AWC 伊井暇幻訳・南総里見八犬伝 01−1


        
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伊井暇幻訳・南総里見八犬伝 01−1
★内容

 京都の将軍、関東公方の権威が衰え、後世、戦国と呼ばれた時代。乱を避け東
国の辺境に、和の国を建てた仁君が在た。里見治部大夫義実朝臣(じぶのたいふ
よしざねあそん)である。義実は、武家の棟梁・源氏の嫡流。鎮守府将軍八幡太
郎義家から九代を隔てた治部少輔(しょうゆう)源季基(みなもとのすえもと)
の長子であった。

 永享年間、東国は乱世に在った。時の関東公方・足利持氏は、本家である将軍
家に対し謀反の志を露にした。思いとどまらせようと諌言する忠臣・上杉憲実を、
殺害しようとした。幕府は持氏の討伐を決意した。持氏は敗れ、鎌倉・安永寺で
自殺。嫡男・義成も相模・報国寺で自害して果てた。持氏の遺児・春王、安王、
永寿王は女装し、辛くも下総に逃げ延びた。
 三人を、持氏恩顧の豪族、結城氏朝が拾い上げた。主君として擁立し、幕府に
反旗を翻した。里見季基はじめ、持氏ゆかりの武将が馳せ集まった。幕府は討手
を差し向けた。しかし結城城は難攻不落の名城、戦闘は三年余りに及んだ。
 城には食料も矢も尽きた。篭城側は飢死を待つばかりとなった。武士どもは、
戦場に死場所を求めた。結城一族と里見季基をはじめとする篭城側は、門を開い
て打って出た。何層倍もの大軍相手に、一進一退の攻防を繰り広げた。
 一騎当千と言葉にはいうが、孫子には、敵に三倍すれば必ず勝つという。忠義
の勇士どもは、あちこちで取り囲まれ、何本もの矢に貫かれ何十本もの槍に串刺
しにされ切り刻まれて、虫けらのように、なぶり殺されていった。結城城は落ち
た。氏朝の首級は京都に送られ、六条河原に晒された。幼い春王と安王は、京都
への護送途中、美濃国垂井宿で惨殺された。世に謂う、結城合戦である。
 さて此処に、敗軍の将となった季基と義実、義実はまだ二十歳に満たず又太郎
冠者御曹司(またたろうかじゃおんぞうし)と呼ばれていたが、この父子の進退
を述べなければならない。


 後の安房国主(こくしゅ)たる義実は、いまだ十九紅顔の、美丈夫ながら、智
も勇も、父に勝った大丈夫(だいじょうぶ/器量の優れた士)。いつの間にやら
万巻の、書を繙いて諳じる。父に従い勝ち目なき 忠義の戦(いくさ)に身を投
じ、戦い抜いて、はや三年。全滅覚悟の血戦でも、十四、五 騎馬武者討ち取っ
て、なおも獲物を求めつつ、戦場狭しと駆け巡る。

 猛る息子を呼び止めて、季基 静かに話しかける。「勇者は先を考えず、ただ
一瞬の闘いに、命を懸けるものという。お前は勇者に違いない。褒めてやり処だ
が、よく考えろ、義実よ。儂とお前が二人して、死ねば里見は滅び去る。お前は
此処から逃げ出して、里見の家を守り抜け」。
 義実 キッと見返して、「親に異見を申すのは、慎むべきと知りつつも、この
儀ばかりは聞けません。討死覚悟の父を捨て、逃げ出すなんて、出来ません。そ
れこそ不孝の極みです」。うれし涙を胸に秘め、季基 ワザと声 荒げ、「父の
言い付け 聞けぬとは、それこそ不孝の行いなり。そもそも孝の大本は、祖先の
祀(まつり)を絶やさぬこと。此処で二人が枕を並べ、討死すれば如何(いかが)
する。誰が祖廟を守るのか」。理に責められて義実は、涙を浮かべ 黙り込む。
 季基 言葉を和らげて、「よしよし、お前の、気は解る。戦場を捨て、逃げ落
ちて、卑怯者よと いわれるを、我慢できぬと言うのだろ。八幡太郎をはじめと
する 祖先の名前を汚すのを、我慢できぬと言うのだろ。主君と仰ぐ春王と、安
王を捨てて逃げるのを、忠義に悖ると言うのだろ。名誉を尊ぶだけでなく、主君
に命を懸けるのは、武士たる者の鉄則だ。お前の気持ちは、よく解る。だがな、
義実、よく聞けよ。憶して逃げるは、勇なきなり。しかして孝を守るため、生き
延びるのは、恥でない。謗りを嫌うは、小義なり。孝を立てるは、大義なり。大
義を守るためならば、小義を捨てるに憶するな。
 加えて 足利持氏は、里見の本の主(しゅ)ではない。南北朝の争乱に、里見
の先祖は 南朝の、忠臣・新田の義貞と、親戚ゆえに仲間となり、吉野側へと加
わった。そのうち南の天皇は、北の帝(みかど)に降伏し、戦う意味がなくなっ
た。里見は武勇を評価され、足利氏(うじ)に招かれて、配下に加わり数十年。
親子三代 足利に、勤めて、今日の負け戦。更には儂が、此の場にて、討死すれ
ば十分に、恩を返したことになる。だから お前は、落ち延びて、家を守って、
生きるのだ」。
 言いも終わらぬ そのうちから、涙を流して義実は、父の袂に取り縋る。纏わ
る吾子を振り解き、「死ぬことだけを思うのは、真(まこと)の勇気 とは言え
ぬ。このこと聞けぬ ようならば、親でなければ、子でもない。此の場で親子の
縁を切る」。
 驚き見上げる義実から、視線を逸らせ大声で、二人の重臣 呼び付ける。杉倉
氏元 馳せ参じ、ムツがる若(わか)の手綱 奪い、堀内蔵人(くらんど)近付
いて、馬の尻をばドッと蹴る。咄嗟のことに義実は、馬の背中にシガミ付き、父
のもとから、連れ去られる。

 駆け出す三騎を見送って、里見の当主・季基は、結城の城を振り返る。折しも
城は燃え上がり、炎に包まれ崩れ落つ。誰へともなく呟いて、「金城湯池と謳わ
れた、城もイツかは土に帰す。火炎は総てを焼き尽くし、土に戻すは理(ことわ
り)なり。しかして土は万物を、産み出す世界の基礎となる。焦土となった東国
に、如何なる世界が生まれるか。見届けてくれ、義実よ」。居並ぶ里見の兵卒は、
名高い楠正成(くすのき・まさしげ)が、負けの決まった戦いに、赴くときに
桜井で、悲しむ息子と離別した、心中 斯くやと察しつつ、兵(つわもの)ども
の目に涙、男泣きにぞ、泣きにけり。

 涙 拭って季基は、声 励まして、下知(げち)をする。「城 落ち、帰る場
所もない。今となっては、敵将の、三人四人(みたりよたり)を道連れに、我は
浄土へ、赴かん。死ぬも逃げるも、好きにせよ」。
 一人の足軽 進み出て、「この期に及び、水臭い。今まで仁を蒙って、恩を返
さず、オメオメと、逃げては生きる甲斐もない。我らは卑しき者なれど、仁義と
信義に優れたる、里見の君に仕えるを、誇りに思い、生きてきた」。
 また一人(ひとたり)が進み出て、「又太郎冠者 御曹司、天晴れ丈夫に育ち
たまう。我らが家に遺しきた、子を預けるに足る仁君。何としてでも生き延びて、
我らの子供を召し使い 下さるならば、喜ばしい」。
 また一人(ひとたり)が引き取って、「それだからこそ、此の場にて、敵の軍
勢 引き受けて、踏み留まって戦えば、若君様も遠くまで、逃げていけるという
ものだ」。流石に剛毅な季基も、手綱 持つ手を震わせて、流す涙は止めどなく、
頭(こうべ)を垂れて、聞いていた。

 グイと見上げて、季基は、押し寄す敵を睨み付け、「続け」とばかりに、駆け
出した。勇将の下に、弱卒なし。郎党・家人 我先に 飛んでくる矢を防ごうと、
主(あるじ)の前へ、回り込む。主(あるじ)は子飼いの臣たちを、討たせるも
のかと矢面に、立ち塞がって槍を振るう。
 世の常は、臣下の忠義に付け込んで、トガゲの尻尾を切るように、己(われ)
のみ助かる主(しゅ)が多い。しかるに見よや、里見主従、互いに庇い励まして、
敵陣深く突き進む。失うモノは既に無く、ただ義のために戦えば、群がる敵を切
り伏せる。とはいえ、彼我(ひが)の差 歴然と、多勢に無勢、次々と枕を並べ
斃れていく。嗚呼、鬼神すら、哭くべきかな。僅かに残った近習(きんじゅう)
も、主(あるじ)の傍に伏していく。一人残った季基を、雑兵(ぞうひょう)ば
らが取り囲み、繰り出す槍は数十本。源家(げんけ)に代々伝わった、紺糸威
(こんいとおどし)が朱に染まる。

 京都にまでも 勇名を 馳せた里見の季基の、最期は斯く と伝えたり。

(つづく)

注記:本シリーズでは言葉を区切る符号として
   「、」のほかに「 」(空白)があります。これは、
   1)意味は切れるが、続けて読んでほしい
   2)意味上は言葉を区切るべきではないが、一呼吸おいてほしい
   という二通りのワガママ。本当は、「。」だけ付けて「、」を省略し、
   一文をダラダラと繋げて表記して、発話は読者に任せるという形を
   とりたかったのですが、それでは、あまりにも無責任かな、と思いまして。
   この01−1は、文庫本で3頁分ほどを訳しています。
   また、本文にない部分、捏造した箇所が幾つかあります。省略もしました。
   あくまで私家版ですんで、ご了承ください。




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