AWC お題>誤解@      つきかげ


        
#5452/5495 長編
★タイトル (CWM     )  01/06/18  23:37  (172)
お題>誤解@      つきかげ
★内容
 天使の羽毛が世界を覆い尽くし、静寂が降臨した。あたりは野に晒された骨のよう
な真白き雪に、満たされている。
 どこかでリン、と鈴の音に似た響きが聞こえた。それは、水晶の鳴く音である。
 白き静寂の野には鋼鉄でできた異形の兵士たちが、立ち尽くしていた。そして、僕
の傍らには、沈みゆく太陽の紅で雪を染めてゆく魔法使いが倒れている。
 天使は雪の中でほほ笑みながら、全てを見ていた。
 リン、ともう一度水晶が鳴く。
 そして影が空に舞った。
 夜を身に纏った水晶の人形が、真白き雪煙をたて静かに大地へ降りる。
 僕は僕を支配してゆく狂気にあらがうため、もう一度叫ぶ。
 そして、静かに宴が始まった。

 朝起きると、お母さんが死んでいた。お母さんは、獣化ウィルスに体のほとんどを
犯されつくしていたようだ。その死体は、豚のそれと見分けがつかなくなっている。
 獣化ウィルスに犯されたものは、動物に姿を変形させていく。その進行の速さはま
ちまちだが、場合によっては一晩で進行を完了することもある。
 お母さんの場合は、昨日の夜には全く兆候が見えなかったので、おそらく夜の間に
病はその支配を終えたのだろう。獣化ウィルスに犯されて変形した身体は動物とはい
え、どこかいびつで歪みを持っている。
 つまりあちこちに人間だった面影を、残しているものだ。お母さんの場合は、豚と
なった顔になんとなく人間だった時の面影が残っていた。
 そして、お母さんの左腕だけは人間のままである。左手の薬指にはめられたままの
銀色の指輪は、間違いなくお母さんのものだ。
 その豚の死体から生えている、優美な女性的な優しさを残した白い左手には包丁が
握られている。お母さんは自分が獣化ウィルスに犯され獣化病を発病したと知って、
自分で命を断ったようだ。
 お母さんの寝床は豚の首から流れでた血で、深紅にそまっている。獣化ウィルスに
犯されたものは、理性を失ってゆく。
 獣となった時には、大抵は狂乱状態となり、やがて全身の穴から血を噴き出しなが
ら死の舞踏を踊って死ぬことになる。お母さんは豚になりつつも、自ら命を断つ理性
が残っていただけましだろう。
 多分、お母さんは僕と同じで、いつも枕の下に包丁を置いて寝ていたのだと思う。
お父さんは、そうはいかなかった。
 お父さんは朝起きた時には、ほぼ猿に変形しつくしていたのだ。獣化ウィルスが動
きだすのは、大体寝ている時である。獣化病は睡眠と密接な関係を持っているらしい。
 起きている時ならば、死を選ぶことはたやすいだろう。寝ているときに訪れる病は
それを許さない。
 お父さんは、狂った毛むくじゃらの獣となっていた。その獣は血の交ざったよだれ
をたらし、狂気の咆哮を上げながら、かの子に襲いかかる。僕とお母さんは、死に物
狂いでその獣を殺した。
 獣化病は、決して治ることのない病だ。病に捕らえられたものは、殺すしか無い。
お母さんがつかまえた獣と化したお父さんの身体を、僕は包丁で突き刺しまくった。
 お父さんは刺しても、刺しても死なない。でも、なんとか殺すことができた。
「お兄ちゃん」
 かの子の声に、僕は振り向く。後ろ手に寝室のドアを閉めた。
「何しているの?」
 僕は首を振る。
「何でもない」
 僕はかの子の身体を振り向かせると、その背を押す。
「さあ、いこうか、かの子」
「いくって、どこへ?」
「四国のおばさんのところへさ」
「ふうん、お母さんは?」
「お母さんはいかない。僕らだけでいくんだ。お母さんには、そう言っておいた。さ
あ、支度を始めるよ」
 かの子は少し怪訝な顔をしていたが、やがて僕の指示に従い始めた。僕は前々から
準備していたものを、バッグにつめてゆく。
 それは米軍のサバイバルマニュアルに書かれている野営の道具一式と、最低限必要
と思われる着替え類だ。当座持ち歩けるような、保存食もつめこむ。
 僕らは家を出た。あたりは静かだ。この数箇月必要なものを調達する以外、ほとん
ど出歩かなかったが既に街が廃墟であることは知っている。
 獣化ウィルスは日本中に蔓延していた。汚染された都市は封鎖され、次々と切り捨
てられてゆくだけだ。ウィルスを防止する手だてはない。
 僕はかの子をつれて歩き始める。この街は一応東京都の中にある街だが、もう随分
前に封鎖されていた。大半の人はそれでも脱出したらしい。
 でもどこへいっても多分同じだ。遅かれ早かれウィルスは追い付いてくる。残った
人達は皆静かに病が訪れるのを待ち、自決していったようだ。
 かの子は従順に歩いている。かの子はお父さんが狂った獣になって死んで以来、現
実を直視することを止めたようだ。
 かの子の中では今でも静かな日常が流れている。日本がウィルスに飲み込まれる前
のあの日常。毎日変わらず学校へゆき、休日には友達と遊びに行くようなあの繰り返
しの日々。
 僕はそれを否定するつもりは無い。かの子が生きていくためには、それは必要なも
のなのだろう。
 僕は幹線道路に出た。この道をゆけば、いずれ高速道路のインターチェンジにでる
はずだ。僕は高速道路を伝って四国へ向かうつもりだった。
 広々とした片側二車線のその道路は、世界が崩壊する前は車にいつも埋めつくされ
ていた道だが、今そこにいるのは僕たちだけだ。
 冬になったとはいえそう寒くはなく、歩くのは苦にならない。そういう意味ではあ
の家を捨て去るには、ちょうど善い時期だったのだろう。
 僕らは、道の中央近くを歩いていた。前方遠くに人影を見つける。
 僕はいやな予感を感じ、歩みを止めてあたりを見た。気付くのが遅かったらしい。
もう回りを囲まれているようだ。
 獣化ウィルスは進行が遅ければ、何箇月もかけて人を動物に変えてゆく。その場合
理性の失われてゆく速度も、病と同様に緩慢ではある。しかし、大体において半ば獣
と化した人間たちは、凶暴で破壊的であった。
 彼らは見境なく、病に犯されていない人間を傷つけようとする。病院は彼らを受け
入れ収容していたが、都市の崩壊がこれだけ進行した今となっては、その半ば獣であ
り半ば人間であるものたちは野放し状態だろう。
 僕らは今、半獣人たちに取り囲まれようとしている。彼らは僕たちを中心にして、
半径十メートルほどの円を描いて取り囲む。
 彼らの姿はまちまちだ。牛のような頭を持つもの。馬の足を持っているもの。身体
は巨大なライオンだが顔だけは人間のものもいる。また、上半身は鳥であるが、下半
身は人間というものもいた。
 皆一様に虚ろな瞳をしている。彼らの望んでいるものは、僕らの生き血だ。彼らは
正常な人間の生き血を飲むことによって、病の進行が押さえることができ、苦痛を和
らげることができると信じていた。事実、そうなのかもしれない。いずれにせよ僕は
彼らに生き血をやるつもりは無かった。
 僕はジャケットのポケットの中に手を突っ込んでいる。その中には拳銃がはいって
いた。その拳銃の元の持ち主である警官は、自分で頭をぶち抜いて死んだ。その時警
官の身体は、半分ほどオオサンショウウオとなっていた。
 拳銃はリボルバーであり、弾倉には四発残っている。多分この拳銃で、できる事と
いえば、僕とかの子の命を断つことだろう。相手の数が多すぎる。
 それでも僕は逃げるつもりでいた。拳銃を威嚇に使えば多少は半獣人もひるむだろ
う。運がよければ、その隙に逃げられるかもしれない。
 正面にいる牛男が咆哮した。回りにいる半獣人たちも呼応して吠える。半獣人たち
は意味の無い舞踏のような仕草で歩き回っていた。その瞳には、狂った欲望しかない。
 僕の手は震えていた。無力すぎる。僕の持っている拳銃はこの狂気の前にはほとん
ど意味がない。
 僕は後ずさり、夢中でかの子を抱き締める。かの子は笑っていた。その視線は宙を
泳いでいる。
 僕はその視線を追った。牛男の向こう。道路の中央くらいのところ。そこにきらき
らと光るなにかがあった。
「お兄ちゃん、来るわよ」
 かの子の言葉と同時に、きらきらとした光は数を増してゆく。あっというまにそれ
は獰猛な光の洪水となった。
 天空から光の球が投げ付けられ、砕け散ったかのように、光の洪水があたりを満た
した。その物理的な力を持つかのような光の流れは、一瞬僕らの視界を閉ざす。
 光の洪水が流れ去り、僕らが再び世界を見ることができるようになった時、まず最
初に目に飛び込んできたのは、馬であった。
 黒くて巨大な馬。その馬は普通の倍以上の、大きな身体を持っている。その馬が馬
車を曳き走ってきた。
 逃げ遅れた牛男は、巨大な馬に踏み潰される。馬は僕の目の前まできた。馬車に乗
った灰色のマントを纏った御者が、手綱を引いて馬を止める。馬は激しく嘶くと前足
を高々と上げた。
 僕はかの子を抱えて必死にその蹄から逃れる。巨大な馬は、僕の目の前で止まった。
 その瞳は明けの明星のごとく燃え上がり、その吐息は逆巻く炎である。思わず後ず
さる僕の前に、灰色のマントを纏った御者が飛び降りてきた。思ったより小柄なその
御者は呟きをもらす。
「なんという世界だここは」
 半獣人たちは、その馬車が出現したパニックからあっという間に立ち直る。という
より、さしてその馬車の出現を気にしていないようだ。
 彼らの視線は、灰色のマントの人に向けられている。マントの人はフードを払いの
けた。僕はそこに現れたその人の美しさに、思わず息をのむ。
 燃え盛る太陽のように輝く金色の髪、そして夜の闇を貼りつけた漆黒の肌。瞳はそ
の暗黒の宇宙に煌めく恒星であり、その姿は闇と光の婚礼によって生み出されたもの
のようだ。そしてその顔を形どる柔らかなラインは、間違いなく少女のものであった。
 上半身が鳥の人間が羽ばたきながら、鋭い嘴を突き立てようとその人に襲いかかる。
その漆黒の肌の人は、灰色のマントを翻し、優雅な舞踏のようなステップでその攻撃
をかわす。そして、明瞭な声で詠唱を始めた。
「遥かなる大地の果てに住まう、偉大なる火炎地獄の覇者にして、死せる大地を渡る
神秘なる力の顕在化である炎の精霊よ、いにしえに捧げられた我が一族の血と肉によ
って為された約定を果たす時が今きた」
 その歌うような、叫ぶような詠唱は優雅な舞踏とともに続けられてゆく。その詠唱
は廃墟と化した街に響き渡っていった。世界は金色の髪を持つ彼女の声によって、支
配されていくようだ。
 一瞬、雷鳴を光に変換したような世界の亀裂が中空に走り、生命を持った炎が出現
する。その炎は深紅の龍を思わせる姿を持ち、一瞬にして鳥人間を焼き尽くした。
 炎はさらに獲物を求めて、地を這いずり回る。闇色の肌を持つ少女は女神のように
静かにほほ笑む。
 僕は、はっと気が付いた。鰐のように変形した顔を持つ男が、馬車の荷台のそばに
立っている。その手に持たれた斧は、振りあげられていた。荷台にあるものに向かっ
て、今まさに振り下ろされようとしている。
 その時僕のとった行為は、殆ど無意識のうちになされた。僕はポケットの中に入っ
ていた拳銃を取り出すと、鰐男を撃つ。
 弾は鰐男に命中し、鰐男は尻餅をつく。拳銃弾はあまり鰐男には深手を負わせなか
ったが、それで十分だった。銃声に気が付いた灰色のマントの人は、拳を鰐男に向か
ってつきだす。
 それに応えて紅蓮の炎が渦を巻きながら、鰐男を覆う。鰐男は一瞬にして炭の固ま
りとなった。
 十人ほどいた半獣人たちが黒焦げになるのに、おそらく一分もかからなかかったろ
う。凶悪な真紅の炎は、満足げに大地をひと嘗めすると、再び時空の裂け目へと戻っ
ていった。
 静寂が再びあたりを支配する。巨大な黒い馬は、彫像と化したように動かない。金
色の髪の少女は、ゆっくりと僕の前に歩いてくる。
 その金色に輝く瞳が真っすぐ僕を貫いた。
「礼をいわねばならないようだ」
 少女は凛とした声で僕にいった。その口調は大人の、それも訓練された兵士のよう
な堅い調子を帯びている。まるで戦いが日常化した世界からきた人のようだ。
「礼といったって、僕らのほうが助けてもらったようなものだし」
 少女はふっと身を翻すと、荷台にあるものを確認する。僕は、それを彼女の肩ごし
に確認した。それは頑丈そうな漆黒の材木でつくられた棺桶だ。




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