AWC フリー日記から   [竹木 貝石]


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#464/1158 ●連載
★タイトル (GSC     )  05/12/03  04:32  (172)
フリー日記から   [竹木 貝石]
★内容                                         05/12/04 20:37 修正 第2版
   10月28日(金)

 シスアド試験は相変わらずの難関で、残念ながら今回も、午後問題の点数が
取れなかった。

 ということもあって、またまた将棋中心の生活に戻っているが、メール対局
はポカミス続きの負けが込んできて、『第2期 宗桂杯トーナメント戦』では、
桑名のYさんに敗れ、『第2期 勝ち抜きリーグ戦』でも、浜松のRさん、滋賀
のLさん、そして、実力第一人者のZさんに、いずれも短手数で負かされて、
目下2勝3敗という哀れな成績である。こんな状態では、全国大会で勝てる筈
が無く、高齢のせいだろうが、集中力・判断力・記憶力が衰えてきたことを、
自ら深刻に自覚しなければならない。
 それよりもショックだったのは、S先生(尺八の師匠)に対して不信感を
覚えたことである。昨日尺八の稽古の後、例によって先生と将棋を指し、結果
的には1勝1敗だったが、甚だ釈然としない思いが残った。すなわち、第1
試合は私の完勝となり、第2試合は逆にS先生の完勝で終わるところを、私の
粘り腰で正に大逆転となった。けれども、最後の最後、私が相手の玉を詰める
段階で、S先生に持ち駒を尋ねたところ、「金銀しかない」と言うので、念の
ため「金と銀が1枚ずつですか?」と確認すると、「そうです」と言葉少なに
答えた。そこで私は「金銀が1枚だけなら、こちらの玉はまだ大丈夫ですね」
と言いつつ、僅かに1手緩めた。すると、死んだような顔をしていた先生が、
俄然私の玉を追い込みにかかり、金銀どころか、持ち駒の香車2枚と飛車まで
使って、結局私の王様を詰ませてしまった。そういえば以前にも同じような
ことがあって、そのときは私の思い過ごしだろうと善意に判断していたが、
いずれにしても、持ち駒を確認するのは視覚障害者として当然の権利であり、
正式な大会でもそれは認められている。晴眼者なら駒台の上を見れば一目で
持ち駒がわかるが、視覚障害者にはそれが出来ないから、ときどきは相手の
持ち駒を確かめなければならない。「持ち駒を記憶するのも実力のうち」と
いう理屈もあるだろうが、高段者ならいざ知らず、我々程度の棋力では、そこ
までのハンディを背負わされるのは酷である。私の信条として、「視覚障害を
克服こそすれ、ハンディを売り物にしたり、いいわけに持ち出したりは決して
しない」というのが人生観であり生き甲斐にもなっている。が、そんな私と
いえども、将棋対局の相手が持ち駒をきちんと答えないのはアンフェアだと
思う。S先生は相当に将棋が好きで、日頃から勝ち負けにこだわる人だとは
気づいていたが、只さえハンディのある私を相手に、「ごまかしをしてまで
勝ちたいのか!」と、がっかりしてしまった。
 子供の頃のM君、学生時代のNさん、近年のK氏など、将棋の勝ち負けに
こだわり過ぎる人間をたくさん知っていて、彼らは勝てば手放しで喜び、負け
そうになると不機嫌になる。しかし、S先生までがその程度の人物だったとは
いささか情けなくもあり、同時に、人の性格を変えてしまうほどに「将棋は
魔物だ」とつくづく感じたしだいである。

 先日、札幌からT氏が来た。三重県の賢島で同級会があり、ついでに、犬山
のモンキーセンターを見物し、下呂温泉で保養するということで、兄弟・姉妹
6人が連れだっての旅行だった。途中、名古屋駅で2時間ほど余裕があると
いうので、みやげ物を買うのにつきあったが、T氏もかれこれ77歳になるだ
ろうか? 一昨年文化勲章をもらったが、今年の初めに脳梗塞で入院したり、
泥棒に入られたりと、良くない出来事もあったという。若干耳が遠くなり、
話し方も少しもたつく感じだ。

 そのT氏から先ほど電話があり、WF君が、ドクターストップで病院勤務
を休んでいると聞いた。W君は何年か前から歩行障害を起こし、病名を言わ
ないので真相は知らないが、どうやら腎臓が悪くて、透析の一歩
手前まで来ているらしい。
 W君は私にとって掛け替えのない人物であり、数多い教え子の中で彼ほど
親しい男は居ない。つき合いの長さと深さにおいて、教え子というよりも親友
と言ってよかろう。F君とは不思議に趣味が合い、話もよく弾む。彼と一緒に
いるとき、私は全然神経を使わず気が楽だし、F君もきっと同じではないかと
思ったりする。彼は弱視者で人がよいから、いつも私の方が世話になってしま
うが、彼はそうした労を惜しまない。損得計算とか、策略とか、人を出し抜く
とか、そういうことが一切無い点で、今時珍しい好人物であり、私には彼の
欠点が見えない。
 毎年欠かさず、夏には夕張メロン、年末には秋味(鮭)を、それも特大の品
を送ってくれて、物をくれるからありがたいという訳ではないが、30何年間
も欠かさず送り続けるのは容易でないと思う。私が札幌に行くと必ず1日か2日はつき
あってくれて、私だけでなく、同行のK氏やJ君を、気軽に連れて歩いてくれ
たものだ。
 先ほど電話を掛けたら、努めて元気を装ってはいたが、心身共にかなり弱っ
ている様子で、思わず悲しくなった。どうか元気で長生きし、また一緒に旅行
しながら、楽しい話をいっぱい聞かせてほしい!!



   11月10日(木)

 毎月第二・第四木曜日は、師匠の家へ尺八を習いに行き、稽古の後、将棋を2局ない
し3局指して帰るのが常である。全回私は、「師匠に持ち駒をごまかされた」と書いた
けれども、冷静に分析してみるとそうではなく、S先生が
必死で指し手を読んでいる最中に私が持ち駒を尋いたので、先生はつい生返事
で答えたものと思われる。だから、そのことはもう良いのだが、このところ
メール将棋で負け続けているし、今日は別の予定もあるので、将棋を指さずに帰宅し
た。



   11月13日(日)

 WF君が亡くなった。ただただわびしく悲しく寂しい。

 病が重くて病院勤めを休んでいると聞いてから、週に1、2回は携帯電話を
掛けるようにしていたが、本人が病状に関しほとんど何も説明しないし、元々
弱気を見せない性格だから、あまり立ち入ってはいけないと考え、私からの
電話を少な目にしていた。「あと数年の命しか無いかも知れず、一緒に旅行
したのも7月が最後になりそうだ」と、内心覚悟はしていたものの、まさか
これほど急速に悪化しているとは知らなかった。

 昨日は土曜日、本来なら病院勤務が休みなので、F君と心置きなく語り合う
つもりで、私は昼頃携帯電話を入れてみた。けれども、呼び出し音が空しく
鳴るだけで、彼のいつもの明るい声は聞こえてこなかった。
 散歩を兼ねて、Q子の家(次女の嫁ぎ先)まで行き、帰途、水道道を歩いて
神戸橋近くまで来たのが3時頃だったろうか? 携帯電話の着メロが鳴って、
W君のくぐもった声が聞こえてきた。
「さっき電話をもらった時には寝てました。鼻血がドップリ出たんですけど、
その後かえって気分が良くなり、今はすっきりしてます」
 と言うので、
「鼻血が止まらないというのはどうしてなんだ。血圧は高くないのかね?」
 と訊いても、
「血圧が高いというよりも、むしろ貧血気味ですけどね」
 と、相変わらず解ったような解らないような曖昧な返事をするだけだった。

 そして今日、マザー園(老人ホーム)のI君を訪ね、一杯飲みながら同級生
の話などして、帰宅したのが4時過ぎだったろうか? 札幌のO君からW君の
訃報を知らせる電話があり、続いて、E子さんとN君からも連絡をもらった。
W君と親しいE子さんの話では、
「病院に運ばれて、亡くなったのがほんの2時間くらい前だそうです。何年も
前から膝が悪くて歩きにくいと言ってたんですけど、わたしわ膠原病じゃない
かと思ってました。Wさんは、何しろ竹木先生が大好きなんです。何があって
もまず先生優先でしたね!」
 私も難病を疑っていたが、なるほど、膠原病なら色々と思い当たる節がある。
 F君の自宅に電話を掛けたら、弟さんが出て、
「ええ、残念ですが、今病院から帰ってきたところで、兄はここに寝ています」
 と言い、
「お通夜は明日、葬儀は明後日、北野清善祭場で行うことになりました」
 と教えてくれた。

  弔電(葬祭場宛)
 我が親愛なる友 WF君。長年に渡り、沢山の思い出と優しい心配りをありが
とう。このうえは、どうぞ安らかに休息してください。名古屋市 竹木貝石。

  弔電(自宅宛)
 F君は掛け替えのない友であり、登山、旅行、コーラス等、楽しい思い出を
いっぱい残してくれました。長年に渡り本当にありがとう。ご冥福を心より
お祈りします。名古屋 竹木貝石。



   11月14日(月)

 今は夜中の1時半。気温がこんなに低いのに、裏庭の窓の舌で、こおろぎが
一匹、声も絶え絶えに鳴いている。
 人の命も同じく儚い。
 今年は近しい人との告別が四人、いずれも急激に病状が悪化したケースばか
りで、見舞いや電話で話をしてからほどなく亡くなってしまうから、正に「嘘
のようでとても信じられない」という感じである。
 義兄が亡くなったのは、高浜の病院へ兄弟三人で見舞いに行ってから一ヶ月
足らずだったし、隣の家のご主人も、二週間くらい前に、庭で姿を見かけたと
妻は言う。将棋の先輩K氏は、五日ほど前に電話で元気に話していたし、WF
君などは、前日に携帯電話で「鼻血がドップリ出たので、気分がすっきりしま
した」と、いつもの明るい調子で語ってくれた。

 私自身についてはどうかと言うと、若いときのようなハイテンポの言動は
なくなったが、これといった病気もなく、軽い運動で息切れすること、便通が
不規則で、小便が近くなったことくらいだろうか。
 このように健康で居られる理由がいったい何なのかと、ときどき分析して
みる。[略]



   11月15日(火)

 散歩から帰ってまもなく、S先生から電話があり、
「前から言っていた耳の下の腫れ物を、結局は手術することになり、ちょうど
ベッドが空いているそうなので、明日から2、3週間入院することになりまし
た。そういう訳で、暫く尺八を休みますが、また様子を見て連絡します。麻琴
会(二十日 大江)と、本曲会(来月四日 碧南)には、わたしが居なくても
Mさん達が行きますから、予定通り出かけてもらえばいいです。UさんとV
さんは、わたしの車に乗せて行くことになっていたため、今回は参加を取り
やめにしました。」
 と聞いて、なんだか心配になる。そんなことなら、先日(十日)の稽古の後
で、将棋を断らねばよかったと後悔してしまう。

           [平成17年(2005年)   竹木 貝石]





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