AWC 【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (01/17)  悠歩


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#30/598 ●長編
★タイトル (RAD     )  01/12/15  20:10  (182)
【OBORO】 =第4幕・異形胎動= (01/17)  悠歩
★内容                                         01/12/28 15:52 修正 第3版
 ※作中、【日龍】と書き表している部分は、それで一つの「おぼろ」という
  漢字を表しています。
  これは、にちへんにりゅうと書くその漢字が表記できない為の措置ですの
  で、どうぞご了承下さい。


【OBORO】 =第4幕・異形胎動=




「なんにも………なくなっちゃった」
 顔を見なくても、目に涙を浮かべているのだろうと分かる妹の言葉。真月(ま
づき)のそんな声を聞くと、音風の気持ちも悲しさを増していく。
 昨日の夜まで、姉妹四人が過ごしてきた家。異形や朧の血のことを知らない真
月には、楽しい思い出がたくさんあった場所。音風にしても、辛いことの方が多
くはあったが、姉たちや真月との思い出がつまった場所だった。
 それが全て灰となってしまった。
 セピア色の夕陽に浮かび上がる、黒い塊。いまは炭となった朧月の家の柱。
「真月、あまりそっちは行かないほうがいいわ。お洋服が、汚れちゃう」
「だって………まだ、なにかあるかも知れないもん」
 消火のために使われた水が、灰や炭を溶かし、黒く澱んだ水たまりをそこかし
こに作っていた。けれど真月は、ワンピースが汚れてしまうのを気にもかけず、
奥へと進もうとする。小さなサンダルが泥水を跳ね上げ、萌葱色の薄い布地に染
みを作っていく。パジャマのまま着替えなど持ち出す暇のなかった真月のため、
音風が買ってきたばかりのものだった。
 しかし真月を注意しながらも、音風も同じようにして昨夜までは家であった瓦
礫の中へ、足を踏み入れていた。音風の想いもまた、妹と一緒だったのだ。消防
隊や警察もついに発見出来なかった姉、麗花の亡骸。
 いや、もしかすると麗花はまだ生きているのかも知れない。そう信じたい。だ
があの状況から、その望みは極めて低いものであると音風には分かっていた。な
らばせめて、自分の手で骨のひと欠片でもみつけてやりたい。
 どんなものでもいい。麗花や皆の思い出の品をみつけたい。
 しかし掌が黒く染まることも厭わず、炭となって倒れていた柱をのけてみても、
そこに形のあるものなど残されていなかった。
「お姉ちゃん!」
 音風を呼ぶ真月の声。
 落ち込んでいたはずの妹の、張りのある声に何事かと、音風は頭を振る。
「ねえ、これ、もしかして!」
 音風は先刻妹に促した注意が、全く無意味になっていたことを知った。
 元は美鳥の部屋であった辺りだろう。そこに真月は座り込んで、何やら掘り返
している。買ったばかりのワンピースを、土と灰の混ざった泥にまみれさせて。
「もう、しょうのない子ね」
 別に怒った訳ではない。しかし泥だらけになっている真月を見て、この後どう
すればいいのだろうかと音風は考えた。
 美鳥の運ばれた病院には、入院患者のための浴室があった。けれど入院患者で
はない真月のために、そこを汚す訳にはいかないだろう。それ以前に、泥だらけ
のままでは病院に入れない。どこかに銭湯はあっただろうか。
「ほら、やっぱり」
 瓦礫の中から掘り出したそれを、真月は高々と掲げて微笑んだ。一枚の板のよ
うな包み。淡緑であったはずの風呂敷包みであるが、ずいぶんと汚れしまってい
る。古くなったせいもあるだろうが、その主な汚れはこの火事と消火活動のため
である。それを知っている音風や真月でなければ、もとの色など想像もつかない
だろう。ただそれが燃えずに、また放水によって水浸しになっていなかったのは、
奇跡としか言いようがない。
 その包みの中には、一枚の絵があるはずだ。
 姉の美鳥が中学生時代、初めてキャンバスへ描いた絵が。
 真月が一番好きだと言っていた絵が。
「真月、そろそろ………」
 美鳥お姉さんのところへ行きましょう。真月に近づきながら、音風がそう言い
かけたとき。
 一陣の風が吹き抜けて行った。
 さして強い風ではない。
 けれど身体の小さな真月の掲げた包みを煽り、よろめかすには充分だった。一
歩二歩と、バランスを崩した真月が後ろへ下がる。
「きゃっ」
「危ない!」
 咄嗟に差し出した音風の手が、真月の手をつかむ。もしそれがほんの一瞬遅れ
ていれば、真月は転倒の憂き目に遭っていただろう。
 ばしっ、ばしゃ。
 ほぼ同時に発生した二つの音が重なる。
 一つは真月の手にしていた包みが、瓦礫の上に落ちた音。
「よかった………」
 安堵の言葉を漏らす真月。ただしそれは、己の身の無事に対してではない。絵
を落とした先が水溜りではなく、瓦礫の上であったことに対してだった。
「なにが良かったのよ」
 そんな妹の言葉に、音風の口調もつい、荒くなってしまう。
 重なった二つの音の一方は、真月の足が水に落ちた音であったのだ。そこには
瓦礫に埋もれ、姉妹たちが慣れ親しんだ場所であったのにも関わらず、その存在
を見失っていた池があったのだ。真月の足は、その池の縁で踏み外され、水中に
没していた。もし音風の手がわずかにでも遅れていたのなら、水中に没していた
のは片足だけでは済まなかっただろう。暢気にも、絵が無事であったことを喜ぶ
妹に、音風が腹を立てるのも致し方ない。
「だって私とお洋服は、ぬれたってかわかせばいいんだもの」
 悪びれもせず、真月はそう言って笑う。あまりにも屈託のない妹の笑顔に、音
風は怒ることがばかばかしく思えてしまった。
「とにかく………水遊びをするような時間じゃないでしょう。早くそこから出な
さい」
 片足はほぼ完全に水没している。ワンピースは裾から大量の水を吸い、いまさ
ら急いで足を上げたところでその被害が抑えられる状況でもない。しかし夏も終
わりに近づき、気温も下がりつつある夕暮れ時に水に浸かっていて、身体にいい
はずはない。音風は手を引き、妹を早々に池から上がらせようとした。
 ところが。
 妹は一向に池から出ようとはしない。そればかりか上がらせようと手に力を込
める音風に抗い、その場に留まろうとする。
「なにをしているの?」
 怪訝に思い、訊ねる音風の眉宇は歪む。
 真月の視線は水に浸かった自分の足下へと落とされ、その足同様に凍りついて
いた。あるいは何か瓦礫の破片でも踏み抜き、怪我をしてしまったのか。そんな
不吉な考えが音風の脳裏をよぎる。だが、どうやらそうではないらしい。真月の
顔に苦痛の表情が浮かべられることはなく、また怪我をしているのなら赤く染め
られるであろう水面も、溶け込んだ灰の黒色が変化するはなかった。
「真月?」
 再度声を掛け、音風は妹を池から上がるように促す。けれどやはり真月は動こ
うとしない。代わりに自分の小さな唇に、そっと人差し指を充てて、音風へ見せ
る。静かに、ということらしい。
「もう、どうしたっていうのよ」
 小首を傾げながらも妹に従い、音風は声を潜める。そして妹が池の中に見つけ
たものを確認するため自分も一つ、歩を進めた。
「あっ」
 思わず飛び出しそうになった叫びを、音風は双の掌で口元を隠して飲み込む。
「ねっ?」
 嬉しそうな笑顔が、音風に向けられた。
「麗花お姉ちゃんがまもってくれたのかなあ………」
 音風に、というよりは呟くような真月の言葉。言葉とともに音風へ向けられて
いた視線が、足下に帰る。妹と音風の目は同じものを見つめていた。
 黒く澱んだ池の水。その中に現れた水の色とは異質な黒。それから水の色の中、
一際目立つ紅。
 二色の小さな存在が、音風の足をつつく。
 真月の顔が奇妙な歪みを見せる。つつかれた足下がくすぐったいのに、その小
さな犯人たちを驚かせないよう、懸命に堪えているのだ。
「そう、かも知れないね………」
 妹の呟きに、ずいぶん遅れた応えは音風のもの。
 本当に麗花が守ったのかも知れない。真月の小さな思い出を。
 そうでも考えなければ、音風には説明がつかない。燃えさかる家に接したその
池の中、二つの小さな命が炎に炙られてなお、生き延びていたことを。
 真月の足下を泳ぐ二つの命。それは小さな二匹のフナだった。



 優一郎が朧月家の火事を知ったのは三日も後のことだった。
 朧月家から自宅マンションに帰った当日、そして翌日と優一郎は寝て過ごした。
この数日間に起こった出来事は優一郎の肉体と精神を、著しく疲弊させていた。
部屋に帰るなりベッドに潜り込んだ優一郎は、泥のようになって眠った。
 父が、そして母が亡くなりその弔いのために夜を徹した時にさえ、これほど強
烈な疲労は感じなかった。それだけ朧月の従姉妹たちとともにあった時間は、優
一郎にとって激しいものだった。
 肉体的な疲労も回復し、深い眠りから覚めたのちも、朧月家の不幸を知るまで
時間が空いたのは優一郎自ら外からの情報を断っていたためである。
 朧月の家に現れ、異様な力を振るい、真月を連れ去った田邊。彼を追う過程で
見た、姉妹たちの不思議な能力。そして田邊の部屋で繰り広げられた、まるでS
FXで作られた映像のような戦い。さらには怪物となった田邊を優一郎自らの手
で葬ったこと。
 静かな部屋の中、一人になって思い起こすと自分が体験したことであるにも関
わらず、現実であるとはとても信じられない。
 あるいは逃避であったのかも知れない。 
 自分の目で耳で見聞きし、自らの肌で実感したあまりにも非日常な出来事。そ
れはそれまで両親をすでに亡くしていること以外、ごく普通の高校生と過ごして
きた優一郎には、容易に受け入れられるものではなかった。
 マンションの一室という、外部から隔離された空間。そこに閉じ篭もることで
優一郎は現実から逃げた。幸いなことに来訪者はなく、電話も掛かって来ない。
新聞は初めからとってはいない。テレビもつけず、自ら外出を望みもしない。現
実からの逃避は、いとも容易く成された。
 部屋に籠もった三日の間、優一郎は朧月の家を訊ねてからの出来事を、夢であ
ったのだと思いこもうと努めた。
 よく考えてみろ。こんな話を他人にして、信じてもらえると思うか? 俺だっ
たら信じはしない。漫画の読み過ぎだと笑うだろう。そうだ、あれは夢だったん
だ。暑苦しい夏の夜、うなされながら眠った中で見た夢。そうさ、あんなことが
本当に起きるはずなんか、ないじゃないか。
 孤立した時間は思考を自分にとって楽な、都合のいい方向へと流れさせる。だ
があれは全て夢だったのだと自らを納得させ、閉ざされた時の中だけに生きるほ
ど、優一郎の心は老いていなかった。
 やがて優一郎は孤立した時間と空間のもたらす圧迫感に耐えきれなくなり、人
との、世間との関わりを求めた。最初に起こした行動は、テレビのリモコンを押
す。ただそれだけのことだった。しかしそれは閉鎖されたマンションの一室、優
一郎の部屋へ下界の情報を繋ぐ窓となる。
 ワイドショーであった。優一郎のつけたテレビが映し出したものは、普段芸能
人の他愛もない愛憎劇を大仰に誇張して報じる番組であった。
 しかしいまブラウン管に浮かぶ映像は、夫の浮気をなじる女優の姿でも、深夜
の密会が写真週刊誌に暴露されたアーティストの弁明会見でもなかった。禍々し
い字体のタイトルをかざし、深刻な表情のレポーターが報じているのは田邊の起
こした一連の事件であった。
 客観的に見れば、これほど好奇心を煽る事件はそうそうないだろう。短期間に
同じ街の中で11名の行方不明者が出た。うち10名までが同じ学校の生徒であ
る。それだけでも犯罪の専門家を自称する人々にとっては、想像力をかき立てる
のに充分な事件であった。さらには行方不明者うち、7名の女性がとあるマンシ
ョンの一室において、あられもない姿で発見された。監禁、暴行を受けていたと
思われる女性たちは皆衰弱し、精神に異常をきたした者も少なくなかった。しか
しその中からどうにか得られた証言によって、部屋の借り主である高校生が容疑
者と判明した。だが容疑者と目される男子高校生は行方をくらまし、またすでに
殺害されたらしい4名の男性については遺体どころか、遺品の欠片すら発見され
ていない。




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