掛かってしまった。平日に捨てに行くのは難しいだろうから、九月に入って最初の日曜
日、七日に決行するぞと心のメモ帳に刻んだ僕だったが……。

 二学期の初日。始業式が終わって教室に入ると、僕は異変にすぐ気付いた。
 僕の席は最も廊下寄りの列の最後尾で、左隣の列よりも一つ分、席が多かったのだ
が、今朝は違っていた。隣に席が設けられている。
「これは――転校生か?」
 思わず声に出た。それだけ僕にとって転校生という存在はどきどきするものなのだ。
これって多分、小学生のときの思い出に起因している。転校してきた子が超絶美少女
で、近寄りがたい雰囲気すらまとっていたのだ。その子は僕の席の隣に来た訳ではなか
ったけれども、もしも隣合う席だったら全然授業に集中できなくなっていたかもしれな
い。
 と、ここまで考えて、当たり前の事実に気付く。転校生は男の可能性だってあること
に。
 おかげで冷静になれた。過度な期待はせず、心静かに転校生の登場を待とう。そうし
て迎えた朝のショートホームルーム。
 先生のあとについて入って来たのは――女子だった。
 そして僕はまたもや思わず声に出してしまっていた。
「あ」
 何ごとかと数人に振り返られたが、曖昧に笑ってどうにかごまかせたと思う。
 転校生の女子がきれいな子だったのは間違いのない事実だ。だけど僕に声を上げさせ
たのはそんなことではなく。
 例の写真集のモデルの子にうり二つだったのだ。

 続く





「●連載」一覧 永山の作品
             


オプション検索 利用者登録 アドレス・ハンドル変更
TOP PAGE