AWC  岩手旅行記(一)      [竹木貝石]


        
#3988/5495 長編
★タイトル (GSC     )  97/ 7/ 4   9:20  ( 63)
 岩手旅行記(一)      [竹木貝石]
★内容

   前置き

 この旅行を思い立ったのは、最近ようやく時間的精神的にゆとりが出来たことと、
盛岡在住のさくさん(桜井聖太郎氏)およびのぶた君(小山伸正氏)に何十年ぶりか
で会って旧交を温めたいという気持ち・〈手で見る博物館〉の見学・〈第39回 全
国盲人音楽家福祉大会並びに邦楽演奏会〉に参加・長男夫婦と嫁の両親を訪問 とい
う幾つかの目的があった。

 1.私は結婚35年、妻と二人で一度も旅行に出かけたことがなかったが、今年の
3月、退職記念に箱根〜伊豆方面の旅行に行ってきた。若い時のように精力的にあれ
もこれもと見て歩くことは出来ないが、これからは老後のゆったりした旅を楽しみな
がら、地方の風物や神社仏閣を見物して回るのも面白かろうと考えている。

 2.私と桜井氏は、東京教育大学特設教員養成部時代の同級生で、寄宿舎でも1年
間同じ部屋だった。夏休みに友達三人で、栃木のさくさんの実家へ泊まり掛けで遊び
に行った懐かしい思い出もある。彼は大学卒業後、現在の岩手県立盲学校に赴任し、
今年定年退職を迎えたが、4月からは嘱託教員として引き続き勤務しており、敬虔な
クリスチャン・穏やかな人柄は皆から慕われている。さくさんは私財を投じて、視覚
障害者の為の〈手で見る博物館〉を開き、後で述べるように、実に貴重な博物類を大
量に収拾し、盲人たちに無料で触察させている。これこそは彼の面目躍如たるライフ
ワークである。

 3.のぶた君は、名古屋盲学校の後輩で、私が中学3年生・彼が小学5年生の時、
寄宿舎で1年間同室だった。その頃の物語は、私の自分史『中学生時代』に詳しく書
いた。彼も教員養成部に進学したが、丁度就職難の時期に当たり、よく就職相談に預
かったものだ。彼はその後函館視力障害センターから岩手盲学校に転勤して現在に至
っている。小山君のおおらかで物事に拘らない性格は、先輩や後輩たちの間で定評が
ある。

 4.私が札幌盲学校に勤務していた頃は、まださくさんものぶた君も独り者で、そ
れぞれ私の狭い市営住宅へ泊まり掛けで遊びに来た程の仲であり、毎年の年賀状に、
「近い内に是非盛岡へ遊びに行きたい。」
 と書き送りつつ、私は一度も訪ねる機会がなかった。

 5.理療(あん摩マッサージ指圧・鍼・灸)及び邦楽(琴・三弦・琵琶)は、我が
国における視覚障害者の二大職業であり、盲人にとって生活の糧でもある。それと同
時に、日本の伝統を守り発展させてきた盲人先覚者の行跡を見逃すことは出来ず、我
々はこれを誇りにさえ思っている。理療は江戸時代の杉山検校以来、主に視覚障害者
が人々の健康保持に貢献してきた立派な東洋医学であり、邦楽は鎌倉時代の琵琶法師
に始まり、昭和の宮城道雄に代表される日本固有の伝統音楽である。しかるに、平成
の現代、理療師の免許所有者の人口は、晴眼者4に対し視覚障害者1の割合となり、
邦楽の分野でも、さらに著しい晴眼者の進出によって盲人が完全に圧迫されている。
いかに手先の器用な視覚障害者といえども、今日のような経営上手の晴眼者相手では
到底太刀打ちなどできはしない。それでも、盲人は諦めずに技を磨き、必死の努力を
続けているのであり、私は及ばずながら、それら邦楽関連の行事や活動に声援を送る
つもりでいる。

 6.私ども自慢の長男は、今34歳、東京の会社に勤め、3年前に結婚して、子供
(私にとっては孫)はまだ居ないが、昨年春、埼玉県にマンションを購入した。初日
はその息子の家を訪ね、嫁の両親を交えて夕食を共にし、一泊して翌朝盛岡へ向かう
予定を立てた。

 7.私の職業は、元盲学校の理療科教員で、曲がりなりにも医学知識を身につけ、
それらを生徒に指導してきた。無論、盲教育や理療の将来に対する夢も理想も抱いて
はいるが、本職よりも趣味の方が好きで、ついついそちらに力が入ってしまう。とこ
ろが、本職の理療関係の学問については小まめにノートを取り、丹念に資料を作らね
ば気が済まない私なのに、何故か趣味の分野ではあまり記録をつけず、心覚えで文章
を書いたりしている。一つには、旅先でいちいち点字の記入をするのが大変だという
面もあって、結局今回も書き留める労力を惜しんだために、正確な紀行文をまとめる
ことが出来なかった。特に、数字や固有名詞については誤りが多いことをお断りして
おかねばならない。





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