AWC お題>停電@ つきかげ


        
#5011/5495 長編
★タイトル (CWM     )  99/12/27  17: 3  (190)
お題>停電@                                        つきかげ
★内容
 風の強い日だった。私は、木枯らしの吹きすさぶキャンパスから相変わらず本の迷
宮のようなその研究室へ入り、なぜかふと安らぎに似た気持ちを感じる。そして私は、
デスクに向かっている高松教授に声をかけた。
「ご無沙汰しています、先生」
 教授は振り向くと懐かしそうに微笑んだ。
「よくきてくれた、藤崎君」
 私は教授のそばに立ち、その傍らに腰掛けている青年に気付く。入り口からは本の
山に隠れて見えなかったようだ。端正な顔をした青年は、柔和な笑みを見せて会釈す
る。
「紹介しておこう、彼が研究生の水戸君だ。水戸君、彼女が話していた私のゼミの卒
業生、藤崎君だ」
 私は、教授に勧められるまま腰を降ろし、水戸と紹介された青年を見る。いわゆる
学者タイプの理知的な瞳を持っていたが口元に浮かぶ笑みは気さくな、人懐っこいと
いってもいいものだ。私はなぜか、彼に懐かしい感じを抱く。
「では私は水戸さんがされる、ロールプレイの相手になるのですね」
 教授は頷く。教授は、机の上で何か探しながら言った。
「そうだよ。ええと、藤崎君はロールプレイの実習を受けたことはあったかな?」
「いえ、臨床の実習を受けたことはありません」
「ああ、あったこれだ」
 教授はけっこう分厚いレジュメを取り出して、私に手渡す。
「普通はカウンセリングのロールプレイなんてものは、学生同士でやるものだけどね。
水戸君は色々な人間とやってみたいという希望を持っていて、それ自体はとてもいい
ことだと思っていてね。学外の人間にも協力してもらっている。それで今回君にもご
足労願ったわけだが」
 私は教授に微笑みかける。
「いいですよ、本業が今は暇ですし、アルバイト料さえもらえるなら何でもやります」
 教授は頷くと、私の手元のレジュメを指さす。
「その資料に今回のロールプレイの設定が書いてある」
「設定ですか」
「まあ、芝居の台本みたいなものさ。つまり、藤崎君、君には実際に過去にカウンセ
リングをうけたある女性を演じてもらうことになる。年齢は君とおなじで24歳。既
婚者だ。いってみれば昔、実際に行われたカウンセリングを芝居で演じるようなもの
と考えてくれればいい」
 私は、少し首を傾げる。
「では、この台本の通りに台詞を私はしゃべるということですか」
「いや、そっくりそのままやる必要は無い。例えば、水戸君の応対に君自身が納得い
かなければ、台詞はむしろ君自身の気持ちに従ったものに変更してもらったほうがい
い。水戸君のカウセリングの能力を鍛えているわけだから、彼に疑問を持てばそうい
えばいいし、台本通り対応する必要は無いよ」
 はははと、水戸さんが笑う。
「怖いな、なんだか」
 私は、水戸さんに微笑みかける。
「じゃあ設定に合っている範疇で、好きにさせてもらいます」
「お手柔らかに」
 私は、教授に向き直る。
「その設定資料は一回目のセッションのものだ。セッションは全部で20回ある。前
に話した通り週一回2時間づつそれをやっていくのだけれど、何か事情ができてやめ
たくなれば、いつでもやめていい。資料は毎回そのセッションの分を直前に渡すよう
にする。事前にざっと目を通してもらい、そのセッションの雰囲気さえつかんでもら
えばいい。君のアドリブの内容によっては、次回以降のセッションの設定を変えるか
もしれない」
 私は頷く。
「で、場所はここでやるのですか」
「いや、実際のカウンセリングルームではないけれど、それようの部屋を用意してあ
る。普通は会議室に使ったりする小スペースだよ。それと、スーパーバイザーは私が
行う」
「スーパーバイザーですか?」
 私の怪訝な顔に、教授は笑みで答えた。
「ああ、すまん。臨床の実習は知らなかったんだな。ロールプレイの現場に私も立ち
会うということだ。私がロールプレイ中に口出しをすることは無い。置物とでも思っ
ていてくれればいいさ。では、さっそく準備にかかってもらっていいかな」
 私は頷くと、レジュメを読み出す。ロールプレイの中で私は、Lという仮名を与え
られた女性になるようだ。カウンセラーの仮名はKとなっている。
「ええっと、藤崎さん」
 水戸さんが、声をかけてきた。
「なんでしょう」
「ロールプレイに入る前に、役の上でのあなたでは無い、本当のあなたのことを少し
聞きたいのですけど」
「ああ、そうですね」
「とりあえず、僕のほうから自己紹介しときますけど、心理学部で臨床心理を専攻し
てます。大学院に入ってから教授のカウンセリング研究会に参加するようになりまし
た。年齢は27歳、独身です」
 私は少し関心して水戸を見直す。
「ああ、そうなんですか。私と同い年か年下かと思ってしまいました」
「はい、よくいわれます」
 私は、少し微笑んで頷く。
「それでは私の自己紹介の番ね。私の名前は藤崎かおり。心理学部にいましたけど、
あまり真面目な学生ではありませんでした。教授とは絵の趣味が合ったので、仲良く
してもらってますけど。職業は一応イラストレイターです。あまり本業の仕事は無く
て、こうしてアルバイトをよくしてます。半年前に離婚したので、今は独身です」
「へえ、そうなんですか」
 水戸さんは、少し目を丸くする。
「こんなこと聞いていいものか判らないので、答えたくなかったら無視してもらえば
いいけど、お子さんはいるの?」
「ええいます。離婚の原因は、早く子供をつくったことにあると思います。今にして
みれば多分、夫婦二人きりでもっとよくお互いの関係を成熟させてから子供をつくれ
ばよかったと思うの」
「うーん、じゃあ仕事は大変だね。お子さんの世話しながらじゃあ」
「今、子供は私の母に預けています。仕事が軌道にのるまで子供とは別れて暮らすつ
もりです」
 水戸さんは、ため息をついた。
「大変だなぁ。でも、ご両親が健在なら安心かな」
「両親という意味では、健在とはいえないかな。父は行方不明なので」
 水戸さんは、絶句する。
「そりゃあ大変だなあ。余計なこと聞いちゃったね」
 私は、少し微笑む。
「いえ、いいんですよ。父は作家なんですけど、元々放浪癖があってよくいなくなっ
たから、私は、母だけに育てられたようなものなんです。ねぇ、自己紹介は終わりで
いいかしら。私のカウンセリングをするわけじゃないんでしょう」
 水戸は、はははと笑う。
「いや、ごめん。資料に集中して下さい」

 セッション1

【水戸のノートより】

 私たちが用意したその部屋は、7、8人の人間が会議できる程度の小スペースだ。
壁面はその部屋が展示室としても使えるように考慮したためか、窓がつけられていな
い。狭く閉鎖的な空間である。
 カウンセリングをイニシエーションの儀式になぞらえた心理学者がいたが、この空
間は外部からの隔離性という意味ではとてもよく目的に合っていた。私たちの計算通
りだといえる。
 扉がノックされた。私は、部屋に入るように声をかける。
 彼女はほとんど、研究室であった時とは別人になって、この部屋に入ってきた。そ
の瞳からは笑みが消え、どこか挑発的な光を放っている。彼女は、私の想像以上に完
璧な形でLになりきったようだ。
 Lは会議卓をはさんで、私と向かい合う形で座る。
「ねえ、すぐ始めるの?」
 Lの言葉に、私は頷く。
「じゃあ、K先生。私は何から話せばいいのかしら」
「君の話したいことを、話せばいい」
「ふうーん」
 Lはどこか悪意を秘めたような瞳で、私を見ている。
「私はねぇ、絵を描くことを職業にしているの。でもねぇ、今は描けなくなってしま
ったの。なぜだか判る?」
 私は無言で首をふる。ただ、Lの瞳を真っ正面から受け止めていた。
「私はねえ、魂を無くしてしまったの。魂を持っていない人間には、どんな形であれ
作品なんてつくれないのよ。判る?無くなったのは小さくて大事な私の魂」
 Lは笑う形に口を歪める。
「ねぇ、K先生。あなたは魂の実在を信じるの?」
「少なくとも、魂の実在は証明できないと思っている。それが無いことを証明できな
いのと同様にね」
「あらあら、随分つまらない答えをかえしてくるのね。まあ、いいわ。許してあげる。
私がどう考えているのか教えてあげる。私はねぇ、そうね、人間がただの有機的な機
械だなんていう説を聞くと、ほんとばっかじゃないのと思うわ」
 Lの瞳は次第に強い光を放ちはじめているようだ。
「例えば脳がシノプシスの組み合わせによる電磁気的な機械という、大昔のデカルト
が考えたようなおそまつな説。そんなのじゃ、記憶のメカニズムさえ説明できないの
よ。シノプシスの組み合わせだけでは人間が保持できる記憶の容量を満たすことがで
きない。だいたいねぇ、想い。想いというものが、脳からでてくるものだとても思っ
ているのかしら。馬鹿いってるんじゃないわよ。想いっていうのはねぇ、おなかの中
からも胸のなかからも、手からも、足からも、あらゆるとこから湧いてくるの。脳は
それを受け止めるだけ」
 Lは意味なく笑う。
「例えばさぁ、人間は快楽の機械なんていう人もいるじゃない。人間は脳内麻薬によ
り快楽を与えられるような行動をプログラミングされ、条件づけられてるって。母親
の子供に対する愛情さえ、脳内分泌に基づく条件反射行動の総体にすぎないとかさあ。
もう馬鹿、馬鹿、馬鹿、大馬鹿ものよ。そんなやつ」
 Lは少しため息をつく。
「いい、たとえ人間の行動の全てが脳内分泌に基づく条件反射で説明できるとしても
よ、それが何だといいたいわけ。それって喩えてみれば、ゴッホの絵を調べてみてこ
の絵を構成しているのは土と布にすぎないといっているのと同じことよ、ねえ、K先
生あなたもそう思うでしょ」
「私は、君の意見は少し極端過ぎて冷静な論証を欠きすぎていると思うが」
「何よ、あんたも馬鹿の仲間に入るつもり。あんたさぁ、赤ちゃん抱いたことあるの。
凄く可愛いのよ。それがさあ、脳内分泌の条件だとかさぁ、ああ馬鹿ほんと。ああ、
ちっちゃくて可愛い私の赤ちゃん、ああ」
 Lは少し沈黙する。そして唐突に言った。
「ねえ、ゴッホ。ゴッホの絵を見たことある?凄いのよ、ゴッホは。ひまわりの絵を
描いてもそれはひまわりじゃないの。それはさあ、魂。孤独な魂が宇宙の果てに置き
去りにされて叫んでいるの。おれはここにいるって。あれってさあ、芸術とかなんと
かそんな陳腐な観念を越えちゃうの。あれは存在することの悲哀を絶叫してるのよ」

 しばらく、彼女の好きな絵画の解説が続くが、省略する。
 Lは興奮して絵の話をしていたが、突然沈黙した。そして、語り始める。

「何の話だったかしら、そうそう、魂。私の魂。私の魂どっかにいっちゃったの。ね
ぇ、どこにあるか知ってる?」
「それを探すのが、我々の目的だと思っている」
「そうね、そうだわ」
 Lは少し遠くを見る目になった。
「でもどこにあるのか知ってるの、私。暗いところ」
 Lの声は急に不安そうになる。
「暗い、闇の中に閉じこめられたの。暗いところ。それは、本」
「本?」
 私は思わず問い返した。
「そう、本。黒い表紙の本」
「その本というのはいったい」
「世界は黒い闇の力を持った司祭に支配されている。その闇の力に誰も逆らえない。
私は、その力に捕まった。本の中」
 Lは少し我に返ったようになる。
「本?いいえ、違う。闇の司祭。いいえ、判らない。私には、判らない」
 この時点で時間となり、私はロールプレイの終了を宣言した。
 Lはおおむね、台本通りにしゃべっていた。終了間際に言った本のことを除いて。
私は特にその本のことを尋ねることはしなかった。ロールプレイ中に無意識にでたこ
とばを終了後に追求するのはルール違反に思えたからだ。

 セッション1 終了






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