AWC そばにいるだけで 67−1   寺嶋公香


        
#515/555 ●長編
★タイトル (AZA     )  18/12/29  22:11  (411)
そばにいるだけで 67−1   寺嶋公香
★内容
「留学、決めた。出発は八月に入ってからになると思う」
 相羽の突然の“報告”に、唐沢は一瞬、我が耳を疑った。
「――はあ?」
 頓狂な声で反応して、次に「留学?」という単語を発声する前に、相羽の説明がどん
どん進む。
「唐沢に任せたい、というか頼みたいのは」
「ちょちょっと待て。ストップ! 留学だって? おまえが? それってやっぱあれ
か。J音楽院だな?」
「そう」
「今さら、何で蒸し返すんだよ」
「蒸し返すの使い方がおかしい」
「うるさい、知るか。おまえ、じゃあ、さっきの俺の見立ては間違いだったってか。ピ
アノを選ぶのかよ」
「……エリオット先生には前々から誘っていただいていた。お断りしていたのは、いく
つか理由があるけれども、日本にいてもエリオット先生に個人レッスンをつけていただ
けるという特別扱いに甘えていたからかもしれない。それがこの春、先生が国に戻られ
ると決まった時点で、気持ちが揺らいだ」
「……もしかして……クイズ番組の観覧に行ったとき、頻繁に電話が掛かってきていた
が、あれも留学の話だったのか」
「当たり。よく覚えてるな」
「おかしな感じは受けてたんだ。席を外してばかりだったから、何のために涼原さん達
の応援に来たんだよ!って」
「一応、肝心な場面には居合わせて、役に立ったろ」
「ふん。過去のことはもうどうでもいいさ。揺らいだだけだったのが、どうして決定に
至ったんだよっ」
「その辺は長くなるし、ややこしいし、話したくない。ただ、昨日のコンサートは直接
には関係ない。最終チェックみたいな位置づけだった。もっと前、先生の帰国には僕に
も責任の一端があると分かったのが大きいけれども、それだけでもないし」
「……」
 尋ねたいことはいっぱいあったが、唐沢は我慢した。本音を言えば、唐沢も少し以前
から、予感していた。違和感に近い勘に過ぎなかったが、相羽の身に何か大きな変化が
起きるんじゃないかと。その予感があったからこそ、今、留学話を打ち明けられても、
“この程度”で済んでいるんだと思う。もし予感していなければ、相羽とまた喧嘩にな
っていた。
 よく喋って渇いてきた口中を、空唾を二度飲み込むことで湿らせると、唐沢は相羽に
続きを促した。
「率直に言って、いない間、涼原さんが心配なんだ。僕はどちらも選ぶ」
「ここに来てのろけるたあ、面倒くせーな。心配って、粘着質なファンもどきみたいな
奴とかか。なら、涼原さんにさっさと留学のこと言って、連れてけよ」
 投げ遣りな口調になった唐沢。無論、唐沢本人も、その最善の策が実現困難であろう
ことは、充分に承知している。
「できるのならそうしたい。できそうにないから……心配してるんだ」
「……まったく。それで? 俺に何をしろってんだ」
「涼原さんのボディガードになって守る。学校の行き帰りが心配なんだ。他は事務所の
人が付いてくれる。だから、学校にも迎えが来るときなんかは、問題ないが」
「あのな。何度か言ったよな。俺、体力はそこそこ自信あるが、喧嘩はほとんどしたこ
とないぜ。一番最近でも……おまえとしたやつが最後だ」
 心身ともに痛さを思い出して、少し笑ってしまった。が、すぐに戻る。
「いいんだ。じゅ――涼原さんを一人にしないことが大事なんだ。前にも言ったよう
に、男が一人でもついていれば、だいぶ変わってくるはず」
「変だな。具体的に危険が迫ってる口ぶりに聞こえたぞ。……勘違いで終わったけれ
ど、パン屋でのことも、実際には予兆があったのか? バイトを始めたのが噂になって
変な輩が寄ってくるのを心配しただけと思ってたが」
「微妙なんだが……ファンレターに混じって、変なのが稀に届くらしいんだ。今のとこ
ろ、実害は出ていない」
「そうか、ファンレターね。今後も何もないとは限らないってわけだ。しかし、ボディ
ガードってんなら、他にふさわしいのがいるだろうに。ほれ、道場仲間が」
「考えなかったわけじゃない。でも、同じ学校じゃないと厳しい。さすがに、こっちの
学校まで遠回りしてくれとは言えないし、仮にOKだったとしても時間がうまく合うと
は思えない」
「時間なら俺だって、委員長やっているから、遅くなることがあるかもしれないぜ。涼
原さんと合うかどうか分からん」
「そのときはしょうがない。涼原さんが待てるようなら、待ってもらう」
 話す内に、唐沢は想像が付いた。
(留学を勝手に決めて、涼原さんに対して後ろめたい気持ちがある。だから、せめて護
衛役を選んでおこうってことかいな)
 唐沢は少し間を取り、考えた。そしてやおら、座っている姿勢を崩して足を投げ出す
ような格好を取った。
「ご指名は光栄なんだけどさ……ボディガードがVIPを狙うのは簡単だぜ」
「うん? 何の話?」
「おまえが涼原さんを残していくのなら、俺、アプローチするかもしれねえぞってこ
と」
「……」
 まじまじと見返してくる相羽。唐沢は敢えて挑発目的で、口元に笑みを浮かべて横顔
を見せた。
(試すような真似をして悪いな、相羽。俺はこの話、涼原さんのためになることを一番
に考える。俺にはっきり言うぐらいだから、今さら留学を翻意させるのは難しいんだろ
うけど、揺さぶりは掛けさせてもらう)
 さあどうする?と、横目で相羽の反応を窺う。
 相羽は、さっき見開いていた目をもう落ち着かせ、左手の人差し指で前髪の辺り、左
頬と順に掻く仕種をした。
「それでも唐沢にしか頼めないな。信じてるから、唐沢のことも、涼原さんのことも」
 唐沢にとって、予想の範囲内の返事だった。ただ、実際にそう答を返され、考える内
に腹が立ってきた。
「ああ、そうかい」
 また姿勢を改め、相羽の方に身体ごと向く。
「そこまで信じてるなら、まず、涼原さんに言えよ、留学の話を。言ってないんだろ
?」
「ああ、まだ」
「何で、俺が先になったんだ。俺がボディガードを断れば、留学をやめるのか?」
「……悪かった。ごめん」
 相羽は頭を下げた。
「あ、謝られても、だな。第一、謝るとしたら、涼原さんに言ってからじゃないか」
 急に素直になられて、攻め手を失った唐沢が戸惑い混じりに応じる。相羽は即座に返
事をよこした。弱気が顔を覗かせたような、細い声だった。
「とてもじゃないけど言えないよ」
 黙って聞いていた唐沢だったが、内心では「だろうなぁ」と相槌を打った。もう責め
る気は完全に失せた。
「仮の話だが、今突然涼原さんが抜けたら、仕事関係の方はどうなる?」
「替えが効かないっていうほどの立場じゃないし、ほとんどは別の人が代役に入るだろ
うね。だから、ビジネスそのものがストップすることはないと思う。問題はルーク、事
務所の方。確実に迷惑を掛けることになるから、事務所に違約金支払いの責任が課せら
れて、最悪、潰れるかもしれない」
「なら、どうしたって無理、無謀か。やる値打ちがあるんなら、俺も協力して、涼原さ
んや周りを説得してやろうと思ったんだけど」
「残念だけど、そうみたいだ。……唐沢って、そこまで人がよかったとは知らなかっ
た」
「おまえのためじゃねーから」
 あーあ、と唐沢が両腕を突き上げてのびをしたところで、下校を促す校内放送が流れ
始めた。打ち切らざるを得ない。
「聞くまでもないが、留学話は他言無用なんだな?」
 音楽室を出る前に最後の確認と思い、唐沢は聞いた。
「頼む。学校で知っているのは、神村先生を含む何人かの先生と、おまえだけ」
「え。何か急に肩が重くなったぜ」
 廊下に出て、扉の鍵を掛ける頃には、この話題はきれいさっぱり消し去った。他の人
に聞かれてはいけないという意識が、暗黙の内に働いたのだ。
「あ、そうだ。天文部の合宿はどうすんだよ、相羽」
「七月下旬なら行けると思う」
「何やかんやで忙しいだろうに」
 でもまあ恋人と一緒にいられる時間を確保するには当然参加するよな。問題は、その
ときまでに留学のことを言えているかどうか……。唐沢は直感で決めた。
「やっぱ、俺も天文部入って、着いて行くわ。間に合うよな。ぎりぎりか?」
「ええ? どうしてまた」
「何かあったとき、事情を知る者が近くにいた方が便利だと思わん?」
「……うーん」
 相羽の歩みが遅くなる。このままだと、腕組みをして考え出しそうな雰囲気だ。
「おいおい、相羽がそこまで考え込むことじゃないだろ。ほら、早く鍵を戻して帰ろう
ぜ」
「うーん……。合宿までには、彼女に打ち明けてるつもりなんだけどな」

            *             *

 ベーカリー・うぃっしゅ亭でのアルバイト(一応の)最終日、純子は大いに営業に精
を出した。前日には急遽作ったビラ配りをして、風谷美羽の姿を往来にさらした。最後
の一日ぐらいなら、もし仮にお客がどっと押し寄せても大丈夫と踏んでの、うぃっしゅ
亭店長の了解も得た上での決断。
「いつもに比べて、小さな子が物凄く多い。もう、うるさいし大変!」
 そうこぼした寺東は、珍しく玉の汗を額に浮かばせていた。ハンドタオルを宛がい、
スマイルを絶やさぬように奮闘している。
(『ファイナルステージ』のおかげかなあ。高校ではさして話題にならないけれども、
小学生には受けてるみたいだから)
 アニメ番組を思い浮かべつつ、純子も笑みを崩すことなく、接客や陳列などに忙し
い。
 先程から、胡桃クリームパンの消費が激しい。文字通り、飛ぶような売れ行きだ。少
し前、子供の一人から「美羽が好きなパンは何ですか」と問われ、純子が正直に答えた
せいである。小学生のお小遣いで菓子パンをいくつも買うのは厳しいだろうけど、一個
ならほぼ躊躇せずに買える。手頃な価格かつ、風谷美羽の好物となれば、そこに集中す
るのは当然と言えた。
 おかげで店長は店の奥でフル回転だ。今日は他にも店員――パートタイムの主婦が二
人出て来ており、内一人が店長の奥さんだと聞いた。ただ、純子はどちらが奥さんなの
かは把握していない。店員として入ったのと同時に、忙殺されっ放しなのだ。
「整理を兼ねて、一旦、外でまたビラ配りしてみる? このままだと店がパンクしそう
だよ」
 パートタイマーの一人が言った。その視線は最初に純子、次に店の奥へと向けられ
た。
 パンクは大げさだが、大混雑しているのは間違いのない事実。通路の幅が狭くなって
いる箇所では、すれ違うのにも一苦労。トレイの端同士がぶつかる恐れが高まってい
た。
「そうだね。涼原さん一人でビラ配り、頼めるかな」
 店長の指示が届いた。
「あ、はい! 手すきになったら行きまーす」
 返事をする間にも、胡桃クリームパン待ちの小学生らが暇に任せて、純子の着るエプ
ロン型ユニフォームを、あっちやこっちから引っ張る。パンにじかに触っちゃだめと注
意したのは効果があったが、今度は自分が触られそうだ。
「ごめんね、ちょっと通してね。あ、ほどいちゃだめ」
 ようやく子供の輪を抜け、外に出る準備をしながら、純子は思い付きで新情報を流し
てみることにした。
「そうそう、発表します。風谷美羽が好きなパンの二つ目は――」
 桃ピザにしようか。

 午前中は体育やら教室移動やらで、いい機会がなかった。だから、聞けたのは昼休み
に入ってからになった。
 明日の土曜――五月二十八日――、学校が終わったら行っていい?と尋ねた純子に、
相羽は「かまわないなら、僕が君の家に行くよ」と提案してきた。
(相羽君、自分の誕生日だって分かってるのかなあ?)
 純子は座ったまま、隣の彼の表情を探り見たが、簡単には判断が付かなかった。
 まあ、特に支障はないし、もしかすると母子水入らずでお祝いするのかもしれないし
と考え、「かまわないわ」と答えた。
(中間テストが近くなかったら、デートに誘いたいのに。考えてみると来年もこんな感
じになっちゃう? 来年は、テストの後回しにしてみようかな)
 両手を頬に当て、肘を突いた格好で一年後の計画を立て始める。静かになった純子
に、相羽は不思議そうに瞬きをした。
「どうしたの? 急に黙りこくっちゃって」
「――あ、うん、歓迎するからね。何時頃までいられるかしら?」
「その前に、お昼をどうするか決めておきたいな」
「そっか。お昼御飯は……相羽君がいいのなら、うちで用意するわ。正しくは、しても
らっておく、だけど」
「……純子ちゃんの手作りなら食べたい、とか言ってみたり」
「少し遅くなってもいいのなら」
「物凄い即答だね」
 顔を少しそらし気味にし、目をしばたたかせる相羽。純子は嬉しさを隠さずに答え
た。
「冗談半分に言ったのをまともに受け取られて驚いた、でしょう? いつもいつも、や
られっ放しじゃないんだから」
 誕生日のプレゼントとして、食事を作ってあげるという選択肢が元からあったので、
素早く返せたまでなのだが。
「それで、どうするの?」
「やっとバイトが終わった人に、料理作ってなんて頼めないでしょ」
「大丈夫よ。そんなに難しい物作らないから。焼き飯になるかな? そうだわ、もらっ
たパンがまだ余ってるから、一緒に食べて」
「米とパンを一緒に……」
「育ち盛りなんだから。なんちゃって」
 笑顔がひとりでにはじける純子に対し、相羽はやれやれとばかり、頭を掻いた。
「ところで、何の用事か聞いていいかな」
「それは――」
 ここまで来て黙っておくのも変だし、気が付いている可能性だって充分にある。純子
はそう判断して答えようとした。が、第三者に先を越された。
「誕生日の何かに決まってるじゃない。自分自身のことには、意外と無関心なのね、相
羽君たら」
 白沼だった。いつの間にやらすぐ近くまで来て、聞き耳を立てていたらしい。
「白沼さん、ひどいよー」
 腰を浮かせ、少々むくれ気味に純子が抗議すると、白沼は「どっちがひどいんだか」
と受けた。
「長々といちゃいちゃ話をされるこちらの身にもなって欲しいわ」
「い、いちゃいちゃはしていない、と思うけど……ごめんなさいっ」
 いちゃいちゃしてたことになるのか自信がなかった。悪いと思ったら謝る。
「相羽君に用事なんでしょ。どうぞ、私の話は一応、終わったから」
「違う、はずれ。あなたに用事。お仕事ですわよ」
 白沼はメモを渡してきた。これまでよくあったのと違って、ノート半ページ分ぐらい
はありそうな大きさだ。
「前に会議で出た検討事項の内、結論が出たのがこれだけ。無論、関係者には全員伝わ
ってるんだけど、早めに目を通しておいてほしいという理由から、直接渡すように言わ
れたわけよ」
「どうもありがとう……これ、決定?」
「全部が全部じゃなく、意見を聞くのもあったはずよ。確か、二重丸が付けてある分。
注釈、書いてない?」
「……ごめん、あった。最後の方、自分の指で隠れてた」
 照れ笑いをする純子に、白沼はしっかりしてよねと声を掛けた。
「言うまでもないけど、テストが終わったら再開だから。各種PRの撮影とか」
「それまでには気合いを入れ直しておきまーす」
「……今日明日は浮かれていても、しょうがないわね」
 白沼も最後は咎めることなく、立ち去った。純子はメモを折りたたみ、鞄にしまうた
めに座り直した。終わってから、片肘を突いて相羽に聞く。
「あーあ。怒られちゃった。そんなにいちゃいちゃして浮かれて見えるのかな?」
「分かんないけど……それ以前に、誕生日のこと、忘れてた」
「え?」
 頭を支えていた腕が、コントみたいに、かくんとなった。
「本当に? その、おばさまが何かしら言ってなかったの?」
「言ってたけど、明日だということを忘れてた」
「……凄い、ような気がするわ。誕生日も忘れるなんて、ある意味、充実してる証拠じ
ゃない?」
「だったらいいんだけどね」
 相羽は微かに笑うと、次に、はっと何かに気付いたように唇を噛んだ。
「純子ちゃん、もしかして……アルバイトしたのって……」
「――えへへ。ばれたか」
 もう隠していても意味がない。聞かれれば素直に認めようと決めていた。
「プレゼントのためよ。だってほら、モデルとか芸能とかって、相羽君のおかげで始め
たようなものだから、今回ぐらいは自力でプレゼントを買ったと胸を張りたいなって」
「そうだったの……。あれ? バイトの理由、母さんからも『経験を積むためよ』って
聞かされてたんだけど」
「あ、それは私が頼んだの。嘘の理由を通すためには、どうしても協力が必要だから、
信一君には秘密にしておいてくださいねって」
「やられたよ、まったく」
 そう答えた相羽は、急に上を向いた。速い動作で右手を頬骨の辺りに宛がう。
「あれ、何だこれ。だめみたいだ」
「相羽君?」
 鼻声になった相羽が気になり、名前を呼んだが、すぐには返事がない。
「――ごめん。ちょっと。顔、洗ってくる」
 そのまま表情を見せることなく、席を立つと、足早に廊下へ出てしまった。
 純子が追い掛けようかどうしようか、迷っていると、唐沢が口を開く。
「放っておきなよ、すっずはっらさん」
「でも」
「感激して涙が出た、ってところじゃないの」
「嘘! そんなまさか、大げさな」
「大げさなんかじゃないさ。それに、今のあいつには、泣く理由があるもんな」
「ええ? 唐沢君、私の知らない事情を何か知ってるの?」
「いやいや。好きな相手が忙しいにもかかわらず、自分のためにわざわざアルバイトし
てくれたら、そりゃあ感激するでしょって話」
 世間の常識だぜと言いたげに、肩をすくめる唐沢。純子は完全には納得しかねたが、
感激するのは理解できるし、贈る側として掛け値なしに嬉しい。それ以上の追及はやめ
にした。

            *             *

(あー、情けない)
 目にごみが入ったことにして、校舎を出た相羽、屋外設置の洗い場まで来ると、形ば
かり顔を洗った。
 ハンカチを持っていたが、自然に乾くままにする。鏡の方は持ってないが、いちいち
確認しなくても大丈夫だろうと踏んだ。
(純子ちゃんがそんなこと考えていたなんて。それに全く気付かないなんて。いくら他
のことに気を取られていたとは言え……俺ってだめな奴)
 頭をがりがり掻き、太陽をちらと見上げる。どこかで冷静な部分が残っており、昼休
みが終わるまであと何分あるなという意識があった。
(あのとき、キスする資格なんて自分にはなかった)
 唐沢の自転車を借り、うぃっしゅ亭から純子と一緒に帰った帰り道。そもそも、何で
咄嗟にしたくなったのかを自分でも分からないでいるのだが……多分、留学に伴うしば
しのお別れを意識して、甘えたくなった・思い出を作りたかった・確かめたかったのか
もしれない。
(明日の誕生日。プレゼントを受け取っていいのか?)
 自己嫌悪が続いており、今の自分にはやはり資格がないと思ってしまう。反面、ああ
までしてプレゼントを用意してくれた純子に対し、受け取らないなんてできそうにな
い。
(渡される前に、留学のことを言う? それでも純子ちゃんがプレゼントしてくれるの
なら――いや、こんな試すような真似はしちゃだめだ。それに……中間テストに悪い影
響が出るかもしれないじゃないか)
 留学のことを話さずにいられる理由を探し、見付ける。純子の勉強や成績、ひいては
先生への受け及び学校側のモデル仕事への理解を考えれば、正しい判断であったが、別
の意味では間違っている。
(僕が独断で遠くへ行くと決めておいて、相手には待っていてもらおうなんて、身勝手
極まりないよな。僕が純子ちゃんを信じていても、純子ちゃんは僕を信じられなくなる
かも。ああっ、何もかも分かった上で決断したつもりだったのに! 誕生日プレゼント
のためにバイトを始めたことにすら思い至らない。全然、分かっていなかったんだ)
 留学の件は、もう後戻りできない。よほどのアクシデントがない限り、このまま進む
段階にまで来ている。だったらあとは。
(純子ちゃんの気持ちに任せるしかない)
 あるいは当たり前の結論に、時間を要して達した。少しだけど、すっきりした。

            *             *

 五月二十八日。半ドンが終わった。
 結局、純子の昼食作りはなくなった。相羽に予定があったのだ。誕生日をきれいさっ
ぱり忘れていた当人が言うには、母親が昼間、どこかに食べに行きましょうと決めてい
たのを思い出したらしい。
「案外、おっちょこちょいなんだねえ」
 下校の道すがら、駅まで一緒に行く結城が呆れ気味に評した。なお、淡島は試験を控
え、先日休んだ分を取り戻すべく、補習を自主的に受けている。よってこの場にはいな
い。
「おっちょこちょいっていうか、えっと、視野狭窄? 一つのことに意識が向くと、周
囲がほとんど見えなくなる」
「一言もありません」
 相羽は自嘲の笑みを覗かせ、認めた。
「てゆうことは、このあとどうするんだ?」
 唐沢が聞いた。最後尾をぷらぷらと着いてくる。
「もしかして、俺、というか俺達、お邪魔虫?」
「……僕からは何とも」
 相羽は純子に顔を向けた。
「今は、そうでもないけど」
 純子の返事は、妙な言い回しになった。ぴんと来たのは結城。
「どこだか知らないけど、家の最寄り駅で降りてから、二人きりになれればいいってわ
けね」
「だったら、邪魔してることになるの、俺だけじゃん」
 唐沢がぼやくと、結城が「こっそり見物していったら? 様子をあとで聞かせてよ」
なんて冗談を言った。
 そんな唐沢の心配は、すぐあとになくなった。駅に着く前に、鳥越が追い掛けてきた
からだ。
「唐沢クン、ひどいよ。掃除当番だから、待っててくれって言ってたのに」
 怒りつつも疲れからか、妙なアクセントかつ情けない顔で話す鳥越。それを見て、唐
沢は即座に思い出したらしい。
「わ、わりい。入部の話だったよな。今から戻るか?」
「入部って、唐沢君が天文部に? 今から?」
 聞いていなかった純子は、唐沢に尋ねるつもりで言った。だが、唐沢は鳥越とのやり
取りに忙しいと見て取ったか、相羽がごく簡単に説明する。
「最近、勉強に余裕ができて、何にもしていないのが退屈になったとかで、どこかに入
りたがってたんだ。ほぼ幽霊部員とは言え、僕らがいるところが馴染みやすいだろうっ
て理由で、天文部を選んだみたいだよ」
 純子が頷く間にも、鳥越と唐沢の会話は続いている。純子達とは反対方向の電車に乗
る結城は、「長引きそうだし、電車来るし、ここでバイバイするね。お疲れ〜」と言い
残し、とことこと足早に行ってしまった。
「学校でなくても、届けを書いてもらうことはできる。あと、どれだけ本気なのか質問
していいか」
「何、そんな面接みたいなことするのか」
 驚いたのは唐沢だけじゃない。純子も驚いたし、顔を見合わせた相羽も同様だ。
(私には面接なんてなかったのに)
 そのことを口に出そうか迷っていると、相羽が先に動いた。
「次期副部長。唐沢の知識はともかく、熱意は保証するよ。だから――」
「いくら君の頼みでも、簡単に承知できないな。だいたい、今日の約束を忘れてすっぽ
かすこと自体、本気度が欠けてる証拠だ」
「それは僕らにも責任があるかも……」
 相羽は純子に目配せした。
「今日、誕生日でさ。純子ちゃんがプレゼントをくれるっていう話で盛り上がって、唐
沢も興味を持ったみたいで、着いてきたんだ」
「……確かに気になる。でも」
 鳥越は改めて唐沢に言った。
「男と男の約束なんだから、忘れないでくれよ〜」
 しなだれかかって泣きつかんばかりの勢いに、唐沢は大きく深く息を吐いた。
「男の約束って言われてもな。そういう性格の約束じゃないと思うんだが。すっぽかし
たのはほんと、謝る。面接は勘弁してくれ、してください。今の俺は情熱だけだから、
クリアできる気がしない」
「鳥越、僕からも頼む。星や夜空のことをこれから勉強しようっていう新人を、ここで
門前払いにするのはよくないと思う」
「うう〜ん」
「入部させて、唐沢が他の部員に悪い影響を与えるようだったら、僕が責任を持つ」
「責任……具体的には? 一緒に辞めるとか言われても、部としては嬉しくない。相
羽、君が辞めたら、涼原さんにまで辞められそうだし」
「や、辞めないわ。少なくとも、そういう理由では」
 純子が慌てて言うと、鳥越は、不意に何かを思い付いたらしく、口元で笑った。
「三人とも、中間考査明けから一学期いっぱい、活動日にずっと顔を出すとかはどう
?」
「――鳥越君、ごめん。凄く難しいです」
 純子はスケジュールの書かれたカレンダーを脳裏に描き、ほぼ即答した。
「ほんとに文字通り、顔を出すだけなら何とかなるかもしれないけれど、最後までいる
のは恐らく無理だわ」
「うんうん、そうだろうな。他の二人はともかく」
 分かっていた様子の鳥越。
「だったら、昼の太陽観測はどうだろう? ほぼ毎日、当番制でやってるんだけど、当
番とは関係なしに、涼原さん達は昼休み、屋上まで来て顔を出す」
「それなら……学校を休まない限り、大丈夫かな」
「学期終わりまでに、三人とも来ない日が一度でもあったら、唐沢、君の入部は認める
が」
「へ? 認める?」
 唐沢の顔にクエスチョンマークが描かれたようだ。鳥越は愉快そうに続ける。
「うん。認めるが、合宿には参加禁止。これでどう?」
「ええー、意味ないじゃん! いや、天文に興味はあるが、合宿はまた別の楽しみって
ことで」
 ごにょごにょと語尾を濁す唐沢。その肩をぽんと叩いて、相羽が意見を述べる。
「いいんじゃないかな? 心配なら、唐沢一人でも連日、太陽観測に足を運べば、条件
達成だ」
「むー。俺、女子に声を掛けられると、そっちを優先しちゃう癖があるからなあ。それ
に真面目な話、委員長やってるからその役目で昼の時間、潰れる可能性なきにしもあら
ずだし、自信持って返事できねー」
「そんなときは私か相羽君が行けると思うから、ね?」
 時間が気になり始めたこともあって、純子は鳥越の提案を受け入れる方に回った。実
際、悪くない話だと思う。
(唐沢君がどれだけ本気なのか、私も分からないけれど、入口にはちょうどいいんじゃ
ないかしら。って、私だって部活動に参加していない点では偉そうなこと言えない)
「涼原さんがそう言ってくれるなら。その条件で頼むよ、えーと、副部長だっけ?」
「次期、ね」
 鳥越と唐沢はそのまま入部の手続きに関する諸々を済ませるために、道端で書き物を
始めた。

――つづく




 続き #516 そばにいるだけで 67−2   寺嶋公香
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