AWC 怪談『塚』 =お題「幽霊」参加作品=  ・峻・


        
#944/1336 短編
★タイトル (NFD     )  97/11/23  21:56  (162)
怪談『塚』 =お題「幽霊」参加作品=  ・峻・
★内容

        『塚』
                                ・峻・


 学生時代、私はよく一人で山歩きをしていました。
 ある夏の終わりに、群馬の山へ行ったときのことです。

        ◇      ◇      ◇

 登山口の駅に着いたときには、すでに天気が怪しくなっていた。
 大雨になりそうな厚い雲が、山裾に溜まり始めている。夏場、このあたりは気象の
変化が激しい。無理をしないのが山の鉄則と、私はあっさり登山を諦めて、帰りの電
車の時間まで駅の近くを散策することにした。
 小さな町だった。駅から十分も歩くと蕎麦畑ばかりになり、さらに十分ほど進むと
広い沼地に出た。その先へ足を伸ばしても大した風景には出会えそうもない。
 引き返そうとしたとき、沼のほとりに小山のように盛り上がった塚が目に止まった。
あたりが一面草むらの中に、そこだけ高く木々が生い茂って、遠目には鎮守の森とも
小さな古墳とも見えた。
 近寄ると、塚の周囲にはぐるりと杭が打たれ、切れ目なく有刺鉄線が張り巡らされ
ている。勝手に入ってはいけないようだが、暇つぶしにちょっと登ってみたくなった。
 物を盗るわけではない。それに、見ている人もいない。
 私は背負っていたリュックを下に置き、針金の隙間を強引に広げて体をくぐらせた。
 雑木の幹を伝いながら斜面を這い登ると、塚の上は長く伸びた木の枝が厚く空を覆
って、思いのほか暗い。頂上に立っても視界が悪く、まわりの景色を見渡すこともで
きない。わざわざ登るほどのこともなかった。
 塚を下りようとして足を滑らせたとき、つまづいた煉瓦ほどの石が斜面からころり
と剥がれ落ちて、そのあとに小さな穴が開いた。しゃがみ込んで中を覗くと、奥に深
い空洞があるのか、地の底からひやりと湿った空気が湧き上がってくる。
 何かの貴重な遺跡なのかも知れない。入ってはいけない場所を踏み荒らしたことが、
急に気に咎めだした。
 そのとき、穴から薄い煙のようなものが立ち昇って、すぐに消えた。気のせいか、
と思った。
 雲の足が速く、にわかに空が暗くなってくる。傘を持ってこなかったし、もう駅に
戻ったほうがいいだろう。急いで塚を下りた。
 腰をかがめ有刺鉄線の下をくぐりかけた首の後ろに、刺される痛みがあった。針金
の棘に引っかけたらしい。
 慌てると、ろくなことはない−−舌打ちをしながら右手で傷を確かめようとした私
は、思わず声を上げそうになった。手のひらに、ぬめぬめと粘りつく虫のような異物
を感じたのだ。払い落としてあたりを見回したが、何も見つからない。
 針金が刺さっただけか。
 リュックを背負い直して歩きかけると、足元の草むらの陰に古い立札が倒れていた。
泥にまみれた杉板に『危険、立ち入り厳禁』と墨書してある。
「あんた、塚に入りやしなかったろうな」
 いつからそこにいたのか、立札を見つめる私の後ろに、鍬を下げた老人が立ってい
た。
「いいえ」
 私はとぼけることにした。
「でも、何が危険なのですか」
 老人は疑いの目で私をにらんだあと、
「絶対に入るなということだ」
 と言い残して、そのまま立ち去った。
 ほっと息をついたとき、首の後ろの違和感に気付いた。手を当ててみると、さっき
痛んだところが十円玉ほどの大きさに膨れている。
 何だろう。
 蕎麦畑の道を引き返すうちに、なぜか、膝に力が入らなくなってきた。リュックが
重く肩に食い込んでくる。悪い風邪をひいたときのようだ。
 よたよたと駅の近くまで戻り、小さな食堂に入った。
 蕎麦を注文してから、トイレを借りた。洗面台の鏡で傷を確かめようとしたが、ど
んなに体をひねっても自分の首の後ろは見えない。指先で触れると、いつのまにかそ
こは卵の大きさに盛り上がって、ゴムのようにぶよぶよと歪む。水で濡らしたハンカ
チで火照りを冷やした。
 席に座りなおして、蕎麦を運んできた若い店員を呼び止めた。
「この先の塚には、何かあるんですか」
 少し声が震えている。
「何か、って?」
 首の後ろを見られないように気を付けた。
「いや、厳重に柵がしてあるので、どうしてかと思って」
 店員は無愛想に、
「あれに近づかない方がいいですよ」
 と言うだけで、すぐに私に背を向け、慌ただしく他の席の注文を聞き始める。
 食事をしている間、ずっと誰かに見つめられているような気がして、私は蕎麦を半
分以上残して食堂を出た。
 ぽつぽつと雨が降り始めていた。
 体が熱を帯びている。首の後ろ全体が瘤のように腫れ上がって、もう下を向けない。
 なんとかしなくては。
 私は薬局を見つけてガラス戸を開けた。
「首を怪我したんですが」
 白衣を着た店主に、首を曲げて後ろを指さした。
「薬ありますか」
 どれどれという顔で覗いた店主が、息を飲み込む。
「あんた、塚に入ったんじゃないのかい」
「塚に入ると、どうなるんですか」
 私は平静を装って聞き返した。
 店主は答えずに手を振り、
「すぐに病院に行きな」
 と、私を店の外に押し出す。
「駅前の先生のところに電話をしておいて上げるから」
 ぴしゃりとガラス戸が閉まった。
 雨は次第に降りを強めていた。おぼつかない足を引きずり、びしょ濡れになって、
なんとか教えられた診療所にたどり着くと、他には患者はおらず、すぐに診察室に通
された。
 かなり年を取った医者は、すでに薬局の店主から連絡を受けていたらしく、分厚い
眼鏡越しに私の顔を見るなり、
「膿を出さんといかん」
 と言う。
「これ、何の傷、なんですか」
 舌がうまく回らない。
「虻に刺された跡が化膿したんだろう」
「虻ですか」
「蜂かもしれん」
 棚からメスや注射器を取り出している医者を横目で見ながら、濡れたシャツを脱ぎ、
ビニール張りのベッドに腹這いになった。顎の下に枕を入れて首を垂れると、看護婦
が動かないように頭を支えた。斬首を待っているみたいだと思った。
  鎮静剤を打っておこう、と言われて、肩に注射をされた。すぐ薬が効いてきたのか、
なんとなく頭がぼんやりする。
 首の後ろでかちゃかちゃという音がしている。いつのまにか手術が始まったらしい。
痛みはないから、もう麻酔もしてあるのだろう。
  喉の横を、どろりと生暖かいものが垂れ落ちてきた。頭を押さえる若い看護婦の手
がぴくりと震えた。
「膿を出している」
 医者が言った。
 傷の中に指を突っ込んで、掻き出しているのだろうか。首の後ろでぴちゃぴちゃと
いう音がいつまでも続き、あふれた出たものが顎の下や胸にまで回ってくる。医者も
看護婦も無言で、時おり器械の触れあう金属音が聞こえる。
 気分が悪い。
「まだですか?」
 私は初めて声を出した。
「もう少し」
 そう言われてから、また大分時間がたったような気がする。
 ベッドに顔を押し付けて動くことができないまま、私は自分の首がどんなことにな
っているのか想像する。想像の中で、傷の穴はどんどん大きくなり、医者は袖まくり
した腕を手首まで差し込んでいる。
 ひどく眠くなった。
 霞がかかった頭の隅で、看護婦の抑えた小声が聞こえた。
「こっちにもいます」
 います?
 頭を動かそうとしたが、力が入らない。
「まだいます」
 何がいるんだ?
 さっきの注射のせいか、声が出なくなっている。
「先生、そっちに行きます!」
 メスが床に落ちる音が響いた。

 目を開けると、待合い室の長椅子の上に仰向けになっていた。
「もう良さそうね」
 さっきの看護婦が顔をのぞき込んでいる。
 首に包帯が巻いてあった。
「麻酔薬で、ぼーっとしてしまう人がいるのよ。すっかり膿を出したから、すぐに楽
になるわ」
 化膿止めの袋を手渡された。
「ずいぶん降ってきたけど、傘を貸しましょうか」
「雨は平気です。それより、何がいたんですか?」
「はあ?」
「いえ、なんでもないです」

        ◇      ◇      ◇

 家に帰ってから、合わせ鏡で首の後ろを見ると、わずか一、二センチの小さな傷が
あるだけでした。ほどなく熱が下がり、傷も塞がりました。
 遺跡に詳しい知人に尋ねたところ、あの塚は年代の不明な古い墓で、近く学術調査
が始まるということでした。
 隠れて立ち入り禁止を破った後ろめたさのために、過剰な反応をしてしまったよう
で、過ぎてしまえば笑い草です。
 今でもたまに、傷のあったところが豆粒ほどに膨れますが、痛みもないし、数日で
消えるので気にしていません。ただ、なぜかそういうとき寝室の枕元や床に、虫が這
いずり回ったような湿った筋跡が残っているのです。

                (完)


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