AWC ポケットミステリー「コップ半分の殺意」問題編  已岬佳恭


        
#1221/1336 短編
★タイトル (PRN     )  99/11/13  20:23  (165)
ポケットミステリー「コップ半分の殺意」問題編  已岬佳恭
★内容

■コップ半分の殺意 [問題編]

 左手中指のちょうど丸い緩やかな弧の上に、小さな白い粉の山ができている。
きっちり1グラムの猛毒シアン化ナトリウム、一般名は青酸ソーダ。口に入れ
た人間を十人は確実に即死させるのに十分な致死量だ。親指を中指に重ねて、
白い粉を指で挟んでみる。親指にちょっと力を入れただけで、もうその存在は
感じないほどのささやかな量。
 こんな少しばかりの分量で人が殺せる――そう思うと、背筋が寒い。
 しかし、私がこれを手に入れられたのは、まさに偶然の賜物(たまもの)だ
った。

 6ヶ月ほど前になる。朝早く、近所の住宅から出火した火災が燃え広がり、
川沿いの町工場にまで及んでいきそうになった。消防車は来たが消火に忙しい。
まさに火事に飲み込まれそうな工場の前で、知り合いの工場主が髪を振り乱し
て、叫んでいた。
「わしの全財産がこの中なんだ。誰か持ち出すのを手伝ってくれ」
 私を含めて4、5人の男が工場に飛び込んだろう。工場には加工途中らしい
精密機械部品がたくさんのカートに乗っていた。それらをカートごと押して外
へと運び出す。私たちはしきりに頭を下げる工場主の指示通り、次から次へと
カートを運び出した。そのうちに火が回ってきて、工場内は煙に包まれたが、
カートはとうとうひとつ残らず外へ運ばれた。最後の点検のつもりで工場に立
ち戻った私に、鍵のかかった小さな棚が目に留まった。
 ――メッキ用薬品類。関係者以外持ち出し禁止。

 結局、工場は全焼した。私が煙に紛れて保管棚を壊したことも、シアン化ナ
トリウムのペレットをひとつだけ失敬した痕跡も一緒に燃えてしまったようだ
った。それでも私は念のために、シアン化ナトリウムを自宅の引き出しに入れ
たままで3ヶ月待った。
 今となっては、あの工場の火事とこの指に挟んだ猛毒の関係については誰も
気づかないだろう。
 そう確信して、行動を起こすことにした。

 白根河健吾。52歳、取引先の会社、白根河建設の社長だ。このところ毎日
のように私に電話をかけてきて「会いたい、話がある」としつこい。断ると
「じゃあ、ウチも債務不履行でっせ」とくる。白根河の意図は分かっている。
私からもう一段の融資を引き出したいのだ。それでなくても、このところ融資
の焦げ付きが相次いで、社内で私は立場を悪くしている。白根河はそんな私の
状況を調べていて、ねちっこく脅してくる。
「ウチの債権が回収不能になったら、部長さん、困るんと違いますか」
 白根河に対する殺意がいつ頃から私の中で凝固したのかは定かではない。し
かし、白い小さなペレットを手にしたとき、頭の中に閃光のようなものが走り、
私は興奮で身震いした。
 ――あいつが死ねば、担保に取ってある生命保険で白根河建設への債権は全
て回収できる。
 まるで天啓のようだった。

 問題はどうやって白根河にこの白い猛毒を飲ませるかだった。例えば白根河
を会社に呼びつけて、応接室で出された飲み物に混入するとしても、即効性の
猛毒だ。私がうまく白根河の目を盗んで毒を入れたしても、私の目の前ですぐ
に飲んでそのまま死なれたら私が疑われてしまう。何とか白根河は私の居ない
ところで勝手に毒を飲んで死んでもらわないと。そうすれば自殺ということに
なる。生命保険も加入から1年を過ぎたていたら自殺でも保険金はでるはずだ。
 私は念のために白根河建設の担保ファイルを点検して、生命保険証書を確認
した。保険は契約から2年を経過していた。

 私が「会ってもいい」と伝えると白根河健吾はすぐにやってきた。頼んであ
った通り、受付の瓜生清美は白根河を一番奥の応接室Fへと通してくれた。
 10分ほど白根河を待たせてから、私は応接室Fのドアを叩いた。白根河は
私の顔を見るとすぐに太ったお腹を抱えるようにして立ち上がり「お願いしま
すよ」と泣き顔を作った。テーブルにはまだ飲み物も何もなかった。
 重ね合わせた左手の親指と中指を腰の後ろに回して、白根河の注意を引かぬ
ように気をつけた。
「ここで不渡りが出ちまうと、もうほんとにほんとお手上げなんですから。な
んとか融資上積みをお願いしますよ」」
 しわくちゃのハンカチでしきりに顔を拭いている。
「そう言ってもねえ。白根河さんのところはちっとも業績は戻らないし、失礼
な言い方ですがウチもどぶに金を捨ててるようなことはイヤなんですよ」
「ですからそれは。今度の入札で必ずあの工事を落としてきますから。いや今
度こそ大丈夫です。ちゃんと手は打ってますから」
 白根河が自分の胸をぽんと叩いた。
 以前にも聞いた話だった。市の合同庁舎建設工事の入札が迫っている。しか
し、あんなものは業者の談合でとっくに落札先は決まっていて、入札なんて儀
式のようなものなのだ。白根河がそれを知らないと言うことは、白根河建設は
仲間外れになっている、つまりは落札なんかできっこないということなのに、
白根河はそんな簡単なことにも気が回らない。資金に詰まると目先しか見えな
くなるらしい。
 そこに受付の瓜生清美が飲み物を持ってきた。
「クラブソーダをお持ちしました」
 清美は背の高いコップに入った気泡の出る透明の液体を白根河にひとつ、私
の前にもうひとつ置いた。これも私が指示したとおりだった。コップの中の氷
がからりと音を立てた。
「どうぞ」
 私が勧めるやいなや、白根河はコップを取り上げると一気に半分ほど飲んだ。
よほど喉が乾いていたのだろう。そのせわしなさに清美が目を丸くしている。
「ありがたい。このクラブソーダはカロリーがゼロでな。ぼくのような糖尿病
の人間にも気にせずに飲める嬉しい飲み物なんですな」
「部長が白根河さんにこれを、と仰有いまして」
 清美の言葉に白根河が大げさに喜んだ。
「これはこれは、部長さん、気を使っていただいて」
 私はにっこりと笑って見せた。
 ――クラブソーダを頼んだのにはもうひとつの重要な理由があるのだが、ま
あ白根河には分かるまい。

 清美が会釈をして応接室を出ていった。私はおもむろに右手に掴んでいた書
類を白根河の目の前に置いた。
「これが白根河さんから提出していただいた業績予想の書類でしたよね」
 白根河の視線が書類に落ちる。私は書類の数字を読み上げながら、ゆっくり
と左手を自分のコップの上に持っていった。静かに中指と親指を離す。白い粉
は音もなくコップの中に落ちていった。さりげなくその様子を確認してから左
手を引っ込める。大丈夫だった。白根河は私の動きに不審を持ってはいない。
「ですから、この数字だと新しい融資を上積みというわけには、私の一存では
無理ですよ」
 私は難しい顔を作ってみせた。案の定、白根河は私の言葉尻を取ってきた。
「あんたが無理だというなら、決められる人を呼んできてくださいよ。ねえ、
今日はちゃんとしたものを持ってきてますから」と白根河は内ポケットに手を
突っ込んだ。
 あわててそれを制止する。こんなところで賄賂でも出されたら大変だ。
「そんな真似は止してくださいよ」と言いながら私は腰を浮かせた。「分かり
ました。それじゃあ上司と相談してきますから、もう少し待っていてください。
なんだか暑いですねこの部屋。もし良かったら、手を着けていませんから私の
クラブソーダ、どうぞ飲んでください」
「ああ、こりゃどうも」
 白根河は大げさに頭を下げた。
「それじゃ白根河さん、少し待っていてください」
 と応接室Fのドアを開けながら、私は白根河にもう一度声をかける。
「はい、よろしく頼みます」
 白根河は大きく返事した。白根河の声は受付の瓜生清美に聞こえただろう。
これで私が応接室Fを出たときは白根河はまだ生きていた、と清美が証言して
くれるはずだ。

 それからは全て私の計画通りに事は運んだ。
 私が9階の営業部に戻り上席の役員に白根河の件で話していると、総務部か
らあわてふためいた電話がきたのだ。応接室Fで白根河が死んでいるという。
飲み物のお代わりを伺いにいった受付の瓜生清美が、床に倒れ込んでいる白根
河を発見したらしい。
 それから救急車と警察がほぼ同時に到着した。
 私は警察に呼ばれて現場を見た。白根河は目を剥いて死んでいた。服毒死ら
しいと説明を受けた。テーブルの上には飲みかけのコップが二個。どちらにも
半分くらいずつクラブソーダが残っていた。
「おそらく、これに毒を入れて飲んだのでしょう」年輩の刑事がコップを指さ
した。
 警察は白根河との面談の内容に関心を示した。
 私は白根河の会社白根河建設の資金繰りが行き詰まっていて、融資の上積み
を相談に来たと説明した。融資は無理だとはっきり断ったこと、それを聞いて
白根河がはひどく落胆していたことなどを付け加えた。
「ははあ、それだな。絶望して毒を飲み物に入れて飲んだということか」
 それで刑事の質問は終わりだった。自殺なら自分たちの出番はないというの
か、捜査の方はさっさと切り上げにかかっている様子だった。
 私は白根河の死体に向かって合掌してから応接室を出た。

 ――うまく行った。糖尿病でコーラやジュースの飲めない白根河は日頃から
カロリーゼロのクラブソーダを飲むと聞いていた。クラブソーダは甘みがない
分だけ炭酸が舌に刺激的なのだ。だからシアン化ナトリウムが混じっていても
気づかれにくい。それに糖尿病は唇が乾く。白根河は渇きに耐え切れず、私が
席を外した隙に、手つかずの私の毒入りクラブソーダをきっと飲む。そう読ん
だ私の狙いはあたったのだ。白根河は死んだ。担保にとってある生命保険であ
いつへの融資は回収させてもらおう。いやあうまく行った。

 ほっと安堵の胸をなで下ろしたのも、つかの間だった。
 2日後、警視庁の立花という警部が突然私のところへやってきたのだ。面倒
くさそうに逮捕状を私に示すと「白根河健吾を殺害した容疑で逮捕する」と冷
ややかに言い放った。
「え? 白根河さんは自殺だったのでしょう?」
 反論しかけた私を立花警部は自信に満ちた冷たい目で見返してきた。
 ――何か私は致命的なミスをしたのか?
 背筋を冷たい汗が流れた。

■コップ半分の殺意 [問題編] 終わり  

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立花警部はどうやってトリックを見破ったのか。私の計画には、どこに破綻が
あったのか、みなさんも考えてみてくださいね。
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