AWC 絡繰り士・冥 3−2   永山


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#522/598 ●長編    *** コメント #521 ***
★タイトル (AZA     )  19/01/31  00:25  (432)
絡繰り士・冥 3−2   永山
★内容                                         19/02/01 01:31 修正 第2版

 拍子抜けする程唐突に窮地を脱し得た。僕はそう思っていた。
「客観的に云って、君の立場は厳しい」
 地元警察の栄(さかえ)刑事は、四十代半ばと思しき男性で、これまで知り合ってき
た警察関係者の中では穏やかな方だろう。太い眉毛を除けば柔和な顔立ちだし、声も威
圧的ではない。ただ、上にも横に大きい巨漢なので、空間的には圧迫感を感じる。太っ
ているというのではなく、大昔の武将みたいなイメージだ。狭い取調室だったら、それ
だけでギブアップする犯人もいるかもしれない。幸い、ここは取調室ではなく、僕(と
十文字先輩)に宛がわれた部屋だし、そもそも僕は犯人じゃない。
「ワールドサザンクロスの西側にある倉庫は、俗に云うところの密室状態にあり、その
中で東郷氏の刺殺体と一緒にいたのは君一人だ。一つしかない扉と六つある窓はいずれ
も施錠され、扉の鍵はスペアも含めて東郷氏自身が身に付けていた。あの場所はそこそ
こ広いし、何だかんだ物が置いてあったので、人が隠れるスペースはあっただろうが、
君を見付けて皆で救出した際、こっそり出ていく者ようなはいなかったと証言を得てい
る」
 窓ガラスを割ることで十文字先輩や施設の人が中に入り、僕を助けてくれたという。
 なお、僕の手足を縛っていた結束バンドや手錠は、自分自身で付けられる物だから、
犯人ではない証拠にならないとされた。
「証言をしたのは君の知り合いで先輩の十文字君だ。彼が嘘を吐く理由はないようだ
し、君との関係も良好のようだ。しかも彼は、君に対する救出は他人に任せ、彼自身は
東郷氏の遺体をそばから観察していたという。これがどういうことか分かるかい?」
「……犯人が僕以外なら、扉の鍵を密かに被害者の懐に戻すという方法は採れなかった
ということでしょうか」
 答えると、栄刑事は意外そうに口をすぼめた。
「ほお、本当に分かるんだな。十文字君が云っていた。名探偵の助手として経験を積ん
だのだから、これくらいは察するに違いないと」
「はあ」
 現状で、そんなことで誉められても嬉しくはない。
「足元にある換気のための小窓は、外側からでも自由に開閉できるが、そこを利用して
鍵を東郷氏の懐に戻すというやり方も、どうやら無理のようだ。何せ、鍵は胸ポケット
にあったのに対し、遺体は俯せの姿勢だったからねえ」
「何か絡繰りめいた仕掛けがあるのかも」
「秘密の隠し扉とか? そういうのは見付かってない。君が証言した、最初に襲われて
意識を失ったという話も、信じがたい。壁から腕が出て来たように感じたと云うが、十
三号室に隠し扉はなかった」
「そんな」
「設計図と実際とを比べ、念入りに調べたから間違いない。建てたのも外部の人間だ。
何か隠し事をしているとは考えられない」
「じゃあ、僕を後ろから襲ったのは……」
「君の言葉を信じるなら、一つだけ可能性がある。襲ったのは十文字君だ」
「え?」
「十文字君は、百田君が襲われる直前に、十三号室に入ったんだろ? 廊下に意識を集
中していた君は、密かに引き返してきた十文字君に気付かなかったという訳だ」
「そんな莫迦な! それだけはあり得ませんよっ」
 強く主張すると、相手は分かっているとばかりに鷹揚に頷いた。
「だとしたら、話は元に戻る。君の立場は厳しい。極めて」

「無事に戻れたら、真っ先に五代君に感謝しておくんだ」
 栄刑事が立ち去ったあと、夕飯と共に先輩が入って来た。どこで時間を潰していたの
か知らないけれども、目が若干落ちくぼんだような印象で、憔悴の痕跡が見て取れた。
そのことを告げると、君はもっと酷い顔になっていると指摘された。
「ということは、身柄を拘束されずに、こうして部屋にいられるのは、五代先輩のご家
族が……」
「手を回してくれたらしい。尤も、基本的に管轄違いだから、いつまで神通力があるか
分からん。今の内に目処を付けたいものだ」
「部屋の外には、見張りの人がいるんでしょうね?」
「いる。百田君はここから出るなと云われなかったのかい?」
「はっきりとは。『出掛けるのなら我々警察に知らせてからにしてくれ』と」
「じゃあ、敷地内なら何とか認めてもらえるかな。いや、容疑者扱いの君を犯行と関係
ありそうな場所に立ち入らせるはずもないな」
「先輩だけでも動けそうですか」
「さて、どうかな。さっきは大丈夫だったが。これも五代君のおかげに違いない」
「……連れて来るの、僕じゃなくて五代先輩がよかったんじゃあ」
 自嘲めかしてこぼす僕に、十文字先輩は叱りつけるような口調で応じた。
「今さら何を云うんだ。これは僕の希望したこと。招待主から逃げたと見なされたくな
いがためにね。それを含めて、君をまた事件の渦中に放り込む格好になってしまって申
し訳ないと思う」
「もう慣れましたよ。先輩のワトソン役を務めるようになって、どれだけ経ったと思っ
てるんです? 今回だって、怪我をしたとか、精神的に酷いショックを受けたとかじゃ
ないですし」
「そう云ってもらえると救われるが、犯人を見付けないことには収まらない」
 先輩はテーブルに置いた大きめのプレートに顎を振った。バイキング料理を適当に見
繕い、盛り付けてきたのが丸分かりだったが、これはこれでうまそうではある。
「とにかく食べようじゃないか。腹ごしらえは大事だろう」
 お茶を入れ、食べ始める。死体を見たあとにしては、食欲は大丈夫だった。
「僕が役立つかどうか分かりませんけど、結局、どういう状況なんでしょうか。イベン
トは本当に用意されていたのかとか、施設の従業員はどこまで把握していたのかとか、
小曾金四郎はどこにいるのかとか。ああっ、岸上さんの誘拐事件も」
 浮かんでくるままに質問を発した。先輩は箸を進めながら、順に答え始めた。
「分かった範囲で云うと、まず、宿泊者を対象とした宿泊モニターは皆が承知だった
が、イベントに関しては小曾金四郎の独断だ。前に聞いた話と変わりない。ただし、パ
フォーマーの何名かは、イベント関連でパフォーマンスを行うように指示を受けてい
た。ミーナとシーナの二人も、空中ブランコを披露する予定だったと聞いた」
「え、ていうことは、怪我は嘘?」
「そうみたいだな。怪我で休んでいると見せ掛けて、じつはっていうどっきりの一環ら
しい。彼女らの他には、ピエロの西條逸太(さいじょうはやた)とマジシャンの安南羅
刹(あんなみらせつ)が組んで、ピエロが空中に浮かんでばらばらになってまた復活す
るという演目を披露する予定だった」
「羅刹って本名じゃないですよね」
「本名は小西久満(こにしひさみつ)といって、西條と組むときは裏ではダブルウェス
トと呼ばれるとか。まあ、これは関係あるまい。演じる予定があったパフォーマーはも
う一人いて、トランポリン芸の北見未来(きたみみく)。普通にトランポリンで跳ねる
だけでなく、壁を徐々に登っていったり、高所から飛び降りてまた戻るという演目だそ
うだ。あ、それからこの北見は元男性」
「へえ。新たに分かった三人には直に会えたんですか?」
「いや。遠目からちらっと見ただけだ。警察以外で情報をくれたのはシーナとミーナだ
よ。話を総合すると、事件発生時に敷地内にいたのは、被害者を除けば、五人のパフ
ォーマーとそのサポート役の二人、そして六人の宿泊客の合計十二人に絞られる。小曾
金四郎が隠れているのなら十三になるけどね。サポート役についてはまだ名前は知らさ
れていないが、文字通りパフォーマンスの手伝いで裏方に当たるようだ」
「ええっと、ちょっと待ってくださいよ。敷地内にいた人ってそれだけなんですか? 
宿泊施設の側の従業員がいるんじゃあ?」
「そこなんだが」
 僕の疑問に、十文字先輩は何とも云えない苦笑顔を見せた。
「ここに来てから、従業員に会った覚えはあるかい?」
「うん? それはありますよ。東郷さんにミーナさん、シーナさん……」
「ミーナとシーナはパフォーマーだ。東郷氏は雑務全般を受け持っているから、まあ宿
泊施設の従業員と云ってもいいかもしれないが、正確には違う」
「もしかして、いないんですか、従業員?」
 ピラフの米粒が飛ばないよう、口元を手で覆いながら云った。十文字先輩は種明かし
を楽しむかのように、目で笑った。
「うむ。人間の従業員はいなくて、ロボットが対応するシステムだ。これもサプライズ
の一つだったというんだ。チェックインや客室への案内は、ロボット従業員が行うはず
だったのが、トラブルでシステムダウンした。結果、急遽パフォーマー達が奮闘したと
いういきさつみたいだ」
「……平屋だったり、通路に曲がり角や段差が少なかったりするのは、そのため? 
え、でも、料理は」
 目の前の料理に視線を落とした。
「料理は将来的にはロボットによる調理も考えているが、宿泊モニター期間は元々、ケ
イタリングで済ませる計画だったから問題ないと聞いた。百田君、そういった細かなと
ころを気にしていたら、事件解決からどんどん遠ざかる」
 あの、ロボットを利した密室トリックや殺人の可能性を思い浮かべていたのですが。
でもまあ、システムダウンしているのであれば、関係ないと言い切れるのか。と、そこ
まで考えてから、ぱっと閃いた。
「――ロボットを使うくらいなら、秘密の扉もあるんじゃあ?」
「ああ、壁から腕が突き出て来たんじゃないという話だな。残念だがそれはない。廊下
を囲う壁は明らかに古い日本家屋の壁で、修繕とその痕跡を覆い隠すための塗装はして
あるが、内部は至って普通だということだよ」
「そうですか……」
 壁の一部が突然開いて、機械の腕が僕の首筋に電流を、なんて場面を想像してしまっ
た。濃いめに入れたお茶を飲み干し、心残りなこの私案を吹っ切る。
「先輩は十三号室に入ったあと、どうなったんですか?」
「入ってすぐ、靴がないと知れたから、岸上氏は留守なんじゃないかと察した。その反
面、人を呼び付けておいて部屋を空けているのはおかしい。とにかく室内を覗いて確認
しようと、靴を脱いで上がり込んだ。念のため声を掛けつつ内扉を開けて、中を見たん
だが、矢張り岸上氏は不在だった。いつ帰ってくるか分からないし、部屋の中で待つの
も問題がある。東郷氏に再確認もしたかったから、部屋を出た。すると君がいないじゃ
ないか。しばらく一人で探したが見付からないのでフロントに出向いたら、今度は東郷
氏が見当たらない。鍵を取りに行ったはずなのに何故? 行き違いになったかと、また
十三号室に引き返したが、誰もいない。何らかのおかしなことが起こっている。施設の
人間を信用できるのかどうか分からない。よほど警察に行こうかと考えたが、ちょうど
このタイミングで東郷氏が現れた」
「ええ? まだ、そのときは生きていたと」
「そうなる。時刻は四時になっていたかな。彼が云うには、十三号室に鍵を開けに戻っ
たが、すでに開いていたから、どういうことなのかと僕を探していたそうだ。僕は鍵が
開いたことと、百田君の姿が見えないことを話し、探すのを手伝ってもらった。といっ
てもすぐ二手に分かれ、別々に行動した。僕はこの宿泊施設の方を探し、東郷氏はワー
ルドサザンクロスに向かったはずだが、この目で見届けた訳ではない。途中、他の宿泊
客に遭遇したので聞いてみたが、知らないという答が返って来ただけ。じきに探す場所
もなくなり、フロントに電話してみた。シーナかミーナかどちらかが出たんで、事情を
伝えるとすぐに行きますと云って――実際は五分以上経過していたと思うが、来てくれ
た。今度は三人で建物周りを三人揃って捜索したんだが成果が上がらず、とりあえず東
郷氏に首尾を伝えようとなって、今度は東郷氏が行方知れずだと判明した。それが確か
五時前だった」
 その後は、僕と東郷氏の両名を探す態勢になり、五時半を少し過ぎたところで、倉庫
部屋に辿り着き、僕は救出。東郷氏は死亡しているところを発見されたという流れだっ
たようだ。
「死亡推定時刻は四時半から五時半の一時間。だが、血の凝固具合から云って五時より
も前の可能性が非常に高いそうだ。百田君、この時間帯にアリバイは?」
 聞くまでもない質問だろうに。僕は首を横に振った。名探偵は軽い調子で頷いた。
「だろうね。さて、僕達以外の宿泊客については、岸上氏を除くと親子連れの三名。親
子連れとは直接会えた。五十代男性と三十代女性の夫婦に、小学校中学年の女の子が一
人。アリバイは証明されていないが、外見だけで判断すればとても事件に関係している
ようには見えない。男性は足が悪くて車椅子生活、女性は男性と子供の面倒をみなけれ
ばならない上に、外国と日本とのハーフで言葉がやや不自由。子供は親にぴったり着い
て離れないという状態だったからね」
「確かに、関係なさそうです」
「アリバイの話が出たついでに、他の面々のアリバイに関して、判明していることを云
っておくとしよう。パフォーマーの五人とサポートの二人は、リハーサル中でお互いの
アリバイはある。ミーナとシーナの二人は時折、宿泊客からの電話などに応対する必要
があったが、事件発生時は僕と一緒に捜索活動していたからね。結局、五人ともアリバ
イ成立だ」
「そんな」
「残る岸上氏だが、僕から云わせれば彼こそが怪しくなってきた。誘拐事件があったと
いうのは芝居だと云い出したんだ」
「ええ? さっきの刑事、そんなことはおくびにも出しませんでしたよ!」
 自宅だったら、机をどんと叩いてていたかもしれない。怒ってみたものの、警察の捜
査では極当たり前にある手法だと知っている。
「自分は小曾金四郎から送られてきた台本に沿って、役柄を演じただけだとさ。多少変
な役だと思ったが、高額報酬につられて引き受けたんだと。小曾とは会ったこともなけ
れば、声を聞いてすらいない。それはともかく、彼が役柄として指示されていたのは、
東郷氏を通じて僕らにメモを見せ、十三号室に呼び付けるまでだった。その後は別の部
屋に閉じ籠もって身を潜め、明日の昼間に種明かしという段取りを聞かされていたらし
い。それらのことは東郷氏もパフォーマー達も承知の上だったと云っている」
「うーん、何が嘘で何が本当なのか、こんがらがりそうです。要するに、岸上氏が小曾
金四郎に化けるのもイベントの一部であり、そのことは岸上氏本人だけでなく、パフ
ォーマー達も認めている。だから事実だと見なせる……」
「それが妥当な見方というものさ。思わぬ多人数が共犯の可能性を除けば、だがね」
「誘拐がなかったのはいいことですけど、岸上氏が犯人あるいは犯行の片棒を分かって
いて担いだんだとしたら、どうして妻子を誘拐されたなんていう設定を選んだんでしょ
うか。殺人事件が起きて警察に乗り込まれたら、その嘘を必要以上に疑われるのは目に
見えてると思いますが」
「僕もそう考えた。それ故に、岸上氏が怪しいとする線で押し切れないのだ。小曾金四
郎の存在も気に掛かるしね」
「オーナーの動向に関しては、パフォーマー達も岸上氏も、全く把握していないんです
かね」
「そのようだとしか云えないな。嘘を吐いている者がいても不思議じゃない。だが、何
にしても動機が不明だ。遊戯的殺人者の線を除外すればの話だが」
 遊戯的殺人者。その言葉が出て来て、僕は内心、矢っ張りかと感じた。大げさな招待
状に軽いアナグラム、そして意味があるとは思えない密室殺人。これだけ“状況証拠”
があれば、今度の事件は冥かその一味の仕業と考えてかまわないのではないだろうか。
 冥――冥府魔道の絡繰り士を自称するという、遊戯的殺人者。殺人のための殺人、ト
リックのためのトリックを厭わない、むしろそのために人を殺す。現在、職業的殺人者
つまりは殺し屋のグループと揉めている節が窺える(らしい)。その一方で名探偵を挑
発し、試すような行動を起こすこともしばしば(らしい)。いずれも一ノ瀬和葉のお
ば・一ノ瀬メイさん――旅人であり探偵でもある――が主たる情報源だ。冥とメイさん
とで紛らわしいが、事実この通りの名前なのだから仕方がない。
「冥の仕業だと思いますか」
「大いに可能性はある。最近、一ノ瀬メイさんも冥から試されるような事件を仕掛けら
れたことがあると云っていた。だから動機は斟酌しないでいいのかもしれない。真っ当
な動機があるとしたら、殺し屋グループにダメージを与えるためとか冥の身辺に肉薄し
た探偵を始末するためとか、そういったところだろうさ」
 穏やかでない仮説だが、少なくとも僕らは冥の正体に迫ってはいないだろう。第一、
冥自身が僕らを招いておいて、招待を掴まれそうになったら殺すなんて理不尽は、激し
く拒否する。絶対に願い下げだ。
「対策を立てるなら、メイさんに改めて連絡を入れて、最新の情報を仕入れておくのが
よくありません?」
「うん、一理ある。あの人は掴まえるのに苦労させられるが、電話なら何とかなるかも
しれない。ああ、しまったな。今の僕らは携帯電話が使えない。フロントの近くに公衆
電話があるが、人の行き交う場所で話すのは躊躇われる……」
「そんなことを云ってる場合じゃないと思うんですが」
「確かに。賢明な人だから、こちらが事件のあらましを伝えたら、察して一方的に喋っ
てくれるんじゃないかな」
 十文字先輩は腰を上げると、部屋を急ぎ足で出て行った。テーブルにはほぼ空になっ
たプレート二枚が残された。

 電話をしてきたにしては、いやに早いな。五分程で戻って来た先輩を迎えた僕は、内
心ちょっと変に感じた。
「どうでしたか」
「電話はしていない。フロントにいた、ええとあれはシーナが、伝言をくれたんだ。彼
女が云うには、『一ノ瀬メイ様から先程お電話があり、十文字様に伝えて欲しい、でき
ればメールをそちらに送りたいとのことでしたので、お部屋におつなぎしましょうかと
お伺いしたのですが、時間がないからとおっしゃって。それでメールアドレスをお伝え
したところ、ほとんど間を置かずにメールを受信しましたので、プリントアウトした次
第です。つい先程のことで、お知らせするのが遅れて、申し訳――』ああ、僕は何を動
転してるんだ。ここまで忠実に再現する必要はないな。要するに、五代君経由で事件の
概要を知った一ノ瀬メイさんが、気を利かせて情報を送ってくれたんだ。敵か味方か分
からないシーナにメールを見られたのは、今後どう転ぶか分からないが、とにかく読も
う」
「はあ」
 高校生探偵の一人芝居に、しばし呆気に取られていた僕は、つい間抜けな返事をして
しまった。それはともかく、メイさんからだというのメールには、次のような話が簡潔
にまとめられていた。

・冥の仕業である可能性が高い。
・その傍証として冥が起こしたと考えられる殺しで、私は似たような謎を解いた。
・その謎とは湖での墜落+溺死で、詳細は省くが、湖内に高さのある直方体の風船を設
置し、てっぺんに犠牲となる人物を横たわらせる。それから風船を破裂させれば以下
略。
・ここまで書けば、このトリックにはさらなる前例があることに気付くと思う。繰り返
し同じ原理を用いたトリックを行使することは、冥にとって当たり前の日常的な行為と
推察される。
・それから十文字龍太郎君。名探偵であろうとして完璧さに固執せずに、弱さを認める
べきときは認めるのが肝心。

 以上だった。
 メイさんが示唆しているトリックについては、理解できた。だが、そのトリックが今
度の事件とどう結び付くのかがぴんと来ない。
「先輩、このトリックが倉庫部屋の密室に応用できるんでしょうか」
「……できる。そうか、分かったぞ」
「本当ですか?」
「うむ。君はよく見ていないから知らなくて当然だが、ワールドサザンクロスではエア
遊具的な物を多用しているんだ。ほら、商業施設のイベント用やスポーツセンターの子
供向け広場なんかに設置されることがあるだろう、空気で膨らませた強度の高いビニー
ル製の滑り台が」
「分かりますよ、見たことあるし」
「ワールドサザンクロスには、エア遊具ならぬいわばエアセットとでも呼べそうな代物
が多い。空気で膨らませたビニール製の建物や壁だね。トランポリン芸を披露するの
に、ちょうどいいんだろう。恐らく、あの倉庫部屋にも仕舞われてると思うが、空気を
抜いて小さく畳まれていれば気付かなくても無理はない」
「つまりは、メイさんが示唆したトリックを実行するための道具には事欠かないって訳
ですね」
「その通り。あの倉庫部屋に合った適切なサイズのエア遊具を使えば、密室殺人は可能
だ。想像するに……東郷氏は犯人が云うドッキリを演出する助手で、こう命じられたん
じゃないかな。百田君を意識を失わせた後に拘束して倉庫部屋に運び込み、布団に寝か
せる。東郷氏自身はその横で死んだふりをする。目覚めた君を驚かせる算段だ。ところ
が犯人の真の狙いは、東郷氏の殺害にあった。東郷氏は直前に、眠り薬の類やアルコー
ルを混ぜた飲み物を飲むよう仕向けられた。東郷氏自身は秘密の行動中だから当然、部
屋に入ったあと内側から錠を下ろす。横たわった彼はじきに前後不覚となり、意識をな
くす。頃合いを見計らって犯人はエアを注入」
「え? どこにエア遊具があるんですか」
「横たわった下だよ。これも想像だが、東郷氏が横たわる下には、床によく似せた迷彩
を施したエア遊具が設置されていたんじゃないか。そこに空気を送り込むホースは、倉
庫部屋にある足元の小さな窓を通せばよい。コンプレッサーを始動して風船を静かに膨
らませると、東郷氏は持ち上げられる。同時に、遊具の内部中央には一本の刃物が備え
付けられており、膨らみきったところで垂直に立つような仕組みになっていたんだと思
う。その状態で風船が破裂すると、どうなるか。東郷氏の肉体はすとんと落下し、真上
を向いた刃先に突き刺さる。割れた風船の破片は、小窓から回収できるだけ回収する。
残りが現場にまだあるかもしれないな。ホースももちろん片付けて、小窓を閉めれば密
室の完成だ」
「……凄い」
 僕は一応、感心してみせた。
 一応というのは、納得できない点があるにはあるから。そこまで大きな風船がすぐ隣
で割れたのに、僕は気付かなかったのだろうか。仮にじんわりゆっくり空気を抜いてい
ったとしたら、音で気付くことはないだろうけど、凶器の刃物がしっかり刺さるのかと
いう疑問が生じる。まだ他にも引っ掛かることがあるような気がするのだけれど、はっ
きりしない。霞の向こうの景色を見ようと、曇りガラス越しに目を凝らしている気分。
「無論、今云ったトリックが使われたとは限らない。だが少なくとも、密室内に他殺体
と一緒にいたから君が犯人だというロジック派は崩す余地が出てきた。そのためには物
証が欲しい。早速、警察に一説として知らせたいな」
 少し興奮した様子の十文字先輩。僕は同意しつつも、「それじゃ僕を背後から襲っ
た、壁からの手は何だったんでしょう?」と疑問を口にした。
「百田君の勘違いではないんだな?」
「壁から腕が突き出たという点は断言しかねますけど、壁を背にしていたつもりなおに
後ろからやられたのは間違いないです」
「ふむ……」
 顎に手をやり、いかにもな考えるポーズを取る先輩。その視線が、メイさんからの
メールの写しに向けられる。最初から順に読んでいるように見えた。
 そして最後まで来て、やおら口を開く。
「実は、一つだけ可能性があると思い付いてはいる」
「だったら、それを聞かせてください。決めかねる部分があるんでしたら、僕が推理を
聞くことで記憶が鮮明になって、何か新たな発見があるかも」
「うん。いや、決めかねているとか曖昧な点があるとかじゃないんだ。ほぼこれしかあ
るまいという仮説が浮かんだ。ただね、それを認めるには僕自身の問題が」
 そこまで云って、先輩はメイさんのメールの一点を指さした。
「思い切りが悪いな、僕も。こうして一ノ瀬メイさんが先読みしたように警句を発して
くれたのだから、ありがたく受け入れるべきだな」
「先輩、一体何を」
「この最後の一文さ。自分のプライドに関わるからといって、認めるべきものを認めな
いでいると、真実ををねじ曲げてしまう」
 先輩はそうして深呼吸を一つすると、まさに思い切ったように云った。
「僕は十三号室に入るとき、気が急いていた。内扉の向こうにばかり注意が行っていた
んだと思う。逆に云えば、それ以外への注意が散漫になっていた。入った直後、左右を
よく見なかったんだ。部屋の構造はどこも同じだという油断もあったと思う。下足入れ
にライトと鏡があるくらいで、その暗がりに何があるかなんて、全く想像しなかった」
「もしかして、その暗がりに人が潜んでいた?」
「恐らく、じゃないな。確実にと云っていいと思う。最初、東郷氏を含めた三人でいた
ときは鍵が掛かっていたのに、しばらくすると解錠されただろ。中に人が潜んでいた証
拠だよ。素直に考えればよかったんだ」
 こちらの方は納得できた。では、隠れ潜んでいた人物は誰?
「隠れていたのは岸上氏なんですかね。十三号室の宿泊客で、イベントに関して主催者
側だったのだから、ギャラと引き換えに命じられたら、ある程度までひどいことでも引
き受けそうですよ」
「普通の俳優がいくら仕事でも、他人を気絶させるような真似をするかね。尋常じゃな
い。まあ、だからといって隠れていた人物が岸上氏ではないと断定する材料にはならな
いが」
「他に候補はいます?」
「誰でもあり得るんじゃないか? 全く姿を見せていない者は、特徴で絞りようがな
い。小曾金四郎だってあり得る」
 十文字先輩の云う通りだ。極論するなら、影に潜んでいた人物と殺人犯とが同一とさ
え限らない。現実的には同一人物か、少なくとも共犯関係にある二人である可能性が高
いんだろうけど。
「各人の詳細なアリバイをリストアップして検討すれば、あの時刻――三時から三時半
ぐらいだったと思うが――十三号室内にいることが不可能な者はそこそこいるんじゃな
いかな。家族連れ三人組は除外できるだろうし、シーナとミーナ以外のパフォーマー達
も外せそうだ。云わずもがなだが、東郷氏も外せる」
 ここまで検討して来て、誰が有力な容疑者かを考えてみる。当然、小曾金四郎が最も
怪しいが実態がはっきりしない上、警察の捜査が入っていつまでも逃げ隠れしていられ
る秘密の場所が、この敷地内にあるとは考えにくい。一方で十文字先輩の推理したトリ
ックが殺人に使われたとすれば、その後片付けまで含めると少なくとも五時十五分、機
械の大きさによっては二十分頃までは現場周辺にいなければならないだろうから、その
後の逃走は難しそうだ。もし小曾金四郎が犯人なら、実行犯ではなく計画を立てた首謀
者なのではないか。
 岸上氏にも嫌疑を掛けざるを得ない。小曾金四郎と通じて、舞台裏をある程度把握し
ていたのは当人も認めており、平気な顔で嘘を吐き通せる。実行犯の可能性があると云
えよう。引っ掛かりを覚えるとすれば、誘拐云々という嘘。その話を聞いた僕らが強引
に警察に通報していたら、計画は失敗に終わったはず。わざわざ警察の介入を招きかね
ない誘拐を嘘のネタに選ぶ理由が分からない。
 他にはシーナとミーナも多少怪しい。十文字先輩と一緒になって僕を捜してくれてい
たというが、アリバイ工作の匂いを感じる。空中ブランコをこなすくらいなら、細身の
女性でも身体能力・運動能力は高いに違いない。
「さっきの殺人トリックって、結局、空気を送り込むコンプレッサーを駆動しておけ
ば、自動的に殺せますかね?」
「殺せるだろうね。無論、そのままにしておけないし、痕跡を消すためには色々と手間
が掛かる。目撃される恐れもある。幸運の女神ってのが犯人に味方したのかもしれない
な」
 うーん。それだと矢っ張り、シーナやミーナには難しいのか。
「さあ、いつまでも推測を重ねて、ぐずぐずしていても始まらない。警察に進言しに行
こうじゃないか」
「あ、僕も一緒にですか」
「決まってる。説得するには百田君自身の証言も重要になってくる」
 慌てて立ち上がる僕とは対照的に、先輩は落ち着き払った態度で、しかしきびきびと
次の行動に移った。

             *           *

「君にはがっかりだよ」
 一号室の会話を、車中で一人、盗聴器を通じて聞いていた冥は深く息を吐いた。警察
の人間の目に止まると厄介だからと、建物には近付けないでいたが、音はクリアに聞こ
えている。
(高校生名探偵の誉れ高い十文字龍太郎だったが、期待外れのようだね。元々、私自身
はその高い評判に疑問を抱いていたが)
 耳に装着したヘッドセットをひとまず外すと、念のため大元の機器のボリュームも落
とした。
 冥が今回の犯罪を計画した端緒は、十文字龍太郎の探偵としての能力に今ひとつ確信
が持てなかったことにある。ライバル――遊び相手にふさわしいのか見定めるために、
罠のあるテストを仕掛けた。
(こうも易々と引っ掛かるようでは、本来の探偵能力も怪しいものだ。知識ばかり先行
して、オリジナルの問題は解けないタイプじゃないかな。今回も、一ノ瀬メイからの
メールを偽物と気付かない上に、誘導に簡単に引っ掛かって、同工異曲のトリックが使
われたと信じてしまった。風船のトリックでは、死体の向きがおかしい。東郷の死体は
背中を刺され、俯せだった。風船が破裂してその下の凶器に突き刺さるのであれば、な
かなかそんな状態にはならない。破裂の弾みでそうなる可能性はあるが、仰向けのまま
である可能性の方が圧倒的に高い。もしも仰向けになったら、小窓から糸を介して鍵を
死体の懐に入れるやり口が容易になり、密室の強固さが失われるじゃないか。密室殺人
のためのトリックなのに、そんな不確定要素の大きな手段を執るはずがないと気付かね
ばいけないレベルだよ。暗示に掛かりやすい訳でもなさそうなのに……周りの人間に頼
りがちなところがあるということか。本人に自覚はなさそうなのが痛い。少女探偵団の
子達みたいに、最初からグループでやってますって看板を掲げているのなら、まだかわ
いげがあるのに、しょうがないやつだ。あの年頃にありがちな、実像以上に己を強く大
きく見せたい願望かな。調べたところでは、この四月の“辻斬り殺人”で、校内で襲わ
れた件はその後、犯人探しに力を入れていないようじゃないか。名探偵ともあろう者
が、そんな逃げ腰、弱腰でいいのかねえ)
 十文字探偵に対する感想を心の中で積もらせた冥は、しかし何故だか微笑を浮かべ
た。
(名探偵と呼ばれるが実際はたいしたことない、という存在には利用価値がある。色々
と想定できるが、実際に使えるのは恐らく一度きり。勿体ないな。まあ、別の楽しみも
あるしね。十文字に力を貸してきた周囲の連中が、なかなか優秀なんじゃないか?)
 と、そこまで近い将来図を描いていたところへ、電話が鳴った。複数所有している中
のどれだったかを瞬時に判断し、取り出す。
「小曾です」
 小曾金四郎からだった。普段の声とは息づかいが違うが、冥の耳は小曾本人だと正し
く認識した。
「私だ。定時連絡の時間には約一分早いが、ハプニングかな?」
「いいえ、順調そのものです。ただ、時計が。携帯電話の液晶がおかしいのか、読み取
れなくなりまして、それがハプニングといえばハプニング」
「腹時計で掛けてきたのかね? それはちょっと愉快だな」
「このような状況ですので、予定を切り上げて早めに脱出をしたいのですが」
「かまわない。自力で行けるかね?」
「大丈夫、何ら問題ありません」
 答えると同時に通話は切られた。冥は、使える部下の無事の帰還を待つことにした。
(そう、迂闊な見落としといえば、この点もそうだぞ、十文字探偵。小曾金四郎の本名
を気に掛けたまではよかったが、あとの詰めが甘い。小曾金四郎が芸名だったと知った
時点で、何の芸なのかを気にすべきだったのだ。那知元影という名前の方が、よほど芸
名らしく響きやしないか? これは偶然の産物ではあるが、那知元影は文字通り、名は
体を表すの好例と呼べるのだから、気付く余地はあったのだ。お得意のアナグラム……
ローマ字にしてから並び替えれば、それが浮かび上がる)
 冥は宙に指で文字を描いてみせた。

 nantaigei

――終わり




元文書 #521 絡繰り士・冥 3−1   永山
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